東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第14章 深秘録編   深秘録編 5話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第14章 深秘録編

公開日:2021年03月06日 / 最終更新日:2021年03月06日

―13―

 易者さんは結局、呆然としたまま帰っていった。
 それを見送ってから、早苗さんが神奈子さんを不満げに振り向く。
「神奈子様ぁ、結局何がしたかったんです?」
「いやなに、ああいう顔をした人間は、大概よからぬことを考えてるもんだからね」
「よからぬこと……はっ、やっぱり蓮子さんとメリーさんを狙って! 塩を撒きましょう!」
「そういうんじゃないよ。ま、悪さをする前にちょっくら脅してやったのは事実だけどね。あの顔からすれば、まあ効果はあったと思うが。あとはお前さんたちに任せるよ」
 と、快活に笑ってそれだけ言い残し、神奈子さんは姿を消してしまう。神様らしい気まぐれな振る舞いと言うべきか、はたまた――。
「むー。ねえ所長、あの人どうするんですか? 本当に非常勤助手にしちゃうんです?」
「早苗ちゃんはやっぱりご不満?」
「うーん、やっぱりおふたりのそばに男性がいるっていうのはちょっと……心配です!」
 そんな心配をされても困るが。慧音さんじゃあるまいし。
「冷静に考えればおふたりの間に今さらポッと出の男性が挟まれるとは露ほども思えませんけどー。それはそれとして女所帯に見知らぬ男性連れ込むのはよろしくないです! ましておふたりは能力的には普通の人間なんですから!」
「うーん、まあ早苗ちゃんの言うことは一理あるんだけど、彼の件はこの事務所への貴重な依頼だからねえ。それも妖怪の賢者から、私たちがこの幻想郷に来ることになった理由に関わりそうっていう特大の秘密つきの。放っておくわけにもいかないじゃない?」
 肩を竦める蓮子に、早苗さんは不満げに口を尖らせた。
「やっぱりそれが変なんですよ! おふたりを幻想郷に連れてきたのが八雲紫で、蓮子さんの大叔母さんがもうすぐ幻想郷に来るかもしれない、その大叔母さんに幻想郷のことを教えたのがあの人で、八雲紫はおふたりにあの人を救って欲しい……って、なんでそんなことを、わざわざおふたりがやらないといけないんですか? 人間ひとり救うぐらい、八雲紫が勝手にやればいいじゃないですか!」
「さあねえ。それこそ古典的な時間SFなら、この時間では既に私たちが彼を救うことが決まってるから、それに合わせて私たちは行動しないといけないっていうのが定番だけど。ほら、みくるちゃんがみくるちゃん(大)からの指令を受けて行動するみたいに。何しろ私たち未来人なわけだし」
「確かに記憶と行動の辻褄合わせのパズルは時間SFのお約束で私も好きですけど! 高畑京一郎の『タイム・リープ』は名作中の名作ですし」
「まあ、幻想郷はメリーの相対性精神学に近い理屈で動いてる世界だから、過去に戻った時点で別の時間線に移動しているからタイムパラドックスは発生しないっていう多世界解釈、マルチバース宇宙の方がそれっぽい気もするけど……」
 蓮子がこちらを見やる。私はただ、肩を竦めるしかできない。
 ――八雲紫は、幻想郷の未来を知っていて、それを変えようと行動している。
 それはいつぞやの地震騒動のときに、私と蓮子が立てたひとつの仮説である。そしてあるいは、少なくとも妖怪の賢者の認識上においては、この世界は既に歴史が改変された後の世界であるのかもしれない。
 もしそうであるなら、やはり妖怪の賢者は歴史と未来を変えるために私たちを幻想郷に引きずり込んだのか。私たちに易者さんを救わせようとするのも、そのための一手なのか……。
 しかし、仮にそうだとして、である。
 ……その世界の内側にいる私たちに、それをいったい、どうすることができるというのだ?

 そう、私たちは箱の中にいる猫だ。
 箱の外側からは猫の生死は不確定だとしても、箱の中にいる私たちは私たちでしかない。
 仮に今この瞬間に歴史が本来のものから変えられたとしても、私たちにとっては、私たちの認識している歴史こそが本来のものである以上、その差分は把握しようがない。
 だとしたら――私たちに、箱の外側から歴史と未来を弄るような存在の意図など、いったいどうやったら知ることができるというのだ?

