小さな兵隊さんが一人、あとに残されたら
自分で首をくくって、そして誰もいなくなった
―29―
「先に行くぜ!」
「何をそんなに急いでんのよ、外来人まで連れて――」
蓮子のリクエストに応えて、魔理沙さんの箒は途中で霊夢さんを追い越した。雷雨の中を突っ切って、私たちは先んじて紅魔館に突入する。
門のところに、美鈴さんの姿はない。彼女が門番の仕事を放擲するような事態が起こっているとすれば――あの雷雨が、何かを閉じ込めるためのものなら、答えはひとつだ。
「さてさて、何が出るやら――っと」
紅魔館の長い廊下を進んでいた魔理沙さんは、不意に箒を止めて中空に静止した。その眼前に、パチュリーさんが佇んでいる。いかにも不機嫌そうな顔で。
「降りろ。弾幕ごっこに巻き込まれるぜ」
魔理沙さんがそう告げる。私と蓮子は箒から飛び降りて、柱の陰に隠れた。
「なによ、また来たの?」
「来たぜ。あの雨はあんたの仕業かい?」
「今それどころじゃないのよ。全く、あんたといい妹様といい、今日は厄日だわ!」
パチュリーさんはそう言って、小脇に抱えた本を開く。彼女の足元に魔法陣が展開し、何本もの青白い光の柱が立ち上がった。それはまるで月の光のように、鮮やかな光。
魔理沙さんも懐から何かを取りだして構える。八角形のそれは、どうやら八卦炉のようだ。八卦炉から放たれた光が、パチュリーさんへ向かって迸る――。
魔法使い同士の戦いは華やかで、眩い。繰り出される色とりどりの魔法の応酬に、私が声もなく見入っていると、傍らで蓮子が「やっぱり――そういうことみたいね」と呟いた。
「何が?」
「さて――まずは、あの戦いの決着がつくのを見守りましょうか」
相変わらずもったいぶる相棒である。私は息を吐き、顔を上げた瞬間――赤い炎の弾が、魔理沙さんをかすめ、ついでに私たちのそばを通り過ぎて行く。背筋が凍った。直撃を食らったら消し炭だろうか。冗談じゃない。
「しつこい――これでどう!」
「おっと、奥の手か。それならこっちも全力でいかせてもらうぜ!」
パチュリーさんの背後に展開した魔法陣から、七色の光弾が雨のように降りしきる。魔理沙さんは、その中を突っ切るように突っ込んだ。パチュリーさんの懐に飛び込み、その手の八卦炉に光が収束していく――。
「マスター、スパァァァァァク!」
豪、と光が唸りを上げて、目を見開いたパチュリーさんを呑み込んだ。レミリア嬢との戦いでも見せた、あの極太レーザーだ。それをほぼゼロ距離から放ったのだ、あれではさすがに避けようがない。
光が収まったとき、その場に立っていたのは魔理沙さんだった。
「むきゅー」
廊下に大の字になって倒れたパチュリーさんに、「悪いな、先に行くぜ」と魔理沙さんはウィンクして、それから私たちを振り返る。
「お前たちはどうすんだ?」
「あ、私たちはパチュリーさんに用があるので、お先どうぞ」
「そうか。んじゃ、さてさて、何が出るかなっと」
箒を駆って、魔理沙さんは廊下の奥へ消えていく。それを見送ってから、私たちは倒れたパチュリーさんに歩み寄った。パチュリーさんはむくりと起き上がると、ゆるゆると首を振り、パジャマめいた法衣の埃を払って立ち上がる。
「こんにちは、先日はお世話になりました」
「……いつぞやの人間じゃない。貴方たちまでうちの蔵書を狙いに来たの?」
「いえいえ、滅相もない。先日のお礼をきちんと言っていませんでしたので――」
「そんなのはどうでもいいわ。早く帰ることね。さもないと命の保証はできないわよ」
剣呑に目を細めて、パチュリーさんは怖いことを言う。しかし相棒は怯まず、その視線を受け止めたまま、いつもの猫のような笑みを浮かべた。
「妹様が、外に出ようとしているから――ですか」
「……なんだ、知っていたの?」
「この雨は、妹様を閉じ込めるためのものでしょう? 吸血鬼は流水を渡れないといいますからね。お嬢様もそう仰ってましたし」
「そういうことよ。誰かさんが妙なことを吹き込んだおかげで、妹様が外に興味を示してしまって、結界を破壊してしまって。こっちとしてはいい迷惑だわ」
じろりとパチュリーさんは私たちを睨む。私は恐縮して身を竦めた。
「本当に、そうですか?」
だが、相棒はそう問い返す。パチュリーさんが訝しげに眉を寄せた。
「どういう意味かしら?」
「妹様が外に出たがるのも、それを雨で阻止するのも、全ては貴方たちの予定通りのことなのではないのですか。パチュリーさん」
「――何が言いたいわけ?」
硬い声でそう問うたパチュリーさんに、相棒は帽子の庇を持ち上げて答えた。
「ただの妄想ですよ。たまたまこの館に迷い込んだ人間が、この館の不思議な部分、謎めいた部分を繋ぎ合わせて、ひとつの物語を想像してみたんです。この吸血鬼の館に隠された、大きな秘密と――レミリア嬢があの異変を起こした本当の理由について」
「本当の理由? レミィをそそのかした当人が、何を言っているのよ」
「ええ、直接のきっかけは私がそそのかしたことでしょう。でも、私が介入しなくても、いずれお嬢様は何らかの形で異変を起こしていたのではないですか? 表向きの理由はなんでもいいんです。過ごしやすくするためでも、暇潰しでもなんでも」
「……つまり?」
「貴方たちにとって必要だったのは、レミリア嬢が異変を起こし、博麗の巫女に退治されること――それそのものだった。違いますか?」
パチュリーさんが、じっと蓮子の顔を見つめる。
蓮子は帽子を脱いで、それを指でくるくると回しながら、こう続けた。
「もちろん、これは単なるいち部外者の妄想です。大間違いなら笑い飛ばしてくださって構いません。ただ、もしこれが真実の一端でも突いているなら、どこまでを胸に秘めておくべきなのか、パチュリーさん、私は貴方に確認しなくてはいけませんから」
そして帽子を被り直し、蓮子はその言葉を口にした。
あの〝紅霧異変〟の、紅魔館の、真実を解き明かす、その言葉を。
「レミリア嬢とフランドール嬢は、吸血鬼ではない」
「――――」
「彼女たちは、パチュリーさん、貴方が召喚した悪魔だった。違いますか?」
―30―
「――面白いことを言うわね。いいわ、その妄想とやらを聞いてあげる」
パチュリーさんは、ひどく無表情のまま、そう答えた。「ありがとうございます」と蓮子は一礼して、そして滔々と語り出した。
「鍵は、館の時間経過の矛盾にありました。フランドール嬢の部屋で過ごした時間が消失し、館の一晩が里では1週間になった。おそらく咲夜さんの能力によって、この館は時間と空間が狂わされている。問題は、なぜそんなことをする必要があったのか、ということです。
そして、御年500歳以上のお嬢様が、ヴラド・ツェペシュの末裔を名乗ったことが、もうひとつの鍵でした。計算してみれば、ドラキュラ公の末裔を名乗るにはお嬢様の年齢は不自然。だとすれば、年齢か出自のどちらかが虚構です。
そう、私たちは貴方たちの種族について、自称でしか知り得ない。ならば、そもそもお嬢様が吸血鬼であること自体が虚構である可能性だって否定できないんです。そしてお嬢様には、吸血鬼だとすればおかしな点がいくつもあった」
蓮子は右手を挙げ、指を折る。
「ひとつめ。吸血鬼はよく、血を吸うことで眷属を増やすという能力を持ちます。しかし、紅魔館の住人にそれらしき存在はいない。彼女は半年前に世界を征服しようとしたはずなのに、ひとりの眷属もいないなんてことはおかしくはないか。ただしこれは、フランドール嬢がそれであるという可能性を考えたので、一旦保留しました。
ふたつめ。テラスで美鈴さんの戦いを観戦する前、お嬢様は雑談の中で、自ら小食だと自己申告されました。それで服を血染めにしてしまうから、スカーレット・デビル……なんてもっともらしいことを言っていましたが、吸血鬼が血をたくさん吸えないということ自体がそもそもおかしいんです。吸血行為こそが吸血鬼の吸血鬼たる所以なのですから。血を吸えない吸血鬼など、もし存在したとしても落ちこぼれでしょう。落ちこぼれだからこそ、辺境の館の主に収まっているのかとも思いましたが――むしろ、お嬢様は元は血を吸わない種族だったのではないか。だから眷属もいないのでは――私はふとそんなことを思いました。ではお嬢様の本当の種族は何か? 思い出したのはお嬢様の自称です。スカーレット・デビル――紅い悪魔。それこそが彼女の正体なのではないか。もちろん、あの時点では単なる思いつき、小さな疑念に過ぎませんでした。しかし、それを裏付けうる証拠を、その後に私はいくつも見つけました。
みっつめ。――霊夢さんとの弾幕ごっこの最後に、お嬢様は真紅の十字架を顕現させて霊夢さんを攻撃しましたね。十字架を嫌うはずの吸血鬼が!
