こちら秘封探偵事務所外伝 宇佐見菫子の革命 宇佐見菫子の革命 第4話
所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所外伝 宇佐見菫子の革命
公開日:2018年06月02日 / 最終更新日:2018年05月17日
【宇佐見薫、妹を語る――2013年7月】
オタクというのは、周囲を観測する限り、わりと流されやすい人種であると思う。一クールごとに嫁をとっかえひっかえ、と揶揄されるのは、もう五年も幻コレ厨をやっている身からすれば甚だ遺憾であるが、アニオタ寄りの友人を見ればまあ、身から出た錆と言えなくもない。
その昔、オタクという言葉が生まれた頃、それが指すのはひとつのジャンルについて求道者のように全てを知り尽くそうとする人種のことだったそうだ。小学生の頃から五年も幻コレで楽しんでいる俺は、どちらかといえばそちら寄りなのかもしれない。ニコ動の面白そうな幻コレ手書き劇場は一通りチェックするし、見たことないものの再生数が伸びているとなんか悔しくなる。まあそれも、供給が一通り見ようと思えば見られるぐらいの数だからできることだ。
ネットの存在しなかった時代――そんな時代があったのは事実なのだろうが、到底想像不可能である。昔のオタクはGoogleもWikipediaもTwitterも各種公式サイトもない時代にどうやって情報を集めていたのだろう。それこそ超能力としか思えない。まあともかく、そんな石器時代にはおそらくサブカルチャーの供給も少なく、当然アーカイブも今より遥かに少なかったわけだ。やろうと思えば、アニメにしろゲームにしろ漫画にしろラノベにしろ、主要なアーカイブを後追いしつつ現在進行形の作品を追いかけるなんてことも可能だったのかもしれない。
だが、二〇一三年に生きる俺らにそんなことは不可能だ。今現在、見きれないぐらいのアニメが放送され、到底読みきれない漫画とラノベがどかどか出て、ゲームは据え置きや携帯機の新作から各種アーカイブ、スマホアプリ、フラッシュゲームまで無数にある。面白いものは無限にあり、俺たちの時間は有限だ。ひとつのジャンルに絞ったところで今からアーカイブを全て把握して現在進行形のものを消費するなんて非現実的もいいところである。
故にこそ、俺たちは皆過去を振り返らない。今目の前にある新作を追っていたら、過去を振り返るヒマなどそもそもない。オッサンが懐かしがる埃を被った九〇年代やそれ以前の遺物など、今更ありがたがって何になるというのか。それらはだいたいオッサンのためのものであって俺らのためのものではないのだ。
――話が逸れた。ええと、何が言いたかったのだったか。
ああ、そうそう。だから俺らオタクは流されやすいのだけれども、だからといって皆が皆、飽きっぽいわけでもない。そもそも飽きっぽかったらまず真っ先にアニメを見ることに飽きている。飽きる範囲の問題であり、興味を持てば深くのめりこむこともある。
というわけで、『けいおん!』の影響でベースを始め、今も続けている奴が中学の友人にひとりいる。そいつに、堀川雷子のバンドについて聞いてみたのである。
「《雷光(サンダーボルト)》? ああ、知ってる」
「どーなんだ、実際。名前が普通なせいでググっても情報見つけにくくてさ」
「あれ、お前初音ミク聞かね?」
「ミク? 有名どころぐらいだなあ」
「作曲担当がわりと有名Pだぜ。バンドでもその曲演ってるし、CDも出してる」
「マジか」
「確かアレ、ミリオン行ってなかったっけか。お前も知ってると思うけどなあ、これこれ」
そう言って友人がスマホで聞かせてくれた曲は、確かにニコニコのランキングで見た記憶のある曲だった。ミクとルカのデュエットのロックナンバー。なんだ、けっこういい曲じゃん。
「へえ……聞いてみるわ」
「なんだ、お前、こっちから興味持ったんじゃねーの?」
「いや、ちょっと、妹がな」
「妹? そいやお前、変な妹いるんだったな」
「否定する気はない。そいつら、なんか悪い噂ねーよな? 信者とオフパコしてるとか」
「いやいや、そもそも女子バンドだ。メンバー四人全員女子」
「……え、マジ?」
「マジ。なんだお前、妹がミュージシャン崩れに食い物にされないかとか心配してたのか? やーいシスコン」
「うるせーよ!」
菫子の奴、そうならそうと最初からそう言えよ! 男のいるバンドみたいな話しやがって。
恥かいた。あとで文句言ってやらねば、と思いながら、その友人とその後はどうでもいいダベりで時間を潰した。
帰宅後、部屋で《雷光》のミク曲を聴いていると、「兄者ー」とまた菫子が部屋にやって来た。妹は俺の聴いている曲を耳にして、「ん?」と首を傾げる。
「兄者がミク聴いてるなんて珍しいと思ったら、雷子さんとこの曲じゃない。なに兄者、やっぱり雷子さんに興味津々なの?」
「ちゃうわい。たまたまだ、たまたま」
「ふーん」
菫子は信じてない顔で、また本棚から勝手に漫画を取りだし読み始める。
「俺はボカロ界隈はあんま詳しくないんだが、人気あるみたいだな」
「みたいねえ。私もあんまり知らないけど。クラスにはカゲプロ大好きなのとかいるけどねー」
「……お前やっぱり、こっち方面から興味持ったわけでもないんだな」
「ん? 兄者ー、シスコンも度が過ぎるとキモいですわよ」
「だからちゃうわい」
ため息をついて、いっそ、この場で直接問いただすべきだろうか、と俺は考える。
――堀川雷子なる女子大生は、お前と同じ超能力者なのか? と。
けれど、その単語を口にした時点で、俺と菫子の間にある何かは、決定的に変わってしまう気がするのだ。妹が超能力者であるということを、確定した事実として認めてしまえば――。
結局俺は、菫子を妹として庇護下に置いておきたいだけなのかもしれない。
いや、それじゃやっぱりただのシスコンではないか。ううむ……。
「兄者」
「あんだよ」
「兄者って、ヘタレよね」
「――何の前触れもなく暴言を吐くな」
「事実を指摘しただけなんだけど」
「事実でも名誉毀損は成立するんだぞ、確か」
「毀損される名誉なんてそもそも兄者にあったっけ?」
「お前な」
「ま、それは冗談として。受け身で変化を待ってるだけじゃ、いつまで経ってもリア充爆発しろってPCに向かって唸るだけの人生になるよ」
「唸ってねーし別にリア充羨んでねーよ。俺はむしろ百合っぷるに末永く爆発しろと言いたい」
「百合男子って究極の草食系ねえ。親を泣かせるのは私より兄者の方じゃない」
「紳士と言ってもらいたい」
