―4―
「でも蓮子、幻想郷と外の世界とで、外来の道具を介してコミュニケーションが成立する……って、どういう状況かしら? 携帯電話でも繋がったっていうの?」
「異世界から電話で元の世界と会話できるファンタジーって斬新じゃない?」
「幽遊白書にそんなシーンなかった? 蔵馬が魔界から家族に電話してるの」
自警団詰所でお茶を飲んだ後、私たちは小兎姫さんとともに里の見回りに出ていた。腕に巻いた《自警団》の腕章が落ち着かない。どう考えても普段の私たちは取り締まられる側に相違ないというのに。寺子屋教師という公務員でありながらそれでいいのか、という指摘に関しては聞き流す方針であるが。
里の大通りを歩きながら、こそこそと内緒話をする私たちを、数歩後ろから小兎姫さんはニコニコと微笑んで見守りつつ歩いている。小兎姫さんの目を盗んで逃げるのは、いくら相棒の舌先三寸があっても難しいだろう。身体能力の圧倒的な差はいかんともしがたい。
さて、そうすると、問題の人探しを果たしてどうやって進めたものか。
「やっぱり外来の道具っていったら、まず第一に香霖堂よね」
「香霖堂のお客さんなら霖之助さんが覚えてるかもね。あとは鈴奈庵の外来本……うーん、小鈴ちゃんは確かに何か危なっかしいけど。それともあっきゅんの方かしら? あっちも大概無鉄砲だし」
「ふたりとも、私たちにとっては身近すぎない? 妖怪の賢者の言い方だと、依頼の対象は完全に私たちの盲点に居そうな感じだったけど」
「盲点ねえ……」
蓮子が後ろの小兎姫さんをちらりと振り返る。いやいや、さすがにそれもないだろう。小兎姫さんは確かに変なものを発掘する趣味をお持ちだが、自分の身は自分で守れる人だ。もちろん慧音さんだって同様である。
「やっぱり私たちの知らない誰かなんじゃないかしら。メリー、人探しにノックスの十戒は通用しないわよ。重要人物が解決編で突然出てきたって文句は言えないわ」
「大丈夫よ。探す相手が最後まで一言も喋らない人探しミステリーの名作だってあるんだし」
「宮部みゆきの『火車』? あれは誰を探すかは最初から明示されてたじゃないの」
「じゃあ、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』」
「あれは私、捜索対象の一番目立つ特徴を最初から手がかりとして利用にしないことについて物語上の合理的な理由がなくて、話自体に納得できなかったのよね」
「あの名作に対して贅沢ね。まあ、アイリッシュの小説って確かにそういうところあるけど。『暁の死線』だって三時間以内に事件解決しなきゃいけない合理的理由はなかったし……って、人探しミステリー談義してる場合じゃないでしょ」
「話を振ったのはメリーじゃない。だったら手段で考えてみましょ。外の世界と幻想郷との間で通信ができる外来の道具があるとすれば?」
「外の世界と有線で繋がってるコンピュータとか。電源は守矢神社……」
「容疑者は里の中よ、メリー。もっと原始的な手段じゃないかと思うけど。原始的な通信手段といえば、音、煙、光……」
「モールス信号とか? ほら、雷鼓さんのドラムで」
「ドンドンジャーンって? まだるっこしいわねえ。大叔母さんが超能力者だったらしいことを考えれば、非科学世紀的な方向で考えるべきかしら。魔法、奇跡、仙術……」
「お話ばかりしてないで、ちゃんとおふたりとも見回りしてくださいね~。臨時とはいえ自警団の腕章をつけてるんですから~」
と、後ろから小兎姫さんの声。私たちは小さくなるしかない。やれやれ、とりあえずは真面目に自警団の仕事を手伝わないと調査どころではなさそうだ。まあ、捜索対象が里の人間だとすれば、自警団の仕事の中で何かひょっこり手がかりが見つかるかもしれない。
そんなことを思いつつ、周囲を行き交う人々に視線を巡らせながら歩いていると――。
「あら~? 理香子ちゃ~ん!」
と、当の小兎姫さんが足を止めて、誰かへ向けて呼びかけた。その声に、そそくさと私たちとすれ違おうとしていた白衣の少女が、ぎくりと足を止める。――そして、脱兎のごとく逃げだそうとするが、小兎姫さんに白衣の裾をがっちりと掴まれていた。
「もう、逃げることないじゃないですか~。何かやましいことでもありますか? 逮捕される心当たりがあるなら自白した方が温情判決つきますよ~」
「うるさいバカ。あんたに関わりたくなかっただけだっての!」
「そんなこと言わないでくださいよ~。お友達じゃないですか~」
「あんたと友達になった覚えはない!」
捕まった白衣の少女は、眼鏡をかけた顔を思い切りしかめて小兎姫さんを睨む。なんだか、前にも今泉影狼さんやわかさぎ姫と、赤蛮奇さんとの間で見たようなやりとりである。
「あら、貴方ひょっとして、小兎姫さんがよく言ってる里の科学者さん? 前から一度会ってみたいと思ってたのよね」
蓮子が興味深そうに、白衣の少女に歩み寄る。ああ、そういえば小兎姫さんとの雑談で、そんな子がいるという話を聞いた覚えがあった。この幻想郷において「科学」を研究しているという変わり者の少女がいると。長いこと里で暮らしていればそういう変わり者の噂は聞くが、先述したように里の中では地域ごとにコミュニティが分かれていて、居住区域が違う人とは、里の日常生活の中ではなかなか縁が生まれないのである。まして私たちは、何かと里の中よりも外に足を向けることが多いが故に。――妖怪の賢者の言っていたことは、やっぱりそういう意味なのだろうか?
