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こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編   妖々夢編 第4話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編

公開日:2015年11月07日 / 最終更新日:2016年05月13日

妖々夢編 第4話
春あさみすすのまかきに風さえて
また雪きえぬしからきの里   





―10―


 人形屋敷だった。
 飾られているのは、古今東西ありとあらゆる人形、人形、また人形。ビスクドール、市松人形、マトリョーシカ、マリオネットあたりはいいとしても、外の世界のものだろうリカちゃん人形やカーネル・サンダース、果ては埴輪や遮光器土偶まである。これは屋敷の奥まで進めば兵馬俑とか出てくるのではないだろうか。
「凄い……これ、全部コレクションなんですか」
「私が作ったものも多いけどね」
 私の問いに、アリスさんは素っ気なくそう答えながら「夕飯を支度するわね。人形にはあまり触らなければ自由に見ていていいわ」とキッチンらしい方へ向かう。
 お言葉に甘えて、私たちは飾られた様々な人形を見て回る。あのカーネル・サンダースって、ひょっとして前世紀に阪神タイガースが優勝したとき道頓堀に投げ込まれたというものだろうか。いや、あれは確か今世紀の初めに発見されたのだっけ?
「メリー、見て見て、これ面白いわよ」
 と、蓮子が何か気持ち悪い生物のぬいぐるみを手に寄ってきた。
「なにその気持ち悪い生き物」
「お腹を押すとね」
 ヘェーイ。ファー。ブルスコ。ファー。なんか気持ち悪い声で喋るんですけどこの人形。
「前世紀の玩具かしら?」
「貴重品だから壊さないでね」
 アリスさんが料理を運んできたので、私たちは戸棚から離れてテーブルについた。と、テーブルの上を掌サイズの人形が、ナイフやフォークを抱えて歩いてくる。かわいい。
「からくり人形ですか?」
「いいえ。私が魔法で動かしてるの」
 別の人形がスープ運んでくる。楽をしているのか、それとも魔法でやっているだけで相応に神経や体力を使っているのか、魔法使いでない私にはよくわからない。
 ――紅魔館でなぜかアリスさんからのお誘いを受けた私たちは、魔法の森のマーガトロイド邸にやって来ていた。胞子の舞う深い森の中、マスクを付けて辿り着いた屋敷で、なぜかこうして夕飯をご馳走になっているわけだが。
 イェイイェイ、カクシテ。モルスァ。
「蓮子、その人形うるさい」
「可愛くない?」
「可愛くないわよ」
 残念そうな顔で謎の人形を片付ける蓮子。ときどき蓮子のセンスがよくわからない。
 とまれ、夕飯である。どうしてアリスさんが私たちにご馳走してくれる気になったのかは不明だが、まさか薬が入っていて取って食われるということもあるまい。パンと鳥肉のスープとキノコのサラダというメニューの夕飯を、私たちは美味しくいただく。
「ところで、いいかしら」
 夕食後、紅茶を飲みながら、改まってアリスさんが私たちを見つめた。
「貴方たちに、外の世界の話を聞きたいのだけれど」
「外の世界ですか」
 私は蓮子と顔を見合わせる。なるほど、彼女の目的はそれか。しかし外の世界といっても、私たちがやって来たのは約八〇年後の未来からなのだが、さて、その件はどう説明したものか。そもそもなぜタイムスリップすることになったのかも、未だよくわかっていないというのに。
「何についてでしょう。政治、宗教、文化……流行の人形について、ですか?」
 蓮子が手を組んでそう尋ね返すと、アリスさんはゆっくりと首を振る。
「私が聞きたいのはひとつよ。――外の世界で、完全自立型の人形は成立している? つまり、心を持った人形のことだけれど」
「心を持った人形――ですか」
 蓮子は目をしばたたかせる。つまりそれは、私たちの世界の言葉に言い換えれば、《意志を持った人工知能》のことか。心を持ったアンドロイドは造れるか、という問題。
 21世紀の初め頃、意志を持った強い人工知能が誕生することで、科学技術の進歩は人類から人工知能に移行する、いわゆる《技術的特異点》が出現すると考えられていたという。それは21世紀の半ば頃とも予想されていたらしい。だが――。
「……アリスさん。まず前提としてお断りしておきたいのですが」
「なにかしら?」
「私たちは、約80年後の未来から来た人間です」
 蓮子の言葉に、アリスさんが目を見開く。
「どういうこと?」
「それはこちらにもよくわからないのですが、境界を超えたときにタイムスリップしてしまったようで。なので、私たちが知るのは、今現在の外の世界――西暦2004年頃のはずですが、それより80年後の技術、ということになります。つまり、私たちから外の世界の話を聞くということは、未来を知るということになるわけですが――構いませんか?」
「――私が知りたいのは、人形技術に関することだけよ。それに、あくまでそれは外の世界の歴史で、この幻想郷の歴史ではないのでしょう?」
「解りました。ではお答えしますが――2085年現在、強い人工知能――即ち、意志を持った人工知能は成立していません。なので、心を持った人形も作られてはいません」
「……そう」