「変態という名の? 頼むから妹として恥ずかしくない性癖に留めておいてよ。まあ、その性癖で飯が食えるぐらいになったら文句も言わないけど」
「人を勝手に特殊性癖認定すな。何が言いたいんだお前は」
「そこは乙女の心の機微を察していただきたいなあ」
「友達のいないオカルト中学生のなーにが乙女じゃ」
「彼女もいないニコ厨兼幻コレ厨の高校生に言われたくないわー」
全くいつも通りの兄妹のやりとり。そのことに安心しつつも、肝心なところをやはりはぐらかせていることが、俺の心に引っかかる。
やはり、俺から切り出すべきなのだろうか。「お前、タイムリープしてね?」じゃなくて。
「――菫子。お前さ」
「なに?」
「神様が願いをひとつ叶えてくれるったら、どうする?」
「ドラゴンボール集めて? 神龍にギャルのパンティーおくれーって?」
そうねー、と菫子は首を傾げる。
「この世界が、もう少し面白くなりますように……かな」
「天才らしい言いぐさだな」
「えーえー、兄者には菫子さんの悩みはわかりませんよー」
「その天才的能力で面白くすることは考えないのか?」
――我ながら、きわどい問いだった気がする。けれど菫子は動じる様子もなく、鼻を鳴らす。
「自分の周囲だけ面白くしても、根本的に世界の有り様が変わらないんじゃ意味ないわ。いずれは刺激に飽きて退屈するだけ。まず今の退屈な日常を破壊しないと。人類を滅ぼすとかして」
「物騒なこと言うなよ。――つうか、お前なら世界そのものを変えられるだろ、天才」
「……そりゃ買いかぶりってものよー、兄者。私はただの中学生。子供が世界を変えられるのはフィクションの中だけ」
どこか投げやりに言って、妹はごろりと俺のベッドに横になる。
――超能力者のくせに、最初から諦めんなよ。
その言葉を呑み込む代わりに、俺はため息をつく。
「退屈な日常を変えたいなら、まずその常識に挑むべきなんじゃねーの?」
「ん?」
「中学生に世界は変えられない。それこそお前が嫌ってる退屈な日常の常識じゃねーか。世界を面白くするって言っただろ! どうしてそこで諦めるんだよ! ネバーギブアップ!」
身を起こした菫子は、きょとんと目を見開いて、そして吹き出した。
「兄者、修造は似合わないって」
「うるせえ」
「でも、たまにはいいこと言うじゃない」
「ん?」
「そうね。とりあえず手始めに、世界を変えられそうなアイテムでも探してみようか」
「ドラゴンボールとかか?」
「七つ集めたら、世界を革命する力を! ってお願いするわ」
「なんだそれ」
「少女革命ウテナ。ピンドラの監督の古いやつ」
「お前そんなもん見てたのか」
「面白いから兄者も見ればいいよ」
立ち上がって、菫子は部屋を出て行く。と、その去り際。
「兄者。愛してるわよー」
「気持ち悪いこと言うなっての」
全く、菫子の考えていることは解らない。俺はただ、ため息をつくしかなかった。
【宇佐見菫子の日記――2013年8月】
<8月28日>
夏休みももう終盤! クラスメートは駆けこみで海に花火にデートに大忙し。
だけど友達のいない私はひとり寂しく街をぶらぶら。トホホ……。
ううん、凹んでる場合じゃない、しっかりしなさい宇佐見菫子!
私にはこの天才的頭脳と超能力で世界を面白く作り替えるという使命があるの!
そう、私は超能力者。念動力にテレポーテーション、ESPだってできちゃう。
だけどこの力は誰にも秘密なの。だって女の子なんだもん。
――六行書いただけで疲れた。夏休みだし、二昔前の少女小説っぽい文体を試してみようと思ったのだけれど、慣れないことはするものじゃない。
ともかく、久々に小説風に日記を書くことにする。今日あったことを、積極的に具体的に記憶に留めておくための変換作業だ。そのぐらい、今日は久々に大興奮した。まさかあんなものが見られるなんて――。
いや、先走りすぎだ。昔の小説ってよく「もしここで××が○○していれば、この後に待ち構えた悲劇は防ぎ得たのだ」とか本文で自ら全力でネタバレかましてわざわざ話をつまらなくするという常軌を逸した行為をするけれど、二一世紀の女子中学生たる私は現代的な慎みを弁えているのでそんな無粋なことはすまい。発端から順繰りに語っていこう。
始まりは、雷子さんから呼び出されたことだった。
「珍しいですね、雷子さんから呼び出しなんて」
待ち合わせ場所のマックで私が席につくと、雷子さんは顔を上げて「うん」と生返事。
心ここにあらず、という顔の雷子さんに、私は首を傾げる。彼女のこんな顔は初めて見た。表情が暗いわけではない。ただただ困惑しているという様子である。ということは、少なくとも深刻な打ち明け話をされるわけではなさそうだが。
「あのさあ、菫子ちゃん」
「はい」
「……テレキネシス以外の能力って、持ってる?」
いきなりそう来ましたか。私はテレキネシス以外の能力については、まだ雷子さんには打ち明けていない。何しろ超能力者の同類とまともに超能力者としてコミュニケーションしたのは雷子さんが初めてなのだ。どこまで手の内を明かすかは慎重に慎重を期するぐらいでいい。
「少なくとも、テレパシーは持ってないので、雷子さんの頭の中身は覗けてませんけど」
「いや、そういう心配をしてるんじゃなくてさ。――菫子ちゃん、前に私に、能力が目覚めたきっかけに覚えがあるかって訊いたよね?」
「ええ」
「――ひょっとしたら、目覚めちゃったかもしんない。この歳になって新しく別のが」
私は思わず身を乗り出す。二十歳になって、新たな超能力に覚醒するなんてことがあるのか。それはいち超能力者として、非常に興味深い情報だ。
「本当ですか」
「まだ確信があるわけじゃないのよ。だけど――そうでもなきゃ説明がつかない」
「いったいどんな?」
興奮して前のめりの私を、不意に雷子さんは遠くを見るような目で見つめた。
「――千里眼」
「千里眼?」
ごきげんよう。どうかしたんだろう? 顔を見れば――ってそうじゃない。
「かもしれない。――ありもしないものが見えるのよ」
「今もですか?」
雷子さんは首を横に振る。
「それがね――どうしてなのかしらん」
ため息を漏らして、雷子さんは憂鬱そうに言葉を続けた。
「愛用のドラムを叩いてるときだけなのよ」
「ドラムを?」
「どういうことだと思う?」
問い返されても、たったそれだけの情報では何とも答えようがない。「もうちょっと詳しく聞かせてください」と私が言うと、「そうね」と雷子さんは立ち上がった。
「じゃあ、うち来る?」
是非もない。私は即座に頷いた。
