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楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』   パラダイスの格率 第7話

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公開日:2018年08月06日 / 最終更新日:2018年08月06日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第6章
パラダイスの格率 第7話



 命蓮寺で固まった方針は、妖怪の山に持ち帰られるとすぐ御八葉+玄庵の八人会議にかけられた。
 従来ならば、最古参と言えたかだか鴉天狗が何をか、僭越に過ぎるなどと一蹴されていただろうが、三尺坊と玄庵の手で、それは最優先事項として諮られる運びとなっていた。
 旧地獄の妖怪二人を頼みとする策。相当に紛糾するだろうが、文は彼らに託した。
 善八郎は既に、火仗を用いた戦術研究と演練を他の秋葉衆と共に始めている。既に動き出した事態の中で、ひたすらの思考をしていられる者は限られる。
 三尺坊の僧坊には今、文の他には椛と真噛が在し、菫子に、ヤマメとパルスィまでもが特例的に招かれていた。そしてネットを介した端末の向こうには、早苗達もいる。
 チャットを用いての会話に多少の違和感を覚えながらも、普段とは異なる、まるでハレの日のような早苗とのコミュニケーションに臨む文の表情は明るい。
 この調査の結果が、状況を大きく左右するかも知れない。実際にハレの日とも言えよう。『てすてす 文さん お久しぶりです』
『久しぶりと言うほど時間は空いてないですけど、お疲れ様です』
 あちらは真噛のスマートフォンを用いてのチャット。別途カメラを接続し、これからライブ映像を送る手筈となっている。らしい。
『まさか禁足地に入らせてもらえるなんて思って無かったので ドキドキしてます』
 そちらへの立ち入りは、意外な筋からの手引きがあった。妖怪の山からの伝手が期待できないと知った白蓮より、何者かを通して為されたのだ。
 鞍馬山。八世紀の後半、鑑真(がんじん)の高弟、鑑禎(がんてい)に開山されて以来の由緒ある地だ。
「それにしても、白蓮阿闍梨はどうやって繋ぎを付けたんですかね?」
「そういう詮索は無しです。まあ、元々の本尊が毘沙門天ですから、その方面からアプローチがあったのかもという程度には察してますけどね」
 弟子兼本尊として毘沙門天の代理が安置されている命蓮寺ならではであろう。
 次のメッセージを待つ内に、先に映像が届けられる。そこに映る早苗の姿は、幻想郷ではまず見ないものの山登りに適したスタイルに見える。
 並んで歩くマミゾウは、街行きのラフな装いで、足下だけがトレッキング用。お洒落を意識する場面ではあるまいに。
 護衛兼サポートのための三尺坊の弟子達も映っており、そちらは幻想郷でも見慣れた修験者装束。
 ただしこちらも雪道に適したスパイク付きの登山靴を履く。むしろ修験者装束の方が“おしゃれ”のような物か。桜坊の姿が無いのを見るに、彼が撮影者なのだろう。
 映像の中の早苗が樹脂の板をなぞり、それが終わると新たなメッセージが表示される。
『途中まではケーブルカーで来れたんですけど雪道は大変ですね でも長野の山の中や妖怪の山に比べたらずっとマシですよ』
『ケーブルカーですか。こっちのロープウェーの改善にも活かせたらいいですね』
 到着まではこうした雑談しかあるまい。そうした時間も大切だ。
 映像で見る鞍馬山の山中は、白に沈んだ妖怪の山と違い、冬にあっても薄雪で化粧した常緑樹の緑がよく映えていた。早苗は声で話し掛けようとしないが、カメラのマイクを介してその薄雪ごと凍りかけた地衣類を踏みしめる音は届いている。道として拓かれてはいても、今はここを通る者も希なのだろう。
 記憶にあるのとは大きく異なるが、文にはここに訪れた覚えがある。
 かつて皆鶴天狗を討ち果たしたのち、梓弓から放たれた矢の如く飛ぶに任せるままにこちらに飛び、多くの鞍馬衆を蹴散らした。
 その後、多勢に退けられ、そのまま――ここでの“今”がある。
 今のこの山で、彼女らは何者と相まみえることになるのか。白蓮が頼った伝手より繋ぎが付いた相手は現在の、表向きの当山の宗門ではなく、かつての鞍馬山の責任者だとの話。
 鬼一法眼出現後、鞍馬山の歴史については文も改めて学んだ。ならば相手は人間でない、文が期待するモノである可能性は極めて高い。
「そう言えば、現在の鞍馬山ってどなたが安置されているんですか? 元々は毘沙門天様って話はそれとして」
 椛の問いに、真噛は黙って首を振る。なぜ知らないのかと嘲る様子ではなく、逆にそれを知らせたくないようにも見える。
「当初からの本尊である毘沙門天や、同時に千手観音も確かに安置されてる。しかし私達が今調べるべきは護法魔王尊。僧正坊様当人よ」
「え、その僧正坊っていうのが、鬼一法眼なんでしょ? でもってそいつはまだ幻想郷の中で潜伏してるはずじゃないの?」
 文の答えにはヤマメが驚き、更なる問いを投げかけた。こう言うのも当然だろう。
 御八葉の一部を始めとした他の権現格も、天狗の抜け穴をこっそりと行き来し、根拠地で活動しているのは、妖怪の山でも陰ながら知られた話。僧正坊に関してはまた違うが。
「その確認こそが、今回の調査のキモです」
 映像が山中に開けた場所を映し出し、一同の歩みが止まる。目的地に着いた。
 雪にも負けずに草生す敷地の中央には、古いが手入れの行き届いた堂が建っている。
 和様(わよう)でも比較的新しい造りだが、金の色も朱の色もそこには無い。かつて三尺坊が在していた秋葉山の奥宮(おくのみや)にも似た、質素な佇まいだ。
『今回こちらに立ち入ってもいいというお話ですが 本当に大丈夫なんですか?』
『ええ、決して礼を失しないようにだけ、注意して下さい』
 一同はきざはしの下で履物を脱ぎ、そこを上がって行く。不思議と庇の内側には一切雪がかかっておらず、これだけでも堂内にまします者の霊威が知れた。
 蝋燭の明かりだけが早苗達の行く手を照らす。彼女達を迎えるために点けられたばかりのようだ。堂内の全容は知れないが、外側から見た通りの広さしかなさそうではある。
 早苗はスマートフォンをしまい込んでチャットまで控えているため、文達が見守る端末にも五人が床板を鳴らす音がギシギシと響くだけ。
 また歩みが止まり、カメラが置かれる。沈黙の中、初めて声を発したのは桜坊だった。
「この様な不作法ななりはご容赦を。私は武蔵御岳の小天狗、桜坊と申します」
 彼が「まあ御存じでしょうが」と言い添えると同時に、カメラがまた正面を向く。明度が調整されたのか、視界の先に座する姿が映し出された。
 襟立衣(えりたてごろも)を纏った高僧らしき年老いた男が、薄闇の中で身を小さくしている。
