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こちら秘封探偵事務所第14章 深秘録編   深秘録編 11話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第14章 深秘録編

公開日:2021年05月15日 / 最終更新日:2021年05月26日

深秘録編 11話
―31―

 月の隠された文明――といえば、やはりアポロ計画陰謀論だろうか。
 一般には「アポロは月に行っていない」という月面着陸捏造説の方が有名だが、それとは別に、アポロは月面着陸時に月の裏側の異星文明に遭遇し、NASAはそれを隠蔽しているという陰謀論が古くからある。
 しかし実際、幻想郷的には月の都が存在し、月の民やら月の兎やらが幻想郷で暮らしている以上、それは陰謀論ではなく単なる事実であるわけだが――。あの夢の月の都にいたドレミーさんが、なんでまたそんなことを言い出すのであろう。
「これは異な事を仰いますね、ドレミーさん。月に隠された文明があるのは、もっともらしい噂話などではなく、私たちにとっては単なる事実では?」
 相棒も不思議そうに首を捻る。ドレミーさんはゆるゆると首を振った。
「そりゃあ、貴方たちにとってはそうでしょうけれどね。――それは決して、人間の里の共通認識ではなかったはずですが?」
 確かに。私と蓮子にとっては蓬莱山輝夜さんと八意永琳先生、鈴仙・優曇華院・イナバさんが元月の民であることは既知の事実であるが、さりとてその事実は人間の里で大っぴらに語られているわけでもない。以前、稗田阿求さんがまとめた『幻想郷縁起』においても、輝夜さんと八意先生は「月の都に縁の深い人間」という留保つきの書き方をされていたはずだ。
 そもそも、里の人々の大半は月の都の存在自体、ほとんど認知していないか、お伽話だと思っているはずだ。そういう意味では、人間の里の月への認識は、外の世界のそれとあまり変わらないのかもしれない。秋にお団子を食べながら眺め、餅をつく兎に思いを馳せる対象という意味において。
「それは仰る通りですが――」
 蓮子はそう言いかけて、はっと何かに思い至ったように息を飲み、帽子の庇を弄り始めた。相棒の頭が高速回転している証だ。推理という名の誇大妄想が組み立てられていく。
 しばしの沈黙の後、結論が出たらしく、相棒は帽子の庇を持ち上げドレミーさんを見つめた。
「――ドレミーさん、月の都で何が起きているんです?」
 蓮子のその問いに、ドレミーさんはすっと表情を消した。
「……だから気が進まないと言ったんですよ、私は。宇佐見蓮子さん、あまりに聡すぎるのは、不必要な身の危険を呼び寄せますよ?」
「そう言われましてもね。隙を見せたのはそちらでしょう」
「だからといって、躊躇わずに核心に切り込んでくる、その無謀さを私は諫めているんです。どうしてその聡さを、相手の都合を察して身を引く思慮深さに向けられないのですか?」
「生憎と、秘封倶楽部は世界の秘密を暴く者でして」
 にっ、と猫のように笑った相棒に、ドレミーさんはやれやれと溜息をついた。
 話についていけない私に、蓮子が振り向いて、軽く首をすくめてみせる。
「メリーは解ってないみたいだから、ドレミーさんに白状してもらうために、ちょっと推理を語りましょうか。間違いがあれば指摘してくださいませ。――さて、月の都のお偉方と推察されるサグメさんと知己であるドレミーさんが、『外の世界の、月に隠された文明があるという噂話』の情報を私たちに求めてきた。さてメリー、この行為の目的は何だと思う? 推理の前提は、幻想郷の地上でも月の都の存在は共通認識ではないということと、以前の非想天則をめぐる騒動よ」
「え? ええと――」
 いきなり話を振られて、私は考える。幻想郷における月の都の認知度調査――ではない。求められているのは外の世界の噂話だし、幻想郷の住民の夢を管理しているドレミーさんには、そのぐらいのことは簡単に調べられるだろう。そうでなければ、いつぞやの非想天則の騒動のときに、彼女が――。
 ああ、そうか。非想天則の騒動のときに、ドレミーさんが私たちに求めたことは――。
 夢の世界の存在が、噂によって幻想郷で実体化してしまうのを防ぐことだった。
「……ちょっと待って、蓮子。じゃあ、ドレミーさんがやろうとしているのは、あのときと逆のことだっていうの?」
「そういうことでしょうね。――幻想郷ではまだ、月の都の存在は決して一般的な共通認識ではない。そこにドレミーさんが私たちから『月の文明にまつわる噂話』の情報を手に入れて、いったい何を企んでいるのか。答えは単純。夢を介して、その噂を地上に流布して、地上で実体化させることよ。月の都の存在を地上の共通認識にした上で、それを実体化するということは――つまり、月の都を地上に出現させるということ」
 私は息を飲む。――いや、しかし、それはどういうことだ?
