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こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編   妖々夢編 第10話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第2章 妖々夢編

公開日:2015年12月19日 / 最終更新日:2015年12月19日

妖々夢編 第10話
いかで我この世のほかの思ひいでに
風をいとはで花をながめむ





―28―


 彼女が博麗神社に現れたのは、宴が落ち着いてきた頃合いだった。
「こんなところにいたのね、亡霊の姫」
 神社での花見には場違いな格好をした人間。十六夜咲夜さんである。
「あら、私~? メイド風情がこんなところまで何の用?」
「こんな幽霊だらけの神社にこれ以上の人間は場違いだぜ」
「こんなとは失礼ね!」
 魔理沙さんの茶化しに霊夢さんが口を尖らせる。と、咲夜さんは肩を竦めた。
「貴方がひょんなところで暢気に花見をしているうちに、巷は冥界から溢れた幽霊でいっぱいだわ。何を間違えたのかうちの館の近くまで来ていたから、貴方に文句を言うために探したの」
「私だって、ただひょんなところでお茶を濁しているだけじゃないわ~。もうすでに、冥府の結界の修復は頼んであるから」
「ならなんで、ひょんなところでのんびりしてるんだ? 帰れなくなるぜ?」
「ひょんなって何よ」
 そこへ、また1人――いや、2分の1人なのだろうか。訪問者が現れる。妖夢さんだ。
「幽々子様! またみょんなところにいて……それより、大変です」
「みょんなって何よ」
「え? いやともかく、あの方に結界の修復を頼んだのに、まだ寝ているみたいなんです」
「紫なら、二度寝か三度寝しているんじゃないの。もうとっくに春だけれど~」
「春になったのは、冥界はともかく地上ではまだ最近です」
「お前らのせいでな」
「じきに起きてくるわ~。毎年のことじゃない」
「まあ、遅れるぶんにはいいんですけど」
「あんまり良くない」
 霊夢さんがじろりと妖夢さんを睨むが、妖夢さんは意に介さず、
「それより、代わりに冥界に来た式神を、ちょっと怒らせてしまいまして……」
 式神って、藍さんのことか。温厚そうに見えたが、彼女が怒るとすれば――。
「あらあら、何をしたの~?」
「いえ、庭に化け猫が現れたので、すぱっと斬りかかったら、藍さんがものすごい勢いで激怒して……慌てて逃げ出してきたんですが」
「ああ、それはいけないわね~」
 同感である。橙ちゃんに斬りかかったならそれは激怒されても仕方ない。
「うう、申し訳ありません。なんとかなだめていただかないと、結界の修復にも差し障りが出るかもしれませんし」
 肩を落とす妖夢さんに、霊夢さんが立ち上がった。
「なら、私は懲らしめてあげようか?」
「なら、ここは私がすぱっと」
「すぱっと」
 咲夜さんと魔理沙さんも立ち上がる。あらあら、と幽々子さんは楽しげに笑った。
「それなら、任しておきましょう」
「いいんですか? 紫様の式神ですよ?」
「紫の式神は紫ではないわ」
「はあ……」
 首を傾げる妖夢さんの脇で、霊夢さんたち三人は何か言い合っている。
「あんたたちが冥界に行ってくれるなら、私は行かなくてもいいわよね」
「何言ってるの。私もお嬢様のお世話で忙しいの」
「私は構わんが、お前らの代理で行く気はないぜ。ここはひとつジャンケンで決めよう」
「ありきたりね」
「ありきたりだわ」
「ジャンケンで、後出しをしなかった奴が行く」
「それでいいわ」
「オーケー」
「ジャ~ンケ~ン……」

 ――かくして、霊夢さん、魔理沙さん、咲夜さんの三人は、冥界へ向けて飛び立っていく。
 紅魔館のときと違い、魔理沙さんの箒に同乗しなかった私たちは、故に冥界で繰り広げられた藍さんのリベンジマッチについては、語る言葉を持たないのだが。
「家主がいなくなっちゃったわね。この宴会、どうするのかしら?」
「まあ、花見なんてみんな酔い潰れてグダグダのうちに解散でいいんじゃない?」
 私たちはそんなことを言い合い、取材相手がいなくなった阿求さんのところに向かった。阿求さんは「十分に話は聞けましたので」と満足げである。それは結構なことだ。阿求さんの聞きだした物語は決して、蓮子の推理したものではない、誰かがおそらく幽々子さんのために用意した、表向きのものなのだろうけれど。
 ともあれ、私たちは慧音さんたちが迎えに来るまでは、もう少しのんびりと花見を楽しもう。――と思っていたのだけれど。
「……ごめん蓮子、ちょっとお手洗い」
「ん、いってらー」
 尿意には勝てず、私は立ち上がる。厠は神社の中だろう。白玉楼のように広すぎて迷うこともあるまい。霊夢さんがいないので、小声で「お邪魔します」とだけ断って、私は神社の中に上がり込む。
 少し探すと、厠はすぐ見つかった。いつの間にかこの世界の便所の強烈な臭気にも、トイレットペーパーがないことにも慣れてしまうものである。手早く用を済ませて、私は蓮子のところへ戻ろうと神社の廊下を急ぎ、縁側から庭に下りたって――。