そんなわけで、私は堀川雷子さんのマンションへと招かれた。豪奢なエントランスにたじろぎながら、私は彼女の後をついて歩く。
「ここ、もしかしなくても、めっちゃ高級マンションじゃないです?」
「あれ、言ってなかったっけ。うちの親、八〇年代から九〇年代にめちゃくちゃ稼いだシンガーソングライターだから。菫子ちゃんぐらいだと生まれてないから聴いたことないかな」
そう言って雷子さんが挙げた名前は、残念ながら覚えがなかった。
「そっかー、菫子ちゃんは知らないか。いやま、私も父親の全盛期は知らないんだけどさ」
「そんな凄かったんです?」
「個人のシングルでミリオンが二枚、楽曲提供でミリオンが三枚だか四枚だか」
「ほへー。お父様もドラム叩いてたとは前に聞きましたけど」
「それは売れる前の話ね。最初にやってたバンドが売れなくて解散しちゃって、キーボードも弾けたから別のバンドでキーボードやることになって曲作ったらそれが大ヒットして、そのバンドが解散してからはソロのシンガーソングライターでヒットメーカーまっしぐら」
そういえば私の生まれる前にはCDバブルという時代があったとか何とか聴いた覚えがなくもない。今じゃCDなんて握手券でもつけなきゃ売れないのに、不思議な時代もあったものである。
「ま、そんな親の隠し子だから、こんな高級マンションで暮らせてるわけ」
「今なんかさらっと重いこと言いませんでした?」
「いろいろあるのよ、芸能界はね。あ、オフレコね?」
ごめんなさい雷子さん、ここに書いちゃいました。名前は出してないので許してください。
ともかく、案内された部屋は女子大生のひとり暮らしにはあまりに不釣り合いなほど広々として、現代の格差社会を象徴するかのような部屋だった。現代の若者の大半がワーキングプアまっしぐらの中、バブルの遺産で優雅に暮らす者は高みからワインを傾けそれを眺める。資本主義のあるべき姿といえばそうなのかもしれない。別に共産革命したいとは思わないけど。
「父はドラマーで身を立てるのを夢見てたから、シンガーソングライターとしてビッグになっちゃったことに、自分でも違和感覚えてたみたい。だから、私がドラムやるって言ったら大喜びして、こんな防音完備のマンション用意して好きなだけ叩けって」
「はあ。甲子園行けなかった球児が子供に野球やらせるようなものですか」
「そうね。当の父親は忙しくてドラム全然叩けない日々が何年も続いてるうちに、最初のバンド時代に愛用してたドラムセットが行方不明になっちゃったし」
その話は以前聞いたことがある。雷子さんの父親が大事にしていた古いドラムセットが、最近になって、保管していた倉庫からいつの間にか消えていたことが解ったそうだ。間違って廃棄されたのか、誰かに盗まれたのかも解らないという。
「ま、私は別に父の夢を継いでドラマーやってるわけじゃないけどね」
「――じゃあ、雷子さんはどうしてドラムやってるんです?」
「そりゃあ、ステージを、音楽を、観客を、支配するのが気持ちいいからよ」
ここ、と練習部屋らしい部屋に案内される。鎮座する立派なドラムセットに腰を下ろし、雷子さんはまず感覚を確かめるように軽く叩いた。
「支配、ですか」
「そう。菫子ちゃん、バンドの主役は何だと思ってる?」
「え? まあ、普通はヴォーカルとかギターじゃないですか」
「そう、みんな一番目立つ奴が主役だと思ってる。だけど、曲の入りを決めるのはドラム。リズムを決めるのもドラム。ヴォーカルもギターもベースもキーボードも、ドラマーの叩くリズムに従って演奏しているに過ぎないの。どこを盛り上げるか。どこを走らせるか。ステージで曲を支配し、観客を支配するのはドラムなのよ。試しに適当なロックとかからドラムを抜いてみなさい。その曲はスカスカになるから。全てのバンドはドラムから成り立つの。ドラムの刻むビートこそが音楽の始原。ステージに魔法を掛けるのはドラムなの」
「はじめにドラムがあった。ドラムは音楽と共にあった。ドラムは音楽であった――ってなところですか」
「なんだっけそれ。創世記?」
「ヨハネの福音書です」
「いい言葉ね。――で、問題の千里眼よ。とりあえず、ちょっと叩いてみるわね」
そう言って雷子さんは、リズムを取りながらスティックを振るい、ビートを刻み始めた。防音の効いた部屋の中に、ドラムソロが奏でられる。私は手近な椅子に腰を下ろしてそれを見つめた。雷子さんは目を瞑ったまま、無心にドラムを叩いているように見えるが――。
最後にシンバルを鳴らして、手を止めた雷子さんは、ほう、と息を吐き出した。
「どうでした?」
「やっぱり、見えるわ。ここではない場所が――」
「……どんな景色なんです?」
「たぶん、高い山の上。私はそこでドラムを叩いてる。私――ううん、私なのかしら。ともかく、私のドラムに合わせて、黒雲が鳴って、雷が落ちる」
「でんでん太鼓じゃないですか」
「そう言われても、実際それが見えるんだから仕方ないじゃない。山の上から、外界を見下ろして……そう、山の麓に湖があって、その畔に真っ赤なお屋敷が見えた。その先に、集落らしき影もあったと思う。それ以外は深い森……それと」
「それと?」
「――上空の雲から、建物の屋根みたいなのが、逆さに突き出てた。あれはまるで、お城みたいな……」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の話は事実だと、私は確信した。
山の上、ドラムを叩いて雷を呼ぶ。そこまでなら作り話でもいい。湖の畔に赤い館もまだ緩そう。だが――雲から逆さに突き出るお城の屋根。そんな光景は荒唐無稽すぎて、まともな神経で咄嗟に作れる話ではない。お城が宙に浮いてるだけならドラクエの天空城とか色々あるだろうが、逆さ城となれば話は別だ。突飛だからこそ、逆説的にそこには真実味がある。
「信じる?」
「信じます」
「……そんな即答されるとは思わなかったけど」
「とりあえず信じた方が楽しいじゃないですか。どんなオカルトも陰謀論も、初めから切り捨てるつもりで見たら切り捨てられるものにしか見えないんですよ。どんなにバカバカしい陰謀論も、その圧倒的バカバカしさ故に良識ある人間は勝手にあり得ないと思い込んでくれるからこそ陰謀として成り立つという逆説の可能性を捨てるわけにはいきません。真面目に糾弾する側が馬鹿に見えるっていうのは戦術として高等ですよ」
「君は変な子だねえ」
頬杖をついて呆れ顔で言う雷子さんに、私は歩み寄る。何の変哲もない、古びてすらいないドラムセットだ。普通に考えれば、そこに何かの超自然的な力が突然宿るというのは考えにくい。さて、ということは――。
