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楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし   失われたはし 第7話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし

公開日:2017年04月11日 / 最終更新日:2017年04月11日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第2章
失われたはし 第7



 清明と博雅は、大内裏の南、朱雀大路にて延々牛車を走らせる。
 洛内とはいえ、夜盗も魑魅魍魎の類いにも油断は出来ぬが、そこは清明、牛車は傍からその姿を隠形し、誰の目にもつかずにそこに辿り着く。
 洛内外の境となる門、羅城門である。
「なるほど、朱雀門よりもずっと、恐ろしい鬼が現れそうじゃ」
 今は宵に沈み、闇の恐ろしさを纏う楼門であるが、これが昼であったなら、その荒びきったおどろおどろしさに、恐れをなしてしまうかも知れない。
 それに清明は応えず、呪(しゅ)とも紛う言の葉を、その端正な口で紡ぐ。
「気霽風梳新柳髪」
 それは詩であった。
 空は晴れ渡り、風は美しい姫の髪の様な新芽の柳を櫛で梳(す)くように吹く。その様な意である。
 これには、継ぐべき詩がある。
「氷消波洗旧苔髪」
 楼門の上から、たおやかでありつつもよく通る強い声が、雷鳴の代わりに地に落ちる。
「おや、髭ではなく、貴方も髪を洗われるのか」
 本来この詩は、髪を髭として、全ての言葉において対となる句とした物であった。
 声の主は、そうした理由を、極めて端的に答える。
「生憎だが、私は髭など生やしていないのでな」
 楼門の屋根より、僅かに身を浮かした女が、そこにいた。
 月下でも明るく見える牡丹色の狩衣、肩までで切り揃えられた髪。童子姿である。
「なるほど、紛う事無く鬼。貴方が、茨木童子か」
 清明の問いに、是とも非とも答えず、彼女はただ「ふっ」と、小さな笑い声を漏らす。
「先の詩で誘っておいてなんだ、私の身の上を知らぬのか。安倍晴明よ」
「いえ、こうしてお目見えするのは、初めてですから」
 見上げる清明。見下ろす茨木童子。
 敵意らしきものも見えない二人の間で、博雅が声を上げる。
「ふむ、朱雀門のお方とも違う雅な方。折角ですから、私もひとつ披露いたしましょう」
「おうおう。お主は音に聞こえた源左中将か。歌は苦手とも聞いているが」
 これに博雅は、がっくりと肩を落とし、うなだれる。
 歌については、苦手でもあるし、天子の御前にて歌会の司会をした際には、緊張からしくじりをした事もある。余りの不得手に、怠惰とまでそしられた覚えすらも。
「なに、左中将様のご披露なさるは、管弦の音と決まっております。殊に笛は、かの朱雀門のお方にも認められたもの」
 清明が愉快そうに告げると、茨木童子もまた愉快そうに答える。
「音に聞こえた、と言ったろう? 私も知っておるよ」
 からかわれていたのだと分かった博雅。これに苛立つでもなく、葉二(はふたつ)(※1)を取り出して高らかに笛を奏でる。
 茨木童子が先ほど地に落とした声が雷であるならば、今響く笛の音は、鶴の如きもの。音は形をとり、次々と舞い上がってゆく。
 博雅が序曲を奏で終えると、彼女は次の曲への小休止に、言葉を挟む。
「ほう渤海楽(ぼっかいがく)、否、高麗楽(こまがく)の曲だな。それも崑崙(くんるん)八仙とは」(※2)
