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楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』   パラダイスの格率 第8話

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公開日:2018年08月13日 / 最終更新日:2018年08月13日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第6章
パラダイスの格率 第8話



 妖怪の山では来たる決戦に向けて準備が進むが、姿の見えない敵の勢力は、関わる者達の想像の中でどんどん膨らみ続けていた。しかし事実として、これまでの状況から察せられた敵の勢力は既に、現在の妖怪の山全体と拮抗しつつある。
 特に卑妖化した人間、そして主力となろう経立の存在が最大の懸念だった。
「白狼は原則、指揮所にて監視任務に従事。しかし真噛殿は河童台場の護衛、ですか」
 三尺坊が策定されつつある編成方針の一部を持ち帰り、椛と真噛にそう伝える。
「やはり狗賓達が取り込まれたのを考えると、白狼が前線に出るのはまずそうだが」
 木っ端天狗とは言え験力に優れる白狼と、辛うじて天狗に列される狗賓を一緒に扱っていいものか。鴉天狗の文ですら言うのに躊躇う点を、白狼の椛自身が肯定する。
「仕方がありません。犬狼とは建制に従う者。御山の如き組織の中にあっては、なおのこと。そのきらいは、狗賓より私達にこそ顕著であると考えられますので」
 比較的はぐれ者的な性分の強い狗賓と異なり、白狼は長(おさ)の下で強い結束を見せている。真噛のような権現格――長より強力な信仰と格を持っている者が今のように訪れても、常より一つの群れとして哨戒団をまとめる長の下、その建制も結束も緩みを見せていない。
 だからこそ、危険なのだ。白狼たるモノを支配者と直に相対させるのは。
「しかし真噛殿、これはお主の希望もあったとは言え、本当によいのか?」
 三尺坊が手入れも怠って久しい髪をかきむしってから真噛に目を向けると、当人は意外にも至極落ち着いた様子で答える。
「大丈夫です、勝算はあります。しかし椛、叶うならお前にも一緒に来て欲しい」
 彼の目には達観や諦念という色は見えない。何を企図するのかは不明だが、確かに理性的な意思が見て取れる。椛と共に征こうと言うのも、ただかつての許嫁を連れ立とうという意図でないのは確かだろう。
「真噛様は何を企んでいるのです?」
「経立も狗賓も、並べて犬狼達を、私の言霊で取り戻します」
 霊威の籠もった叫びで、取り込まれた卑妖達を呼び戻す。それは大口真神の神格を持つ、彼でこそ叶おう企みだった。
「名付けて『ウルフパック』作戦。椛にはこのバックアップについてもらいたいのです。この子も山祗の女(むすめ)。もしかしたら、私以上の力を発揮してくれるやも知れません」
 山祗の女との名。それは神使の娘として生まれた椛への、敬意も籠もった呼び名だった。
「今更山祗の女などと、今はただの白狼天狗の一匹に過ぎませんのに。しかし、真噛様がお望みならこの犬走椛、お供します!」
 初い初いと、二人を見守っていたヤマメは、すぐ横での急激な妖力の高まりに気付き、慌ててそれを押し止めようとする。嫉妬の鬼女が、爛々と緑眼を光らせていた。
「パルさん、別にそういう間柄で言ってる訳じゃないんだから抑えて。ね、ね?」
「ふん、別にいいわよ。それより犬走さん。貴女の得物はヤマメに預けたでしょうに、どうやって前線に出るつもりなのかしら」
 椛が答える代わりに真噛が腰を上げ、部屋の外に立て掛けておいた太刀を手する。
「これは、鎌倉の頃に『武蔵武士の鑑』と称された、清廉潔白にして無双の大力(だいりき)を誇った武人、畠山重忠(はたけやましげただ)殿より奉納された太刀。無銘ですが『寳壽丸(ほうじゅまる)』と呼ばれております」
 ある時は愛馬を負って義経と共に鵯越(ひよどりごえ)を下り、手柄の問答で証を見せられれば静かに引き下がる。文もその凄まじさと清廉さは目の当たりにして知っていた。
 拵えは黒漆太刀、実用的で無骨な外観。
 真噛が抜き放って披露する刀身は二尺七寸余。大きく反った、鎬造で身幅の広い刀身は、見ているだけで頼もしく思える。
 樋(ひ)には深く倶利伽羅(くりから)と三鈷剣(さんこけん)が彫られ、それは真噛がまなじりに引く朱と同じぐらい鮮やかな朱色で染められている。
「黒谷殿の話が決まった当初はこれを預けようと考えましたが、これに籠もった蔵王権現の神威がどう働くか分からなかったため、控えさせて頂きました」
 奉納されて長らく武蔵御岳に在するこれも、ある意味では神剣なのだ。
「謹んで授かりますが、それなら真噛殿は何を以て戦うおつもりなのですか?」
「唐傘殿の所で使い物になりそうな刀がいくつか目に付いた。それを拝借するつもりだ」
 そう言えば小傘の修理も終わった頃かと文は思い立つ。