「雷子さん。今、テレキネシス使ってました?」
「あ、うん。スティック捌きが楽になるから、どうも無意識に使っちゃうのよね」
「原因はそれじゃないですか。雷子さんのテレキネシスが何かと作用してるのでは。テレキネシス封じて叩いてみてくれません? できます?」
「……やってみようか」
雷子さんは再びビートを刻み始める。目を閉じながらスティックを振るう彼女は、しかししばらく叩いて、不意に投げ出したようにシンバルを鳴らした。
「……見えない」
「やっぱり。じゃあ、いつも通りテレキネシス使ってまた叩いてください」
結果は言うまでもないだろう。今度の雷子さんが見たのは、中空を飛んで、落雷の轟きに身を任せる光景だったという。頭上にはやはり、屋根だけが雲から突き出た逆さ城。
「となれば原因は、テレキネシスですね」
「……なんで念動力が千里眼になるの?」
「さて、そもそも千里眼なのか――雷子さんが見ているものが何なのかという話ですが」
「何なんだろう……」
「というわけで、観察のためもっと色々見に行きましょう。ほらほら」
私が雷子さんの背中を押すと、雷子さんは肩を竦めて「それよりも」と私にスティックを差し出した。私は思わず目をしばたたかせる。
「テレキネシスで変なものが見えるなら、菫子ちゃんが直接見た方が早いでしょ」
「え? いやいや、私ドラムなんて叩けませんから」
「演奏じゃなく変なものを見るのが目的なんだから、適当に叩けばいいの」
「いやあ……」
そう言われても困る。全く自慢にならないが、実は楽器はからっきしなのだ。手が動かない分をテレキネシスでカバーできるとしても、音感やリズム感は全くの別問題であるし、そもそもテレキネシスも私の意志で操るものである以上、自分の手が行える以上の精密な動作は困難を極める。針の穴に糸を通すには、手でやる以上の集中力がいるのだ。
「別に笑ったりしないから」
「いや、むしろ変に叩いて壊したら申し訳ないので」
「――じゃあ、いっそ一緒に叩こうか」
「へ?」
「シンバルだけでいいから、ちょっとこんな感じで」
と、雷子さんは、ダタダタダタジャーン、と四拍子のリズムを刻む。
「このシンバルだけ、菫子ちゃん、テレキネシスで叩いて。リズムに合わせてね」
「はあ」
シンバルにテレキネシスを向けて叩いてみる。イメージとしては、心の中だけで手を動かして、手で直接叩く感覚である。ジャーン、と音が鳴った。こんな感じでいいのか。
「そうそう。音ゲーやってる感じで。じゃあリズムに合わせていくよ」
雷子さんが正確なリズムでドラムを叩き始め、私はそれに合わせてシンバルを鳴らす。ダタダタダタジャーン。ダタダタダタジャーン。文字にすると間抜け極まりないが、リズムに合わせてシンバルを鳴らすのは楽しかった。伊達にミュージックガンガンをやってはいない。楽器はダメだがリズム感は一応あるつもりだ。
そうして、雷子さんと四拍子を刻んでいるうちに、何か脳内麻薬のようなものが出てきたのか――すーっと、目の前の光景が遠くなった。
いや、違う。視界が歪む。世界が、捩れる。――なんだ、これは。
何が起こったのか、咄嗟に私には理解できなかった。声も出せないまま、私はその世界の歪みをまっすぐに見つめて、そして――そこに、呑み込まれた。
ここまで書いたところで時間切れである。そろそろ寝なければ。
続きはまた明日。あの光景は鮮烈だった。明日になっても、忘れることはないだろう。
<8月29日>
昨日の続きを書こうと思うが、はてさて、あの光景をどう書き起こしたものか。
スマホで動画撮影できるものならばそうしたかった。いちいち文字に書き留めるより、そっちの方が遥かに手っ取り早い。けれどあのとき私の見たものは、映像記録として残せなかったから、記憶を頼りに文字に書き起こすしかないわけである。面倒な話だ。
最初に見えたのは、夜の黒雲だった。
私は――私の視点は、どこかの宙に浮いているようだった。ゴロゴロ、と低く遠雷が響いている。いや、違う。その音は――誰かがドラムを叩いている音だ。
雷子さん? そう思って周囲を見回そうとしたが、視点は動かない。どうやら私の意志とは別々にこの視点は存在しているらしい。
カッ、と視界に閃光が走り、同時に耳をつんざく轟音が鳴り響いた。落雷だ。それもすぐ目の前に。けれど私はなぜか、それをどこか心地良く感じている。
私と視覚を共有しているらしい誰かの手が見えた。その手はやはり、ドラムを叩いている。どこか古びたドラムが、雷鳴のような激しいビートを刻んでいる。
また、どこかに雷が落ちた。閃光。轟音。ますますドラムを叩く手は激しくなる。雷鳴とドラムのビートが重なり合い――視点の誰かは、歓喜に打ち震えている。その歓喜が、私自身さえも高揚させる。もっと。もっとビートを!
ドラムを叩く手の向こう側に、集落が見える。まるで映画村のセットのような古臭い家屋が建ち並ぶ集落が、ミニチュアのようなサイズで眼下にある。その向こうには深い森。そして高い山。それはさながら、森閑たる山奥の秘境――。
閃光。ひときわ大きな雷鳴。――そして、視界は暗転する。
気が付いたときには、私はまた雷子さんの部屋にいた。
「……見えた?」
「見えました」
私たちは顔を見合わせ、息を詰めて沈黙したドラムを見下ろす。
「あれは……いったい何なんでしょう」
「わからない……でも」
「でも?」
「誰かが、ドラムを叩いてたよね。古びたドラム」
「はい」
「あれ――うちの父さんの、行方不明になったドラムだった。間違いない」
あれから私は、グーグルアースであのとき見えた場所を探した。日本中の山奥の、古い集落が残っていると言われる場所を。しかし山奥はグーグルアースも高解像度の写真がなく、あの集落がどこにあるものなのかは解らなかった。
いや、そもそもあれが現実の光景だとしたら、誰かが空を飛びながら、空中でドラムを叩いていたことになる。激しい落雷に合わせて――。
昨日の気象情報も調べてみたが、全国であれだけ激しい雷が落ちた地域は見当たらなかった。
あれは現実の光景だったのだろうか?
私と雷子さんは、いったい何を見たのだろうか?
――ああ、なんという不思議! なんという深秘!
夏休みの終わりに、まさかこんな体験ができるなんて。
あの光景はなんだったのか。私たちはいったい何を見たのか。
この真実を、私は追及しなければならない。
そうすれば、世界はきっと今よりずっと面白くなるはずだ!
世界を革命する力を!
