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楽園の確率~Paradiseshift.第5章『黒谷返上』   黒谷返上 第7話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第5章『黒谷返上』

公開日:2018年05月21日 / 最終更新日:2018年05月16日

黒谷返上 第7話
楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第5章
黒谷返上 第7話



 大蜘蛛が取った進路は、人里を挟んで命蓮寺とは逆の方向。博麗神社方面だった。
 大蜘蛛が結界の外に出る恐れがあるという桜坊の危惧は今、現実味を帯びている。
 博麗の巫女の不在で結界の形成に支障が出ている可能性がある上に、博麗神社は大結界の東の要であり境界の界面に位置する重要地点。
 結界の向こうに渡ろうとするなら、ここか妖怪の山の天狗の抜け穴を使うのが確実であり、後者は制約と防備を考えれば困難。
 この事態にあっても、拙速に事を運ぶのはリスクが高い。それでも文達が隊列を押し進めるには、理由があった。大蜘蛛には移動する理由が無い、という理由が。
 大蜘蛛は近付く人妖や禽獣を押し並べて瘴気に、あるいは言霊で捕らえ、自身の尖兵としている。瘴気が無尽蔵な物なら、兵隊を増やせるだけ増やした方が都合がよいはず。それに蓄妖場たりえる幻想郷に在る限り、力は無駄に浪費されず、貯えられる傾向にもある。
 多くの避難民が身を寄せる命蓮寺に目もくれず、博麗神社へあえて今向かう理由は何か。
「善八郎様。今になって白状します。少し前に責めを受けた天邪鬼追討の件ですが――」
 正邪の旧地獄来訪からそこまでを全て彼に打ち明ける。そこに想定される、黒幕に関する推察までも含めた一切を、周囲の者の耳にも入る程度に声を上げて。
「本当にお前という奴は……いやある程度想像はしていたが、しかし、それならば――」
「ええ。私達の動きを掴んだ何者かが、大蜘蛛にそれを伝えたのではないでしょうか」
 妖怪の山のモノなら、そもそも動きを掴むも何も無い。火仗持ち出しは大々的な動きだ。
 しかし大蜘蛛は逃げを打っているとも言えるのだ。これらの推察通りなら、敵にとって、文達はデメリットを押しても動くべきリスクと見なされているのかも知れない。
「我々はいよいよ攻めるべき、か」
 彼の言葉に文は唾を呑む。身体が粟立ち、震える。怯えと気迫が拮抗していた。
「おーい、ブン屋ー! ってあれ。そこの人、さっきも居た駐屯吏だかの天狗だよな?」
「小僧(しょうそう)は天竜坊善八郎と言う。霧雨魔理沙、改めてよろしく頼む。それと親御さん方がたいそう心配しておられたぞ。あまり無理はしないよう小僧からも頼んでおく」
「こちらこそ。でも戦力としてか家出娘への苦言がメインなのかハッキリして欲しいぜ。それよりブン屋、なんでテクテク歩いてるんだよ。異変の最中で飛行自粛も無いだろ」
「今回は結構無理を押してるんですよ。それで善八郎様以下、ここに居る天狗は飛ぶわけにも、術を使うわけにもいきません」
「何がどうなってんだよ?! 事情があるならしょうがない。けど、少しまずいな……」
 魔理沙の顔はかなり深刻と言うより迷う風でもある。ヤマメの不在も関係しているのか。
「この期に及んで何があったんですか?」
「いや、念話が使える奴を都合して欲しかったんだが、それも駄目か? 実は――」
《射命丸、どうか?》
