以上が、私たちの目撃した〝紅霧異変〟の物語だ。
蓮子の推理と、その後にパチュリーさんが語ったことが、果たして真実だったのか――それを知るのは、紅魔館の面々だけである。あなたはこれを信じてもいいし、信じなくてもいい。ミステリーではなく与太話と受け取ってくれて構わない。名探偵の推理の絶対性なんて、そもそも20世紀末には失われていた幻想なのだ。
それでも、私は相棒のことを、名探偵だと思う。
相棒がその頭脳で導き出した、あるいは誇大妄想的な真相が、もし真実であったとしたら。
紅魔館の面々の、謎めいた過去に、こんな物語が秘められていたとしたら。
――それは、とても面白いことではないか。私はそう思うのだ。
私たちが暮らしていた、21世紀末の世界は、幻想は既に滅んでいた。全ての幻想はシステムとして解体され、人間の、科学世紀の論理に取り込まれてしまっていた。
秘封倶楽部はそんな世界に、幻想を見つけ出し、世界に不思議を取り戻すサークルだ。
未知のことが存在しない世界とは、あまりにも退屈に過ぎるのだから。
私たちがなぜこの世界にやってくることになったのかは、まだ解らない。
宇佐見菫子さんの部屋が、なぜこの時代の幻想郷に通じていたのかも。彼女が私たちと同じ秘封倶楽部を名乗っていた理由も。
今が、外の世界の歴史で2003年頃だとするならば、それはちょうど、外の世界で宇佐見菫子さんが生まれた頃のはずだ。それが何を意味するのかも、答えは出ない。
いずれにしても、私たちはしばらくは、この幻想郷で暮らしていくしかなさそうである。
この不思議で、危険で、呑気で、愉快な世界で。
さて、その後のことを少しだけ語ろう。
フランドール嬢に『そして誰もいなくなった』の結末を読み聞かせたあの日から数日、蓮子はしばらく物思いに耽っている様子だった。自信満々の妄想推理をパチュリーさんにあしらわれて、名探偵として意気消沈しているのかと思っていたのだが――。
ともかく、慧音さんの寺子屋の手伝いをしているところに、やって来たのは咲夜さんだった。
「こんにちは、宇佐見様、ハーン様」
「咲夜さん?」
「招待状を、お届けに上がりましたわ」
そう言って咲夜さんが差し出した招待状は、なぜか英語で書かれていた。要約すると、「明日、紅魔館でパーティをやるから来なさい、これは命令よ」と書いてある。これでは招待状というより赤紙か何かではないかと思ったが、お嬢様なら仕方ない。
「パーティ、ですか」
「ええ。改めて、幻想郷の皆様へのご挨拶も兼ねまして。いかがでしょうか」
私は蓮子と顔を見合わせ、「――喜んで」と頷いた。
かくして翌日の夕刻、私たちは慧音さんと阿求さんとともに、紅魔館へやって来ていた。
「なぜ無関係の私たちにまで招待状が来たんだ?」
「さあ、人間の里と友好関係を結びたいということではないでしょうか」
慧音さんと阿求さんが首を捻っている。蓮子の推理に従えば、これは要するに紅魔館の今の姿を広く知らしめるためのダメ押しなのだろうが、それは言わぬが花というものだ。
閉ざされていた門が開放され、前庭がパーティ会場に変貌している。たくさんのテーブルが並べられ、色とりどりの料理とグラスが並ぶ。ちょこまかと動き回るメイド妖精さんたちに混ざって、服装の違う妖精たちが飛び回っていた。湖の周辺の妖精が紛れ込んできたらしい。
