東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第14章 深秘録編   深秘録編 6話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第14章 深秘録編

公開日:2021年03月13日 / 最終更新日:2021年03月13日

―16―

 博麗神社。
 私たちにとっては日常的に足を運ぶ場所だが、実際のところ、一般的な里の人間にとっては言うほど身近な場所でもない。そもそも身近であれば、博麗神社が参拝客不足に悩むこともないのである。
 足を運ぶには里の外に出てそれなりに歩かないといけない点。そして、妖怪が寄りつく妖怪神社という風評。この二点だけでも里の人間の足を遠のかせるには充分だが、しかしそれを言ったら命蓮寺も条件は近い。それなのに、長年人間の里を守る妖怪退治の実績も豊富な博麗神社が不人気で、新参者の命蓮寺が里で一定の地位を獲得しているのは、結局のところ、御利益の実感があるか否かなのだろう。
 命蓮寺には寅丸星さんというありがたい本尊が構え、聖白蓮さんがわかりやすく仏教の教えを説き、人心のケアに余念がない。その一方、博麗神社は御利益も祭神すらも判然とせず、足を向けてもただ賽銭を投じて帰ることぐらいしかできない。
 加えて、霊夢さんが解決する異変が、里に直接的な被害をもたらすことは意外と多くない。結果、里の人々にとって、霊夢さんに里が守られているという実感は薄いのである。
 もちろん、里で妖怪絡みのトラブルがあれば、話が行くのはまず霊夢さんのところだ。博麗の巫女の知名度はあるので、霊夢さんが里に現れて、邪険にする人間はそういない。しかし、だからといって信仰を集めるわけでもない。まだ現人神モードで布教しているときの早苗さんの方が尊敬を集めているのは、私たちからすると不思議ではあるのだが――。
 言うなれば、博麗神社は里の人々にとって、存在があまりにも当たり前すぎるのかもしれない。幻想郷には、妖怪を退治する博麗の巫女がいる。それは空気のようにわざわざ存在を認識するまでもないことで、特別な信仰には結びつかないのだろう。
 逆に言えば、博麗神社の存在は里の人々にとって無意識レベルに刷り込まれた安心装置なのかもしれない。考えてみれば、妖怪退治の神社が、妖怪の寄りつく妖怪神社と呼ばれているという大いなる矛盾を抱えているのに、霊夢さんが妖怪と結託した人間の敵と見なされることもなく、妖怪退治の巫女という認識が維持共有されているのも不思議な話だ。多少霊夢さんが退治した妖怪と親しくしていても、揺るがないほど強固な刷り込みなのか。
 だからこそ博麗神社は、あれだけ参拝客が少なくても、妖怪神社と呼ばれても泰然自若と構え続け、霊夢さんの博麗の巫女としての立場も揺るがないのだろうか。
 閑話休題。
「よう――って、お前らまたそいつ連れてるのか。最近いつもじゃないか?」
「やあやあ魔理沙ちゃん。まあこっちも色々事情があるのよ」
 のらくらと渋る易者さんを博麗神社に連れ出すのに、相棒が駆使した口八丁はわざわざ詳述することもない。その日、私たちは易者さんを連れ、四人で博麗神社を訪れていた。神社の裏手に回ると、縁側にいつもの霊夢さんと魔理沙さんの姿。
「どんな事情だよ。大の大人の男が乙女の秘密の園を荒らし回るもんじゃないぜ」
「誰が乙女よ誰が」
 霊夢さんが半眼で魔理沙さんを睨んで言い、それからじろりと易者さんを見やった。易者さんは少したじろいだように視線を逸らす。
「ふうん――魔理沙から聞いてたけど、あんたたちが里の男連れ回してるっていうからどんな人間かと思ったら、なんだか冴えないわねえ。いやまあ、これでイケメン連れて来られても反応に困るけど。どういう関係?」
「まあ、暇人同士の暇潰し同盟みたいなものね」
「なんでもいいけど、あんまり里の人間を妖怪の世界に引っ張り込むんじゃないわよ。ただでさえあんたたちは妖怪じみてるんだから」
 蓮子をひと睨みして、霊夢さんは泰然とお茶を啜り、なにげなしに言う。
「――退治しないといけない妖怪を増やすのだけは勘弁して頂戴」
 その言葉に――易者さんが、一瞬ぎくりと身を竦めたことに、私は気付いた。おそらく、蓮子も気付いただろう。だが、蓮子はそれについてはそれ以上何も言うことなく、帽子を目深に被り直した。
「ま、そのへんの付き合い方は私たちは弁えてますわ。ねえ早苗ちゃん」
「いや、私に振られましても。というか私としてはこの人早くどっか、妖怪のところでもいいから引き取って欲しいんですけど! せめていい加減どっかに就職したらどうですか。働かざるもの食うべからずです!」
 むすー、と頬を膨らませて言う早苗さんに、易者さんは肩を竦める。易者さんを連れ回すようになって数ヶ月、早苗さんの態度は一貫してこれである。易者さんももう早苗さんに邪険にされるのも慣れた様子だった。
「まあ確かに、いつまでも無職ってわけにもいかないわよねえ。うちの寺子屋で先生やる?」
「……やらん。ガキの相手は嫌いだ」
「だそうなんだけど。魔理沙ちゃん、なんか彼のいい就職先知らない?」
「あー? 白蓮か神子のところにでもぶちこんでやれよ。どっちも喜んで弟子にするだろ。ていうか、なんで易者辞めたんだ? お前の占術、変わってて面白かったんだけどな」
 魔理沙さんに見上げられて、易者さんは困ったように視線を逸らした。
「……破門されたからだ」
「独立すればいいじゃないか。里の易者はみんな大先生の下にいなきゃならんってわけでもないだろ」
「別に……そこまで易者の仕事に執着があったわけじゃない」
「ふうん?」
 魔理沙さんは鼻を鳴らし、易者さんを見上げる目を眇めた。
「ま、お前がそう言うならそういうことにしといてやるぜ。人間、諦めが肝心なときもあるわな。だからって蓮子のところはやめておけよ、博麗神社以上に儲からない探偵だからな」
「いやあ、博麗神社の参拝客よりは依頼人がいると思うけど」
「あんたたちね」
 じろりと霊夢さんが蓮子と魔理沙さんとを半眼で睨んだ。「おおこわ」と魔理沙さんは箒に跳び乗ると、ひらりと神社の屋根の上へと舞いあがる。屋根の上で足をぶらぶらさせる魔理沙さんを見上げて、霊夢さんは溜息をひとつつくと、お茶を飲み干して大きく伸びをした。
「要するに、あんたたちはこの人間の引き取り手を探してるわけ?」
「まあ、最終的にはそういうことになるのかしらね。彼が無職なのは紛れもない事実だし」
「…………」
 むすっとふて腐れたように易者さんは黙りこむ。
「なら私のところじゃなく、もっと他を当たりなさいよ」
 と、霊夢さんが鼻を鳴らした、そのとき。