「鞍馬僧正坊様に、相違ありませんな?」
 高僧の頷きと、早苗の驚きの声は同時だった。
 幻想郷側は文と真噛を除き、驚きが過ぎて言葉を失っている。
「え、でもだって、じゃあ幻想郷で私がお会いした鞍馬さんは?」
 座したまま、叫声を上げたのを詫びる早苗に、僧正坊は厳かな居住まいを崩さず答える。
「かの地の隠れ郷の住人が、ここまで我を追い詰めに来るとは。我が如何に思うたところで事は揺るがぬだろうに、何を問いに訪れたのか?」
 今、目の前に在る僧正坊と、幻想郷の若く妖艶なる女性の僧正坊――鬼一法眼。いずれがその名に、その存在に相応しいかと問われれば、この老いた高僧こそがと誰もが答えよう。
 早苗は彼に断りを入れてからスマートフォンを操作し、文に問いかける。
『なんて聞けばいいですか?』
『そちらの声は聞こえてるわ。早苗さん、こう言って下さい。私達はまず――』
「――貴方の存在を確かめに参りました」
 早苗を通した文の宣言に、僧正坊は観念した風にうなだれる。
「あちらに赴いた我が半身が事を起こし、それが今進行しつつある。そうだろう」
 半身、そうだ。僧正坊と鬼一法眼は習合した存在。
『お教え頂きたい。その半身たる存在、鬼一法眼が、いずこより現れた者なのか』
 ここに在る僧正坊と異なり、鞍馬山より起こった者でないのは分かっている。
 もっと彼方より訪れた、恐らくは僧正坊よりもずっと古い存在。
「お前達が鬼一と呼ぶ者。あれは完全なる者、永遠の若者――」
「サナート・クマラ!」
 菫子が突然声を上げる。自身の領分を語るのは構わないが、これはクイズ大会ではない。
「いやサナート・クマラとは、僧正坊の携える験力だったはずでは」
 椛の呟きに、テンションが上がったままの菫子から反論。
「サナート・クマラ自体は別の存在だよ。ヒンズー教の創造神の子の一人、完全なる存在、元祖永遠の十六歳!」
 最後の一語は理解に苦しむが、発祥が西方だと言うのは分かる。それに完全なる存在、玄庵が鬼一法眼に「付いてる物が付いてる」と言ったのは、そういう意味なのだろう。
 ともかく僧正坊の話は、幻想郷では菫子に遮られたままでも進み続けている。そしてその内容はおよそ菫子が語るものと同じだった。
「その存在。実は今、金星から地球に降り立った存在として奉られています」
 現在の鞍馬寺は、本来の宗派(比叡山)より離れた仏教系新宗教の山として成り立っている。奉られるのは毘沙門天と千手観音、護法魔王尊の三尊だが、問題は護法魔王尊、僧正坊の立ち位置。目前の僧正坊が力を失して見えるのも、本来の信仰を損ねた為だと考えられよう。
 いや、それすらもが、始めから定まった計画だったのかも知れない。
「へー、金星から降りて来たって堕天使ルシファーみたい」
(そう言えば――)
 ルシファーとはそのまま『明けの明星』の意であり、金星と同一視されているのは、以前、正月に幻想郷の吸血鬼達がそういう占いをしてはしゃいでいたのを聞いて知っていた。
 そこにクマラまでもが習合するとは思ってもみなかったが。
「……それも、ですね」
 侵略的なものが、文の思惟の中で牙を剥いている。
 大悟したものと慢心し、悟りを開けぬままに入定した大智の僧、鞍馬僧正坊。それがただの尸解の大天狗としてでなく、本邦第一の天狗として君臨する理由。遙か昔に降り立ったクマラこそがそれを担保するのではないか。
 僧正坊は信仰を集めるに足る名を彼女に、天より堕ちた尖兵は力を彼に与えたのだ。
 遣わしたのが月か否かは分からないが、オカルトボールの技術の出自は少なくともそこまで遡れよう。文はしかしと迷う。僧正坊に、今気付いたこれを確認すべきなのかと。己の妄想のままでも構わない。むしろここで問えば、早苗達の身に危険が及ぶかも知れない。
 それに鬼一法眼の正体が知れただけで、既に調査の目的は達成されている。
 彼女の撃退後、この僧正坊を幻想郷に招く算段でもするべきか。いや、事態を察知していながら彼女を放置しているなら、幻想郷に立ち入る資格すらあるまい。
『文さん 私からも何か話していいですか?』
『ええ、ただしあまり危ない、怒らせるような事は聞かないで下さい』
 早苗はそれに承知との意を返すがしかし、彼女の意思は過ぎるほど文に近しかった。
「鬼一法眼が企む結界越え――博麗大結界の境界突破か地獄越え。それが失敗に終わった場合、貴方が一言主と入れ替えに幻想郷へ。そんな計画もあるんじゃないです?」
 老い、疲れ切った高僧の落ちくぼんだ目が、やおら早苗を見上げる。
「なぜ、そう考える。モレヤの祝殿」
「今この鞍馬山で信仰されているのは貴方じゃない。本来の信仰を失した貴方は、幻想郷に赴かなければならないほどに力を失っているんでしょう。ならこちらに渡るのは都合がいい。でも、天狗の抜け穴は等価交換とまで言わずとも、力の程度が遠い者を入れ替えれば地異を引き起こすと聞きました。一言主なら入れ替わるのにちょうど良い。そして一言主の外界制圧が成功しようが失敗しようが、貴方は幻想郷で力を取り戻せる」
 堂内に更なる冷気呼び込まれ、静謐が居並ぶ者達に突き刺さる。これは危険な言葉だ。文がどうにか早苗をフォローするすべを探すうちに、マミゾウが更に問う。
「早苗殿にはすまんが、しかし、じゃ。あんさんにとって、幻想郷での偽一言主侵攻の成否など、どうでもよかったんじゃないかな? 増上慢、慢心の権化たる僧正坊よ」
 狢の本性を露わにしながら不敵に言い放つ。これは抜き身の刃を傍らに置くのにも等しい不作法さでもある。
 彼女も今以て大明神と奉られるモノ。
 ここで事が起こり、実力で相対せば、彼女が勝るであろう。それだけの妖力が発揮されていた。分かり易い恫喝込みの揶揄に、僧正坊の憤りすら封殺されている。
「あんさんには、偽一言主を使った企みと同じぐらい重要な、そして鬼一法眼と共通して果たしたいことがある。それが何かまでは分からんが、わしにはそう見えるの」
 図星だったのか、その言葉に彼は突っ伏す。
「そう、そうだ……幻想郷だの大八洲(おおやしま)などよりも、一貫坊射命丸なる破廉恥極まる天狗を、斃したかった。奴の所為だ。天意を受け、うしはく我らが、その早き言霊を以てあらゆるモノを勝手してきた我らが、今や人間の集合した知の後ろに在る。我らが東夷にこの身を勝手されるに至った嚆矢、奴の雛鳥を、そして一貫坊を……」
 日本第一の天狗が、己にそれほどまでの敵意を持っていたのか。文はそれを認識するが、恐れも、怒りも覚えない。感じるのは、ただ哀れみのみ。
 ただ長生きしただけの鴉、人間を慕って変じただけの鴉天狗に、天下を従えるほどの威力すら持つ神仏が、本邦の全てを巻き込む企みと同じだけの悪意を抱くなど。
 ただ哀れにしか思えなかった。
 しかし、それと同時に新たな確信も得る。
(こいつや、鬼一がそれだけの存念の中で事を為そうとしたなら、今までの奴の行動を鑑みるなら……あの子は、はたては間違いなく無事だ!)