「いや、でも蓮子。月の民は穢れた地上を捨てて月に移ったんでしょう? どうして今さら、月の都を穢れに充ちた地上に出現させないといけないの?」
「だから、それが問題なのよ。つまり月の都にとって、一度は捨てた、穢れた地上への帰還を真剣に検討しないといけない事態が、月で起こっているということ。――さて、ドレミーさん。お答えいただけますかしら? いったい、月で何が起きているんです?」
 蓮子のその問いに、ドレミーさんは深々と溜息をついた。
「全く、末恐ろしい人間ですね。一瞬でそこまで推察されてしまっては、下手な弁解は逆効果でしょう。――正解です、宇佐見蓮子さん。月の都は今、最大の危機に瀕しています」
「あら、地上の国家がどこか月にロケットでも撃ちこみました? 私の記憶だと、この時代に月面着陸プロジェクトなんて酔狂なことをする国はなかったと思いましたが」
「その程度であれば過去にもあったことですし、いくらでも対処できたんですがね。……まあ、端的に申し上げると、月の都は今、月の民に恨みを持つテロリストの襲撃を受けています。穢れを撒き散らすという、月にとって最悪のテロを」
「あらあらまあまあ、それは穏やかじゃありませんわね」
「全くです。おかげで現在、月の都は凍結され、月の民は夢の世界の月の都に避難させています。月の住民全員が、長い夢を見ているようなものです。私はその計画のために、サグメにこき使われている哀れな身の上なわけです」
 未来への避難としてコールドスリープしているようなものか。
「じゃあ、私たちが迷い込んだあの月の都と、そこで出会ったあの兎さんたちは」
「そう、この避難計画で作られた夢の月と、そこに避難させた玉兎たちです。――夢の世界に避難させた月の民に、現状が夢だと気付かせないために、私は今まで散々骨を折ってきたんですがね。どこかの地上の誰かさんたちが土足でずかずか入り込んできたおかげで、計画がメチャクチャになりかかっているのですよ」
「――あ、なるほど。月にいるはずのない地上の民が突然現れたことで、あのときの兎さんたちに、これが夢だと気付いちゃった子が出ちゃったわけですか。そういえば鈴瑚ちゃんが、私たちに穢れの気配がないって首を捻ってたし……気付いちゃったのはあの子かしら?」
「だから聡すぎるのは問題だと……まあ、その通りです。直接的に気付いたのはリンゴだけですが、とにかく貴方たちが月に現れたことを言いふらされるわけにはいきません。なのであの子たちはまとめて隔離しています。あのときの貴方たちは、穢れよりタチの悪いウイルスだったんですよ」
「あらあら、それは鈴瑚ちゃんたちに悪いことしちゃったわね。――まさかあの子たち、物理的な意味で処分されちゃったりしませんわよね?」
「そんな穢れを撒き散らすようなことを月の民はしませんよ。――まあでも、あの子たちには仕方ありませんから、いずれ地上への降下部隊を務めてもらうことになるでしょうが」
「――それはつまり、月の都による地上侵略ですよね? ドレミーさん、私たちにそれに協力しろと仰る?」
 蓮子に鋭く睨まれて、ドレミーさんは深々と溜息をつく。
「だから貴方たちを巻き込むのは反対だったんですよ、私は。下手をすればそこまで察されるおそれがあると解っていましたから。……一応弁解しておくと、地上への月の都の移転計画はあくまで保険です。本当にどうしようもなくなったときのための最終手段ですよ。立案者のサグメだって、本気で実現しようとは思っていません。いくら浄化したところで、穢れた地上に戻るなんていうのは月の民にとって最大の屈辱ですからね」
 何か浄化とか不穏な単語が聞こえたが、本当にそんな計画は保険で終わってほしい。それが地上にとっても月にとってもWin―Winの関係というものだろう。
 いきなり突きつけられる壮大な話におろおろするばかりの私の横で、蓮子は「ふむ」とひとつ唸る。
「そこまで察されるリスクを考慮した上で、ドレミーさん、貴方は直接私たちから情報収集するという手段を選んだわけですか。夢の管理者である貴方なら、私たちの夢から必要な情報を引き出すことぐらいできそうに思えますが」
「夢の管理者もそこまで万能ではありませんよ?」
「だとしても、もっと訊き方はあったでしょう? 外の世界の月にまつわる噂話の蒐集だけが目的なら、それこそ私たちが、自然にそういった噂話を連想するような夢を見せるぐらいのことはできたはずです。ですが貴方は直接私たちの前に現れてコンタクトしてきた。――ということは、最終的に私たちに、この計画に協力させる算段があるということ。……ということは、ははあ、なるほど」
 蓮子はひとつ得心したように頷き、ひとつの結論を導きだした。
「――本命は、地霊殿のお燐ちゃんがやろうとしたことと同じことですか。月の都の移転計画はあくまで撒き餌。本命はその計画で、博麗の巫女を動かすこと。――月に霊夢さんを送りこんで、テロリストを排除してもらう計画ですね? いや、それともあるいは……地上に隠れている月の賢者、八意永琳さんを動かすことなんでしょうか?」