「はい。結局のところ、人工知能に人間的な知性を持たせるということは、まず人間の持つ知性や意志、感情といった《心》を定義しなければなりません。《心》があるということはどういうことなのか。それが定義されない限り、仮に心を持った人工知能が作られたとしても、それに本当に《心》があるのかどうかを判別する術がないということになります。本当に《心》があるのか、それとも《心》があるかのように振る舞っているだけなのか。究極的には私たちは、他人に、あるいは自分自身にさえ、心が本当にあるのかどうか、確証を持つことすら難しいのですから」
「――――」
 アリスさんは難しい顔をして唸る。チューリング・テストとか中国語の部屋とか哲学的ゾンビとかそういう話であるが、果たして科学技術が一世紀以上は遅れているだろう幻想郷の住人に理解できるものだろうか。文系の私も曖昧にしか理解していないというのに。
「むしろ私たちの暮らしていた21世紀末では、人間の自由意志の存在そのものを疑うという考え方の方が主流だったとも言えます。人類は実は最初から自由意志など持っていなかったのではないか。自分たちが心だと思っているものは、いったいどこに存在しているのか。客観的に存在を証明できない以上、自意識は存在しないものと見なすのが正しいのではないか」
「……つまり、私たちにも心なんてものは存在しない、と?」
「あくまで、外の世界の未来での考え方の話です」
 顔をしかめたアリスさんに、蓮子は苦笑しながら答える。
「私たちに《心》が存在していないかもしれない以上、人工知能に《心》を持たせられるはずもない。限り無く人間に近い会話や感情の発露や仕草を学習させれば、そこには《心》があるように見えますが、人間の《心》の存在自体を判別できない以上、人工知能の《心》の有無も判別のしようがない。かつてSFが夢見た、人類に対して叛乱を起こすAIや、人類と恋愛するAIは、結局のところ人間的な《心》の存在を自明のものとした認識上の幻想です」
「……それが、未来の外の人間の結論?」
「今のところは。いずれ《心》が完全に定義されれば、強い人工知能が成立するかもしれませんが。こっちの世界に来てしまった私たちには知りようもないですけれど――」
 蓮子が嘆息混じりに、そう言ったそのとき。
 ――不意に、アリスさんが険しい顔をして、夜の闇に沈んだ窓の外へ視線を向けた。
「アリスさん?」
 蓮子が問うと、アリスさんは首を振って、小さくため息とともに立ち上がった。
「ごめんなさい、招かれざる客が来たみたい」
「招かれざる客?」
「少し、応対に出てくるわ。ごめんなさいね」
 立ち上がってリビングを出て行くアリスさんの背中を、私たちは見送る。いったい誰が来たのだろう。顔を見合わせた私たちは、様子を見にアリスさんの後を追った。
 マスクを手に取り、屋敷の玄関を出る。闇に沈んだ魔法の森。アリスさんはどこだろう。視線を巡らすと――闇の中に、光の明滅が見えた。
「あれみたいね。弾幕ごっこ中かしら?」
「じゃあ、霊夢さんや魔理沙さんが? アリスさんはこの冬の異変には関係なさそうだけど」
「さて、ともかく行ってみるわよ、メリー」
「危険がない距離までね」
 言い合って、私たちは光の瞬く方へ向かう。冷たい草を掻き分けて木々の間を進むと、ほどなく月明かりの中に、ぼんやりと人影が浮かび上がる。
「しばらくぶりね、霊夢」
「さっき遭ったばっかりだってば」
「いや、そういう意味じゃなくて。私のこと覚えてないの?」
「なんだ霊夢、知り合いだったのか?」
「覚えてないわねえ」
「全く。野魔法使いなんかと付き合ってるから頭の春度が高くなるのよ」
 呆れた声音のアリスさんと話をしているのは、聞き間違えるべくもない。霊夢さんと魔理沙さんだ。やはりこの異変解決に動いているらしい。
「温室魔法使いよりはよくないか?」
「都会派魔法使いよ」
「あー? 辺境にようこそだな」
「無駄に時間を過ごすようなやりとりは遠慮してもらえないかしら。お嬢様が心配だし」
 と、4人目の声が割り込む。咲夜さんの声だ。異変解決に動いた3人が合流してアリスさんのところにやってきたようだが、どういうことだろう。
「そこのメイドも、他人の心配するくらいなら自分の心配したら?」
「ああ、心配だわ、自分」
「で、何が心配なの? 自分」
「服の着替えを三着しか持ってこなかったの、自分」
「持ってきてたんだ」
「あと、ナイフの替えも」
「持ってきてたの?」
「あんたたちの会話の方がよっぽど時間の無駄じゃない。寒いからちゃっちゃと話終わらせて」
 霊夢さんが声をあげる。アリスさんは肩を竦めた。
「田舎の春は寒くて嫌ね」
「誰のせいで春なのにこんな寒さになってると思ってんだ?」
「ちなみに、私のせいではないわ。春度を集めてる奴がいるからよ」
「その、今回の騒動の張本人は一体どこのどいつ?」
 咲夜さんが前に歩み出る。
「だいたい、心当たりはあるけど。私にとっては些末なことだからどうでもいいわ」
「どうでも良くない。力尽くで口を割っていただくわ」
「おっと、こいつの春度は私がいたたくぜ」
「誰でもいいけれど。私も、あんたたちのなけなしの春くらいはいただこうかしら」
「――こいつは首謀者じゃなさそうだし、魔理沙に任せるわ」
「そうですね。魔法使いは魔法使いに任せましょう」
「だとよ。さあ尋常に春を返してもらうぜ」
「所詮貴方は白黒の二色。その力は私の二割八分六厘にも満たない」
 ――かくして、霧雨魔理沙対アリス・マーガトロイドの弾幕ごっこが始まった。