よっつめ。招かれていない博麗神社に、お嬢様は堂々と入り込んでいました。招かれていない家には入れない、というのも、よく知られる吸血鬼の弱点ですが、お嬢様はこれも無視していました。霊夢さんは「押しかけてくる」とぼやいてましたからね。
いつつめ。それはしかも、真夏の昼間からです。日傘を差していればそれで大丈夫だとすれば、随分と日光耐性の強い吸血鬼だということになりますね。館には窓がほとんど無いというのに?
そして、むっつめ。吸血鬼は流水を渡れないといいますが、それならなぜ紅魔館は湖の畔にあるのでしょう? 湖だって、川が流れ込み、また流れ出る、流水であるはずなのに。湖の対流程度なら大丈夫だとしても、すぐ近くに,湖に流れ込み流れ出る川があります。どうしてわざわざ弱点の近くに居を構えなければならないのでしょう?
もちろん、これらの特徴が全ての吸血鬼に共通するものとは限らないでしょうから、お嬢様は例外なのだと言われればそうかもしれません。けれど、これだけ一般的な吸血鬼像からして不自然な部分を見せられたら、お嬢様が吸血鬼であるという前提を疑うには充分すぎます。何しろこちらは、お嬢様の吸血鬼らしいところを何ひとつ見ていないのですから。そして彼女が悪魔だとすれば、どこからやって来たのか。その答えは小悪魔さんが教えてくれました。魔法使いに召喚されることで魔界からやって来るのだ――と。
お嬢様が吸血鬼ではなく、パチュリーさん、貴方に召喚された悪魔だとすれば、半年前に起きたという吸血鬼異変も、貴方たちが断片的に語ったこの館の姿も、全ては見せかけのものに過ぎない――と考えられます。そして、この館に仕掛けられた時間の狂いは、この館そのものの持つ物語が虚構であると考えることで、説明がつけられるんです」
帽子の庇を弄りながら、蓮子は朗々と、その物語を語り始める。
「外の世界のあるところに、ひとりの魔法使いがいました。
魔法使いは、悪魔を召喚する魔法を研究していた。魔界に暮らす悪魔は、格の低い魔法使いに召喚されても、それを拒絶できる。その魔法使いが呼び出そうと試みたのは、召喚を拒絶されてもおかしくない強力な悪魔だった。けれど――その悪魔は、好奇心からか、フラストレーションからか、魔法使いの呼び出しに応じてしまった。
とてつもなく強大で破壊的な力を持った悪魔は、魔法使いの制御を離れて好き勝手に暴れ出してしまったんです。被害を大きくしないために、彼女はその悪魔ごと結界を越えて幻想郷にやってきた。けれど、悪魔は一向に大人しくならない。困った魔法使いは、毒を毒で制しようと、もう一匹の悪魔を召喚して、そいつの力を借りて悪魔を押さえこもうとしました。
魔法使いは、新たに呼び出した悪魔と契約を交わしました。対等な協力関係の契約を――」
私は息を飲む。蓮子が語る物語に、私の中で顔が与えられていく。それは、即ち――。
「それが、半年前に起こったという吸血鬼異変なんですね。つまり――貴方が制御できなかった強大な悪魔を、もう一匹の悪魔――貴方が契約を交わし、今はレミリア・スカーレットと名乗っている彼女が押さえこみ、フランドール・スカーレットと名付けた。咲夜さんに従者としての十六夜咲夜の名前を与えたように、フランドール嬢にも妹としての名前を与えたのです。その騒動を吸血鬼異変と名付けたところから、貴方たちの計画は始まったのでしょう。
その戦いの結果、フランドール嬢は封印されることになった。悪魔としての記憶とともに。彼女を制御するために貴方たちは、彼女に自分は吸血鬼であり、レミリア嬢の妹だという記憶を新たに植え付けようとした。彼女は姉を慕う妹だと――だからフランドール嬢は、レミリア嬢と羽根の形が全く違うのでしょう? 元々あのふたりは、姉妹でも、あるいはひょっとしたら同じ種族ですらないのかもしれない。フランドール嬢の気が触れているというのはつまり、吸血鬼ではなく悪魔としての本当の記憶が残っているかもしれない、ということだったのではないですか?
そしてパチュリーさん、貴方があの広大な図書館の管理を小悪魔さんひとりに任せているのも、それが原因なのではないですか。即ち、貴方は既にその魔力の大半を、レミリア嬢との契約に用いていて、余力で契約できる悪魔は小悪魔さんひとりだけだった――」
――そうだ。小悪魔さんの羽根と、レミリア嬢の羽根は非常によく似ているのに、姉妹のはずのフランドール嬢の羽根が全く違うのは、明らかに不自然ではないか。そう、元からフランドール嬢は別の種族だと言われた方が、遥かに納得できる――。
「……それで? 咲夜と美鈴はどこに出てくるのかしら?」
「その封印に協力したのが、おそらく貴方と外の世界で元々の知り合いで、貴方がこちらに紅魔館とともに呼び寄せた咲夜さんと美鈴さんなのでしょう。パチュリーさん、貴方の魔法が五行思想ベースなのも、パチュリー・ノーレッジという名前がレミリア嬢から与えられたもので、元から西洋の魔法使いではないと考えれば説明がつきますから。
咲夜さんは、その能力でフランドール嬢を封印した部屋の時間を操った。たった半年前に封印されたのを、何百年も地下に幽閉され続けているということにしてしまったんです。地下のあの部屋だけが、時の流れが加速されていた。彼女にあの地下室で、何百年という時間をフランドール・スカーレットとして過ごさせることで、彼女の記憶を強固に上書きしたのでしょう。
――先日、レミリア嬢の発生させた紅い霧の拡散を体感的に早めるために、館の時間経過を遅くしたように。あれはおそらく、お嬢様が起きている間に、幻想郷中が霧に包まれるように――という配慮からだったのですかね」
それは数日前、蓮子とともに検討した時間経過の矛盾の謎の答えだ。
館の外での一週間が、館の中ではたった一晩で経過していた。そしてその館の中に、半年で495年が過ぎる部屋が置かれているという、二重の時の結界。紅魔館が強い結界で覆われていたのも、フランドール嬢の部屋が強固な結界に閉ざされていたのも、全ては咲夜さんの能力で時間を操る領域を定めるためだった。
――それはただ、フランドール嬢の記憶を書き換えるためだったというのか。
ふと思う。だとすれば、私たちが時間を超え、八十数年を遡って迷い込んだのが紅魔館の地下図書館だったのも、あるいは、ここが時間の操られる館だったからなのかもしれない。紅魔館の伸縮自在の時間が、80数年後の私たちの時間とすれ違ったのだろうか――。
私の思考の傍らで、蓮子の推理は続く。
「しかし、それより重大な役割を担ったのは美鈴さんでしょうね。なぜなら、この紅魔館は、そもそも美鈴さんの館だったのでしょうから。いや、その言い方は不正確かもしれませんね。むしろこう言うべきでしょうか。
――紅美鈴さんは、紅魔館という館そのものの妖怪である、と」
パチュリーさんが、小さく息を飲んだ。蓮子は笑って続ける。
「美鈴さんは、紅魔館の紅の字の名前に持ちながら、なぜあんなに館の中での立場が低く、門番という地位に甘んじているのか、不思議だったのですが――話が逆なのですね。彼女は元から、この館そのものを守る妖怪だった。だから彼女は紅の字を名前に持つのでしょう。
そして、レミリア嬢や咲夜さんが十分すぎるほどに強いのに、なぜこの館に門番が必要だったのか。それもまた、話が逆なんです。美鈴さんは侵入者から館を守っていたのではない。この館に閉じ込めた強大な悪魔を外に出さないように見張る番人だった。だからフランドール嬢の世話を焼くのも、咲夜さんではなく美鈴さんの役目だったのです。
つまり、紅魔館はレミリア嬢という主が暮らし続けていた館ではないんです。フランドール嬢を封印するために外から幻想郷に持ち込まれた、この館そのものが一種の結界なのでしょう。館が咲夜さんの能力で広げられているのも、この館が封印のためのものである証左です。この館の無駄な広さは、妹様を容易に外に出さないようにするための封印の一環なんです。
そして、紅美鈴さん。彼女こそがフランドール嬢を封印するこの館の本来の主。貴方たちが彼女を蔑ろにするのは、それを外部に悟らせないためだった。美鈴さんこそが紅魔館の本当の主であること――それこそが貴方たちが隠していた最大の秘密だったんです。レミリア嬢を館の頂点にすることで強大な悪魔のプライドを守り、手綱を握り続けるため。そしてフランドール嬢に上書きした物語をより強固にするために。――というところですか」
言葉が途切れ、一瞬の沈黙が落ちる。それを遮ったのは、パチュリーさんの笑い声だった。
「面白いわね。でも、それではレミィが異変を起こしたことの説明がつかないわよ。この館が妹様を封印するためのものなら、どうしてそこに、何をするかも解らない危険な巫女や魔法使いをおびき寄せるような真似をしなければならないのかしら?」
その問いに、蓮子は即座に答える。
「物語が必要だったからです。――虚構を事実として確定させるための」
はっきりと、パチュリーさんの顔色が変わった。
「フランドール嬢を館に封印することには成功しました。しかし、それが永遠に続けられる保証はない。いつフランドール嬢が封印を破って、館の外に出てしまうか解らない。それを防ぎやすくするために、貴方たちは彼女を、弱点の多い吸血鬼ということにした。吸血鬼なら、たとえ封印を破っても日中は外に出られないし、流水も渡れないから雨でも出歩けない。いくらでも足止めができる。悪魔であるレミリア嬢に吸血鬼を演じてもらってまでそうしたことで、貴方たちがどれだけフランドール嬢の力を怖れていたかが察せられます。そしてそれは、ある程度まで成功しつつありました。
けれど、それはこの館という結界の中でしか通用しない物語。もしフランドール嬢が紅魔館という結界を破って外に出てしまったら、彼女が悪魔として暴れたときのことを覚えている妖怪に出くわす可能性があります。それによってフランドール嬢が上書きされる前の記憶を取り戻し、また手の付けられない凶暴な悪魔に戻ってしまうかもしれない。それを防ぐためにはどうすればいいか?