 僧正坊らに対する哀れみは、文の素速い思考の中で希望に変わる。
 妖怪の山で文が裏切り者とそしられる傍で、それを常に重く用いようという態度すら見せていた鬼一法眼。それは高い地位や栄誉を与えた果てに、絶望の底に陥れようという腹だったのだろう。ただ押し潰すより、その落差を以て無間の嘆きを与えようと。
 はたてが無事だと思うのも、そこからの演繹。
 鬼一法眼は、決戦の場で文達に五体無事なはたての姿を見せびらかしてから、諸共に嬲り、絶望の底に沈めるつもりに違いない。
 そうはならない、そうはさせない。無言の中で、文の意思は強く固まってゆく。
「射命丸さん。私にも一つ、質問させてもらうよ」
 その意思が伝播したのか、ヤマメが毅然と言う。
「直接クマラ、鬼一法眼に聞ければいいんだろうけれど、多分そんな機会なんてもう無いだろうから、あんたに聞いておきたい――」
『波斯人、パルスィ達を、この国に招きっぱなしにして埋もれさせたのは、サナート・クマラなの?それとも一言主?』
 この僧正坊は、その立場に無かったろう。
「ヤマメ……」
 彼女が問うたのは自身の由縁でも、今の鬼一法眼らの行いでも無かった。旧地獄という地に共に在る、種族こそ違えど同胞と言える者の心底に、彼女は思いを寄せていた。
「我が聞き、覚えている限りでは、いずれもがそうだ。一言主は力を、富を、その素なる鉄を欲したがゆえ、多くの異邦の者を迎えた。それ以前にクマラ。彼のモノは炎の柱たる七十二翅の天の御使いなる者に、ただならぬ思いを抱いていた。故にそれを善なる一柱と崇める拝火の信仰と、救済を呉れる埋没仏を憎み、並べて貶めようと欲したそうだ」
 それら利害が一致した。壮大でありながらも、余りにちっぽけで狡っ辛い意趣返しと、「如何にも」としか言いようのない動機。そんな物にどれだけの者が巻き込まれたのか。
「そう、分かった」
 その言葉は文と早苗を通して成形され、僧正坊に伝えられる。
「ヤマメさん。なんでそんな事を聞いたんですか?」
「私にも、戦う理由が欲しかった。私達は幻想郷の住人なんて胸を張って言えない。もし幻想郷が呑み込まれるなら、またどこかに旅立つ事だって出来ると思う。でも……」
 彼女達は、最後まで公へ抗い続けながらも、その末に密やかなこの地を終の住処に選んだ。もう戦いたくは無かろう。それが空を征くモノであるなら、羽を休めたいだろう。
 でも、そう出来なくなってしまうほど、多くの人妖を彼女は知ってしまった。そして、それらの為に戦う意味が欲しかったのだ。
 その思いがまた、ネットの向こうのマミゾウにまで伝わる。
「少しでもこの国と人々に愛着を感じるなら、教えてくれんかな。あんさんの幻想郷行きが計画にあるなら、今後の鬼一法眼らの行動の期日も知っとるんじゃろ?」
 これは極めて重大な情報だ。素直に応じるとは思えない。が、彼はあっさりと答える。
「旧正月より三日以内。それが鬼一法眼、クマラが我に指定した期日だ」
 侵攻の日付は定かでない。ただマミゾウや桜坊などの老獪なモノ達が言葉通りに受け取っているのを見る限り、少なくともこれに偽りは込められていないのだろう。
 あちらにもこちらにも存在する戦う理由。それは各々の理想の実現だったり、それを阻まれたりした恨みだったのだと、文は知った。
 そうだ。この僧正坊や、かつての一言主。今の幻想郷の妖怪の山、それに白蓮や神子だってそう。あの鬼一法眼ですら、そうであったかも知れない。
 改めて思う。これは幻想郷の格率への挑戦なのだと。
(ああ。だから私や魔理沙は……)
 その纏う衣に隠れてしまいそうなほど身を縮めた僧正坊に、一同は深く礼拝(らいはい)し、この聖域を後にする。ここで得られるものはもう何も無かった。
 映像伝送が終了。文は続く早苗からのしばしの別れを惜しむメッセージに、同意と道中の無事を祝う言葉を返し、端末をネットから切断してから吐露する。
「私は当初、鬼一法眼か鞍馬山に残っていると思しき僧正坊のいずれかが、オカルトではないかと疑っていました。先だったパルスィさんの意見を元に調査対象として指定しておりましたが、今になってこんな事実が知れようとは」
 今は僧正坊こそが“オカルト”になりつつ。新たな信仰と、人間の智に押し潰されて。なんという皮肉か、それとも因果応報とも言うべきなのか。
 今はただ彼を哀れむだけであり、誰の留飲も下がらない。斃すべきは僧正坊ではない。偽りの言霊を振るう一言主と、それを操る鬼一法眼なのだから。

      ∴

 鬼一法眼にとっての非常策となる鞍馬僧正坊の幻想郷行きが旧正月後を期日とするなら、当然、彼女が事を起こすのはそれ以前となる。
 そこまでを最大の期間と見積もっても、既に二週間を切っている。早苗や桜坊達はそちらへの備えに注力せざるを得ない。幻想郷でも、いつ事を起こすか分からない鬼一法眼を警戒しつつも、中有の道から三途の河に至る防備構築を漸進させなければならない。
 この期間は、鬼一法眼らが戦力を整える時間でもあり、幻想郷が防御を高める時間でもある。いずれにしても主導権はあちらにあり、機を見て事を動かすであろう。
 妖怪の山や他勢力の態勢、霊夢の回復の状況も鬼一法眼側が考慮する材料になろう。
 御八葉の議事も終わり、先の鞍馬山山中での映像を閲覧とは別の何かのソフトウェアにかけていた三尺坊が、閉じた瞼を揉みながら言う。
「とりあえず、映像の方に偽装はかけられてないみたいだな」
「今更それを疑い出すと諸々が崩れそうなんですが、そんな事を調べてたんですか?」
「相手はあの鞍馬殿、それに心強くはあるが二ッ岩大明神も。通信量がかかってもリアルタイム伝送を選んだのも偽装を困難にするため。あのお二人を警戒したからだ」
 なるほど、現代の狢はデータパケットすらも化けさせる化術を用いるらしい。ハッシュやパリティなど各種の完全性確保策すら、ある程度はどうにか出来てしまうほど。との事。
「マミゾウさんも賢明にして懸命、だったという事でしょうね」
「それと鞍馬殿も、かつてはな」
 彼も始めは悟りを開こうと、衆生のための行いに邁進していた大智の僧だったのだ。どこで曲がってしまったのかは分からないが、
「ともかくこれ込みで、妖怪の山の方針は八割方決まったな」
