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こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編   妖々夢編 第1話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編

公開日:2015年10月17日 / 最終更新日:2015年12月12日

妖々夢編 第1話
吉野山さくらが枝に雪ちりて
花おそげなる年にもあるかな




―1―


 雪が決して美しく儚いばかりのものでないことを、この世界に来て初めて知った。
 人里も一面の銀世界――と言えば聞こえはいいが、実際のところ、片付けられて道ばたや空き地に積まれた雪には土や泥が混じって黒ずみ汚らしいし、深く積もった雪の上は歩きにくく、踏み固められてしまえば滑って困る。ついでに言えば、雪片付けは想像以上の重労働だった。あのふわふわした雪が、湿って降り積もることであれほど暴力的な重さの物体になるのは、詐欺として訴えていいレベルだと思う。
 幻想の息づくこの世界においても、現実の生活はかくも世知辛いものである。
「メリーせんせー、また明日ねー」
「うん、また明日。みんな家の手伝い、ちゃんとするのよ」
 はーい、と答えて、子供たちがぱっと雪の中に散っていく。手を振りながらそれを見送り、私は真っ白な息を吐いた。朝から雪片付けでくたびれているところに寺子屋の授業で、十数人の子供たちの相手である。まだ昼前なのに、既に一日分の体力を使い果たした気分だった。
「お疲れ、メリー」
 背後から相棒に声を掛けられ、私は振り返る。我が相棒にして、この寺子屋の算学教師、そして《秘封探偵事務所》所長――宇佐見蓮子は、いつもの猫のような笑みを浮かべている。
「蓮子、今日は算術の授業は無かったんじゃないの?」
「メリーを迎えに来たのよ。お昼食べましょ」
「この距離で迎えも何もないでしょ。事務所で待っててくれていいのに」
「だって誰も来ないんだもの」
「そりゃ、この雪の中、わざわざ探偵事務所に来る人もいないわよね」
 暦では既に4月も下旬である。いくらなんでも春が来るべき頃だと思うのだが、昨晩ものさのさと大量の雪が降り、なかなか春の気配は訪れない。慧音さんによれば、例年ならさすがに今月になれば春めいて来るはずで、今年は異常気象だと里でも不安の声が聞かれている。
「子供たちは寺子屋に来るのにねえ。ついでに魅力的な謎を持ち込んでくれればいいのに」
「そりゃ、寺子屋をサボったら慧音さんの頭突きがあるけど、問題が起こってもそれを自警団に頼るか、博麗の巫女に頼るか、ウチに頼むかはその人の自由だから仕方ないわ」
「ううん、義務と任意の圧倒的格差。謎が黙ってても寄ってくるフィクションの名探偵が羨ましいわ」
「行く先々で殺人事件に巻き込まれて知り合いが殺されたり犯人だったりするのは、私は嫌よ」
 私のため息は、ただ白く冬の幻想郷の曇り空に溶けていく。