答えは単純です。結界の範囲を広げれば良い。この幻想郷全体まで」
両手を広げ、蓮子は憑かれたように語り続ける。
「つまり、それは物語の共有です。紅魔館の主はレミリア・スカーレットという吸血鬼であるという物語。十六夜咲夜という人間、紅美鈴という妖怪、パチュリー・ノーレッジという魔法使いはその配下であるという物語。そして何よりも、フランドール・スカーレットがレミリア嬢の妹であり、気が触れているので幽閉されているという物語。フランドール嬢の記憶の上書きを強固にするためには、その物語が幻想郷全体に広く知られなければならない。幻想郷のどこに行っても、フランドール嬢は吸血鬼レミリア嬢の妹であるという認識が維持されるように。
そのために貴方たちは、博麗の巫女を利用した。この幻想郷で起こる異変を解決する巫女。彼女の武勇伝は、里の記録者によって記録され、幻想郷の歴史として編纂される。それによって、貴方たちの作った虚構の物語は、事実として確定するんです。
物語は、幻想と言い換えてもいい。つまり貴方たちは、レミリア嬢に異変を起こさせることによって、幻想を現実に変えたんです。そう、外の世界で幻想となったものが息づくのがこの幻想郷なのですから――この世界では虚構こそが真実になり得る」
そこでひとつ息を吐き出し、蓮子は帽子を目深に被り直した。
「今、フランドール嬢が外に出ようとしているというのも、彼女の存在をレミリア嬢の妹として博麗霊夢や霧雨魔理沙に認識させ、その物語を幻想郷に広めるためですね。そしてあるいは、彼女が吸血鬼であるという物語がきちんと彼女を拘束できているかのテストでもある。雨の中を吸血鬼は出て行けない――それがフランドール嬢に通用するなら、もはやフランドール嬢自身の中でも、自分が吸血鬼であるという物語は完全に強固なものになっているわけです。ついでに言えば、紅魔館の周りだけ雨が降っているため、神社に行っているお嬢様が帰れなくなってしまえば、お嬢様を帰すために博麗の巫女は様子を見にここにやってくる。そしてまた、妹様とお嬢様が衝突するのを防ぎ、何かの拍子に悪魔としての記憶が戻ってしまう可能性さえも排除する。――まさしく、一石三鳥、四鳥というところですか。
そして、私たちはそのために利用されたのでしょう。フランドール嬢に外の世界を認識させるために。美鈴さんがあっさり私たちに尾行を許したのも、館全体を把握しているだろう咲夜さんがそれを見逃したのも、フランドール嬢の記憶操作と封印を完全なものにするため、迷い込んできた外来人を餌に使ったわけです。そして同時に、博麗の巫女が解決した紅霧異変の証言者の役割も担わされた。私たちが紅魔館の事情を嗅ぎ回るのをはっきりと止めなかったのも、表向きの紅魔館の姿を私たちに調べさせ、証言させるためだったのでしょう。
――そんな私たちに、レミリア嬢が意識的にか無意識にかヒントをくださったのは、吸血鬼を演じることを楽しみながらも、悪魔としてのプライドを覗かせた結果だったのでしょうね」
そこまで言って、蓮子は帽子を取って優雅にお辞儀をする。
「――とりあえず、私の妄想は以上です。お楽しみいただけましたかしら?」
パチュリーさんは、その顔を黙って見つめ続け――そして、笑った。
「なかなか、面白い話だったわ」
「それはどうも」
「面白い物語だったから、それに免じて、もう少し面白い話になる設定を付け足してあげるわ。もちろんこれは、ただの虚構、幻想だけれどね」
パチュリーさんはそう言って、歩き出す。私たちはその後を追った。
「吸血鬼異変について、貴方たちはどれだけのことを聞いているのかしら?」
「幻想郷で吸血鬼が暴れ、妖怪の賢者が解決したと」
「そう――宇佐見蓮子といったわね。貴方の話には妖怪の賢者とやらが出てこないわ」
「それは――おそらく、貴方たちに入れ知恵をしたのが、妖怪の賢者なのではないですか? 博麗の巫女を使った物語の拡散という手法は、幻想郷に来たばかりの貴方たちに思いつくようなものではないでしょう。幻想郷に来たばかりだと言っていた貴方たちが、初めから弾幕ごっこで戦っていたこと、博麗の巫女の存在を知っていたことからも、あの異変そのものが、幻想郷という世界をよく知る何者かの入れ知恵による計画的なものだった証明ですね」
「そうね、良い線を突いているわ。――じゃあ、とっておきのネタを教えてあげる」
くるりと振り向き、その手に抱えた本を広げ、パチュリーさんは言う。
「紅美鈴こそが、その妖怪の賢者なのよ」
―31―
「――美鈴さんが?」
これには蓮子も、呆気にとられた顔で口をぽかんと開けた。
「まあ、厳密には不正確な言い方だけれど。美鈴の正体はこの館そのものの妖怪――というのはなかなか良い線を突いていたわ。でも、この館が元から外の世界にあったなら、わざわざ暴れる悪魔を幻想郷に連れて来る必要なんてない。外の世界にいたまま、この館に封印してしまえばいい。そうじゃない?」
「――――」
「それから、貴方は吸血鬼異変を、妹様が暴れたのをレミィが押さえ込んだ異変と言ったけれど、それも惜しいところね。正解は――暴れたのはレミィと妹様の両方よ。そして、私とともにふたりを退治して解決したのが紅美鈴――即ち、龍神の分身」
「……龍神?」
「そう、天界にいるという、この幻想郷の最高神。美鈴はその龍神の分身よ。
私が呼び出してしまった妹様を追って、レミィは勝手にこっちに現れたの。魔界の暴れん坊だった妹様が魔法使いに呼び出されたのに、興味を覚えたんだそう。それで妹様が暴れるのに乗じて、レミィも暴れ出した。そこへ龍神が介入してきて、私に協力し、まずレミィを押さえ込み、そして妹様を鎮圧した。そして私とレミィが契約を交わす際に、危険な妹様を管理する役目をレミィに与えたの。幻想郷の平穏のためにね。役目を終えて龍神自身は天に戻っていき、あとには妹様を封印するための結界としてこの館と、番人としての館の管理者、龍神の分身としての紅美鈴を残していった。それが、半年前の吸血鬼異変の真相よ」
「――――」
「ついでに言えば、私と咲夜は、元から幻想郷で暮らしていたのよ。そして咲夜は私の従者。彼女の持つ時を操る能力を、私が研究していたの。咲夜がレミィを殺そうとしたというのも事実よ。私があのふたりを召喚してしまったとき、あの子は私を守るためにレミィと妹様に挑んだのだから。まあ、負けたんだけどね。けれどあの子の能力を龍神が見初めて、美鈴と同じ、この館の管理者の権限を咲夜に与えた。だから美鈴と咲夜は、この館の全てを把握しているわ。貴方たちがちょこまか探りを入れていたのも全て、ね。呼べば咲夜がすぐ来るのも、その管理者権限のためよ。
私はこの失敗で、しばらく隠居することに決めたの。咲夜にも私の従者の役目は暇を出して、代わりにレミィを手なずけるために従者になってもらった。今では立派な吸血鬼の下僕ね。咲夜は本心から、レミィに忠誠を誓っているわ。――まあ、今でも私の従者だって気分も抜けてないみたいだし、私もついつい咲夜に色々言いつけてしまうのだけれど」
ああ、だから、咲夜さんはパチュリーさんにも主に仕えるように従い、敬っていたのか。
パチュリーさんこそが、彼女の本当の主だったから――。
「そして、だから美鈴はより危険な妹様のお世話を任されているわけ。表向き妹様を封印しているのは私だけれど、それも美鈴の――龍神の力を借りてのこと。妹様に、表向きの物語を教育し、その記憶を書き換え、吸血鬼の妹として封印する。それが美鈴の本当の仕事なのよ。
そうそう、妹様のあの羽根――あれは、美鈴の作った封印の枷。背中にくくられた七色の宝石が、妹様の真の力を封じているのよ。美鈴の七色の弾幕は見たでしょう? 虹の七色は、天空に坐す龍神の力の象徴なのよ。そして私の七曜の魔法も、木火土金水の五行に、天空の光、日と月の力を龍神から授けられて七曜になった。だから、美鈴の作った封印を、私も魔法として使えるわけね。
ああ、あと、貴方たちが迷い込んだ結界の穴は、当然だけれど館が幻想郷に来たときに開けた穴ではないわ。あれは妹様の部屋の結界が、この館全体の結界とぶつかってほつれた部分。館は最初から幻想郷にあったのだからね。――でも、私たちは幻想郷においては確かに新参者よ。レミィを主とする紅魔館の住人、パチュリー・ノーレッジと十六夜咲夜としては、ね」
「…………」
「――とまあ、そんな物語も、あり得るということよ」
ぱたん、と本を閉じて、パチュリーさんは薄く笑う。
「もちろん、全ては幻想。信じる、信じないは貴方の自由だわ。もうとっくに、レミィと妹様は吸血鬼で、咲夜はレミィの従者、美鈴は下っ端の門番であることは、博麗の巫女の口から記録され、事実となってしまっているでしょうから、全ては無意味なのよ」
「…………」
「気は済んだかしら、名探偵さん。この世界では真実になんて大した意味はないわ。貴方がそれを明らかにしたところで、幻想の世界では虚構の物語こそが真実なのだから」
「――ご忠告、痛み入りますわ」
帽子を目深に被り直して、蓮子はそう答えた。私は相棒にかける言葉をもたない。
真実が意味を持たないとすれば、秘密を探ることに、いったい何の意味があるだろう?