「清明殿には、どなたと会うのか聞いていなかったが、貴方が交わした詩で思い出したのじゃ。かつて歌人、都良香(みやこのよしか)と、共に昇仙せんと誓った鬼がおわしたと」
 今奏でる楽は、神仙の住まう崑崙で仙禽が遊び、舞う様を唄ったもの。
「そうか、それを拾うてくれたか……」
 茨木童子が感慨深そうに目を閉じると、博雅はまた曲の続きを披露する。
 より高らかに、時には緩やかに、銘笛その物となった博雅は、淀みなく音を空に届ける。
「にゅうしきしんけんげんむ」
 清明が呪を唱えると、人の舞に成り代わって、夜空に鶴が舞う。彼の式神である。
 笛の音と鶴の舞は四半時も続いた。
 それが終わると、茨木童子が静かに口を開く。
「お前達はずるい。何かを求める前に、こんな物を披露するなど」
「いや今のは、左中将様の独断です」
「こりゃ、清明」
 このやりとりに彼女の顔は緩み、不敵であった笑みは、心からのそれに変わる。
「はは、なんと心地よい者達か。して、私への用とはなんぞや? ここを退けと言うなら、聞き入れてもよいぞ」
「そんな大それた願いではありませぬ。ただ、ある鬼について、もし識っていることがあればお伺いしたかったのです」
「識っていれば語ろう。して、如何なるモノだ?」
「嫉妬の鬼、橋姫」
 清明が短くその名を口にすると、茨木童子の顔色は、にわかに重いものになる。
「それは、旧い、旧い鬼だな……」
「ご存じでありますか」
「ああ。見知った仲では無いがな」
「実は先頃、その鬼姫が洛中にて人を殺め、今なお行方を眩ませているのです」
「先日の、堀川四条の方からの霹靂、あれもか」
「はい」
「お前ほどの者が、あのモノを識らぬとは思えないのだが」
「実は昨今現れた橋姫、私の見識によるそれと、大きな隔たりがあるのです」
 茨木童子は口に手を当て、深く考える様子を見せる。
「お前の識る鬼女――まあ私も女であるが――、それは嫉妬に狂い、貴船の社にて鬼と成ったと言われるモノであるよな」
「然り」
「そうか……では、私が知る限りは聞かせてやろう。そのモノは当然、昨日や今日、鬼と成ったモノでは無い。そしてお前の識るであろう嵯峨帝の頃より、なお旧いモノだ」
 博雅は「あなや」と声を上げるが、清明は少しも動じず、話の続きを待つ。
「その鬼の由来、今の南都がみやこであった頃にも遡る。その頃には日の本にいた筈だ」
 博雅も、いちいち驚いていては持たぬと、息を呑んで聞き続ける。
「分かっていると思うが、そのモノ、単なる色恋による以上の嫉妬に、身を浸しておる」
 彼女はじっと、二人の男を見る。
 今も高みより見下ろしているのに、その視線は、等しい高さにある様にも見える。
「さても“私自信”が知る限りと言うのは、残念だがはそこまでだ。しかしその由来自体は、上代にまで行き着くであろうとも、聞いた覚えがある」
「ふむ、故に『はしひめ』ですか……」
 確かに何かを掴んだ風に頷く清明。そこに博雅は問いかける。
「何が分かったのだ、清明」
「うむ。橋姫は、橋の姫でもあるが、そうでは無かったりするのじゃ」
 突然の謎かけに、博雅は困惑する。楼門の上からは、茨木童子が追い打ちをかける。
「それこそ“呪(しゅ)”だな」
「ええ、仰る通り“呪”でありましょう」
 清明が時折博雅に説くものであるが、博雅には今以て、それが理解出来ない。
「う、む。呪がなんたるかは分からぬが、色恋とは別の嫉妬は、分かった気がする」
 博雅の言う嫉妬は、茨木童子が語ったそれとは異なるものではあるが、彼女も清明も、それはそれでいいであろうと、からからと笑い合った。

