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こちら秘封探偵事務所第1章 紅魔郷編   紅魔郷編 第5話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第1章 紅魔郷編

公開日:2015年08月15日 / 最終更新日:2015年08月29日

紅魔郷編 第5話
小さな兵隊さんが六人、ハチの巣をいたずらしたら
一人がハチに刺されて、残りは五人





―13―


 館の廊下に飾られた調度品や、柱の出っ張りに隠れて、美鈴さんの背中を追う。絨毯が足音を吸い込んでくれるし、廊下は広いので背中を見失う怖れも少ない。尾行なんてしたことないけれども、尾行しやすい環境ではあるだろう。
「ねえ、蓮子。行き先が〝妹様〟のところだとしても、どうして咲夜さんじゃなく美鈴さんなのかしら? 美鈴さんのお仕事は門番じゃないの?」
「さあて、ね。咲夜さんの手が空いてないのか、それとも特殊な事情があるのか――」
 物陰に身を潜め、小声でそんなことを言い合っていると、美鈴さんが不意に足を止めた。気付かれたか。私たちは息を殺しておそるおそる様子をうかがう。だが、美鈴さんは私たちに気付いた様子もなく、壁の一点に向き直った。
 美鈴さんが壁に触れると――次の瞬間、美鈴さんは壁の中に姿を消してしまった。私たちは顔を見合わせ、そこへ忍び足で歩み寄る。
 一見、それまでの廊下の壁とひと繋がりの、何の変哲もない真紅の壁である。だが――。
 私は、思わず軽く目元を覆った。強い結界の気配が、ここにはある。館全体にかけられたものとはまた次元の違う、ひどく強固な、何かを閉じ込めようとするような結界――。
「……蓮子、ここ、何かあるわ」
「みたいね。隠し扉か、それとも――」
 蓮子が壁を探る。と、何かを探り当てたように、壁の一部に蓮子は指を引っかけた。次の瞬間、壁が音もなく、蓮子の手の動きに合わせて横にスライドし――闇が現れる。
「ビンゴ」
「隠し扉? なんでそうあっさり見つけられるの」
「コツがあるのよ、コツが」
 どんなコツだ。ともかく、壁の向こうに現れた、わだかまるような深い闇に目を凝らすと、それは地下へ降りていく階段のようだった。咲夜さんに案内された、図書館へ通じる階段とは明らかに違う。怪しげな館の隠された地下室――とくれば。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「出るなら鬼でしょう。吸血鬼なんだから」
「それもそうね。――でも、今はパス」
「え?」
 私がきょとんとしているうちに、蓮子はドアを閉じてしまう。そして私の手を取ると、向かいのドアを開けてそこに私を引きずり込んだ。どうやらリネン室か何かのようだ。これから洗濯するのだろうシーツやら何やらが、無造作に籠に突っ込まれている。
「ちょっと蓮子、尾行するんじゃなかったの?」
「冷静に考えなさいよメリー。階段の下で美鈴さんをやり過ごせる保証はないでしょう?」
「ああ――そうね」
 言われてみれば確かにそうだ。美鈴さんの目的地があの階段の下だとして、用を済ませた美鈴さんは確実に同じ道を引き返してくるだろう。そのとき、都合良く身を隠す場所があるという保証はない。それなら美鈴さんが戻ってきてから、あの隠し扉に入る方が安全だ。それまでここに隠れていようということか。
「さて――」
 ぴたりとドアに耳をつけて、蓮子は廊下の物音を伺う。美鈴さんが何時間も戻って来なかったらどうする気なのだろう、と思いながら、私は籠に腰掛けて、持っていた『そして誰もいなくなった』の原書をぱらぱらと捲っていたのだが――。
「!」