私たち秘封倶楽部は、この世界で、いったい何を探し求めればいいのだ――?
「さて、妹様の様子を見に行こうかしら。魔理沙は生きてるかしらね」
パチュリーさんはそう言って、ふわりと浮き上がる。――と、そこへ「困りますよ、パチュリー様」と私たちの背後から声が掛かった。振り向くと、美鈴さんが困り顔でこちらに歩いてきていた。
「あら、龍神の分身さん。魔理沙をあっさり侵入させたことへの弁解は?」
「いや、龍神じゃありませんから。おふたりも信じないでくださいね、パチュリー様の冗談はわかりにくいので――それに、今は侵入者は歓迎していいって仰ったのはパチュリー様では」
「そうだったかしら。ま、いいわ。咲夜は?」
「博霊の巫女の方を出迎えに行っています」
「あっちも来たのね。結構なことだわ」
パチュリーさんが肩を竦める。と、美鈴さんが私たちを見やって、困ったように首を傾げた。
「メリーさん。本当ならこちらからお迎えにあがらなければならないところだったのですが」
「……え、私ですか?」
「はい。――妹様が、どうしてもこれの続きを、と」
そう言って美鈴さんが差し出したのは――あの『そして誰もいなくなった』だった。
「あのあと、目を覚まされた妹様が、メリーさんがいないと騒がれまして。私が読んで聞かせますと言ったのですが、メリーさんがいいと聞かなくて……私が、メリーさんは帰られました、と言ったところ、じゃあ会いに行く、と言って、結界を破壊してしまわれまして。それから一週間、なんとか食い止めていたのですが、とうとう部屋の外に出てしまわれて……パチュリー様がこうして足止めしてくださっているのですが、いつまで保つか」
「それは――ええと、あの……も、申し訳ありません」
私は思わず頭を下げる。閉じこめられ、それに疑問も抱いていなかったフランドール嬢が、私たちのせいで外の存在を認識してしまったとすれば、私はあの子にとても残酷なことを教えてしまったのかもしれない。
「いえ、謝らないでください。いずれはこうなるのが当然だったんですから」
美鈴さんは笑って、私に『そして誰もいなくなった』を手渡す。
「妹様を、どうかよろしくお願いいたします」
「――わかりました」
責任は、とらねばなるまい。私はその本を受け取り、不安を飲み込んで頷いた。
そうして私たちが追いついたとき、魔理沙さんとフランドール嬢の戦いは既に終わっていた。
魔理沙さんが、ボロボロになったフランドール嬢に手を貸している。どうやら魔理沙さんが勝ったらしい。近付くと、ふたりの会話が聞こえてきた。
「結局また一人になるのかぁ」
「一人になったら首を吊るんだろ?」
「何でよ?」
「She went and hanged herself and then there were none.(一人が首をくくって、そして誰もいなくなった)」
「誰から聞いたの?」
「有名な童謡だぜ」
――『そして誰もいなくなった』に引用される、マザー・グースの一節だ。
だけどその最後は、確かクリスティーが改変したものではなかったか。正しくは――。
「私の予定だと最後の一人はあんただったのに」
「さっきの攻撃で、お前が消えたときか」
「She died by the bullet and then there were none.(一人が弾幕を避けきれず、そして誰もいなくなった)」
「あてが外れて悪かったな。あいにく、弾避けは得意なんでね」
「ま、いいけど。どうせ首吊ったって死ねないし」
「首吊り死体は醜いぜ。大人しく本当の歌通りにしとけよ」
「本当の歌って?」
「知らんのか?」
そう、そうだ。本当のマザー・グースの最後は――。
「She got married and then there were none.(一人が結婚して、そして誰もいなくなった)」
「誰と?」
「神社の娘でも紹介するぜ」
「こら、勝手に紹介するな! 姉だけでも迷惑だってのに、妹まで押しつけられちゃたまらないわよ、全く」
と、そこに乱入してきたは、反対側から飛んできた霊夢さんだった。「おう霊夢、遅かったな。もう勝負はついたぜ」と笑う魔理沙さんに、霊夢さんは腰に手を当てて息を吐く。
「最初から見てたわよ。ま、面倒がなくていいけど。あんた、レミリアの妹?」
「そうよ。お姉様は?」
「神社で留守番してるわ。良い子は大人しく帰って寝なさい」
「ここは私の家よ」
「じゃあ帰らなくてもいいわ、悪い子は。私はそろそろ帰るけど。神社にもうひとり悪い子置いてきたし」
「悪い子って、誰のこと?」
「あんたと姉さんだ!」
霊夢さんの言葉に、フランドール嬢は不満げに口を尖らせる。
「妹様、お部屋に戻りますよ」
そこへパチュリーさんが歩み寄り、声をかける。剣呑な顔で振り向いたフランドール嬢は、しかし次の瞬間、私たちを見てぱっと顔を輝かせた。
「あっ、メリーに蓮子!」
七色の羽根を揺らして駆け寄ってきたフランドール嬢は、私を見上げて言った。
「あ、あの本! 読んで!」
その無垢な笑顔に、ああ――と私は、思わず笑みを漏らした。
「ほら、続き! 読み終わってないのにいなくなるんだもん!」
「……そうね、まだ妹様は犯人が誰か知らないんだもんね」
私は笑って、蓮子を振り返る。蓮子も顔を上げ、小さく笑った。
「そーそー! 早く早く!」
「では、紅茶とケーキを用意して、お茶会ついでの朗読会と致しましょう。美鈴、支度して」
「了解です!」
と、いったいどこにいたのか、咲夜さんが現れ、そう言い出す。美鈴さんは頷いて、踵を返そうとした。
「あ、めーりん!」
そこへフランドール嬢が、美鈴さんに飛びついた。「い、妹様、しがみつかれるとお仕事ができませんので」と困ったように、しかし嬉しそうに言う美鈴さんの背中に、フランドール嬢は甘えるようにすがりつく。その姿は、封印された悪魔と、封印した龍神ではなく、ただの幼いお嬢様と、それに懐かれた使用人の姿以外の何物でもなかった。
「……あんたたち、館の主ほっといてていいの?」
霊夢さんが、呆れたようにそう声をあげると、咲夜さんが「ああ」と手を叩く。
「忘れてましたわ。お嬢様を呼んできてくださいまし」
「あんたにお使いさせられる義理はないわよ!」
霊夢さんが怒鳴り、その場に笑いが弾ける。
皆が笑っていた。パチュリーさんも、咲夜さんも、美鈴さんも、フランドール嬢も、魔理沙さんも、私も――そして、蓮子も。
その笑いの中では、確かに真実なんてものは、大した意味などないのかもしれない。
今、目の前にあるものが、たとえ幻想でも、それが現実でいいではないか。
――そんなことを、私は思った。
自分で首をくくって、そして誰もいなくなった
―29―
「先に行くぜ!」
「何をそんなに急いでんのよ、外来人まで連れて――」
蓮子のリクエストに応えて、魔理沙さんの箒は途中で霊夢さんを追い越した。雷雨の中を突っ切って、私たちは先んじて紅魔館に突入する。
門のところに、美鈴さんの姿はない。彼女が門番の仕事を放擲するような事態が起こっているとすれば――あの雷雨が、何かを閉じ込めるためのものなら、答えはひとつだ。
「さてさて、何が出るやら――っと」
紅魔館の長い廊下を進んでいた魔理沙さんは、不意に箒を止めて中空に静止した。その眼前に、パチュリーさんが佇んでいる。いかにも不機嫌そうな顔で。
「降りろ。弾幕ごっこに巻き込まれるぜ」
魔理沙さんがそう告げる。私と蓮子は箒から飛び降りて、柱の陰に隠れた。
「なによ、また来たの?」
「来たぜ。あの雨はあんたの仕業かい?」
「今それどころじゃないのよ。全く、あんたといい妹様といい、今日は厄日だわ!」
パチュリーさんはそう言って、小脇に抱えた本を開く。彼女の足元に魔法陣が展開し、何本もの青白い光の柱が立ち上がった。それはまるで月の光のように、鮮やかな光。
魔理沙さんも懐から何かを取りだして構える。八角形のそれは、どうやら八卦炉のようだ。八卦炉から放たれた光が、パチュリーさんへ向かって迸る――。