 私は違和感を覚えて立ち止まった。
 庭に、誰もいなくなっている。
 宴会をまだ続けているはずの幽々子さんも、阿求さんも、そして――蓮子も。誰の姿もない。確かについ先ほどまで、茣蓙を敷いて皆、そこで酒を飲んでいたはずなのに。宴会の気配は、どこにもなくなってしまっている。最初から誰もいなかったかのように――。
 何だ? 何が起こっている? 私は周囲を見回すが、そこには無人の桜並木が延々と続くばかり。ゆるゆると首を振り、私はまた足を踏み出した。まさか、泥棒避けの結界でも張ってあったのだろうか。何もなさそうな神社なのに――。

「何もなさそうとか、言ってあげることではなくてよ」

 ――知らない、誰かの声がした。
 いや、その声は同時に、ひどくよく知っている声のような気もした。
 私は立ち止まり、振り返る。――そして、そこに見た。私によく似た、彼女の姿を。
 ウェーブのかかった長い金髪。白い帽子に結ばれた赤いリボン。紫色のワンピース。白い長手袋をはめた右手には杖のように閉じた白い傘。左手には、幽々子さんが持っていたような扇。
 自分自身が、鏡に映っているのかと、一瞬思った。それほど確かに、彼女は私によく似ていた。だが――違う。彼女は私と、何かが決定的に違う。何かが――。
 紫色の瞳が、妖しく私を見つめて、猫のように細められた。
「はじめまして、マエリベリー・ハーン」
「貴方、は――」
「妖怪の賢者。貴方の噂のそっくりさん。――八雲紫と申しますわ」
 優雅な笑みを浮かべて、妖怪の賢者、八雲紫はそこにいた。