 もとより仮称一言主の捜索は優先事項だった。調査結果ではそれに期日が加えられただけ。そして、ヤマメ達を最後の場面で矢面に立たせるという件はどうなったのか。
「土蜘蛛殿と橋姫殿の件は、とりあえず通った。まあいつもの通り玄庵殿がかなり協力に推した結果だが、今回は専横も無く、御八葉の決心として天魔殿に奏上の予定だ」
 彼の提案が正論だったとしても現御八葉首席の次郎坊が首を縦に振るとは思えない。何を言っても反対するだろう。それに飯綱も次郎坊寄りだったはず。
 次席までがそれでも通ったとは。何かの裏があるのではないかと、文は不安になる。
「その奏上の場だが、お前も参上せよ。とのお達しが天魔殿からあった。他に漏らした覚えは無いが、この件を最前線で進めているのは確かにお前だ。妥当だろう」
 また方々より不評を買う役目かと文は嘆息するが、それは慣れている。
「それにしてもなぜ、玄庵殿はこうも旧地獄の者を用いようとするのだろうな」
 当然、現職に任じられるに当たって三尺坊は妖怪の山と旧地獄の関係を知っている。それが無くとも「嫌われ者」とそしられる彼女らを用いるのは、誰もが不思議がるだろう。
「確かめた訳ではありませんが、それには玄庵殿の出自が関係しているのかと」
 ヤマメを知る、鎮西(九州)出身のモノ。それも僧正坊――否、鬼一法眼や一言主を敵視する。
「東光坊様との昵懇(じっこん)の間柄からも察したのですが。あの方、恐らく元は日向(ひゅうが)の隼人かと」
 鎮西南部。火の国と接し、天孫の降りたもうた高千穂(たかちほ)の峰を頂く地。その旭に向かう東面を指して『日向国(ひゅうがのくに)』と称される日の国だ。
 そうだ。天の勢力の前に、最も最初に相対したのが隼人であり、熊襲(くまそ)であったはず。
「なるほど。東光坊殿も開山の折には下野(しもつけ)に住み着いた隼人天狗との間で折衝があったと聞くが、もしかして玄庵殿が取りなしたか、その隼人天狗当人だったのかな」
「開山の縁起の時期を見れば、恐らく取りなした側かと思われます」
 その隼人天狗も日光の信仰に飲まれ、今はどうしているのか不明。
「ふむ。後は一言主との間には何があったかかな」
「一言主、葛城襲津彦の下には、日向より采女も多く召し上げられていました。それが日向の隼人との同意の上でなかった場合、恨みを持つ者もかなりあったかと思われます」
 彼が女性に対してそもそも隼人も土蜘蛛同様、朝廷には多大な圧力をかけられた者達だ。
「また鬼一法眼については、朝廷の裏に立って実効的に圧力をかけてきた彼あるいは彼女らへの、地方の天狗として立ってからの恨みであろうかと」
 それに皆鶴という、己に理想と希望をもたらした存在の思いを、自身に映したのだろう。彼女の恨みや嘆きすらも。
「一言主を操っているのがあの皆鶴ならばまだよかったが、鬼一法眼が裏で糸を引いていると知れた時点で、考えを反転させたのかと」
 それを言えば文に対する態度もそうだ。当初は僧正坊お気に入りの、皆鶴の大業を邪魔した大悪党として文を見ていたのが、真実を知るや――それも皆鶴を斃した本人だと知ってすら――重く用いるようになった。
 目的を果たすためなら、常に合理的で柔軟な行動を取れる人物。その目的にも優先度を付け、矛盾があれば目的を切り捨てすらする。常に酒精の匂いを漂わせていたのも上層部を油断させるためであり、逆に宗門の中では力と知恵を示しつつ親しめる人物として見せる演出にもなったろう。(女天狗のみならぬ女性への態度は彼の素なのかも知れないが)
 日の国の隼人。彼に何があり、その心底に何が伏しているのか。だがそれはこれからの文達の行動に悪影響を及ぼす物ではあるまい。
 それにこれらはどれも文の推測に過ぎない。
「それにしても、その玄庵殿まで連れての御前会議か。厄介な事にならなければいいが」
 刻限はまだ先だが、他の御八葉達もそちらに向かっているはず。
 文と三尺坊もそろそろかと腰を上げ、中堂へ向け動き始めた。

 常通りの顔ぶれが三尺坊と玄庵に変わったほかは、普段通りの議事が進められる中堂。ここで文達の調査結果も明かされ、鬼一法眼と僧正坊が別個の存在であるとも伝えられるが、皆それには僅かに驚いただけ。ただし鬼一法眼が西方より訪れたサナート・クマラである事は伝えていない。これは伏せたと言うより、妖怪の山の行動を左右するものではあるまいと、三尺坊と協議して情報として切り捨てたのだった。
「旧正月までに事を起こすか。長くもあり、短くもあるか」
 次郎坊が焦りの表情を浮かべてそう漏らす。
「最大に伸ばした期日がそれという事ですけどね。それより三尺坊さん、博麗霊夢の具合はどうなの? 戦えるぐらいにはなったかな」
「竹林の薬師殿に診て頂いたのだが、とてもまだ戦える状態ではないと。少なくともまだ一ヶ月はそんな状態が続く様子らしい。小僧も診たのだが、同じ見立てだ」
 疾病払いを御利益とし、自身も古くから漢方宋医や舶来の医術に触れて来た三尺坊の答えには、問いかけた東光坊も納得する。
「ならば奴らは、その期日を最大限に使って地獄への前進を行う可能性もあるか。ここは発見に全力を尽くし、機先を制するのに全力を費やすべきと存じますが。どうかな?」
 玄庵の提案には誰も答えない。東光坊すらも彼の言葉を黙殺しているようだ。
「天魔様! あなたのお姿を曝こうという不埒者、放逐などではなく今この場での処断をすべきと思いますが、如何でありましょうか!」
 次郎坊が敢然と立ち上がり、申し継ぎの天狗がそれをそのまま受け、伝える。
「玄庵さん。ちょーっとやりすぎちゃったみたいでさ、抑えられなかったよ」
 玄庵のこれまでの行動は、本来事態対応を行うべき鬼一法眼と――彼女が黒幕と知れた時点で全員が拘束された――検非違寮の機能停止の中で、妖怪の山の態勢を確かに整えてきた。その分、御八葉からの嫌悪も募らせて来てしまったのだ。
「ほほう、ここならいくら天魔様の正体を叫ぼうと意味は無いし、既に結界も張っていることでしょうか。これは一杯食わされましたな」
 高らかに笑う彼を次郎坊が「黙れ」と一括し、再び天魔に彼の処断の如何を求めるが、申し継ぎからの応答は無い。
「天魔様!」
「次郎坊様、天魔様は迷っておいでです。しばし別室にて待つようにとのお言葉です」
 ならば仕方ないと一同は席を立ち、玄庵は中堂の悪僧達に引っ立てられて行く。
