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楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし   失われたはし 第5話

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公開日:2017年03月27日 / 最終更新日:2017年03月27日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第2章
失われたはし 第5話



 被いていた鉄輪(かなわ)を取り去り、おとろしい視線を二人に投げつけながらフラりフラりと歩み寄るのは、綱が月下のまぼろしに見た橋姫の面であった。
 どう見ても、目の前に居るのは真っ当なヒトではない、勿怪だ。
 頼光はすぐさまそう察し、太刀を抜いて正眼に構え、切っ先の向こうに女を見る。立ち会う距離ではない、どう間合いを取ってよいかも分からぬ相手ゆえ、威嚇しつつ様子を見ようというところだ。
 それに対して女は、鬼気迫る笑顔を向ける。
「綱、何をしておる!」
 頼光は少しも臆さず、呆然と立ち尽くす彼に叱咤の声を飛ばす。
「そんな、いや、違う……」
 綱はそう呟きながらも辛うじて認識を取り戻し、柄に手を掛ける。しかし、日頃よりしっかりと意識しなければ抜けない――彼にとってはまだ大きな――太刀は、収まったまま。
 何かが刃を向けるのを拒んでいるのか、無意識にそうしているのか。焦りは、頼光の声と女の接近で、益々強くなる。
「公家に仕える武者共か。さぞ良い暮らしを、さぞや楽しみも多かろう。何よりその若さ、妬ましや、あな、妬ましや!」
 そう叫び、確かな足取りで迫る女に、頼光が斬りかかる。
「されど、お前も妬ましかろう?」
 唐竹に振り下ろされた刃は、彼女の言葉でピタリと止まり、次にカタカタと震え出す。
「公家共にいいようにこき使われて、生まれたばかりの赤子よりも下に見られ、妬ましかろうのお」
 兼家は、他の公家に比べれば多少は良いが、それでも父満仲以下の一族の扱いは確かに、今言われた通りだ。いずれは天子の外戚となろう家での、しばらくの辛抱か。かの家が隆盛を極めた後も、己等は延々とそのような扱いを受けるのか。
 妬ましい。
「憎い。そうだ公卿共が、我らを地下(じげ)と蔑む者どもが、妬ましい」
 今度は綱が、正気の声で呼びかける。
「若! 頼光様! お気を確かに!」
 焦りを封じ、柄に掛けていた手を外して胸を開き、次にその妖に視線を送りながら叫ぶ。
「どうしたというのだ、橋姫! これがお前の正体か、やりたいことだったのか?」
 今まで会話こそ無かったが言葉は通じるらしく、妖は綱の叫びに眉根を寄せる。
 橋姫と同じ面立ちではあるが、あの優しげな顔がまさしく夜叉の如く歪むのには、綱も悲しげな視線で応える。
「橋姫? お前は、誰だ?」
「分からないのか? 綱だ、渡辺綱だ!」
「知らぬ。それよりお前も、妬ましいとは思わぬか? たかだか地下の侍が、少しばかり家格が上だからと己を下に置くのを――」
「思わぬ!」
 綱は刃でなく言葉で、妖を断ち切る。
「そう、ならばよいわ。そこな男子(おのこ)、頼光か。お前の家来とのたまう綱にも、何か妬ましいと思う心があろう?」
 切っ先の震えが、にわかに静まる。
「綱に? 否、断じて否だ。綱は俺の初めての、一の郎党ぞ!」
 頼光の目には鮮やかな光が戻り、彼は切っ先を走らせる。だが偶然か、その刃は橋姫が手にしていた鉄輪に弾かれ、頼光は体勢を立て直すのがやっとの有り様。
「綱。先ほどこやつを橋姫と言ったが、どこがあの娘と――」
「いや、拙者が見誤りました」
「ならばいい。何より、よくぞ俺を正気に戻してくれた」
 そう頼光は言うが、やはりどう間合いを取っていいか迷い、二人は共にジリジリと退く。
「私を阻むのは何者か……お前か、清明!」
 女の緑眼が二人の後方を睨む。そこには清明が立っていた、月光より穏やかな佇まいで。

「やはり、緑眼の鬼」
 清明は、とんと、橋板の上で小さな足音を立ててから半歩踏みだし、
「悪鬼、調伏すべし」
 と言い、符を一枚飛ばす。
 符は風を裂き、真っ直ぐに鬼女へ向かって飛ぶ。
 それが彼女に届くのに、あと一間ほどの距離での事あった。
「憎し。何故に彼奴等に味方する、あや妬ましや!」
 雲一つ無かった空に突如、雷光が走った。
 符は瞬きする間もなく焼け、雷に打たれた橋にも大穴が空く。
「どこじゃ、清明!」
 光と煙が収まった後、彼女の視線の先には、清明はおろか二人の若武者の姿も無かった。

