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楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし   失われたはし 第3話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし

公開日:2017年03月07日 / 最終更新日:2017年03月07日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第2章
失われたはし 第3



 自身の部屋から出て、橋姫を伴い自由に邸を巡っていた綱。ちょうど腰を落ち着けたのは、清明と博雅のはす向かいの部屋であった。
 特に趣を懲らしてはいないが、庭には多くの木々が、澄んだ空の下で豊かに咲いている。
「俺には雅だの、女が好みそうな物が分からない。頼光様もそうだが、御許はどうだ」
 橋姫が好みそうな物を、今ある限りであれやこれやと探した末、思いついたのが兼家邸の庭。公卿達が時折歌会を催す様な豪奢な庭にはとても踏み入れないが、それ以外の場所も常に美しく整えられているのは知っていた。
 彼の心はとても素直なものである。この好意は、正しく橋姫に伝わった。
「ええ、とても」
 にこりと、花々の妬み嫉みすら集めてしまいそうな笑顔を浮かべて橋姫は答える。
「そうか、ならばよかった。ここでこうして心を落ち着けて、元の行く先を思い出してくれ。さすれば俺がそちらまで送り届けようぞ」
 本当にそれを思いだして欲しいのか。彼女が大切な用事と言うなら、それを為せないのは困るだろう。いや、己はそうであっても――
「綱。思い出しました」
「えっ?」
「私が赴くべきであったのは、ここだったのです」
 何という偶然か。綱は驚き、困惑しつつも、何か言いようのない心の高揚を覚える。これはもしかしたら、予め定められた縁では無かろうかと。
 そこまで考えてから、彼は頭を振る。それを言うならば頼光も同じ、己のみが縁を独り占めしていいものではない。
「良かったではないか。して、どなた様への、如何なる用向きであったのか?」
「それはまだ、思い出せませぬ……」
 一度明るくなった橋姫の顔色は、またすぐに沈んでしまう。
「急がなくてもよい、橋姫。ならばここにおれば、いずれは会えるという事ではないか」
 当初橋姫が昨晩中に、と言っていたのは、彼の中では些細な話として消えている。
 橋姫は逆にそれを言ったのを思い返し、若い彼の、粗忽ながらも無邪気な心遣いに、また笑みを返した。

 博雅は、なんとも微笑ましいと、若い男女のふれあいを見守っていた。
 しかし清明が出し抜けに立ち上がり、
「博雅、少し用事を思い出した。これより出仕する」
 これも出し抜けに言う。
 今日は、兼家のお達しが陰陽寮に届けられ、休みを取るのが許されている。博雅などは、催事か、それを前にした演練でも無ければ、適当な理由で休むのを咎められはしない。
 一日ここで過ごせるのが、兼家からの礼でもあったのだ。
「今からの出仕では、却って辺りから嫌みの一つも言われそうだが?」
 それも織り込み済みと、清明は頷く。
「もし保憲(やすのり)様がおられたら、一つや二つでは済まぬしな」
「ああ、あのお方か。おれも苦手じゃ」
 賀茂(かも)保憲。前陰陽頭(おんみょうのかみ)(※1)にして天文博士。現在は主計寮にも出仕し、主計権助(ごんのすけ)(※2)しての勤めも果たす能吏である。
「苦手と言ってくれるな。おれなど足下にも及ばぬ兄弟子殿よ」
「お前こそ、よくもまあ言ったものじゃ」
 地位も出自も清明を上回るとはいえ、陰陽師としての世評は、清明の方が格段に上。
 はたからすれば、謙遜と取られてもしょうがない。
「いや、お前は、そんな皮肉を言う輩ではなかったな」
 そこは博雅。先の言葉は戯れであったと、すぐに翻す。
「うむ。それに小言の一つや二つを我慢してでも、お聞きしたいことがある」
「わざわざあのお方に……それも今思いついたようであったが」
「いや、少々気に掛けてはいたのじゃ」
「もしや、昨日話した、兼家様の霊夢に現れた鬼女か?」
「然り。供に大内裏に赴くなら、そこまでの道行きで話そう」
「それも良かろう」
 清明は兼家に暇乞いし、博雅も牛車に乗り込んだ。