 命蓮寺に訪れてみれば、この二日三日で避難民の数はごっそりと減っていた。聞けば先に人里に帰っていた米問屋の旦那が率先して援助を申し出て、更には稗田家が早々に戻っていた旨が広められたためとの由。
 彼ら彼女らもまた、己の領分で事を果たしたのだろう。
 しかし帰ろうとしない者もまだ在る。瘴気に曝された米など食べられるかと未だに言う旦那衆もあれば、やはり食い扶持が無いままの者も。
 だが大半は、元の生活に戻ろうとしていた
「それこそが自分たちに今の状況に出来る協力であると、慧音さんが説いたんです」
 それを喜ばしく思っているのであろう白蓮が、微笑みながら語り掛けて来た。
「なるほど、これも現世利益ですな」
「ええ、息災にして救済を、それぞれの悟りを得る。求めるのは日常の中での救済。貴山の三尺坊権現の教えはそれでよろしかったでしょうか」
「はい。火防に疾病除け、現世でのこれら御利益は、生きてそれぞれに悟りを得るため」
 彼ら秋葉衆が今もご本尊と奉じる三尺坊の目指すところ。それを最も強く信奉するのが、この善八郎だった。故に彼も、この状況を駐屯吏としての喜びに重ねて歓迎している。
 人里と命蓮寺周辺の警戒は、特に強力に行っている。また生活が乱されたとしても、もう犠牲者を出すような事はあるまい。
「では、私達と黒谷殿は唐傘殿の下へ参ります」
 文に断りを入れてそちらへ向かう真噛達。
 さてもそちらの用事が終わるまでは手持ち無沙汰だと、白蓮と善八郎の仏道談義を尻目に境内をほっつき歩く文。不意に聞き慣れぬ、否、感じ慣れぬ念話を捉える。
《ブン屋ー、文ー、聞こえてたら返事しろー》
 飽き飽きしたという感の念話。知覚する限りではその主は分からないが、呼びかけ方である程度の推測は出来ていた。
「魔理沙さんですか? あなたが個人宛の念話を使えるなんて初めて知りましたよ」
《ああ、知り合いの(アーティファクトを使ってるんだ。けどお前の念話はブロードキャストオンリーだったよな。今どこに居るんだ?》
「命蓮寺ですが、それが何か」
《ちょうどよかった。ちょっと大声で話すには憚る話がある。今からそのアーティファクトを向かわせるから、それで話そう》
 呪具を向かわせると言う語が腑に落ちないが、命蓮寺に置いていたらしいそれが現れると、すぐに納得できた。
「魔理沙の地獄行きで使った人形ね」
 旧地獄探索の際、文が属する霊夢組が通信機能を付与した陰陽玉を使ったのと同じく、魔理沙組が使ったのがアリス特製の人形だった。
《どうだブン屋、聞こえるか?》
 念話と共に、目の前でふわふわと浮かぶ人形も喋る。
「ええ、聞こえますよ。わざわざこんな物まで用意してどうしたんですか? それに話し掛けていたのは今日だけではないと見受けましたが」
《レピータ用の人形を設置しないと疎通範囲が極端に狭くなるんだ。にとり達の所から呼びかけても応答しないし、降りて来るのを待ってたんだぜ》
「で、用件は?」
《私も役に立つ所を見せようと思ってな。餅は餅屋だ。霊夢に一言主と鬼一法眼の話を聞かせて意見を聞いてみた》
 それだと実際に役に立っているのは霊夢ではないかと言いたいが、不調の彼女に憚る事無く無理を求められるのも、無二の友人の彼女でなければならなかったろう。
「それで何か、特別な話が聞けたんですか?」
《ああ、黒幕が鬼一法眼って話もひっくり返るかも知れないような話だ。聞いて驚け、真の一言主の正体だ》
 幻想郷に現れた仮称一言主、それに鬼一法眼すら黒幕ではないのなら一体何者が。
 地獄に働き掛け、機能不全にすら陥らせるという所業を為した神の、真の一言主とやらの正体。それが霊夢の知識を素に語られる。
《分かったんだ、天邪鬼と一言主を繋ぐ線も。間接的な、か細い線だろうけれど、決して無関係と言っていられない物だ》
「それが鬼人正邪に、天邪鬼に言う事を聞かせた理由にもなると?」
《ああ、手がかりは一言主に習合した姿の一つ『阿遅須枳高日子(アジスキタカヒコネ)』という神。大国主命の子で下照姫命(したてるひめのみこと)の兄。鋤の名を持つ農耕神だそうだ》
「鋤、財産たる鉄。確かに一言主の欲した物ですね。大国主様の子と言うのも、事代主に重なります。しかしそれがどう天邪鬼と関係していると言うんです?」
《焦点はアジスキタカヒコネ当人。この神、天よりの返し矢を受けて亡くなり、喪屋で殯(もがり)の最中だったっていうある神様と瓜二つだったと言われている。と、霊夢は言ってる》
 現在の送信元は博麗神社の模様。
 それより古事記の記載。これはかつて社僧として務めた文の知識にもある。
「回りくどいですけど、何を言いたいのかは分かりました」
 天邪鬼に習合する存在の一つである天探女(あめのさぐめ)の舌禍を受けたアメノワカヒコが、天の使いである雉鳴女を射抜いた――即ち『返し矢』の後、彼は登場する。