 私――マエリベリー・ハーンが、相棒、宇佐見蓮子とともにこの幻想郷に迷い込んだのは、もう半年以上前、去年の夏の話である。この世界に外の世界の人間――外来人が迷い込んでくること自体は、そう珍しい話でもないそうで、帰りたいと思えば帰してもらえるはずだったのだが、どういうわけか私たちはこの世界に迷い込む際、80年ほど時間を飛び越え、過去の世界にやって来てしまったらしい。未来に戻る手段が見つからず、やむなくこの世界に留まり生活する羽目になってしまった。
 この人間の里で私たちの面倒を見てくれているのが、歴史家の上白沢慧音さんである。彼女が運営する寺子屋の離れを住居として与えられ、寺子屋の仕事を手伝うことになった私たちは、蓮子の思いつきから、住居である離れに副業として《秘封探偵事務所》の看板を掲げることになった。この不思議な世界ならではの魅力的な謎を求める探偵事務所、だそうである。
 慧音さんは、未来の外来人の奇矯な振る舞いに呆れ気味だったものの、探偵事務所の開設自体は許可してくれた。とはいえ外来人の怪しげな事務所に里の人々が寄りつくはずもなく、事務所は閑古鳥が鳴く状況がしばらく続くことになった。
 一方、慧音さんの寺子屋も、なかなか生徒が集まらず苦戦していた。どうも慧音さんは純粋な人間ではなく、妖怪の血が混ざっているそうで、そのせいで里の人々の間には彼女に対する偏見が根強く残っているらしい。そんな中、彼女に歴史を教わろうといういうのは本当に一部の物好きばかりである。そこに、これではいけない、抜本的改革が必要では――と提案したのは、我が相棒、宇佐見蓮子である。
『やはり科目が歴史だけというのが良くないのでは。教育の基本は国語と算学ですよ』
『それはそうだが、誰が教えるんだ。私は手一杯だし、あまり伝手はないぞ』
『そこはそれ、ここに外来の算学に長じた学徒が約1名。ついでに読書が趣味の引きこもり体質な学徒も約1名おりますので、国語にも対応いたしますわ』
『ちょっと蓮子! 勝手に決めないでよ!』
 ――私の抗議はあえなく却下され、かくして慧音さんの寺子屋には、新たに私の担当する国語と、蓮子の担当する算学の授業が加わることになった。ついでに蓮子は草の根宣伝活動も如才なく行い、おかげで現在、ぽつぽつと近所の商家の子供たちが読み書き算学を習いに寺子屋に集まるようになってきた、というわけである。
 寺子屋に人が集まり始めると、私たちの探偵事務所の宣伝もさりげなく蓮子は行い、秋の終わり頃からぽつぽつと依頼人が来るようになった。もっとも、自警団に持ち込むほどでもない探し物や、他愛ない噂話の真偽調査みたいな依頼が多く、しかも依頼人に子供が多いので、相変わらず事務所の経営が成り立ってるとは到底言えないのだが。
 ――ともかく、かくして私と蓮子はこの幻想郷に腰を落ち着け、生活の基盤を手に入れた。この生活がどれだけ続くのかは解らない。できる限り早く科学世紀の京都に戻りたいものだが、焦っても仕方ないのも事実である。住めば都のことわざ通り、なんやかんやでこの幻想郷という世界に、私たちはいつの間にか、それなりに馴染んでしまっているのだった。