 夜の森で繰り広げられた、魔法使い同士の華麗なる弾幕勝負に筆を割いてもいいのだが、やはりそれはこの話の本筋とはあまり関係がないので割愛させていただく。
 結論から言えば、勝負は魔理沙さんの勝利で終わった。無数の人形を操るアリスさんは、何か余裕をもって――手加減しながら戦っていたようにも見えたが、気のせいかもしれない。
「さて、春を集めてる奴の居所を教えてもらうぜ」
「……風下の寂れた神社に住んでる、頭が春っぽい巫女の仕業ね」
「お前の仕業か霊夢!」
「濡れ衣を着せるな」
「冗談はさておき。――貴方たち自身が既に春を集めて、春を近づけているわ」
「春度って、ひょっとしてこの桜の花びらのこと?」
 霊夢さんが首を傾げる。
「知らずに集めてたの?」
「なんかまとわりついてくるのよ、勝手に」
「つまり、この花びらを追っていけばいいと。――ということは、風上ね」
 咲夜さんが言って、霊夢さんと魔理沙さんも頷く。
「なんだ、結局私の勘の通りに進めば良かったんじゃない」
「魔法の森の向こうって、三途の川の方じゃなかったか? ま、ともかく行ってみるか」
 そんな言葉を残して、霊夢さん、魔理沙さん、咲夜さんの3人はその場を飛び立っていく。それを見送ったアリスさんの元へ、私たちは歩み寄った。
「アリスさん、大丈夫です?」
「あら、見てたの? 平気よ、本気じゃないし」
 ぱんぱんとスカートを払って、アリスさんは息を吐く。
「ごめんなさいね、余計な邪魔が入ってしまって」
「いえいえ――それよりも」
 と、蓮子が帽子の庇を弄りながら、アリスさんの顔を覗きこむ。
「アリスさん、今回の異変の首謀者をどうしてご存じなんですか?」
「――――」
 虚を突かれたようにアリスさんは目を見開く。
「普通の人間が、どうしてそんなことに興味を抱くのかしら?」
「普通の人間以外ですので」
「異常な人間ね。――偶然よ。研究の過程でたまたま、春の集められている場所を知っただけ」
「研究というのは、心を持った人形の――」
 蓮子が、そう問いかけた、次の瞬間。