―32―

 夢は、覚めてしまえばもうただの夢でしかない。
 そこはもう見慣れた自宅の畳の上。のそのそと布団から抜け出すと、隣の布団の上で蓮子が寝間着姿のままであぐらをかいていた。はしたない。
「……おはよう、蓮子」
「おはようメリー。いい夢は見られた?」
「おかげさまで、夢の中まで誰かさんの誇大妄想に付き合わされて頭が痛いわ」
「効率的な睡眠学習ね」
 にっと猫のように笑って、相棒はひとつ大きく伸びをする。
 ――結局、私たちは夢の中で、ドレミーさんにアポロ計画陰謀論について語った。月の都の地上移転なんていう不穏な計画は撒き餌で終わらせてくれることを切にお願いした上で。あと、巻き込んでしまった玉兎たちには誠心誠意謝罪の意を示しておいた。おそらく伝わることはなさそうだけれども。
「どうするの? 蓮子。今の夢の件」
「どうもこうもねえ。八意先生のところにはたぶん月の都の現状の情報は行っているでしょうし、そうなると私たちに出来ることは無いんじゃないかしら。近いうちに月の民が地上を侵略してくる、なんて風説を流布するのはかえって逆効果だろうし……霊夢ちゃんに伝えたら絶対話がややこしくなるしねえ。月の都が地上にちょっかい出さずともテロリストを撃退してくれることを祈るしかないんじゃないかしら、今のところは」
「消極的ねえ。わりと地上の危機じゃない?」
「メリーにだけは言われたくないわね。それに、ある意味ではチャンスよ、チャンス。月が地上に侵略をかけてきた、なんて大事になったら、妖怪の賢者だって動くでしょう。異変の解決は霊夢ちゃんに任せて、私たちはこの状況を利用することを考えましょ」
「そう簡単に利用できるかしらねえ」
 どこまでも自分に都合良く考える相棒に、私はただ嘆息するしかない。
 何にしても、月の地上侵略云々は今日明日の話ではなさそうである。もうしばらく様子見、以外に選択肢はなさそうだ。
「ま、それより今は博麗神社のご神体問題よ。メリー、琥珀ちゃんとある?」
「はいはい。……うん、ちゃんとあるわ」
 箪笥の中にしまってある、例の琥珀を取り出す。微かにぼんやりと輝くその琥珀は、こうして私たちの日常生活の中にあると、いささかその神秘性も揺らいで見えた。
 この琥珀が重要アイテムなら、私たちが寝ている間に妖怪の賢者がスキマから回収していってしまう可能性も考えられたが、今のところそういうこともない。まあ、妖怪が本気でこれを奪いに来たら私たちに抵抗する術はないわけで、せいぜい私たちは三日後の博麗神社潜入計画当日まで、これをなくさないように気を付けるぐらいである。
 どうも霊力を帯びているらしいこの琥珀を持ち歩いていたら、私たちが妙なものを持っていると解る人には解ってしまうので、肌身離さず持ち歩けないのが心もとなくはあるが……。
「まずは、博麗神社の謎を解き明かさないとね」
「はいはい。……無事に済めばいいけど」
 ――この時点では全く無関係に思えた、博麗神社のご神体問題と月の都の危機。このふたつがいろいろと密接に関連した事象だったと私たちが知るのは、だいぶ後のことになる。

