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こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編   妖々夢編 第3話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編

公開日:2015年10月31日 / 最終更新日:2015年10月31日

妖々夢編 第3話

風さそふ花のゆくへは知らねども
惜しむ心は身にとまりけり   





―7―


「――犯人は博麗霊夢か」
 橙ちゃんから聞きだした話を蓮子が報告すると、藍さんは難しい顔で腕を組んだ。
「霊夢さんとお知り合いですか?」
「有名人だからな。……そうか、橙は私に迷惑を掛けまいと黙っていたのだな。おお、橙。やはり橙はいい子だなあ……ああ、立派な式を持って私は嬉しいぞ」
 何か唐突に感動した様子で藍さんは目を閉じる。――橙ちゃんの意図が盛大に誤解されているような気がしたが、ここは言わぬが花というものだろう。
「ふたりとも、ありがとう。本当に助かった。謝礼については後日君らの事務所に届けよう」
「いえいえ、とんでもない」
 頭を下げた藍さんに、蓮子は軽く手を挙げて笑う。
「ところで、藍さん」
「何だ?」
「霊夢さんは、春を奪った相手を探している、と橙さんが言っていたのですが」
「――――」
 蓮子がそう言うと、不意に藍さんの顔から表情が消えた。
「もう五月の今、この寒さであるのは、ひょっとして何かの異変なのですかね」
「……いや、それを私に聞かれてもな」
「そうですか? 妖怪の賢者の式でしたら、そのあたりは把握されているかと」
「紫様は冬眠中だし、異変解決は紫様の仕事ではない。――さて、それでは帰ろうか」
 くるりと藍さんは背を向ける。――何か、私たちには言えないことでもありそうな雰囲気である。こういうとき、相棒は構わず突っ込んで行くものだが――「そうですか」と案外あっさりと引き下がった。
 ああ、しかしそれよりも、目の前で揺れる藍さんのモフモフの九尾である。ああ、寒いしあの中に今飛び込んだらどんなに暖かくて気持ち良いだろうか。埋もれたい。猛烈にモフりたい。あのふかふかの尻尾をむぎゅっと捕まえて頬ずりしてそのまま眠りに就きたい――。
 妄想しているうちに、妄想と現実の区別がつかなくなっていた。私はふらふらと、おびき寄せられるように、藍さんの尻尾に歩み寄り――ぼふっ、と顔を突っ込む。
「うおお!?」
「あはぁ~~~、モフモフぅ~~~」
「こらメリー! 子供じゃないんだから我慢しなさいって!」
「無理よぉ……こんなの、蓮子も埋もれるといいわ、ああ……至福ぅ」
 幸せすぎる。怒られてもいいので思う存分このままモフっていたい――。
「……メリー殿」
 と、藍さんが困ったような声で、私に呼びかけた。
「君は――なぜ私の尻尾に、そう無造作に触ることができるのだ?」
「……え?」
「誰彼構わず触られぬように、軽い結界を張っているはずなのだが――」
 ――そのとき、モフモフの尻尾に囚われて思考能力が著しく低下していた私には思い至らなかったが、蓮子はおそらく、蕎麦屋で聞いていた「誰もあの尻尾に触れない」という女将さんの言葉を思い出していたのだろう。
「ああ、藍さん。メリーは境界視の能力持ちですので、たぶんそのせいじゃないかと――」
「――境界視? 結界に干渉できるのか……」
 藍さんはまた難しい顔をして考え込んだが、私はモフモフの尻尾が揺れてそれどころではない。ああ、人間性が失われていく。人として駄目になる。軟体動物になってしまう。
「だからメリー、いつまで埋もれてるの」
「いつまでもよ~……」
「駄目だこりゃ。藍さん、すみません毎度うちの相方が」
「…………」
「藍さん?」
「あ、ああ、いや、仕方ない。紫様も橙も私の尻尾には埋もれたがるからな……」
「振り払っていいですよ?」
「好きにさせるさ。このまま人里まで送ろう」
「ああ――いえ、それならあの、紅魔館まで送ってもらえます?」
「紅魔館? あの吸血鬼の館に何の用だ」
「いえ、知り合いですので、ちょっと挨拶がてら。……メリーをこのまま長時間藍さんの尻尾に埋もれさせてたら、なんか人として戻れなくなりそうですので」
「……解った」
 そんな蓮子と藍さんのやりとりを、私はただ藍さんの尻尾の毛並みの中で聞くともなく聞いていた。――もう一生この中で過ごしてもいいかも、とか考えながら。