 闇の中に、突如として、空間そのものが割れるかのような、奇妙な亀裂が走った。
 そして、口を開けたそこから――無数の目が、私たちを見つめていた。
「――――!?」
 その、無数の目が見つめる世界の亀裂が、さらに大きく広がって。
 悲鳴を上げる間もなく、私たち3人を呑み込んで――暗転。





―11―


 補足しておくと、霊夢さんは朝方にマヨヒガで橙ちゃんと戦ったあと、マヨヒガから奪ってきた日用品を神社に一度持って帰ったのだそうだ。寒い中もう一度外に出るのも億劫で、神社に引きこもっていたところ、午後に魔理沙さんがやって来て、「うちの近所の魔法使いが何かこそこそ動き回ってて怪しい」と告げ、一緒にそこへ向かうことにしたらしい。霊夢さんの勘は西に進めばいいと告げていたが、魔理沙さんに強引に連れて行かれたのだそうだ。
 一方咲夜さんは、昼過ぎに館を出たあと、近所ではしゃいでいた冬妖怪をとっちめてみたが状況に変化がないため、調べ回っているところを霊夢さんと魔理沙さんに出くわしたらしい。
 そういう次第で、3人はあのときアリスさんのところへ来ていたのだったが、まあ、それは私たちの話にはあまり関係がない。この後3人は、天空で春告精や騒霊楽団と戦ったのだそうだが、それも私は観測していないため、詳細はここには記さない。
 では、謎の裂け目に呑み込まれた私たちのことに、話を戻そう。

 闇に呑まれていた時間が一瞬だったのか、それとも永い時間だったのかもよくわからない。
 ただ、我に返ったときには、私は全く見知らぬ場所にいた。
「……ここは?」
 そこは、果てしなく続くかのように広い庭園だった。森のように生い茂る樹木。迷路のような生け垣。視界の先には広い池に橋が架かり、石灯籠が苔むしている。石畳の通路は、地平線が見えそうなほどに長く続いている。遠近感がよくわからなくなるほど広大な日本式の庭園。京都でもここまで無闇と広い庭はなかなか見た記憶がない。
 ふらふらと、私はそこを歩き回る。夜のはずなのに、空を見上げると月が皎々と照らしているせいか、不思議なほどに明るく感じる。それに――なんだか暑い。幻想郷は冬の真っ盛りのはずなのに、ここだけ一足も二足も早く春が来ているかのような陽気だ。
 私は襟元をぱたつかせながら、生け垣を掻き分けるようにしてあてもなく進むと――やがて、目の前に広がった光景に息を呑んだ。
 それは、薄紅で空の闇を埋め尽くさんとばかりに咲き乱れる、一面の桜並木。
 果てもなさそうなほどに並ぶ無数の桜は、春の盛りを謳歌している。幻想郷には到来していないはずの春を。――私が知らないうちに、幻想郷に遅い春が来ていたのか? しかしそれにしても、一瞬で桜がここまで咲き乱れるはずもないし――とすれば。
 ここは、春を奪っている異変の犯人の、本拠地なのではないか。
 けれど、いったいどうして私たちがそこに来てしまったのだろう。まるであのとき、宇佐見菫子さんの部屋から紅魔館に飛ばされたときのような――。
「……蓮子?」
 そこで我に返り、私は桜並木の下で、相棒の姿を探して視線を巡らせる。だが、風にさざめく薄紅色と、その向こうの闇の中に、相棒の姿は見当たらない。私は独りだった。ひっそりと音の消えたような桜の森の中で、その張り詰めた闇と静寂の中に独りきり――。

そこは桜の森のちょうどまんなかのあたりでした。四方の涯は花にかくれて奥が見えませんでした。日頃のような怖れや不安は消えていました。花の涯から吹きよせる冷めたい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと、花びらが散りつづけているばかりでした。彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。

 不意に、坂口安吾の小説の一場面が頭に浮かんだ。『桜の森の満開の下』――桜の樹の下で、愛した女を絞め殺してしまった男が呆然と花びらの中に座り込むその場面。確かその後に続く文章はこうだ。

桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。

 そうだ――私もまた孤独だ。蓮子がいない。相棒が、どこにもいない。私は、迷子になってしまった子供のように呆然と立ち尽くす。親の姿を見失った子供は、行き先もわからず、ただ同じ場所に立ちすくんでいるしかない。どこにも行ける場所などない――。
「蓮子……蓮子ぉ――」
 私は相棒の名前を叫ぶ。けれどその声は、桜の花びらに吸い込まれるように消えて、どこにも届かない。桜の花びらが、相棒の存在さえも呑み込んでしまったかのように。
 だから私は、その場にしゃがみこむしかなかった。もう、一歩も動けない。蓮子がいないことを自覚してしまったら、足が動かなくなってしまった。誰か――誰か。いや、誰でもない。他の誰でもない。蓮子が――蓮子がいてくれないと、私はこの世界で、どこにも進むことさえできないのだということを、不意に突きつけられてしまって――。
 そんな私の耳に、不意に届いたのは、誰かの足音だった。私は顔を上げる。無数の桜の樹から降りしきる花びらの中に、不意に誰かの影が浮かび上がる。誰――?
「蓮子――?」
 私が立ち上がり、そう呼びかけるのに応えるように、その影は私の方へ一歩を踏み出して、
「怪しい奴――とりあえず、斬る!」
「へっ?」
 次の瞬間、桜吹雪を切り裂くように、小さな影が弾丸のように私の方へ飛びだし。
 その手の白刃が、閃光となって私の首元目がけて翻る。
 私は呆然と立ち尽くしたまま、自分が斬られようとしているという自覚さえないままに、その刃の軌跡をスローモーションのように眺めていて、
 ――けれど、その刃は、私の首に食い込む寸前で、ぴたりと止まった。
「ゆっ――紫様!? し、失礼いたしましたっ!」
 そんな素っ頓狂な声を上げて、刃を引いて鞘に収め、ぺこぺこと頭を下げ始めたのは――銀色の髪に黒いリボンを巻き、腰と背中に二振りの刀を提げた、小柄な少女だった。