 蓮子が突然、ドアから飛び退いた。それと同時、ドアノブが音をたてて捻られる。誰かが入って来る! 私がそう気付いた瞬間――蓮子は、私の元に飛びかかるように迫ってきて、
「メリー」
「え、ちょ、蓮子」
 突然、蓮子の顔が目の前に迫って、私は狼狽える。吐息が感じられるほど近くから見つめられ、おまけに蓮子の右手が私の頬に、左手が背中に触れている。これではまるで、蓮子に抱きすくめられているみたいではないか。というか顔が近い近い。あまりに突然の事態に思考が追いつかない中、蓮子の背中越しにゆっくりとドアが開かれる音がして――。
「――――」
 ドアを開け、蓮子に迫られる格好の私を発見して硬直したのは、妖精メイドさんだった。何を誤解したのか、その妖精メイドさんは、ぼっと沸騰するように顔を赤くして、「お邪魔しましたー!」と抱えていた洗濯物の籠を放りだして飛び去ってしまう。
「ふう、上手くやり過ごせたわね」
「……盛大な誤解を受けた気がするんだけど」
 私の身体を離して、蓮子がひとつ息を吐き出す。私は口を尖らせて蓮子を睨んだ。この場をやり過ごすためとはいえ、いったい何を考えているのだ。あんな――あんな、まるで恋人同士でするような格好をいきなり、断りもなしに。――動悸が速いのは、どう考えても蓮子の突飛な行動に驚いた以上の意味などない。断じてない。
「あら、誤解なの?」
「誤解以外の何だって言うのよ」
「つれないわねえメリーってば。蓮子さん的にはそのまま――」
「いいからドア閉めて! 隠れてるんでしょ!」
 蓮子の背中を押して、ドアを閉めさせる。はあ、とため息をつくと、くるりと振り返った蓮子が、ふふん、と猫のような笑みを浮かべた。
「自分から密室を望んでくれるなんて、メリーってば積極的じゃない」
「え、ちょっと蓮子?」
 ずい、と私に歩み寄り、気障に私の顎を持ち上げるようにして、蓮子は私の目を覗きこむ。いたずらっぽい顔をして私を見つめる相棒の顔。私は言葉を失って、金魚のように口をぱくぱくさせるしかない。
「――ホントに今の続き、する?」
「しっ――しないわよ!」
 咄嗟に、手元にあった本で蓮子の頭を殴った。「あ痛っ」と蓮子は頭を押さえ、その場にしゃがみこむ。ハードカバーはやはり鈍器として優秀である。
「うう、私の灰色の脳細胞が死滅したわ」
「大して貴重な脳細胞でもないでしょ、全くもう」
「このプランク並みの頭脳を持つ宇佐見蓮子さんに対して何たる言いぐさよ、もう。だいたい本好きが本を凶器にしない。ましてクリスティーの原書の初版よ?」
「私は日本の国内ミステリの新本格派ですわ」
 そんなことを言い合っていると、不意に蓮子が「しっ」と口元に指を立てた。
「蓮子?」
「――たぶん今、美鈴さんが例の隠し扉から出てきたわ」
 どうして解るのだ。それだけ注意を廊下の方に向けていたということかもしれないが、ともかく蓮子はしばし息をひそめてから、そっとドアを薄く開いて廊下を伺う。私もその隙間から廊下を覗き見ると、確かに美鈴さんらしき人影が廊下の奥に消えていくところだった。
「……行ったみたいね。さ、行くわよメリー」
「はいはい、もうどこまででも付き合うわ、こうなったら」
 諦めの境地で、私は蓮子に従ってリネン室を出る。蓮子がまた壁に指を引っかけ、隠し扉を開いた。わだかまるような深い闇の底へと続く階段。私はごくりと唾を飲む。
「さあ、魔王のところへ向かうわよ、メリー」
「……魔王で済めばいいけどね。どっちかっていうと隠しボスじゃない?」
 勇者蓮子と魔法使いメリーの旅は早くも最終局面である。封印された暗黒の邪神とかうっかり復活させてしまったらどうしよう。そんな益体もないことを考えながら、私たちはその闇へと続く階段に足を踏み出した。