 その日の夜。私たちは慧音さんに誘われ、妹紅さんの家で夕食の卓を囲んでいた。
 それ自体は、私たちにとっては日常の行為である。もちろん慧音さんは三日後の満月の夜の、私たちの計画など知るよしもないはずだし、妹紅さんは尚更のことだ。私たちももちろん、計画のことも、月の都の件もおくびにも出さず、和やかな夕食のひとときを楽しんだわけだが。
 ……やはり、月が絡むと妹紅さんの反応が気になるのは人情というものであろう。
「ねえ妹紅、そういえば永遠亭の姫様とは最近どう?」
 夕食後、慧音さんが流しで後片付けをしている背中を眺めながら、妹紅さんと将棋盤を囲んでいた蓮子が、なにげなくそう切り出した。
 妹紅さんは桂馬を指そうとした手を止め、不機嫌そうに眉を寄せる。
「なんだいきなり。あいつの名前を出して私の集中力を乱そうって作戦か?」
「いやいや滅相もない。そういえば最近、妹紅があの姫様とやりあって怪我をして困る、っていう慧音さんの愚痴をあまり聞かないなあと思って。殺し合うのにもそろそろ飽きた?」
「別に、そういうわけじゃないが。……まあ、言われてみれば、昔に比べてあいつと殺し合う頻度が下がってるのは事実か。あいつはあいつで永遠亭が隠れるのを止めてからは、兎どもと楽しそうにしてるしな」
 ぱちりと駒を置き、妹紅さんは小さく息を吐く。
「結局、私もあいつも、それしかすることがなかったから殺し合ってたんだなとは、最近思うな。他に生きている楽しみがあれば、まあ殺し合うのはたまにでいい。――こういう風に思うあたり、変わったなと自分でも思うよ。あいつがどうだかは知らないがな」
 しみじみと老成したように述懐する妹紅さん。いや、千年以上生きている不老不死の妹紅さんに老成というのもおかしな話だが。……そしてこんなことを言っていても、輝夜さんの名前が絡んだと思えば途端に血気盛んになるのは、この前の付喪神異変で語った通りである。
「ま、そうね。この世に大切な人がいるのは、生きる楽しみとして至極真っ当だわ」
 蓮子が慧音さんの背中を見ながら言うと、妹紅さんは肩を竦める。
「……慧音だけじゃないって、解って言ってるだろ、蓮子」
「あらやだ妹紅、浮気はダメよ、浮気は。私にはメリーがいるんだし」
「馬鹿」
 嘆息する妹紅さんに、蓮子は目を細めて、歩を進めながらなにげなく問う。
「じゃあ妹紅、もし輝夜さんが、月に帰っちゃったらどうする?」
「――――あ?」
 盤面を見て唸っていた妹紅さんは、訝しげに顔を上げた。
「なんだ。急に輝夜の話なんかしだすから、何かと思ったら……まさかあいつら、月に戻る計画でも立ててるのか」
「いやいや、単なる仮定の話よ、仮定の」
 ひらひらと両手を振る蓮子に、妹紅さんは腕組みして唸る。
「怪しいぞ蓮子。あいつら絡みで何かあるのか?」
「素朴な疑問を勘ぐられても困るわねえ」
「お前が他人に何か質問をするときは、だいたい何か他の目的で探りを入れてるときだろ」
 バレてる。蓮子は困ったように肩を竦めた。
「妹紅には敵わないわねえ。別に大した話じゃないのよ」
「また何か悪巧みしてるのか。慧音には言えないようなことか?」
「……まあ、そんなところかしら」
「仕方ない奴だな。あんまり慧音に心配かけるなよ」
 妹紅さんは声を潜めて嘆息すると、次の一手を盤面に指した。
「あいつが月に帰ろうとしたら、全力で妨害してやる。決着がつくまで逃げるなんて認めん」
「決着って、ふたりとも死なないのにどうやってつけるの?」
「どっちかが完全に負けたって納得するまでだよ。もちろん私はあいつに屈服する気はないから、あいつが私に負けを認めるまでだ。それまで勝手にいなくなるのを認めてやるもんか」
 潔いというか、それは要するに永遠に付き合えって話ではないのだろうか。素直じゃないなあ、と思っていると、妹紅さんは不意に目を伏せて、ぼそりと言葉を続けた。聞き取れないほど、小さな声で。
「……だから、お前たちも勝手に、私の前からいなくなるなよ」
「うん? なに、妹紅」
「なんでもない。ほれ、お前の番だぞ蓮子」