 堀川を北に走る三人の男達。
 頼光と綱は既に刃を納めている。清明は彼らと同じく徒(かち)である。
「清明様。貴方ともあろう方が、何らあらがう事無く勿怪に背を向けるなど!」
 頼光の叱咤は、結局は逃げざるを得なかった己にも向いた物。
 清明が鬼女の前に姿を現した時には、彼らはもう、人形(ひとがた)と取って代わっていたのだ。
「いざというのに備え、左京大夫様の家人よりお二人の鬢(びん)(※1)を拝借しておりました故、此度は何とか逃げおおすこと叶いました」
 当然兼家を始め、およそ主立った者達の髪などを先んじて手に入れていたのだと、清明は補足する。それを人形に組み込み、あたかもそこに本人が居るように見せかけたのだ。
「頼光様、先ほど背の方、四条の橋で、雷鳴が轟きました。あれはとても、尋常な手立てにてどにか出来るモノではなかったと……」
「ぐ、そうだな」
 綱の言葉に、ようやく現実を飲み込む頼光。
 清明は、その度胸と度量に感心する。
 公家の子では雷鳴に「祟りじゃ」と鳴き声を上げても不思議は無い所、二人はそれに戦意を喪失することなく、さりとて蛮勇をふるうでなく、こうして共に駆けているのだ。
「頼光殿。私には、先ほど貴方があの鬼女を「橋姫」と呼んでいたように聞こえました。よろしければお邸にて、子細を伺いたいのですが」
「そうだ綱。あのモノと橋姫を、どう見紛うたのだ」
「……清明様。叶うなら貴方様のお邸にて、語りとうございます」
 綱の事情もあろうが、兼家邸よりはこちらが近い。清明は歩度を緩めて二人を導く。