―8―


 藍さんの尻尾に埋もれているうちに、私はいつの間にか紅魔館まで運ばれていた。門の前に降りたって、藍さんは紅魔館の偉容を見上げる。
「……本当にここでいいのか?」
「ええ、ありがとうございます。ほらメリー、いい加減離れなさいって」
「嫌ぁ……ずっと尻尾に埋もれてるぅ……」
「さすがにもう離れてくれないかな」
 ぶるる、と尻尾が震え、抱きついていた私をはじき飛ばす。よろめいた私の身体は、蓮子が「おっとっと」と受け止めた。ああ、尻尾が、藍さんのモフモフが遠ざかってしまう。至福の狐色が、ふかふかのモフモフの――。
「だーからいい加減にしなさいってメリー」
「それじゃ、私はこれで。もうすぐ陽が暮れるし、君たちも気をつけてな」
「はーい、ご迷惑をおかけしました」
「ああっ、モフモフ、モフモフぅ――」
 藍さんが飛び去って行く。遥か遠ざかっていくモフモフに手を伸ばす私を、蓮子が羽交い締めにして止めた。
「止めないで蓮子! 私はモフモフを探す旅に出るの!」
「止めるってば。ていうか、代わりにこの蓮子さんをモフモフしなさい」
「……蓮子を?」
「さあ!」
 私が振り向くと、蓮子は胸を張って両手を広げる、藍さんの尻尾がなくなってしまった寂しさを埋めるように、むぎゅ、と私は蓮子に抱きついてみた。
「…………固い」
「固くて悪かったわねー!」
「あ、あのー、何やってるんですか?」
 と、そこへ第三者の声が割り込む。振り向くと、紅魔館の門の前で紅美鈴さんが困った顔をしていた。はっと我に返り、私は慌てて蓮子から離れる。何をやっているのだ私は。ああ、恥ずかしい――。というか恥を忘れすぎである。
「ああ、美鈴さん、こんにちは。どうもお見苦しいところを」
「はあ。お嬢様か妹様に御用でしょうか。今はおふたりともお昼寝中のはずですが」
「いえ、特に用というわけではなく、近くに来たのでちょっと」
「そうですか。まあ、こんな寒い中で立ち話もなんですので、どうぞ中へ」
 美鈴さんが門を開ける。さすがに美鈴さんも寒いらしく、いつものチャイナ服っぽい道着の上にジャケットを羽織っていた。白い息を吐きながら、美鈴さんは私たちとともに門の中へ入ると、内側から門を閉ざす。
 普段ならこのあたりで、どこからともなく咲夜さんが出迎えに現れるのだが、今日は不在なのか、美鈴さんが私たちの先に立って歩き出した。
「咲夜さんは?」
「ああ、咲夜さんはちょっと出かけています」
「買い物とかですか」
「いえ――そろそろ燃料が尽きそうなので、冬を終わらせてきます、と」
「はあ」
 冬を終わらせるって、人間が物理的にどうこうできるのだろうか。それとも、霊夢さんのように、冬を長引かせている異変の主を倒しに行ったのか? 霊夢さんの行動とあわせて考えれば、つまりはそういうことになるのだろうが――。
「お嬢様もこの寒さで、すっかりベッドから出たがらなくなってしまわれまして。妹様は元気すぎて困るほどにお元気なのですが」
 犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる。レミリア嬢が猫でフランドール嬢が犬か。
 扉を開け、館の中に入る。館もどこかひんやりと静まりかえっていた。咲夜さんが不在で、レミリア嬢とフランドール嬢が眠っているのでは、静かでも仕方ない。
「咲夜さんがいないので、大したお構いもできませんが――」
「パチュリーさんはいらっしゃいます?」
「あ、はい。そうですね、図書館にご案内します」
 というわけで、私たちは紅魔館地下にある図書館へと足を向けた。階段を下り、大きな扉を開けると、古書独特の匂いが鼻を突く。しかし、相変わらずすごい本の量だ。全部読もうと思ったら、いったい何百年かかるのだろう。
「あら、またお客様ですか? ――ああ、どうも、こんにちは」
 扉が開いた音を聞きつけたか、小悪魔さんがぱたぱたと飛んできて、私たちにぺこりと一礼する。「お邪魔します」と私たちが挨拶すると、小悪魔さんは指を一本口元に立てた。