「――だったら、そこに私が立候補してもいいかしら?」

 と、唐突に第三者の声が割り込んだ。皆の視線がその声を振り向く。博麗神社を取り囲む森の中から姿を現したのは――ときどき神社や里で見かける仙人の女性。茨華仙さんだった。
「華仙。なにあんた、いきなり現れて」
 霊夢さんが向ける訝しげな視線を受け流し、華仙さんはにこやかな笑みを浮かべて、易者さんへと歩み寄る。その笑みに気圧されたように、易者さんは一歩後じさるが、華仙さんは逃がさないとばかりにぐっと距離を詰めて、彼を見つめた。
「はじめまして。茨華仙と申します」
「――――」
「貴方、私のところで仙人の修行をする気はない?」
 その言葉に、易者さんを含めたその場の全員がきょとんと目をしばたたかせた。




―17―

「……仙人? あの胡散臭い宗教家の仲間か?」
「豊聡耳神子のことなら、別口だから安心して頂戴。あのような生臭い欲にまみれた仙人ではなく、より正しく天道を往く仙人の道。俗世から距離を置きたいならピッタリよ。いかが?」
 にこやかに、あくまで笑って――けれどどこか、有無を言わさぬような押しの強さでもって、華仙さんは易者さんに迫る。易者さんは目を白黒させながら後じさった。
 私たちも顔を見合わせる。――どうしてここで急に、華仙さんが出てくるのだ? というか、彼女は太子様と違って、人間の弟子は取らずにひとりで修行していると聞いていたが……。
「なんで……俺に、そんな」
「あら、だって貴方――」
 すっと目を細め、華仙さんは剣呑な笑みで、易者さんを見つめた。
「人間の里が、嫌いなんでしょう?」
「――――――」
「私の修行場は妖怪の山。他にいるのは動物ばかり。貴方にはピッタリだと思うけれど」
「ちょっと華仙、急にどうしたのよ。あんた、人間の弟子なんて取ってなかったじゃない」
 霊夢さんが訝しげな視線を向ける。華仙さんは苦笑して、ひとつ肩を竦めた。
「まあ、私もまだまだ修行中の身だけれど。それはそれとして、自分の修行の成果を知るうえで常在の弟子のひとりぐらい居てもいいかと思ってね。もちろん、今すぐ俗世との関わりを絶って山に籠もれとは言わないわ。でも、他にすることもないなら、数日体験入門してみない?」
 霊夢さんに答え、それからまた易者さんに向き直って、華仙さんはどこまでもにこやかに勧誘の手を差し伸べる。その強引さを訝しむ私たちに――刹那、華仙さんが目配せをした。
 その目配せを受けた瞬間、蓮子ははっと息を飲み、それから――にこやかに、易者さんの背中を叩いた。
「いい話じゃないかしら? ねえ、仙人よ仙人」
「な、なんだお前まで」
「ねえ早苗ちゃん、いい話よね?」
「え? あっはい、私はなんでもいいです!」
「ほらほら、いつまでも無職ってわけにもいかないんだし、里の中で再就職する気がないなら、渡りに豪華客船の申し出よ?」
「――ちょっと待て、まさかお前ら示し合わせて」
「そんなことございませんって。たまたまよ、たまたま。――ねえ華仙さん」
「ええ。こちらにとっても有難い偶然だったわ。まあ、仙人の修行というのがどういうものか、まずは実地に見てもらいましょうか。彼、このまま借りていいかしら?」
「どうぞどうぞ」
「じゃあ、ちょっと飛ぶわよ」
 と、華仙さんは有無を言わさずに易者さんを小脇に抱えると、その場から高く跳び上がり、どこからか飛んできた大鷲に掴まる。
「それじゃあ、ごきげんよう」
「ちょっ、待っ、なんだこれ、おい、離せ――っ!」
 易者さんのそんな悲鳴が、大鷲の姿とともに妖怪の山の方角へ遠ざかっていき――そうして、風のように華仙さんは、易者さんを拉致していってしまった。
 ぽかんとその様を見送っていた私は、慌てて蓮子のコートの袖を引く。
「ちょ、ちょっと蓮子、どういうこと? これでいいの?」
「――そう言われてもね。つまり、そういうことだったみたいね」
 蓮子は――その顔から笑みを消して、自嘲するようにひとつ息を吐いた。
「そういうこと、って」
「私たちの役目は、たぶんここまでだったってことよ。――なるほど、周到だわ」
 謎めいたことを言って、蓮子はくるりと踵を返した。
「霊夢ちゃん、お騒がせしてごめんなさいね。帰るわ」
「――え? あ、うん、ってあんたたち、華仙と何か示し合わせてたわけ?」
「いやいや全く、私も華仙さんが彼をいきなり連れ去ってびっくりしてるところよ。でもまあ、私たちがあちこち連れ回し続けるより、こっちの方が良かったんでしょうね」
 苦笑するように肩を竦め――そして、蓮子は帽子を前が見えなくなりそうなほどに目深に被り直して、「それじゃあ」と歩き出してしまう。私は早苗さんと顔を見合わせ、慌ててその後を追った。去り際に振り返ると、霊夢さんと魔理沙さんが不思議そうな顔を見合わせていた。