―2―


 寺子屋の近所にある蕎麦屋で昼食にしようと、蓮子と通りを歩く。吐く息は白く、足元はざくざくと雪を踏みしめる。昼になってもまだまだ寒い。それでも商店は威勢のいい客引きを続けているし、行き交う人々もいつも通りののどかな顔で、「いつになったら暖かくなるのかねえ」などと言い合っている。概ね、代わり映えのしない人間の里の光景だった。
「しかしメリー、髪伸びたわね」
 冷たい風に舞いあがった私の髪が、蓮子の頬をくすぐったらしい。振り向いた蓮子は、私の髪に指を絡ませてそんなことを言う。この世界に来たときには肩の上までだった髪は、この半年で背中まで伸びてしまっている。
「美容院がないんだもの。仕方ないじゃない」
「永遠に伸ばしっぱなしにする気? この世界にも床屋はあるんだから行きなさいよ」
「子供っぽい蓮子と違って、床屋で無造作にじょきじょき切られるのは嫌なの」
「子供っぽくて悪かったわね」
 自分の髪に触れて、蓮子は口を尖らせる。
「それなら、私が切ってあげようか」
「……どうしようもなくなったら、それもいいかもね」
「あるいは、里でもっと綺麗に切ってくれる人を探しに行こうか」
「それより鈴奈庵に行くわ」
「もー、メリーってばそればっかり。もうちょっと行動半径を広げるべきよ。私たちは探偵事務所なんだから、まず最低限里の地理にはもっと精通しておかないと」
「はいはい、雪が溶けたらね」
 そんな益体もないことを言い合っていると、不意に道ばたに人だかりができていることに気付いた。見ればその多くは、寺子屋に通っている子を含む子供たちである。
 その中心にいるのは、人形めいた美貌の少女。金色の髪に、里では珍しい洋装をして、その手から糸で釣り下げたマリオネットを操っている。ひょうきんなマリオネットの動きと、少女の語る物語に、子供たちは息を詰めて見入っていた。
「最近よく見るわね、あの人形遣いの人」
「魔法の森の方に住んでいる魔法使いって噂よ」
「そうなの? 確かに里の人っぽくないとは思ってたけど」
「蓮子さんの情報網を舐めてもらっちゃ困りますわ。探偵ですから」
 帽子の庇を持ち上げてドヤ顔の蓮子に、私は嘆息する。
 人里の西側に鬱蒼と広がる深い森。魔力に満ちた胞子が舞っているというその森は、普通の人間ならば長時間は耐えられないらしい。魔法使いには住み心地がいいらしく、例の霧雨魔理沙さんもそちらに住んでいると、阿求さんから聞いたことがあった。
 私たちは森の中には入ったことがないが、森の近くにある《香霖堂》という道具屋にはちょくちょく足を向けていた。流れ込んできた外の世界のものを取り扱っている店で、それはもちろん2080年代から来た私たちにとっては風俗資料としてしか見たことのないようなものばかりなのだけれど、この電気もない幻想郷で外の世界の機械に触れると、なんとなくまだ向こうと繋がっていられる気がするのである。
 ともかく、今は人形劇より昼食である。目当ての蕎麦屋を見つけ、蓮子と暖簾をくぐろうとしたところで、不意に入口の引き戸が開き、中からお客さんが出てきた。私たちは脇に避ける。出てきたのは、少し変わった格好の若い女性だった。道士服というのだろうか。里ではあまり見かけない服装であるし、それに頭に被っている帽子の形が――。
「おっと、失礼」
 その女性は、入口の引き戸を閉めようとして私たちがこれから入るのだということに思い至ったような格好で、ぐるりと身体を捻った。その瞬間――。
 モフ、と。
 柔らかく暖かい金色が、私の視界を埋め尽くした。
「わぷっ――」
 何か、異様にモフモフとした暖かいものが、私の上半身を埋め尽くしている。まるで新品のクッションのようにふかふかで、湯たんぽのように暖かい。天日干しにしたあとの布団にくるまれているような、ふかふかのぬいぐるみを抱きしめているような、そしてそれが生き物のようにもぞもぞと私の顔や首元や腋の下をくすぐってきて、ああ、なんという悦楽。快楽。コノ世の至福。モフ。モフモフモフ。ああ――暖かい。柔らかい。ふかふか。語彙が減る。あまりに圧倒的な恍惚の前に、人は言葉をなくしてしまう。目の前にある金色のモフモフが、私から意識とか人間性とかそういう類いのものを剥ぎ取って、目の前のモフモフに埋没したまま永遠にこの中で過ごしたいという、冬の朝の布団の中でのまどろみにも似た誘惑に引きずり込んでいく。まずい。これはまずい。このモフモフは麻薬だ。早くこれから離れなければ大変なことになってしまう。人間として堕落してしまう。このモフモフのことしか考えられなくなってしまう。そう思っても身体は目の前のモフモフを求めて、私はそのモフモフにしがみつくように腕を回す。モフモフがうごめいて私の顔をくすぐる。息を吸い込むと太陽の匂いがする。ああ、モフモフ、なんというモフモフ、なんという恍惚、なんという快楽――。
「…………すまないが、離れてもらえないだろうか」
「はっ!?」
 困ったような声をかけられて、私は我に返る。あっ、ああっ、でも、でもこのモフモフを放したくない、このモフモフを放してしまったら私はこれから何を楽しみに生きていけばいいのだ、モフモフ、この金色のモフモフさえあれば私は――。
「メリー、こら、離れなさいってば。いつまでしがみついてるの」
「ああっ、だめ、蓮子、放して――」
「すみませんすみません、うちの相棒が大変失礼を」
「いや……まあ、慣れているからいいのだが」
 蓮子によって無理矢理モフモフから引き離され、私はようやく冷静さを取り戻した。先ほどの女性が、私たちを見ながら困ったように苦笑している。道士服に、獣の耳のような形をした帽子からはみ出る金色の髪、そしてその背中には――。
 モフモフの、狐の尻尾が、いち、に、さん……九本?
 というか、尻尾? この人はいったい……と私が視線を上げると、その女性も急に目を細めて、私の顔をまじまじと見つめた。狐めいたツリ目に覗きこまれて、私は変にどぎまぎする。
「……里の人間か?」
「ああ、はい。外来人ですけど。宇佐見蓮子と言います。このご迷惑をおかけした方はメリー。上白沢慧音さんの寺子屋で算学と国語の教師と、それから探偵事務所をやってます」
「探偵事務所? ……しかし、ふむ」
 狐っぽい女性は、なおも私の顔を覗きこむ。その背後でゆらゆらと金色の尻尾が揺れていて、私は無意識にそれに手を伸ばし、蓮子に「やめなさいってば」と制止された。
「……他人のそら似、か? しかし――なぜ」
「え?」
「いや、なんでもない。どうも、私の方こそ失礼した。では」
 と、狐っぽい女性は、結局名乗ることもなく立ち去っていく。その背中では、あの金色のモフモフがゆらゆらと揺れていた。ああ、黄金の九尾……あの至高のモフモフがどこかへ行ってしまう。追いかけようとした私は、しかし蓮子に腕を掴まれてしまう。
「ちょっとメリー、どうしたのさっきから」
「だって、モフモフが、モフモフが――」
「ダメだこりゃ……ほら、お昼食べるわよ、お昼」
「ああっ、モフモフ、モフモフぅ――」
 私の悲鳴は、白い息となって幻想郷の空に消えていく。