「パチュリー様とお客様が読書中ですので、どうぞお静かに」
「お客様というと、魔理沙さんでも?」
 蓮子が小声で問うと、小悪魔さんは苦笑して首を振る。
「別の、もっと礼儀正しい魔法使いの方です。少なくとも本を盗まれたりはしないような」
 魔理沙さんは何をやっているのだ。図書館といえど勝手に本を持ち出したら犯罪だろうに。いや、取り締まる警察と裁く司法機関がなければ罪も罪にはならないのか?
 そんなことを考えながら図書館の中に足を踏み入れる。美鈴さんは「それでは私はこれで」と元の持ち場に戻っていった。
「どうぞ、お好きな本をお読みになっていてください。お茶でも用意しますので。咲夜さんの紅茶ほどは美味しくないですけど、ご容赦を」
 と言って、小悪魔さんはどこかへ飛び去って行く。私たちはそれを見送り、一応まずはパチュリーさんに挨拶しておこう、と図書館の奧へ足を進めた。立ち並ぶ無数の本棚の迷路を抜けると、その中にぽっかり開けた空間に立派なテーブルが置かれ、そこでパチュリーさんが一心に本を読んでいる。パチュリーさんの手元には紅茶のカップ。――そして、テーブルの向かい側にもうひとつ、飲み干されたカップが放置されている。
「――今日は千客万来ね」
 私たちが声を掛けるより先に、パチュリーさんがぱたんと本を閉じて振り返った。
「どうも、お邪魔してますわ。どうぞこちらはお構いなく」
「……こんにちは」
 私たちが頭を下げると、パチュリーさんは僅かに残っていたカップの紅茶を飲み干して、「読みたい本があったら勝手に読んでいて頂戴。持ち出すときは私に一言声を掛けること」と釘を刺すように言う。本当に魔理沙さんには勝手に本を持ち出されているらしい。
 私たちが別のテーブルにつくと、小悪魔さんが飛んできて「どうぞ」と紅茶のカップを差し出す。ありがたくそれを頂戴して、まずは一口。暖かい紅茶を口にして、身体が随分と冷えていたことを改めて実感し、私たちはどちらからともなくほっと息を吐く。
「しかし、やっぱりこの冬の長さは異変みたいね」
 と、声を潜めて蓮子が言った。私は頷く。
「霧で太陽を隠したお嬢様みたいに、冬の方が過ごしやすい妖怪が季節を長引かせてるってことなのかしら。ねえ蓮子、冬の方が好きそうな妖怪って何だと思う?」
「やっぱり雪女とかじゃない」
「イエティとかビッグフットだったりして」
「せめてヒバゴンとかにしなさいよメリー、ここって一応日本の一部みたいなんだし」
「吸血鬼の館でそれを言うの?」
「……それもそうね」
 実際のところ、お嬢様たちが本当に西洋妖怪なのかどうかは怪しいところだが、それは今の異変とは全く別の話である。
「しかし、これが異変だとすると、是非また首謀者に会ってみたいものだわ。ねえメリー」
「……またあんな命知らずな真似に巻き込まれるのは勘弁してほしいわ」
「そう言わない。私たちは何のために探偵事務所をしていると思ってるの、メリー。この世界の謎と秘密を解き明かすためよ! 幻想郷から春を奪い、冬を長引かせるこの異変。いったい犯人は何者で、どんな理由があるのか。私たち秘封探偵事務所が追う第二の事件として相応しいと思わない?」
「異変解決は霊夢さんの仕事じゃない」
「だから、霊夢さんの力尽くの解決じゃ明かされない部分を解き明かすのよ」
「ほじくり返す、の間違いでしょ」
 そんなことを言い合っていると、不意にこちらへと向かってくる足音が聞こえた。私たちは小声の会話を止め、足音の主の方を振り返る。
「――あ」
 蓮子が口を開けて、その人影を見つめた。私も目を見開く。――そこにいたのは、里で見覚えのある顔だったからだ。名前も知らないし、相手はおそらく私たちのことを認識していないだろうが、しかし彼女のことは、私たちは確かに、つい数日前にも里で見かけている。
 目にも鮮やかな金色の髪。ビスクドールのような、どこか冷たい印象を与える白い肌と青い瞳。厚いハードカバーを小脇に抱え、フリルの華やかなスカートとリボンを翻したその少女。
 彼女は私たちの視線に気付いたように、足を止めて訝しげに目を細めた。