 それらを見送り、最後に文が席を立とうとすると、申し継ぎの者がそれを引き留める。
「射命丸。天魔様の命令だ、お前だけはここに残って待て」
 寒いお堂に一人ぼっちかと、物理的な冷遇に苦笑する。しかしこれぐらい慣れてもいる。
 それよりも、申し継ぎの者までも出て行ったのに、天魔が奥に下がる様子が無い。御簾の向こうの影は、そのままの姿を保っていた。
「射命丸。ちこう」
 これは天魔自身の声か。驚きはこれだけでない、その声は女の物なのだ。
 これが御八葉が秘そうとした事かと文は察する。
「射命丸様、早く」
 急に親しげな声が掛けられ、文は?然とする。
 いや、本物の天魔が己に敬称を付して呼ぶものか。既に偽物が居座っているのかと改めて警戒する。しかしその警戒は、天魔自らが御簾を上げ、姿を現すことで打ち消された。
「あなたが、そこに居たのか……」
 かつて、皆鶴に打ち勝ち、鞍馬の山にまでも甚大な被害を与えた文の戦いの手前。ある神霊の声がもたらされたのを文は覚えている。ほんの僅かな勝機を、勝利に変えた神威を。
 天魔とは仏道修行の障碍となる者、即ち魔縁たる天狗その物であり、その古き姿の一つに、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の猛気より生まれた『天逆毎(あまのざこ)』という物がある。
 ただここに現れたのは、悪鬼の如き面の持ち主でも傾国の美女でもない。眼横鼻直の当たり前の姿を持つ、少し人好きしそうな少女だった。
 この姿、やはり明かすことは出来まい。しかしここに彼女の加護があるのなら、この戦いは、鬼一法眼や仮称一言主という強大な敵に対する幻想郷の存続の確率は――
「私が申し渡します。射命丸様、戦って下さい。そうすることで、運命は逆転する」
 彼女もまた、ある存在に習合している。その彼女が言うのだ、他に選択肢は無かった。
 幻想郷ごと戦い、そして勝つ。文はその決意を彼女に伝えた。

 中堂での殺生などという処断は玄庵に下されなかったものの、やはり彼には外の世界への放逐という最高刑が待っていた。
 その彼は誰にも曝される事無く、驚くほど大人しく東塔へ引き立てられていた。
「さても、同行者が外来人の女の子というのがせめてもの救いか。宇佐見嬢、外の世界では喫茶店にでも連れて行ってくれぬか? 拙僧が奢って差し上げよう」
「喜んで! 天狗さんとスタバなんてまず考えられないシチュだし」
 こんな場でもこの体たらくかと呆れる文。
 玄庵の放逐には、意外にも彼の処断を求めた次郎坊が難色を示したが、覆らないとされると次は菫子の強制送還を提案したのだ。先頃放り出されたばかりの早苗と、遁走したことになっている桜坊を一旦幻想郷に帰還させるという形で。
(外界での防備を削ぎ落とすつもりですね。今からだと玄庵殿には引き継げない)
 力の均衡から言っても、この二人との交換は妥当とされた。しかし早苗はともかく、よく桜坊が応じたものだと文は思う。彼の側にも企みがあろうと考えられるが。
「菫子さん、ひとまず覚えておいて下さい。都市伝説(オカルト)が一言主のようなモノを生み出し、僧正坊様を消してしまいそうになっているのを。曝かれざる神秘もあるのを」
 彼女の事だ、またすぐに別の形で訪れるであろうが、これだけは今言っておきたかった。
「文ちゃんの言う事はだいたい分かるよ。けど今はこっちも妖怪が溢れてるし、やっぱり秘封倶楽部の活動は止められないなぁ」
 外の世界の妖怪。その話は初めて聞いたと文は驚く。
「実際の妖怪じゃないよ。最近さ、外の世界でもまた妖怪ブームが来てるの。妖怪時計なんかのゲームがバズって、そこから水木しげるって人の本が再注目されたり。他のマンガとかアニメも。でも妖怪ってそれだけじゃない、ステレオタイプなキャラクターじゃない。ちゃんとした姿を伝えないと、また別の何かになって出てくる。それもヤバいでしょ?」
 オカルトの現れる理由、それは本質への不理解などもあると彼女は言う。軽い風に見えても、そういう点に思索を巡らせていたのかと、玄庵も感心する。それにしても――
「妖怪って、ブームになるものなんですかね……」
 ある種の伝承が流行るのは分かるが、妖怪というやたら大きな括りがブームと言われても、本人達にはいまいちピンと来ない。
「そう? 結構定期的にブームになってるよ」
 それもだいたいがサブカルチャーによるとの話。なるほど、彼女にはその秘封倶楽部とやらの活動を続けてもらった方がいいのかも知れないと、文も思い直す。
「さて、そろそろ時間のようだ。宇佐見嬢、行くとしようか」
 東塔の者に、武装した悪僧も同行。それも大天狗だ。相当に警戒されているのだろう。

 連行される玄庵と菫子を見送った文が東塔の宿坊で待機していると、不意に揺れがその身を襲う。建物の軋みが不気味だが、蝋燭の様子に注意して揺れが収まるのを待つ。
「あちらに渡った、んですかね」
 揺れがやや大きかったのが気になる。玄庵の妖力が強過ぎたのか、それとも逆か。
 早苗と会うのもしばらくぶりだが、それより桜坊がどんな扱いを受けるのかが気になる。いずれにせよ待つしかないが、また東塔の中が騒がしくなったのに気付いて廊下に出る。
「どうしたんです? 何か不測の事態でも」
 適当な者を捕まえて問いかけてみると、返ってきた答えは意外な物。
「それが、帰還するはずの桜坊様の代わりに狢が現れてな。そうだ、お前も知っている者だという話だぞ。これは後々面倒じゃないか?」
 別に今すぐにどうという話でも無かろうがと、彼は言い置いて去って行く。
「なんで、わざわざ天狗の抜け穴から……」
 彼女なら化術だけで行き来できる。それがなぜ騒動を起こしてまでここに現れたのか。
 文は他の者に先んじてそちらへ向かう。禁足地でも無く、咎める者はいないが、東塔の他の天狗の往来は増している。
 入り口に祠が建てられた洞穴。その前で包囲されていたのはやはりマミゾウだった。
「おお、射命丸殿。ようやっと来たな」
 早苗は既に包囲の外側で確保されている。こちらは当初の予定の通りだった。
「やっぱりマミゾウさんですか。桜坊様はどうされたんです」
「あの御仁、外の世界に残りたいと言っておってな。あんな大蜘蛛が跋扈する幻想郷には怖ろしくておられんのだと。わしは化術を使って戻るのも面倒だから、ちょうどいいので抜け穴とやらを使わせてもらった。が、危うく落石に潰されるとこじゃった」