      ∴

 帰途に就いた清明と博雅は、茨木童子よりもたらされた、鬼女の由緒を語らう。
「清明よ、真の鬼は嘘をつかぬと聞いた。その羅城門のお方が言ったなら、橋姫が南都の出というのは確かなのだろう。だとすれば、それが今――いや嵯峨帝の頃からの事であるが、今のみやこへ如何にして来たのであろうか?」
「はて、何者かに憑いて来たのか、連れられて来たのか」
「それは、鬼としてか? 式神としてか?」
 南都がみやこの頃には、既に鬼であったのだ。いずれでも不思議は無い。
「分からぬ」
「いや、お前には分かっているはずじゃ」
「確かなことが言えぬのじゃ。しかし、心当たりはある」
「如何なものじゃ」
「南都――大和国(やまとのくに)と、今のみやこである山城国(やましろのくに)にまたがる信仰を持つ氏族がある」(※3・4)
 それが何者であろうかと、博雅は問おうとして、止める。
 顔色は変わらぬものの、眼差しだけが、いつになく険しいものであったからだ。
「そうか。そう言えば呪は解けぬが、『はしひめ』なる名の由縁には、心当たりがある」
「ほう」
「波と、斯文(しぶん)の斯と書いて波斯(はし)。氏か姓(かばね)か分からぬが、そんな名を目にした覚えがある」(※5)
「うむ、俺も同じく思っていた」
 互いに頷く。
 二人がそうこう考えていると、牛車の外から呼ぶ声があった。
「申す! この牛車、清明様のお車に相違はございませぬか!」
 よく通る若者の声。頼光であった。

 息を切らせている彼の様子を見るに、清明を追って、必死で駆け回っていたのであろうと察せられた。同時にそこまでの事態があったのも。
 清明は牛車を停めさせ、博雅と共に路傍で頼光の話を聞く。
 二人はそれが、今の出来事をより混沌とさせるものであろうと覚悟していた。
「綱が橋姫を連れ、姿を消したのです!」
 まずその行方を、そして可能ならば意図を知りたい。それにも増して、互いに兄弟のようであろうと、盃を交わす代わりに共に兄弟刀を佩いた矢先のことであったのにという、困惑と動揺が、彼の京中に渦巻いている。当然言葉には出さないが。
 だが問うた相手は清明。頼光が一切合切を述べずとも、十分であった。
「恐らくは、あの橋姫を元の住処に戻すために走っているのでしょう」
「もしかしたらあいつは、橋姫が件の鬼女かもと疑って――」
 清明が否定していたのに、である。
 頼光が全てを言い切ろうとするのを、清明が止める。
「綱殿を信じなされ。一の郎党でありましょう?」
「信じているからこそ、不安なのです……」
 元服したばかりの綱ではあるが、主と仰ぐ頼光に対しては、他の者が思うよりも深く意を汲もうとしている。それが悪い方向に働いたのではないかと、頼光は思っているのだ。
 その不安の原因について、清明は今ひと度と言及する。
「ふむ。言ってしまえば、実は私も、あの橋姫が鬼女ではないかと疑っていたのです」
「なんですと?!」
「ですが今は、それが全くの誤りであったと、確信を持っています――」
 先頃の、綱が橋姫を鬼女と見紛うたのを否定したのは、二人を落ち着かせるための方便であった。だが偽りの考えを述べたのはすまなかったと、清明は続けて詫びる。
「私には、何をどう信じたものか……」
 黙って出て行った綱、清明の嘘。真っ直ぐな若者には心に楔を打たれる様な体験である。
「頼光殿。清明殿は、お主らが若者であるから謀ったのでは無い。この男はよく、おれをも煙に巻くような真似をするのだ。だが悪意があってそうした試しは無い」
 全てがそうであったかはかなり怪しいが、博雅という男はそう受け止めているし、今回二人の若武者を一旦謀ったのには断じて、非道い思惑など混じっていない。
 博雅の真心は、人に伝わりやすい。
 頼光はその言葉を受けてすぐ立ち直る。
「分かり申した。清明様も綱も、俺は信じましょう。左中将様に外聞にも構うことなくそう言われては、信じるほかありません」
 今まで頼光らには見せなかった清明との絆の深さを垣間見せたのも、それを助けた。
 清明も静かに笑う。
「よかった。さて、お二人が向かった先にも心当たりはありますが、しかし――」
「やはり鬼女が?」
「ああ、今宵もまた、現れぬとも限らぬ」
「ならば好都合。それがあの橋姫と別人と分かれば尚のこと!」
 頼光が勇ましく言うが、清明がそれを押しとどめる。
「いずれは、そうせねばならぬ時が来るかも知れません。ですが今、軽々にそうするのは、なお危うい事をまねくやも」
「ですが、このまま綱達を放っては……」
「お気持ちは察します。ですがそれは、夜が明けてからといたしましょう」
 ひとまずは、各々に帰るべき場所へと。
 頼光は心中で歯がみしつつも、それを受け入れざるを得なかった。己を説得する清明の顔に、辛苦に耐える色を認めたからであった。