「葦原中国平定のために降り立ち、やがてそれを己の手中に収めようとした、天稚彦(アメノワカヒコ)。彼とアジキタカスネヒコがそっくりだという話ですね」
《ああ、その通りだ》
 アメノワカヒコの似姿であるアジスキタカヒコネ。それに正邪が従ったと言うのか。
「まだ、五分五分という程度に思います」
《補強する論もある。さっきも言った殯の時の出来事がそうらしい》
 アジスキタカヒコネは自身の義弟であるアメノワカヒコの弔いに訪れたのだが、その折りにアメノワカヒコの父から「亡き子によく似ている」と言われると「死者と似ているとは穢らわしい」と立腹して殯の喪屋(もや)を切り払い、蹴り飛ばしてしまったのだという。
「そうでしたね。一言主、葛城王の逸話の中には殯の儀をなおざりにして罰を受けたという物がありましたし。しかしそれだけでは、正邪が従う理由とは……」
 それに喪屋破壊の逸話は、天を裏切ったアメノワカヒコを徹底的に貶めようという意図も察する事が出来る。もっともアジスキタカヒコネの行いが狼藉という認識も消えまいが。
《これまでは、アメノワカヒコを介した天邪鬼(天探女)と一言主(アジスキタカヒコネ)の関連性の話。ここからは恋の魔法使いの私の持論だ。霊夢はそれなりに納得してくれた》
「聞きましょう」
《天邪鬼が受けた呪詛。自分が好きな奴を、自分を守ってくれる存在を殺し、あるいは殺され続ける、そういう物だったよな。好きだった神様(アメノワカヒコ)が正邪に幻想郷転覆を頼んでも、あいつは従わなかったろう。だが、ただの似姿に、呪いを受ける原因になったほどに慕った神様の死を汚した、最も従いたくもない奴の一人の命令であったら、どうだ?》
 天邪鬼の呪詛は、己の本能すらねじ曲げてこれに従わせるのだろう。
「五分五分が、七分にも八分にも思えて来ましたね。少なくとも、私の想定していた黒幕よりもらしいと思えます」
《へえ、ブン屋が考えていた黒幕の正体ってのは?》
「素戔嗚尊が、その猛気から天逆海を生み出したとされる当人が、そうであると考えていました。かの神は今や根の国の主宰者。地獄への影響も極めて大きな人物だからと」
《私は素人だから、後出しでそう言われるとそれはそれで納得してしまいそうだな。いや待ってくれ。霊夢も「やっぱりそっちは違うんじゃないか」って言ってる》
「ええ、それは承知ですが……霊夢さんの根拠も聞かせてもらいましょう」
《ブン屋。歳神様とか牛頭天王(ごずてんのう)って知ってるか?》
 人里に始めに広がる瘴気を見て、思い浮かんだ神の名だ。それが今更示されるとは。
「素戔嗚尊の類縁と、素戔嗚尊自身が習合された神ですね」
《話が早い。なぜ正月の後、旧正月の前っていう、タイトなスケジュールで事を起こしたか鑑みれば、素戔嗚尊黒幕説は薄いとさ。地獄へ侵攻するなら牛頭天王(祇園信仰の中で習合した素戔嗚尊の姿の一つ)と歳神様が共にお出ましの、旧正月過ぎの方が妥当だろう、って》
 旧正月前の事態始動の件は、無事あちらに伝わっていたか。まずそれに安心する。
 それぞれの時期に招かれる根の国の主宰者の一家。そのお出ましの合間を縫う間隙での企みであるのが、かの神の無実を現しているのだと魔理沙(実際は霊夢か)は言う。
「この冬の一時期に事を起こさなければならなかった理由、確かに見えてはいません」
《それについても私が。旧地獄決起未遂、時期的にちょうどよかったと思わないか?》
 言われてみればその通りだ。
《それに妖怪って、条件を整えずに幻想郷の外に出ると徐々に力が弱ってくだろ。逆にこっちにいる限り力をキープできる。奴がオカルトから妖怪に変質していたとしたら、こっちに居て兵隊を集め続け、それから結界の外に出てもいいはずなんだ。なのに奴らはそれをやらなかった。妖怪の山の非常口(天狗の抜け穴)がこのプランの後回しになった理由――》
「旧正月を迎えてからの、素戔嗚尊がお出ましになった地獄側からの反撃を恐れた」
《それだ。奴らが焦って事を進めるのは主目標の博麗神社侵攻失敗の上、整えようとしていた次善策――旧地獄ルートの確保が頓挫、そしてこの立場の逆転を懸念するからだ》
「全てがそうだと断じられませんが、とても興味深い見解ですね」
 しかしこれを以て何が出来るのか。いや、何か見出せるはずだ。突破口が。
《そうそう、期日を教えてくれた件、礼は言わないぜ。けど、かくれんぼが得意な奴らをにとりに預けた。あいつの戦に役立てるって事で、貸し借りチャラにしてくれ》
「いいでしょう。それと魔理沙さん、くれぐれも――」
《はいはい、自重するぜ》
 あの天邪鬼が素直に忠告を聞くとは考えづらい、何を言ってもどうせ動く。
 彼女だけでは無い。幻想郷に思いを抱く者は、誰も彼も動き出してしまうだろうから。