 いや、だからこそ、なのだろうか?
 だからこそ――八雲紫は思わせぶりに私の前に現れ、謎めいたことを言い残すのか?
 私たちが箱の中の猫であることを自覚させるために。そして、八雲紫が箱の外から猫の生死を確定させる観測者だと知らせるために……。
 だが……それをして、いったい何になるのだろう?
 箱の外から私たちの運命を操る観測者に対して、箱の中から私たちに何ができる……?

 私たちにできることといえば、不思議に首を突っ込んで、相棒が誇大妄想を語るぐらいだ。
 だとすれば。――自分たちが箱の中の猫だと知った上で、観測者の意図を推理しろと?
 ……つまりは、そういうことなのか?

「メリー? どうかした?」
 我に返ると、蓮子が私の顔を覗きこんでいた。私はゆるゆると首を横に振る。
 そして嘆息して、蓮子と早苗さんの顔を交互に見やった。
「ねえ蓮子。一旦、今の時点でそれなりの筋の通るストーリーを考えてみない? そういうの得意でしょ? 筋の通る仮説を立てて検証するのは研究の基本的な手法でしょう?」
「あら、メリーらしからぬ建設的な提案ね。そうね、わからないって言ってても仕方ないわ。充分な材料が揃わないうちから推理を語るのは名探偵らしくはないけれど――材料探しのために仮説の構築は必要よね」
 蓮子が帽子の庇を持ち上げて、にっと猫のように笑う。
 見慣れた、あまりにも見慣れすぎた、蓮子のその笑顔。
 いつでもどこでも、蓮子は猫のように笑う。……そう、いつだって、どこでだって。
「早苗さんも参加してくれる? 第三者の意見は貴重だし」
「あっはい、お任せください!」
 ぐっと拳を握りしめる早苗さん。その意気込んだ顔に笑い返して――私は、目を伏せる。

 妖怪の賢者、八雲紫。……彼女がもし、私の考えている通りの存在ならば。
 私は、いったい彼女に、何ができるというのだろう?