 魔理沙の言葉の前に以心の術。彼女にその念話が届いた旨を伝え、そちらと交話を開始。
《三尺坊様、如何しましたか。はっ? 既に河童が砲台場を築いている?!》
 青天の霹靂か寝耳に水か。しかし牽制になりそうだと、あえて文は以心の術でばらまく。
《ああ、即刻河童の長老衆が召喚され、問い糾したところ「天狗様に命令された」の一点張りでな。よくよく話を聞いてみれば、どうやら桜坊殿に依頼されていたらしい》
 火砲など、どこそこに行って何を撃てと言われて「はいそうですか」と据えられる物ではない。前進に当たっては事前偵察や調査を実施し、常に布陣を意識せねば成り立たない。
 桜坊が事の始めから今の状況を意図した、用意周到な動きに間違いなかった。ただ、
《しかし河童で以心の術が使える者は限られます》
 魔理沙が求めた連絡員の話を、そうして伝える。別途通信機を使わない限り連携など不可能。下手をすれば文達が撃たれかねない。当然、文が張り付いている訳にもいかない。
《ああ、椛からそれを聞き、当人を助っ人に遣った。黒戌殿は理由を付けられなんだが、椛は秋葉山で修行していたし親御も付近の山の出とな。近場ならば椛の力でも通じよう》
 ここに至って新たな同胞の投入。これは三尺坊の、決して文達を死地に送り出したのではないという意思の表明にも思えた。事が極まれば、彼自ら出てくるつもりかも知れない。
 あの赤ら顔に困り顔のよく似合う大権現は、酒を買う使いには憚らず弟子を送り出すが、軽々に弟子達を死に追いやるまい。
「魔理沙さん、どうやら連絡員の件は解決しますよ。白狼天狗を一匹派遣したそうです」
「助っ人が一人って。ホントに妖怪の山は大丈夫かよ……」
「山もあれを恐れて、自分たちの守りを固めてるんですよ」
《よいか射命丸。椛の到着まで河童達に砲撃はさせるな。それと――》
 少し間が空いた以心の術の合間に、文は砲撃の開始タイミングについて伝える。
「との事です、魔理沙さん。後で言っといて下さい」
《――それと、何ですか?》
《いや、これについては今する話ではないな。戦に専念してくれ》
 通話が終了し、文は魔理沙に向き直る。
「では我々は予定通りに前進します。魔理沙さん」
「ああ了解、任された。それと霊夢のことだが、やっぱり大蜘蛛と一緒に居る気がする」
「何故です?」
「あいつは特別だ、そう簡単に卑妖なんかになるなんて考えられない。それに大蜘蛛は確かに博麗神社に向かってるんだ。もしかしたら霊夢の意思が働いてるのかも……」
 友人らしい希望的観測だ。いや、もしかしたらそれもあり得るのかも知れない。文達が桜坊の情報によって先入観を抱いているだけで。予断でも何でも、柔軟に考えるべきか。
「それなら、私達はそれに対してどうすればいいんです?」
「お前も締めの突撃に加わるんだろ? せめて私が行くまで猶予をくれ。策はある」
 それ以上は問答無用と魔理沙は飛び立った。
 文はその姿を見送りつつ、これまで通り歩んで一隊を従える。開けた往来が尽き、雪の白みが勝った博麗神社までの深い森が近付きつつある。瘴気の残り香も臭気を増していた。

「まあ、いつも通りの面子だね……」
 河童台場の陣容を見ながらヤマメは嘆息。ヤマメにとっては商売絡みで見知った顔。それよりも人手の少なさの方に呆れて嘆息していた。
 台場と言っても小口径の野砲が二門に、蟹の眼のような砲隊鏡や砲迫用に好都合と引っ張り出したと見られるセンサー類、それらを操作する人員はたった四名。しかもにとりを始めとして、戦闘員よりも整備員と言った方が見合うアノラック姿。人手の限られる実行組織でそれらの別は紙一重とは言え、正面切って戦えそうなのはにとりぐらいのもの。