オタクというのは、周囲を観測する限り、わりと流されやすい人種であると思う。一クールごとに嫁をとっかえひっかえ、と揶揄されるのは、もう五年も幻コレ厨をやっている身からすれば甚だ遺憾であるが、アニオタ寄りの友人を見ればまあ、身から出た錆と言えなくもない。
その昔、オタクという言葉が生まれた頃、それが指すのはひとつのジャンルについて求道者のように全てを知り尽くそうとする人種のことだったそうだ。小学生の頃から五年も幻コレで楽しんでいる俺は、どちらかといえばそちら寄りなのかもしれない。ニコ動の面白そうな幻コレ手書き劇場は一通りチェックするし、見たことないものの再生数が伸びているとなんか悔しくなる。まあそれも、供給が一通り見ようと思えば見られるぐらいの数だからできることだ。
ネットの存在しなかった時代――そんな時代があったのは事実なのだろうが、到底想像不可能である。昔のオタクはGoogleもWikipediaもTwitterも各種公式サイトもない時代にどうやって情報を集めていたのだろう。それこそ超能力としか思えない。まあともかく、そんな石器時代にはおそらくサブカルチャーの供給も少なく、当然アーカイブも今より遥かに少なかったわけだ。やろうと思えば、アニメにしろゲームにしろ漫画にしろラノベにしろ、主要なアーカイブを後追いしつつ現在進行形の作品を追いかけるなんてことも可能だったのかもしれない。
だが、二〇一三年に生きる俺らにそんなことは不可能だ。今現在、見きれないぐらいのアニメが放送され、到底読みきれない漫画とラノベがどかどか出て、ゲームは据え置きや携帯機の新作から各種アーカイブ、スマホアプリ、フラッシュゲームまで無数にある。面白いものは無限にあり、俺たちの時間は有限だ。ひとつのジャンルに絞ったところで今からアーカイブを全て把握して現在進行形のものを消費するなんて非現実的もいいところである。
故にこそ、俺たちは皆過去を振り返らない。今目の前にある新作を追っていたら、過去を振り返るヒマなどそもそもない。オッサンが懐かしがる埃を被った九〇年代やそれ以前の遺物など、今更ありがたがって何になるというのか。それらはだいたいオッサンのためのものであって俺らのためのものではないのだ。
――話が逸れた。ええと、何が言いたかったのだったか。
ああ、そうそう。だから俺らオタクは流されやすいのだけれども、だからといって皆が皆、飽きっぽいわけでもない。そもそも飽きっぽかったらまず真っ先にアニメを見ることに飽きている。飽きる範囲の問題であり、興味を持てば深くのめりこむこともある。
というわけで、『けいおん!』の影響でベースを始め、今も続けている奴が中学の友人にひとりいる。そいつに、堀川雷子のバンドについて聞いてみたのである。
「《雷光(サンダーボルト)》? ああ、知ってる」
「どーなんだ、実際。名前が普通なせいでググっても情報見つけにくくてさ」
「あれ、お前初音ミク聞かね?」
「ミク? 有名どころぐらいだなあ」
「作曲担当がわりと有名Pだぜ。バンドでもその曲演ってるし、CDも出してる」
「マジか」
「確かアレ、ミリオン行ってなかったっけか。お前も知ってると思うけどなあ、これこれ」
そう言って友人がスマホで聞かせてくれた曲は、確かにニコニコのランキングで見た記憶のある曲だった。ミクとルカのデュエットのロックナンバー。なんだ、けっこういい曲じゃん。
「へえ……聞いてみるわ」
「なんだ、お前、こっちから興味持ったんじゃねーの?」
「いや、ちょっと、妹がな」
「妹? そいやお前、変な妹いるんだったな」
「否定する気はない。そいつら、なんか悪い噂ねーよな? 信者とオフパコしてるとか」
「いやいや、そもそも女子バンドだ。メンバー四人全員女子」
「……え、マジ?」
「マジ。なんだお前、妹がミュージシャン崩れに食い物にされないかとか心配してたのか? やーいシスコン」
「うるせーよ!」
菫子の奴、そうならそうと最初からそう言えよ! 男のいるバンドみたいな話しやがって。
恥かいた。あとで文句言ってやらねば、と思いながら、その友人とその後はどうでもいいダベりで時間を潰した。
帰宅後、部屋で《雷光》のミク曲を聴いていると、「兄者ー」とまた菫子が部屋にやって来た。妹は俺の聴いている曲を耳にして、「ん?」と首を傾げる。
「兄者がミク聴いてるなんて珍しいと思ったら、雷子さんとこの曲じゃない。なに兄者、やっぱり雷子さんに興味津々なの?」
「ちゃうわい。たまたまだ、たまたま」
「ふーん」
菫子は信じてない顔で、また本棚から勝手に漫画を取りだし読み始める。
「俺はボカロ界隈はあんま詳しくないんだが、人気あるみたいだな」
「みたいねえ。私もあんまり知らないけど。クラスにはカゲプロ大好きなのとかいるけどねー」
「……お前やっぱり、こっち方面から興味持ったわけでもないんだな」
「ん? 兄者ー、シスコンも度が過ぎるとキモいですわよ」
「だからちゃうわい」
ため息をついて、いっそ、この場で直接問いただすべきだろうか、と俺は考える。
――堀川雷子なる女子大生は、お前と同じ超能力者なのか? と。
けれど、その単語を口にした時点で、俺と菫子の間にある何かは、決定的に変わってしまう気がするのだ。妹が超能力者であるということを、確定した事実として認めてしまえば――。
結局俺は、菫子を妹として庇護下に置いておきたいだけなのかもしれない。
いや、それじゃやっぱりただのシスコンではないか。ううむ……。
「兄者」
「あんだよ」
「兄者って、ヘタレよね」
「――何の前触れもなく暴言を吐くな」
「事実を指摘しただけなんだけど」
「事実でも名誉毀損は成立するんだぞ、確か」
「毀損される名誉なんてそもそも兄者にあったっけ?」
「お前な」
「ま、それは冗談として。受け身で変化を待ってるだけじゃ、いつまで経ってもリア充爆発しろってPCに向かって唸るだけの人生になるよ」
「唸ってねーし別にリア充羨んでねーよ。俺はむしろ百合っぷるに末永く爆発しろと言いたい」
「百合男子って究極の草食系ねえ。親を泣かせるのは私より兄者の方じゃない」
「紳士と言ってもらいたい」
「変態という名の? 頼むから妹として恥ずかしくない性癖に留めておいてよ。まあ、その性癖で飯が食えるぐらいになったら文句も言わないけど」
「人を勝手に特殊性癖認定すな。何が言いたいんだお前は」
「そこは乙女の心の機微を察していただきたいなあ」
「友達のいないオカルト中学生のなーにが乙女じゃ」
「彼女もいないニコ厨兼幻コレ厨の高校生に言われたくないわー」