―14―

 というわけで、事務所でメンバー三人による仮説検討会が始まった。
「まずは大叔母さん絡みで、今のところはっきりしている点を整理しましょう。まず私の知る、宇佐見家の歴史的事実。大叔母さん――宇佐見菫子さんは西暦二〇〇〇年の生まれ。その兄だった私の祖父によれば、彼女はどうも超能力者だったらしく、頭脳明晰、傲岸不遜で天衣無縫、しかしてそれ故に友達がほとんどいなかった」
「なんだか外の世界にいた頃の私みたいですね……」
「早苗ちゃんは天衣無縫だけど頭脳明晰って感じじゃなくない?」
「さらっとひどいこと言いますね蓮子さん! いやまあ文系科目苦手でしたけど! 神様にも苦手分野があるのが現人神の愛嬌というものです!」
「愛嬌って自分で言っちゃうのはどうかと……」
「んー、まあ実際早苗ちゃんはかわいいわよ。実際メリーがいなくて同じ時代に早苗ちゃんと出会ってたら、きっと早苗ちゃんに夢中になってたわ。科学世紀の論理から外れた美少女の神様だもの」
「れ、蓮子さん、ダメですよ浮気は……」
「あら早苗ちゃん、やっぱり私たちの間に挟まりたかった? メリー、早苗ちゃんを挟んで三人でイチャイチャしない?」
「私は壁でいいですー!」
「蓮子、話を脱線させないの」
 やれやれ、やっぱり早苗さんがいると話がややこしくなる。
「仕方ないわねえ。じゃあ話を戻すけど――さて、そんな大叔母さんは、中学を卒業すると家を出て、遠方の高校に通いながら一人暮らしを始めた。ところがある日――お祖父ちゃんの残した記録に具体的な日付がないんだけど、少なくとも大叔母さんが高校生の間のことなのは確かみたいね。菫子さんが学校を無断欠席しているという連絡を受けて家族が様子を見に行くと、菫子さんにはそのとき既に異常が起きていた。それ以前から遅刻や授業中の居眠りが目立つようになっていたらしいんだけど、そのときにはもう、何日も眠り続けるようになってしまっていた。……そして、起きている間も支離滅裂なことを口走るばかりになり、やがて目を覚まさなくなり、そのまま長い間昏睡状態を続けたまま息を引き取った……」
「スリーピングビューティーですかぁ。あの易者さんが王子様って展開は私は嫌ですよ!」
「なんで早苗ちゃんが嫌がるの? 大叔母さんの話よ?」
「白雪姫の王子様って、白雪姫の死体が綺麗だからってキスするセクハラネクロ趣味ですよ!」
 そんな身も蓋もない。
「さて、問題はその菫子さんの昏睡の原因が幻想郷にあるのか否かなんだけど、ここはもう『ある』ものと決めつけて考えましょう。現状はそうでなかったらいろいろ説明がつかないもの」
「まあ、そうね」私は頷く。
「で、大叔母さんの身に幻想郷で何かがあったために、大叔母さんが目を覚まさなくなったとすると……私としては、メリーの夢のことを想起せざるを得ないわけよ」
「……まあ、それは私もそうね」
 科学世紀の京都に暮らしていた頃、どうも私は夢の中で幻想郷に迷い込んでいた節がある。夢の中で書いた覚えのあるメモ書きが、数百年前の迷いの竹林で見つかっているとか。あるいは私たちが幻想郷にやってきたあとで、夢の中の私が十六夜咲夜さんに会っている節があるとか――そういう意味不明な、時系列を無視した彷徨い方を。
「メリーみたいな相対性精神学主義者にとって、夢と現実は同じものでしょう? だとすると、大叔母さんもまた、夢の中で幻想郷に迷い込んで――この幻想郷が居心地が良すぎて帰る気をなくしちゃうか、あるいは……夢の中から彼女の意識が出られなくなってしまったのか」
 ――それはつまり。
 夢と現実の区別を失ったとき、夢の中で死んでしまったらどうなるのか、という思考実験。
「はい所長!」
「なに、早苗ちゃん」
「それなら、八雲紫がおふたりに依頼した『ある人間』って、その宇佐見菫子さんのことなんじゃないんですか? あの易者さんなんかじゃなくて」
「うーん、それはまあ、究極的にはそうなのかもしれないんだけど……でも、何しろ大叔母さんはまだ幻想郷に来てないわけでしょ? 少なくとも私はまだ聞いてないわよ」
「明日にでも来るのかもしれませんよ!」
「それはそれで、それなら楽しみではあるけどねえ。それなら妖怪の賢者だって、名前をぼかしたりはしないでしょう。ストレートに『宇佐見菫子を救って』って言えば済むわ。私たちだってそうすることは吝かじゃないんだし。なのに『ある人間』なんてぼかした言い方をするからには、それなりの含意があると思うのよ。そこのところを考えて行き着いた結果が、あの易者さんだったわけだけど。実際、まさに大叔母さんと繋がりのある重要人物だったわけだしね」
「むー」
 早苗さんは不満顔。よほど易者さんのことが気に入らないらしい。早苗さんってそんな男性アレルギーだったかしら? と私は首を捻るが、単に私たちと早苗さんとの間に知らない人が割り込んできて拗ねているだけなのかもしれない。
「さて、じゃあ妖怪の賢者が依頼した相手があの易者さんだったとすると。――八坂様も何か感じたみたいだったけど、どうも彼、何かよからぬことを企んでるみたいよね」
「そうね。私にすら感じ取れるぐらい隠し事の気配がプンプンするわ」
「やっぱり悪い人ですよ! 退治します!」
「まあまあ早苗ちゃん。……妖怪の賢者の依頼が、彼の隠し事絡みだとすると、彼は何かその身に危険が及ぶような企みを隠していることになるわね。そして、そんな彼が大叔母さんと大きな繋がりを持って、大叔母さんに幻想郷を教えた――となると」
 蓮子はそこで言葉を区切って、ひとつ息を吐く。
「一番わかりやすいストーリーは、大叔母さんの昏睡の原因が易者さんだってことだわ」
「……そうなるわね」
 蓮子の言葉に、私も頷く。現状、それが一番わかりやすい因果関係の連なりだ。
「易者さんの企みのせいで、大叔母さんが昏睡に陥ってしまう――いや、それなら妖怪の賢者は彼を『救って』とは言わない? 『止めて』と言うべき? それとも、彼がこの幻想郷に抱えている不満が原因だから、そこから彼を救済することが、彼を止めることに繋がる……いや、だとしてもやっぱり、それなら『彼を止めて』って言うべきよね。『救え』と言うのはひどく迂遠に過ぎるわ。だいたい彼が単なる危険因子なら排除すればいいだけの話よね」
「八雲紫って、何につけてもそういう回りくどい言い回しばかりする妖怪らしいですよ?」
「有益な情報ありがとう早苗ちゃん。まあ、未だに会ったこともない妖怪の動機を推理しようなんて無茶な話だってことは解ってるのよ。でも――」
「もっと自分に引き付けて考えればいいんじゃないの、蓮子」
 考え込む蓮子に、私は口を挟む。蓮子は顔を上げた。
「あらメリー、どういうこと?」
「……易者さんが菫子さんに幻想郷のことを教えた。それが理由で菫子さんが幻想郷に来るのだとしたら――彼女が幻想郷に来る、大きな目的のひとつが生じるじゃない。幻想郷のことを教えてくれた易者さんに直接会う、っていう。でも、菫子さんが幻想郷に来る前に、易者さんがその悪巧みを実行に移して、その結果として彼の命が失われていたとしたら? 科学世紀の外の世界から、幻想郷を自力で見つけるような、蓮子の親族だったら――自分が会いに来た相手が既に死んでいたと知ったら、どうするかしら?」
 私の問いに、蓮子は目を見開いて、そして帽子を目深に被り直す。
「……私だったら、その死の理由を調べようとするでしょうね」
「そうよ。妖怪の賢者が止めたいのは、それなんじゃないの? 易者さんが何を企んでいるにせよ――彼のその企みを阻止しないと、宇佐見菫子さんが幻想郷に来たとき、妖怪の賢者にとって都合の悪い疑問を抱かせることになってしまうとしたら? それが、菫子さんの昏睡の原因に繋がってしまうとしたら……」