魔法使い同士の戦いは華やかで、眩い。繰り出される色とりどりの魔法の応酬に、私が声もなく見入っていると、傍らで蓮子が「やっぱり――そういうことみたいね」と呟いた。
「何が?」
「さて――まずは、あの戦いの決着がつくのを見守りましょうか」
相変わらずもったいぶる相棒である。私は息を吐き、顔を上げた瞬間――赤い炎の弾が、魔理沙さんをかすめ、ついでに私たちのそばを通り過ぎて行く。背筋が凍った。直撃を食らったら消し炭だろうか。冗談じゃない。
「しつこい――これでどう!」
「おっと、奥の手か。それならこっちも全力でいかせてもらうぜ!」
パチュリーさんの背後に展開した魔法陣から、七色の光弾が雨のように降りしきる。魔理沙さんは、その中を突っ切るように突っ込んだ。パチュリーさんの懐に飛び込み、その手の八卦炉に光が収束していく――。
「マスター、スパァァァァァク!」
豪、と光が唸りを上げて、目を見開いたパチュリーさんを呑み込んだ。レミリア嬢との戦いでも見せた、あの極太レーザーだ。それをほぼゼロ距離から放ったのだ、あれではさすがに避けようがない。
光が収まったとき、その場に立っていたのは魔理沙さんだった。
「むきゅー」
廊下に大の字になって倒れたパチュリーさんに、「悪いな、先に行くぜ」と魔理沙さんはウィンクして、それから私たちを振り返る。
「お前たちはどうすんだ?」
「あ、私たちはパチュリーさんに用があるので、お先どうぞ」
「そうか。んじゃ、さてさて、何が出るかなっと」
箒を駆って、魔理沙さんは廊下の奥へ消えていく。それを見送ってから、私たちは倒れたパチュリーさんに歩み寄った。パチュリーさんはむくりと起き上がると、ゆるゆると首を振り、パジャマめいた法衣の埃を払って立ち上がる。
「こんにちは、先日はお世話になりました」
「……いつぞやの人間じゃない。貴方たちまでうちの蔵書を狙いに来たの?」
「いえいえ、滅相もない。先日のお礼をきちんと言っていませんでしたので――」
「そんなのはどうでもいいわ。早く帰ることね。さもないと命の保証はできないわよ」
剣呑に目を細めて、パチュリーさんは怖いことを言う。しかし相棒は怯まず、その視線を受け止めたまま、いつもの猫のような笑みを浮かべた。
「妹様が、外に出ようとしているから――ですか」
「……なんだ、知っていたの?」
「この雨は、妹様を閉じ込めるためのものでしょう? 吸血鬼は流水を渡れないといいますからね。お嬢様もそう仰ってましたし」
「そういうことよ。誰かさんが妙なことを吹き込んだおかげで、妹様が外に興味を示してしまって、結界を破壊してしまって。こっちとしてはいい迷惑だわ」
じろりとパチュリーさんは私たちを睨む。私は恐縮して身を竦めた。
「本当に、そうですか?」
だが、相棒はそう問い返す。パチュリーさんが訝しげに眉を寄せた。
「どういう意味かしら?」
「妹様が外に出たがるのも、それを雨で阻止するのも、全ては貴方たちの予定通りのことなのではないのですか。パチュリーさん」
「――何が言いたいわけ?」
硬い声でそう問うたパチュリーさんに、相棒は帽子の庇を持ち上げて答えた。
「ただの妄想ですよ。たまたまこの館に迷い込んだ人間が、この館の不思議な部分、謎めいた部分を繋ぎ合わせて、ひとつの物語を想像してみたんです。この吸血鬼の館に隠された、大きな秘密と――レミリア嬢があの異変を起こした本当の理由について」
「本当の理由? レミィをそそのかした当人が、何を言っているのよ」
「ええ、直接のきっかけは私がそそのかしたことでしょう。でも、私が介入しなくても、いずれお嬢様は何らかの形で異変を起こしていたのではないですか? 表向きの理由はなんでもいいんです。過ごしやすくするためでも、暇潰しでもなんでも」
「……つまり?」
「貴方たちにとって必要だったのは、レミリア嬢が異変を起こし、博麗の巫女に退治されること――それそのものだった。違いますか?」
パチュリーさんが、じっと蓮子の顔を見つめる。
蓮子は帽子を脱いで、それを指でくるくると回しながら、こう続けた。
「もちろん、これは単なるいち部外者の妄想です。大間違いなら笑い飛ばしてくださって構いません。ただ、もしこれが真実の一端でも突いているなら、どこまでを胸に秘めておくべきなのか、パチュリーさん、私は貴方に確認しなくてはいけませんから」
そして帽子を被り直し、蓮子はその言葉を口にした。
あの〝紅霧異変〟の、紅魔館の、真実を解き明かす、その言葉を。
「レミリア嬢とフランドール嬢は、吸血鬼ではない」
「――――」
「彼女たちは、パチュリーさん、貴方が召喚した悪魔だった。違いますか?」
―30―
「――面白いことを言うわね。いいわ、その妄想とやらを聞いてあげる」
パチュリーさんは、ひどく無表情のまま、そう答えた。「ありがとうございます」と蓮子は一礼して、そして滔々と語り出した。
「鍵は、館の時間経過の矛盾にありました。フランドール嬢の部屋で過ごした時間が消失し、館の一晩が里では1週間になった。おそらく咲夜さんの能力によって、この館は時間と空間が狂わされている。問題は、なぜそんなことをする必要があったのか、ということです。
そして、御年500歳以上のお嬢様が、ヴラド・ツェペシュの末裔を名乗ったことが、もうひとつの鍵でした。計算してみれば、ドラキュラ公の末裔を名乗るにはお嬢様の年齢は不自然。だとすれば、年齢か出自のどちらかが虚構です。
そう、私たちは貴方たちの種族について、自称でしか知り得ない。ならば、そもそもお嬢様が吸血鬼であること自体が虚構である可能性だって否定できないんです。そしてお嬢様には、吸血鬼だとすればおかしな点がいくつもあった」
蓮子は右手を挙げ、指を折る。
「ひとつめ。吸血鬼はよく、血を吸うことで眷属を増やすという能力を持ちます。しかし、紅魔館の住人にそれらしき存在はいない。彼女は半年前に世界を征服しようとしたはずなのに、ひとりの眷属もいないなんてことはおかしくはないか。ただしこれは、フランドール嬢がそれであるという可能性を考えたので、一旦保留しました。
ふたつめ。テラスで美鈴さんの戦いを観戦する前、お嬢様は雑談の中で、自ら小食だと自己申告されました。それで服を血染めにしてしまうから、スカーレット・デビル……なんてもっともらしいことを言っていましたが、吸血鬼が血をたくさん吸えないということ自体がそもそもおかしいんです。吸血行為こそが吸血鬼の吸血鬼たる所以なのですから。血を吸えない吸血鬼など、もし存在したとしても落ちこぼれでしょう。落ちこぼれだからこそ、辺境の館の主に収まっているのかとも思いましたが――むしろ、お嬢様は元は血を吸わない種族だったのではないか。だから眷属もいないのでは――私はふとそんなことを思いました。ではお嬢様の本当の種族は何か? 思い出したのはお嬢様の自称です。スカーレット・デビル――紅い悪魔。それこそが彼女の正体なのではないか。もちろん、あの時点では単なる思いつき、小さな疑念に過ぎませんでした。しかし、それを裏付けうる証拠を、その後に私はいくつも見つけました。
みっつめ。――霊夢さんとの弾幕ごっこの最後に、お嬢様は真紅の十字架を顕現させて霊夢さんを攻撃しましたね。十字架を嫌うはずの吸血鬼が!
よっつめ。招かれていない博麗神社に、お嬢様は堂々と入り込んでいました。招かれていない家には入れない、というのも、よく知られる吸血鬼の弱点ですが、お嬢様はこれも無視していました。霊夢さんは「押しかけてくる」とぼやいてましたからね。
いつつめ。それはしかも、真夏の昼間からです。日傘を差していればそれで大丈夫だとすれば、随分と日光耐性の強い吸血鬼だということになりますね。館には窓がほとんど無いというのに?
そして、むっつめ。吸血鬼は流水を渡れないといいますが、それならなぜ紅魔館は湖の畔にあるのでしょう? 湖だって、川が流れ込み、また流れ出る、流水であるはずなのに。湖の対流程度なら大丈夫だとしても、すぐ近くに,湖に流れ込み流れ出る川があります。どうしてわざわざ弱点の近くに居を構えなければならないのでしょう?