館の塀や四阿の屋根にランプが取り付けられ、瓦斯灯にしては明るい光が庭を照らしている。パチュリーさんあたりの魔法なのかもしれない。
「皆さんようこそ紅魔館へ。こちらへどうぞ」
出迎えてくれた美鈴さんに案内されたテーブルには、見覚えのある顔が揃っている。霊夢さんと魔理沙さんだ。人間組のテーブルということらしい。
「おん? あんたたちも招かれてたの」
「よぉ。って、また慧音も一緒かよ」
「このふたりの保護者だからな。お前のことも保護しようか?」
「勘弁してくれよ。親父の顔は二度と見たくないぜ」
顔をしかめる魔理沙さんに、慧音さんがため息をつく。何か複雑な家庭の事情があるらしい。
「まりさー」
と、そこへふよふよと幼い少女が飛んできた。口から骨付きチキンをはみ出させている。赤いリボンを結んだ金色の髪に赤い瞳、黒いワンピースという姿は、なんだか魔理沙さんの妹のようだが――気配からすると、どうやら妖怪らしい。おまけになんだかその少女の周囲だけ妙に薄暗いのだが……。
「なんだルーミア、つまみ食いか? 見つかったらメイドにナイフで刺されるぜ」
「そーなのかー。もう食べちゃった」
「お前なあ」
「魔理沙あんた、なに妖怪手なずけてんのよ」
「おん? いや、こないだの異変のとき、道すがらにこいつとちょっとやりあったんだが、なんかそれ以来こいつに懐かれちまってなあ」
「魔理沙も食べる?」
「いただくぜ」
ルーミアと呼ばれた少女の差し出した骨付きチキンにかぶりつく魔理沙さん。人間と妖怪が共存する世界、というのは、要するにこういうことなのかもしれない、とぼんやり思う。
「やれやれ、下々の人間や妖怪はあさましいことね。主人が現れる前から見境無くつまみ食いなんて」
と、そこへレミリア嬢が日傘を差して現れる。まだ夕暮れの残照が残っているので、吸血鬼には問題なのだろう。たとえそれが自称なのだとしても、相対性精神学的に言えば、レミリア嬢も含めこの場の全員が彼女を吸血鬼と認識していれば、彼女は吸血鬼なのだ。
「ご招待ありがとうございますわ、お嬢様」
「まあ、楽しんでいって頂戴。そしてせいぜい、この紅魔館の威光を広く幻想郷に知らしめることね」
蓮子が挨拶すると、お嬢様は尊大にそう言い放つ。「やはり私たちはそのために呼ばれたのか……」と慧音さんが眉を寄せ、「まあ、いいではないですか」と阿求さんが受け流す。
と、お嬢様が不意に私の方を振り向いた。
「そうそう、マエリベリーだったわね。咲夜のクッキーはどうだったかしら?」
「え?」
「三日前だったか、館に来たそうじゃない。咲夜がクッキーだけあげて帰したと聞いたけど」
そんな馬鹿な。魔理沙さんと乗り込んで以来、私と蓮子は人里を出ていないはずだが――。いや、クッキー?
「あ、ああ……美味しくいただきました」
「そうでしょう。咲夜のクッキーだもの」
満足げに頷くレミリア嬢。――彼女が言っているのはひょっとして、私が夢で視たときのことなのか。数百年前の竹林で見つかったという私のメモ……私は夢の中で、様々な時代の幻想郷に迷い込んでいた? それはたとえば、私たちが咲夜さんたちと既に出会ったあとの世界にも――?