 そして当然の流れで、ここではにとりが指揮を執っていた。
「はい点呼!」
「一番川杜(かわもり)!」 「二番水渕(みずぶち)!」 「三番河藤!」
 きびきび答えるのは痩身の河童、眼鏡を掛けた中肉中背の同、頬がこけた略。全員男だ。
「よし! つぎ任務!」
「一番観測!」 「二番二号砲砲手!」 「三番〇(ゼロ)号砲砲手!」
「指揮者あたし、よし! じゃあ配置。魔理沙が戻って来るまでは一応待機!」
 五人の前には、長い脚を後ろに伸ばし、駐鋤(ちゅうじょ)を地に着けた小径砲が二門鎮座する。
 砲としては速射砲に分類される物だが、これはかなり特異な代物。砲身の後ろには振り出し型の回転輪胴弾倉を備え、砲尾には砲門の代わりにむき出しの撃鉄。装輪型の砲架自体が、砲本体と比べるととってつけた完成度に見える。その砲架に外付けされた複座機の下には、巨大な握把に見える部位と、その前部の大型の引金からは鋼線が延長されていた。
 要するにこれは巨大な拳銃。それを無理矢理砲架に乗せ、引金を引けるようにしただけ。
「にとりさん、質問ありまーす!」
 ビシッと手を挙げたのは川杜。にとりは不機嫌そうな顔で「なによ」と促す。
「なんで俺達なんですかね。しかもこの人数で」
 いつもつるんでいる女の河童達もいたはず。腕っ節なんて男の河童も女の河童も変わらないどころか、にとりは勝ってすらいるのに。との問い。
「だってあんたら以外、誰がこれ扱えるってのよ」
「いや、そりゃそうですけれど。せめて増員をと思いまして」
 言いたくもなるだろうとヤマメは頷く。元は極めて特殊なプラットフォームで扱う物を、どうにかすれば操作を一人で賄えるのでは、という発想で無理矢理実現した結果がこれ。
「無理々々、決死隊に増員なんてしてどうするんだよ。それも今更」
 やっぱりかと揃ってうなだれる三河童の前で、にとりは胸を張る。実際は自棄だ。
「おやっさんの指示だから逃げるわけにもいかないしね」
「でも弾を撃ち出すだけしか出来ませんよ? そもそもこれ、直接射撃用ですし」
 観測を担当する本人がそう嘆く。砲口上部の照星や、砲尾で撃鉄を挟んで配置された照門がその証。全てが手探りの絶望的な四人に、ヤマメが声を掛ける。
「まあ、白兵戦するよりはマシだと考えてさ。いざとなれば隠れ蓑使えば良いんだし。ほら、あっちも始まって、る?」
 彼方から銃声が響く。野鉄砲などの鳴らす音ではない、間違いなく実包の放たれた音。
「どうすんですか、にとりさん!」
 にとりに次いで若く見える河藤が慌てふためいて問う。にとり本人も混乱の真っ只中。
「どうするって、とりあえず撃つ!」
「待ったにとり。だからせめて魔理沙が戻るまで待ってって」
 森の中の僅かな高台を啓開した台場から、辛うじて断続的な射撃音のする方を見る。半里先の空を、小さな雲が動き回っている風に見えた。
「その魔理沙も来てるね。あれは、卑鳥って奴の群れか。川杜、対物センサ動かして」
 彼は了解を告げて、これまたとってつけたモニターの前に走る。
「駄目っすね。効力圏外です」
 にとりは役立たずとなじるが、仕様の限界で操作する者に文句を言ってもしょうがない。
 魔理沙はかなりの速度で飛んでいたらしく、すぐに合流。
「にとり、あっちは駄目だ。けど妖怪の山から白狼天狗を一人送るから待てってさ」
 誰が来るかは分からなくとも、白狼なら観測と連絡、同時の活躍をにとりは期待する。
「ヤマメ、私達はあっちより先回りして卑妖の捕縛だ。目に付いた奴からふん縛るぞ!」