「そういう貴方たちは、この警察かぶれの同類でしょう。寺子屋で教師をしながら怪しげな探偵事務所をやっているっていう、何をやってるんだかわからない風来坊二人組」
「理香子ちゃんにだけは言われたくないと思いますけどね~」
「うっさい」
「あらあら、我が事務所を認知していただけているとは光栄ですわ。《秘封探偵事務所》所長、宇佐見蓮子と申します。こっちは相棒のメリー」
「……朝倉理香子。科学者です」
むすっとした顔で、少女――理香子さんは名乗る。蓮子は愉しげに笑いかけた。
「科学者って、具体的にはどんな研究を? 私も元は物理学専攻だったから、範囲の近いところなら研究の力になれるかと存じますわ」
「結構です」
「ええ? どうして」
「貴方、外来人でしょう。この警察バカから噂は聞いてます」
「もう随分昔のことですけど。心はとっくに幻想郷の住人のつもりですわ」
「それでも、貴方の知識の大部分は外来のものでしょう。つまりは鈴奈庵に流れてくる外来本に記されているような、外来の科学」
「まあ、それはその通りですが」
「それでは無意味です。私は外来の科学は、自分の手で検証できること以外は信用しないことにしているので」
理香子さんの言葉に、蓮子は肩を竦め――「ああ、なるほど」と帽子を被り直した。
「確かに、外の世界の科学は幻想郷の物理法則を十全には説明できませんわね」
「自覚があるなら結構です。外来人の協力は必要ありません」
ぷい、と理香子さんはそっぽを向く。蓮子は「参ったわね」と言わんばかりに頭を掻いた。確かに、神様や妖怪や妖精が跋扈し、人妖が平然と空を飛び、弾幕を張って戦う幻想郷を「科学」するのに、外来の科学知識はかえって邪魔にすらなろう。プランク並みの頭脳を自称する相棒が、結局霊夢さんたちが生身で空を飛ぶ幻想郷の物理法則を説明できずにいるのも、外の世界の物理学の知識が邪魔をしているからなのかもしれない。
「こんなこと言ってますけど~、理香子ちゃんは単に意地っ張りなだけですよ~」
「あんたは黙れ」
「だったら河童と仲良くすればいいじゃないですか~。あれは幻想郷の科学でしょう~?」
「私が追及しているのは人間の人間による人間のための科学! 河童はお呼びでない!」
小兎姫さんの指摘に、理香子さんは吼える。確かに科学技術に関しては、人間の里より河童のそれの方が数段進んでいる。そういう状況で、人間が独力で「科学者」をやるというのは、なるほどなかなかに茨の道であるだろう。
「人間の、人間による、人間のための科学、ですか」
蓮子のその言葉に、理香子さんは振り向いて、「そうです」と頷く。
「外来の科学は魔法や妖怪や神や幽霊の存在を説明しない点において無用の長物ですが、論理と検証を重んじる科学の手法、科学的思考に対しては、私は敬意を払います。論理的かつ理性的な目で物事を観察し、実験し、検証し、得られた知見を共有し発展させていく。それこそが、この幻想郷で人間が妖怪に抗しうる唯一の手段のはずです。博麗の巫女やこの警察バカみたいに、妖怪の土俵で人間が戦ってどうするのですか。私たち人間は、論理と理性によってこの世界の仕組みを解き明かし、魔法だの霊力だの妖力だのといった得体の知れない力に論理的整合性を見出さねばなりません。人間が妖怪を恐怖するのは、得体の知れない存在だからでしかありません。その力に、その存在に、合理的な理解をもたらし、恐怖を克服せねばなりません。それをしないから、人間は妖怪に管理される奴隷のままなのです。妖怪に恐怖心を貢ぐ、檻の中の猿のままなのです。そのような惨めな幻想郷の人間を救うのは科学です! 科学的思考なんです! 論理と理性! それこそが人間の最大の武器です!」
往来の真ん中で高らかにそう演説した理香子さんは――次の瞬間、行き交う人々の視線が集まっているのに気付いて、顔を赤らめて咳払いした。
と、それに対してぱちぱちと拍手をし始めるのが、我が相棒である。
「いやいや、この宇佐見蓮子、感服いたしましたわ。その科学的思考に対する強固な信頼、それこそ私も忘れかけていた、外の世界の科学のひとつのイデア。理香子さん、うちの寺子屋で科学の授業やりません?」
「………………こ、子供の相手は疲れるから嫌です」
「そう言わず。草の根からの意識改革ですわ。子供たちに科学的思考を身につけさせていけば、やがて幻想郷に科学革命が起こる日も」
「わっ、私は私の力で幻想郷を解き明かすのです! 失礼します!」
あ、逃げた。理香子さんは脱兎のごとく背を向けて足早に去っていってしまう。今度は小兎姫さんも引き留めはせずに、苦笑しながら見送っていた。
「理香子ちゃん、あんまり大勢の人に注目されるとあがっちゃうんですよ~」
「……ははあ、そりゃあ先生をやるのは辛いですねえ」
小兎姫さんの言葉に、蓮子も苦笑を返す。――やれやれ。
私も息を吐きながら、ふと、理香子さんの言葉が耳に残っているのを感じた。
――人間は、妖怪に管理される奴隷。
―5―
そもそもが、幻想郷は妖怪による妖怪のための楽園である。
外の世界の科学的合理主義により力を失った妖怪たちが生き延びるために、明治時代の文明水準のままで止まったままの世界。人間を里に囲い込み、その恐怖心に依存して、幻想郷の妖怪たちは生き続けている。
それはつまるところ、幻想郷の人間とは、妖怪の存在維持のための恐怖心を貢ぐ家畜であるということだ。幻想郷の人間は、妖怪にとっては体のいい食糧供給源に過ぎない――というのはまあ、斜に構えた見方であるにしても、どうしようもなく一面の真実ではある。
そうした幻想郷の理を前にして、朝倉理香子さんのように、その真実に抵抗する者、義憤を覚える者が里に一定数現れるのも、またやむを得ない仕儀には違いない。