      ∴

 妖怪の山、八葉堂。
 ついに、妖怪の山としての決戦に向けた隊の編成が下されようとしていた。
 主には天狗だが、特に旧地獄の二人、そして河童の姿も今はここにある。
 甲隊は河城にとり以下の河童、野砲隊を編成。
 乙隊に秋葉衆を以て編成していた火仗衆。ただ実動状態の火仗は四十余丁。
 問題は丙隊。一時拘束されていた検非違寮の残存勢力、鞍馬衆が当たる。
 丁隊は白狼哨戒団の監視隊。これは前線に出ずに後方での監視管制任務だ。
「なお戊隊以降、必要に応じて編成、対応する。各々、敵の動きに備えて精励せよ」
 現在の実質的トップである次郎坊がそう達する。
 文の彼に対する疑念は既に頂点を越え、確信に変わっていた。彼が妖怪の山側の、鬼一法眼のシンパのトップであろう事は間違いない。それに豊前坊も。
 丙隊の編成と言い、この期に及んでもヤマメとパルスィを編成に組み込まないのもそう。
「僭越ながら申し上げます!」
「黙れ射命丸。お前の意見など求めておらんわ!」
 次郎坊の叱責を無視し、文は続ける。
「いいえ! 先般より決まっていた黒谷ヤマメ、水橋パルスィ両名の決戦への投入の件、あえて無視するようなこの編組。また鞍馬衆も潔白を証明できた訳ではありません。それを後詰めに当てるなど、火仗衆を後ろから討たせるおつもりとしか思えませぬ!」
 鞍馬衆の現在の長からは「なんたる侮辱か」との声が上がる。
「三尺坊殿、これまでは我慢してきたが、もはや此奴を庇い立てする理由もありますまい。編成には組み込まれておりませんし、いい加減放り出しては如何かな?」
 彼は胡座のまま腕組みし、瞑想するような姿勢を見せながら答える。
「そうですな、要らぬ者を追い出すとしましょうか」
 彼がそう言うや、まず飯綱が。それに続いて白峯相模坊以下の御八葉が席を立つ。
「ただ座っているだけの飾り物の三宝など、この戦には不要ですからな。さあ」
 既に根回しは終わっていたのだろう。豊前坊と鞍馬衆が?然として彼らを見送っている間に、次郎坊は怒髪天を衝く如き怒気を貯めていた。
「お、おのれぇ……謀ったな、三尺坊! 獅子身中の虫めが! だが、我ら抜きに誰がこの御山を動かす。僧正坊様も我も排した御山で、兵を動かせる者など皆無だぞ!」
「戦国の世には右往左往するばかりでしたし、確かに兵を動かした覚えはありませんが」
 いや、居る。文は知っている。神代から上古に渡り、軍神として立った者を。
「ならばその軍、我が動かしましょうぞ」
 足音もさせずに現れたその人物が、神威を伴った凜とした声を上げる。
「事代主の言挙げに応じ、葦原に御錫(鉄)を湛えた最後の王国諏訪を平らげたる八坂刀売神(やさかとめのかみ)。その人格神である私でも、一軍を率いるには足りませんか?」
 八坂神奈子、守矢神社最後の登場人物が。招聘したのは三尺坊で間違いあるまい。
「今更現れて、何をどうしようと言うのか。現状を把握してもおらぬでしょうに!」
「状況ならば、そこな三尺坊殿。それに東光坊殿や玄庵なる小天狗から、とくと聞かされております。指揮を執るには十二分と自惚れておりますが?」
「それに、現代型のミリタリーでは、高級指揮官などいくらすげ替えても大して問題はありませんからな。現場を掌握する前線の指揮官はそうもいきませんが」
 次郎坊は歯噛みし、ドカドカと足音を鳴らしながら立ち去って行く。最後に「覚えておれよ」と言い捨ててから。豊前坊もこれは敵わないという表情でそれに続いて行った。
「ちなみにワシは丙隊にて河童と共同し、癒術を用いた戦力復帰に当たる予定です」
「それも承知しております。では改めて、黒谷ヤマメ、水橋パルスィ。二人は従前の通り、事態が動き次第、三途の河への前進をお願いする。一言主来襲に備えられよ」
「はい!」
「承知したわ」
 堂々と答える二人を見届け、文も中座する。
 鞍馬衆の件も、日光衆などが引き継ぐ事になるだろう。そしていずれの建制にも置かれない己は、ただ控えているしかあるまい。しょうがない。これまで弾薬と体力妖力の続く限り訓練を重ねていた火仗衆とは、とてもではないが一緒に飛べまい。
 事が終わった後の新聞記事の内容でもまとめておくかなどと思い浮かべながら回廊に出た文は、真っ先に八葉堂を出た飯綱に出くわす。
 何者かを待っていた様子である彼は、文を認めるとにわかに声を上げる。
「権令史、射命丸!」
「は……はっ!」
 剥奪されたはずの職名で呼ばれた文は、動揺しつつも以前の様に発する。
「今は麾下でないため命じはせん。だが書陵課の所掌として、現地の取材を許可する! 三尺坊殿の下で存分に働き、かつ存分に皆の働きをその目に留め、記せ」
「はっ!」
 彼は言うだけ言って踏み出すと、文の肩に手を置き、打って変わって静かな声で伝える。
「もう、独りで飛ばなくてよい。それだけは心せよ」
 大きな手から言葉以上の物が伝わる。前線には古くからの同胞が、後方には己らが控えている。言葉にも、以心の術としても発されていないが、それが彼の赤心だった。
「有り難う、ございます」
 彼はずっと見守っていてくれたのだ。遠く離れた三尺坊に代わって。だからこそ時には憤り、厳しくされた。しかし彼の怒りに理不尽な物が無かったのを、文は今になって知る。
 今こそ振り返ろう、己を育んでくれた者達を。だからこそ『伝統の幻想ブン屋』は飛ぶ、飛んでゆける。文はそう心に誓う。