 清明邸に辿り着いた三人は、揃って白湯を飲んで息を落ち着ける。
 まず口を開いたのは頼光であった。
「清明様。今更なのですが、こちらに逃げてきてよろしかったのでしょうか?」
 それは、鬼女が己らを追ってここに気はしないかとの、当然の不安であった。
「ええ。此度の件を知って後、邸の周囲の辻に、方違(かたたが)えの式を仕込みましたので。当然、左京大夫様のお邸や、堀河殿のお邸にも」
「方違え?」
「簡単に言えば、占や星の運行より方位を見、忌むべき方位を避け、吉凶を操作する術(すべ)であります。これを逆に用い、彼女を遠ざけたのです」
 だがこれが一時凌ぎであるのを、清明は明かさない。
「なるほど、お見それいたしました。それにしても、この邸や兼家様のお邸を守るのは分かりますが、何故堀河殿のお邸まで?」
 頼光の問いに、清明は一呼吸挟んでから答える。
「左京大夫様がご覧になった霊夢に現れた鬼女。あれはやはり先の彼女と同一であり、何者かによる呪詛であったと、私は思っています。そして左京大夫様は、霊夢を下された某かに守られたものと考えられます。しかしその呪詛、左京大夫様のみならず、かの一族に向けられたものやも知れぬかと」
「かのご一族とは、二品(にほん)師輔(もろすけ)様に係る氏族、という事でありますか?」(※2)
「左様です。堀河殿の妹君にして左京大夫様の姉君である中宮様は、既に二人の親王様を授かっております。ますます栄えるであろうお家を妬む者、そう少なくはありますまい」
「しからば清明様。あの鬼女は、兼家様ご一族を害そうとする陰陽師が放ったモノであると」
「然り。そしてその背後には、また別の公卿なりが居ることでありましょう」
 あえて師輔本人を狙わなかったのは、既に彼が老境にある故。また中宮安子(やすこ)本人を狙わなかった理由など、本来であれば言わずもがな。
「内裏に呪詛なり式神を放つなどすれば、それは覿面(てきめん)に退けられ、用いた者に返されましょう。かの鬼女が洛中に在るのはその何者かが導いたからであると思えますが、如何な術者であれ、内裏の守りを破るのは容易ではありません」
 かつて、鎮西に流された菅原道真公が、雷神となって清涼殿に雷を落としたことはあったが、あれは本人の怨霊による、誰もが納得できる理由もあっての事件。
「清明様なら、それも叶いましょうか?」
 それまで黙って話を聞いていた綱が、ポツリと零す。
「おい、綱。突然何を言い出す。清明様、今の問いは聞かなかった事に」
 それは不敬をそそのかすのと同じであり、綱自身が不敬を抱く輩と取られぬ言葉である。
 清明本人は、頼光が綱を咎めるのを柔らかい表情で見守ってから、答える。
「いえ、私如きでは、どんな無理を押して臨もうとも叶いますまい。それより綱殿、橋姫の件、お聞かせ願いましょう」
 彼がこの様な問いをしたのは、あの姫がいずこかの悪しき者が使わしたモノであるとは信じたくないからである。せめて清明のような人物が使わしたのであれば、正当な由があるのではないかと、僅かな救いを求めた、支離滅裂に近いものであった。
 この思考、他人が理解するには無理がある。しかしながら清明は、この若き武者の心奥を見抜いていた。見抜きつつも、問うたのだ。
 どのみち彼は、それを話すために来たのだから。
 綱は観念し、しばらく前の、初めて橋姫と会った晩の不可思議な光景を語る。
「頼光様と私は月の満ちる前の日、一条戻り橋で賊に襲われていた橋姫を助けました。その後、行き先を忘れてしまったという姫を、今我々が宿直(とのい)として詰めている兼家様のお邸へと、連れ帰ったのです」
 白湯を飲む手を震わせる綱。その顔は、恐ろしい出来事を思い出そうという物ではない。某かを後悔する、苦々しい面持ちであった。
 満ちる前の月光に照らされた橋姫。髪の色は金色に、目の色は玉の緑に。それらは、あの鬼女と同じであった。
「――と、その様な事が、あり申した」
 その異変を認めながら、なぜ改めて清明の元へ訪れようとしなかったのか。
 否、庇い立てしたのだとは、綱も自覚している。
 話を聞き終わった頼光は、綱の横面に向けて拳を振るう。
「なぜそれを、言わなかったのだ」
 拳を震わせながら、頼光が呟く。綱の心痛を察しながらもそうしたのだ。
 聞いたところで、すぐに調伏に及ぶでもない。共に良い考えを浮かべることも出来たであろうに。頼光もまた、一の郎党たる彼の頼みになれなかったのを、悔やんでいる。
「お二方、気を静めなさい」
 清明はそうなだめる。
 彼らとさして歳の変わらぬ二子の、父である清明。子を諭すように静かに、確かな答えを添える。
「月には、妬み嫉みにまつわる伝承が、多く残っています。そして今月の月将は、卯にして陰、これは嫉妬を司るものでもあります。そのため、遙か西方で言われる嫉妬の色が、その姫の目に映し出されたのでしょう」(※3)
 天文を見、地象を見る、陰陽師の本領を以て、清明は解く。
 少年達はこれの理解に悩むが、清明の意図だけは読み取り、また問う。
「では髪の色は」
「それこそ、語るまでも無いでしょう」
 清明は、澄んだ液体がなみなみと注がれた土器を、庭に向けて差し出し、
「月の光が零れれば、酒ですら、この色に染まるのです」
 落ち着いた黄金色に輝く南都諸白(なんともろはく)(※4)を、すいと飲み干す。
「では、綱が見た光景は、全て月が見せた物であったのか……」
「その前後には、ちょうど私がお話しした、左京大夫様の霊夢に現れた嫉妬の鬼女の逸話。綱殿がそれに繋がりを見いだし、思い悩んでしまうのも、しようのないこと」
 頼光はようやく納得し、安堵の表情を清明へ向ける。
「誠に粗忽でありました。若輩者ゆえ、平にご容赦下さい。綱も、すまなかった」
 綱はそれを神妙に受け止める。殴られた恨みもそこには無い。
「橋姫の話はさておき、件の鬼女探索は必要でありましょう。左京大夫様に、急ぎお知らせ召され」
 そう、帰途での方違えの道程を授けながら、元の行く先に服するよう促す。
「清明様、我らのような至らぬ童への斯様なご厚意。感謝の言葉もありませぬ」
 言って、深々と頭を下げる頼光。
 綱は床を抜いてしまうのではないかと思わせるほど、強く頭を押し付けていた。