十年一日、永遠のような停滞にまどろむ人間の里。時が止まったようなこの世界に飽き足らなくなった人間は――外の世界に、憧れるだろうか。
「そりゃまあ、そういう人間はいるでしょうね。確実に、いくらでも」
「なら、菫子さんとコンタクトを取った人間がいるとすれば、そういう人間じゃないかと思うの。里の生活に飽き足らず、今の幻想郷の在り方に不満を持っている人……」
小兎姫さんとの見回りを終え、自警団の詰所に戻ると、小兎姫さんが他の自警団に呼ばれて席を外した。これ幸いと私たちは、〝ある人間〟探しの作戦会議を再開する。
私の言葉に、蓮子は帽子の庇を弄りながら「うーん」と唸る。
「それは蓋然性が高そうだけど、どうするのよメリー。里の生活に飽いてる人間なんて、里を探せばきっといくらでもいるし、そもそも私たちは見知らぬ他人の内心を覗き見る力は持ってないのよ。地底からさとりちゃんでも呼ぶ?」
確かに、動機があったとしても、他者の内心は人間たる私たちには知り得ない。そんな力を持っているのは、心を読める地霊殿の古明地さとりさんか、あるいは――。
「おやおや、何やら私に会いたいという欲を感じるね」
「おわあ!? たっ、太子様!?」
突然第三者の声が割り込んできて、私たちは椅子から飛び上がりかける。いつの間にか、詰所の部屋の中で、小兎姫さんではない第三者がお茶を飲んでいた。神霊廟の仙人、豊聡耳神子さんである。――他人の欲を聞く力を持つ、自称聖徳太子の宗教家。
「うん、悪くない茶だ」
「太子様、どうしてこんなところに?」
「上白沢慧音殿に用があって来たのだけれど、どうやら留守のようだね」
「慧音さんに?」
「ああ。天の邪鬼の指名手配の件は聞いているかい? それに我々神霊廟も助力しようかと思ってね。どうも先に青娥が動いたようだから、青娥が何かやらかす前に、私も自分の立場を彼女に表明しておこうと思ったんだが、留守なら仕方ない。出直そう」
飄々と、後光の差しそうな笑みを浮かべて太子様はそう仰る。霍青娥さんまで、正邪さんの捕縛に動いているのか。もし青娥さんに捕まったら、正邪さんがいったいどんな目に遭うものやら、想像するだに怖ろしい。
「それはそれとして、君たちは私に会いたいという欲があったようだが?」
「ああ、はい。実は、ちょっとした理由で、今の幻想郷の体制に不満を抱いている人間を突き止める必要が生じまして。外の世界とコンタクトを取っている可能性があるのですわ」
「なるほど、その人物を突き止めるために、私の力を借りたいというわけだ。――ふむ、秘密警察のような政治的意図はなさそうだね」
太子様はちょっと眉を持ち上げてみせる。確かに、蓮子の今の言い分では、幻想郷に対する不満分子の弾圧を目論む公安とか思想警察のそれだ。
「君たちの欲からすると、興味を持っているのはその人間というより、その人間がコンタクトを取っている外の世界の相手のようだ」
「さすがは太子様、御前では隠し事はできませんわね」
「ふむ。為政者としては、そういった個人的な事情に私の力を貸すことは出来ない。私のこの力はもっと大きなことのためにあるのだからね。けれども、まあ、そうだね。人生相談の一環として、ヒントぐらいは出してあげよう」
不敵な笑みを浮かべて、太子様は蓮子と私を交互に見やった。
「ヒント、ですか」
「そう。もちろん私は、君たちの探している人間が誰かなど知らない。だが、それを突き止めるための手がかりぐらいは君たちに授けられるだろう」
「と言いますと――」
「君たちは元々は外の世界の人間だろう? 幻想郷に馴染み過ぎて、外の世界の考え方を忘れてしまったかな? 君たちの疑問を、裏返しに考えてみたまえ」
「――裏返し?」
「私からはそれだけだよ。それじゃあ、失礼」
と、太子様は突然詰所の床板をひっぺがすと、その下にするりと姿を消してしまった。突然現れたと思ったら、そんなところから出入りしていたのか。神霊廟があるという仙界に繋がっているのだろうが……。
私が呆気にとられつつ元通りになった床板を爪先で叩いていると、蓮子が「裏返し……」と呟きながら帽子の庇を弄り――そして。
「――ああ、そうか、そういうこと! ああもう、太子様の言う通りだわ! こんな簡単な答えに辿り着けないなんて、幻想郷に染まりすぎよ!」
突然、がたっと椅子が倒れそうな勢いで蓮子は立ち上がる。
「ど、どうしたの蓮子?」
「簡単な、ホントに簡単な話だったのよ! 私たちは幻想郷の側から考えすぎてたんだわ! この問題は大叔母さんの側から考えるべきだったのよ!」
「ええ?」
「幻想郷の側から外の世界にコンタクトするんじゃなく、外の世界から幻想郷にコンタクトする方法を探るべきだったんだわ! そういうのは本来、オカルトサークルたる私たちの専門分野じゃないの! 幻想郷から科学世紀にコンタクトするより、科学世紀から幻想郷にコンタクトする手段の方が限られてるに決まってるじゃない!」
「でも、それだって色々あるじゃない。夢とか、結界暴きとか」
私の言葉に、蓮子は大げさに肩を竦めた。
「メリー、それはどっちも、メリーだからできることでしょう」
「――――」
「もちろん、大叔母さんのそばにもひょっとしたら、メリーみたいな特殊な目の持ち主がいたのかもしれない。私みたいに、大叔母さんもそれで幻想郷を知ったのかもしれない。でも、そうでなかったら? 超能力者であっても、メリーのような世界の隙間、境界を見つけてしまう目とは無縁であったとしたら? それなら、大叔母さんの条件は私と同じ。私がメリー抜きで、科学世紀の理から外れた異界とコンタクトしようとするなら――」
そう言って、蓮子はポケットから一枚の硬貨を取りだした。
幻想郷では、外の世界の古い貨幣が通貨として流通している。蓮子が取りだしたのは、「昭和」という前世紀の年号が記された十円玉だった。