「しょ、所長、結局どういうことなんです?」
 神社の石段を半ば過ぎまで下りたところで、追いついた早苗さんが息を切らせて蓮子の背中に問いかける。足を止めた蓮子は、ひとつ大きく溜息をついた。
「単純な話よ。あまりにも単純な。自分がその可能性を考えてなかったことに笑っちゃうほど、名探偵と名乗るのが恥ずかしくなるような可能性の見落とし」
 そう言って、振り向いた蓮子は――疲れたような顔をして、吐き出すように言った。
「妖怪の賢者から彼を救えという依頼を受けてたのは、私たちだけじゃなかった」
「――――」
「考えてみればそれもそうよね。私たちだって四六時中彼を見張っていられるわけじゃない。妖怪の賢者がどういう理由で彼を救おうとしたにせよ、彼が抱えていたであろう何らかの企みを阻止するなら、いっそ彼を完全に里から隔離して、常に誰かの目が行き届く場所に置いておくのが無難だわ。命蓮寺や神霊廟だと里の人間がいるし、そうすると他に弟子のいない華仙さんが適任だったってことなんでしょうね。妖怪の賢者と華仙さんの間にどんな繋がりがあるんだかは知らないけど――」
 能天気な休日の、晩夏の青空を見上げて、蓮子は目を眇める。
「私たちの役目は、人間の里から彼を見つけ出して、同じ依頼を受けていた華仙さんのところまで連れて行くこと。――それだけだったんだわ」