 そうだ。宇佐見菫子さんが、蓮子と同じような好奇心の塊であるのならば。
 自分を幻想郷に導いた相手が死んでいたり、いなくなったりしていれば。
 絶対に、その謎を解き明かさずにはいられないはずだ。
 それが、そのこと自体が、妖怪の賢者にとって都合が悪いのだとすれば――。
 私たちが阻止すべきは、易者さんが隠している企みによって、彼の身に起きる危険。

 逆に言えば――菫子さんが幻想郷に来るその日まで、彼を生かしておくこと。
 そして、菫子さんがちゃんと彼と再会できること。
 それこそが、妖怪の賢者の求める『ある人間を救うこと』なのではないか?
 易者さんの死が、菫子さんにどんな影響を及ぼすのかは解らないにしても――。

「参ったわね。この宇佐見蓮子さんも、身内のことになると頭の働きが鈍くなるのかしら」
 蓮子は嘆息し、にっと猫のような笑みを浮かべた。
「メリーのその推理、今までで一番納得できる仮説だわ。私たちに課せられたミッションは、易者さんを五体満足で大叔母さんと再会させること。その上で、妖怪の賢者の目論見を暴くには、彼の企みを明らかにするのが近道。――よし、その方向で行きましょう。早苗ちゃん、八坂様に易者さんのことそれとなく見張ってもらえる?」
「あ、はい、お願いしてみます――」
「もう近くの分社から見張ってるよ。今は自宅で大人しくしてるようだね」
 と、再び神奈子さんが姿を現す。おおう、と蓮子はのけぞって、ははー、と畏まった。
「お手を煩わせて申し訳ありませんわ、八坂様」
「いや、あの人間にショック療法を施したのは私だからね。あの人間がまたここに来るまでは軽く見張らせてもらうよ。何を企んでるんだかは私も関心があるからね。――またここに顔を出すようなら、そこから先はお前さんたちに任せる。それでいいかい?」
「はい、よろしくお願いしますわ」
 蓮子が頷くと、神奈子さんはやれやれと肩を竦めて姿を消した。
 早苗さんはそんな神様の姿を見送り、また不満げに口を尖らせる。
「結局あの易者さんをこの事務所で雇う流れなんですかー」
「ま、そこは彼次第だけど。大丈夫よ早苗ちゃん、間違っても早苗ちゃんが心配してるような展開はあり得ないから」
「うー。でも事務所の非常勤助手一号は私ですから! その地位は断固譲りません!」
「はいはいもちろん、早苗ちゃんはうちの大事な非常勤助手よ。ほらメリー、一緒に早苗ちゃんを挟んであげましょ」
「なにそれ。おしくらまんじゅう?」
「いやそんな! 私は別におふたりに挟まりたいわけでは!」
「まあまあ。ほーら早苗ちゃん、ぎゅー」
「……ぎゅー」
「ああっ、なんでしょうこの背徳感……!」
「私たちふたりとも、早苗ちゃんが大好きよ。ねえメリー」
「まあ、そうね。早苗さんは大切な人だわ」
「はうあう、おふたりともそういうこと言われたら私勘違いしちゃいますからぁ……。八坂様が見てますからぁ。ああ、でもなんかすごく幸せです……」
「よーしよし、早苗ちゃん大好き」
「蓮子さんみたいな格好いい人が女の子にそういうこと言っちゃダメですよぉ……」
「……早苗さんには蓮子が格好良く見えるの?」
「あらひどいメリー、世界の秘密を解き明かす名探偵に向かって。それとも私はかわいいって意味? ふふ、メリーにかわいい女の子として見てもらえるなら私はそれでもいいけれど」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないの。早苗さんもダメよ、こういうのに引っかかったら」
「そう、メリーみたいになるのよね」
「私みたいな被害者を増やしたくないだけよ」
「ああっ、やっぱり入りこめない熟年夫婦の会話……! 私弄ばれてますぅ」
 ――結局、そんな馬鹿な話になるぐらい、私たちは呑気に構えていたのである。
 このときは、まだ。