―14―


 暗闇と静寂の中に、ふたりぶんの足音がやけに甲高く響く。
 蓮子が取りだした携帯電話のバックライトを光源に、私たちは闇の底へゆっくりと降りていく。視界を奪う闇に対する恐怖心は、やはり本能的な防御反応なのだろう。頼りない液晶の光だけでは深すぎる闇には焼け石に水で、目の前にも何が潜んでいるのか解らないという現実が、私の足を竦ませる。
 気付けばすがるように、私は蓮子のコートの裾を掴んでいた。普段ならここぞとばかりにからかってくる蓮子も、何も言わず私に掴ませるままにしている。蓮子もこの深い闇に、珍しく緊張しているのかもしれない。
「……メリー、階段が終わったわ」
 蓮子がそう言って立ち止まった。言われなければ降りるつもりでつんのめっていただろう。私は蓮子の手を掴んで、階段の下に降り立つ。頭上を見上げるが、階段の上はもう完全に闇に閉ざされて、私たちの入って来た入口ももう見えなかった。
「さてさて……どんな〝妹様〟が出てくるやら」
 私の手をそのまま強く握りしめて、蓮子は先に立って歩き出す。引きずられるように私はその後に続いた。階段を下りた先は暗い廊下で、ところどころにランプが薄ぼんやりとした光を点している。蓮子は携帯電話を仕舞った。電池は大事にしないといけない。
「妹様ー、出てきてくださーい、って呼んでみる?」
「……まっくろくろすけ出ておいでー、って?」
「でないと目玉をほじくるぞー」
「目玉をほじくられるのは私たちの方じゃないの?」
「怖いこと想像させないでよ、メリー」
 そんな軽口をたたき合うのも、緊張を紛らわしたい一心だったのかもしれない。
 石造りの壁が続く廊下をしばらく進むと、廊下が右に折れていた。私は蓮子の陰に隠れるようにしながら、覗きこむように曲がり角に顔を出す。その先にもまた廊下が続いているが……暗く闇に沈んで、どこまで続いているのかは見通せない。
「扉があるわね」
「え? 見えるの?」
「夜空に時と場所を視る蓮子さんは、夜目が利くのよ。――さあ、〝妹様〟にご挨拶しましょ」
「ちょっと蓮子――」
 私の抗議に構わず、蓮子は私の手を引いて、その闇へ向かって歩き出す。半ば自棄の空元気ではないだろうか、と思いつつも、あの闇の階段をひとりで戻る度胸もなく、私は蓮子の後についていくしかない。
 ほどなく、私の目にも闇の中に、ぼんやりとその扉が浮かび上がってきた。深紅の、いかにも分厚そうな扉である。それに目を細め――私はごくりと唾を飲む。
「メリー?」
「……嫌よ蓮子、私、こんな扉開けたくない」
 私は身震いして、蓮子の背後に隠れた。――その扉には、明らかに極めて強固な結界が張られている。それを開けてしまうということが何を意味するのか解らないほど子供ではない。私にとっては、大文字で〝危険・立ち入り禁止〟と書かれているのと同じことだ。
 そして何より怖ろしいのは――その結界が揺らいでいることだ。おそらく、つい先ほど、美鈴さんがこの扉を開けたからなのだろう。私の目には、扉の取っ手に重なるように、結界の裂け目がゆらゆらと揺れているのが視える。正直、覗きこむ気にはなれないが。
 それを小声で蓮子に伝えると、蓮子は「ふうん」と鼻を鳴らした。
「この向こうに〝妹様〟がいるとすれば、その子はそこまでして封じておかないといけないだけの存在ってわけね。――なるほどねえ」
「なるほどって、何が?」
「や、こっちの話。ま、ともかくメリー。強く封印されているなら、なおさら秘封倶楽部としては、開けないわけにはいかないでしょ。私たちは秘密を暴くものなんだから」
「――そう言うと思ったわよ。死んだらあの世で文句言わせてもらうわ」
 それでも、自分で開けるのは御免である。私は蓮子の背を押し、蓮子は扉の把手に手を掛けた。だが――。
「……開かないわ」
 蓮子が押しても引いても、スライドさせようとしても、扉はびくともしなかった。この強固な結界のせいだろうか。蓮子は私の方を振り返る。私はため息をついて、扉に歩み寄った。こういう結界に護られた入口を開けるのは、毎度私の役目なのだ。あの蓮台野探索のときから、それは変わらない。
 ええい、ままよ。私は結界の裂け目に指を引っかけるようにしながら把手に手を掛け、扉を引いた。――ひどくあっさりと、扉は軋んだ音を立てて開いた。

「――美鈴?」

 そして、その薄闇の中から響いてきたのは、ひどく幼い少女の声。
 開かれたドアの向こう、闇の中に浮かび上がったのは――。
 ぼんやりと七色に光る、結晶のような連なりの中に浮かび上がる――凶暴な、赤い瞳だった。