―12―


 どうやらまたしても、私は八雲紫なる妖怪の賢者に間違われているらしい。ここは誤解を解くべきか、それとも誤解されたままで押し通すべきなのか、私は考え込む。いきなり斬りかかってこられたようなのだが、一瞬のことだったので、どうも命の危険にさらされたという実感が薄い。さて、どうしたものか――。
 嘘で誤魔化せばこの場は凌げるだろうが、露見したときの危険は大きい。だとすれば、どうやら話の通じない相手ではないようだし、ここは先に正体を明かす方が得策であろう。たぶん。
「あの……」
「は、はいっ」
「人違いです」
「――はっ?」
 きょとんと、銀髪の少女は目を見開いて、私を改めてまじまじと見つめた。
「……紫様ではないのですか」
「マエリベリー・ハーンです。よく似てると言われるけど、その人のことは知らないわ」
「はあ……で、ではやはり怪しい奴! どこからこの白玉楼に入り込んだ!」
 再び背中の鞘から長い刀を抜き放って、少女は私を睨み付ける。花吹雪の中で日本刀を構える少女というのはなかなか絵になっているが、刃を向けられている側としてはわりと洒落にならない。私は両手を挙げて降参のポーズをとった。
「怪しい者じゃないの。ちょっと迷い込んだだけで……」
 私の言葉に、少女はますます訝しげに目を細め、「……生身の人間?」と呟いた。
「この冥界に、どうして生身の人間が。やっぱり怪しい……とりあえず斬る!」
「いやだから斬らないで! 死んじゃうから!」
 のけぞって身を引いた私に、少女は気を削がれたように首を傾げた。
「……何者?」
「ええと、それは私も聞きたいし、ついでに言うとどうしてここに来たのか、そもそもここがどこなのかも解らないんだけど……貴方は、ええと、どこのどなた?」
 私の問いに、少女は再び刀を背中の鞘に仕舞うと、息を吐き出す。
「なんだかよくわからないから、とりあえず幽々子様の判断を仰ぐことにします。……私は魂魄妖夢。冥界の管理者である西行寺幽々子様の従者で、この白玉楼の庭師」
「冥界、白玉楼――」
 いきなりよくわからない単語を羅列しないでほしい。というか、冥界って。
 以前、蓮台野から覗き見たことはあるけれど、生身で入り込んだのは初めてである。そういえば蓮台野から見たときも、冥界には桜が咲き乱れていたっけ――って、それどころじゃない。
「……冥界ってことは、私、もう死んでるの?」
 おそるおそる尋ねた私に、彼女――妖夢さんは首を横に振る。
「ここは、閻魔様の裁きを終えて成仏か転生かを待つ幽霊が暮らす世界だけど。貴方は幽霊じゃなく生身の人間。だからここにいるのはおかしいんだけど――」
「じゃあ、貴方も幽霊?」
「私は半人半霊。人間と幽霊のハーフ」
 ハーフって、人間と幽霊の間で子供が作れるのだろうか? 果てしない疑問が浮かぶが、そもそも妖怪や妖精や神様が実在する幻想郷では野暮な問いかけかもしれない。
 そういえば、妖夢さんの近くにさっきから白いふわふわとした細長い物体が浮いている。これは何だろう――。触ってみようかとも思ったが、変なものなら怖い。
「ともかく、こっちへ来て。貴方の処遇については幽々子様の判断を仰ぐから」
「幽々子様って、貴方のご主人様?」
「そう。この白玉楼の主。生身の人間はうっかりすると殺されるから気をつけてね」
 怖いことを言わないでほしい。いや、既に斬り殺されかけたので今更か。何にしても、やっぱり私たちは命の危険と背中合わせで異変の謎を追うことになるらしい――。
 と、そこまで考えて、私は慌てて周囲を見回す。やはり周囲は、桜並木が延々と続くばかりで、私と妖夢さん以外の影は見当たらない。
「あの……私以外の人間を見かけなかった?」
「人間? 他にも侵入者が?」
「たぶん、私と一緒に来てるはずなんだけど……見つからなくて。黒い帽子を被って、茶色いコートを着た女の子。それと、金髪の人形遣いの魔法使いさんも来てるかも――」
 そうだ、あの謎の裂け目に呑み込まれたとき、アリスさんもそこにいた。だとすれば、彼女もここに来ていてもおかしくないはずだが。
「……人間はともかく、人形遣いの方は知ってる」
「え、知り合い?」
「この前、どういうわけか冥界に来ていたから。何が目的だか知らないけれど」
 ――もし、この冥界が春爛漫であることが、幻想郷の冬が長引いている原因だとすれば。アリスさんが原因を知っていた理由は、確かにそれで説明がつく。しかし――。
「どっちも見てない?」
「うちの庭はやたら広いから。探すなら全体を見回らないと――」
 妖夢さんがそう言いかけたところで、不意に足を止め、また背中の刀に手を掛けた。
「――曲者!」
 刃が閃く。目にも留まらぬ早業――その結果、切り裂かれた空間の下に、ぽとりと何かが落ちて転がった。私はそれを拾い上げる。少女の姿をした布製の人形だった。
「人形?」
 妖夢さんが首を傾げる。――私は理解した。これはつまり、アリスさんのものだ。
「アリスさん!」
 私がそう叫ぶと、桜並木の陰から、ふたつの影が躍り出る。
「メリー!」
 そのうちのひとつが、一直線に私に駆け寄ってくる。妖夢さんが刀を構え直すのが見えた。いや、まずい、それはまずい。私は慌てて、妖夢さんを突き飛ばすように前に出ると――走ってくるその影に、自分からぶつかっていくかのように飛び込んだ。
「蓮子!」
「わっ、ちょっ、め、メリー? ホントにメリーよね?」
「蓮子、蓮子ぉ――」
 ぎゅっとしがみついた私の耳元で囁かれる、聞き慣れた相棒の声。私はへなへなと全身の力が抜けて、相棒に身体を預けるようにもたれかかる。蓮子はそんな私を受け止めて、「どうしたのメリー、迷子になってそんなに寂しかった?」と笑った。
「迷子になったのは蓮子の方でしょ」
「さて、それは主体をどっちに置くかの問題ね。まあ、無事合流できたから良しとしましょ」
 ぽんぽんと背中を叩く蓮子に、「……ん」と私はその胸元に鼻を擦りつける。できればしばらくこのままでいたかったけれど、「仲が良いのね」と冷やかすようなアリスさんの声が割り込んで、私は慌てて蓮子から身を離した。
「あ、メリー、もうちょっと甘えてくれて良かったのに」
「嫌よ、恥ずかしいから」
「本当に仲が良いこと。……ああ、ごめんなさい、庭師さん。お邪魔しているわ」
 アリスさんがそう、拍子抜けしたように立っていた妖夢さんに挨拶をする。妖夢さんは眉を寄せて、「……何をしに来たの?」と険しい声を発した。
「幽々子様の邪魔をしに来たのなら、この場で斬る」
「邪魔? 貴方のご主人様は何か企んでいるの?」
「え? あ、い、いや――」
 妖夢さんは慌てて口を手で押さえる。今のは要するに、自白とみていいのだろうか。幻想郷から春を奪っているのが、どうやら彼女のご主人様で、この広い庭の持ち主だと。
「……と、とにかく、幽々子様のところに全員まとめて連れて行くから!」
 長い刀で私たち3人を順番に指し、妖夢さんはそう言った。切っ先をこっちに向けるのは、危ないからできれば止めてほしいのだけど。