 妖怪の山のみならず、それに相対そうとする各勢力が準備を進め――その時は訪れる。

      ∴

 旧正月を四日後に控え、妖怪の山は火仗衆を以て戦闘態勢での空中哨戒を開始。前進した火仗衆と共に白狼も敵の動きを見透そうとする。
 一日が過ぎ、二日が過ぎるが動きは無い。
 霊夢も依然として復帰したという情報が届いていないことから、敵側も期日を最大限まで使うつもりかと思われた三日目の払暁。その姿を捉えたのは、河童台場だった。

 にとり以下の四人。陣容は変わらず男衆の三人を引き連れ、前進展開をしていた。
 傍らには魔理沙が――勝手に――預けたかくれんぼの最終兵器、光の三妖精の姿もある。
「ねえ、見つけたならさ、もう私はいらないんじゃないかしら?」
 生物を感知する能力を最大限に発揮したスターサファイアは、残る二人を置いて自分だけは逃げおおせようと、にとりにそう伝える。
「駄目。あんたらはやられたってどうせ一回休みで済むんだから、最後まで全員居残り」
 とは言え、仮称一言主に取り込まれれば、どんな異常に見舞われるか分からない。それより彼女らは、眠い寒いひもじいと、それぞれに不平を述べまくる。
「だぁ、やかましい! 幻想郷の危機って自覚しなよ」
 妖精にそんな事を言った所で通じまい。
「にとりさん、光学観測に移行。赤外線遠方監視装置『万里眼』起動します」
 観測機器を担当する川杜がそう告げると、並べられた二門の野砲と、にとり達の後ろに設えた櫓の上に鎮座する、上下セパレートの二眼カメラが自在に左右に振れ始める。
 時間差撮影で動体を検知する装置。従来の隠れ蓑の欠点だった、赤外線放射(IRシグネチャ)の抑制を確認するために作り出した物だが、今は穏形した一言主軍を捜索する切り札となっていた。
「う、お。にとりさん。こりゃヤバい」
「ヤバいのはとっくに承知だろ。ひゅい……」
 空元気で気張りながらモニターを覗き込んだにとりは、一瞬だけ声を詰まらせてから、すぐ認識を取り戻して指示を出す。
「ぜ、全員インカム付けろ。サニーにルナ、頼んだよ。妖怪の山、[フヨウ]へ――」

《――こちら甲隊、目標らしき集団を確認。見通し内範囲での観測。概算、下を見ても……千のオーダー!》
 にとりからの無線通信は指揮所内に設置されたスピーカーから流され、それは詰めていた白狼らと、宿直(とのい)の大天狗からも神奈子へと伝えられる。
 集団の大半は中有の道を堂々と歩んでいる。そこから外れた地形にも相当数が潜伏しているものと見積もられるが、白狼達は予断を挟まず、そちらを見透そうと注力する。
 大天狗の「八坂様御出座し」との号に白狼達は姿勢を正し、神奈子はそれをすぐに解かせると、詰めていた者達に呼びかける。
「朝駆けは基本、か。概算千の集団が出現との報告は受けた、その後の動きはどうか」
「依然として中有の道を前進中。甲隊、河童台場の射程圏へは、およそ十分で進入の見込み。なお全山に対して召集を実施しました!」
「承知した。白狼隊、戦闘空中哨戒に当たっている乙隊を誘導。目標を確認させよ」
 一同はそれに答え、更には続々と白狼や大天狗も増員される。急速に全力配備の態勢が整ってゆく。それは前線も同様だった。

「万里眼、最大解像。全目標識別ヨシ。サブ、対物センサスタンバイ」
「射撃統制盤連接、レイテンシー、コンマ二。最大射程じゃ誤差が一割出る見込みですけど――」
「精密狙撃する訳じゃないし、事が極まれば花火並みに盲撃ちだ。想定の範囲内だよ」
 川杜、水渕と、砲撃の準備を完了を河藤が報告。既に周囲はルナチャイルドの力で沈黙に包まれている。骨伝導のインカムだけが七人のコミュニケーション手段だった。
 以心の術も念話も使えない河童にとって、妖怪の山との通話もそれを介した野外無線機頼み。制約が多く見えるが、妖術による攪乱を受けないという利点もある。
「フヨウ、甲隊。第五カラムから第三カラム、〇六一二。第二カラム、エスティメイト〇六一五」
《フヨウ了。第二カラム完了に先行してバトルステーション発令》
「甲隊バトルステーション受領、了!」
 にとりは答えながら、二百メートルは離れた場所の啓開された高台を見やり、祈る。
(頼んだよぉ……)
 状況如何と言わず主戦場はこちらになる。活躍は望む所ではないが、選択肢は無かった。