もちろん、これらの特徴が全ての吸血鬼に共通するものとは限らないでしょうから、お嬢様は例外なのだと言われればそうかもしれません。けれど、これだけ一般的な吸血鬼像からして不自然な部分を見せられたら、お嬢様が吸血鬼であるという前提を疑うには充分すぎます。何しろこちらは、お嬢様の吸血鬼らしいところを何ひとつ見ていないのですから。そして彼女が悪魔だとすれば、どこからやって来たのか。その答えは小悪魔さんが教えてくれました。魔法使いに召喚されることで魔界からやって来るのだ――と。
お嬢様が吸血鬼ではなく、パチュリーさん、貴方に召喚された悪魔だとすれば、半年前に起きたという吸血鬼異変も、貴方たちが断片的に語ったこの館の姿も、全ては見せかけのものに過ぎない――と考えられます。そして、この館に仕掛けられた時間の狂いは、この館そのものの持つ物語が虚構であると考えることで、説明がつけられるんです」
帽子の庇を弄りながら、蓮子は朗々と、その物語を語り始める。
「外の世界のあるところに、ひとりの魔法使いがいました。
魔法使いは、悪魔を召喚する魔法を研究していた。魔界に暮らす悪魔は、格の低い魔法使いに召喚されても、それを拒絶できる。その魔法使いが呼び出そうと試みたのは、召喚を拒絶されてもおかしくない強力な悪魔だった。けれど――その悪魔は、好奇心からか、フラストレーションからか、魔法使いの呼び出しに応じてしまった。
とてつもなく強大で破壊的な力を持った悪魔は、魔法使いの制御を離れて好き勝手に暴れ出してしまったんです。被害を大きくしないために、彼女はその悪魔ごと結界を越えて幻想郷にやってきた。けれど、悪魔は一向に大人しくならない。困った魔法使いは、毒を毒で制しようと、もう一匹の悪魔を召喚して、そいつの力を借りて悪魔を押さえこもうとしました。
魔法使いは、新たに呼び出した悪魔と契約を交わしました。対等な協力関係の契約を――」
私は息を飲む。蓮子が語る物語に、私の中で顔が与えられていく。それは、即ち――。
「それが、半年前に起こったという吸血鬼異変なんですね。つまり――貴方が制御できなかった強大な悪魔を、もう一匹の悪魔――貴方が契約を交わし、今はレミリア・スカーレットと名乗っている彼女が押さえこみ、フランドール・スカーレットと名付けた。咲夜さんに従者としての十六夜咲夜の名前を与えたように、フランドール嬢にも妹としての名前を与えたのです。その騒動を吸血鬼異変と名付けたところから、貴方たちの計画は始まったのでしょう。
その戦いの結果、フランドール嬢は封印されることになった。悪魔としての記憶とともに。彼女を制御するために貴方たちは、彼女に自分は吸血鬼であり、レミリア嬢の妹だという記憶を新たに植え付けようとした。彼女は姉を慕う妹だと――だからフランドール嬢は、レミリア嬢と羽根の形が全く違うのでしょう? 元々あのふたりは、姉妹でも、あるいはひょっとしたら同じ種族ですらないのかもしれない。フランドール嬢の気が触れているというのはつまり、吸血鬼ではなく悪魔としての本当の記憶が残っているかもしれない、ということだったのではないですか?
そしてパチュリーさん、貴方があの広大な図書館の管理を小悪魔さんひとりに任せているのも、それが原因なのではないですか。即ち、貴方は既にその魔力の大半を、レミリア嬢との契約に用いていて、余力で契約できる悪魔は小悪魔さんひとりだけだった――」
――そうだ。小悪魔さんの羽根と、レミリア嬢の羽根は非常によく似ているのに、姉妹のはずのフランドール嬢の羽根が全く違うのは、明らかに不自然ではないか。そう、元からフランドール嬢は別の種族だと言われた方が、遥かに納得できる――。
「……それで? 咲夜と美鈴はどこに出てくるのかしら?」
「その封印に協力したのが、おそらく貴方と外の世界で元々の知り合いで、貴方がこちらに紅魔館とともに呼び寄せた咲夜さんと美鈴さんなのでしょう。パチュリーさん、貴方の魔法が五行思想ベースなのも、パチュリー・ノーレッジという名前がレミリア嬢から与えられたもので、元から西洋の魔法使いではないと考えれば説明がつきますから。
咲夜さんは、その能力でフランドール嬢を封印した部屋の時間を操った。たった半年前に封印されたのを、何百年も地下に幽閉され続けているということにしてしまったんです。地下のあの部屋だけが、時の流れが加速されていた。彼女にあの地下室で、何百年という時間をフランドール・スカーレットとして過ごさせることで、彼女の記憶を強固に上書きしたのでしょう。
――先日、レミリア嬢の発生させた紅い霧の拡散を体感的に早めるために、館の時間経過を遅くしたように。あれはおそらく、お嬢様が起きている間に、幻想郷中が霧に包まれるように――という配慮からだったのですかね」
それは数日前、蓮子とともに検討した時間経過の矛盾の謎の答えだ。
館の外での一週間が、館の中ではたった一晩で経過していた。そしてその館の中に、半年で495年が過ぎる部屋が置かれているという、二重の時の結界。紅魔館が強い結界で覆われていたのも、フランドール嬢の部屋が強固な結界に閉ざされていたのも、全ては咲夜さんの能力で時間を操る領域を定めるためだった。
――それはただ、フランドール嬢の記憶を書き換えるためだったというのか。
ふと思う。だとすれば、私たちが時間を超え、八十数年を遡って迷い込んだのが紅魔館の地下図書館だったのも、あるいは、ここが時間の操られる館だったからなのかもしれない。紅魔館の伸縮自在の時間が、80数年後の私たちの時間とすれ違ったのだろうか――。
私の思考の傍らで、蓮子の推理は続く。
「しかし、それより重大な役割を担ったのは美鈴さんでしょうね。なぜなら、この紅魔館は、そもそも美鈴さんの館だったのでしょうから。いや、その言い方は不正確かもしれませんね。むしろこう言うべきでしょうか。
――紅美鈴さんは、紅魔館という館そのものの妖怪である、と」
パチュリーさんが、小さく息を飲んだ。蓮子は笑って続ける。
「美鈴さんは、紅魔館の紅の字の名前に持ちながら、なぜあんなに館の中での立場が低く、門番という地位に甘んじているのか、不思議だったのですが――話が逆なのですね。彼女は元から、この館そのものを守る妖怪だった。だから彼女は紅の字を名前に持つのでしょう。
そして、レミリア嬢や咲夜さんが十分すぎるほどに強いのに、なぜこの館に門番が必要だったのか。それもまた、話が逆なんです。美鈴さんは侵入者から館を守っていたのではない。この館に閉じ込めた強大な悪魔を外に出さないように見張る番人だった。だからフランドール嬢の世話を焼くのも、咲夜さんではなく美鈴さんの役目だったのです。
つまり、紅魔館はレミリア嬢という主が暮らし続けていた館ではないんです。フランドール嬢を封印するために外から幻想郷に持ち込まれた、この館そのものが一種の結界なのでしょう。館が咲夜さんの能力で広げられているのも、この館が封印のためのものである証左です。この館の無駄な広さは、妹様を容易に外に出さないようにするための封印の一環なんです。
そして、紅美鈴さん。彼女こそがフランドール嬢を封印するこの館の本来の主。貴方たちが彼女を蔑ろにするのは、それを外部に悟らせないためだった。美鈴さんこそが紅魔館の本当の主であること――それこそが貴方たちが隠していた最大の秘密だったんです。レミリア嬢を館の頂点にすることで強大な悪魔のプライドを守り、手綱を握り続けるため。そしてフランドール嬢に上書きした物語をより強固にするために。――というところですか」
言葉が途切れ、一瞬の沈黙が落ちる。それを遮ったのは、パチュリーさんの笑い声だった。
「面白いわね。でも、それではレミィが異変を起こしたことの説明がつかないわよ。この館が妹様を封印するためのものなら、どうしてそこに、何をするかも解らない危険な巫女や魔法使いをおびき寄せるような真似をしなければならないのかしら?」
その問いに、蓮子は即座に答える。
「物語が必要だったからです。――虚構を事実として確定させるための」
はっきりと、パチュリーさんの顔色が変わった。
「フランドール嬢を館に封印することには成功しました。しかし、それが永遠に続けられる保証はない。いつフランドール嬢が封印を破って、館の外に出てしまうか解らない。それを防ぎやすくするために、貴方たちは彼女を、弱点の多い吸血鬼ということにした。吸血鬼なら、たとえ封印を破っても日中は外に出られないし、流水も渡れないから雨でも出歩けない。いくらでも足止めができる。悪魔であるレミリア嬢に吸血鬼を演じてもらってまでそうしたことで、貴方たちがどれだけフランドール嬢の力を怖れていたかが察せられます。そしてそれは、ある程度まで成功しつつありました。
けれど、それはこの館という結界の中でしか通用しない物語。もしフランドール嬢が紅魔館という結界を破って外に出てしまったら、彼女が悪魔として暴れたときのことを覚えている妖怪に出くわす可能性があります。それによってフランドール嬢が上書きされる前の記憶を取り戻し、また手の付けられない凶暴な悪魔に戻ってしまうかもしれない。それを防ぐためにはどうすればいいか?
