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楽園の確率~Paradiseshift.第1章 火の国のヤマノメ   火の国のヤマノメ 第4話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第1章 火の国のヤマノメ

公開日:2016年12月13日 / 最終更新日:2016年12月13日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第1章
火の国のヤマノメ 第4話



 阿蘇の西縁より伊勢の海まで、それに比するほど南北にも広がる、阿蘇三郎平忠国の所領。令の上での国司も当然任じられてはいるが、京より遠いこの地では、それら代官や地元の豪族の方がよほど、主と呼ばれるに相応しい。
 そして、為朝の動向を探るなら直接よりも裏手から、と彼女たちは思い至ったのであった。
 その裏手とは――
「万寿よ」
「何かえ?」
「その沈香の匂い、いやに目立つぞ」
「匂いなのに目立つとはこれ如何に。いやヤマノメよ、まさかここまでかぐわしい逸品を賜ったとは、わらわも思わなかったぞえ」
 いつもの香では無く、為朝が寄越した沈香を衣に焚き染めた万寿。顔に袖を近づけ、ヤマノメの苦言にも嬉しそうな様子を変えず、その芳香にうっとりしながら答える。
「うむ、ただ同衾した上でこれだからの。お許も同じくすればよいに」
「お断りだ!」
 肩衣から、なんとか雑仕女(ぞうしめ)(※1)に見られる程度の衣に替えた旅姿のヤマノメは、しかし結局肩を怒らせながら拒否する。
「折角その様に飾ったに、振る舞いがそれでは無意味ではないか。これより平忠国が館に参っても、それでは先が思いやられる。わらわが教えたように振る舞いたもれ?」
 ヤマノメの憤慨に苦笑し、万寿は肩をすくめる。
――その裏手とは、先の沈香を本来手にしていたはずの人物。白縫姫(しらぬいひめ)なる名の、忠国の娘である。
 二人は今、忠国の領内にある、彼の館と向かっていた。
 先般、為朝を上手く謀った事に手応えを掴んだ二人。そこで興行師としての自身らの存在を既成事実化すると共に、忠国との面識を得ようという魂胆。ヤマノメが“それなり”の格好をしているのもこのためだ。
 これならば為朝の動向も掴みやすく、付かず離れずとした古老らの意見も汲める。
 為朝の軍事行動は、忠国との関係を深化させた後になる、はずであるのだから。
「あの強りしおのことて、豊後の家遠の手勢と、己が家の威光のみで事が進むと思っていまい。と、考えていたのだが……」
「なんだ、違うのか」
「うむ、どうやら既に五度ほど原田の軍と合戦しておるらしくてな。「次こそは行ける」と息巻いておった」
 小競り合いに過ぎないが、その原田のみならず、そちらと連合する豪族の菊池氏とも、為朝は既に敵対関係にある。故に、もはや力でねじ伏せるしか無い状況。恐らくはそこにまで至って、忠国との連携という方向に考えを改めさせられたのであろう。
 とは言っても彼の鎮西下向からこちら、およそは当初の思惑通りに進められた様子であり、太宰府在庁官以外の筑紫洲(つくしのしま)(※2)北部の豪族は皆、恭順の姿勢示してはいる。太宰府以下の各国国衙(こくが)(※3)を除けば、その二氏だけが特異なのだとも言えた。
 それらの豪族を相手に、どう考えても易く兵を進められるとは思えぬのによくやるものだと、万寿は床で話を聞きながら思ったと言う。
「本当に武家の大将なのか? アレは」
 戦の運びなど全く知らない己でも無理が過ぎると思う、と呆れるヤマノメ。
 彼個人の武については、讃えるほか言うべき事は無さそうである。しかしこうも考えなし、徒に兵を進めるのは、人間同士の事とは言え、ヤマノメにも苦々しい気がしていた。
「もっとも、その為にあの重季なる人物がおるのだろうし、それに本当に考え無しの猪武者なら、郎党の言葉にも耳を傾けもせぬであろう」
 万寿が言った通りの、郎党であると見られる重季なる人物。彼の諫言への愚痴も、為朝が漏らしていたのであった。
 須藤なる氏の者であり、為朝のお目付役として、共に京より下って来た者であるとの事。為朝の考えに影響を与えられる点を見ると、ただのお目付役では無いとも察せられた。
「恐らくは乳母子(めのとご)。御曹司とは乳兄弟の間柄かも知れぬの」
「乳母子? 乳兄弟?」
「ヤマノメ、お許……」