 己の妖力が玄庵に劣っていたと判定されたのも気にくわないと、彼女は天狗の抜け穴その物に文句を言いながら、桜坊が如何にすくたれ者かと言い募る。無論、全部嘘。
「狢の大将、二ッ岩マミゾウだな。我らに同行してもらおう」
 隊伍の長を勤める大天狗が、包囲を狭めながら命じる。当然ながらこれに「はいそうですか」と応じる彼女ではない。
「カカカ、わしは見事にはめられたようだな。しかし、これには追いつけまい」
 彼女は宙で身を翻すと、その身体を小さな猛禽に化けさせる。それは、翼に風をはらんで飛ぶ者の中では一番速き者、ハヤブサだった。
「おい待て! 追え追え!」
 飛行に優れた者なら――もちろん文を含め――すぐに追いつけようが、東塔の者達は務め柄それに不得手なためか、弾幕を射掛けながら追うが、その距離は広がって行くばかり。
「えーと、追わなくていいんですか?」
 早苗が言うが、その理由が無い。
「まあ、無事逃げおおせるのを祈って、後で活躍してもらいましょう」
 幻想郷の内も外も無く、今覆い被さっている事態は理解しただろう。鞍馬山での僧正坊との会見の様子も彼女が信用に足ると思わせてくれたし、それゆえ桜坊も帰したのだろう。
 文は早苗の手を携え、導く。やはりネット越しでない血の通った声と手は温かかった。
      ∴

「プランの維持、なんとか通ったぞ」
 僧坊に戻った三尺坊が伝えるのは、ヤマメとパルスィが仮称一言主と対決する案の事。
 玄庵追放と同時に、次郎坊と、御八葉として復帰した豊前坊がこれを反故にしようとしたのだ。旧地獄の者を用いるのは「ならぬ」という理屈で。しかし先の決定はあくまでも御八葉として決したものと、まず飯綱、大山伯耆坊が突っぱね、羽黒三光坊なども続いた。
 同志であった東光坊に発言権は無かったが、彼の考えがいずれかは問うまでも無かろう。
「誠にお疲れ様です。それは何よりなのですが、その通り最後にはヤマメさんに戦ってもらおうというのに、妖怪の山で用意できる武器が無いのが情け無いですね……」
 白狼に支給されている法力刀は製造に呪鍛技術を用いており、一言主の影響を受ける可能性が大。他の、彼女ら天狗の主たる装備は、金剛仗や薙刀、祭具としての独鈷杵など。ヤマメには刀以上にどう振り回していいのか分からない代物ばかり。
「そうだ、髭切の写しは? それも膝丸と一緒に作ったんだよね」
「ええ。けれどあれは、はたてがあの威力ごと取り込まれたのが確認されてから、次郎坊様や玄庵様のお達しにより溶かされ、ただの地金にされました」
 表向きの理由は旧地獄との間に緊張をもたらす武具の保持に危機を覚えたからとされたが、その時はそれぞれに思惑があったのだろう
 良い鉄だったのにと、ヤマメがその刃の喪失を嘆く。
 しかし、隠された逸話を持つ膝丸の写しが取り込まれたように、髭切の写しも神威を招く限り取り込まれる恐れがあったろう。地金に戻したのは謝罪には及ばないともヤマメは言う。ならば、可能であれば魔払いの神剣、それも神仏か権現格の天狗の確かな加護を受けた物である必要があろうか。はたてが携えていたような。
「今思えば、はたてに秋葉大権現の加護が宿った神剣を持つように勧め、膝丸を渡してあの子を差し向けたのは、いずれも玄庵様だったんでしょうね」
 文が「五体満足無事でいるはずだ」といくら聞かせても決して楽観しない椛は、この様な恨み節とも思える言葉を口にする。
 彼女の守り、または、その手に栄光を握らせようとしたのだろうか。それが通じなかった時点では彼も、鬼一法眼すら取り込んだその強大な黒幕を皆鶴と誤認してしまったが。
「言ったでしょう、河童の技術が用いられたあの電子式カメラが最後まで機能し続けていたんです。それだけの神剣のご加護があったんだって」
「そんな都合よく三尺坊様の加護が働くとは思えません!」
 これには当人がガックリと肩を落とす。こうするのはこちらに来て何度目であろう。
「ぐぬ。先に言っておくが、例え加護が働いていたとしても、にわかに神剣としての加護を与えるなどまず無理だからな。例の写しを作った者達の腕には感心するがこれはなぁ。さても、どうしたものか……」
「そもそも、そういった縁や由緒を持つ物こそが危険なんじゃないの?」
 パルスィの言葉は尤もだ。だが妖怪の山にはそんな武具こそ皆無だし、そうなれば人里の腕自慢や武芸者だのみになろう。だがこの期に及んでも、妖怪という括りの中で分け隔て無く敵と見てくれている彼らが、天狗や土蜘蛛に商売道具を貸すとは考えられない。
「ただの鉄の刃なら、ここにありますけれど」
 室内に在っても傍らに居座る大太刀の鞘を右手で持ち、椛は言う。
 三尺五分の、ただの鉄の大太刀。
 文も知っている、これが多くの人に知られた由緒も無い、ただの鋼の刃であるのを。
「しかし先の戦闘で相当にガタが来ています。上手く切り伏せたつもりでしたが、さすがは鞍馬衆のお歴々。白狼ごときにはただで斬られてくれなかったようです」
 障壁によるものか。刃の尖端から一寸余りまで、刃が潰れかけている。妖怪の山の研ぎ師に任せても、果たしていつ頃仕上がるのかと、椛は嘆息する。
「あ、いるじゃない。不眠不休で研ぎ仕事が可能で、でも暇な子が」
 自分が使うのでないにしても、修復は必要だろうとヤマメが言う。確かに“彼女”なら可能であろうかと文も気付いた。
 どのみち、そちら方面には向かう予定だったのだ。

 命蓮寺に訪れた天狗一行。訪問先は、その隅に構えられた仮の工房。
「ごめん下さい。おや?」
 真冬の冷気など追い出された工房では入道使いと入道が相槌を打つ姿もある。鍛冶の手は今も人間の生活に必要らしく、小傘の技はここで彼女らに伝えられつつ重宝されていた。
 そして、この季節には、何よりここには場違いと思える人物の姿も。
「リグルじゃない。冬眠はどうしたの?」
 蟲妖のよしみでの知り合いに、ヤマメが声をかける。(かつての姿がどうだったとかは関係なく、やはりヤマメには蟲妖としての自覚がある)
 床の上で膝を抱えていた彼女は顔を上げてそれに応じるが、これだけの来訪者にも気付かなかったほどだ。この熱気の中でも反応が鈍い。
「ああ、ヤマメ。待ってたよ……」
「待ってたって、なんで?」