―18―

 ――さて、盛り上がりに欠けること甚だしいが、この後しばらく、私たちの近辺に動きはなかった。いつも通りの日常が戻ってきた、とも言える。華仙さんに連れ去られた易者さんの姿を見ることもなく、寺子屋で授業をして、事務所でだらだらと過ごす、いつも通りの平穏な日々。妖怪の賢者からの、宇佐見菫子さんに繋がる依頼など、まるで無かったかのように。
 結局、未だ宇佐見菫子さんが幻想郷に来る気配もない。
 そんな生活の中で、我が相棒がどうしていたかというと――。
「蓮子さん、なんか最近元気なくないです? 夏バテですか?」
「もう秋口よ。――あれはただ、自分が歯車のひとつでしかなかったって現実を受け入れたくなくてふて腐れてるだけよ。名探偵を自称しちゃうような自意識過剰人間の挫折図」
「現実逃避主義者のメリーにだけは言われたくないわねえ」
 事務所の畳の上にごろごろと寝転がったまま、蓮子はやる気のない声で答える。――そう、易者さんが華仙さんに連れて行かれてから、蓮子は露骨にやる気をなくしていた。易者さんの件が尻切れトンボで終わったことがいたくご不満らしい。
「当たり前じゃない。いよいよもって私たちがこの世界に連れて来られた理由という、私たち自身の最大の謎に迫ろうかと思ったのに、その最大の手がかりをいいところでトンビに攫われたのよ? さすがの蓮子さんだってモチベーションの低下が甚だしいわ」
「トンビじゃなくて大鷲だったけどね。いいじゃない、華仙さんがあんな強引に易者さんを連れて行ったってことは、私たちは正解のルートを辿ったってことでしょう? 妖怪の賢者からまだ連絡はないけど、依頼は達成されたってことで」
「納得いかないわ! 大叔母さんと易者さんの感動的な再会を演出するプランをせっかくあれこれ考えてたっていうのに」
 起き上がった蓮子は、畳の上に胡座をかいて頬を膨らませる。やれやれ。
「私は安心しましたけど」
 と早苗さん。蓮子は早苗さんを見やって肩を竦める。
「早苗ちゃん、結局最後まで易者さんのこと警戒してたわね。早苗ちゃんの心配してるようなことなんてなかったでしょう? もうちょっと仲良くしてあげても良かったのに」
「いやまあ、おふたりの間には誰も入りこめないということは充分解ったからそれはもういいんです! いいんですけど……」
 言いかけて、早苗さんはふっと視線を落とした。
「……私は、おふたりが幻想郷に来た理由なんて、どうだっていいんです」
 そして、ぽつりと、呟くように言った。
「だって……おふたりが何かをするために幻想郷に来たんだったら、それが済んだら……元の未来へ、帰っちゃうってことじゃないですか……」
 ぎゅっと膝の上で拳を握りしめた早苗さんの言葉に、私と蓮子は顔を見合わせ、
「あーもう、早苗ちゃんったら可愛いんだから!」
 相棒が、その肩をぎゅっと突然ハグして、早苗さんは目を白黒させる。
「れっ、蓮子さん?」
「もー早苗ちゃん、あんまりそういう可愛いこと言うと本気でメリーとの間に挟んじゃうわよ」
「だ、ダメですー! 私は壁でいいですからー!」
「馬鹿言ってないの。……今さら元の世界に帰されても困るわよねえ、蓮子」
「ま、そうねえ。妖怪の賢者が私たちをどうする気なのかは知らないから、ひょっとしたらいきなり元の時間に戻される可能性も否定はできないけど――ていうか、このまま私たちが幻想郷で一生を終えたら、二〇八〇年代の私たちの存在はどうなるのかしらね?」
「知らないわよ、そんなSF的なことは。物理学者さんにお任せしますわ。相対性精神学的には私の認知できないものは存在しないのと同じだから、私たちがここに来たときより先の歴史は存在しないのと同じだもの。どういう扱いになろうが一緒よ」
「相変わらず投げやりな思考回路ですこと。――ま、絶対いなくならないなんて保証はできないけど、早苗ちゃんに何も言わずに消えたりはしないし、私たち自身は幻想郷に骨を埋める方向で考えてるから、安心して頂戴。ね?」
「……約束ですよ?」
「うん、約束約束」
 指切りげんまんをする蓮子と早苗さん。全く、微笑ましい光景である。
 私がそれをぼんやりと眺めていると――不意に、事務所の戸が開いた。
 私たちが振り返ると、そこには。
「……よお」