 さすがにそれぐらいは知っていて欲しかったと、万寿は舞の指導でも漏らさなかった大きな溜め息を吐く。だがすぐに気を取り直し、それらの語について丁寧に説く。
「武家も公家も、それなりの家格の子には乳母が付くものでな。その乳母の子が乳母子、同じ乳を吸って育ったという意味で、その乳母子を乳兄弟とも呼ぶのだ」
「血は繋がらずとも兄弟同然の間柄、という訳か」
「うむ、その通りよの」
 為朝が兵法をそれなりに修めている事に加えて、その様な間柄だからこそ忌憚の無いやりとりが叶っているのであろうと、万寿は読み取っていた。
 重季は青年であるが、為朝よりも歳は経て、思慮深くも見える。若さに任せる為朝を諫め、なだめる役目なのであろう。
「なるほど、お前と同じ立ち位置か」
「わららが? それはあれかの、血気にはやる『我ら土蜘蛛』を抑える役と」
「ああ、そうだろう?」
「それは買いかぶりだの。わらわは諫める事はあっても、策を述べるなぞあり得ぬ」
 所詮は男を悦ばせるのが生業。その傍らで、なんとかかんとか荒くれ者を御するのが手一杯だと、万寿は微笑みながら言う。
 良くも悪くも、万寿の言の半分は信用していないヤマノメ。彼女の謙遜を「ともかく」と端に置いてから、改めて“策”を求める。
「そう言えば、あちらに取り入ると言っても、ただ突っ込む訳じゃ無いんだろう?」
「突っ込むなどと、、、なんと卑猥な」
「お前に言われたか無い……」
 話の腰を折るなと睨むヤマノメに、万寿も「ふむ」と頷いてから顔を引き締める。
 ただ忠国の館へ赴き、白拍子だと言ってみたところで、門前払いされるのみ。その辺りの算段は万寿が整えているであろうかと、彼女に対しての依頼心を自覚しながらもヤマノメは期待している。
 彼女は答える代わりに、往来と平行する小高い畝の法面に足を掛け、ヤマノメを誘う。
「この辺りが内ノ牧だ」
 畠の畝を登り切った所で万寿が指し示す。
「なんだ、意外と近いんだな」
 ヤマノメが近いと感じたのもその通りで、実のところ、この地は阿蘇神社より数里西へ行ったに過ぎぬ程度の場所である。
 二人の目の前には、まばらな森に囲まれた、広大な平野が広がる。阿蘇山本体と外輪山に挟まれた中でも特に平坦な土地。なるほど馬を育てるには都合の良い『牧場』と言えた。
「朝廷が大陸を睨んで防備を整え出してからこちら、馬を捕らえ、牧を設えるには大変よいとされてな。太宰府に要害がこしらえられるよりも前から、官牧(かんのまき)(※4)が置かれたりしていたのお。とまれ、始めに矢面に立つのは対馬であるのだが」
 その官牧も、以前坂東と、伊予から内海にかけてを起点に起こった二つの乱の後、各地の官牧が閉鎖されるのと同じく閉じられたのだと、万寿は続ける。
 今ここに放たれている馬の多くは、忠国が営む私牧の馬。加えて、柵を越えて入り込む様な気性を持った、荒くれの野生馬の姿もある。
「それにしてもヤマノメ、腹具合はどうか?」
 それらの馬を前にして言い放つ万寿に、以前の問いを思い出してヤマノメは眉を寄せる。
「また突然だな。それに馬は、あまり好みじゃない」
 これに万寿は「そう身構えんでも」と苦笑しながら言う。馬も牛も食えるのは分かるが、労働の供としての認識がある。使い潰してから食らうのならまだしも、との考えだ。
「ならばシシ肉がよいかえ?」
 馬がシシでも一体何を言い出すのやらと、彼女の意図を量りかねたヤマノメは、首を傾げつつ辺りを見回す。
 野の獣が隠れられそうな場所すら中々見当たらない。牧の縁には若干の丘陵が森と共に広がっている。居るとすればあちらかと、指を指しながら万寿に問い返す。
「遠いな」
 畝を降りてみれば、平野は外輪山の手前で地が尽きたようにも錯覚出来るほど広く見える。これはいよいよの遠さだと、ヤマノメは足で参るより、心情の方が参った風になる。
「日頃、山や坑道も易く歩むお許が何を言う。さあ、参ろう」
 万寿の方が先に歩み出す。ヤマノメはその背に向け、当初の疑問を改めて投げかける。
「ところで、腹ごなしは良いが、どうやって忠国の館に入り込む気だ?」
「うむ、それはの――」
「それは?」
「まだ秘すべきかな」
 少なくとも万寿は、期待に応えるだけの策を持っていた。
 だが秘密と言われたヤマノメは、「どうせオレなどが聞いたところで」といじけた風にし、万寿は益々愉快そうに、足取りも軽やかに誘うのであった。

 高台となっていた畝を下り、また一里ほど北へ歩んだ二人。遠いと思われた森も、実際に行ってみれば案外すぐ側であった。
「なんだ、ここからなら館も見えるな」