「恐縮ですわ」
咲夜さんが音もなく現れ、私たちのテーブルのグラスに飲み物を注いでいく。どこからともなく音楽が流れ始め、そちらを見やると、宙に浮いた三人組の少女がバイオリンとトランペットとキーボードというよくわからない取り合わせでアンサンブルを奏でていた。あれも妖怪の類いなのだろうか。
「お嬢様、皆様にご挨拶を」
「そうね、乾杯の音頭といきましょうか」
グラスを手にふわりと浮かび上がったレミリア嬢が、テラスに降りたって両手を広げる。何かいつもの尊大な口調で喋っていたが、もう誰も聞いていない。
「かんぱーい」
あちこちでグラスの鳴る音が響き、パーティはなし崩し的に始まった。
「あ! 魔理沙! メリーもいる!」
相変わらず絶品の料理を味わっていると、また聞き覚えのある声が乱入してくる。美鈴さんに肩車されたフランドール嬢だ。
「よお、妹様。なんだ、外に出られるようになったのか?」
「ん。お姉様が、屋敷の中なら出歩いていいって。ね、魔理沙。コインいっこいれる?」
「あとでな。今は食うのに忙しいぜ」
「えー。コンティニューしていいよ?」
「命がいくつあっても足りんぜ」
苦笑する魔理沙さん。「あんた、そこの黒いのといい子供っぽいのに好かれるわねえ。中身が子供だから?」と霊夢さんが呆れ顔で言い、「うるさいな」と魔理沙さんは口を尖らせる。
「ま、なんだ。まずは495年ぶりの外を満喫しとけ」
「ん。じゃあメリー、また何か読んで!」
「え? よ、読んでって言われても……何か読んでほしい本、あるの?」
「んー、どさどさーって人が死んでばばばーって名探偵が解決するやつ」
「……何かあったかしら」
一瞬、清涼院流水という単語が頭に浮かんだが、読み聞かせる長さではない。『そして誰もいなくなった』オマージュで『十角館の殺人』とかだろうか? いや、そもそも現物がないと読み聞かせるも何もないのだが。
「あ、それとも私がここで事件起こして蓮子が解決する? 紅魔館の殺人! 紅い館の連続バラバラ殺人! 最初の被害者は、やっぱりめーりん?」
「い、妹様ぁ……だいたい私、妖怪ですから殺人じゃないですし……」
フランドール嬢を肩車したまま、美鈴さんは情けない声をあげる。
「妹様、最初から犯人も犯行方法も動機も解ってるんじゃミステリになりませんわ」
「えー」
蓮子の言葉に、フランドール嬢は口を尖らせる。
「甘いわね、宇佐見蓮子。そこはフランを犯人と思わせておいて、意外な犯人をきちんと指摘してあげるものよ」
と、口を挟んできたのはレミリア嬢である。お嬢様は謎の得意げな笑みを浮かべて、隣のテーブルで紅茶を飲んでいたパチュリーさんを指さす。
「犯人は――パチェ、貴方ね!」
「なに、藪から棒に」
「さあ自白なさい。証拠は明々白々よ。パチェが魔法で密室を作り、魔法でアリバイを作り、魔法で門番をバラバラにし、特に意味も無く私たちを監禁したことは! 証拠も推理も全て咲夜がやってくれたわ!」
「だからなんで被害者が私なんですかぁ」
「というかそれじゃ、麻耶雄嵩の『貴族探偵』じゃ……」
私は呟き、そういえば2003年に『貴族探偵』は出ていたっけ? と首を傾げる。
「なにレミィ、今度は名探偵を目指すの? 名探偵ならそこにいるわよ、宇佐見蓮子っていう」
「ん? ああ、そういえば何かパチェにおかしな与太話を聞かせたそうじゃない。生意気ね。名探偵の地位はこのレミリア・スカーレットに今日限り譲ってもらうわよ」
「ふふん? お嬢様、それはこの宇佐見蓮子に推理合戦で勝ってから名乗って頂かなくては」
「ちょっと蓮子」
「楽しいわね、人間。さあ咲夜、そうと決まれば紅魔館連続殺人事件を起こすわよ!」
「かしこまりました、お嬢様」
「あんたらいい加減にしろ! またまとめて退治するわよ!」
霊夢さんが叫び、パーティ会場に笑いが弾けた。
――それは全くもって平和な、幻想郷の光景だった。
そして、その帰り道である。
「そうだわ、メリー! 探偵事務所を開くわよ!」
「――は?」
全くもって唐突に、相棒はそんなことを言い出した。宴会のワインで酔っ払ったのかと思ったが、相棒の目はきらきらと輝いて、すっかり生気を取り戻している。