―15―


「こんばんは、初めまして。お邪魔いたしますわ。――貴方が、レミリアお嬢様の妹様かしら?」
 相棒が帽子を取って、闇の中に浮かんだ赤い瞳に向けて一礼する。
 その部屋の薄暗さに、私の目もようやく慣れてきて――そこに佇む少女の輪郭が、はっきりと形を為してきた。レミリア嬢よりさらに幼い少女だった。眩いばかりの金色の髪と、異形の存在であることを誇示するような赤い瞳。帽子や服装はレミリア嬢とよく似ているが、レミリア嬢が暗い赤みがかった白だったのに対して、彼女の着ている服はこの館のような真紅だ。そして何より――。
「だれ? 美鈴じゃない、お姉様でもない……パチュリーの使い魔?」
 少女は不思議そうに私たちを見上げて、そう首を傾げた。それはひどくあどけない仕草で、愛らしくさえあるのだが――その赤い瞳はひどく冷たく見えて、私はぶるりと小さく身を震わす。やはりこの子も、人間ではない、異形の存在なのだ――何しろ。
「残念ながら不正解ですわ。私たちは――そうね」
 と、相棒はいたずらっぽく笑って、私の方をちらりと見ると、
「――名探偵と、その助手ってところかしら?」
「めいたんてい?」
 いきなり何を言い出すのか。蓮子の言葉に、少女は半眼で蓮子を睨むように見つめた。
「お姉様、殺されちゃったの? それでわたしが犯人?」
「いやいや、まだ事件は起きてませんわ。そもそもこの宇佐見蓮子さんが、事件を未然に防いじゃうんだけれどね。名探偵だから」
 物騒なことを言い出す少女に、蓮子もわけのわからない言葉を返す。こっちの理屈で通じる話をしてほしいのだが、少女の方はそれで蓮子に興味を覚えたようだった。
「変なの。事件が起きなかったら名探偵の出番なんて無いじゃん。じゃあ、私が事件を起こす前に捕まえにきたの?」
「あら、捕まる心当たりでもあるの?」
「ううん。どうせもう捕まってるし」
「この部屋に?」
「そう。ここから出してもらえないの」
 私たちは顔を見合わせる。あの強固な結界は、やはりこの子を閉じ込めるためのものか。
「別に、外に出たいわけでもないけど」
 少女はベッドにぽすんと腰を下ろした。蓮子が後ろ手に扉を閉めて、少女の元へ歩み寄る。綿のはみ出たクッションが転がっていたので、私たちはその上に腰を下ろした。
 部屋の中を見回してみる。小さなランプの灯りだけが照らす、豪奢な廃墟という雰囲気の部屋だった。壁はあちこちひび割れ、床に散らばったぬいぐるみはどれもこれも手足や頭がとれて綿がはみ出している。その中で、壁のやや高いところに飾られた何枚もの鏡が妙に真新しい。吸血鬼は鏡に映らないというけれど、鏡には手を出せないのだろうか。
 ぱらぱらと何かが降ってきて天井を見上げると、天井に大きく凹んでいて、そこから真新しい亀裂が走っていた。さっきの揺れはひょっとして、この破壊のせいか。この少女も吸血鬼なら、天井ぐらい壊してもおかしくないかもしれない。
 しかし、この少女が暴れたのを美鈴さんが取り押さえ落ち着かせたのだとしても、随分と早業である。美鈴さんが地下に下りていたのはせいぜい10分かそこらだったと思うし、それから私たちがこの部屋に辿り着くまでの時間を加味しても、あの震動があってからまだ15分ほどしか経っていないはずだが。
「そういえば名乗り損ねてたわね。改めてはじめまして、妹様。私は名探偵の宇佐見蓮子。彼女は助手のメリー。妹様のお名前は?」
「フランドール」
「レミリアお嬢様の妹君なのね」
「そうよ。お姉様に言われて、ずっとここにいるの。495年ぐらい」
「495年?」
 私と蓮子の声が重なった。せいぜい20年弱しか生きていない人間には、想像もつかない時間である。まあ、吸血鬼は不老不死というから、500歳ぐらいでもあるいは若輩だったりするのかもしれないが――。
「だってお姉様がここにいろって言うんだもん。ねえ名探偵、蓮子だっけ。お姉様に会った?」
「ええ、一度ご挨拶しただけだけどね。お元気そうだったわ」
「そりゃそうよ。お姉様はお姉様だもん」
 理屈が通ってないが、ともかく彼女はレミリア嬢を随分と慕っているらしい。ここにいろと言われて500年近く何の疑問もなく閉じこもっているとすれば、いささか常軌を逸していると思うのは、人間の感覚に過ぎないのだろうか。