 またずっと向こうの、小高い丘の上。本来森があったであろうそこは拓かれ、こぢんまりとしながらも、確固とした山城が築かれていた。
 その周囲には住居が集まって街となり、寺社も建立されている。特に、そのうちの一つであろう五重塔は、このなだらかな地形で特に目立つ建造物であった。
「よく分かったな、流石だ」
 周囲の、そういった目に付く建物よりまず山城に目を向けた事に、万寿は素直に感心する。
「まあ、な」
 あれぐらいならば分かると、一応は褒められたのに気を良くしてからまた、ヤマノメは周囲を窺う。街よりだいぶ手前に、調練中の武士らしき一団が見える。
 ヤマノメが指し示すと、万寿はこれを見てから、何故か意地の悪そうな笑みを浮かべて言う。
「のおヤマノメよ。馬よりもシシが良いと言うたの?」
「ああ、言ったが」
 ふと、森の奥から異様な気配が近づくのをヤマノメは知覚する。
 人の手が入った事も無い古い森に、うっそうとした木立すらものともしない確かな歩みの音。加えて明らかに興奮した獣の息吹。ヤマノメが「まさか」、と思うのと同時に、万寿が叫ぶ。
「それ走れ!」
 被(かず)いていた傘を投げ捨て衣の裾をたくし上げ、一目散に獣道を下る万寿。ヤマノメも、動きづらい女房姿を今更に後悔しながら、その後ろ姿を追う。
 茂みをかき分け、気配の主が現れた。
「なんだアレは!」
「見ての通りシシじゃ!」
 並の猪より二回りは大きな猪が鼻息荒く飛び出し、ヤマノメ達めがけて下り始める。
 獣道はその大猪には細過ぎ、やや突進は緩まったが、その分苛ついたのか鼻息と茂みを掻き分ける音だけはますます勢いを増している。
「これならオレでもどうにかなる。万寿!」
 お前も協力しろと意図した叫びには――
「駄目じゃ!」
 即座に否定の声が返る。
「臆病風に吹かれたか!」
 猪としてはかなりの巨体であるが、それでもあの程度の獣であれば、尋常に向かえば首をへし折るなりと敵おう。問題はやはり、勢いがついた後だ。
 ひとたび勢いを得た獣を止めるのは、さしもの土蜘蛛二人がかりでもコトであるし、下手を打てばあの鋭い牙に腹か喉を貫かれかねない。斬られるには多少強い体であるが、刺されるのは相当に危険。それも相手があの様な突進を見せる相手では尚更。
 ならば己だけでもと、僅かに足を緩めようとしたヤマノメ。その腰が不意に引かれ、危うく転がりそうになってから踏みとどまり、次には元通り駆け始めざるを得なくなる。
 ヤマノメの一見細い腰には、万寿の糸が括られていた。
「駄目じゃと言うたに!」
「本当に駄目になるところだったぞ!」
 いつの間にか括られていた彼女の糸を千切り、ヤマノメはやむなく進路に集中する。
 気付けば既に森と山を下りきり、平地に出てしまっていた。走り易くはなったが、それは追っ手も同じ。そしてこれでは、二人がかりでもいよいよ止められない。
「シシを仕留めるのは、お許ではない」
 何を言っているのかと駆けながら万寿に並び、彼女の顔を、手元を見たヤマノメは得心しつつも呆れる。
「おい、あれはお前の仕込みか!?」
 ヤマノメに結びつけられていたのよりだいぶ太い糸が、万寿の右手から後方に流れていた。見れば、近づきつつある大猪の鼻っ柱では、生糸のような輪っかが陽光を照り返している。
「うむ左様」
「なぜ先に教えなかった!」
 秘密にしている場合では無かろうと、ヤマノメは憤慨。万寿は前方を見据えながら答える。
「我らが必死な方が食いつきが良かろうと思うてな」
 お許はそんな器用に面を変えられる者ではあるまいと、自身は涼しい顔の万寿。
「くそっ……おぉーい! 助けてくれぇー!」
 武士達に助けてもらうのを切っ掛けに忠国の館に入るつもりなのは、ヤマノメもまず理解した。
 だが果たしてそう上手くいくものか。旅の、女だけの二人連れなど目にすれば、武士の集団などすぐに賊に豹変しても不思議は無いのに。
 しかしそれ以前に、あちらは気付かないのか、牧の馬ですら異変を察して進路から避けようとする中でも、誰もこちらを向こうとしない。
 ヤマノメの二重の危惧をよそに、万寿も叫ぶ。
「あ~れ~、たれか、たれか助けてたもれぇ~」
 弱々しい乙女の声には、武士の一団も一斉に向き直る。
「だからなんで、お前ばっかり……」
「ホホホ」
 万寿の小さな笑い声は、甲高い鏑矢の音にかき消された。
 これが戦の始まりの合図と同じ働きをし、武者達の動きがにわかに慌ただしくなる。
 騎馬武者と徒武者が二騎分、ヤマノメ達の進路の右側に回り込もうとしている。そちらは風上、なるほど勢子の役かと察せられた。