蓮子は私の方に身を乗り出して、私の手を握りしめ、そして楽しげに言った。
それはいつもの、秘封倶楽部としてのサークル活動を始めるときのように。
「ずっと考えてたのよ。この世界でオカルトサークルを名乗るのも変だし、この世界の秘密を探るにあたって、何か新しい、いい名前と立場はないかって」
「……え、ひょっとしてこの数日、ずっとそれを考えてたの?」
「そうよ。――今回の紅魔館の件、本当に面白かったわ。この世界にはなんて、科学世紀の常識では計りきれない壮大な物語が秘められているのかしら! ねえメリー、まだまだきっと、この幻想郷には不思議で奇妙で奇天烈な謎と秘密が、たくさん隠されているのよ!」
子供のように両手を広げて、相棒は踊る。
「人間の里に、探偵事務所はまだ無いはずだわ。私たちは、この幻想郷で起こる不可解な事件の真実を探る探偵になるのよ! それこそ秘封倶楽部としての、あるべき姿というものだわ!」
――全く、と私は呆れ混じりの息を吐く。
それでこそ宇佐見蓮子であり、それでこそ我が相棒だ。
こんな蓮子に振り回されることこそが、私の大学生活であり、宇佐見蓮子と過ごしてきた日常そのものなのだから――私の答えは、ひとつしかない。
「……じゃあ、その探偵事務所の名前は?」
「そりゃあもちろん――」
相棒は帽子の庇を持ち上げて、高らかに宣言する。
「秘封探偵事務所よ!」
――かくして、私たちは寺子屋の近くの空き家に住居を移し、ここ、人間の里中央部、寺子屋の離れに、探偵事務所を開いた。
とびきりの謎と不思議を、私たちはここで待っている。
博麗の巫女のような力はないけれど、私たちでなければ解けない謎は、きっとあるはずだ。
もし、あなたがそんな謎や不思議をお持ちなら、寺子屋の離れの戸を叩いて欲しい。
宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンが、その秘密を解き明かしてみせよう。たぶん、きっと。
こちら、秘封探偵事務所。
所長、宇佐見蓮子。助手、マエリベリー・ハーン。所員、以上2名。
一同、不思議な物語を心よりお待ちしております。
【第一章 紅魔郷編――了】
蓮子の推理と、その後にパチュリーさんが語ったことが、果たして真実だったのか――それを知るのは、紅魔館の面々だけである。あなたはこれを信じてもいいし、信じなくてもいい。ミステリーではなく与太話と受け取ってくれて構わない。名探偵の推理の絶対性なんて、そもそも20世紀末には失われていた幻想なのだ。
それでも、私は相棒のことを、名探偵だと思う。
相棒がその頭脳で導き出した、あるいは誇大妄想的な真相が、もし真実であったとしたら。
紅魔館の面々の、謎めいた過去に、こんな物語が秘められていたとしたら。
――それは、とても面白いことではないか。私はそう思うのだ。
私たちが暮らしていた、21世紀末の世界は、幻想は既に滅んでいた。全ての幻想はシステムとして解体され、人間の、科学世紀の論理に取り込まれてしまっていた。
秘封倶楽部はそんな世界に、幻想を見つけ出し、世界に不思議を取り戻すサークルだ。
未知のことが存在しない世界とは、あまりにも退屈に過ぎるのだから。
私たちがなぜこの世界にやってくることになったのかは、まだ解らない。
宇佐見菫子さんの部屋が、なぜこの時代の幻想郷に通じていたのかも。彼女が私たちと同じ秘封倶楽部を名乗っていた理由も。
今が、外の世界の歴史で2003年頃だとするならば、それはちょうど、外の世界で宇佐見菫子さんが生まれた頃のはずだ。それが何を意味するのかも、答えは出ない。
いずれにしても、私たちはしばらくは、この幻想郷で暮らしていくしかなさそうである。
この不思議で、危険で、呑気で、愉快な世界で。
さて、その後のことを少しだけ語ろう。
フランドール嬢に『そして誰もいなくなった』の結末を読み聞かせたあの日から数日、蓮子はしばらく物思いに耽っている様子だった。自信満々の妄想推理をパチュリーさんにあしらわれて、名探偵として意気消沈しているのかと思っていたのだが――。