 移動は優速な魔理沙に便乗し、地上では瘴気を問題にしないヤマメが糸を繰り出して捕縛する。従前より決めていた、リスクは少なく効率もまずまずの遊撃戦。
 魔理沙がポシェットから折り曲げていた面体を取り出し、装着してすぐに飛び立つと、ヤマメは散乱する魔力の奔流の中でホウキに取り付いて続く。
「あーあ、行っちゃった……」
 一時的だが完全に独立状態になったにとり達も、ただ立ち尽くすつもりはなかった。
「二号、発煙弾準備。ゼロは榴散弾装填、卑鳥を警戒。観測、大気状態の確認」
 今のうちに弾道を確認しようとの意図。もし間接射撃を行う段になったら、最初から目を瞑って撃つ気ですらいるが。
「ラージャ。地表の風向9から12、風速7メートル。横風、上空はもっと強いですね。それと気温3度、湿度は、測定不能なぐらい低いっす」
 射撃には適しているが、水妖にとって乾きは大敵。とっとと帰りたいものだと彼も呟く。四の五の言わずやれとの発破が返る――はずなのに、いつものそれが無い。
 彼がそちらを向いてみれば、そこには一人の来客があった。
「えっと、八雲紫、さん?」
「ええ、その通り。ちょうどよかった。あなた、よく霧雨魔理沙と付き合ってる河童ね?」
「谷河童の河城にとりだよ。あんた、今になって何の用でお出ましなんだよ」
 彼女ら賢者の無干渉が、今の文達の徒歩前進の遠因になっていることなどにとりは知らない。しかし、こんな事態に今まで出て来なかったのについては、普段は管理者ぶって踏ん反り返っているくせにと、勝手な想像を重ねて憤って見せている。
「まず、あなたに無闇な攻撃を控えてもらうために。あの卑妖と称されたモノが、人間が変じたものだと聞いてはいないの? それとも知っていて撃つつもりなのかしら」
 文達や妖怪の山上層部ほど深い事情は知らないが、下々の天狗や人間が知る以上、少なくとも魔理沙が知るぐらいまでの事情はにとりの耳にも入っている。
「妖怪の山が退治に動いたから、こっちも呼応して動いてんだよ。多分……」
「なるほど、あなた方は長老の指示で動いてるだけだったわね。ならば少しは自分の頭で判断してみたらどうかしら。偽りでも誠でも、日頃盟友と呼ぶ者を撃つという意味を」
 そもそも長老は何が何でも撃てと命じたわけではあるまいと、紫は続ける。
 彼女は、にとりに一歩だけ踏み留まることを勧めていた。その上で考えろと。
「だぁもう、今になって四の五の言いやがって! 水渕、二号砲装填は!」
「もう済んでますけど」
 ここまで事が動き出した場で説教なんて知ったことか。にとりは短気を起こそうとする。
「やっぱり私だけでは駄目ね」
 紫がそう言うとその場に亜空への口が開き、次の瞬間には白髪頭の少女が現れていた。
「椛!」
 ぺたりと座り込む彼女は、目を白黒させながら辺りを見回す。
「あれ、ここどこ? にとりって事は、博麗神社の杜!?」
 流石のにとりも、彼女の突然の到着に動きを止めた。
「そうそう、今になって出て来た理由はもう一つ――」
「八雲紫。結界の修復に奔走していたのではなかったの?」
 これはあくまで想像に過ぎなかった。しかし彼女は「その通り」と答える。
「今言おうとしたのに。でも終わった訳ではないの、式神も動員して今も修繕中よ」
 そんな状況でもこの場に現れたのは、それほどまでににとり達の攻撃を留まらせたかったからなのか。文達の出陣にも干渉の兆候すら見せなかったのに。
「紫さん。あなたはあれを人間だと言うんですか!?」
「いいえ、この場ではそれを決められないわ。けれど妖精ではないんだから、殺してしまったらどっちにしたって取り返しが付かないでしょう? だから、よくよく考えるのよ」