 ――里で人形劇をしていたその人の、アリス・マーガトロイドという名前を、そのときの私たちはまだ知らなかった。





―9―


「……どこかでお会いしたかしら?」
 私たちの視線に、彼女はそんな言葉で答えた。じろじろと見つめてしまったことに気付いて、私は慌てて頭を下げる。と、蓮子は立ち上がると、大仰に一礼してみせた。
「これは失礼いたしました。里で何度かお見かけしたので、つい驚いて」
「なんだ、里の人間だったの。こんなところにいるなんて、ここの住人か、あの白黒と同じ魔道書目当ての野魔法使いなのかと」
「白黒の野魔法使いって、霧雨魔理沙さんのことですか?」
「近所に住んでるのよ」
 なるほど、そういえばどちらも魔法の森の住人だと聞いた覚えがある。
「ああ、申し遅れました。宇佐見蓮子と申します。こっちは相棒のメリー。里で探偵事務所と寺子屋の教師をやっています」
「――マエリベリー・ハーンです」
「探偵事務所?」
 私たちの挨拶に、彼女は目をしばたたかせる。
「ええ、謎と不思議を解き明かす探偵ですわ。ご相談事はありましたらいつでも」
「――宣伝なら相手を間違えているわよ。魔法使いは問題は自力で解決するの」
「おっと、これは失礼いたしました」
「自力と言うなら、自分の蔵書で何とかしたら?」
 と、そこへ割り込んだのはパチュリーさんである。彼女は肩を竦めた。
「必要な資料と情報を集めるのは自力のうちでしょう」
「それは私の本だけれど」
「本に書かれた知識そのものに所有権は無いはずよ」
「――本自体には所有権があるから、勝手に持っていかないでね」
 そんなことを言い合って、パチュリーさんはまた読書へ戻っていく。同じ魔法使い同士、友達なのかと思ったら、どうもそんなこともなさそうである。いや、親しいからこそ軽口をたたき合っているのかもしれないが。
「全く、魔法使いの品位を下げる野良には困るわ」
 彼女はため息をついて、パチュリーさんの向かい腰を下ろし、小脇に抱えていた本を開く。――結局、彼女の名前も聞いていない。私たちは顔を見合わせて、ただ肩を竦めた。