「降霊術」
その十円玉をテーブルに置いて、指を乗せ、蓮子は笑う。猫のように笑う。
「古き良き、最もお手軽な異界との通信手段。――コックリさんよ」
―6―
翌日。私たちは、小兎姫さんの監視の目をあの手この手でかいくぐり、その長屋の前に立っていた。人間の里の西側に佇む長屋の一角、ひとつの立て看板が、そこがただの住居でないことを示している。
そこは、迷える者に道を指し示す場所。
だが、私たちはそこに救いを求めてやってきたのではない。
――私たちが、そこにいる誰かを、救うために来たのだ。
蓮子がその長屋の戸を開ける。薄暗い土間に足を踏み入れると、上がり框に置かれた番台のような机の前に座っていた、陰気な顔をした青年がゆっくりと顔を上げた。
「いらっしゃい――初めてのお客さんだね。大先生は午後からだよ」
丸眼鏡を掛けた、腺病質そうな顔立ちの青年だった。幸の薄そうな笑みを浮かべたその青年に、蓮子はつかつかと歩み寄る。
「いえいえ。はじめまして、貴方は大先生のお弟子さん?」
「ああ……そのひとりだよ。破門寸前の落第弟子だがね」
「構わないわ。……ああ、申し遅れました。私、宇佐見蓮子と申します」
蓮子がそう名乗った瞬間――青年の、眼鏡の奥の瞼が、ぴくりと動いた。
「……宇佐見?」
「ええ、ご存じありません? 寺子屋で教師をしております」
「ああ、あの稗田の……。寺子屋の先生が占いの店にどんな御用かな。大先生はいないけれど、弟子でよければ、占って欲しい内容に応じて紹介するが――」
「探し人なんです」
「……人探しかい?」
「ええ、探しているんですよ――」
蓮子はそこで一度言葉を区切り。――その青年の目を正面から見据えて、言った。
「宇佐見菫子という人を」
「――――――」
次の瞬間、青年の顔からはっきりと血の気が引いた。
そして――蓮子を突き飛ばすように番台を蹴倒して、青年は脱兎のごとく、長屋の奥へと駆け出していく。
「まさか一発ビンゴとはね――。メリー、追うわよ!」
蓮子がその背中を追ってかけ出す。私も慌てて、蓮子の後を追った――。
* * *
話は前日に遡る。
あの後、小兎姫さんが戻って来て話は一旦そこで打ち切りになり、その後は夕刻までを私たちは自警団の詰所で過ごした。そして、戻って来た慧音さんの「大人しくしていたか?」という疑いの眼差しを受けながら自宅に戻り――。
以下は、夜の自宅で、蓮子と交わした推理である。
「でも蓮子、コックリさんで外の世界と幻想郷が繋がるなんてこと、あり得る? そんな簡単なことで幻想郷が見つかっちゃうなんて――」
「簡単なことじゃないからでしょう。それこそ、大叔母さんが超能力者だったからこそ、そんな奇跡が起きたんじゃないかと思うわ。まして、雷鼓さんのドラムの使用者と大叔母さんが繋がっていて、それを介して大叔母さんが幻想郷という世界の存在に気付いていたとしたら」
「……ここではない世界を求める菫子さんの意志と、それが存在するという確信と、外の世界にはあり得ない超常の力が重なって、外の世界と幻想郷とを、ごく単純な降霊術で偶然繋いでしまった……」
そんなことがあり得るのだろうか。……あり得るかもしれない。少なくとも、私にそれを否定するだけの論拠はない。私自身が、科学世紀の論理から外れた目を持ってしまったが故に、異界に近いところをふらふらしていた結果、こうして蓮子とともに幻想郷に来てしまった人間だ。宇佐見菫子さんも、そういう意味で私と同種の人間だったのだとすれば――。
私のように、世界の裏側を、ひどく単純な方法で見つけてしまうことも、あり得る。
「だとして……菫子さんのコックリさんでの呼び出しに、里の人間が応えられる?」
「ねえメリー。コックリさんの本質は何だと思う?」
「本質?」
「そう。コックリさんに、人は何を求めるか」
蓮子が私の瞳を覗きこむ。――コックリさん。その至極単純な降霊術を、なぜ人は好んで行うのか。それは……その目的は。
「……占い?」
「そう。コックリさんは占術なのよ。霊を呼び出し、自分の運命や他人の内心など、知り得ないことを異界に教えてもらおうとする行為。そう、占いの本質は、本来知り得ないことを、世界の論理の外側から知ろうとする行為に他ならない」
「――――」
「そして、この人間の里にもいるでしょう。占いを生業とする人々が。幻想郷の外側にある論理で、知り得ないことを知る術を磨く人々が」
「……じゃあ、つまり、菫子さんとコンタクトを取った人が、里にいるとすれば」
蓮子は頷く。
「そう。それはきっと、異界の声を聞いて、他人の運命を知ろうとする者。――易者だわ」
もちろんこの結論は、仮定に仮定を積み重ねた、砂上の楼閣に過ぎない。
しかし、そもそもいつだって、この相棒の推理は、そうした誇大妄想だ。
妖怪の賢者がそれを知った上で、『ある人間を救うこと』というひどく曖昧な指令を私たちに下したのであれば――私たちは砂上の楼閣を、現実に変えることを求められている。
「易者……。里の易者っていえば、西の長屋に有名な先生がいるわよね。何人も弟子を抱えている大先生」
「うん、私も評判は聞いたことがあるわ。よく当たるって。……でも、あの大先生はご老体よ。今さら、幻想郷の理に不満を抱いて外の世界の人間に幻想郷の情報をリークするような人とは思えない。世界の閉塞感に抵抗するのは、いつだって若い世代のやることだわ」
「……じゃあ」
「おそらく、容疑者はその弟子ね。まだ若い易者の弟子――。占術を通して外の世界を見てしまって、幻想郷の理に絶望を抱くぐらいに、世界を諦めていない人間。幻想郷の外に出てみたいと夢見る人間。ひとりぐらい、きっとそんな人間がいるはずだわ」
「なら、妖怪の賢者が私たちに、その人間を救えって言ったのは――」