答えは単純です。結界の範囲を広げれば良い。この幻想郷全体まで」
両手を広げ、蓮子は憑かれたように語り続ける。
「つまり、それは物語の共有です。紅魔館の主はレミリア・スカーレットという吸血鬼であるという物語。十六夜咲夜という人間、紅美鈴という妖怪、パチュリー・ノーレッジという魔法使いはその配下であるという物語。そして何よりも、フランドール・スカーレットがレミリア嬢の妹であり、気が触れているので幽閉されているという物語。フランドール嬢の記憶の上書きを強固にするためには、その物語が幻想郷全体に広く知られなければならない。幻想郷のどこに行っても、フランドール嬢は吸血鬼レミリア嬢の妹であるという認識が維持されるように。
そのために貴方たちは、博麗の巫女を利用した。この幻想郷で起こる異変を解決する巫女。彼女の武勇伝は、里の記録者によって記録され、幻想郷の歴史として編纂される。それによって、貴方たちの作った虚構の物語は、事実として確定するんです。
物語は、幻想と言い換えてもいい。つまり貴方たちは、レミリア嬢に異変を起こさせることによって、幻想を現実に変えたんです。そう、外の世界で幻想となったものが息づくのがこの幻想郷なのですから――この世界では虚構こそが真実になり得る」
そこでひとつ息を吐き出し、蓮子は帽子を目深に被り直した。
「今、フランドール嬢が外に出ようとしているというのも、彼女の存在をレミリア嬢の妹として博麗霊夢や霧雨魔理沙に認識させ、その物語を幻想郷に広めるためですね。そしてあるいは、彼女が吸血鬼であるという物語がきちんと彼女を拘束できているかのテストでもある。雨の中を吸血鬼は出て行けない――それがフランドール嬢に通用するなら、もはやフランドール嬢自身の中でも、自分が吸血鬼であるという物語は完全に強固なものになっているわけです。ついでに言えば、紅魔館の周りだけ雨が降っているため、神社に行っているお嬢様が帰れなくなってしまえば、お嬢様を帰すために博麗の巫女は様子を見にここにやってくる。そしてまた、妹様とお嬢様が衝突するのを防ぎ、何かの拍子に悪魔としての記憶が戻ってしまう可能性さえも排除する。――まさしく、一石三鳥、四鳥というところですか。
そして、私たちはそのために利用されたのでしょう。フランドール嬢に外の世界を認識させるために。美鈴さんがあっさり私たちに尾行を許したのも、館全体を把握しているだろう咲夜さんがそれを見逃したのも、フランドール嬢の記憶操作と封印を完全なものにするため、迷い込んできた外来人を餌に使ったわけです。そして同時に、博麗の巫女が解決した紅霧異変の証言者の役割も担わされた。私たちが紅魔館の事情を嗅ぎ回るのをはっきりと止めなかったのも、表向きの紅魔館の姿を私たちに調べさせ、証言させるためだったのでしょう。
――そんな私たちに、レミリア嬢が意識的にか無意識にかヒントをくださったのは、吸血鬼を演じることを楽しみながらも、悪魔としてのプライドを覗かせた結果だったのでしょうね」
そこまで言って、蓮子は帽子を取って優雅にお辞儀をする。
「――とりあえず、私の妄想は以上です。お楽しみいただけましたかしら?」
パチュリーさんは、その顔を黙って見つめ続け――そして、笑った。
「なかなか、面白い話だったわ」
「それはどうも」
「面白い物語だったから、それに免じて、もう少し面白い話になる設定を付け足してあげるわ。もちろんこれは、ただの虚構、幻想だけれどね」
パチュリーさんはそう言って、歩き出す。私たちはその後を追った。
「吸血鬼異変について、貴方たちはどれだけのことを聞いているのかしら?」
「幻想郷で吸血鬼が暴れ、妖怪の賢者が解決したと」
「そう――宇佐見蓮子といったわね。貴方の話には妖怪の賢者とやらが出てこないわ」
「それは――おそらく、貴方たちに入れ知恵をしたのが、妖怪の賢者なのではないですか? 博麗の巫女を使った物語の拡散という手法は、幻想郷に来たばかりの貴方たちに思いつくようなものではないでしょう。幻想郷に来たばかりだと言っていた貴方たちが、初めから弾幕ごっこで戦っていたこと、博麗の巫女の存在を知っていたことからも、あの異変そのものが、幻想郷という世界をよく知る何者かの入れ知恵による計画的なものだった証明ですね」
「そうね、良い線を突いているわ。――じゃあ、とっておきのネタを教えてあげる」
くるりと振り向き、その手に抱えた本を広げ、パチュリーさんは言う。
「紅美鈴こそが、その妖怪の賢者なのよ」
―31―
「――美鈴さんが?」
これには蓮子も、呆気にとられた顔で口をぽかんと開けた。
「まあ、厳密には不正確な言い方だけれど。美鈴の正体はこの館そのものの妖怪――というのはなかなか良い線を突いていたわ。でも、この館が元から外の世界にあったなら、わざわざ暴れる悪魔を幻想郷に連れて来る必要なんてない。外の世界にいたまま、この館に封印してしまえばいい。そうじゃない?」
「――――」
「それから、貴方は吸血鬼異変を、妹様が暴れたのをレミィが押さえ込んだ異変と言ったけれど、それも惜しいところね。正解は――暴れたのはレミィと妹様の両方よ。そして、私とともにふたりを退治して解決したのが紅美鈴――即ち、龍神の分身」
「……龍神?」
「そう、天界にいるという、この幻想郷の最高神。美鈴はその龍神の分身よ。
私が呼び出してしまった妹様を追って、レミィは勝手にこっちに現れたの。魔界の暴れん坊だった妹様が魔法使いに呼び出されたのに、興味を覚えたんだそう。それで妹様が暴れるのに乗じて、レミィも暴れ出した。そこへ龍神が介入してきて、私に協力し、まずレミィを押さえ込み、そして妹様を鎮圧した。そして私とレミィが契約を交わす際に、危険な妹様を管理する役目をレミィに与えたの。幻想郷の平穏のためにね。役目を終えて龍神自身は天に戻っていき、あとには妹様を封印するための結界としてこの館と、番人としての館の管理者、龍神の分身としての紅美鈴を残していった。それが、半年前の吸血鬼異変の真相よ」
「――――」
「ついでに言えば、私と咲夜は、元から幻想郷で暮らしていたのよ。そして咲夜は私の従者。彼女の持つ時を操る能力を、私が研究していたの。咲夜がレミィを殺そうとしたというのも事実よ。私があのふたりを召喚してしまったとき、あの子は私を守るためにレミィと妹様に挑んだのだから。まあ、負けたんだけどね。けれどあの子の能力を龍神が見初めて、美鈴と同じ、この館の管理者の権限を咲夜に与えた。だから美鈴と咲夜は、この館の全てを把握しているわ。貴方たちがちょこまか探りを入れていたのも全て、ね。呼べば咲夜がすぐ来るのも、その管理者権限のためよ。
私はこの失敗で、しばらく隠居することに決めたの。咲夜にも私の従者の役目は暇を出して、代わりにレミィを手なずけるために従者になってもらった。今では立派な吸血鬼の下僕ね。咲夜は本心から、レミィに忠誠を誓っているわ。――まあ、今でも私の従者だって気分も抜けてないみたいだし、私もついつい咲夜に色々言いつけてしまうのだけれど」
ああ、だから、咲夜さんはパチュリーさんにも主に仕えるように従い、敬っていたのか。
パチュリーさんこそが、彼女の本当の主だったから――。
「そして、だから美鈴はより危険な妹様のお世話を任されているわけ。表向き妹様を封印しているのは私だけれど、それも美鈴の――龍神の力を借りてのこと。妹様に、表向きの物語を教育し、その記憶を書き換え、吸血鬼の妹として封印する。それが美鈴の本当の仕事なのよ。
そうそう、妹様のあの羽根――あれは、美鈴の作った封印の枷。背中にくくられた七色の宝石が、妹様の真の力を封じているのよ。美鈴の七色の弾幕は見たでしょう? 虹の七色は、天空に坐す龍神の力の象徴なのよ。そして私の七曜の魔法も、木火土金水の五行に、天空の光、日と月の力を龍神から授けられて七曜になった。だから、美鈴の作った封印を、私も魔法として使えるわけね。
ああ、あと、貴方たちが迷い込んだ結界の穴は、当然だけれど館が幻想郷に来たときに開けた穴ではないわ。あれは妹様の部屋の結界が、この館全体の結界とぶつかってほつれた部分。館は最初から幻想郷にあったのだからね。――でも、私たちは幻想郷においては確かに新参者よ。レミィを主とする紅魔館の住人、パチュリー・ノーレッジと十六夜咲夜としては、ね」
「…………」
「――とまあ、そんな物語も、あり得るということよ」
ぱたん、と本を閉じて、パチュリーさんは薄く笑う。
「もちろん、全ては幻想。信じる、信じないは貴方の自由だわ。もうとっくに、レミィと妹様は吸血鬼で、咲夜はレミィの従者、美鈴は下っ端の門番であることは、博麗の巫女の口から記録され、事実となってしまっているでしょうから、全ては無意味なのよ」
「…………」
「気は済んだかしら、名探偵さん。この世界では真実になんて大した意味はないわ。貴方がそれを明らかにしたところで、幻想の世界では虚構の物語こそが真実なのだから」
「――ご忠告、痛み入りますわ」
帽子を目深に被り直して、蓮子はそう答えた。私は相棒にかける言葉をもたない。
真実が意味を持たないとすれば、秘密を探ることに、いったい何の意味があるだろう?
私たち秘封倶楽部は、この世界で、いったい何を探し求めればいいのだ――?