 ベッドに腹ばいになったフランドール嬢の背中で、その羽根がぴこぴこと揺れている。私はさっきから、彼女の羽根が気になって仕方なかった。レミリア嬢のコウモリ羽根とは明らかに異質な、ひどく奇妙な作り物めいた羽根をしている。いや、そもそもこれは羽根なのだろうか。背中から伸びる枝のようなものに、七色のクナイのような飾りがぶら下がっているのだ。その飾りは薄ぼんやりと光って、仄暗い部屋の光源になっている。宝石のようで美しいが、同時にそんな人工物めいた煌めきを背中に下げているというのが、ひどく生物として異質に見える。
「ところで、蓮子とメリーは何しに来たの?」
「妹様がいることは聞き及んでいたんだけど、紹介していただけなかったものだから、ご挨拶をしたくて探していたのよ」
「そうじゃなくて、この館に何しに来たの?」
「ああ、それはたまたま迷い込んだだけ。お嬢様にちょっとした楽しみを提案したら、しばらく滞在していいって言われたの」
「ふうん。お客さんなんだ」
 フランドール嬢は不躾な視線で私たちを眺め回す。その姿だけ見ていれば、愛らしい子供のように見えるのだが――やはりその目の剣呑さに、私は小さく唾を飲むしかない。
「でも、お客さんがこの部屋に来たの、初めてよ。どうやって来たの?」
「美鈴さんがさっき来たでしょう? ちょっとその後を追ってね」
「さっき? 美鈴なら前に来たの1週間前ぐらいだよ」
 私たちは顔を見合わせる。では、美鈴さんはこの部屋までは来なかったのか? それなら随分と早く戻ってきたことも説明がつくが……。
「妹様のお世話は美鈴さんがしてるの?」
「そうよ。おやつ持ってきてくれるし、遊んでくれるの」
 やっぱり、遊び相手というのは妖怪でなければ務まらないものではないのだろうか。
 と、フランドール嬢の目が、私を急にじっと見つめてきて、思わずたじろいだ。
「な、なに……?」
「それ、なに?」
 と、フランドール嬢が指さしたのは、私が膝の上に載せていた『そして誰もいなくなった』である。「あ、え、ええと」と私は慌てて、そのハードカバーを持ち上げた。この子も吸血鬼なら、機嫌を損ねたらどうなることか解らない。
「ほ、本よ」
「それは見れば解るわ」
「あーっと、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』……の原書、だけど」
「誰もいなくなるの? それどんなお話?」
 ようやく、目の前の相手が話の通じる存在として私の前に現れた気がした。本の話を振られたことでそう感じるあたり、自分でも多少どうかと思わなくはないが――。
「ええと……孤島の館に、《U・N・オーエン》という謎の人物からの招待で、10人の人間が集められるの。集められた彼らはそれぞれ、過去に他人を死に追いやったことがあって、その裁きと称して、10人が次から次へと何者かに殺されていくんだけど」
「名探偵?」
「名探偵……は出てこないけど、推理小説の古典的名作よ」
 ふうん、と鼻を鳴らすと、フランドール嬢はぴょんとベッドから飛び降り、私の元に歩み寄ってきた。剣呑な赤い瞳で間近から見上げられ、私は息を詰める。
「読んで」
「え?」
「その本、読んで」
「え、あ……わ、解ったわ。読むにはちょっと長いけど、大丈夫?」
「時間ならいくらでもあるよ」
 それもそうだ。500年近く閉じ込められていた少女に、本を読む数時間ぐらい大した時間ではあるまい。しかし、『そして誰もいなくなった』はそう長い話ではないとはいえ、読み聞かせるとなると何時間かかるのだろう。
「これは原書……英語だけど」
「大丈夫」
 フランドール嬢はベッドに戻り、ぽんぽんと横を叩いた。私は蓮子と顔を見合わせ、それから意を決して彼女の隣に腰を下ろした。
「美鈴に、ときどきこうやって本読んでもらうの。おやつ持ってきてくれるときとか」
「……お姉様は?」
「お姉様はこんなところまで来ないよ」
 何言ってるの? という顔でフランドール嬢は私を見上げる。ということは、レミリア嬢からはほったらかしにされているのか。それでもお姉様と慕っているのを不思議だと思うのは、人間の感覚に過ぎないのかもしれない。
「はやく読んで」
「あ、うん」
 相棒の方をちらりと見やると、相棒はクッションの上で足を組み替え、「メリーの朗読会ね」とリラックスした姿勢で笑みを浮かべた。なんでこの状況でそんなにくつろいでいられるのか。私個人としては人質の朗読会という気分なのだが。
 ともあれ、私は『そして誰もいなくなった』を開き、古びたその紙の匂いを嗅ぎながら、記された活字を追って、読み始めた――。