「だから、本当にすごかったのよ。干したての布団が生き物みたいにマッサージしてくるみたいというか、その布団の上にこたつを置いて中に潜り込んでるようというか、ああ――あの尻尾があれば世界から戦争は消え失せるわ。あの尻尾さえあれば他に何もいらないもの。あのモフモフは人類に平和をもたらすのよ! ねえ蓮子、聞いてる?」
「蕎麦のびるわよ」
 聞いちゃいない。はあ、と私はため息をついて、昼食の月見そばを啜る。ここの蕎麦屋は美味しいのだけれど、今は味も何もわからない。それほど私はさっきのモフモフの尻尾に心を奪われていた。ああ、柔らかいもの、暖かいものがなぜあれほど心地良いのか、その究極の到達点というべきあの尻尾! あれこそまさに至上の悦楽、どんなお金や名誉やその他諸々と引き替えにしても構わないとさえ思える最高の快楽だ。
「ああ、蓮子。私は蓮子のことを今猛烈に哀れに思うわ。ほんのちょっとの立ち位置の差であのモフモフを味わえなかったのだから。蓮子も一緒にモフモフすれば良かったのに。そうすれば今の私の気持ちが分かってくれたはずよ。そして一緒にあの狐の人を追いかけて土下座してもあの尻尾をモフり倒していたはずよ! ああ、あの人どこに住んでるのかしら。人間じゃないわよね。里に普通に来ているってことは友好的な妖怪でしょうから頼めばきっとモフらせてくれるわ。ううん別にあの尻尾を思う存分モフったあとなら食べられても構わない」
「おーい、メリー。戻ってきなさーい」
 私の目の前で箸を振る蓮子。お行儀が悪い。
「はあ……。もうダメだわ蓮子、私あのモフモフのことしか考えられない。あれをもう一度味わえるなら悪魔に魂を売ってもいいわ。それで世界が滅びても構わない。あのモフモフには世界さえ引き替えにする価値があるわよ。だから蓮子、貴方も今度あの人を見かけたら問答無用でモフりなさい。そうすれば私の気持ちが分かるわ!」
「他人の迷惑を考えなさいよ」
「それだけは蓮子に言われたくないわね」
「急に冷静にツッコミ入れない。全くもう……あのメリーがこんなことになっちゃうなんて、いったいどうなってるのかしら」
 呆れ顔で頬を膨らませる蓮子。それはあの尻尾をモフモフしてないから言えるのだ。あのモフモフを蓮子も一緒に味わって一緒に堕落すればきっと幸せだろう。ああ――。
「おやお客さん、あの方の尻尾に触らせてもらえたのかい? そりゃあ珍しい」
 と、声を掛けてきたのは店員のおばさんである。店主の奥さんなのだろう。
「あの尻尾の人、何者なんです?」
「さあて、常連なんですけどねえ。妖怪なのは間違いないけど、悪さするでもなし、いつもきつねそばを心から美味しそうに食べていかれるのでねえ。お代もきちんと払ってくれますし」
「狐だから油揚げ? そんな安直な」
 蓮子が首を傾げている傍らで、私は「あの尻尾は――」と店員さんに問う。
「ああ、あの尻尾はうちのお客さんも触りたがるんですけどねえ。見るからに触り心地よさそうでしょう? でもあの人、不思議な術で触らせてくれないわけですよ。なにかこう、見えない壁を作ってねえ」
「見えない壁……」
「お客さん、どうやって触ったんだい?」
「いえ……あの人が店を出てくるときに、たまたまぶつかって」
「ふうん。触り心地はどうでした?」
「最高でした」
 店員さんは「そうかいそうかい」と呵々と笑った。
 ああ、それにしてもあの尻尾の人、彼女は何者なのだろう。せめてもう一度、一度でいいからあの尻尾に触りたい。埋もれたい。あの尻尾に埋もれて一日過ごしたい。
「蓮子!」
「な、なに、メリー」
「さっきの尻尾の人の正体を探るわよ! 秘封倶楽部として!」
「へっ?」
「そう、事務所に依頼が来ないなら自分から謎を見つけ出すべきだわ! あの尻尾の人は何者なのか、どこに住んでいるのか、どうしたら継続的に尻尾をモフらせてくれるのか、それを調べるのは秘封倶楽部として意義ある活動だわ!」
「いやメリー、本音が漏れてるし理屈になってないわそれ」
「理屈とかどうだっていいのよ! 名探偵のやたら細かい論理とか誰も気付かないような伏線の回収なんてどうせ誰も聞いてないんだから」
「ミステリ好きにあるまじき発言しない。あと蕎麦のびてるって」
「さあ蓮子、そうと決まれば早速これを食べて、秘封探偵事務所、調査開始よ!」
「……どうしてこうなった」
 頭を抱えてため息をつく蓮子に構わず、私はのびかけた蕎麦を勢いよくすすり上げた。