 勢子として使うには贅沢な程の勢力ではあるが、武具の類は徒武者の着けた胴丸と長刀、鎧直垂のままの騎馬武者が佩く太刀程度。いずれも弓を手に取っている様子は見えない。その様な中で完全に武装をするのは、正面に残る、遠目にも小兵と見える大将らしき侍のみ。
 ひとまず接触には成功、それに大猪の追っ手からも逃れられるかと安堵したヤマノメであったが、追い立てられた猪は逃げるどころか、猛然と勢子役の武者達に向かい始めた。
 一旦は脅威から逃れられた二人も、これは拙いと察する。
 向かってくるものなどと思っていなかった勢子役の武者達は、得物を構える間もなく隊列を散らし、てんでバラバラに逃げ始めていた。
「こりゃ、そちらでは、無い!」
 万寿が駆けながら僅かに腕を動かす。それにつられて鼻先を強引に逆に向けさせられた猪は、いよいよ怒り猛る。
「おい、さっきより悪い事になっているぞ?!」
「ほっほっほっ、これはしたり」
 結局元の通りに駆ける羽目になった二人であるが、やはり万寿は余裕の笑み。この危機を理解していないようにも思える顔であるが、ヤマノメは、この状況も女の策の一環だと信じた。一応は。
 武士達の本隊の脇、風下側を数町離れて抜ける進路。流石に脚と息が辛くなり、本格的に彼らを頼りたくなって来たヤマノメがそちらに首を巡らせると、ちょうど大将らしき侍の手から矢が放たれたのが見えた。
 雁股(かりまた)の鏃(※5)が、ヤマノメの知覚から間を置かず猪の右肩に食らいつく。威力不足か、猪の脚は僅かに鈍くなりはしたものの、まだまだヤマノメ達に追いすがる。
 すぐに二の矢が飛来。続けざまに同じ射手から放たれた物であったが、今度は猪の分厚い腹を食い破り、瞬時にその動きを静めた。
 二の矢を受けてからも僅かに数歩歩んだ大猪であったが、結局は巨体を地面に横たえる。その亡骸、否、獣肉の塊の前にへたり込むのを装って、万寿とヤマノメは矢を検分する。
「飛んで来た矢は、鏃は見えたかえ?」
「ああ、雁股だったな」
 その長さはおよそ十四束、かなりの手練れが用いる矢と見える。鮮やかな雉の羽を用いた尾羽に、年期を経た煤竹を用いた杉成の箆。相当に高級な品に見えるがしかし、幾度も用いたと思われる歪みも見て取れる。
 その価値はともかく、二人の興味はこの鏃で大猪を仕留めたという事実。
「うむ、本来は小さな獣や鳥を落とすために使う物。シシ狩りに用いる物ではない。だのに、ただの二射で仕留めるとは」
 為朝並とは言わずとも、相当な弓勢。
 京などでもここまでの手前の者が如何ほど在ろうか。否、この様な中央から離れた地であればこそ、勇ましく強き者に溢れているのだぞと、万寿はヤマノメに諭しつつ自身を納得させる風に言う。
 それがあの、小兵の侍から放たれたのだ。
 これは坂東武者の強弓もかくやよ、と万寿が改めて感心していると、武者達の本隊の一団が、馬も人も整斉と駆け始める。彼らはヤマノメらを中心に、勢子勢とも合流した。
 意外にも、騎馬武者の一人は鎧直垂を着込んだ女であった。恐らくはこの隊の主の侍女。ヤマノメらを女と認めて、あえて彼女を前に出したのであろう。気の付く人物だと二人はなお感嘆する。同時にヤマノメの危惧の一方も解消した。
 それらしくへたり込んでみせるヤマノメ達の側に、馬から降りた女武者が片膝を着く。
「お許ら、大事ないか?」
「ええ、ええ。わらわも、供の者も、大事はありませぬ……あぁっ!」
 万寿は立ち上がる素振りを見せてから、すぐに崩れ落ちる。ヤマノメは、彼女が足を掴みながらなお「大事ありませぬ」と繰り返すのを、白眼視しつつも納得。
(なるほど、こりゃオレには無理だ)
 ヤマノメからは極めてわざとらしく見えるが、裏を知らぬ者が見れば、負傷しながらも大猪から這々の体で逃げ延びた風に見える。己が身に降りかかる苦痛などは振り払うか堪えるのみのヤマノメには、いくら見世物と言ってもこの様な振る舞いは難しい。
 女武者が、万寿の足を草履を履かせたままなぞる。少なくとも骨に異常が無いかを診るための所作であった。
 当然ながら万寿の足は無事、であるが、ここはまた痛がって見せた。
「お姫(ひい)様! 確かに無事の様ではありますが、表に見える以外の傷を負っているようです。連れ帰るのがよろしいかと!」
“姫”との言葉には、ヤマノメのみならず万寿も僅かに驚き、互いに視線を交わす。
 万寿の、負傷を装った足の側の脇に肩を入れつつ、ヤマノメは耳打ち。
(おい、これもお前の算段の内か?)