私たちは見つめ合う。答えはひとつだ。
「その易者の弟子は、大叔母さんとのコンタクトを通して、何かをしようとしている。それはたぶん、その人の身に何らかの危険をもたらす行為。妖怪の賢者が私たちに求めるのは――それを阻止して、その人を救うことなんだわ!」
「でも蓮子、幻想郷と外の世界とで、外来の道具を介してコミュニケーションが成立する……って、どういう状況かしら? 携帯電話でも繋がったっていうの?」
「異世界から電話で元の世界と会話できるファンタジーって斬新じゃない?」
「幽遊白書にそんなシーンなかった? 蔵馬が魔界から家族に電話してるの」
自警団詰所でお茶を飲んだ後、私たちは小兎姫さんとともに里の見回りに出ていた。腕に巻いた《自警団》の腕章が落ち着かない。どう考えても普段の私たちは取り締まられる側に相違ないというのに。寺子屋教師という公務員でありながらそれでいいのか、という指摘に関しては聞き流す方針であるが。
里の大通りを歩きながら、こそこそと内緒話をする私たちを、数歩後ろから小兎姫さんはニコニコと微笑んで見守りつつ歩いている。小兎姫さんの目を盗んで逃げるのは、いくら相棒の舌先三寸があっても難しいだろう。身体能力の圧倒的な差はいかんともしがたい。
さて、そうすると、問題の人探しを果たしてどうやって進めたものか。
「やっぱり外来の道具っていったら、まず第一に香霖堂よね」
「香霖堂のお客さんなら霖之助さんが覚えてるかもね。あとは鈴奈庵の外来本……うーん、小鈴ちゃんは確かに何か危なっかしいけど。それともあっきゅんの方かしら? あっちも大概無鉄砲だし」
「ふたりとも、私たちにとっては身近すぎない? 妖怪の賢者の言い方だと、依頼の対象は完全に私たちの盲点に居そうな感じだったけど」
「盲点ねえ……」
蓮子が後ろの小兎姫さんをちらりと振り返る。いやいや、さすがにそれもないだろう。小兎姫さんは確かに変なものを発掘する趣味をお持ちだが、自分の身は自分で守れる人だ。もちろん慧音さんだって同様である。
「やっぱり私たちの知らない誰かなんじゃないかしら。メリー、人探しにノックスの十戒は通用しないわよ。重要人物が解決編で突然出てきたって文句は言えないわ」
「大丈夫よ。探す相手が最後まで一言も喋らない人探しミステリーの名作だってあるんだし」
「宮部みゆきの『火車』? あれは誰を探すかは最初から明示されてたじゃないの」
「じゃあ、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』」
「あれは私、捜索対象の一番目立つ特徴を最初から手がかりとして利用にしないことについて物語上の合理的な理由がなくて、話自体に納得できなかったのよね」
「あの名作に対して贅沢ね。まあ、アイリッシュの小説って確かにそういうところあるけど。『暁の死線』だって三時間以内に事件解決しなきゃいけない合理的理由はなかったし……って、人探しミステリー談義してる場合じゃないでしょ」
「話を振ったのはメリーじゃない。だったら手段で考えてみましょ。外の世界と幻想郷との間で通信ができる外来の道具があるとすれば?」
「外の世界と有線で繋がってるコンピュータとか。電源は守矢神社……」
「容疑者は里の中よ、メリー。もっと原始的な手段じゃないかと思うけど。原始的な通信手段といえば、音、煙、光……」
「モールス信号とか? ほら、雷鼓さんのドラムで」
「ドンドンジャーンって? まだるっこしいわねえ。大叔母さんが超能力者だったらしいことを考えれば、非科学世紀的な方向で考えるべきかしら。魔法、奇跡、仙術……」
「お話ばかりしてないで、ちゃんとおふたりとも見回りしてくださいね~。臨時とはいえ自警団の腕章をつけてるんですから~」
と、後ろから小兎姫さんの声。私たちは小さくなるしかない。やれやれ、とりあえずは真面目に自警団の仕事を手伝わないと調査どころではなさそうだ。まあ、捜索対象が里の人間だとすれば、自警団の仕事の中で何かひょっこり手がかりが見つかるかもしれない。
そんなことを思いつつ、周囲を行き交う人々に視線を巡らせながら歩いていると――。
「あら~? 理香子ちゃ~ん!」
と、当の小兎姫さんが足を止めて、誰かへ向けて呼びかけた。その声に、そそくさと私たちとすれ違おうとしていた白衣の少女が、ぎくりと足を止める。――そして、脱兎のごとく逃げだそうとするが、小兎姫さんに白衣の裾をがっちりと掴まれていた。
「もう、逃げることないじゃないですか~。何かやましいことでもありますか? 逮捕される心当たりがあるなら自白した方が温情判決つきますよ~」
「うるさいバカ。あんたに関わりたくなかっただけだっての!」
「そんなこと言わないでくださいよ~。お友達じゃないですか~」
「あんたと友達になった覚えはない!」
捕まった白衣の少女は、眼鏡をかけた顔を思い切りしかめて小兎姫さんを睨む。なんだか、前にも今泉影狼さんやわかさぎ姫と、赤蛮奇さんとの間で見たようなやりとりである。
「あら、貴方ひょっとして、小兎姫さんがよく言ってる里の科学者さん? 前から一度会ってみたいと思ってたのよね」
蓮子が興味深そうに、白衣の少女に歩み寄る。ああ、そういえば小兎姫さんとの雑談で、そんな子がいるという話を聞いた覚えがあった。この幻想郷において「科学」を研究しているという変わり者の少女がいると。長いこと里で暮らしていればそういう変わり者の噂は聞くが、先述したように里の中では地域ごとにコミュニティが分かれていて、居住区域が違う人とは、里の日常生活の中ではなかなか縁が生まれないのである。まして私たちは、何かと里の中よりも外に足を向けることが多いが故に。――妖怪の賢者の言っていたことは、やっぱりそういう意味なのだろうか?