―3―


「ああ、それなら、八雲藍さんですね」
 稗田邸で、私たちの調査はあっという間にクライマックスを迎えてしまっていた。これではミステリも何もあったものではない。
 蕎麦屋で昼食を終えたあと、尻尾の人が妖怪なら、『幻想郷縁起』という幻想郷妖怪辞典を作っている阿求さんのところだろう、というわけで私たちは稗田邸に向かったのである。妖怪のことは彼女か霊夢さんに聞くのが手っ取り早いが、今の季節に博麗神社まで徒歩で行くのは大変だ。その点稗田邸は里の中で、寺子屋からも近い。
 そんなわけでアポもなく押しかけた私たちを、阿求さんは歓迎してくれた。で、あの尻尾の人について聞いてみた答えが、先ほどの一言である。
「あの尻尾から見ての通り、九尾の狐だそうです。里にもよく来て、豆腐屋で油揚げを買って行かれるとか」
「やっぱり油揚げ好きなんですか」
「そのようですが、それが何か」
「いえ……なるほど、そういう通俗的イメージが具現化したのがこの幻想郷なのかしら。だとすればこの世界のネズミはチーズ好きということに……」
 と、何かぶつぶつと呟く蓮子に構わず、私は阿求さんに身を乗り出す。
「彼女はどちらにお住まいなんでしょうか」
「藍さんですか? いいえ、そこまでは存じ上げません」
 なんだ。がっくりと私は肩を落とす。いや、しかし里によく来るということは、豆腐屋かあの蕎麦屋で張っていれば高確率で会えるということではないか。
「そもそも、彼女は妖怪の賢者の式神ですから、本来会おうと思ってもそう簡単に会えるような相手ではありませんよ」
「妖怪の賢者?」
 そういえば、以前にも――この世界に来たときの、あの紅霧異変のときに、そんな名前を聞いた記憶がある。確か……。
「龍神、ですか?」
「いえいえ、そっちではなく。この幻想郷を外の世界から隔離する、博麗大結界を作った妖怪です。八雲紫というのですが、藍さんは八雲紫の式神で、妖怪の賢者に仕える従者です」
「式神って、陰陽師が使う、あの人型の紙の……」
「なんですかそれは」
 怪訝そうな顔をする阿求さん。どうやら、私たちの知る式神のイメージと、この世界の式神の概念は根本的に違うようだ。
「私も詳しく知っているわけではないですが、もともとの九尾の妖狐に、八雲紫が新たな名前を与え、従者としたそうで。手下ぐらいの意味でしょう」
「……はあ」
 新たな名前を与え、従者に――というと、紅魔館の吸血鬼のお嬢様と、時間を操るメイドさんのことを思い出す。そのあたり、その妖怪の賢者とやらが関わっていたのかもしれない。紅魔館の背後関係の話はややこしいので、既に別の機会で語ったのを参照されたい。
「八雲紫は、どこに住んでいるかは私も知りません。いつも神出鬼没なので。だからその従者である藍さんも、同様に普段の所在は不明です」
「……阿求さん、なんで妖怪の賢者は呼び捨てで、その手下の藍さんには敬語なんです?」
 蓮子が細かいが確かに気になる点にツッコミを入れると、阿求さんはため息をついた。
「八雲紫と実際に接してみれば解りますよ。彼女のいないところでまで敬語を使う気になれないというのが。藍さんはまだ話が通じるので敬意を払えますが」
 いったい、その妖怪の賢者とやらはどんな人物なのだろう。いや、妖怪だから人物というのはおかしいか。人間の姿をしているなら人物と呼んでもおかしくはない気はするが。
「……しかし」
 と、阿求さんは不意に目を細めて、私をじろじろと眺めた。居心地の悪さを覚えて、私は座布団に何度か座り直す。
「な、なんです?」
「いえ……前々から気になっていたのですが、どうしてなのでしょうか」
 首を傾げた阿求さんは、ため息のように言葉を吐き出す。
「妖怪の賢者がどんな顔をしているかは、ハーンさん、貴方は鏡を見ればいいです」
「――え?」
「貴方は、非常によく似ているんですよ。妖怪の賢者――八雲紫に」