―15―

 と、不穏なことを書いてみたが、実際、事態が劇的に動くのはもうちょっと先の話である。
 ともあれ、さらにその翌日――。寺子屋の授業が終わったあと、早苗さんがまた遊びに来て、私たちは事務所でいつも通りの遊惰な時間を過ごしていた。
 それはつまり、彼がここに来るかどうか、確かめに待っていたのだけれども――。
「で、ホントに来ると思うんですか? 所長」
「来てくれるといいんだけどねえ。来ないようならもう一回押しかけてみるわ」
「むー。天の邪鬼退治もあるのに、私はどうしたら……おふたりを守らないと」
「早苗ちゃん、まだ警戒してるの?」
「警戒します! 悪い妖怪や男性からおふたりを守るのは私の役目です!」
「頼もしいわねえ。持つべきものは自分のために戦ってくれる友人よね、メリー」
「わりと人としてダメじゃない? その発言」
「持てる者は持たざる者に奉仕するのが、えーとなんでしたっけ、ノベルス・オブラートってやつです!」
「ノブレス・オブリージュね」
「そうそう貴族のリージュ……リージュってなんでしたっけ? そりで滑るやつでしたっけ?」
「それはリュージュ。というかオブ・リージュじゃなくてオブリージュ、obligeよ早苗ちゃん」
「日本人だから英語は苦手なんです!」
「フランス語だってば」
 いつものように、そんな馬鹿なことを言い合っていると――。

 事務所の扉を開く音がして。
 私たちが振り返ると――そこに、ふて腐れたような顔をした、易者さんが立っていた。

 蓮子が、満面の笑みを浮かべて立ち上がる。
「やあやあ、よく来てくださいましたわ」
「……別に来たくて来たわけじゃない。仕事がなくて暇だっただけだ」
「結構、結構。人生の最大の敵は退屈なり。私たちは世界を面白くするために世界の秘密を暴くもの。退屈しのぎに遊びに来てくれるだけでいいんですよ」
 そう言いながら、蓮子がこちらにウィンクしてみせる。私はただ肩を竦め、早苗さんはまた拗ねたように口を尖らせた。
「さてさて、じゃあとりあえず、どこか遊びに行く? 早苗ちゃん、まずは守矢神社にでも案内しましょうか。氏子になってくれるかもしれないわよ」
「えー。いやまあウチを信仰してくださるなら……ううん」
「それとも、他に普通の人間の足では踏み入れられない場所をお望みかしら? どこでもご案内しますわよ。紅魔館? 迷いの竹林? 魔法の森? 命蓮寺、神霊廟、あるいはその気になれば、魔界や天界、地底や三途の川にだってご案内しますわ」
「――――」
 まくしたてる蓮子に、易者さんはただ、訝しげに眉を寄せてその顔を見つめる。
「……本当に、お前らは何者なんだ?」
 その問いに、蓮子は帽子の庇を持ち上げて答える。高らかに、私たちの有り様を。
「私たちは秘封探偵事務所。この世界の秘密を暴く名探偵とその仲間たち!」