―29―


 言葉もなく呆然と佇んだ私に、彼女は苦笑するように小首を傾げた。
「そんなに驚かなくてもいいと思うのだけれど」
「――――どうして?」
「その問いは、意味が多すぎて一言では答えられませんわ」
 幽々子さんのように扇で口元を隠して、彼女は目だけで笑う。
「そして、貴方の疑問にすべて答えてあげる時間もない。だから、ひとつだけ」
 その扇を閉じて、彼女は音もなく私に歩み寄り、喉元に扇を突きつけた。
「ひとつだけ、貴方の問いに答えてあげるわ。質問は明瞭にね」
「――――」
 私の頭の中を、無数の疑問が渦巻く。
 貴方が私たちをこの幻想郷に導いたのか。貴方は私たちを監視していたのか。白玉楼に送り込んだのはなぜか。幽々子さんの過去には何があったのか。そして、なぜ今私の目の前に現れたのか。なぜ、貴方はそんなにも私に似ているのか――。
 だが、それらの問いのどれひとつとして、言葉になることはなく。
 最後に、私の口からこぼれたのは、あまりにもシンプルすぎる問いだった。
「貴方は――貴方は、誰なんですか?」
 その言葉に、目を見開いたのは――彼女の方だった。
「……そう。貴方は私にそれを問うのね。私は誰か、と――」
 扇を引き、それを再び広げて口元を隠すと、彼女は目を細める。猫のように。
「いいでしょう。答えてあげるわ。ただしそれは、答えるべき時が来たら」
「――――」
「今は、貴方は何も知るべきではない。貴方には理解できないから」
「そんな、勝手な……」
「ええ、そう。私は勝手気ままなスキマ妖怪。私は私の思うままに動くの。そこにどんな意味があるかは、貴方が視て、貴方自身が解釈なさい。謎解きが得意な相棒もいるのでしょう?」
 そんなことを言われても困る。いったい、私にどうしろと言うのだ――。
「まあ、貴方の問いに答えない代わりに、貴方の前に現れた理由を教えて差し上げますわ」
「え?」
「貴方に頼みたいことがあるのよ」
 妖しい笑みを浮かべ、彼女は扇を仕舞うと、白い手袋に包まれた左手をひと振りする。
 開かれた彼女の掌に出現したものに、今度は私が大きく目を見開いた。
「これは――」
 琥珀だった。間違いない。私たちが宇佐見菫子さんの部屋で見つけた、虫の封じられた琥珀。この世界に迷い込むきっかけになったのかもしれないアイテム。そして、結界を超えると同時にどこかへ消えてしまったはずの――あの琥珀だった。
「どうして、これを……貴方が?」
「質問はひとつだけと言ったはずよ。受け取りなさい」
 そう言って、彼女は私の掌にその琥珀を落とした。琥珀はどこか鈍い光を放ったまま、しかし結界に干渉する様子もなく、ただ沈黙している。そこに封じられた時とともに。
「貴方には、これを届けてもらうわ」
「……届ける?」
「これを手にするべき人のところへ、今から案内しましょう。これを持ちなさい」
 と、今度は彼女は、右手に持っていた日傘を私に差し出す。手に取った日傘は、ひどく軽かった。まるで重さが存在しないかのように。
「この日傘が、貴方を導くでしょう」
 彼女はそう言うと、再び扇を取りだして、背後の空間に線を引く。
 ――次の瞬間、その空間が裂けて、世界の隙間が口を開けた。
 私は息を飲む。異界の扉。結界の裂け目。私の目に映る世界のほころび。これが――こんなにも大きく、はっきりと。ああ――無数の目が。目が、私を見つめ返している。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている――と言った哲学者は、このほころびを見つめていたのか。
 足が竦む。ダメだ。これはダメだ。この隙間の向こう側はとても怖ろしい場所に通じている気がする。帰れなくなる。いや、あるいは、どこにも辿り着けなくなる。世界の狭間で無限の迷宮を彷徨うことになる――。
「そんなに怖がらなくてもいいのよ。その日傘があれば迷うことはないわ」
 苦笑して言った彼女に、私はぼんやりと視線を返し、それから日傘を見下ろした。おそるおそる日傘を開く。彼女が薄く微笑んだ。妖しい笑み。異形の笑み。
「さあ、行ってらっしゃい」
「――どこへ?」
「質問はひとつだけと言ったはずだけれど、まあ、それぐらいは答えてあげましょうか」
 扇に口元を隠し、彼女は愉しげに笑った。
「2004年の東京よ」
「――――」
「あとは解るわね。――貴方が、それを届けるのよ。あの子の元へ、必ず」
 そして、彼女の手が私の背中を押した。
 私はつんのめるようにして、その世界の隙間に呑み込まれた。

 ――――暗転。





―30―


 気が付いたとき、私はアスファルトの地面を踏みしめていた。
 夕暮れだった。空は赤く暮れなずみ、遠くでカラスが鳴いている。だが、カラスの姿は密集する建物に遮られ、夕焼けもビルに切り取られた空としてしか見えない。
 ここは――東京だ。蓮子と一緒に来たことがある。だが――だが。
 足元がひどく固い。2085年の京都では、アスファルトなんてほとんど剥がされてしまったというのに。魔都たる東京は時代遅れなのか、いや、それとも――それとも?
 無数の車が、目の前の道路を行き交っている。
 車。自動車。私たちの時代には時代遅れになりつつある乗り物が、こんなにもたくさん。
 前に蓮子と来た東京も、これほどの車は走っていなかった気がする――。
 そこで私はようやく、自分が横断歩道を前にした雑踏の中にいることに気付く。手には日傘を差して。人混みの中にぼんやりと佇んでいる。人混み? ――私は周囲を見回す。人々の姿は、薄い紗でもかかったかのようにぼんやりとして、その表情も判然としない。
 信号が赤から青に変わった。人波が動き出す。私もそれに押されるように歩き出す。いや、私を導いているのは、この手の日傘だろうか。足は私の意志に関係無く歩いて行く。どこへ?
 ――2004年の東京。そうだ。彼女はそう言っていた。2004年――80年前の東京。まだ首都であった頃の――歴史の授業で習った、果てしない不景気と社会の階層化が進んでいった資本主義経済の暗黒期、いや、本格的なそれはもう少し後だったか――没落の足音を少しずつ聞いていた頃の東京。私たちには歴史、あるいは昔の娯楽に描かれる舞台としてしか知り得ないその時代。
 私の目の前にあるのは、古びているだけで、私たちと変わらぬ人々の姿だった。
 行き交う人々の数は、私の知る東京よりも多く。見慣れぬ車が鈴なりに走り。けれどそれでも、その光景はどこか懐かしい。どうしてだろう――。
 ともかく私は、日傘に導かれるままに歩いて行く。大きな通りからやがて細い路地へ。入り組んだ道を、しかし迷うことなく進んでいく。行き先は解っていた。解っている気がした。そこに何が――誰が待っているのかも、もう、私は理解していた。
 それは、初めて会うはずの、だけどたぶん、よく知っている人――。