 ――要するに、これはそういう意味の挿話である。




―33―

 ついに、博麗神社潜入大作戦決行の日がやってきた!
 満月の夜。慧音さんがいつもの歴史家の仕事で不在なのをいいことに、私たちはパチュリーさんの手引きで里を抜け出した。博麗神社へ続く石段の下で息を潜めていると、月明かりの下、神社から見慣れた影が、夜空を紅魔館の方へ飛んでいくのが見える。
「……行ったわね。あとはレミィに頑張って引き留めてもらいましょう」
「ありがとうございます、パチュリーさん。お嬢様をけしかけてくださって」
「まあ、レミィにストレス解消させたかったところだったから。この前の天の邪鬼捕り物で、天の邪鬼を捕り逃してご機嫌斜めだったし、ちょうどいいわ。行きましょう」
 パチュリーさんに掴まり、私たちはふわりと石段を飛び越えて境内へと降り立つ。無人の博麗神社は、満月の白い光の下、闇の中でひっそりと静まりかえっていた。
「例の琥珀は?」
 パチュリーさんに問われ、私は持ってきた琥珀を取り出す。月光を受けてぼんやりと光る琥珀には、特に変わった様子はなかった。
「気を付けなさい。それが博麗大結界に穴を開ける道具なら、何かの拍子に結界が揺らぐことは充分あり得るわ。ここは外の世界との境界なんだから」
 もちろん、それは重々承知している。そもそもが私たちを幻想郷に導いたのがこの琥珀であるのだし、結界の外に放り出される危険を認識しているからこそ、結界を越える術を知っているはずのパチュリーさんに同行してもらっているのだ。
「さてと――それじゃあ、本殿にお邪魔しましょうか」
 パチュリーさんが、賽銭箱の置かれた拝殿に歩み寄る。博麗神社は、賽銭箱の置かれた正面の拝殿と、霊夢さんの生活空間である住居部分がひと繋がりの建物になっている。ということは、本殿は拝殿と住居部分の間にあるスペースのはずだ。というか、事実上は賽銭箱の手前までの入口部分が拝殿であり、建物の中が本殿と見るべきなのだろう。
 私たちは暗い拝殿(本殿?)の中に入り込む。パチュリーさんが手元に小さな炎を浮かべて建物の中を照らした。
 畳敷きの殺風景な空間の奥に、古びた朱塗りの祭壇がある。幣帛や神酒の飾られた奧に、小さな神輿が鎮座していた。あの神輿の中に、博麗神社のご神体が収められているはずだ。
 物理的には、入ろうと思えばこうしてすぐにでも入り込み、手を伸ばせばすぐ届く距離にある。それを、こうして霊夢さんを遠ざけて夜中に潜入しなければ、手が届かない深秘として見せるのが、神社の――つまりは神域の結界としての機能なのである。
 そして、その結界という機能は幻想郷においては、物理的な意味も持つ。
「……さすがに、あの神輿には結界が張られてるわね」
 パチュリーさんが呟き、私も頷く。神輿には強い結界の気配があった、何かを封じているような、強固な結界――。ご神体があそこに封じられているからこそ、強い結界が張られている、と見るのが自然である。
 しかし、私たちの手の中には、博麗神社のご神体といわれた琥珀がある。
 ――蓮子は、琥珀はふたつあるはずだと言った。ならば、あの神輿の中には、もうひとつの琥珀が存在するのだろうか?
「ううん、大冒険というにはあっけなさすぎるけど、いよいよね。メリー、お願い」
「はいはい、いつだって罰当たりな結界破りをさせられるのは私なのよね」
 どんなに強固な結界であっても、そこには微かな揺らぎがある。私はその揺らぎに目を凝らし、ほんのさざなみに指を引っかけた。
「――前にも思ったけれど、凄いわね、貴方のその境界視の力。そんな微かな結界の揺らぎ、私にも視えないわよ」
 パチュリーさんが呆れたように言う。そんなことを言われてもなあ――と思いながら、私はゆっくりと、その結界をこじ開けて、封じられた神輿の扉を、開いた。