全くいつも通りの兄妹のやりとり。そのことに安心しつつも、肝心なところをやはりはぐらかせていることが、俺の心に引っかかる。
やはり、俺から切り出すべきなのだろうか。「お前、タイムリープしてね?」じゃなくて。
「――菫子。お前さ」
「なに?」
「神様が願いをひとつ叶えてくれるったら、どうする?」
「ドラゴンボール集めて? 神龍にギャルのパンティーおくれーって?」
そうねー、と菫子は首を傾げる。
「この世界が、もう少し面白くなりますように……かな」
「天才らしい言いぐさだな」
「えーえー、兄者には菫子さんの悩みはわかりませんよー」
「その天才的能力で面白くすることは考えないのか?」
――我ながら、きわどい問いだった気がする。けれど菫子は動じる様子もなく、鼻を鳴らす。
「自分の周囲だけ面白くしても、根本的に世界の有り様が変わらないんじゃ意味ないわ。いずれは刺激に飽きて退屈するだけ。まず今の退屈な日常を破壊しないと。人類を滅ぼすとかして」
「物騒なこと言うなよ。――つうか、お前なら世界そのものを変えられるだろ、天才」
「……そりゃ買いかぶりってものよー、兄者。私はただの中学生。子供が世界を変えられるのはフィクションの中だけ」
どこか投げやりに言って、妹はごろりと俺のベッドに横になる。
――超能力者のくせに、最初から諦めんなよ。
その言葉を呑み込む代わりに、俺はため息をつく。
「退屈な日常を変えたいなら、まずその常識に挑むべきなんじゃねーの?」
「ん?」
「中学生に世界は変えられない。それこそお前が嫌ってる退屈な日常の常識じゃねーか。世界を面白くするって言っただろ! どうしてそこで諦めるんだよ! ネバーギブアップ!」
身を起こした菫子は、きょとんと目を見開いて、そして吹き出した。
「兄者、修造は似合わないって」
「うるせえ」
「でも、たまにはいいこと言うじゃない」
「ん?」
「そうね。とりあえず手始めに、世界を変えられそうなアイテムでも探してみようか」
「ドラゴンボールとかか?」
「七つ集めたら、世界を革命する力を! ってお願いするわ」
「なんだそれ」
「少女革命ウテナ。ピンドラの監督の古いやつ」
「お前そんなもん見てたのか」
「面白いから兄者も見ればいいよ」
立ち上がって、菫子は部屋を出て行く。と、その去り際。
「兄者。愛してるわよー」
「気持ち悪いこと言うなっての」
全く、菫子の考えていることは解らない。俺はただ、ため息をつくしかなかった。
【宇佐見菫子の日記――2013年8月】
<8月28日>
夏休みももう終盤! クラスメートは駆けこみで海に花火にデートに大忙し。
だけど友達のいない私はひとり寂しく街をぶらぶら。トホホ……。
ううん、凹んでる場合じゃない、しっかりしなさい宇佐見菫子!
私にはこの天才的頭脳と超能力で世界を面白く作り替えるという使命があるの!
そう、私は超能力者。念動力にテレポーテーション、ESPだってできちゃう。
だけどこの力は誰にも秘密なの。だって女の子なんだもん。
――六行書いただけで疲れた。夏休みだし、二昔前の少女小説っぽい文体を試してみようと思ったのだけれど、慣れないことはするものじゃない。
ともかく、久々に小説風に日記を書くことにする。今日あったことを、積極的に具体的に記憶に留めておくための変換作業だ。そのぐらい、今日は久々に大興奮した。まさかあんなものが見られるなんて――。
いや、先走りすぎだ。昔の小説ってよく「もしここで××が○○していれば、この後に待ち構えた悲劇は防ぎ得たのだ」とか本文で自ら全力でネタバレかましてわざわざ話をつまらなくするという常軌を逸した行為をするけれど、二一世紀の女子中学生たる私は現代的な慎みを弁えているのでそんな無粋なことはすまい。発端から順繰りに語っていこう。
始まりは、雷子さんから呼び出されたことだった。
「珍しいですね、雷子さんから呼び出しなんて」
待ち合わせ場所のマックで私が席につくと、雷子さんは顔を上げて「うん」と生返事。
心ここにあらず、という顔の雷子さんに、私は首を傾げる。彼女のこんな顔は初めて見た。表情が暗いわけではない。ただただ困惑しているという様子である。ということは、少なくとも深刻な打ち明け話をされるわけではなさそうだが。
「あのさあ、菫子ちゃん」
「はい」
「……テレキネシス以外の能力って、持ってる?」
いきなりそう来ましたか。私はテレキネシス以外の能力については、まだ雷子さんには打ち明けていない。何しろ超能力者の同類とまともに超能力者としてコミュニケーションしたのは雷子さんが初めてなのだ。どこまで手の内を明かすかは慎重に慎重を期するぐらいでいい。
「少なくとも、テレパシーは持ってないので、雷子さんの頭の中身は覗けてませんけど」
「いや、そういう心配をしてるんじゃなくてさ。――菫子ちゃん、前に私に、能力が目覚めたきっかけに覚えがあるかって訊いたよね?」
「ええ」
「――ひょっとしたら、目覚めちゃったかもしんない。この歳になって新しく別のが」
私は思わず身を乗り出す。二十歳になって、新たな超能力に覚醒するなんてことがあるのか。それはいち超能力者として、非常に興味深い情報だ。
「本当ですか」
「まだ確信があるわけじゃないのよ。だけど――そうでもなきゃ説明がつかない」
「いったいどんな?」
興奮して前のめりの私を、不意に雷子さんは遠くを見るような目で見つめた。
「――千里眼」
「千里眼?」
ごきげんよう。どうかしたんだろう? 顔を見れば――ってそうじゃない。
「かもしれない。――ありもしないものが見えるのよ」
「今もですか?」
雷子さんは首を横に振る。
「それがね――どうしてなのかしらん」
ため息を漏らして、雷子さんは憂鬱そうに言葉を続けた。
「愛用のドラムを叩いてるときだけなのよ」
「ドラムを?」
「どういうことだと思う?」
問い返されても、たったそれだけの情報では何とも答えようがない。「もうちょっと詳しく聞かせてください」と私が言うと、「そうね」と雷子さんは立ち上がった。
「じゃあ、うち来る?」
是非もない。私は即座に頷いた。
そんなわけで、私は堀川雷子さんのマンションへと招かれた。豪奢なエントランスにたじろぎながら、私は彼女の後をついて歩く。
「ここ、もしかしなくても、めっちゃ高級マンションじゃないです?」
「あれ、言ってなかったっけ。うちの親、八〇年代から九〇年代にめちゃくちゃ稼いだシンガーソングライターだから。菫子ちゃんぐらいだと生まれてないから聴いたことないかな」