 そこは、公園だった。
 ひしめくビルやマンションの中に、不意にぽっかりと開いた小さな空間。猫の額ほどの、という言葉があまりにもよく似合う、小さな小さな公園。砂場と滑り台、そして揺れるパンダの遊具だけが、その場所が児童公園であることをささやかに主張している。
 そして、そのパンダの遊具にまたがった、小さな女の子がひとり、いた。
 私はその公園に足を踏み入れる。ゆっくりと私は、その少女に歩み寄る。
 3、4歳だろうか。少女はひとりだった。彼女には兄がいるはずだが、彼女を置いてどこかへ行ってしまったのか、それとも元からひとりでこの公園に来たのか。あるいは別の友達と一緒だったのか。いずれにしても、少女はひとりでぼんやりとパンダにまたがってゆらゆらと揺れている。退屈そうに。世界の全てがつまらないというような顔をして。
 長く伸びた私の影に気付いて、少女が顔を上げた。
 その幼い顔立ちに、よく知る相棒の面影を、私は重ねて見ていた。
 ――だれ?
 少女は幼い声で、そう問うた。私は、日傘に顔を隠すようにしてしゃがみ込んだ。
 ――はじめまして。
 呼びかけられ、少女が警戒心も露わにその視線を剣呑にする。
 ――ゆうかいはん? うちにはお金はないよ?
 ――連れ去りに来たんじゃないの。あなたに、渡したいものがあるから。
 誰かが、私の口を借りて喋っているようだった。私の意志とは無関係に、私は握りしめていたあの琥珀を、そっと少女の前に差し出す。少女の目が見開かれた。
 ――きれい。
 ――これを、あなたにあげるわ。
 ――しらない人から、ものをもらったらいけないの。
 ――大丈夫。これは、あなたのためのものだから。
 私は――私の口を借りた誰かはそう言って、少女の掌にその琥珀を落とす。
 夕日を浴びて、虫入りの琥珀は少女の掌で輝いていた。
 ――大事にしてね。
 ――どうして、くれるの?
 ――これはね。あなたを助けるためのものなの。
 ――たすける? わたしを?
 ――そう。これがあれば、いつかあなたを、助けに来る人がいるから。だからそれまで、ずっと大切にしていてね。
 ――ぼうはんブザーみたいな?
 ――まあ、そんなものだと思ってちょうだい。
 ――ふうん。
 半信半疑という顔の少女の額に、私は手を伸ばす。私の意識は、それを遠くから観測しているような気分で、見つめている。
 私は、彼女に何を喋っているのだろう?
 ――あなたには、不思議な力がある。あなたはもう、それを知っているはず。
 ――……どうして?
 ――あなたのことをよく知っているから。
 ――おねえさん、だれなの?
 ――それはいつか、あなたが自分の力で知ることになるわ。
 ――むー。
 ――だからそれまで、その力は秘密にすること。あなたは特別な存在なのだから。
 ――とくべつ……。
 ――そう。あなたはとても賢い子だから、できるわよね?
 ――わかった。
 ――いい子ね。お姉さんと約束よ。その宝石を大事にする。不思議な力は秘密にする。
 ――ゆびきりげんまん。
 ――嘘ついたら針千本のーます。
 ――ゆびきった。
 絡み合った小指が離れ、そして手にした日傘が、この短い旅の終わりを告げていた。
 ――それじゃあ、またね。
 ――ばいばい?
 ――ばいばい。
 手を振り、私は踵を返して歩き出す。公園を出るとき、一度振り返ると、少女はまだパンダの遊具にまたがったまま、こちらをじっと見つめて手を振っていた。
 ――ばいばい、菫子ちゃん。
 それを口にしたのは、私の意志か、それとも他の誰かの意志だったのか。
 いずれにせよ――短い旅は、そこで終わりだった。

