―28―
「――なんですって?」
紅魔館地下、大図書館。埃っぽい空間でいつものように本に埋もれた魔女は、来客の発言にページから顔を上げ、胡乱な表情をこちらへと向けた。
「今、なんと言ったのかしら」
「お嬢様に、軽く異変を起こしていただきたいと言ったんですよ、パチュリーさん」
我が相棒は、飄々と笑って、そう繰り返す。
「別に、幻想郷を赤い霧で覆うような大規模なものでなくて構いません。ちょーっとばかり、博麗の巫女が異変を感じて、神社を留守にしてくれる程度のものでいいんです。お嬢様だって、久しぶりに博麗の巫女と戦いたい頃合いではないかと思いますし」
その言葉に、パチュリー・ノーレッジさんは、思い切り剣呑に目を眇めた。
「――いったい何を企んでいるの、人間」
要するに、古典的も古典的、あまりにもクラシカルすぎて化石としての価値しかないような、わかりやすすぎる陽動作戦である。
どういうわけか博麗神社のご神体(?)を手に入れてしまった私たちは、とりあえずこの琥珀が本当に博麗神社のご神体であるのか、それを確認しようということになった。しかしこれが、本当に博麗大結界を揺るがすような危険物なら、迂闊に人目にも晒せない。霊夢さんに見せてご神体泥棒と思われたら敵わないし、せっかくようやく手に入れた私たち自身の謎への手がかり(?)なのに、問答無用で取り上げられてしまったら元の木阿弥である。
なるべくこの琥珀は手元にキープしつつ、まずは情報をもっと集めてドレミーさんの話の裏付けを取らないと――と蓮子が言い出したのが、博麗神社本殿潜入作戦である。
思えば幻想郷に来て永く、博麗神社にも幾度となく足を運んでいるが、足を踏み入れたのは神社の居住部分の、客間として開放されている部分だけである。当然ながら、博麗神社の本殿には一度として足を踏み入れたことがない。
そこには博麗神社のご神体が祀られているはずだが、もちろん、頼んで入れてもらえるものでもないだろう。ならば潜入するしかないというわけだ。かと言って、十六夜咲夜さんのように時間を止めることも、霍青娥さんのように壁を抜けることも、古明地さんちのこいしちゃんのように他者に認識されずに動き回ることもできない、平凡な人間であるところの私たちが、勘の鋭い霊夢さんの在宅中にその目を盗んで本殿に侵入するのは無理がある。
というわけで、神社から霊夢さんを引き離そうというわけである。そういうことなら魔理沙さんに頼むのが一番早いと私は思うのだが、相棒いわく「魔理沙ちゃんにこんなこと頼んだら、絶対根掘り葉掘り事情を聞かれて首を突っ込まれるわよ」とのこと。確かに博麗神社のご神体を私たちが持っているとなれば、蒐集家の魔理沙さんはきっと興味を示すだろう。
となれば、霊夢さんを神社から引き離すのに最も確実なのは、誰かが異変を起こすことである。そして、私たちの知り合いで、戯れに異変を起こしてくれそうな強者といえば――。
「レミィをけしかけさせた上で、神社で何をする気なのかしら。賽銭泥棒? あの神社に泥棒する賽銭があるとは思えないけれど」
こちらの意図は即座に伝わったらしく、パチュリーさんは本を閉じて息を吐いた。
「だいたい、私がそんな頼みを聞いてやる義理が何かあったかしら」
「義理に関しては様々な見解がありましょうけれど、こちらにはパチュリーさんにも興味深いであろう話題を提供する用意がございますわ」
「……ふうん? 何かしら」
「博麗神社のご神体に、興味や心当たりはございません?」
蓮子の言葉に、パチュリーさんは思い切り眉間に皺を寄せる。
「ご神体? あの神社にそんなものがあったとして、怪盗ニックでも気取るつもりかしら」
「それはまた、なかなか辛辣なお言葉」
蓮子が苦笑する。ちなみに怪盗ニックは、エドワード・D・ホックが生んだ、一見して価値のないものしか盗まない泥棒である。この図書館にあったのか。気付かなかった。
「どうも最近、その博麗神社のご神体こそが、私たちが外の世界からこの幻想郷に飛ばされてきた原因であるらしいと判明したわけなのですよ。そう、幻想郷の他のどこでもなく、この紅魔館の図書館に」
「――――」
パチュリーさんの顔から、すっと表情が消えた。
その顔を見て、蓮子は帽子の庇を持ち上げ、その目を細めて、重ねて問いかける。
「もう一度伺います、パチュリーさん。博麗神社のご神体に、興味や心当たりは?」
――そう。レミリア嬢に目をつけたのは、単に乗せやすそうというだけの理由ではない。
そもそもが、私たちがこの幻想郷に迷い込んだとき、一番最初に落っこちたのが、ここ、紅魔館の地下図書館なのだ。
そう、私たちが迷い込んだのは、博麗神社ではなく紅魔館だった。――あの琥珀が博麗神社のご神体だと判明したことで、それまで見過ごしてきたその事実が、にわかに重大な意味を持ち始めたのだ。なぜ、私たちが迷い込んだのは紅魔館だったのか?