 そこには、何も入っていなかった。
 ご神体が安置されているはずのその器は、ただの空洞でしかなかった。

 私たちは顔を見合わせる。――ああ、やはり、という納得があった。博麗神社が何の神様を祀っているのかはっきりしないのも当たり前だ。博麗神社のご神体は、ずっと空っぽだったのだ。なぜならその琥珀は――。
 ……あのとき。妖怪の賢者が、私に持たせて幼い宇佐見菫子さんに届けたあの琥珀。
 あれは、この神輿の中にあった、ご神体だったのか……?

 蓮子が頷く。私は、手にしていた琥珀を、そっとその神輿の中に入れた。
 これで何かが起こる。たぶん私は、これをあるべき場所に戻すために手に入れたのだ――。
 そんな、漠然とした確信を抱いて、そっと神輿の扉を閉めた、そのとき。

 それは、起こった。
 ある意味では予期していた通りに。
 想像していた通りの――私たちは、これを望んで、ここに来たのだろうか?

「――――――」
 琥珀の収められた神輿が光り輝いた。それはあの日、私たちがこの幻想郷に呼ばれた日のように、眩く、目がくらむほどに。
 そして――ぐるり、と世界が歪んだ。閉ざされていた結界が、開いた。
 私たちの前に、世界の裂け目が、ぱっくりと口を開けていた。

「蓮子――」
 私は、隣にいる相棒に手を伸ばした。
「メリー――」
 相棒は、私の手を握り返した。
 もうひとりその場にいるはずの、パチュリーさんの名前を呼ぶ時間はなかった。

 次の瞬間、私たちは結界の裂け目に飲みこまれ、
 ――――――全てが、暗転した。

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この小説へのコメント

  1. 【一旦休載のおしらせ】
    作者です。いつも感想ありがとうございます。
    今回で前半戦終了ですが、連載が休みがちな現状からお察しの通り、進行がgdgdなこともあって一旦ここで休載に入ります。再開後は完結まで休みなしで完走できるように充電と書きために入りますので、しばらくお待ち下さい。
    ここで切るのかよ!とかそもそも1年待たせておいて書き終えてなかったんかい!とかの苦情に対しましては申し訳ございません平にご容赦を(五体投地)。
    完結まであと十数回(ほんとお?)、最後までお付き合いいただければ幸いです。

  2. お疲れ様です、今回もありがとうございます。
    いつまででも待ってます!

  3. よし、分かった!
    これで幻想郷を追放された蓮メリは、いつか神霊となって再び幻想郷に戻ってくるとみた。
    ほとんど超能力者であるこの二人はやはり過去の外の世界に馴染めず、しかも離れ離れになってしまう。やがて一人は卓越した話術と誇大妄想で周りを惑わす伝説的な詐欺師となり、もう一人は異端と恐れられつつもその力を利用され、孤独と貧困の中で生を終える。人々から忘れ去られた二人はやがて悪しき神霊となって再び幻想郷でまみえ、片や疫病神として、片や貧乏神として失われた人生を取り戻すかのように暗躍を始める……。
    そう、二人は依神姉妹だったのだ! そうであろう?

    ……違うだろうな。

    なんて馬鹿なことはさておいて、再開をじっくりねっとりお待ちしております。

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