 数週間ぶりに見る、易者さんの姿があった。
 また、随分と唐突な帰還である。私たちは目をしばたたかせ、そして蓮子が立ち上がる。
「あらあら――どうしたの? 華仙さんのところまで破門になっちゃったとか?」
「馬鹿言え。……身辺整理に戻ってきたんだ。どっかの誰かさんのせいで、本格的に弟子にされることになっちまったからな」
「――弁解しておくけど、ホントに私、華仙さんとは何の共謀もしてなかったのよ? いきなり弟子にするって言い出して、びっくりしたのはこっちも一緒」
 肩を竦める蓮子に、「どうだかな」と易者さんは疑いの眼差しを向ける。
「妖怪の賢者やらお前らやら、あの仙人やら――いったいどうして、よってたかって俺なんかに構うんだ。俺はそんな大層な存在なのか? てっきり取って食われる方だと思ってたぞ」
「さあねえ。――で、こっちからも聞くけれど、本気で仙人になる気なの?」
「さてな、わからん。……まあでも、あいつに会わずに済む口実にゃなる」
 易者さんの言葉に、蓮子は目を見開く。
「あいつって――菫子さん?」
「ああ。……お前らはどうせ、あいつが幻想郷に来たら、俺と引き合わせてやろうとか考えてたんだろう? 生憎だが、それだけはお断りだ。――俺は、あいつに軽蔑されたくないんでね」
 眉を寄せた蓮子に、易者さんは懐から何かを取りだして、すっと差し出した。
 それは――和綴じの、一冊の本だ。
「お前らに、これを預かってほしい」
「……これは?」
「お前らのせいで頓挫した、俺の計画の残骸だよ。――お前らが来なければ、俺は人間を辞めて、妖怪になるつもりでいた」
「――――――」
「占術を通してあいつと話して、外の世界を知って、妖怪に管理された人間の暮らしが馬鹿馬鹿しくなってな。人間を辞めようと思ったんだよ。博麗の巫女に退治されないように、里の人間にゃ危害を加えない、無害な妖怪にな。……何にも縛られない妖怪になれば、この退屈な幻想郷でも、もう少しマシな生活が出来ると思った。――だってのに、いきなりお前らが押しかけてきて、気が付いたら妖怪どころか仙人の弟子だ」
 ことさらに軽い口調で、皮肉げな笑みを浮かべて、易者さんは語る。
「まあ、それでもあいつが来るまで、里にしがみついて平々凡々たる人間でいるよりは、いくらかマシだろう。もしバレたとしても、あいつだって、まあ納得してくれるはずだ」
「……易者さん」
「宇佐見蓮子。……あいつは必ず幻想郷に来る。あいつにはそれだけの力と知恵があるはずだし、それ以上に、あいつは外の世界に飽いている。あいつの常識の外側にある不思議を強烈に求めている。――だから俺は、あいつと話をしたんだ。同じ、世界に飽いた者同士。今とは違う、別の在り方を求めた仲間だったから」
 蓮子が、差し出されたその本を受け取る。易者さんはふっと笑った。
「だから俺は、里の人間のままでいるわけにはいかないんだ。あいつが外の世界の常識を打ち破って幻想郷に来たっていうのに、俺がこの里に留まって、里の常識に迎合したままで出迎えてみろ。――夢と希望に溢れた別の世界を見つけたあいつに、そんな失望を与えられるか? 俺は、あいつが俺を探しに来ても、もう見つからない場所に居なきゃならないんだ。俺とあいつが同じ種類の人間だったってことを、最後まであいつに証明してやらないといけない。それが、あいつに幻想郷のことを教えた俺の責任ってやつだ。妖怪であれ、仙人であれな」
「…………」
「だから、あいつに会ったら、俺のことは知らないと言ってくれ。どこで何をしているのか、もう誰も知らないと。それであいつは納得するはずだ。俺もまた、この世界に飽いて別の在り方を見つけたんだと。もしそれ以上にあいつが俺に執着して探し出そうとするようなら、ま、それはあいつの自由だけどな。……それだけ言いに来た。じゃあな、探偵さん」
 そして、易者さんはひらひらと手を振り、踵を返す。
 事務所を出て行こうとするその背中に、蓮子はその本を手にしたまま、呼びかけた。
「易者さん!」
 彼が足を止める。振り返らないその背中に、蓮子は。
「――最後に、本当のお名前、教えてもらえません?」
 その言葉に、彼は首だけで振り返って。
 今まで見た中で、一番いい笑顔で、一言、答えた。
「やなこった」