 少年達が去った後、そこにはいつもの様に、博雅の姿があった。
「お前が、外に出るのを控えろ、などと言うものだから、仕方なく聞いてしまったが、まさか綱殿がそんな物を見ていたとはなあ」
 手元の土器の底では、注がれた酒の微かな澱が、季節外れの雪を降らせている。
 そこにはまた、先ほど清明が飲み下したのと同じ光が映り込む。
「年頃の男子だ。同じ年頃の姫にそんな情を抱いても不思議は無いだろうが、それにしても怪異を前にしてもそうしておられるとは、中々」
 博雅は、綱の恐れにも勝ったその心に感嘆する。
「お前がそれを言うか」
 清明は僅かに笑みを浮かべる。
 博雅であれば、ただの怪異のみならず、勿怪を前にしたとて、恐れよりも情が勝るであろうと。
「ううむ。それよりもじゃ、堀川四条に、そんな橋などあったかな?」
 頼光と綱が渡ろうとし、鬼女が待ち受けていた橋。
 清明も確かに踏み入ったと言うその橋、博雅の記憶にはそれが無いのだ。
「そうだ、無い。だからこそ、式神からの報せも遅れた」
 件の橋には、すんでの所で間に合ったのだ。
 清明は今宵、常は一条戻り橋の下に住まわせている式神達を、堀川の上流へ下流へと配置していた。それなのに、そうなった。
「ならば、あの二人が渡ろうとした橋は、かの鬼女の作り出したまぼろしか」
「いや、まぼろしではない」
「まぼろしではない。では何だ?」
「此岸と、彼岸を結ぶ橋。仏の来訪と共に、この国にもたらされた信仰じゃ」
 毎度己の及ばぬ知識を披露される博雅も、これには「なるほど」と顎をなぜながら頷く。
「ふむ、三途川と、そこに架かる橋か」
「そうだ。三途川を渡り、冥府へ至る途には三つ、即ち山水瀬(さんすいせ)、江深淵(こうしんえん)、有橋渡(うきょうと)あり。業浅き者は浅瀬を渡り、悪行悪徳の徒は深き淵の濁流を渡り、徳高き者は橋を渡るのじゃ」
 しかしそこを渡れば、行く先は並べて彼岸、冥府である。
「なればあの二人、鬼女に出会わずとも、危うかったのか」
 清明の到着が遅れ、鬼女が行く手に立たねば、今の博雅の懸念通りになったであろう。
 鬼女が彼らを助けたとは思えないが、結果はそうなった。
「そうとも言えよう。そしておれには、あの鬼女の正体、分からなくなってしまった」
「なんと。お前がか?」
 失せ物探し、物事を見極めるのは清明が得意とするところ。だのに、である。
「あの鬼女、どうもおれが識っているモノと違う。それに兼家様の邸の橋姫じゃ。みだりに、あの鬼女と並べて語る訳にはいかなそうだが、さりとて無関係とは思えぬ」
 過去のモノでありながら、今ある知識が通用しない。清明をしても、ほとんど全て、一から知らねばならないかも知れぬのだ。
 知る術はあろうがしかし、今は迂闊に京中を歩き回るわけにもいかない。
 ひとまず成り行きを見るほか無いと、二人は盃を傾けるのであった。

      ∴

 何事も無く兼家邸へ帰着した頼光と綱。
 すぐさま満仲へ、兼家へと四条での事態を報告する。兼家は当初、四条堀川の橋について首を傾げるも、清明の名を聞いて納得したようである。
 二人は兼家より賞賛の言葉を授かると、この晩は巡察の下番を許された。
「やれ、大変な夜であった。またも清明様に助けられてしまったな」
 清明の、噂以上の手腕を思い返し、改めて彼への尊崇の念を深くする頼綱。
 語りかけた相手は綱であったが、
「おや、厠(かわや)にでも行ったか?」
 その姿は側に無い。

 子の刻に至ろうという時分、庭に面した廊下には月明かりの中で一人の姫が佇む。橋姫であった。その髪の色も目の色も、尋常な物である。
「綱?」
 気配に気付いた橋姫が振り向くと、彼は静かに橋姫の身を両腕で包んだ。
 驚きはするものの、それを振りほどこうともしない橋姫の耳元で、綱は呟く。
「女一人守れず何が武士か。俺は、守るぞ……」
 その心底に何があるのか。橋姫はそれを見通せないながらも、若すぎるほどの彼が抱く強い庇護の心に、静かに微笑むのであった。



第5話注釈

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※1 鬢:耳際の髪の毛
※2 二品:律令制での二位の位を唐風に呼んだもの。
※3 月将:十二に分かれ、各月の黄道の動きの指標を表す神。天体の月と直接の関係は無い。
※4 南都諸白:南都(現在の奈良)で作られた僧坊酒。高級品

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