      ∴

 多田満仲の館より姿を消した綱と橋姫の姿は今、堀川沿いに出で、賀茂川のほとりにあった。
 綱はずっと橋姫を見守っていた。その橋姫には以前に見られた鬼女の徴など僅かも現れず、当然、綱が危惧する形で鬼女が現れることは無かった。
 川から溢れ出る霧に星は煙り、月には厚い雲がかかる。清明が言った通り、やはり橋姫に見た鬼女の相は月を映したものであったのかと、綱はようやく、疑念を解き始めていた。
 ならば今は逆に、野盗や獣を恐れなければならない。
「すまん橋姫。日の出ている内に、住処に着けると思ったのだが……」
 もとより女の足では、一昼夜掛けてもようやくという道程であったのだ。そもそも橋姫がそちらから洛中に来た時も、こうして夜になってしまったのであろうし。
 勢いに任せてしまったとはいえ、考えが足りなかったのを悔やむ綱。
 橋姫は苦笑しながら「私も同じでしたから」と、明るく言う。これでは、どちらが守られているのか分からない。
 橋姫は綱を励ますつもりであったが、彼はなお落ち込む。
 歳がやや下であろうとも、己は武家の男であるのにと。
「でも、夜にはなってしまいましたが、私の住処ももう間もなくですから」
 太刀を佩き、若干の旅道具を携えた綱と違い、橋姫は身軽な姿である。
 慣れた道であるためか、今は橋姫が前に出て、時折小躍りするように綱をいざなう。
 その後ろ姿に、綱は「ああ」と声を漏らす。
 彼の思い出の中にある一人の女性の姿と、今の橋姫の姿が、透かしたように重なる。それはいつ、どこで見たものか、思い出そうとする。
 幼い頃、氷川八幡の社で見た巫女の舞。それだ。
 あのとき舞っていたのは当然、橋姫では無い。それにしてもその姿はどこか似ていた。橋姫に抱く庇護心は、あの頃の思い出からかも知れないと、綱は思う。
 綱より四代遡って、源融(みなもとのとおる)が臣籍降下(※6)して以来、綱の家系は八幡神を奉っている。由緒こそ違えど、己が巫女という者に、無意識に何かを見いだしていたのかもと。
 ならば橋姫は、いずこの社の巫女なのであろうか。
 他の思考を頭から追い出し、足はいざなわれるままに進めながら、綱は考える。ただそうしていられる時間は短かった。
「ここですよ、綱」
 ここが、と、綱は僅かに驚く。
 周りには壁も門も無い。ただ草生した中に佇む破れ家が、暗闇に沈んでいた。



第7話注釈

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※1 葉二:博雅が所有していたという笛。朱雀門に住まう鬼から授かったという伝説がある。
※2 高麗楽:朝鮮半島由来の雅楽のジャンル。渤海楽は更に北からの物であったが、高麗楽に編入
※3 大和国:現代の奈良県に当たる地域
※4 山城国:現代の京都府南部
※5 斯文:論語から、単純には「斯の文」という意味。儒教などによる道徳も指す。
※6 臣籍降下:皇族の地位を離れ、姓を賜ること。

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