 妖怪化した人間は容赦なく滅せられる。そんな不文律が幻想郷に規定されていることを知らない二人には、この言葉に疑問を挟む余地は無い。
「また勝手なことを。そんなに言うなら貴女が直接事に当たればいいでしょうに」
 この時のために、文や秋葉衆がどれだけの懊悩に苛まれた事か。文の独断は責めても、その想いだけは椛も理解していた。
「言ったでしょう、事態は更に進行中だと。出られるなら始めから私が出ていましたわ」
 その様は決して見せない紫だが、彼女もまた、忸怩たる想いでいたのだと暗に言う。
「勝手に思うでしょうけれど、伝えるべき話はしたし、私はここでお暇します。ここから先は、卑妖と呼ぶモノを討つも討たないも貴方たち次第。御武運をお祈りするわ」
 言って彼女は、椛を弾き出した亜空に自身の姿を消し、それを閉じる。本当に勝手だ。
「ったく。いきなりここにいざなった訳はそういう事か」
 紫の言い様に舌打ちする椛に、にとりが期待を含めた声を掛ける。
「どうやらそういう事みたいだね。無闇に撃つなって言ってたし」
 逆に言えば、覚悟を決め、熟考し、故あれば撃てとの事だ。考える時間など殆ど無いが。
「うん。御山からもあっちと連携を取れとも言われてる。でも――」
 問題は瘴気。以心の術も千里眼も、あれに阻まれては意味を成さない。
「じゃあ意味ないじゃん!」
「けれど進路の予想は御山の分析で分かってる。あいつは堂々参道を行くつもりだって」
 博麗神社への道程は、参道から獣道、杜の中の道なき道までを含めればいくらでも挙げられる。大蜘蛛はその中で、真っ向から人里から伸びた往来より続く参道を移動していた。それはまるで、己の前に道が作られ、己が後に道があると信じる王公のようであると。
「大胆不敵、いや実際に敵無しって所かね。でも進路が決まってるなら――」
「今のうちに、狙い打ちの準備をすべきだと思う」
 紫が卑妖を撃つなと言うのなら――言われるまでも無く椛達は討つのを迷っていたのだから――その意思に沿って動くのもやぶさかではない。
 いざとなれば断続的な観測射撃を加えている暇など無い。などという射爆理論こそにとり達には無いが、感覚的に、待ち受けていち時に全力を投射する方をにとり達は選ぶ。
「じゃあにとりさん、参道沿いに予め弾着地点を確定させて、タイミング合わせて撃つって事でいいんですか? 弾薬は吟味した物から突っ込みますけど、横風がまた」
「それに関しては考えがある。椛、射命丸さんには連絡つくんだよね?」
 その為に来たのだから当然、と椛は言いたかったが、
「それがちょっと、あっちが瘴気の中に入ったのか遠いのか、返信が……」
 千里眼で見れば瘴気と凍気による霧の区別はつくが、肉眼のあちらはそうもいくまい。任務の半分が実行不能。椛はやむなく次の行動をにとりに求める。
「しゃあない。じゃあ二号砲、照準規制射撃準備。ゼロは対空警戒ママ」
 可能な限り〝犠牲〟を少なく済ませるならそれが最良と――
「方向+五度三十分、俯角三十分、目標、グリッド『ほ八』南西参道。規制射撃一発」
 砲手からは全く同一内容の復唱。にとりは続けて号令する。
「よし、撃て!」
 ――独自に戦端を開いた。

 火仗よりも彼方の、しかしより大きく響いた砲声に、文は歯噛みする。椛が到着していようがいまいが、自身があちらの期待する状況に無い事に。
 卑鳥は唯一飛ぶことを許される文が蹴散らしたが、問題はその後だった。瘴気と霧の混ざり合った向こうから躍り出てきた卑妖の群れを相手に、隊は当初の予定通り二つに分かれて対応。最終的に博麗神社を目的地として一隊は獣道を、もう一隊は参道を進んだ。