「そういう貴方たちは、この警察かぶれの同類でしょう。寺子屋で教師をしながら怪しげな探偵事務所をやっているっていう、何をやってるんだかわからない風来坊二人組」
「理香子ちゃんにだけは言われたくないと思いますけどね~」
「うっさい」
「あらあら、我が事務所を認知していただけているとは光栄ですわ。《秘封探偵事務所》所長、宇佐見蓮子と申します。こっちは相棒のメリー」
「……朝倉理香子。科学者です」
むすっとした顔で、少女――理香子さんは名乗る。蓮子は愉しげに笑いかけた。
「科学者って、具体的にはどんな研究を? 私も元は物理学専攻だったから、範囲の近いところなら研究の力になれるかと存じますわ」
「結構です」
「ええ? どうして」
「貴方、外来人でしょう。この警察バカから噂は聞いてます」
「もう随分昔のことですけど。心はとっくに幻想郷の住人のつもりですわ」
「それでも、貴方の知識の大部分は外来のものでしょう。つまりは鈴奈庵に流れてくる外来本に記されているような、外来の科学」
「まあ、それはその通りですが」
「それでは無意味です。私は外来の科学は、自分の手で検証できること以外は信用しないことにしているので」
理香子さんの言葉に、蓮子は肩を竦め――「ああ、なるほど」と帽子を被り直した。
「確かに、外の世界の科学は幻想郷の物理法則を十全には説明できませんわね」
「自覚があるなら結構です。外来人の協力は必要ありません」
ぷい、と理香子さんはそっぽを向く。蓮子は「参ったわね」と言わんばかりに頭を掻いた。確かに、神様や妖怪や妖精が跋扈し、人妖が平然と空を飛び、弾幕を張って戦う幻想郷を「科学」するのに、外来の科学知識はかえって邪魔にすらなろう。プランク並みの頭脳を自称する相棒が、結局霊夢さんたちが生身で空を飛ぶ幻想郷の物理法則を説明できずにいるのも、外の世界の物理学の知識が邪魔をしているからなのかもしれない。
「こんなこと言ってますけど~、理香子ちゃんは単に意地っ張りなだけですよ~」
「あんたは黙れ」
「だったら河童と仲良くすればいいじゃないですか~。あれは幻想郷の科学でしょう~?」
「私が追及しているのは人間の人間による人間のための科学! 河童はお呼びでない!」
小兎姫さんの指摘に、理香子さんは吼える。確かに科学技術に関しては、人間の里より河童のそれの方が数段進んでいる。そういう状況で、人間が独力で「科学者」をやるというのは、なるほどなかなかに茨の道であるだろう。
「人間の、人間による、人間のための科学、ですか」
蓮子のその言葉に、理香子さんは振り向いて、「そうです」と頷く。
「外来の科学は魔法や妖怪や神や幽霊の存在を説明しない点において無用の長物ですが、論理と検証を重んじる科学の手法、科学的思考に対しては、私は敬意を払います。論理的かつ理性的な目で物事を観察し、実験し、検証し、得られた知見を共有し発展させていく。それこそが、この幻想郷で人間が妖怪に抗しうる唯一の手段のはずです。博麗の巫女やこの警察バカみたいに、妖怪の土俵で人間が戦ってどうするのですか。私たち人間は、論理と理性によってこの世界の仕組みを解き明かし、魔法だの霊力だの妖力だのといった得体の知れない力に論理的整合性を見出さねばなりません。人間が妖怪を恐怖するのは、得体の知れない存在だからでしかありません。その力に、その存在に、合理的な理解をもたらし、恐怖を克服せねばなりません。それをしないから、人間は妖怪に管理される奴隷のままなのです。妖怪に恐怖心を貢ぐ、檻の中の猿のままなのです。そのような惨めな幻想郷の人間を救うのは科学です! 科学的思考なんです! 論理と理性! それこそが人間の最大の武器です!」
往来の真ん中で高らかにそう演説した理香子さんは――次の瞬間、行き交う人々の視線が集まっているのに気付いて、顔を赤らめて咳払いした。
と、それに対してぱちぱちと拍手をし始めるのが、我が相棒である。
「いやいや、この宇佐見蓮子、感服いたしましたわ。その科学的思考に対する強固な信頼、それこそ私も忘れかけていた、外の世界の科学のひとつのイデア。理香子さん、うちの寺子屋で科学の授業やりません?」
「………………こ、子供の相手は疲れるから嫌です」
「そう言わず。草の根からの意識改革ですわ。子供たちに科学的思考を身につけさせていけば、やがて幻想郷に科学革命が起こる日も」
「わっ、私は私の力で幻想郷を解き明かすのです! 失礼します!」
あ、逃げた。理香子さんは脱兎のごとく背を向けて足早に去っていってしまう。今度は小兎姫さんも引き留めはせずに、苦笑しながら見送っていた。
「理香子ちゃん、あんまり大勢の人に注目されるとあがっちゃうんですよ~」
「……ははあ、そりゃあ先生をやるのは辛いですねえ」
小兎姫さんの言葉に、蓮子も苦笑を返す。――やれやれ。
私も息を吐きながら、ふと、理香子さんの言葉が耳に残っているのを感じた。
――人間は、妖怪に管理される奴隷。
―5―
そもそもが、幻想郷は妖怪による妖怪のための楽園である。
外の世界の科学的合理主義により力を失った妖怪たちが生き延びるために、明治時代の文明水準のままで止まったままの世界。人間を里に囲い込み、その恐怖心に依存して、幻想郷の妖怪たちは生き続けている。
それはつまるところ、幻想郷の人間とは、妖怪の存在維持のための恐怖心を貢ぐ家畜であるということだ。幻想郷の人間は、妖怪にとっては体のいい食糧供給源に過ぎない――というのはまあ、斜に構えた見方であるにしても、どうしようもなく一面の真実ではある。
そうした幻想郷の理を前にして、朝倉理香子さんのように、その真実に抵抗する者、義憤を覚える者が里に一定数現れるのも、またやむを得ない仕儀には違いない。
十年一日、永遠のような停滞にまどろむ人間の里。時が止まったようなこの世界に飽き足らなくなった人間は――外の世界に、憧れるだろうか。
「そりゃまあ、そういう人間はいるでしょうね。確実に、いくらでも」
「なら、菫子さんとコンタクトを取った人間がいるとすれば、そういう人間じゃないかと思うの。里の生活に飽き足らず、今の幻想郷の在り方に不満を持っている人……」
小兎姫さんとの見回りを終え、自警団の詰所に戻ると、小兎姫さんが他の自警団に呼ばれて席を外した。これ幸いと私たちは、〝ある人間〟探しの作戦会議を再開する。
私の言葉に、蓮子は帽子の庇を弄りながら「うーん」と唸る。
「それは蓋然性が高そうだけど、どうするのよメリー。里の生活に飽いてる人間なんて、里を探せばきっといくらでもいるし、そもそも私たちは見知らぬ他人の内心を覗き見る力は持ってないのよ。地底からさとりちゃんでも呼ぶ?」