 火仗衆も初動対応に当たった隊以外が集結。既に出番を待つ段階なっていた。事前の編成に収まって前進待機に移行する直前の彼らに文は合流。
「善八郎様! 私は先に向かいます」
「承知した、我らも続いて上がる。取材でも戦闘でも、お前の思う通りにやれ。それと、はたてを見つけたなら即連絡しろ」
「承知!」
 飛び立つのは一人だが、もはや独りではない。その心強さを胸に飛び立つ文。その出端を挫くように、凶報がもたらされる。
《乙隊、初動隊三名が戦死。火仗二丁を喪失!》
 仮称一言主に直接射掛けてしまったのか、それとも鞍馬衆の反撃を受けたのか。
 状況を確認しようと、文達は指揮所――八葉堂へ向かう。
「乙隊の長、善八郎です。初動隊の誰が――何が起こったのでありましょうか!」
 ジオレフを睨んでいた神奈子はすぐに顔を上げて答える。
「移動中の目標群は一言主の軍に相違なし。しかし未知の戦力が加わっています」
 周囲を飛び回っている卑鳥や、隠れ蓑を纏った鞍馬衆は既に捕捉し、そちらとの戦闘を避けつつ強行偵察を掛けていた最中での被撃墜だった。
 もとより火仗衆の任務は、第一に卑妖化した人間を脱落させ、然る後の捕獲、後送。敵の排除は主に甲隊と丙隊の受け持ちで、火仗衆にとっては二の次、三の次。
 その甲隊からの報告が響く。
《フヨウ。甲隊は乙隊撃墜の際、何かが跳躍するのを確認している。いや、今、奴らが化けの皮(隠形)を剥いだ! 瘴気の拡散を目視で確認。甲隊、射程内に進入次第砲撃を実施する。規定通り、規制射撃実施後に効力射、暫時観測射撃を織り交ぜる。承諾は?》
「待て、一言主の識別を優先。そちらに直撃させぬように注意」
 大砲を射返されるなどされれば、彼女らは即壊滅だ。
 それより、穏形を解いた。それは隠す必要が無くなったのと、鬼一法眼が動き出したのを意味する。いずれにしても大規模に展開した瘴気のため、千里眼でも目視でも殆ど視界が得られない。やはり台場の万里眼が頼みの綱。
 河童台場に向かうのが最善。いや、どのみちそちらに向かう事になっていたのであろう。
 文は堂内から出ると、普段は飛行を禁じられている敷地内からそのまま飛び立った。

 にとり達は指示通りに目標の識別に全力を注ぐ。しかし種別の確認は手作業状態で、遅々として進まない。その別が容易に分かるのは、四つ足か二つ足かの違いだけ。
「二つ足は基本目標から除外。四つ足を優先して狙うよ」
 人間の卑妖が仮称一言主でも、また狗賓であったとして、射撃は控えざるを得ない。
 その四つ足の中に、にとり達は巨大な影を認めた。体高は一丈に迫る。そしてその中心、整った人型を認める。一言主か鬼一法眼に違いないが、いずれかの判別が出来ない。
「そういやにとりさん。一言主って奴、そもそも体温とか持ってるんですか?」
 水渕の指摘だが、にとりはまた判断に迷う。
「そうなんだよねぇ、アレって都市伝説(オカルト)から妖怪化したんだよなぁ」
 血も通わない化け物。河童から見てもあれはその様な存在なのだ。受肉した付喪神や、鬼にも血は通っているというのに。
 ならば熱源を画像化する装置で鮮明に可視化されるはずは無い。目標としては――
「ゴーだ! 目標フック、ナンバー一〇一。奴の進路上に規制射撃実施。あとウェザー」
「地表は無風。上も三二(北西)から二ノット、微風。湿度はロワーを割ってます」
 道理で乾く訳だと嘆息し、射撃統制盤の指示諸元通りに砲架を操作させる。
「俯仰+十二、アジマス二六六。規制射撃各個に一発。フヨウ――」
《砲撃開始承諾。また、大型卑妖への射撃も優先して実施》
「甲隊了。川杜、フック追加。さあおっぱじめるよ。〇号砲、二号砲、各個に撃て!」
 砲声を一切生じないまま、砲口が震え、火を噴く。ルナチャイルドの能力の効力圏外に出た砲弾は衝撃音と風切り音を引きずり、飛翔。弾着と共に白い煙が上がる。
「おお、なんだ、バッチリじゃん。二・三発目榴弾にチェンジ、そのまま効力射に移行」
 シリンダーが振り出され、初弾から三つ目までの薬室が入れ替えられる。一度閉じてしまえば指詰めの危険も無く、速射に有利な輪胴弾倉だが、単発ごとの弾種変更には不向き。
 それぞれ弾薬の換装を完了し、にとりが「各個に射撃」と砲撃の指示を出す。
 二門それぞれに速射、連続して衝撃をたなびかせた砲弾が飛翔、長く伸びた隊列の頭を横から叩く。
 地表付近で砲弾は次々と破裂。死んだのか、直下から周辺にいた卑妖の脱落を確認。
「河童さん。なんかこっちに向かって来るんだけど」
 スターサファイアの指摘に、川杜が慌ててモニターを見る。大型卑妖の一体が、一直線に台場へ向けて突進するのを確認した彼がインカムを振るわせる。
「にとりさん! 直接照準で」
「まだたっぷり一里以上はある、次発装填。それにこっちには来ないよ」
 今の斉射で撃ち尽くした。あの卑妖は砲撃の間隙を見て寄せて来たのか。
 鬼一法眼がいるとなれば、この砲の諸元を知っていて然り。予想すべきだった。
 急かされながらも、幾度となく繰り返した動作ですぐに再装填を追え射撃態勢に入る。
 瘴気の包括的防護から出て突進する卑妖。薄れた瘴気の中の姿が目視でも明らかになる。
「あれは、熊?!」
 薄い瘴気を纏っているそれは、獣の原型を保っていた。異常な体格のツキノワグマだ。
「フヨウ!――」