夢の中の月で、蓮子がドレミーさんに披露した推理。外の世界の霊力を宿した幻想郷の琥珀と、幻想郷の霊力を宿した外の世界の琥珀――そのふたつが外の世界と幻想郷とを繋ぐ鍵であるならば、私たちがこの琥珀の力で迷い込んだ先には、もうひとつの琥珀があったはずだ。
もちろんこれは、もうひとつの琥珀の存在が確定していない以上、推論に推論を重ねた砂上の楼閣でしかないが――。そして、私たちが過去の時代に来ていることへの説明にもなっていない不完全な推理ではあるが。けれども、重大な手がかりには間違いない。
そして、あの紅霧異変のときの相棒の推理が、真実の一端を掠めていたとしたら――。
この記録を読まれている方で、よもや私たちの最初の事件簿、紅霧異変の記録を読まれていない方はいないと思うが、記録者として念の為記しておこう。以下には、紅霧異変についての相棒の誇大妄想について言及せざるを得ないことを、お断りしておく。
パチュリーさんは黙して答えない。蓮子は肩を竦め、推理を披露する名探偵のように、その場をうろうろと歩き回り始める。
「そう、私たちはもっとこの事実を深く追求すべきだったのでしょう。なぜ、私たちは他のどこでもなく、この紅魔館の図書館に迷い込んだのか。確かあのとき、パチュリーさんは……いえ、説明してくれたのは小悪魔さんでしたか。紅魔館が幻想郷にやってきたときに開けた結界の穴から、私たちがやってきたという説明だったはずです」
「――――」
「ですが、パチュリーさん。本当にそんな穴はあったんですか? そもそも紅魔館は本当に外の世界から来た館なのでしょうか? あのとき私が語った推理がなにがしかの真実に少しでも迫っていたとしたら、紅魔館は最初から幻想郷に建てられた館のはず。……いえ、結界に穴があったのは事実でしょう。私たちを見つけたとき、パチュリーさんは確か、小悪魔さんの報告に対して、結界の穴がどうこうと反応していたはず。あの段階で得体の知れない私たち相手にそこまで念の入った演技をする意味があるとも思えませんし、仮に紅魔館があのときまだ本当に幻想郷に来たばかりだったとしても、それなりの日数は経っていたはず。そのときの結界の穴がそのまま放置されていたというのは不可解です。だとすれば、いったいパチュリーさん、貴方は何のために結界に穴を開けていたのです?」
「…………待ちなさい、人間。どうしてそんな昔のことをつい昨日のことのように語れるのかしら? 阿礼乙女でもないでしょうに」
「うちの事務所には、優秀な記録者がおりますのよ」
蓮子が私を見やって言う。私は肩を竦めるしかない。
パチュリーさんは椅子を軋ませてひとつ息を吐くと、首を鳴らすようにぐるりと回した。
「いきなりそんな昔のことを問い詰められてもね。……それで? 私はいったいどんな容疑をかけられているのかしら、名探偵さん」
「さて、今の時点ではこれ以上の手がかりがなく、なんとも申せませんが――。たとえばこの館が、吸血鬼異変で暴れた二匹の悪魔を封じるために、龍神が用意した檻であるならば。そこに外の世界へ通じる結界の穴を開けるというのは、何やら不穏な企みの気配を感じざるを得ませんね。それともまさかパチュリーさん、貴方が私たちを外の世界から幻想郷に招き入れた主犯なのでしょうか? 私たちは偶然からこの館に迷い込んだのではなく、貴方たちの計画を遂行するための観測者として招待されていたのでしょうか?」
「……幻想を土台に推理を重ねても、それはどこまでいっても幻想に過ぎないわよ、名探偵さん。誤った手がかりから真実は導き出せないわ」
「しかし、手がかりが真であることの究極的な証明もまた不可能。そうではありませんか? ならば私は、私から見て真らしく思える手がかりから、もっともらしい物語を考えるまでです。だってパチュリーさん、貴方が仰ったことではないですか。幻想郷では虚構こそが真実たり得るのだと」
「――――――」
「ですからパチュリーさん、私がまたとんでもないことを言い出す前に、話してはいただけませんか? 私たちがこの幻想郷に迷い込んだ理由について、貴方が何らかの真実の一端でもご存じであるならば――心当たりがあるならば、貴方の知っていることを、教えていただけませんか?」
―29―
「申し訳ないけれど、貴方たちの期待するような答えは持ち合わせていないわ」