 ――というわけで。
 そこからしばらくのことについては、わざわざ紙幅を割いて書き連ねるほどのこともない。
 易者さんという新たな玩具を見つけた蓮子が、私と早苗さんとで、彼を連れ回して幻想郷の馴染みの場所を遊び歩くという、ただそれだけの話である。
 そう、それは本当に、わざわざここに書くほどのこともない、私たちの日常そのものだった。
 守矢神社に行けば、易者さんは諏訪子さんの率いるカエルの集団に取り囲まれて「うちの早苗に悪さしたら祟るよ祟るよ祟り倒すよ」と脅され。
 紅魔館に行けば、咲夜さんが「パイにいたしましょうか?」とナイフを閃かせ、レミリア嬢が「不味そうだからいいわ」と答えて易者さんの顔を引き攣らせ。
 迷いの竹林に行けば、てゐさんの仕掛けたトラップに易者さんがことごとく引っかかってズタボロの姿になり。
 魔法の森に行けば、魔理沙さんの店の前で、お腹を空かせたルーミアちゃんに易者さんが囓られそうになり。
 命蓮寺に行けば、ムラサ船長のいたずらで手水場で溺れかけ。神霊廟に行けば、布都さんの投げた皿が当たり。霧の湖ではチルノちゃんに凍り付けにされかけ。地底に連れていったら、勇儀さんに酔い潰されてしまった。
 ……易者さん、どういうわけかどこに行っても酷い目にしか遭ってないのだけれど、それでも彼の暗かった目が、幻想郷の様々な人妖と出会うことで、少しずつ光を取り戻していく姿を、私たちは間近で見ていた。
 結局はつまり、それだけの話だったのである。
 変わり映えのない日常に倦んだひとりの青年が、閉じこもっていた殻の外側にあった世界を知り、希望を取り戻していくという――本当にそれだけの、ひどくありがちな話だ。

 そんなわけで、私たちはそうして彼を連れ回して遊ぶことに忙しく。
 鬼人正邪さんを追う天の邪鬼大捕物は、気が付いたときには正邪さんが逃げ切って、自然消滅的に終わってしまっていた。
 天の邪鬼大捕物について私たちが何も関われなかったのは、つまりそういうことである。

 そうして――主に寺子屋の休日に、易者さんを幻想郷のあちこちに連れ回して遊ぶ日々が、気が付いたら数ヶ月になり、天の邪鬼大捕物も過去の話になって、夏がそろそろ終わろうとする葉月の終わり。
 事務所で私と蓮子、早苗さんの三人は、彼の来訪を待っていた。
「で、今日はどこ行くんですか? あと行ってないところありましたっけ」
「彼岸とか?」
「あの可愛い閻魔様のところですか? 私はいいですよ!」
 なんだかんだで、易者さんをあちこちに連れ回すことを、いつの間にか早苗さんも楽しんでいた。いや、易者さんを警戒している様子なのは相変わらずなので、単に私たちと遊び歩くのが楽しいだけなのだろうけど。
 そんなウキウキの様子の早苗さんに、しかし蓮子は少し難しい顔で腕を組んだ。
「さて――というかメリーも早苗ちゃんも、とうに気付いていると思うけど」
「何がですか? はっ、今日の蓮子さんの後ろ髪に寝癖がついてることですか!」
「違うわよ。っていうかメリー、寝癖ついてる?」
「いつ気付くかなと思ってたわ」
「ひどいわメリー。じゃなくて、易者さんをどこに連れて行くかの話よ」
 後ろ髪の寝癖を手で押さえつけつつ、蓮子はそう切り出した。
「この数ヶ月――私たちが行こうとすると、彼が話を逸らす場所があったでしょう。そろそろ、どうにかしてそこに連れて行ってみようと思うんだけど」
「え、そんなところありました?」
 早苗さんは首を傾げるが、さすがに私もそれには気付いていた。
 読者諸氏も――私が少し前に並べ立てた行き先に、重要な場所が抜けていることに気付かれたことと思う。
 即ち、彼が行きたがらないその場所の名前は。

「博麗神社に、よ」

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この小説へのコメント

  1. 易者には凶悪姉妹がついてるんか。(笑)

    最後の場所で叩き割られるか?(定番)

  2. 二人に連れていかれたせいでかち割られたらたまったものじゃないな。
    易者サラッと地底にまで行かされてて不憫。

  3. 大したことじゃないけど

    スリーピングビューティーの後に白雪姫のくだりがあるけど、スリーピングビューティーって眠れる森の美女ではなかっただろうか

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