 熱が籠もった工房にすら雪が積もりかけているこの時季。ここがどんなに暖かろうが、蛍の妖怪のリグル・ナイトバグには相当な負担のはずだ。
「ああ、違う違う。その子が待ってたのはそちらの白狼さんの野太刀だよ」
 普段の装いもどこへやら、ススにまみれた姿の小傘が訂正する。
「前にお願いしたの覚えてる? その子を見せてって」
「ああ、そう言えば。ならお互いちょうど良かった、この刀を研いでもらいたい」
 椛は下げ緒を解いて渡されたそれを、小傘はしげしげと眺めてから言う。
「やっぱりこの子、付喪神化の兆しすら無い。拵えはこんなに古いのに。それに――」
 その刃長に難儀しながらも、小傘はなんとか鞘から抜いた刀身をしげしげと眺める。
「――それに刀身は、より古いのか。あれ、この子鋒(切っ先)が」
「それは私が初陣の時、初めて手にしたそれを無理矢理振るって、曲げてしまったんだ。元々はもう一尺長い刃だった」
 すぐに打ち直されたそれは、育ての親から譲られて以来の椛の愛刀だ。
「元の鋒が無いなんて、刀としては大きなハンデだ。でも付喪神化してない理由はそうじゃない、のかな。それよりもこの子、もう限界だよ」
 器物の予後不良を小傘が告げる。
 琴や琵琶、太鼓などの楽器なら胴が割れれば器物としての本質を大きく損なってしまう。それは壊れたのと、死んだのも同然。弦や革は張り直せても、取り返しが利かないのだ。
 心、魂の在処が壊れるのを死と定義するなら、それは生物と変わらない。
 刀に置き換えるならば刀身。小傘が言うのはその身の限界だ。
「ずっと使われ続けて、研ぎ続けられて、それでここまで現存しただけでも奇跡だよ。もう鉄の限界だったんだ。でも、復活させられる方法も、ある」
 彼女の、炎を映したような赤い眼が輝き、その視線の先に蛍火を見る。
「多分私はそのために来たの。虫の知らせがあって、起きてみたらここに来てた」
「その刀を直す必要があるって、何かがリグルに教えてくれたんだよ。そして今、あの怪物と戦う天狗さんがその刀を持って来てくれた」
 これは天運だと小傘は域荒く言う。だが復活の方法にリグルがどう関わるのか。
「蛍の命を少しだけ借りて、直すんだ!」
 蛍の灯火は命の、魂の謳歌だ。それを以て癒やされた大太刀の話が存在する。
 肥後国(ひごのくに)一宮(いちのみや)、阿蘇明神に仕えた大宮司阿蘇氏に伝わる逸話。
 鎌倉が滅びて間もなくの頃。阿蘇氏の当主が多々良浜(たたらはま)で足利軍との戦った際、彼の携えていた大太刀は激しく刃こぼれしてしまった。しかしその夜、彼はその大太刀に蛍が群がる夢を見、目覚めてみるとその通りに刃は癒やされていたのだという。
「リグルが死んじゃう訳じゃないよ。少しだけ、力を借りるんだ。そうすれば阿蘇大明神の御神刀と同じ力も得られるかも知れないよ!」
 これまでの話からすれば、実に魅力的であろう。
 しかしこの刃を振るうのはヤマメ。火の国(肥後国)以来のヤマメの出自を知るパルスィは、彼女はどう反応するのだろうかと、蛍の灯火と同じ輝きを湛えた目で見守る。
「駄目だ、それは駄目。いいんだよリグル」
 答えるべきは椛である場面でヤマメが答え、小傘は面食らった風にする。
「なんで? 私は大丈夫だよ」
 一方のリグルは、せめて幻想郷のこの状況の役に立ちたいと言い募る。
「唐傘さん。実は今回、その太刀を使う予定なのはヤマメなの。それと阿蘇明神とヤマメ達土蜘蛛は、いにしえには敵同士だった。そんな伝説、採用できる?」
 小傘は言葉に詰まり、凍り付いた風に口を閉じる。ヤマメへの恐れゆえの沈黙ではない。そんな由縁も知らず、無邪気にこれを持ちかけたのを恥じ、詫びたい気持ちもあった。
「ごめん、そんなことも知らずに……」
 覚悟を決めていたリグルが先に詫びると、ヤマメは首を振って応じる。
「ううんそうじゃないんだ。その逸話、今の私達の敵に付け入られるかも知れないから」
 リグルを気遣う気持ちが無いと、口に出せば明らかな嘘になる。ただしこの懸念も真実。文も、椛やヤマメの反応次第では、一考を促すところだった。
「そう、大丈夫。小傘さん、この太刀、ここで終(つい)を迎えようとも戦ってくれる」
 一旦、収められた刃を受け取ろうと手を伸ばす椛に代わり、真噛が語る。
「これは椛がお父上から託された、守り刀だったのです。ですから」
 共に肥後国に流され、その最期の時まで一緒だった養父の想いと共にあるのだろう。
「ああ、そうなんだ。だからこの子、付喪神化してないんだ……」
 父とは言ったが、当然それは実の父ではない。椛の実父は大山祇神(おおやまつみのかみ)の神使の一頭。だが生まれた時に共に在ったのは、死にゆく母兄弟と、ただの山犬を大事に取り上げてくれた情け深い人間達だった。養父もまた、彼ら彼女ら以上に善く椛を育んでくれた。
 守りたい、守ろう。自然にその命が尽きる時まで。その想いが守り刀としてのありようとして結晶化したのが、この刀の今。付喪神達の中には多く持ち主への想いを抱いたモノも、逆に恨みを持つモノもあろうが、想い故に器物のまま果てようとする物もあるのだ。
「でもそんなんじゃ、土蜘蛛さんに預けてもまともに力を振るってくれないでしょ」
 これも縁だ。自分の手持ちで出来る限り力になろうと小傘が動き出すのを、椛が止める。
「いや、これはあくまでもただの鋼の刃だ。何物でもない無銘の。それに――」
 椛の目には強い信頼の念があった。大太刀にもヤマメにも向けたそれと共に、刃を託す。
「――私には器物の声なんて分からないけど、この刀なら、ヤマメさんも守ってくれると信じてる。これもなぜかは分からないけれど、確かにそう思う」
 彼女にしか分からない根拠があるのだろう。だがこの死にかけの野太刀でどうやって。しばしそう思い悩んでから、小傘は意を決する。
「うーん、分かった! 折角リグルに出て来てもらったのに力を活かせないのは悪いけど、私も細心の注意を払って研いでみる。必要なら再刃(さいば)してでも、戦えるようにするよ」
 真新しい鋼で鍛えられた膝丸の写しに、この古い鉄がどこまで敵うものなのか。その難しさは、かの刃を鍛えた当人だからこそ承知している。それをどうにかして、驚かせてやりたいと、小傘は企んだ。ここに居る皆も、一言主達も、幻想郷で戦う者すべてを。
 小傘に必要な対価は、ヤマメの勝利だけだった。