 全くもって思わぬ話に、私たちは呆然としたまま稗田邸を辞した。
 自宅への帰り道、白い息を吐いて雪を踏みしめながら、私と蓮子は互いに首を捻る。
「八雲藍さんが、メリーの顔を不思議そうに覗きこんでたのも、それで説明がつくけど」
「そんなこと言われても、私に心当たりなんかないわよ」
「まあ、そりゃそうよね。80年前の異世界に自分のそっくりさんがいるって言われても困るわ。まあ、世界には自分のそっくりさんが3人はいると言うけれど」
「藍さんが蓮子のそっくりさんだったら面白かったのにね」
「なんで私がメリーの従者なのよ。事務所の所長は私よ」
「はいはい所長様。……しかし、それならやっぱり会ってみたいわね。藍さんもだけど、その私のそっくりさんとは。いったい何者なのかしら」
「そうねえ……って、これじゃメリーのモフモフ探しに普通にそれらしき口実が出来ちゃうじゃない。メリー、藍さんの尻尾モフりたいだけでしょ」
「ええそうよ」
「開き直らないでよ。全くもう……」
 帽子を脱いで頭を掻いた蓮子は、「まあでも」と帽子を被り直す。
「この世界の不思議なことを見つけて、放っておいたら、探偵事務所の看板を掲げた意義が失われてしまうわね」
「蓮子? じゃあ――」
「仕方ない。発端は間抜けだけど、気になることが出てきたからには本格的に調べてみましょう。妖怪の賢者の居所ってやつを。――この世界の創造主みたいな存在なら、私も会って話を聞いてみたいしね。なんでこの世界を創ったのかとか、いろいろ」
 帽子の庇を持ち上げて、にっと猫のような笑みを浮かべる相棒に、私も笑い返す。
「さすが蓮子、そうこなくっちゃ」
「そうと決まれば、明日から蕎麦屋と豆腐屋で張り込みよ、メリー!」
「寺子屋の授業がない時間だけね」
 そんな調子で、私たちは歩きながらあれこれ計画の算段を立てる。それはこの世界にやって来てからも、変わることのない秘封倶楽部としての日常。つまるところ私たちは、電気もないような異世界にやってきても、二〇八〇年代の京都で大学生として過ごしていた頃と、あまり変わらない毎日を過ごしているのだった。

 と、いうわけで。
 翌日からさっそく、私たちは時間を見つけて蕎麦屋と豆腐屋に張り込むことにした。……のだが、何しろ相変わらず四月とは思えない寒さが続く上に、私たちがこっちに来たのは真夏だったから防寒具はこちらで揃える他なく、その性能は80年後の京都には及ぶべくもない。
 2日目には早くも、寒い中でぼんやり突っ立ってあの尻尾を待つのが辛くなってきていた。
「ああ、ますますあの尻尾が恋しいわ……さむい」
「メリー、忍耐力ないわねえ」
「私はあの尻尾のモフモフに堕落させられてしまったの。仕方ないじゃない」
「よしメリー、代わりにこの宇佐見蓮子さんをモフっていいのよ?」
「蓮子はモフモフしてないじゃない」
「ぐぬぬ」
 そんな馬鹿馬鹿しいやりとりをしながら、とりあえず一週間は張り込んでみよう、と蓮子と算段を立てていたのだが――。