      ∴

「さて、件の鬼女の話かな」
「うむ、嵯峨天皇の御代に現れたモノだ」
 それは昨日、清明が頼光や綱にも話して聞かせた通り。
「実はこの鬼女、起こした惨事の記録はあるのだが、そのモノ自身の結末が知れぬ」
「魑魅魍魎、鬼の類いは陰陽寮が退けるものかと思っていたのだが、違うのか?」
「いや、概ねはそれでよい」
「ならば、お前が知らぬのはおかしい」
「とてもではないが、俺とて陰陽寮にある記録全て、そらんじられるはずがない」
 博雅の過信も、清明は謙遜抜きに一蹴する。
「だからこれから、鬼女に関する記述を探ろうというのだな?」
「ああ。加えて、保憲様も師――お父上から何か口伝を受けておられぬかと思ったのさ」
 清明と保憲が、共に陰陽道の師とするのは、保憲の父忠行(ただゆき)である。
「なるほどなぁ。しかし何を思いついたのじゃ? 兼家様のご厚意まで反故にして」
「思いついたと言うより、聞こえたのじゃ」
「何が?」
「その鬼女の名が」
「……いずこより?」
「あの若武者、綱殿が、横にいた娘を「橋姫」と呼んでいた。かつて現れた鬼女、貴船の杜から宇治川まで下って身を清め、宇治橋にて生き霊となった。故にこれも橋姫じゃ」
「ううむ、そう言えばあの姫、これまで兼家様の邸で見た覚えが無い……」
 偶然と言うには難しい。
 博雅は、清明の話に驚きつつも、冷静に今の自分たちの行動に言及する。
「清明。ならば我らが、否、お前が邸から離れるのは、よからぬ事ではないか」
「いや、お前も見た通り、邸には多田満仲様や、ご子息の頼光殿らのほか郎党が詰めている。綱殿もその一人だろう?」
「武士に、あやかしをどうにか出来るのだろうか」
 常ならば、祈祷や法力、方術を以て払うモノ。それを刀を振り回すことでどうこうできるものか。博雅の疑問はそれである。
「姿形がこの世に在る限りは、少なくとも斬ることも叶おう。切って捨てて終い、というのはよからぬ結末を招きかねないが」
「しかし、しかしじゃ。川に、水に縁のあるあやかしであれば、そのモノ自体が水かも知れぬ。いくら目に見えようとも、刀で水は切れまい」
 博雅の反論に、清明は目を丸くしてから、フッと笑いを漏らす。
「何が可笑しい」
「いや、お前も分からぬ分からぬと言いながら、呪(しゅ)という物をよく理解している」
 今の話がどう関係していたのか、分からないまま褒められても嬉しくないと首を傾げつつ苦い顔をする博雅。
 そうこう話しているうちに、牛車は大内裏(だいだいり)(※3)まで辿りついていた。