 が、ほどなくその読み聞かせは、突然のドアの開く音に中断させられた。
 まだ第一章を読み終えたばかりである。何事かと振り返れば、開け放たれたドアの向こうで、パチュリーさんがきょとんとした顔で、目をしばたたかせていた。
「パチュリーさん?」
「……貴方たちだったの。これはどういうこと?」
 半眼でパチュリーさんは私たちを睨む。どういうことと言われても、フランドール嬢に請われて本の読み聞かせをしているだけだ。睨まれるようなことは何も――いや、隠し部屋に忍び込んだことは十分に睨まれるに値することだ。
「いえいえ、ちょっと探検していたらたまたまここを見つけまして」
 蓮子が悪びれずにそう答えるが、「たまたま、ですって?」とパチュリーさんは眉をつり上げる。明らかに怒っている。
「この地下室を見つけるまでは解るわ、どうせ門番の不注意でしょう。だけど、この部屋の結界をどうやって――」
「あ、それは私が」
 思わず私は手を挙げていた。パチュリーさんは目を見開いて、私の顔をまじまじと見る。
「……あの結界を破ったの? どうやって?」
「いえ、ちょっと結界が緩んでたので、そこに手を引っかけたらするっと……」
「――――」
 唖然とした顔のパチュリーさん。と、傍らで小さくうなり声が聞こえて、私は振り向いた。フランドール嬢が、口を尖らせてパチュリーさんを睨んでいる。と、フランドール嬢は右手をパチュリーさんの方に伸ばして、その拳をぎゅっと握った。パチュリーさんが目を見開き、ばっと何かから逃れるように、思いがけず俊敏な動作でその場を飛びしさる。
 ――次の瞬間、パチュリーさんの背後にあった熊のぬいぐるみが、ぱっと弾けた。
 文字通り、内部から爆発したように、綿を巻き上げて四散したのだ。
「邪魔」
「――妹様」
「メリーに本読んでもらってるの。帰って」
 刺々しい声でフランドール嬢がそう言い放つ。その声の酷薄さに、私はこの子が吸血鬼であることを思い出して、小さく身震いした。今のぬいぐるみの爆発も、彼女が何か特殊な力を使ったのだろうか。――もしそれが自分に向けられたら?
 ばらばらの残骸になって散らばったぬいぐるみをちらりと見やって、改めて自分が猛獣と同じ檻の中にいることを思い知り、しかし身動きもできず、私は凍りつくしかない。
「……ふたりとも、あまりこの部屋に長居するのはお勧めしないわよ」
 パチュリーさんはそう言い残して、厳しい表情のまま部屋を出て行く。ドアが閉まるのを待たず、フランドール嬢は私の顔を覗きこんで、「続き!」とねだってきた。断れば、私もあのぬいぐるみの仲間入りだろう。是非もない。
 私は息を吐いて、続きを読み始めた。最後まで読み終わるか、あるいは途中でフランドール嬢が寝入ってでもくれない限りは、この地雷原を目隠しして歩くような状況から逃れる術はなさそうである。腹を括るしかない。――相変わらず平然とした顔でこっちを見ている相棒に、私は胸の中だけで小さくため息をついた。