ともかく、慧音さんの寺子屋の手伝いをしているところに、やって来たのは咲夜さんだった。
「こんにちは、宇佐見様、ハーン様」
「咲夜さん?」
「招待状を、お届けに上がりましたわ」
そう言って咲夜さんが差し出した招待状は、なぜか英語で書かれていた。要約すると、「明日、紅魔館でパーティをやるから来なさい、これは命令よ」と書いてある。これでは招待状というより赤紙か何かではないかと思ったが、お嬢様なら仕方ない。
「パーティ、ですか」
「ええ。改めて、幻想郷の皆様へのご挨拶も兼ねまして。いかがでしょうか」
私は蓮子と顔を見合わせ、「――喜んで」と頷いた。
かくして翌日の夕刻、私たちは慧音さんと阿求さんとともに、紅魔館へやって来ていた。
「なぜ無関係の私たちにまで招待状が来たんだ?」
「さあ、人間の里と友好関係を結びたいということではないでしょうか」
慧音さんと阿求さんが首を捻っている。蓮子の推理に従えば、これは要するに紅魔館の今の姿を広く知らしめるためのダメ押しなのだろうが、それは言わぬが花というものだ。
閉ざされていた門が開放され、前庭がパーティ会場に変貌している。たくさんのテーブルが並べられ、色とりどりの料理とグラスが並ぶ。ちょこまかと動き回るメイド妖精さんたちに混ざって、服装の違う妖精たちが飛び回っていた。湖の周辺の妖精が紛れ込んできたらしい。
館の塀や四阿の屋根にランプが取り付けられ、瓦斯灯にしては明るい光が庭を照らしている。パチュリーさんあたりの魔法なのかもしれない。
「皆さんようこそ紅魔館へ。こちらへどうぞ」
出迎えてくれた美鈴さんに案内されたテーブルには、見覚えのある顔が揃っている。霊夢さんと魔理沙さんだ。人間組のテーブルということらしい。
「おん? あんたたちも招かれてたの」
「よぉ。って、また慧音も一緒かよ」
「このふたりの保護者だからな。お前のことも保護しようか?」
「勘弁してくれよ。親父の顔は二度と見たくないぜ」
顔をしかめる魔理沙さんに、慧音さんがため息をつく。何か複雑な家庭の事情があるらしい。
「まりさー」
と、そこへふよふよと幼い少女が飛んできた。口から骨付きチキンをはみ出させている。赤いリボンを結んだ金色の髪に赤い瞳、黒いワンピースという姿は、なんだか魔理沙さんの妹のようだが――気配からすると、どうやら妖怪らしい。おまけになんだかその少女の周囲だけ妙に薄暗いのだが……。
「なんだルーミア、つまみ食いか? 見つかったらメイドにナイフで刺されるぜ」
「そーなのかー。もう食べちゃった」
「お前なあ」
「魔理沙あんた、なに妖怪手なずけてんのよ」
「おん? いや、こないだの異変のとき、道すがらにこいつとちょっとやりあったんだが、なんかそれ以来こいつに懐かれちまってなあ」
「魔理沙も食べる?」
「いただくぜ」
ルーミアと呼ばれた少女の差し出した骨付きチキンにかぶりつく魔理沙さん。人間と妖怪が共存する世界、というのは、要するにこういうことなのかもしれない、とぼんやり思う。
「やれやれ、下々の人間や妖怪はあさましいことね。主人が現れる前から見境無くつまみ食いなんて」
と、そこへレミリア嬢が日傘を差して現れる。まだ夕暮れの残照が残っているので、吸血鬼には問題なのだろう。たとえそれが自称なのだとしても、相対性精神学的に言えば、レミリア嬢も含めこの場の全員が彼女を吸血鬼と認識していれば、彼女は吸血鬼なのだ。
「ご招待ありがとうございますわ、お嬢様」
「まあ、楽しんでいって頂戴。そしてせいぜい、この紅魔館の威光を広く幻想郷に知らしめることね」
蓮子が挨拶すると、お嬢様は尊大にそう言い放つ。「やはり私たちはそのために呼ばれたのか……」と慧音さんが眉を寄せ、「まあ、いいではないですか」と阿求さんが受け流す。
と、お嬢様が不意に私の方を振り向いた。
「そうそう、マエリベリーだったわね。咲夜のクッキーはどうだったかしら?」
「え?」
「三日前だったか、館に来たそうじゃない。咲夜がクッキーだけあげて帰したと聞いたけど」
そんな馬鹿な。魔理沙さんと乗り込んで以来、私と蓮子は人里を出ていないはずだが――。いや、クッキー?