 私たちも安全そうな本を見つけて、それを読んで過ごすことにした。パチュリーさんの図書館は、外の世界の本も多い。ジャンルもやたらと雑多で、古い日本の漫画や娯楽小説、アメリカのペーパーバックもあれば、料理の本があり、年代物の医学書があり、この世界ではどう考えても必要なさそうな古いコンピュータの解説書や野球の本まである。魔法使いの蔵書というよりは、図書館としての体裁を整えるために適当にかき集めてきたかのような雑多さだ。もちろん、魔道書の類いもそれなりに揃っているのだろうけれども。
「メリー、何読んでるの?」
「ん? 井上夢人の『ダレカガナカニイル…』よ。京都にいた頃から読みたかったの」
「また古いのを……いや、こっちの世界は80年前だからそんなに古くもないのかしら。それにしたってなんで幻想郷の魔法使いの図書館に井上夢人があるんだか」
 私に聞かれても知らないとしか答えようがない。
「鈴奈庵には連城三紀彦とか戸川昌子とかあったわね」
「外の世界の当時の絶版本が流れ着いてるのかしら」
 幻想郷は、外の世界で忘れられたものが流れ着く場所だという。今は外の世界の暦では2004年のはずなのだが、その頃には連城三紀彦は忘れられていたのだろうか。その頃はまだ存命だったと思うのだが。
「さくやー、さむいー」
 と、ドアの開く音とともにそんな声が図書館に割り込んでくる。あの声は――。
 眠そうな顔をしてぱたぱたと飛んできたのは、毛布にくるまったレミリア嬢だった。パチュリーさんがため息をついて顔を上げる。
「パチェ、咲夜をどこへやったの?」
「咲夜なら、貴方が送り出したでしょう。冬を終わらせてくるって」
「――ああ、そういえばそうだったわ」
 ぽんと手を叩き、それからレミリア嬢は私たちに気付いて、毛布にくるまったまま近くの本棚の上に腰を下ろす。
「おや、来ていたのかい人間」
 お嬢様、毛布でぬくぬくしながら高いところで格好つけても威厳が全くないです。
「それに――そこのは何者かしら」
 と、レミリア嬢は例の彼女に視線を向ける。彼女は読んでいた本を閉じ、頭を下げた。
「お邪魔しているわ。アリス・マーガトロイド、魔法使いよ。この館のご主人様かしら」
「ふうん? パチェのお仲間か。私はレミリア。この紅魔館の主たる偉大なる吸血鬼よ、さあ崇めなさい」
 彼女はアリスさんというらしい。レミリア嬢はアリスさんを胡乱げに見やり、それからばさっとマントのように毛布を広げて見せた。子供のヒーローごっこか何かにしか見えない。ついでに「それにしても寒いわね」とまた毛布にくるまってしまったので全くカリスマも何もあったものではない。
「……はあ」
「何その気の抜けた反応。それともこのツェペシュの末裔を前に声も出せないのかしら」
「……貴方、こんなのの配下やってるの?」
「私はレミィの配下じゃないわ。友人よ。まあ、ときどき相手してて疲れるのは一緒だけど」
「さくやー、魔法使いどもが私に無礼を働くよー」
「だから咲夜はいないってば」
「困ったわね。パチェも親友としてもっと私の偉大さを広める努力をしてほしいものだわ」
「まずその毛布から出たら?」
「嫌よ、寒いから。パチェ、魔法で何とかして頂戴」
「そう言われてもね。火符で火をおこしてもいいけれど」
「はやく」
「ここでやったら本に燃え移るわ」
「それもそうね。館が燃えたらますます寒いわ」
 どこまでも、威厳も何もない会話である。
「レミリアお嬢様、温かいお紅茶でもどうぞ」
「あら、気が利くわね。……味は普通だけど」
 小悪魔さんから受け取ったカップの紅茶を啜り、レミリア嬢は呆れ顔のアリスさんをもう一度胡乱げに見やる。
「アリスとやら。まあパチェが認めたのなら、この図書館の中は自由にしているといいわ」
「それはどうも」
「でも、この図書館の主はパチェで、パチェのものは私のもの。だからこの図書館も私のものであり、故に貴方は図書館を利用する限り私にも敬意を払う義務があるのよ」
「はいはいかしこまりました偉大なるお嬢様」
「よろしい」
 アリスさん、思いっきり棒読みだった気がするのだが、それでいいのかレミリア嬢。
「ところで、そこの人間」
「何でしょうお嬢様」
「お前じゃなく金髪の方よ。フランのお気に入りの」
「え、私?」
 突然名指しされ、私は狼狽える。レミリア嬢は猫のように目を細め、それから図書館の入口の方へ首を振った。
「フランが退屈しているから、相手してやりなさい。さもないとそのうち――」
 お嬢様の声を途中で遮ったのは、ドアの方から轟いた破壊音だった。パチュリーさんが、がっくりとテーブルに突っ伏し、アリスさんが険しい顔で立ち上がる。
「何事?」
「……遅かったようね」
 レミリア嬢がため息をついたところへ、七色に薄ぼんやりと光る羽根を羽ばたかせて、フランドール嬢が飛んできた。寒そうに身を竦めて。
「あっ、お姉様見つけた! 毛布返して! それ私の!」
「嫌よ、寒いから」
「私だって寒いもん!」
 何をやってるのだこの姉妹は。
「それよりフラン、貴方のお気に入りが来ているわよ」
「え? ――あ、メリーに蓮子!」
 私たちに気付いて、フランドール嬢が床に降りたって駆けてくる。その姿は愛らしい子供そのものなのだが、おそらくさっきの轟音は彼女が図書館のドアを破壊した音なのだろう。吸血鬼の力はかくも怖ろしい。
「お姉様ひどいの! 一緒にお昼寝してたら私から毛布剥ぎ取って行っちゃうんだもん!」
「姉なのだから、フランのものは私のものよ。姉より優れた妹はいないわ」
「む。コインいっこ入れて確かめる?」
「あら、私は構わないわよ」
 ふたりの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。ちょっと待て、ここで吸血鬼同士の弾幕ごっこは洒落にならない。巻き込まれたら命がいくつあっても足りないではないか。
「本気でやり合うのは久しぶりね」
「ふふん、お姉様だからって手加減しないもんね」
「もちろん私もそのつもりよ。姉の威厳を見せてあげましょう」
「……これは駄目ね、貴方たち、今日は帰った方がいいわ」
 今にも弾幕ごっこが始まりそうな気配に、パチュリーさんが呆れ顔で私たちとアリスさんを見やる。「そうみたいね」とアリスさんも肩を竦めた。「えー」と蓮子だけ不満げだったが、私はその耳を引っ張る。
「痛い痛いメリー」
「命知らずもいい加減にして頂戴、蓮子」
「3人まとめて庭まで送るわ。次は咲夜のいるときに来ることね。――ごきげんよう」
 パチュリーさんが本を開き、何か呪文を唱えた。私たちの足元に魔法陣が展開し、
 ――次の瞬間、私たちとアリスさんは、館の前庭の雪の中に足を突っ込んでいた。
「おおうっ、瞬間移動!」
「というか、転送魔法よね。テレポートじゃなくアポート」
 興奮する蓮子に、私はため息をついて雪から足を引き抜き、そのまま雪を掻くようにして通路へ向かった。蓮子とアリスさんもそれについてくる。外はすっかり陽が傾いて、そろそろ夜になりそうだ。いい加減里に戻らないとまずそうである。
「あらら、どうかしました?」
 雪のない石畳まで戻ったところで、門の外にいた美鈴さんが門を開けて駆け寄ってきた。蓮子が「図書館でお嬢様と妹様が弾幕ごっこを――」と伝えると、美鈴さんは血相を変えて館の中に駆け込んでいく。門が開きっぱなしだけれど、いいのだろうか。
 私たちがその背中をぼんやり見送っていると、背後からアリスさんが「……で、貴方たちはいったい何者なの?」と声を掛けてくる。彼女は胡散臭げに私たちを見つめていた。
「吸血鬼のお気に入りで、魔法使いの知り合い。……ただの人間じゃなさそうだけれど」
「いえいえ、ただの外来の人間ですわ」
「外来人? へえ――」
 アリスさんがそう呟いた瞬間、不意に強い風が、雪とともに吹き抜けてきた。冷たい風から、私は咄嗟に顔を庇うように身を竦め――けれど、その風の中に、おかしなものを見た気がして、顔を上げた。蓮子も「え――?」と呆けたように、空に手をかざす。