―16―


「『だが、そうなると、いったいぜんたい、誰が十人を殺した犯人なのだ』――」
 子供相手の読み聞かせなど、考えてみれば初めてだというのに、せがまれ続けること何時間だろうか。ようやく、最後の犯人の告白の手前まで読み終えて、私は思わず息を吐き出した。喉が渇いたが、飲み物はなさそうだ。人間の血を出されても困るし。
「ホントに全員いなくなった」
 フランドール嬢は、きょとんとした顔で私を見上げる。そうだろう。私も初めて読んだときは、その趣向こそ知っていたものの、本当に誰が犯人なのか解らないまま文字通り全員が死んでしまって、途方に暮れたものだ。
「そうね、全員いなくなっちゃったわね」
「じゃあ誰が全員を殺したの?」
 それはこの後――と言おうとしたところで、蓮子が猫のような笑みを浮かべて口を挟んだ。
「さあ、妹様は誰が犯人だと思うかしら?」
「最後に首を吊ったやつでしょ」
「それはさっき、警察の捜査パートで、最後のひとりが首を吊ったあと、踏み台にした椅子を誰かが片付けているから違う、って否定されたわよ」
「むぅ」
 フランドール嬢は頬を膨らませて、ぼふんとベッドに倒れ込んだ。
「蓮子は誰が犯人だか解ってるの?」
「そりゃあ、名探偵ですから」
 読んだことあるからでしょ、とは言わないでおく。まあ、そう突っ込んでも相棒の場合、「初読で犯人当てたわよ、残念ながらね」と平然と返しそうだが。
「むー。わかんない!」
 寝転がっていたフランドール嬢は、跳ね起きて私の元ににじり寄る。
「あれでおしまい?」
「……ううん、この後に犯人の告白があるわ」
「読んで!」
 目を輝かされると、悪い気はしない。私はまたページを開き、その続きを読み始めようとしたが――再び、それは扉の開く音に中断させられる。
「申し訳ないけれど、そこまでよ」
 扉を開いたパチュリーさんは、私たちを睨むようにしてそう言った。
「宇佐見蓮子、マエリベリー・ハーン。この部屋を出てもらうわ」
「え、でも――」
「それとも、妹様と一緒に数百年この部屋に閉じこもる?」
 私は蓮子と顔を見合わせる。どうやら、何か不都合が起きたらしい。フランドール嬢の方を振り向くと――息が止まりそうになるほど凶暴な表情で、彼女はパチュリーさんを睨んでいる。
「――壊すよ」
 ばきっ、と何かが砕ける音。パチュリーさんの背後で、扉が一部爆発したように抉れた。
 だが、パチュリーさんは今度は平然と、微動だにせずにフランドール嬢を見つめる。
「残念だけれど、おいたはそこまでよ、妹様」
 パチュリーさんが抱えていた魔道書を開き、何か呪文を唱えた。――瞬間、この部屋に張り巡らされた結界が、火花を散らすように輝いた。閃光が走るように、部屋中の結界が私の目に浮かび上がる。幾何学模様の網のような結界――。それと共鳴するように、フランドール嬢の羽根が、七色に煌めく。
「――――ッ」
 次の瞬間、フランドール嬢が目に見えない何かに縛られたように両腕を封じられた。唸るような声をあげてパチュリーさんを威嚇するフランドール嬢。だが、パチュリーさんは無言でその元に歩み寄り、その額に指先を突きつける。
 ぱちっ、と火花が散り、次の瞬間、フランドール嬢はぱたりとベッドに倒れ込んだ。
「眠っていただいただけよ」
 パチュリーさんはそう言って、目で私たちを促す。フランドール嬢は既に戒めも解かれ、ベッドですやすやと安らかな寝息をたてていた。抵抗したら、次は私たちが眠らされるのかもしれない。いや、眠らされるぐらいで済めば御の字か――。
 私はため息をついて、蓮子と視線だけで頷き合った。そもそも勝手に妹様の部屋に潜入したのは私たちなのであり、それを咎められれば少なくとも私には返す言葉はない。蓮子とは違うって、私は良識人なのである。とりあえずは。
「……ごめんね。最後は、自分で読んで確かめてね」
 眠るフランドール嬢にそう呼びかけて、私は『そして誰もいなくなった』を彼女の枕元にそっと置いた。そして蓮子とともに、パチュリーさんに促されて部屋を出る。――軋んだ音をたてて閉ざされた扉は、二度と開かれることがないかのように沈黙だけをその場に残した。
「それで、何かあったんですか?」
 相変わらず宙を滑るパチュリーさんの後ろを歩きながら、蓮子がそう問う。
「鼠が2匹、妹様の部屋に潜り込んだわね」
「これは失敬」
「まあ、いいわ。妹様が美鈴以外の相手をこんな長い時間壊さずにいただけでも驚きだもの。貴方たち、結界破りといい、いったい何者なの?」
「さて――世界の秘密を暴く者、とでも言いましょうか」
 芝居がかった動作で蓮子がそう言うと、パチュリーさんは小さく肩を竦める。
「暴かれる方はたまったものじゃないわね」
「この館には、まだ暴かれて困るような秘密が?」
「それ以上の詮索は、レミィのパイになりたくなければ止めておくことね」
 じろりと睨まれ、蓮子は首をすくめて引き下がる。
「まあ、今はそれどころじゃないんだけれど。早く図書館に戻らなきゃ。貴方たちは咲夜に従って、どこかに隠れていることね。どうせ門番はそう長くは保たないでしょうし」
「隠れる?」
「吸血鬼ハンターでも攻めてきたんですか?」
 私たちがそう問うと、「当たらずとも遠からず、ね」とパチュリーさんは飄々と答えた。
「博麗の巫女と――もう1匹、妙な鼠が動き出したようだわ」