 仮設工房を出た文は、呼び止める者に気付いて歩みを止める。
「善八郎様と、魔理沙さんも。どうしましたか?」
「どうもこうも無い。黒谷殿の得物を探していたと聞いて追って来たんだ」
 だが二人とも思わしい表情では無い。
「と言っても、霖之助の所はガラクタばかりで役立たずだし、月人が前に展示してた銃はどうかと思ったら、あいつらの銃は霊力駆動だから瘴気相手じゃ無力と来た」
 サッパリだったと肩をすくめる魔理沙に、ひとまずその目処はついたと伝える。
「それならいいが。そういや奴がいつ事を起こすか分かったって聞いたが、本当か?」
「本当ですが教えられませんね」
 素っ気ない答えには、逆に善八郎から「霧雨嬢も頼りになるだろうが」との苦言が返る。
「それにご本尊様に啖呵を切ったそうではないか。幻想郷に戦ってもらう、などと。それがなぜ人間の協力を排除しようとする」
「人間がどうこうではなく、あの瘴気の前では魔法使いの出る幕がありません」
 それも尤もかと善八郎は折れる。
「そうだ。聞きそびれてたんですが、私にと下さったこの火仗、他と何が違うんです?」
 月人の銃が霊力駆動と聞いて思い出した文は、着剣していないまま肩に吊っていたそれを正面に控えて問う。
「なんの変哲も無い、ただの銃だ。ただ幻想郷で一番古いと言うだけの」
 なるほどそれは己に相応しいかと、文はさもない真実を得たそれをまた吊り直す。
「火仗じゃなくて、銃なのか」
 文も気付かなかったその文言には魔理沙が気付いた。
「そうだ、それはただの銃だ。火仗ですらない、な」
 そういう意味かと改めて気付く。これは、数多の模造品が作られた火仗ではなく、最も始めに幻想郷に流れ着いた、オリジナルの『二十二年式村田連発銃』なのだ。
「道理で、取り回しづらいと思いました」
「ああ、『嘆きの獅子』のお前みたいにな」
 それは井三郎に語った『瀕死のライオン』の別称。今更にそう言われ、文は苦笑する。
「何の話だ?」
「八方敵に囲まれても祖国のブランドを守るために戦った、忠勇の傭兵のお話です。銃はともかく、だいぶ前に山を下りた私には似つかわしくない話ですよ」
 魔理沙は「ふうん」と、納得したのかしないのか分からない相槌を打つ。
「ときに、にとりは何をしてるの?」
 話の間隙に、椛が魔理沙の横に空いたスペースに声を掛ける。
「あちゃー、やっぱり千里眼じゃ分かるのか」
「隠れ蓑の穏形水準はこの間言っといたはずだよ」
 準能動熱光学迷彩(オプティカルカモフラージュ)の作動を解き、にとりは姿を現す。
「新型だったんだけどね、改良の余地ありか。決戦までには仕上げたいんだけどなぁ」
「てことは、お前らも一言主がいつ動くのか知っているのか?」
「知ってるけど言う訳無いじゃん。妖怪の山に睨まれたかないからね」
 またもふて腐れる魔理沙に文は提案する。
「ならせめて、霊夢さんの看病でもしてあげて下さい。霊夢さんの回復が、奴らの行動をコントロールすることになるかも知れないんです」
「なるほど。奴らが霊夢の回復前に行動を起こすのだけは確定か」
 それに気付いた彼女は、すぐにホウキにまたがって飛び上がる。里の人間の目もあるが、今は異変の最中、それもここは妖怪寺だと彼らに見せつけながら。
「随分素直に行ったもんだね。そうそう、魔理沙に頼まれてって訳じゃないんだけどさ、これ、折角の鉄だからって文さんから渡されたんで作ってみたんだ」
 香霖堂に転がっていた不動品(ガラクタ)を、かつての火仗に倣って作ってみたのだとにとりが言う。材料になった鉄とは、髭切の写しだったインゴットだ。
 布の包まれたそれは、ちょうどヤマメの両手に収まる程度の物。
「聞いたよ、ラストはヤマメが決めるんでしょ。その時にお守り代わりにでも懐に忍ばせといてよ。こっちもさ、商売で話の通じる相手が居なくなると困るし」
 にとりなりの励ましなのだろう。
 だが彼女にも、その決戦の場ではかなりの活躍を求める予定になっている。
「どうやらここには、決戦の主要面子が揃っているようですね」
 その心強さを、文は感じていた。
 ただ独りで飛んでいた時とは比べ物にならない。しかしそれに依存し、埋没してはならないと心に決めながら、一同の顔を見る。
 その文と同じように皆を見つめていた鴉が、本堂の屋根から飛び立って行った。

 鴉は博麗神社に降り、道士風の法衣を纏った女の腕に止まる。
「前鬼ご苦労だった。紫様、天狗達の準備は九割方という辺りのようです」
 除ける者がいないまま深雪となり積もった庭からそう呼びかけるのは八雲藍だった。
 その呼びかけに応じた紫は、霊夢の傍から答える。
「分かったわ。しかし皆、一言主にだけ注意を向けているけれど、本当に恐れるべき者を忘れているのは困ったものね」
「無意識に避けているのか、それとも本当に気付いてないのか。どっちにしろ問題ね」
 もう臥せってはいないもののまだ常の巫女服ではなく、務めには戻れていない霊夢。しかし力を尽くそうと、博麗の巫女は妖怪の賢者と画策していた。
 紫と霊夢が危惧する脅威。それは鬼一法眼に他ならない。
 人間、妖怪や経立のみならず、多くの禽獣を卑妖として軍を成した一言主。それら全てを覆うほどの穏形の術を用いてもなお、権現格と同等以上の戦闘力を持つ玄庵と拮抗する力を見せていたのだ。紫は当然のように、インチキを用いてそれを覗き見ていた。
「でもあんた、妖怪の山全体の三分の一の勢力は流石に言いすぎじゃない?」
「残りの妖怪の山の首脳で三分の一、その他諸々の天狗で三分の一、鬼一法眼で三分の一、計算は合いますわ」
 大ざっぱすぎると嘆息する霊夢に、紫は「それはさておき」と続ける。
「知っていることを知っていないように振る舞うのも、策の一つではありますわ。それに妖怪の山にはまだ敵方のシンパが残っているようだし――」
「紫様! 妖怪の山からの使いらしきモノが」
 言葉を遮られたのには苦笑いしながら、紫は庭先を見る。妖怪の山の使いと言うより、藍の眷属と呼ぶのが似合っている者が座っている。それは真白な狐だった。
「それと、黒白に、私の式とは別の鴉も」
 空を見ながらまた藍が伝える。
 言った通り、そちらには黒白魔法使いが一羽の烏を引き連れて飛んで来ていた。

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