そう言って雷子さんが挙げた名前は、残念ながら覚えがなかった。
「そっかー、菫子ちゃんは知らないか。いやま、私も父親の全盛期は知らないんだけどさ」
「そんな凄かったんです?」
「個人のシングルでミリオンが二枚、楽曲提供でミリオンが三枚だか四枚だか」
「ほへー。お父様もドラム叩いてたとは前に聞きましたけど」
「それは売れる前の話ね。最初にやってたバンドが売れなくて解散しちゃって、キーボードも弾けたから別のバンドでキーボードやることになって曲作ったらそれが大ヒットして、そのバンドが解散してからはソロのシンガーソングライターでヒットメーカーまっしぐら」
そういえば私の生まれる前にはCDバブルという時代があったとか何とか聴いた覚えがなくもない。今じゃCDなんて握手券でもつけなきゃ売れないのに、不思議な時代もあったものである。
「ま、そんな親の隠し子だから、こんな高級マンションで暮らせてるわけ」
「今なんかさらっと重いこと言いませんでした?」
「いろいろあるのよ、芸能界はね。あ、オフレコね?」
ごめんなさい雷子さん、ここに書いちゃいました。名前は出してないので許してください。
ともかく、案内された部屋は女子大生のひとり暮らしにはあまりに不釣り合いなほど広々として、現代の格差社会を象徴するかのような部屋だった。現代の若者の大半がワーキングプアまっしぐらの中、バブルの遺産で優雅に暮らす者は高みからワインを傾けそれを眺める。資本主義のあるべき姿といえばそうなのかもしれない。別に共産革命したいとは思わないけど。
「父はドラマーで身を立てるのを夢見てたから、シンガーソングライターとしてビッグになっちゃったことに、自分でも違和感覚えてたみたい。だから、私がドラムやるって言ったら大喜びして、こんな防音完備のマンション用意して好きなだけ叩けって」
「はあ。甲子園行けなかった球児が子供に野球やらせるようなものですか」
「そうね。当の父親は忙しくてドラム全然叩けない日々が何年も続いてるうちに、最初のバンド時代に愛用してたドラムセットが行方不明になっちゃったし」
その話は以前聞いたことがある。雷子さんの父親が大事にしていた古いドラムセットが、最近になって、保管していた倉庫からいつの間にか消えていたことが解ったそうだ。間違って廃棄されたのか、誰かに盗まれたのかも解らないという。
「ま、私は別に父の夢を継いでドラマーやってるわけじゃないけどね」
「――じゃあ、雷子さんはどうしてドラムやってるんです?」
「そりゃあ、ステージを、音楽を、観客を、支配するのが気持ちいいからよ」
ここ、と練習部屋らしい部屋に案内される。鎮座する立派なドラムセットに腰を下ろし、雷子さんはまず感覚を確かめるように軽く叩いた。
「支配、ですか」
「そう。菫子ちゃん、バンドの主役は何だと思ってる?」
「え? まあ、普通はヴォーカルとかギターじゃないですか」
「そう、みんな一番目立つ奴が主役だと思ってる。だけど、曲の入りを決めるのはドラム。リズムを決めるのもドラム。ヴォーカルもギターもベースもキーボードも、ドラマーの叩くリズムに従って演奏しているに過ぎないの。どこを盛り上げるか。どこを走らせるか。ステージで曲を支配し、観客を支配するのはドラムなのよ。試しに適当なロックとかからドラムを抜いてみなさい。その曲はスカスカになるから。全てのバンドはドラムから成り立つの。ドラムの刻むビートこそが音楽の始原。ステージに魔法を掛けるのはドラムなの」
「はじめにドラムがあった。ドラムは音楽と共にあった。ドラムは音楽であった――ってなところですか」
「なんだっけそれ。創世記?」
「ヨハネの福音書です」
「いい言葉ね。――で、問題の千里眼よ。とりあえず、ちょっと叩いてみるわね」
そう言って雷子さんは、リズムを取りながらスティックを振るい、ビートを刻み始めた。防音の効いた部屋の中に、ドラムソロが奏でられる。私は手近な椅子に腰を下ろしてそれを見つめた。雷子さんは目を瞑ったまま、無心にドラムを叩いているように見えるが――。
最後にシンバルを鳴らして、手を止めた雷子さんは、ほう、と息を吐き出した。
「どうでした?」
「やっぱり、見えるわ。ここではない場所が――」
「……どんな景色なんです?」
「たぶん、高い山の上。私はそこでドラムを叩いてる。私――ううん、私なのかしら。ともかく、私のドラムに合わせて、黒雲が鳴って、雷が落ちる」
「でんでん太鼓じゃないですか」
「そう言われても、実際それが見えるんだから仕方ないじゃない。山の上から、外界を見下ろして……そう、山の麓に湖があって、その畔に真っ赤なお屋敷が見えた。その先に、集落らしき影もあったと思う。それ以外は深い森……それと」
「それと?」
「――上空の雲から、建物の屋根みたいなのが、逆さに突き出てた。あれはまるで、お城みたいな……」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の話は事実だと、私は確信した。
山の上、ドラムを叩いて雷を呼ぶ。そこまでなら作り話でもいい。湖の畔に赤い館もまだ緩そう。だが――雲から逆さに突き出るお城の屋根。そんな光景は荒唐無稽すぎて、まともな神経で咄嗟に作れる話ではない。お城が宙に浮いてるだけならドラクエの天空城とか色々あるだろうが、逆さ城となれば話は別だ。突飛だからこそ、逆説的にそこには真実味がある。
「信じる?」
「信じます」
「……そんな即答されるとは思わなかったけど」
「とりあえず信じた方が楽しいじゃないですか。どんなオカルトも陰謀論も、初めから切り捨てるつもりで見たら切り捨てられるものにしか見えないんですよ。どんなにバカバカしい陰謀論も、その圧倒的バカバカしさ故に良識ある人間は勝手にあり得ないと思い込んでくれるからこそ陰謀として成り立つという逆説の可能性を捨てるわけにはいきません。真面目に糾弾する側が馬鹿に見えるっていうのは戦術として高等ですよ」
「君は変な子だねえ」
頬杖をついて呆れ顔で言う雷子さんに、私は歩み寄る。何の変哲もない、古びてすらいないドラムセットだ。普通に考えれば、そこに何かの超自然的な力が突然宿るというのは考えにくい。さて、ということは――。
「雷子さん。今、テレキネシス使ってました?」
「あ、うん。スティック捌きが楽になるから、どうも無意識に使っちゃうのよね」
「原因はそれじゃないですか。雷子さんのテレキネシスが何かと作用してるのでは。テレキネシス封じて叩いてみてくれません? できます?」
「……やってみようか」