長かったような、短かったような沈黙の後、パチュリーさんは溜息のようにそう答えた。
「宇佐見蓮子、貴方は世界を面白くするために、謎に首を突っ込んでいるんだったわね」
「ええ、秘密を暴く者として」
「じゃあ、とてつもなくつまらない真実を教えてあげましょう。――確かに貴方たちがこの紅魔館に迷い込んで来たとき、私が博麗大結界に穴を開けていたのは事実よ。でもそれは、貴方が面白がるような理由ではない。ものすごーく、くだらない理由よ。聞きたい?」
「そこまで思わせぶりに言われては、聞かざるを得ませんわね」
不敵な笑みを崩さない蓮子に、パチュリーさんは肩を竦めて。
「――本を買いに行っていたの」
そう答えた。
「……は? 本?」
「そうよ。この図書館の蔵書を補充するために、ちょっと外の世界へ古書を漁りに行ったの。貴方たちが出てきたのは、そのときの結界の穴」
「――――」
「ほら、聞かない方が良かったでしょう?」
呆れ顔のパチュリーさんに、蓮子は小さく唸って帽子を目深に被り直した。私はただ、その横で肩を竦めるしかない。……いやはや。
「……なるほど、参りましたわ、パチュリーさん。これはいかな名探偵でも、あまりにも卑近な弁明すぎて、かえって反証の余地が見当たりません。確かにこの図書館の蔵書には外の世界の書籍がいろいろありますから――有無を言わさぬリアリティがあって、手も足も出ませんわ」
「納得してくれたのなら結構。だから私たちは、貴方たちの結界超えに関しては完全な無実よ。貴方たちが現れて、私が一番驚いたのだもの」
「あのとき小悪魔さんは、館を幻想郷に移したときに開けた穴の修復が不完全だった、という説明をされていたと思うのですが――」
「外の世界に買い物に行くために開けた穴だなんて、くだらなさすぎるでしょう? しょうもない理由で、幻想郷に迷い込んだ貴方たちの恨みを買うのも面倒だったのよ。――ああ、小悪魔に確認しても無駄よ。どうせあの子はそんな昔のことは覚えていないでしょうし、覚えていたとしても、私が買い物のために開けていた穴は、館を移したときの穴の塞ぎ残しだとあの子に説明しておいたはずだから」
「……なるほど。では、パチュリーさんは何も知らないと」
「知らないわよ、少なくとも貴方たちについては、貴方たちの知りたがっているようなことはね。どうせ貴方たちの幻想入りの理由なんて、八雲紫の気まぐれに決まっているわ。自分によく似た人間を見つけたから、面白半分に攫ってきたとか、そんなところでしょう」
「面白半分で連れてこられて、もうどれだけ経ったことやらなんですが」
「文句は八雲紫に言いなさい。私に言うのはお門違いもいいところよ」
そう言って、パチュリーさんは本を開いてまたページに目を落とした。話は終わり、ということらしい。蓮子はゆるゆると首を横に振った。全くの空振りというわけだ。
すごすごと退散しようとすると――「ああ、そうだ」と背中に声がかかる。
「貴方たちのさっきの依頼、レミィをけしかける件だけど――次の満月の夜、四日後ね。それ合わせでいいのだったら、考えてあげなくもないわ」
思わぬ言葉に、私たちは足を止めて振り返る。
「……ありがたいお申し出ですけれど、見返りに何を要求されるのですかしら?」
肩を竦めた蓮子に、パチュリーさんは本に目を落としたまま言葉を続ける。
「博麗神社のご神体に興味がないわけじゃないのよ。博麗神社が本当は何を祀っている神社なのか、何度か調べてみたけれど結局わからないままだから。――潜入するのなら、私も同行させなさい」
「はあ、それはまあ……そうね、何かあってもパチュリーさんがいれば安心かしら。了解いたしましたわ」
やれやれ、結局は首を突っ込んでくる他者が増えるわけだ。そりゃあ、そうそう無償で私たちの都合に協力してくれるわけもあるまい。
「――それと」
と、パリュリーさんは目を細め、その視線を――私へと向けた。
「そっちの貴方、何を持っているの?」
びくりと私は身を竦める。相棒は「おや」と帽子の庇を持ち上げた。
「さすがにわかりますか」
「特に何の力も持っていないはずの人間が、妙な霊力を帯びていれば門番でも気付くわ」
「美鈴さんは特に何も言わずに通してくれましたが」
「お人好しで役に立たない門番ね」