「あ、ああ……美味しくいただきました」
「そうでしょう。咲夜のクッキーだもの」
満足げに頷くレミリア嬢。――彼女が言っているのはひょっとして、私が夢で視たときのことなのか。数百年前の竹林で見つかったという私のメモ……私は夢の中で、様々な時代の幻想郷に迷い込んでいた? それはたとえば、私たちが咲夜さんたちと既に出会ったあとの世界にも――?
「恐縮ですわ」
咲夜さんが音もなく現れ、私たちのテーブルのグラスに飲み物を注いでいく。どこからともなく音楽が流れ始め、そちらを見やると、宙に浮いた三人組の少女がバイオリンとトランペットとキーボードというよくわからない取り合わせでアンサンブルを奏でていた。あれも妖怪の類いなのだろうか。
「お嬢様、皆様にご挨拶を」
「そうね、乾杯の音頭といきましょうか」
グラスを手にふわりと浮かび上がったレミリア嬢が、テラスに降りたって両手を広げる。何かいつもの尊大な口調で喋っていたが、もう誰も聞いていない。
「かんぱーい」
あちこちでグラスの鳴る音が響き、パーティはなし崩し的に始まった。
「あ! 魔理沙! メリーもいる!」
相変わらず絶品の料理を味わっていると、また聞き覚えのある声が乱入してくる。美鈴さんに肩車されたフランドール嬢だ。
「よお、妹様。なんだ、外に出られるようになったのか?」
「ん。お姉様が、屋敷の中なら出歩いていいって。ね、魔理沙。コインいっこいれる?」
「あとでな。今は食うのに忙しいぜ」
「えー。コンティニューしていいよ?」
「命がいくつあっても足りんぜ」
苦笑する魔理沙さん。「あんた、そこの黒いのといい子供っぽいのに好かれるわねえ。中身が子供だから?」と霊夢さんが呆れ顔で言い、「うるさいな」と魔理沙さんは口を尖らせる。
「ま、なんだ。まずは495年ぶりの外を満喫しとけ」
「ん。じゃあメリー、また何か読んで!」
「え? よ、読んでって言われても……何か読んでほしい本、あるの?」
「んー、どさどさーって人が死んでばばばーって名探偵が解決するやつ」
「……何かあったかしら」
一瞬、清涼院流水という単語が頭に浮かんだが、読み聞かせる長さではない。『そして誰もいなくなった』オマージュで『十角館の殺人』とかだろうか? いや、そもそも現物がないと読み聞かせるも何もないのだが。
「あ、それとも私がここで事件起こして蓮子が解決する? 紅魔館の殺人! 紅い館の連続バラバラ殺人! 最初の被害者は、やっぱりめーりん?」
「い、妹様ぁ……だいたい私、妖怪ですから殺人じゃないですし……」
フランドール嬢を肩車したまま、美鈴さんは情けない声をあげる。
「妹様、最初から犯人も犯行方法も動機も解ってるんじゃミステリになりませんわ」
「えー」
蓮子の言葉に、フランドール嬢は口を尖らせる。
「甘いわね、宇佐見蓮子。そこはフランを犯人と思わせておいて、意外な犯人をきちんと指摘してあげるものよ」
と、口を挟んできたのはレミリア嬢である。お嬢様は謎の得意げな笑みを浮かべて、隣のテーブルで紅茶を飲んでいたパチュリーさんを指さす。
「犯人は――パチェ、貴方ね!」
「なに、藪から棒に」
「さあ自白なさい。証拠は明々白々よ。パチェが魔法で密室を作り、魔法でアリバイを作り、魔法で門番をバラバラにし、特に意味も無く私たちを監禁したことは! 証拠も推理も全て咲夜がやってくれたわ!」
「だからなんで被害者が私なんですかぁ」
「というかそれじゃ、麻耶雄嵩の『貴族探偵』じゃ……」
私は呟き、そういえば2003年に『貴族探偵』は出ていたっけ? と首を傾げる。
「なにレミィ、今度は名探偵を目指すの? 名探偵ならそこにいるわよ、宇佐見蓮子っていう」