 空を飛ばずとも山を征くのは天狗の常、獣道でも苦も無く進めた。のだったが――
「いよいよまずったな。射命丸、すまない」
 脚に傷を負った井三郎が、杖代わりに火仗を突きながら文に詫びる。霧と曖昧になった瘴気の内、新たな勢力に襲われた彼と共に、文は突出してしまっていた。
 彼を抱えて的になるのも、ましてや彼を置いて行く訳にもいかず、徒歩で付き添っていた。
「構いませんよ。私こそ昔は飛行の練習に付き合ってもらいましたし」
 鴉だった頃に魂に染みついた羽ばたきが、天狗としての始めには飛行を妨げていたのだ。
「ああ、あの頃は飛び跳ねるのが精一杯だったのになぁ。いつの間にか俺より速く飛べるようになっちまって。ああでも、空で一戦やるなら今でも負けんぞ」
「そりゃそうでしょうとも。私はただ速く飛ぶだけが取り柄ですし、ただでさえ駐屯吏は検非違寮に次いで経験豊富。しかも〝空を征くなら同僚を失わず〟の井三郎殿ならば」
 弾幕ごっこではない、人間の命を脅かす危険への対応に、彼らは進んで赴いて来た。それらは確かに実戦であり、術を用いずとも戦えるという今の彼らの自信にもなっていた。
「地を這う今じゃ皮肉だな、自爆だが。しかし、さっきの四つ足はなんだったのかな」
「犬にも猪(しし)にも見えましたね。予想すべきでしたが、そういうのが片っ端から卑妖化するとなると、あちらの勢力は森に入った時点で極端に増えている可能性もありますね……」
 大きさはまちまち、身体の歪み方もバラバラながら、それらは従来の人間が変じた卑妖と異なり全てが四つの足で駆けていた。かなりの数のそれに襲われた結果の、今だ。
「瘴気に呑まれる前に退けなければ、俺を置いて逃げろよ。お前だけならどうでもなる」
 だが既に瘴気の内側。彼こそ、いざとなれば飛んでしまえばいいのに、とは言えない。これは彼らと文が共通して抱く意地と矜持だった。
 文は弱気を逸らそうと語り掛ける。
「そうだ。シシと言えば『瀕死のライオン像』という物を知ってますか?」
「そりゃシシ違いだろ。で、なんだそれは?」
「外の世界の、永世中立を掲げる国の石碑と、それにまつわる逸話です。劣勢の中満足な装備も無く、しかし最後まで暗君の盾となって死んだ傭兵達を悼み、勲(いさお)しを讃えた物です」
「なるほど、そいつは後でもっと、詳しく聞きたいものだな。こんな所で、するようなもんじゃない、縁起でもない話だ。でもそれ、お前みたいだな」
「私が、ですか?」
「ああ、皆に話したら、そう言うと、思うぞ。特に、八郎様、は」
 彼の呼吸は、話しながらにわかに荒くなっていく。いつの間にか、瘴気がより濃くなっていたのだ。戻っているつもりだったのに。
「射命丸、行き先選んだのは、俺だ。やはり、お前だけ、飛んで戻れ」
 息苦しそうに喘ぐ彼、文も同様だった。そしてこの感覚は、文も感じた事があった。
「行き先と言うなら、そも秋葉衆の行き先を決めてしまったのは私です。置いては――」

《かしずけ》

 心に直接響き、重くのしかかる声。大蜘蛛の姿は未だ見えないのに、その言霊の効力の内側にすら、いつの間にか立ち入っていたのだ。
 かのモノの力が増した故か、はたまたどこかに姿を隠しているのか。それを判断する心すら、その身ごと見えざる手に押し潰されていた。
「ぐ、ぬ、射命丸……」
 井三郎の姿が目の前で徐々に膨れ、歪んでゆく。文にその経過を見せつけるように。その側で文は、言霊に命じられた通り雪の尽きた岩場に額ずいたまま、それを見続ける。
「井三郎殿、気を確かに保って下さい」
「くそ、天狗を、我らを、なめるなよ」