「――承知した。諏訪子がこちらに突出した際、食い荒らされた卑妖の亡骸があったと聞いたが。もしかしてそれか!」
 呟きと言うにはやや大きな声で神奈子はそう言い、そのまま無線に声を乗せる。

「人工的に経立を作り出した? 鬼熊(おにくま)??」
 人を喰らった獣は、畏れを以て認識され、退治の対象になる。それが犬や猿の場合、主に経立となり、北海道のアイヌの間では、そのようなヒグマは『ウェンカムイ(悪い神)』となる。
《鬼熊と言うのはツキノワグマが人を喰らって変じたモノ。主に信濃(しなの)に伝わる妖怪だ》
 だからこそ自分も知っていたのだと伝える神奈子の声からは、無線越しでも怒りが伝わって来る。鬼一法眼がしでかした非道の業(わざ)に対する、当然の怒りだ。
 それはにとりにも伝播する。
「聞いた? とりあえず“突っ込んで行く”鬼熊を叩いたら、次はあの人型に集中砲火だ」
「了解。それとにとりさん、対物センサに感。乙隊の第一波、三個隊の前進です」
 三波までの編成に、予備の一波を控えさせる体制。それらは既に命蓮寺に前進待機中。しかし本来加わるべき初動の空中哨戒隊の喪失が、この編成に若干の影響を与えている。
 そちらの任務はしかし、あくまでも二つ足の卑妖の落伍。
「フヨウ、甲隊より情報共有。人間及びその他妖怪と思しき卑妖は、戦列の中程に位置」
《フヨウ了》
 それはすぐに以心の術で火仗隊に伝達される。ワンクッション置く、伝言ゲームになりかねない体制だが仕方ない。
「こっちはこっちでやるよ。河藤、〇号砲のみラッチ開放。目標鬼熊、直接照準」
「目標、突進する鬼熊。直接照準。アイ」
 野砲は油圧シリンダとダンパの複合機構に支えられ、緩やかな動きで鬼熊を指向。
「撃て!」
 移動する的だが、その動きは射線からは十数ミル角ズレつつも一直線。一発ずつ、慎重に狙い撃つ。うち一発が至近距離で地面に着弾して破裂、足を止めたそこに更に狙い定めた一発。
「鬼熊、トラック一〇二。沈黙」
 当面の脅威は去ったかと、ひとまず額の汗を拭うにとりに、またスターサファイアが注意を促す。示された方に何者の姿も見えないが、モニターでは明らか。
「真打ち登場、か……構わずいくよ!」
 隠れ蓑を纏った影、間違いなく鬼一法眼麾下の鞍馬衆。それも四人ほど。河童と妖精相手には過ぎた戦力だ。
「あれ? その画面に映ってないのもいるよ?」
 スターサファイアの指摘に、武者震いがただの悪寒に変わる。
「ちょっと嘘だろ。いや、構うな。射撃続行。ゼロ、榴弾装填」
 彼女の指摘が確かなら、今空中からは寄せて来ている者の中に居るかも知れない。
 寄せ手の鞍馬衆は、啓開された高台に姿を晒したにとり達の姿を捉えていたであろう。彼らは二手に分かれ、同時に降下を掛ける。自衛用の榴散弾の射撃を警戒した動き。だがそれらは、台場に到達する前に次々と切り捨てられる。
「な、隠れ蓑、だと……」
 命を尽きさせ消えゆく彼らに、陣地の左右で迎え撃った二人がそれぞれに言う。
「情報、古いね」
「新型熱光学迷彩は、隠れ蓑とは言わないんですよ!」
 戦闘には不向きな重装備のそれを剥ぎ取りながら、黒髪と白髪の白狼が現れる。
 二人は引き続いて迫る脅威を見定め、陣地前面に並び立つ。
「さあ、正体を現したらどうです、鬼一法眼。サナート・クマラ!」
 彼女も穏形を解き、降り立つ。
「白狼の番いが、よくもまあ一言主様の御前に――」
「そこまで! あれが紛い物で、貴女の背後に真の一言主がいるのも既に知れています」
「畜生如きがさえずるな。だからどうだと言うのだ、お前達には止められまい」
 そう、椛達には止められない。この戦場は極めて特殊なのだ。
 仮称一言主に対峙できるのはヤマメだけ。目標がそこに到着するまでに、可能な限りの卑妖を除いておく必要がある。特に鬼熊は、鬼一法眼以外でもヤマメを確実に斃すための戦力として準備したモノであろう。それ以外の卑妖とて、ヤマメが戦うには限界がある。
 遅滞戦闘と防衛戦、それに一騎打ちが混合した状態。あちらは一言主を地獄に到達させた時点で勝利となる。既存のセオリーや用兵を当てはめるのも困難だった。
 だからこそ、各自全力で戦うしかすべは無い。
《こちら河童台場、ウルフパックα、真噛。鬼一法眼殿のお出ましです》
 あえて主戦場をこちらに移す。これは未だに仮称一言主の直掩に付いている鞍馬衆の誘引、攪乱も意図したものだった。
「まあ、お前達などどうでもよいのだ」
 鬼一法眼は片手で見慣れない印呪を組むと「吽」と発し、河童台場を吹き飛ばす――
「ふむ。妖力が感じられないのでおかしいと思ったら」
 台場やにとり達は健在で、依然として砲撃を続行していた。