「ん? ああ、そういえば何かパチェにおかしな与太話を聞かせたそうじゃない。生意気ね。名探偵の地位はこのレミリア・スカーレットに今日限り譲ってもらうわよ」
「ふふん? お嬢様、それはこの宇佐見蓮子に推理合戦で勝ってから名乗って頂かなくては」
「ちょっと蓮子」
「楽しいわね、人間。さあ咲夜、そうと決まれば紅魔館連続殺人事件を起こすわよ!」
「かしこまりました、お嬢様」
「あんたらいい加減にしろ! またまとめて退治するわよ!」
霊夢さんが叫び、パーティ会場に笑いが弾けた。
――それは全くもって平和な、幻想郷の光景だった。
そして、その帰り道である。
「そうだわ、メリー! 探偵事務所を開くわよ!」
「――は?」
全くもって唐突に、相棒はそんなことを言い出した。宴会のワインで酔っ払ったのかと思ったが、相棒の目はきらきらと輝いて、すっかり生気を取り戻している。
蓮子は私の方に身を乗り出して、私の手を握りしめ、そして楽しげに言った。
それはいつもの、秘封倶楽部としてのサークル活動を始めるときのように。
「ずっと考えてたのよ。この世界でオカルトサークルを名乗るのも変だし、この世界の秘密を探るにあたって、何か新しい、いい名前と立場はないかって」
「……え、ひょっとしてこの数日、ずっとそれを考えてたの?」
「そうよ。――今回の紅魔館の件、本当に面白かったわ。この世界にはなんて、科学世紀の常識では計りきれない壮大な物語が秘められているのかしら! ねえメリー、まだまだきっと、この幻想郷には不思議で奇妙で奇天烈な謎と秘密が、たくさん隠されているのよ!」
子供のように両手を広げて、相棒は踊る。
「人間の里に、探偵事務所はまだ無いはずだわ。私たちは、この幻想郷で起こる不可解な事件の真実を探る探偵になるのよ! それこそ秘封倶楽部としての、あるべき姿というものだわ!」
――全く、と私は呆れ混じりの息を吐く。
それでこそ宇佐見蓮子であり、それでこそ我が相棒だ。
こんな蓮子に振り回されることこそが、私の大学生活であり、宇佐見蓮子と過ごしてきた日常そのものなのだから――私の答えは、ひとつしかない。
「……じゃあ、その探偵事務所の名前は?」
「そりゃあもちろん――」
相棒は帽子の庇を持ち上げて、高らかに宣言する。
「秘封探偵事務所よ!」
――かくして、私たちは寺子屋の近くの空き家に住居を移し、ここ、人間の里中央部、寺子屋の離れに、探偵事務所を開いた。
とびきりの謎と不思議を、私たちはここで待っている。
博麗の巫女のような力はないけれど、私たちでなければ解けない謎は、きっとあるはずだ。
もし、あなたがそんな謎や不思議をお持ちなら、寺子屋の離れの戸を叩いて欲しい。
宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンが、その秘密を解き明かしてみせよう。たぶん、きっと。
こちら、秘封探偵事務所。
所長、宇佐見蓮子。助手、マエリベリー・ハーン。所員、以上2名。
一同、不思議な物語を心よりお待ちしております。
【第一章 紅魔郷編――了】
第1章 紅魔郷編 一覧
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【この場を借りてのあとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作が初めましての方はどうぞ今後ともご贔屓に。いつもお読みいただいている方は毎度ありがとうございます。
作者の浅木原忍です。
素敵な場所とイラストを提供してくださったEOさんに無限の感謝を。