 ――そして、易者さんは事務所の戸を閉めて、その足音が遠ざかっていく。
 この記録を書いている時点で――それが、私たちが彼の姿を見た最後だった。
 だから私たちは、未だに彼の、名前も知らない。

 その本を手にしたまま立ち尽くしていた蓮子は――不意に、大きく息を吐き出してその場に座り込んだ。私たちが歩み寄ると、蓮子は手にした本を見下ろして、ぎゅっと目を瞑る。
「蓮子」
「……所長、どうしたんですか。いやあの変な想像してるわけじゃないですけど」
 早苗さんが余計な一言を添えつつその肩に手を置くと、蓮子は顔を上げ、目を眇めた。
「――これにて、任務完了ってことよ」
「え?」
「妖怪の賢者が、大叔母さんに絡んで、彼を救えと私たちに依頼した理由。ある程度までは予想がついてたけど……これではっきりしたわ。妖怪の賢者が救おうとしてたのは、やっぱり大叔母さんだったのかもしれない」
「えっ、どういうことです?」
「簡単な話よ。彼が今語った、彼自身の最後の秘密。――人間を辞めて、妖怪になろうとしていたという計画。それが、彼が今まで隠していたことだったんだわ。まあ、だいたいその類いの計画だろうとは想像してたけどね……」
 立ち上がった蓮子は、彼が渡した本を大事そうに抱えたままこちらを振り返り、そして畳の上に腰を下ろす。本を畳の上に置いて、その上に手を載せ――目を伏せて、蓮子は語る。
「ねえメリー、霊夢ちゃんが私たちにたびたび言ってたこと、覚えてる? 私たちが異変に首を突っ込むことに対する警告として」
「覚えてるわよ。人間以外のものになろうとするな――でしょう?」
 そう、霊夢さんはいつも、異変に首を突っ込む私たちに対して、そう警告していた。妖怪に近付きすぎて、妖怪になってしまわないようにと。
 ――博麗の巫女は、妖怪退治の巫女だ。
「え、じゃあつまり、八雲紫が阻止したかったことって……」
「そう。――易者さんが妖怪になって、霊夢ちゃんに退治されてしまうことよ。それが、私たちのよく知るような、異変を起こした妖怪に対する格付け的な意味での退治ではなく、妖怪としての死や、あるいは封印という意味での退治だったとしたら?」
「ええ? 霊夢さん、普段そこまで断固とした退治はしてない印象ですけど」
「でも、博麗の巫女には前例があるのよね。たとえば、魔界に封印された白蓮さんっていう。そういえば白蓮さんも、人間を辞めて妖怪になった人だったわ」
「……ああ、そうか、そういうことね」
 蓮子が何を言いたいのか理解して、私は息を吐く。
 なるほど――妖怪の賢者のあの依頼は、つまり二重、三重の意味を持っていたわけだ。だから、「ある人間」なんて婉曲的な表現を使って、対象を指定しなかった。それは、ミステリ的なフェアネスと言っていいのだろうか?
「もし、大叔母さんが幻想郷に来て、易者さんの様子を知ろうとしたとき――彼が、妖怪になって、霊夢ちゃんによって退治されてしまっていたら? 大叔母さんが、その事実を知ってしまったとしたら」
「……宇佐見菫子さんが、霊夢さんと対立しかねない」
「そう。自分を幻想郷に導いた恩人を殺した犯人として――。妖怪の賢者が怖れたことは、きっとそれだったんだわ。外の世界の人間が、幻想郷の要である博麗の巫女の敵になること――」