 ――かくして、私たちは魂魄妖夢さんの案内の元、桜並木の奧へと進んだ。
 ちなみに蓮子の方は、ここに迷い込んですぐにアリスさんを発見し、ふたりで私のことを探していてくれたらしい。しかし、どうして私たちがいきなりここに飛ばされたのかは、アリスさんにも解らないらしかった。
「何者かの仕業だとは思うけど」
「異変の首謀者らしい、ここの主とかですかね」
「さてね――」
 アリスさんと蓮子がそんなことを言い合っているうちに、果てしなく続いていくかと思われた桜並木のトンネルに、終わりが見えようとしていた。先頭を歩く妖夢さんが、風に舞いあがった花びらに手をかざし、そして「幽々子様――」と呼びかける。
 私たちも、その桜のトンネルを抜けて、その開けた場所に足を踏み入れて。
 そして、眼前に広がった光景に、私たちは息を呑んだ。
 そこに佇んでいたのは、一本だけ離れた場所で、孤立するように七分咲きの薄紅をまとった、ひときわ大きな桜だった。闇の中に、光を放つかのように浮かび上がる薄紅の花。それはまるで、燐光のようにぼんやりと、夜の黒を覆い隠してさえいる。根元には大きな四角い岩がひとつ鎮座し、周囲に何本もの卒塔婆が突き立てられている。巨木の幹には注連縄が巻かれ、飾りが枝とともに風に揺れていた。
 その巨木は、まるで神木のように荘厳で――けれど、その薄紅の花に、私は不意に寒気のようなものを覚えて、自分の身体を抱えるように腕を回した。
 ――桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 そう叫んだのは梶井基次郎だったか。坂口安吾も描いた、桜の花の禍々しさ。音もなく闇の中に佇む七分咲きの桜は、満開でさえないのに、あまりにも歪なものに見えて、私は息をすることもできない。桜は――こんなに怖ろしいものだっただろうか。こんな――。
「幽々子様!」
 妖夢さんが、再びその名前を強く呼んだ。その瞬間、不意にその桜の根元に、ひとりの少女の姿が浮かび上がった。いや、彼女はおそらく元からそこにいたのだ。ただ、私の目には、彼女が桜と一体化してしまったかのように、上手く認識できなかっただけで――。

 夜の闇に狂い咲く、異形の桜を背にして。
 その少女は――冥界の主にして、春雪異変の首謀者、西行寺幽々子は。
 踊るようにゆっくりと振り向いて、そして。

 彼女が両手を広げるとともに、背後の桜の樹が――啼いた。

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この小説へのコメント

  1. 全話読み終わり興奮も覚めぬ内に四話投下とは・・・もっと興奮してしまう!ブルスコ・ファー・・・

  2. ※なお、リリーと、プリズムリバー三姉妹の出番はカットされました

  3. 蓮子依存症のメリーは短時間といえど蓮子から離れてしまうと蓮子欠乏症を発症してしまうのだ!

  4. 作成御苦労様です~。アリス邸にカーネル・サンダースが出てきた事で少しばかり笑いが毀れました。

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