「さて、妹様の様子を見に行こうかしら。魔理沙は生きてるかしらね」
パチュリーさんはそう言って、ふわりと浮き上がる。――と、そこへ「困りますよ、パチュリー様」と私たちの背後から声が掛かった。振り向くと、美鈴さんが困り顔でこちらに歩いてきていた。
「あら、龍神の分身さん。魔理沙をあっさり侵入させたことへの弁解は?」
「いや、龍神じゃありませんから。おふたりも信じないでくださいね、パチュリー様の冗談はわかりにくいので――それに、今は侵入者は歓迎していいって仰ったのはパチュリー様では」
「そうだったかしら。ま、いいわ。咲夜は?」
「博霊の巫女の方を出迎えに行っています」
「あっちも来たのね。結構なことだわ」
パチュリーさんが肩を竦める。と、美鈴さんが私たちを見やって、困ったように首を傾げた。
「メリーさん。本当ならこちらからお迎えにあがらなければならないところだったのですが」
「……え、私ですか?」
「はい。――妹様が、どうしてもこれの続きを、と」
そう言って美鈴さんが差し出したのは――あの『そして誰もいなくなった』だった。
「あのあと、目を覚まされた妹様が、メリーさんがいないと騒がれまして。私が読んで聞かせますと言ったのですが、メリーさんがいいと聞かなくて……私が、メリーさんは帰られました、と言ったところ、じゃあ会いに行く、と言って、結界を破壊してしまわれまして。それから一週間、なんとか食い止めていたのですが、とうとう部屋の外に出てしまわれて……パチュリー様がこうして足止めしてくださっているのですが、いつまで保つか」
「それは――ええと、あの……も、申し訳ありません」
私は思わず頭を下げる。閉じこめられ、それに疑問も抱いていなかったフランドール嬢が、私たちのせいで外の存在を認識してしまったとすれば、私はあの子にとても残酷なことを教えてしまったのかもしれない。
「いえ、謝らないでください。いずれはこうなるのが当然だったんですから」
美鈴さんは笑って、私に『そして誰もいなくなった』を手渡す。
「妹様を、どうかよろしくお願いいたします」
「――わかりました」
責任は、とらねばなるまい。私はその本を受け取り、不安を飲み込んで頷いた。
そうして私たちが追いついたとき、魔理沙さんとフランドール嬢の戦いは既に終わっていた。
魔理沙さんが、ボロボロになったフランドール嬢に手を貸している。どうやら魔理沙さんが勝ったらしい。近付くと、ふたりの会話が聞こえてきた。
「結局また一人になるのかぁ」
「一人になったら首を吊るんだろ?」
「何でよ?」
「She went and hanged herself and then there were none.(一人が首をくくって、そして誰もいなくなった)」
「誰から聞いたの?」
「有名な童謡だぜ」
――『そして誰もいなくなった』に引用される、マザー・グースの一節だ。
だけどその最後は、確かクリスティーが改変したものではなかったか。正しくは――。
「私の予定だと最後の一人はあんただったのに」
「さっきの攻撃で、お前が消えたときか」
「She died by the bullet and then there were none.(一人が弾幕を避けきれず、そして誰もいなくなった)」
「あてが外れて悪かったな。あいにく、弾避けは得意なんでね」
「ま、いいけど。どうせ首吊ったって死ねないし」
「首吊り死体は醜いぜ。大人しく本当の歌通りにしとけよ」
「本当の歌って?」
「知らんのか?」
そう、そうだ。本当のマザー・グースの最後は――。
「She got married and then there were none.(一人が結婚して、そして誰もいなくなった)」
「誰と?」
「神社の娘でも紹介するぜ」
「こら、勝手に紹介するな! 姉だけでも迷惑だってのに、妹まで押しつけられちゃたまらないわよ、全く」
と、そこに乱入してきたは、反対側から飛んできた霊夢さんだった。「おう霊夢、遅かったな。もう勝負はついたぜ」と笑う魔理沙さんに、霊夢さんは腰に手を当てて息を吐く。
「最初から見てたわよ。ま、面倒がなくていいけど。あんた、レミリアの妹?」
「そうよ。お姉様は?」
「神社で留守番してるわ。良い子は大人しく帰って寝なさい」
「ここは私の家よ」
「じゃあ帰らなくてもいいわ、悪い子は。私はそろそろ帰るけど。神社にもうひとり悪い子置いてきたし」
「悪い子って、誰のこと?」
「あんたと姉さんだ!」
霊夢さんの言葉に、フランドール嬢は不満げに口を尖らせる。
「妹様、お部屋に戻りますよ」
そこへパチュリーさんが歩み寄り、声をかける。剣呑な顔で振り向いたフランドール嬢は、しかし次の瞬間、私たちを見てぱっと顔を輝かせた。
「あっ、メリーに蓮子!」
七色の羽根を揺らして駆け寄ってきたフランドール嬢は、私を見上げて言った。
「あ、あの本! 読んで!」
その無垢な笑顔に、ああ――と私は、思わず笑みを漏らした。
「ほら、続き! 読み終わってないのにいなくなるんだもん!」
「……そうね、まだ妹様は犯人が誰か知らないんだもんね」
私は笑って、蓮子を振り返る。蓮子も顔を上げ、小さく笑った。
「そーそー! 早く早く!」
「では、紅茶とケーキを用意して、お茶会ついでの朗読会と致しましょう。美鈴、支度して」
「了解です!」
と、いったいどこにいたのか、咲夜さんが現れ、そう言い出す。美鈴さんは頷いて、踵を返そうとした。
「あ、めーりん!」
そこへフランドール嬢が、美鈴さんに飛びついた。「い、妹様、しがみつかれるとお仕事ができませんので」と困ったように、しかし嬉しそうに言う美鈴さんの背中に、フランドール嬢は甘えるようにすがりつく。その姿は、封印された悪魔と、封印した龍神ではなく、ただの幼いお嬢様と、それに懐かれた使用人の姿以外の何物でもなかった。
「……あんたたち、館の主ほっといてていいの?」
霊夢さんが、呆れたようにそう声をあげると、咲夜さんが「ああ」と手を叩く。
「忘れてましたわ。お嬢様を呼んできてくださいまし」
「あんたにお使いさせられる義理はないわよ!」
霊夢さんが怒鳴り、その場に笑いが弾ける。
皆が笑っていた。パチュリーさんも、咲夜さんも、美鈴さんも、フランドール嬢も、魔理沙さんも、私も――そして、蓮子も。
その笑いの中では、確かに真実なんてものは、大した意味などないのかもしれない。
今、目の前にあるものが、たとえ幻想でも、それが現実でいいではないか。
――そんなことを、私は思った。
第1章 紅魔郷編 一覧
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秘密を暴こうとする推理と幻想という現実に埋もれていった事実の2つの物語。
楽しかったです。
私も推理させていただきましたが、いやはやこんな物語を綴れるなんて畏れ入りました。
いや、物語でも幻想郷では事実になれるんでしたね。
それはともかく、ありがとうございました。
次回か、次章か、楽しみに待ってます。
蓮子の最初の推理はたにさんの同人誌を思い出す感じでしたね。
あれは咲夜さんが悪魔の館に挑むって話でしたが。
読んでて、みすちー肌が…………
確かにそう考えると説明がつきますね………
次は妖々夢ですかね?
次も待ってます!
EOさんも頑張って下さい!
いい話でした。謎解きシーンが良かったです。
素晴らしかったです。次回作も期待してます。
歴史とは語られた物語であり、語られない物語は歴史として記録されない。
逆に新たな事実、新たな物語が明るみに出れば、歴史は変わる。過去が変わる。そして事実が変わる。
いやぁ素晴らしかった!
紅魔組の二次創作は数多くありますが、こういう解釈もできるとは…
スカーレット姉妹が吸血鬼ではなかったり、咲夜がパチュリーの部下だったりと一見するとトンデモ設定の
ように見えるのに、原作設定を鑑みても理論的に全く破綻していないのが凄いです!
話の結末に相対性精神学の内容を持ってくるところも良いなぁ、と思ったり。
先週の宿題は色々考えましたが、1だけ正解にかすって後は全滅でしたw(しかたないね)
次章も楽しみにしています!
原作設定とは完全に別物なのに、原作の描写との矛盾は無い・・・。
引き込まれるような文章もあいまって非常に面白かったです!!
すっかり蓮子が探偵らしくなって、良かったです。
此処迄コメント無しで拝読させて戴きましたが、素晴らし過ぎますね、原作の物語でしか取柄が無かったのですがこうしてオリジナルの小説ですがまた別な角度からキャラクターさん達を見れた気がします。拝読出来た事自体に感謝申し上げます
おお、面白い
妖怪の賢者と言われると八雲紫を思い浮かべてしまったりする東方を知っている人ならではの先入観を突いてきたり、細かいところまでじっくりと原作設定をひろってそれを逆手に取っていたり。あざやかなロジックで彩られた物語でとても楽しく拝読させていただきました。
まじ面白ろい(語彙爆死)
数々の紅魔組の二次創作がありますが、このような解釈は初めてです。
蓮子がすごく探偵っぽく語っていましたが、わたしは全く予想もしていなかった答えで・・・
でも、続きが見たくなってしまう言葉の使い方がおもしろいです!