 普段出入りする、清明の邸に面する土御門大路からそのまま連なる上東門ではなく、美福門から入城する清明と博雅。
 暑気もまだ抜けきらぬ中、徒(かち)で中務省(なかつかさしょう)(※4)の在する一角へ、そして陰陽寮へと歩みを進める。
 先を歩む清明は、博雅も気付かぬ間に、立烏帽子に濃紺の直衣(のうし)へと着替えていた。
「お前、始めからこちらに赴くつもりであったのか?」
「そんな事はない。今日は一日、ゆるりと過ごす予定であったよ」
 狩衣(かりぎぬ)姿のままではとても雅楽寮などへは赴けず、仕方なく清明の後に続く博雅。ただ、件の橋姫についての諸事を紐解くのには、僅かながらに興味もある。
「それにしても、あの娘。たれかを妬むと言うより、妬まれる側にも思うがのお」
 判を押した様な面立ちに装いの宮中の美女とはまた異なる、不可思議な魅力は、目に映る多くのものを愛する博雅こそ、より強く感じていた。
「妬み、嫉み、嫉妬とは、色恋だけに留まらぬぞ」
「うむ、それは分かるが――」
 色恋もであるが、公家同士でも幾たびか、清明が言わんとする物事を見聞した覚えがある博雅。むしろ彼自身が、そのようになり、そのようにされる立場の人間でもあるのだ。
 彼が自身の立場から周囲の事象に考えを巡らしていると、不意に語りかける声があった。しかしそれは清明に向けての物。
「今時分に出仕とは、何事か」
 石畳の上とはいえ一切音もさせず、正に隠形、陰態とも言うべき現れ方をしたのは、一応は用のある人物、賀茂保憲。
「これは保憲様。いえ、これまで左京大夫様の求めにより、邸に参っておりました。事由はこちらにも届いているものと思っておりましたが」
「ならば無礼をした。ワシもこちらに戻ったばかりでな」
 保憲は、清明同様の立烏帽子に深い赤み直衣を纏い、顎髭を撫ぜながら言う。
「博雅殿も、これより雅楽寮への出仕かな」
「はあ、何の因果か、私も左京大夫様に招かれましたゆえ……」
「なるほど。だが方々、己が仕えるのは官庁であって、特定の公家、公卿でないのは心得なされよ」
 保憲がそう言ったのには、確かにその通りであると、二人は静かに「承知」と答える。
「よく、心得まする。しかしながら此度の左京大夫様のお招き、陰陽師としては看過できぬ由がありましたので……そこで、お伺いしたき儀がございます」
 ひく、と片眉を上げてから、
「何か」
 短く、確かに応じる保憲。清明は許しを得たと続ける。
「夜な夜な、左京大夫様の枕元へ鉄輪を被(かづ)いた鬼女が立ち、かの方の寝首を掻こうとしておったとの由であります。私が人形を以て凶事を逸らそうとしたところ、にわかに正体をくらませたものでして」
「それなるは橋姫。嵯峨天皇の御代に現れた鬼女であるな」
「左京大夫様のご覧になったままに言えば、然り。かつて、陰陽寮なり民間の陰陽師なりがあのモノをどうしたのか、保憲様ならご存じであるかと思いまして」
「ふむ……おれの覚えている限りでは、確か、父上の更に祖父が滅したものと、そう伝わっている。陰陽寮の記録にあったか否かは、覚えが無いがな」
 ならばこの度あらわれたのは、かつての橋姫とは別個のモノであろうか。
 清明がこれを聞いて鷹揚に頷くのを見てから、保憲はまた続ける。
「如何にして退治たとは、残念ながら伝わっておらぬ。しかしお前の講じた策、間違ってはおるまい。かの鬼女は生成り、恨みを晴らさば、二度とは同じ相手を襲うまい」
 これにも清明は、納得したと再度大きく頷いてから、
「ありがとうございます。少なくとも、己の採った策が誤っていなかったのを知り、安心しました」
 改めて深々と頭を下げる。
 用件はこれだけかと、保憲は歩を進めようとしてから、立ち止まり、振り返る。
「お前も多くの方の推挙により、次の試験では天文博士に任じられるのが濃厚なのだ。左京大夫様との間柄も分からぬではないが、余計な事に首を突っ込んでいる暇は無いぞ」
 そう言うと、今度こそ陰陽寮の建屋に向かって歩んで行った。
「やれ、やはりおれはあの方が苦手だ」
「しかしああして、よく気を使って下さる」
 清明は、口元を緩めて保憲の後ろ姿を見送る。
 博雅も同じく視線を送りながら、訪ねる。
「嫉妬の鬼、のお。それにしても、生成りとは一体なんなのだ?」
「恨み辛み、妬み嫉み、憤怒。そういう負の想念に身を焦がされ、生きながらに鬼と成る事。鬼(おに)とは祖霊であり、あるいはこの世からの隠人(おに)である。しかし鬼(き)を生(き)とし、生きながら鬼と成るのを、殊更に『生成り』と言うのだ」
 博雅はそれら一語一語を飲み込んでから一言、
「なんと、哀れなモノか」
 と零す。
 それは、綱と仲よさげに語らっていたあの娘が、もしやそうかも知れない、というのも思い浮かべながらの憐憫の情であった。
 しかし清明は頭を振る。
「博雅、鬼を哀れむな。それは、かのモノ達が最も厭うことじゃ」
 とはいえ、この優しい人物がそれを止むことは難しい。
 博雅もそれに確かな答えを返すことは無く、元通りに陰陽寮への道のりに伏した。

      ∴

 月明かりに秋の花々が冷たい光を宿す夜。一条戻り橋の袂に一両の牛車が差し掛かる。
 御簾の内では、見目麗しい女房と若い色白の美男子が、周囲に憚る事無く睦み合う。
 男の持ち物であるこの牛車が、不意に止まった。
「これ、何をしておる」
 彼は御簾から首だけを出し、馭者を叱りつけるが、馭者はおろか牛の姿も無い。
 これはどうしたことかと辺りを見回す彼の顔を、蝋の様に白く細い指が、がっしと掴む。
「な、たれそ……」
 男は月下で爛々と輝く緑の瞳を見るが、
「妬ましや、あや、妬ましや!」
 その言葉と共に、彼の視界は上下を反転させた。



第3話注釈

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※1 陰陽頭:天文や暦、気象み関する諸事を統括する、陰陽寮の長官。従五位下相当の官
※2 権助:助とは、長官の下に置かれる、定員1名の従六位相当の官。権助は、この定数外の官職
※3 大内裏:内裏の外郭に広がる、中央省庁の集まった区域。京の北辺に在する。
※4 中務省:天皇の補佐や、朝廷の運用一般に係る諸事を担う省。陰陽寮などの機関が属する。

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