 だとすれば、妖怪の賢者が救いたかったのは、果たして誰だったのだろう?
 易者さんを救うことで……彼女は、誰を守ろうとしたのだろう――?

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この小説へのコメント

  1. 作者です。いつもお読みいただきありがとうございます。
    こないだ休んだばっかりで申し訳ありませんが、諸般の事情(主に原稿の難航)のため来週3/20はまた休載です。
    例大祭前日の更新はありませんので、ご了承ください。
    1年以上待たせておいて上に始まっても休みがちでホントすいません……。
    今後もよろしくお願いします。

  2. 易者が割られずにすんだ!(のか?)
    じゃあ誰を「救う」の?
    いや真面目にみても、まだわからん!
    故に!次回が楽しみです!

    因みに救出候補者予測
    小鈴、霊夢、蓮子、マエリベリー、菫子
    理由はまだなし!

  3. 華仙が協力したってことは紫の思惑は華仙の天道に一致したのかな?
    紫の狙いやいかに

  4. 紫様のやることっていつも遠回しなんだよね。自分でやったほうが早いのに、わざわざ誰かの手を借りる。管理者ではあるが直接世界を動かすことはできない…のだろうか。。。

    というか、前々から気になっていたんだけど…
    蓮子とメリーっていま何歳なの?(笑) けーね先生がどこかから縁談持ち込んでもおかしくない年だとは思うんだけど(鎖につないで置く意味で)

    三十路を過ぎた秘封倶楽部…! これはもう事実婚以外のなにものでもない! 早苗さんじゃないけど滾るわぁ。。。

  5. 深秘録本編ネタバレ注意
    やっぱり救って欲しい人間というのは霊夢なんじゃないかな?深秘録は菫子が博麗大結界を破壊しようとしてオカルトボールをばらまいた。
    よく聞く話だと霊夢が死ぬと博麗大結界が破壊されて幻想郷は滅ぶと言われてる。つまり博麗巫女というのは大結界そのものではないのでしょうか?深秘録本編ではマミゾウの罠から菫子は幻想郷の洗礼を存分に受けてパニック状態になって月の都入りのオカルトボールの力を解禁しようとした。本編だと外の世界に行った霊夢は菫子を捕らえてオカルトボールを処理したが恐らく紫が見た未来というものはここでオカルトボールの力を解禁してしまい博麗大結界が破壊された世界線なのではないでしょうか。そこでパニックのなっている菫子を説得するのが蓮子の役目なのではないでしょうか?星蓮船編や神霊廟編では6ボス戦の後に蓮子の説得により和解しているためこの説得力の高さが必要だと紫は考えたのかな?
    しかしいかんせん根拠が足りないんですよね…
    まず博麗巫女=大結界という説が否定された場合この説は瓦解しますし…
    早く続きが見たいですがしっかりと休んでください!
    長文失礼しました

  6. いつも楽しく読ませていただいています。
    この流れで妄想すると、「異変に首を突っ込み続けた蓮子とメリーが妖怪化して霊夢に退治されてしまう未来から守っているのかなー?」とか…。なんとなく、紫が蓮子に会わないことと関係もありそうな…。うーん…。
    とにかく、次回の更新を楽しみにしています。

  7. こちとら1年待ったんだ今更1週休もうが2週休もうが、これまでの話を振り返って噛み締めながら待ってやんよ!!!

  8. 救いたかったのは回り回って蓮メリ自身かな?
    易者もかち割りEND回避で多くを得られそうですね。

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