 世界が裂ける。無数の目が私を覗きこむ。大きく口を開けた亀裂が、私を吸い込み、
 ――――暗転。





―31―


 そして私は、博麗神社の庭に立っていた。
 そこには、何枚かの茣蓙が敷かれ、いくつかの人影と、無数の幽霊たちが花見に興じる、それまで私がいたのと同じ、博麗神社の庭だった。
 私の手には、いつの間にかもう、日傘も、あの琥珀もない。琥珀は彼女に渡してきたのだとしても、日傘はいつ手放したのだろう。いや――そもそもあれは現実だったのだろうか。あの公園で、あの少女と言葉を交わしていたのは、本当に私だったのだろうか――。
「あ、メリー。遅かったじゃない」
 不意に、ひどく懐かしいような、だけど聞き飽きたような、そんな声がした。
 私が振り向くと、相棒が――宇佐見蓮子が、呆れ顔でそこに立っていた。
「長いトイレだったわね。まさか便秘?」
「――――」
「どうしたの、ぼーっとして。メリーが夢見心地なのは今に始まったことじゃないけど」
「蓮子……私、」
「メリー?」
 口が強ばって、うまく動かない。声の出し方を忘れてしまったかのように。
 だから代わりに、私は蓮子の肩を掴んで、よろめくようにその身体にもたれかかった。
「め、メリー? どしたの? 酔った? 具合悪い?」
「蓮子――」
 蓮子の胸に顔を埋めて、私はぎゅっと目を閉じる。そうしないと、あの光景が蜃気楼のように消え失せてしまいそうだった。目の前で見たはずの少女の面影さえも、波打ち際の砂の城のように、さらさらと崩れて消えてしまう。跡形もなく。
「私……会ったわ」
「会ったって、誰と?」
「……妖怪の賢者。私のそっくりさん。それから――」
「それから?」
 ――宇佐見菫子さんと。
 そう言おうとしたけれど、その言葉はやはり、上手く言葉にならずに舌の上で消えていく。
 語りえぬことについては沈黙しなければならないのだとすれば。私は80年前の世界について、語る言葉を持たないのかもしれない。それは私の知らない時代なのだから。知りえるはずのない時代のことなのだから――。
「メリー、ちょっと、本当にどうしたの? 妖怪の賢者に何かされたの?」
「ごめん……蓮子。あとでちゃんと話すから――今は、こうさせてて」
 私はそう言いつのって、蓮子にぎゅっとしがみついた。
 どうしてか、無性に蓮子の温もりが恋しかった。
 相棒がそばにいるということを確かめるように、私は蓮子の背中に腕を回す。
 蓮子は困ったように手を彷徨わせて、それから私の頭をぽんぽんと撫でた。
 それだけのことで泣き出しそうになって、私は蓮子の胸元に顔を擦りつける。
 蓮子の匂いに包まれて、私はただ、目を閉じた。

 ――あの琥珀が、私たちをこの世界に導いたものだったとして。
 それを彼女に渡したのが私だったとしたら、それは因果のウロボロスではないのか?
 あの琥珀が同じものなら、80年を隔てて時間は無限にループし続けることになってしまう。
 琥珀が最初にどこから現れたのかという謎が棚上げされたクラインの壺。
 だとすれば、妖怪の賢者はなぜ、私にあれを彼女の元へ届けさせたのだ?
 解らない。名探偵ではない私には解るはずもない。
 ただ、あの夢幻のような外の世界の記憶の中で、誰かが私の口を借りて喋った言葉が、私の耳に木霊している。

 ――これがあれば、いつかあなたを、助けに来る人がいるから。

 あれはどういう意味だったのだろう。
 いや、そもそも――私たちはなぜ、何のために、この過去の幻想郷に来たのだろう?
 誰の意志で? 何の目的があって? 私たちは、何を求められてこの世界に来たのだ?
 答えの出ない問いを渦巻かせながら、私はただ、まだ何も知らない蓮子の腕に身を任せていた。

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この小説へのコメント

  1. 菫子に渡されたものが琥珀である必要も、何かの鍵となるのだろうか?
    これから先の展開が楽しみです。

  2. 紫様がかっこよすぎて禿げそう。物語の裏の裏から手を出す感じが紫様らしくていいです。

  3. 作成お疲れ様です~。此処で物語の冒頭に繋がるとは思ってませんでした~

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