(いやいや、思った以上に上手くいったようよの)
 この地で姫と呼ばれる者、二人も三人もおるまい。
 しかしそれがこの一団での唯一完全武装の武者で、為朝には及ばずとも他にひけは取らない程の技を持つ者であるとは思っていなかった。二人とも。
 それはさておき、一気に目標の懐に潜り込めたように思える。万寿が言う通り、過ぎるほどに事は上手く運んでいた。
「具合はどうか。私はこの周辺一帯を治める阿蘇三郎が女(むすめ)、白縫と言う。お許らは?」
「こ、これは忠国様の姫御前とは。わらわは、京より下って鎮西各所で使い走りや芸事を営む万寿と申す者。こちらは下働きを兼ねた白拍子、ヤマノメと申しまする。ああ、足の具合はやや痛むものの、幸いにも折れてはおらぬ様子で」
 万寿はすぐさま平伏し、ヤマノメも押し付けられる前にとっとと頭を下げていた。
 ヤマノメが僅かに見上げると、白縫姫はやや顔色を明るくしていた。
「見た目よりも大事ではないか? ささ万寿、無理はせず私の馬に乗りや。若葉、お許はヤマノメとやらを乗せてやるのだ」
 これに若葉と呼ばれた先の女武者、侍女は、嫌そうな貌をする。無理もない、今のヤマノメは異人風の風体を隠さず、その髪と眼を露わにしているのだ。
「露骨に嫌そうな貌をしてからに。ではヤマノメが私の馬に乗れ。若葉は万寿を」
「は、いえ、申し訳ありませぬ……」
 若葉は顔を赤くするやら蒼くするやらしてから、鞍の前側に詰めて座り、自身の後ろに万寿を引っ張り上げる。
 白縫姫もヤマノメに同じくしようとするが、これはヤマノメが拒否。
「大変身に余る事、誠に有り難くは存じるのですが。私が乗るといつも、馬が暴れてしまうのです。私は傷も負っておりませんので、徒にて従います」
 姫はしばしためらう風にヤマノメの前腕を掴んでいたが、次に「分かった」と言ってそれを離す。
「ならばせめて、荷だけでも運ばせよう。くたびれたならいつでも言ってくれ、ヤマノメよ」
 彼女はそう言って手綱を引き、馬を忠国の館と街の方へ向ける。若葉や他の騎馬、徒武者等も、すぐさまそれに従って隊伍を組む。
 彼女も手勢も、この様な田舎にはそぐわぬほどの練度だとは、兵や軍と言ったものをよく知らぬヤマノメにも察せられた。
(罠とも思えないし。後はどうなるか、いやどうするかな)
 策を練るのが万寿頼みとはいえ、ヤマノメも物を考えないわけでは無い。併せて、この姫武者への興味も、当初の目的を忘れるほどに増しつつあった。



第4話注釈

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※1 雑仕女:女性の召使い。
※2 筑紫洲:日本列島の内、九州を構成する島の古名。九州島とも言う。
※3 国衙:国府の中核にあり、官人や役人が行政を行う役所群
※4 官牧:天皇の勅旨を以て置かれた、官営の牧場。勅旨牧
※5 雁股:先が二股に分かれた矢尻。鳥を仕留めたり、動物の足を射切るのに用いる。

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