 桜の花びらが、舞っていた。
 雪で真っ白に覆われた紅魔館の庭に、どこからともなく、桜の花びらが。

 それはあまりに、季節を無視した薄紅色。こんな真冬のような寒さの幻想郷の、どこで桜が咲いているというのだ。いくら暦の上では春のはずとはいえ――。
「桜だわ、メリー」
「見れば解るわよ。……どこから飛んできたのかしら」
「そりゃあ――どこかで桜が咲いてるってことよね」
 そう言って、「――そうか、そういうこと!」と蓮子は唐突に手を叩いた。
「なに、蓮子」
「前提が間違ってたんだわ、メリー。今の状況は、幻想郷全体で冬が長引かされているんじゃない。誰かがどこかに春を一極集中させた結果、他の場所が冬のままなんだわ! だから、どこか遠くない場所では今頃桜が満開になってるのよ! そう、それが自然の摂理というものだわ。地球全土の気候を操作するよりも、ごく狭い地域内で極度に寒暖の偏りを生じさせる方がエネルギー総量的にも楽に決まってるじゃない!」
「……じゃあ、マヨヒガの雪が少なかったのも?」
「その影響でしょうね。春が集められているのは、おそらくマヨヒガからそう遠くない場所なのよ。この風の吹いてきた方向――その先で、何者かが幻想郷から春を奪っているんだわ!」
 陽が沈みゆく西の方角を指さし、蓮子は高らかにそう言う。――だからといって、生身の普通の人間である私たちに、その異変の首謀者の元まで雪道を歩いて行ける道理はないのである。
「おめでとう蓮子。じゃあ、それを霊夢さんに伝えれば私たちの任務は完了ね」
「何言ってるのよメリー。私たちもその首謀者のアジトに乗り込むわよ」
「どうやって?」
「メリーの目でどうにかならない?」
「なりませんから」
 私は白くため息を吐き出す。――と、アリスさんが「貴方たち――」と呼びかけた。
「ねえ、私の家で夕飯を食べる気はないかしら?」
 思いがけない言葉に、私たちはただ顔を見合わせた。

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この小説へのコメント

  1. ああ、これを読んでたら藍様の尻尾が恋しくなってしまった。モフモフモフモフ…。
    レミリアの寒がりには笑いを抑えきれませんでした。次回も楽しみにしております。

  2. マントのように毛布をはためかせるおぜうさま…カワ(・∀・)イイ!!

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