 彼は歪んだ手で火仗を立てると、己の顎を銃口に乗せ、左手の親指を引き金に掛ける。
 完全に卑妖化する前に自害するつもりか。こんな所で、こんな形で同胞を失ってしまう。いや、己が彼らをこの場に追いやり、この禍々しい末路を招いたのだ。
 文は絶望の端で、また、まぼろしを見る。

「だから何をしているんだ、射命丸。こんな所でへこたれたりして」
 禁色を多く配した法衣を纏った天狗が、穏やかな眼で文を見下ろしている。彼女にそれを纏う資格は無い。ただ力を与えられただけの、護法の嘴爪でしかない彼女には。
「皆鶴。もう私には無理だ。ちょっと意地になってみたけど、やはり私はただの天狗だ」
「お前がただの天狗なのは生まれだけだ。それと、そろそろあの子も来る。守ってくれ」
「はたてが!?」
 彼女だけは来てはならない。それに今来て何になる、何をするつもりなのだ。
「血はあの子が継いでくれた。お前は、私を継いでくれ」
 そう言って背を向けた彼女の姿は、瘴気の向こうに消える。

(私がお前の何を……そんな事が出来るわけないじゃないか。でもお前が言うなら――)
「かしずいてやりますよ。この世の、全てを!」
 言霊が身体から退けられた文は、同時に弾かれたように井三郎に肉薄する。
「秋葉大権現に御願い奉る! オームヴィラヴィラ・クハン・ヴィラ・クハン・ナ・ソヴァハ!」
(それと貴方も! 貴方を慕って、教えと向き合い研鑽して来た弟子のピンチなんです)
「助けて下さいよ!!」
 彼の解呪を試みようと、左手で型を入れ替えながら観世音菩薩呪を刻み、残った右手では引き金の後ろに拇指を挟み込む。
 永琳ですら匙を投げた解呪が、文の力で叶うかは賭けだったが――
「ぐお……」
 苦悶の表情を浮かべる井三郎。逆に言えば、その表情が明らかなほど、彼は覿面にその姿を取り戻していた。四肢の衣や履物は裂けてしまったが、それ以外は全て元通りに。
 そして、まるで文の復帰を見計らったかのように、稜線の向こうから卑妖が襲いかかる。
 まだ瘴気の内側、術は使えない。
「井三郎殿。すいませんがこれ、お借りしますよ!」
 倒れた彼の手から火仗を奪い取ると、即座に据銃して狙いを定める。引き金を引くと、短く「パン」と乾いた音が鳴り、迫っていた卑妖は呆気なく倒れた。人型だった。
 元は人間だったのだろう。しかし文は怯まず、躊躇わず、すぐに槓桿を引いて排莢すると送弾、装填、次の標的に銃口を向けつつ薬室を閉鎖して、引き金を引く。
「射命丸、これも……」
 彼は倒れ込みながらも、抜き身の銃剣を投げて寄越す。軽く投げられたそれの柄を確かに握ると、弾倉と直下の剣止へするりと差し込む。まるで誰かの助けがあるかの様に。
 火仗は残弾全てを放つ前に薬莢を噛んでしまった。文はそれを排除するのももどかしく、今し方装着した銃剣で突きにかかる。刃体も槍としての柄となる全長も短いが、銃床の重量を助けとして金剛仗よりも素速く腕の中で回るそれで、前後左右自在に迫る卑妖を突き、あるいは殴り飛ばして、次々となぎ倒す。井三郎を守りつつ。
 卑妖の姿が途切れたと見るや、文は火仗を袈裟懸けに負うと、次に彼を担ぎ上げる。
「駄目だ、的になると言ったろう。それに何か体がだるい、また卑妖化するかも知れん」
「そんな訳ありますか。それに幻想郷最速は、伊達じゃないんですよ!」
 文の背に妖力の具象化である黒い光の翼が顕れる。
 僧正坊の天道力すらも遮った瘴気を蹴散らし、翼は二人を空へ推し出した。

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