 事態が動いたのは、ついに暦が5月に突入した5日目のことである。それも、張り込みの最中ではなかった。
「はい、じゃあ次のところをみんなで読んでみましょう」
 その日、私の担当する寺子屋の国語――読み書きの授業は昼前の2時間目だった。近隣の商家の子供たちがぽつぽつと集まりはじめ、それなりに学校らしい人数が揃ってきた教室で、私は自分が受けていた義務教育の授業を思い出しながら、子供たちに読み書きを教えていた。幸い、この世界の言語は日本語で、若干書き文字や言い回しに古さはあるものの、基本的に私たちが京都で使っていた日本語と変わらないので、私でも読み書きぐらいは教えられるのである。
「ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり――」
 貸本屋の鈴奈庵から教材になりそうな本を探し、蓮子と慧音さんの協力で書き写して作った教科書を、子供たちが朗読する。今日は平家物語だ。古文なので子供たちには難しいかもしれないが、日本語の七五調のリズムの教材には、古文がちょうどいいのである。慧音さんの歴史の授業でも、今はちょうど源平合戦のあたりを教えているようだし。相変わらず生徒は居眠りばかりしているようだが。
「せんせー、ぎおんしょうじゃってなに?」
「お釈迦様が説法を行ったお寺よ」
「しょぎょうむじょうってなにー?」
「どんなことも、変わっていくものだっていうこと」
「じょうしゃひっすいのことわりって?」
「どんなに栄えているものも、やがて廃れていくのは当たり前のこと、っていう意味。1時間目の慧音先生の授業でやらなかった? 平家にあらずんば人にあらず、とまで言われた平家が、源平合戦によってついに壇ノ浦で滅亡したって」
「けーねせんせーの授業、ねむいんだもーん」
「なー」
 子供たちのそんな声に、私がどうフォローしたものか思案に暮れていると、不意に教室の外から廊下を走るばたばたという足音が聞こえてきた。
「メリー!」
「どうしたの蓮子、授業中よ」
 教室に駆け込んできたのは蓮子である。続きの朗読の声も止まり、授業は完全に腰を折られてしまった。私が抗議すると、「それどころじゃないわよ――」と蓮子は咳払い。
「お客さん」
「お客さん? どちら様?」
 と、蓮子の背後から新たな足音。私はそちらに視線を向け――そして、目を見開いた。
「やあ、こんにちは」
 狐目を細めた柔和な笑みを浮かべ、その背中にあの黄金のモフモフを揺らして、私たちが探し求めていたあの人――八雲藍さんは、寺子屋の廊下に佇んでいた。

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この小説へのコメント

  1. メリーがモフに取り憑かれるとは………
    ボクもモフりたいのに……←
    EOさんも忙しいのにお疲れ様です。
    次回も首を飛ばして待ってます(笑)

  2. メリーさんも幻想郷ののんびりとした空気に充てられたなあって感じがします。でなきゃあそこまでモフモフに溺れないでしょう(笑)。
    次回もお待ちしております。

  3. 藍さまにモフモフされたい モフモフ

    ついに妖々夢編始まりましたね。嬉しいです。原作を踏まえながら、どのように蓮子とメリーが絡んでくるのか非常に楽しみです。応援しています!

  4. Hello! I’m from America. First I found the picture of Ran, and then I found this story by looking for that. I have been reading this story using a translation website. I just want to say that so far, the story is great! Sometimes it’s unclear but I think that is because of the translation website, not the story. However, I can still enjoy the story. Thank you for writing this, and I can’t wait to read more!

    こんにちは!私はアメリカから来たんです。最初に私は蘭の写真を発見してから、私はそのを探して、この話を見つけました。私は翻訳サイトを使用して、この話を読んでてきました。私はこれまでに、物語は偉大であることを言いたいです!時にはそれは不明だが、私はそれがあるため、翻訳サイトではなく、物語のだと思います。しかし、私はまだ話を楽しむことができます。これを書いてくれてありがとう、と私はより多くを読むために待つことができません!

  5. やべぇ…やべぇよこのメリーさん、完全なモフモフジャンキーだよ…
    悪魔に自分の魂を売るどころか蓮子の魂まで勝手に売りそう。
    「私は蓮子の魂とついでに花京院の魂を賭けるっ…!」
    非常に楽しく読ませていただきました!

  6. 妖々夢1話目御苦労様です~。いや藍様の尻尾モフモフは私にとっても夢ですね~モフってみたい・・・尻尾の柔かさとかの表現方法が豊か過ぎて一瞬私もメリーさんみたいになってしまいました。メリーさん良いな・・・モフモフ出来て

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