《各隊、フヨウ。甲隊より情報共有。鬼熊を従える目標が一言主と思われる。留意せよ》
 今、椛達が守る台場は、サニーミルクの能力で明後日の方に投映した、偽の台場だった。
「それとも、お前達を倒せば、場所を教えてくれるという寸法かな?」
 鬼一法眼は嗜虐的な笑みを浮かべ、印呪を椛達に向ける。
 罠と推測できていても寄せて来たのか。ただの白狼はもとより、他の権現格すらも歯牙に掛けぬと言うのか。何者が待っていても彼女には関係なかったのだろう。
 逆に、そうする必要があったのではあるまいか。ならば――
《フヨウ、ウルフΓ(椛)。火仗の効力は不明なれど、砲撃は有効であ――》
「よそ見している場合かな? ほぉれ!」
 印を利剣に変え、切りつけに掛かる鬼一法眼を、椛は辛うじて迎える。それはしかしそのまま易々と、虫でも払うかのように振り抜かれ、後方に吹き飛ばされた。
 それを庇って真噛が身体を割り込ませ、小傘の太刀と彼自身の験力で凌ぐ。
《各隊、情報共有。一言主に砲撃は有効。ただし火仗や術による射撃やは引き続き禁止》
 まず伝わったか。しかし今は、ここで安心して命を手放すつもりはない。
 速度を増す砲撃に、鬼一法眼は少し不愉快そうな貌をして見せるが、そちらの殲滅に走らないのが椛には気になった。
(まだ何か。あと数手、隠している……)
 鞍馬衆も寄せつつある。そちらをどうにかせねば甲隊はいずれ見つかる。
 上方を飛び去る火仗隊。彼らと、離れて降り立った男が、当面の懸念を払拭した。
「天竜坊善八郎推参!」
 彼は五鈷杵(ごこしょ)を振りかざし、真っ向から切り結ぶと、すぐに距離を取って得物を代える。
 更に――
「射命丸文、参上!」
 着剣した村田銃で初撃から突きを繰り出し、凌がれると椛の傍に並ぶ。
 四対一、だが有利などとは言えまい。文も善八郎や真噛の邪魔をしないだけで手一杯になるかも知れない。
 しかしよく見れば、余裕を湛えていた鬼一法眼の貌は、下卑た物に変わっていた。
「ほう、ほう! よお妾の前に姿を現したな、一貫坊。ちょうどよい――」
 彼女はまた印を変え、口許で何かを唱える。
「ほれ、感動の再会だ。喜ぶがいい」
 文達が待ち望んでいた姿がそこにあった。消えた時のまま、膝丸の写しを携えていないだけの、宙に浮いたはたての姿が。スターサファイアにも知覚できなかったようだが、今までどうやって彼女を隠していたのか。
 いやそれは、彼女の無事という事実を知った今はどうでもいい。
「しかしだ、五体無事のままとはいかんな。お前達が妾の一合一合を凌ぎ損ねるたび、この半端者の身体を更に半端に削いでいってやろう」
 真っ向から受ければ椛のようになる。いや、それですら手加減したのかも知れない。
 文と善八郎は機先を制し、弾幕に織り交ぜて銃撃を加える。いずれもが障壁に阻まれる内に、まず文が刺突を繰り出す。鬼一法眼がそれを右脇の下に逸らすと、文はすかさず銃床で殴りに掛かる。しかしこれも不発。
「まず、一本」
 彼女の手元には、利剣の印に変わり、三鈷柄剣『顕妙連』が現れていた。
「あの無能の携えていたなまくらだ。中々、ちゃんと切ってくれぬかも知れんぞ?」
 それは、はたてに向かって放られ、空中で回転を始める。
「やめ――」
 間に合わない。文が全力で跳ぼうとしたその時だった。
「ハッハー、白馬の騎士の登場よ!」
 突如姿を現したのは、日の国の隼人――
「チッ、玄庵! 貴様は追放したはず」
「玄庵? 違いますな。そんな大層な名など拙僧には要りませぬ。拙僧は夜叉丸。かの鎮西八郎為朝を琉球へいざなった八町礫の夜叉丸とは、拙僧のことよ」
 彼は金剛仗で顕妙連を絡め取ると、それをそのまま自身の手元に戻す。
「タネを明かせば狢の大将の助けを借りたのですよ。スタイルも見事だが、化術も見事でござった。ただただいびつなどこぞの年増と違ってなぁ!」
 永遠の若者に対して、そう言い放つ玄庵――夜叉丸。
 それが彼女の逆鱗だったのか、それとも少しも戦意に陰りも見せない文達に苛立ってか、鬼一法眼は忌々しげな表情で一同を見渡す。
「遊んでいる場合ではないか。折角作った鬼熊もあれでは全部潰されてしまう」
 両手で次々と印を変えながら、彼女は某かの術の行使に掛かる。
 それを黙って待つ文達ではない。
 まず善八郎と文が射掛けて障壁を誘導し、次に真噛と椛が左右から自在に斬りかかる。そのいずれもがやはり、そよ風を起こす程度の動きで払われる。
「諸々よ、我が威光の前にかしずけ、天道我にあり――」

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