確かに、動機があったとしても、他者の内心は人間たる私たちには知り得ない。そんな力を持っているのは、心を読める地霊殿の古明地さとりさんか、あるいは――。
「おやおや、何やら私に会いたいという欲を感じるね」
「おわあ!? たっ、太子様!?」
突然第三者の声が割り込んできて、私たちは椅子から飛び上がりかける。いつの間にか、詰所の部屋の中で、小兎姫さんではない第三者がお茶を飲んでいた。神霊廟の仙人、豊聡耳神子さんである。――他人の欲を聞く力を持つ、自称聖徳太子の宗教家。
「うん、悪くない茶だ」
「太子様、どうしてこんなところに?」
「上白沢慧音殿に用があって来たのだけれど、どうやら留守のようだね」
「慧音さんに?」
「ああ。天の邪鬼の指名手配の件は聞いているかい? それに我々神霊廟も助力しようかと思ってね。どうも先に青娥が動いたようだから、青娥が何かやらかす前に、私も自分の立場を彼女に表明しておこうと思ったんだが、留守なら仕方ない。出直そう」
飄々と、後光の差しそうな笑みを浮かべて太子様はそう仰る。霍青娥さんまで、正邪さんの捕縛に動いているのか。もし青娥さんに捕まったら、正邪さんがいったいどんな目に遭うものやら、想像するだに怖ろしい。
「それはそれとして、君たちは私に会いたいという欲があったようだが?」
「ああ、はい。実は、ちょっとした理由で、今の幻想郷の体制に不満を抱いている人間を突き止める必要が生じまして。外の世界とコンタクトを取っている可能性があるのですわ」
「なるほど、その人物を突き止めるために、私の力を借りたいというわけだ。――ふむ、秘密警察のような政治的意図はなさそうだね」
太子様はちょっと眉を持ち上げてみせる。確かに、蓮子の今の言い分では、幻想郷に対する不満分子の弾圧を目論む公安とか思想警察のそれだ。
「君たちの欲からすると、興味を持っているのはその人間というより、その人間がコンタクトを取っている外の世界の相手のようだ」
「さすがは太子様、御前では隠し事はできませんわね」
「ふむ。為政者としては、そういった個人的な事情に私の力を貸すことは出来ない。私のこの力はもっと大きなことのためにあるのだからね。けれども、まあ、そうだね。人生相談の一環として、ヒントぐらいは出してあげよう」
不敵な笑みを浮かべて、太子様は蓮子と私を交互に見やった。
「ヒント、ですか」
「そう。もちろん私は、君たちの探している人間が誰かなど知らない。だが、それを突き止めるための手がかりぐらいは君たちに授けられるだろう」
「と言いますと――」
「君たちは元々は外の世界の人間だろう? 幻想郷に馴染み過ぎて、外の世界の考え方を忘れてしまったかな? 君たちの疑問を、裏返しに考えてみたまえ」
「――裏返し?」
「私からはそれだけだよ。それじゃあ、失礼」
と、太子様は突然詰所の床板をひっぺがすと、その下にするりと姿を消してしまった。突然現れたと思ったら、そんなところから出入りしていたのか。神霊廟があるという仙界に繋がっているのだろうが……。
私が呆気にとられつつ元通りになった床板を爪先で叩いていると、蓮子が「裏返し……」と呟きながら帽子の庇を弄り――そして。
「――ああ、そうか、そういうこと! ああもう、太子様の言う通りだわ! こんな簡単な答えに辿り着けないなんて、幻想郷に染まりすぎよ!」
突然、がたっと椅子が倒れそうな勢いで蓮子は立ち上がる。
「ど、どうしたの蓮子?」
「簡単な、ホントに簡単な話だったのよ! 私たちは幻想郷の側から考えすぎてたんだわ! この問題は大叔母さんの側から考えるべきだったのよ!」
「ええ?」
「幻想郷の側から外の世界にコンタクトするんじゃなく、外の世界から幻想郷にコンタクトする方法を探るべきだったんだわ! そういうのは本来、オカルトサークルたる私たちの専門分野じゃないの! 幻想郷から科学世紀にコンタクトするより、科学世紀から幻想郷にコンタクトする手段の方が限られてるに決まってるじゃない!」
「でも、それだって色々あるじゃない。夢とか、結界暴きとか」
私の言葉に、蓮子は大げさに肩を竦めた。
「メリー、それはどっちも、メリーだからできることでしょう」
「――――」
「もちろん、大叔母さんのそばにもひょっとしたら、メリーみたいな特殊な目の持ち主がいたのかもしれない。私みたいに、大叔母さんもそれで幻想郷を知ったのかもしれない。でも、そうでなかったら? 超能力者であっても、メリーのような世界の隙間、境界を見つけてしまう目とは無縁であったとしたら? それなら、大叔母さんの条件は私と同じ。私がメリー抜きで、科学世紀の理から外れた異界とコンタクトしようとするなら――」
そう言って、蓮子はポケットから一枚の硬貨を取りだした。
幻想郷では、外の世界の古い貨幣が通貨として流通している。蓮子が取りだしたのは、「昭和」という前世紀の年号が記された十円玉だった。
「降霊術」
その十円玉をテーブルに置いて、指を乗せ、蓮子は笑う。猫のように笑う。
「古き良き、最もお手軽な異界との通信手段。――コックリさんよ」
―6―
翌日。私たちは、小兎姫さんの監視の目をあの手この手でかいくぐり、その長屋の前に立っていた。人間の里の西側に佇む長屋の一角、ひとつの立て看板が、そこがただの住居でないことを示している。
そこは、迷える者に道を指し示す場所。
だが、私たちはそこに救いを求めてやってきたのではない。
――私たちが、そこにいる誰かを、救うために来たのだ。
蓮子がその長屋の戸を開ける。薄暗い土間に足を踏み入れると、上がり框に置かれた番台のような机の前に座っていた、陰気な顔をした青年がゆっくりと顔を上げた。
「いらっしゃい――初めてのお客さんだね。大先生は午後からだよ」
丸眼鏡を掛けた、腺病質そうな顔立ちの青年だった。幸の薄そうな笑みを浮かべたその青年に、蓮子はつかつかと歩み寄る。
「いえいえ。はじめまして、貴方は大先生のお弟子さん?」
「ああ……そのひとりだよ。破門寸前の落第弟子だがね」
「構わないわ。……ああ、申し遅れました。私、宇佐見蓮子と申します」
蓮子がそう名乗った瞬間――青年の、眼鏡の奥の瞼が、ぴくりと動いた。
「……宇佐見?」
「ええ、ご存じありません? 寺子屋で教師をしております」
「ああ、あの稗田の……。寺子屋の先生が占いの店にどんな御用かな。大先生はいないけれど、弟子でよければ、占って欲しい内容に応じて紹介するが――」
「探し人なんです」
「……人探しかい?」
「ええ、探しているんですよ――」