雷子さんは再びビートを刻み始める。目を閉じながらスティックを振るう彼女は、しかししばらく叩いて、不意に投げ出したようにシンバルを鳴らした。
「……見えない」
「やっぱり。じゃあ、いつも通りテレキネシス使ってまた叩いてください」
結果は言うまでもないだろう。今度の雷子さんが見たのは、中空を飛んで、落雷の轟きに身を任せる光景だったという。頭上にはやはり、屋根だけが雲から突き出た逆さ城。
「となれば原因は、テレキネシスですね」
「……なんで念動力が千里眼になるの?」
「さて、そもそも千里眼なのか――雷子さんが見ているものが何なのかという話ですが」
「何なんだろう……」
「というわけで、観察のためもっと色々見に行きましょう。ほらほら」
私が雷子さんの背中を押すと、雷子さんは肩を竦めて「それよりも」と私にスティックを差し出した。私は思わず目をしばたたかせる。
「テレキネシスで変なものが見えるなら、菫子ちゃんが直接見た方が早いでしょ」
「え? いやいや、私ドラムなんて叩けませんから」
「演奏じゃなく変なものを見るのが目的なんだから、適当に叩けばいいの」
「いやあ……」
そう言われても困る。全く自慢にならないが、実は楽器はからっきしなのだ。手が動かない分をテレキネシスでカバーできるとしても、音感やリズム感は全くの別問題であるし、そもそもテレキネシスも私の意志で操るものである以上、自分の手が行える以上の精密な動作は困難を極める。針の穴に糸を通すには、手でやる以上の集中力がいるのだ。
「別に笑ったりしないから」
「いや、むしろ変に叩いて壊したら申し訳ないので」
「――じゃあ、いっそ一緒に叩こうか」
「へ?」
「シンバルだけでいいから、ちょっとこんな感じで」
と、雷子さんは、ダタダタダタジャーン、と四拍子のリズムを刻む。
「このシンバルだけ、菫子ちゃん、テレキネシスで叩いて。リズムに合わせてね」
「はあ」
シンバルにテレキネシスを向けて叩いてみる。イメージとしては、心の中だけで手を動かして、手で直接叩く感覚である。ジャーン、と音が鳴った。こんな感じでいいのか。
「そうそう。音ゲーやってる感じで。じゃあリズムに合わせていくよ」
雷子さんが正確なリズムでドラムを叩き始め、私はそれに合わせてシンバルを鳴らす。ダタダタダタジャーン。ダタダタダタジャーン。文字にすると間抜け極まりないが、リズムに合わせてシンバルを鳴らすのは楽しかった。伊達にミュージックガンガンをやってはいない。楽器はダメだがリズム感は一応あるつもりだ。
そうして、雷子さんと四拍子を刻んでいるうちに、何か脳内麻薬のようなものが出てきたのか――すーっと、目の前の光景が遠くなった。
いや、違う。視界が歪む。世界が、捩れる。――なんだ、これは。
何が起こったのか、咄嗟に私には理解できなかった。声も出せないまま、私はその世界の歪みをまっすぐに見つめて、そして――そこに、呑み込まれた。
ここまで書いたところで時間切れである。そろそろ寝なければ。
続きはまた明日。あの光景は鮮烈だった。明日になっても、忘れることはないだろう。
<8月29日>
昨日の続きを書こうと思うが、はてさて、あの光景をどう書き起こしたものか。
スマホで動画撮影できるものならばそうしたかった。いちいち文字に書き留めるより、そっちの方が遥かに手っ取り早い。けれどあのとき私の見たものは、映像記録として残せなかったから、記憶を頼りに文字に書き起こすしかないわけである。面倒な話だ。
最初に見えたのは、夜の黒雲だった。
私は――私の視点は、どこかの宙に浮いているようだった。ゴロゴロ、と低く遠雷が響いている。いや、違う。その音は――誰かがドラムを叩いている音だ。
雷子さん? そう思って周囲を見回そうとしたが、視点は動かない。どうやら私の意志とは別々にこの視点は存在しているらしい。
カッ、と視界に閃光が走り、同時に耳をつんざく轟音が鳴り響いた。落雷だ。それもすぐ目の前に。けれど私はなぜか、それをどこか心地良く感じている。
私と視覚を共有しているらしい誰かの手が見えた。その手はやはり、ドラムを叩いている。どこか古びたドラムが、雷鳴のような激しいビートを刻んでいる。
また、どこかに雷が落ちた。閃光。轟音。ますますドラムを叩く手は激しくなる。雷鳴とドラムのビートが重なり合い――視点の誰かは、歓喜に打ち震えている。その歓喜が、私自身さえも高揚させる。もっと。もっとビートを!
ドラムを叩く手の向こう側に、集落が見える。まるで映画村のセットのような古臭い家屋が建ち並ぶ集落が、ミニチュアのようなサイズで眼下にある。その向こうには深い森。そして高い山。それはさながら、森閑たる山奥の秘境――。
閃光。ひときわ大きな雷鳴。――そして、視界は暗転する。
気が付いたときには、私はまた雷子さんの部屋にいた。
「……見えた?」
「見えました」
私たちは顔を見合わせ、息を詰めて沈黙したドラムを見下ろす。
「あれは……いったい何なんでしょう」
「わからない……でも」
「でも?」
「誰かが、ドラムを叩いてたよね。古びたドラム」
「はい」
「あれ――うちの父さんの、行方不明になったドラムだった。間違いない」
あれから私は、グーグルアースであのとき見えた場所を探した。日本中の山奥の、古い集落が残っていると言われる場所を。しかし山奥はグーグルアースも高解像度の写真がなく、あの集落がどこにあるものなのかは解らなかった。
いや、そもそもあれが現実の光景だとしたら、誰かが空を飛びながら、空中でドラムを叩いていたことになる。激しい落雷に合わせて――。
昨日の気象情報も調べてみたが、全国であれだけ激しい雷が落ちた地域は見当たらなかった。
あれは現実の光景だったのだろうか?
私と雷子さんは、いったい何を見たのだろうか?
――ああ、なんという不思議! なんという深秘!
夏休みの終わりに、まさかこんな体験ができるなんて。
あの光景はなんだったのか。私たちはいったい何を見たのか。
この真実を、私は追及しなければならない。
そうすれば、世界はきっと今よりずっと面白くなるはずだ!
世界を革命する力を!
外伝 宇佐見菫子の革命 一覧
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ここでまさかの、雷子さんが幻想郷での異変の一部をみるとは…。
しかも、菫子まで。
幻想と現の雷子さん。このシンクロが何を意味するのか。
菫子が幻想郷を目指す切っ掛けが漸く訪れました。ここからどうなっていくのか楽しみです。