本文の内容について作者がぐだぐだと言い訳を連ねるのはアレなので、ここでは一点、たぶん誰も気付かないだろう小ネタについて。
紅魔館の中での一晩が、館の外では一週間になった時間の狂いですが、これは紅魔郷のオンラインマニュアルに記載されたバックストーリーと、その後の文花帖などでの紅霧異変の記述の矛盾を説明する意味がありました。
オンラインマニュアルでは、霊夢は霧が里に下りていくのを阻止するため異変解決に向かっています。
参照:http://www16.big.or.jp/~zun/html/th06man/index.html
しかし、文花帖などでは里まで霧に包まれたことになっているのですね。
両方の記述が、霊夢さんが解決に何回か失敗したとかそういうことなしに矛盾なく成立するとすればこういう状況だったのではないか、というわけです。
第2章・妖々夢編は1~2週ほどインターバルをいただき、10月半ばぐらいから連載開始できればと思っております。
引き続き『こちら秘封探偵事務所』をどうぞよろしくお願いいたします。
メリーが言及している麻耶雄嵩の短編集『貴族探偵』の出版は2010年ですが、
貴族探偵が出てくる最古の短篇『ウィーンの森の物語』は2001年2月号の『小説すばる』(雑誌初掲載時は『貴族探偵』という題名だった)だから間違ってはいない。
第一章完結おめでとうございます。とても楽しく読ませていただきました。続きを読める日を心待ちにしております。
第一章完結お疲れ様でした。これまで毎週ワクワクしながら読ませていただきました。
これから蓮子とメリーの行く先にどんな謎が待ち構えているのか、今から楽しみです。
これからも頑張って下さい。
紅魔郷編完結おめでとうございます!
毎週とても楽しみに読ませていただきました。
妖々夢編どのように話が展開されていくか
わくわくしながら待ってます!!
面白かったです。蓮子の行動力ある所好きです。
紅魔郷編完結おめでとうございます。
いつも楽しく拝見させてもらってます。
今後も蓮メリの視点で異変を追う形になるんですかね
今後も楽しみにしております
後書き読んでさらに納得・感動。
次回作も楽しみに待ってます!!
面白く素晴らしい内容でした。妖々夢編も話をすべて書き終えたらまた読ませていただきたく思います。
これも秘封録みたいに文庫本として手元に欲しいです!
とても面白かったです
ぜひ短編小説的な感じで出していただきたいですね!
とても面白かったので一気読みしてしまいました。設定の分解と再構築、謎のちりばめ方、そして推理の展開、とわくわくしながら読めました。次も期待させていただきます。
面白かったです。推理が良かったです。
原作がいい意味で何も語らないからいろいろ想像できて面白いですね!
とても、楽しかったです!たくさんの伏線がラストに一気に回収される所が良かったです!
秘封倶楽部が推理してくれるなんて、最高でした!
凄く楽しみながら読めました
今から見る第二章楽しみにしております
紅魔郷編作成御苦労様でした~浅木原忍様。何時も絵担当のEO様のRTにて連載を楽しみにしております~。既に花映塚迄出ていますが自作何になるのか楽しみにしております。
最高ですね、ワクワクします。
面白かったです。
蓮子とメリーのやりとりが好きです。
とても面白かったです。画面をスクロールする手が止まりませんでした。
とても面白かったです。
これからも頑張ってください。
楽しく読ませていただきました。
続きも楽しく読まさせていただこうと思います。
素敵な作品をありがとうございました!