 ――はくれいのみこ。
 その聞き慣れない単語に、しかしなぜか、不思議と心がざわめくものを感じた。
 それが何故なのかは、私には解らなかったのだけれど。





―間章―


 妖怪の山の方角から、怪しい妖霧が博麗神社に流れ込んできたのは、夕方のことだった。
 神社の縁側で、午後のお茶を飲んでいた博麗霊夢は最初から、それがただの霧ではないことに気付いていた。禍々しい気配。普通の人間が長時間触れれば、肉体や精神に変調をきたしかねないような妖気が、その紅い霧には満ちている。
 数日前から、妖怪の山の方に妖しい霧が出始めていることは認識していたが、神社の方まで流れてくるとなると、さすがに他人事ではない。紅の霧は太陽を覆い、夏の熱気さえも包み隠してしまう。急に肌寒くなって、霊夢はひとつくしゃみをすると、最初に庭に干していた洗濯物を取り込むことにした。
 既に乾いていた洗濯物を畳んで片付け、それから霊夢は苛立たしげに霧を睨んだ。洗濯物が乾かないのは困るし、暑いのも困るが、夏場に寒いのだって同じぐらい迷惑だ。
 霧は神社の周辺を既に覆い尽くし、ゆっくりと人里の方角へ流れて行っている。こんな妖気に満ちた霧が人里に流れ込んだら、里の人間にどんな影響が出るか解ったものではない。
 いったい、こんな悪戯をするのはどこの不届き者の仕業だろうか。
「こうなったら、原因を突き止めるのが巫女の仕事ね」
 やれやれ、と霊夢は立ち上がり、お札とお祓い棒を取りだした。巫女の勘は、山の麓にある湖の方が怪しいと告げている。
 一面の妖霧の中、直感だけを頼りに博麗霊夢は出発した。異変の元凶を目指して。


       ◇ ◆


 同じ頃、霧雨魔理沙は魔法の森の上空を、自宅に帰るために飛んでいるところだった。
「おん? なんだありゃ」
 幻想郷の西側に広がる魔法の森。そこから北東の方角、妖怪の山の麓に、紅の霧が満ちている。あそこの湖はいつも霧で覆われているから、それが夕焼けに染まっているのかとも思ったが、それにしてはあの霧の紅さは尋常ではない。
「そういや、あの湖にゃ最近、妙な紅い館が建ったっけな……」
 霧の湖は歪な楕円形をしているが、その西側の一部が凹んでいて、半島のようになっている。怪しい紅の館は、その半島部分に建っている。湖の畔とも言えるし、湖の中の島とも言えるような中途半端な場所だ。なぜあんなところに、誰が館を建てたのか。前々から気になってはいたのだが――。
 この紅の霧は、その館を建てた連中の仕業だろうか?
 魔理沙は視線を巡らす。紅の霧は風に乗ってか、東の端にある博麗神社の方角にも既に流れ込んでいた。神社があの霧に覆われているとなれば、あいつも動き出しているかもしれない。
 博麗霊夢。幻想郷の秩序を守る巫女でありながら、自分に迷惑が掛からない限りは滅多に腰を上げない、マイペースな幼なじみ。この怪しい霧も、自分の生活圏を脅かさなければ、霊夢は人間から相談が無い限り放置しただろうが――。
「よし、私もちょっくら見に行くか」
 帽子を目深に被り直すと、魔理沙もまた、箒を駆って湖へと急いだ。
 霧の中心に佇む、紅の洋館を目指して。

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この小説へのコメント

  1. そして誰もいなくなったはこういう風に使われるのか
    楽しいことになってきた

  2. ついに霊夢と魔理沙も動き始めましたか。この後の展開が楽しみです。

  3. ギャラリーから、ほのぼのした読み聞かせかな?と思ったがそんなことはなかったぜ!(^▽^;)
    いよいよ紅魔郷本編開始!原作には居なかった秘封倶楽部の立ち回りが楽しみです!

  4. 読み聞かせがスペカにつながっていったのかな・・・?
    それにしてもリネン室の妖精メイドかわいいwww
    次回も楽しみにしています!!

  5. 地の文と秘封の二人のセリフがとてもユーモアに溢れていて楽しく読めました。
    続きがとても楽しみです。

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