蓮子はそこで一度言葉を区切り。――その青年の目を正面から見据えて、言った。
「宇佐見菫子という人を」
「――――――」
次の瞬間、青年の顔からはっきりと血の気が引いた。
そして――蓮子を突き飛ばすように番台を蹴倒して、青年は脱兎のごとく、長屋の奥へと駆け出していく。
「まさか一発ビンゴとはね――。メリー、追うわよ!」
蓮子がその背中を追ってかけ出す。私も慌てて、蓮子の後を追った――。
* * *
話は前日に遡る。
あの後、小兎姫さんが戻って来て話は一旦そこで打ち切りになり、その後は夕刻までを私たちは自警団の詰所で過ごした。そして、戻って来た慧音さんの「大人しくしていたか?」という疑いの眼差しを受けながら自宅に戻り――。
以下は、夜の自宅で、蓮子と交わした推理である。
「でも蓮子、コックリさんで外の世界と幻想郷が繋がるなんてこと、あり得る? そんな簡単なことで幻想郷が見つかっちゃうなんて――」
「簡単なことじゃないからでしょう。それこそ、大叔母さんが超能力者だったからこそ、そんな奇跡が起きたんじゃないかと思うわ。まして、雷鼓さんのドラムの使用者と大叔母さんが繋がっていて、それを介して大叔母さんが幻想郷という世界の存在に気付いていたとしたら」
「……ここではない世界を求める菫子さんの意志と、それが存在するという確信と、外の世界にはあり得ない超常の力が重なって、外の世界と幻想郷とを、ごく単純な降霊術で偶然繋いでしまった……」
そんなことがあり得るのだろうか。……あり得るかもしれない。少なくとも、私にそれを否定するだけの論拠はない。私自身が、科学世紀の論理から外れた目を持ってしまったが故に、異界に近いところをふらふらしていた結果、こうして蓮子とともに幻想郷に来てしまった人間だ。宇佐見菫子さんも、そういう意味で私と同種の人間だったのだとすれば――。
私のように、世界の裏側を、ひどく単純な方法で見つけてしまうことも、あり得る。
「だとして……菫子さんのコックリさんでの呼び出しに、里の人間が応えられる?」
「ねえメリー。コックリさんの本質は何だと思う?」
「本質?」
「そう。コックリさんに、人は何を求めるか」
蓮子が私の瞳を覗きこむ。――コックリさん。その至極単純な降霊術を、なぜ人は好んで行うのか。それは……その目的は。
「……占い?」
「そう。コックリさんは占術なのよ。霊を呼び出し、自分の運命や他人の内心など、知り得ないことを異界に教えてもらおうとする行為。そう、占いの本質は、本来知り得ないことを、世界の論理の外側から知ろうとする行為に他ならない」
「――――」
「そして、この人間の里にもいるでしょう。占いを生業とする人々が。幻想郷の外側にある論理で、知り得ないことを知る術を磨く人々が」
「……じゃあ、つまり、菫子さんとコンタクトを取った人が、里にいるとすれば」
蓮子は頷く。
「そう。それはきっと、異界の声を聞いて、他人の運命を知ろうとする者。――易者だわ」
もちろんこの結論は、仮定に仮定を積み重ねた、砂上の楼閣に過ぎない。
しかし、そもそもいつだって、この相棒の推理は、そうした誇大妄想だ。
妖怪の賢者がそれを知った上で、『ある人間を救うこと』というひどく曖昧な指令を私たちに下したのであれば――私たちは砂上の楼閣を、現実に変えることを求められている。
「易者……。里の易者っていえば、西の長屋に有名な先生がいるわよね。何人も弟子を抱えている大先生」
「うん、私も評判は聞いたことがあるわ。よく当たるって。……でも、あの大先生はご老体よ。今さら、幻想郷の理に不満を抱いて外の世界の人間に幻想郷の情報をリークするような人とは思えない。世界の閉塞感に抵抗するのは、いつだって若い世代のやることだわ」
「……じゃあ」
「おそらく、容疑者はその弟子ね。まだ若い易者の弟子――。占術を通して外の世界を見てしまって、幻想郷の理に絶望を抱くぐらいに、世界を諦めていない人間。幻想郷の外に出てみたいと夢見る人間。ひとりぐらい、きっとそんな人間がいるはずだわ」
「なら、妖怪の賢者が私たちに、その人間を救えって言ったのは――」
私たちは見つめ合う。答えはひとつだ。
「その易者の弟子は、大叔母さんとのコンタクトを通して、何かをしようとしている。それはたぶん、その人の身に何らかの危険をもたらす行為。妖怪の賢者が私たちに求めるのは――それを阻止して、その人を救うことなんだわ!」
第14章 深秘録編 一覧
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待ちわびてました!
幻想郷を第一に思ってる紫さんが易者さんの弟子を守ってくれと言うのなら弟子さんは幻想郷に重大な損害を与える存在なのか…?
作者です。いつもコメントありがとうございます。
『宇佐見菫子の革命』のときからちらほら誤解されてる方がいるようなのですが、
本文で説明するわけにもいかないのでここで補足しておきますと。
本作中における「易者の弟子」とは、皆さんご存じ、霊夢に割られた易者本人のことです。
【『東方鈴奈庵』4巻・第25話より】
魔理沙「長屋に住む易者の大先生の門人の中に似た占術を使っている奴がいたな 独特だったんで印象に残ってる」
魔理沙「その門人は占術が魔術を帯びてきて破門になったとか」
魔理沙「確かそいつは半年ほど前に不審な死を遂げてた気がする」
というわけで、通常「易者」と呼ばれている彼は、里においては独立した易者ではなく、
あくまで「里の有名な易者の弟子」なのです。
なので本作中でも彼(霊夢に割られた易者)を指して「易者の弟子」という表現を使っています。
東方で単に「易者」というと彼のことを指すので余計な誤解を生んでしまったようですが、
ここまでに登場した「易者の弟子」は全て彼(霊夢に割られた易者)のことを指します。
以上の旨、ご理解いただけますと幸いです。
(なお、彼の生前の姿は鈴奈庵の当該回に1コマだけ出てきてます)
ここで易者が出てくるとは…!w
旧作からの出演者もいるし、本当に楽しませていただいています。
易者が絡んでくるとは思ってませんでした。
救うということに関して蓮子がトンチキなことを言い出さないか気になります。
再開お待ちしておりましたー!!!
最近定期チェック怠ってたから二話目からの参戦ですぜー!
そしてまさかの易者登場! でもやっぱり割られるんでしょうね。易者は割られてなんぼですから(笑)
でも蓮メリも人間やめたら霊夢さんに割られるわけで。小鈴ちゃんは妖怪に近い人間枠に留まれたけど、蓮メリばどうなんでしょうね。霊夢さんにパッカーンされないことを祈るのみです。。。