パチュリーさんは嘆息する。私は蓮子と視線を交わして、ポケットから例の琥珀を取りだした。パチュリーさんが目を細める。
「……外の世界の霊力? 外の世界のパワーストーンかしら」
「ええまあ、そのようなものです」
「そのパワーストーンは、貴方たちの企みと何か関係があるのかしら?」
「それを確かめに、博麗神社に行く予定なんですけどね。――どうもこれ、結界に穴を開けるためのアイテムらしく」
「……ふうん、なるほど。それで霊夢の目を盗んで博麗神社から外の世界へ出てみようって魂胆かしら。それは別にいいけれど、結界に正式な穴を開けて出たら、外から結界に穴を開ける手段を確保しておかないと、そのまま幻想郷に戻って来られなくなるわよ。外の世界に帰りたいならいいでしょうけど――ん? 貴方たち、確か未来人じゃなかった?」
「ええ、今のこの時代の外の世界よりはだいぶ先の人間です」
「じゃあ、自分の先祖にでも会いに行くの? 幻想郷に戻れなくなるリスクを背負ってするには、いささか危険な時間旅行だと思うけれど」
「――どうなんですかねえ。どうしたものかと思っていたのが正直なところですが」
苦笑して、蓮子はパチュリーさんを見つめ返す。
「でしたら、こちらからも改めて同行を依頼してもよろしいですかしら、パチュリーさん。万一私たちが、博麗神社から外の世界に飛ばされたときに、私たちを幻想郷に連れ戻していただけると、大変助かるのですけれども」
「別に、そこまでする義理は思い当たらないけれど――」
パチュリーさんは思案げにひとつ嘆息する。
「……妹様の遊び相手が勝手にいなくなって、妹様に機嫌を損ねられても困るわね。まあ、いいわ。結界を通る方法は知っているから、出来る範囲で何とかしてあげる」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる蓮子に倣って、私も頭を下げる。
パチュリーさんは、何か妙なことに巻き込まれたなという顔で肩を竦めていた。
その後、琥珀を手にして図書館の中を歩き回ってみたが、特に収穫はなかった。私たちがここに来たときのように、ここから外の世界へ通じる結界の穴が開いたりするかと思ったが、特にそんなことはない。結局、なぜ私たちが飛ばされた先が紅魔館だったのかは謎のままである。
図書館を後にし、私たちは紅魔館の薄暗い廊下を歩く。
「ねえ蓮子、パチュリーさんのあの弁明、本当だと思う?」
「うーん、その場凌ぎの誤魔化しとは感じなかったわ。あの図書館に外の世界の本が多いのは事実だし――」
「『そして誰もいなくなった』の原書とかね」
「懐かしい話ね。……パチュリーさんが何か関わりがあったとしても、やっぱり、私たちが過去に来ていることの説明にはならないのよね。咲夜さんが絡んでるんだとしても、咲夜さんだって未来から私たちを連れて来られるとは思えないし、だいたい咲夜さんがそんなことをする理由も思い当たらないし……」
「あら、私は何かの容疑者にされているのでしょうか?」
いきなり背後から声。驚いて振り向くと、いつの間にか咲夜さんがそこにいた。まあ、彼女が突然現れるのはいつものことだけれど、背後に出現するのはやめてほしい。
「いえいえ、滅相もございませんわ。咲夜さんの時間を操る能力には、いったいどこまでのことが可能なのかという思考実験の話に過ぎません」
「過去に戻ることは出来ませんわ。ですから、お二人が未来からこの幻想郷にいらしたことに関しましては、はっきり無実と申し上げておきます」
聞かれていたらしい、ばつの悪い思いで私たちは身を縮こまらせる。
「そんなことが可能だとすれば、あの八雲紫ぐらいのものでしょう」
「結局はそこに戻るんですよねえ」
堂々巡りである。私たちが幻想郷に来て以来、その原因の第一容疑者であり続けている妖怪の賢者。けれど、決定的な証拠も証言もないまま、だらだらと時間だけが過ぎて今に至るわけである。結局、彼女が蓮子の前に姿を現さないことが全てなのだろうか……。
「要は、お二人はなぜ、お二人から見て過去の時代の、そしてこの紅魔館に迷い込んだのか、というお話かと推察いたしますが。パチュリー様へのお話もその件でしたのでしょう?」
「名探偵ですわね、咲夜さん」
「では、時間の専門家の名探偵らしく、この十六夜、僭越ながらひとつの仮説をば」
咲夜さんは瀟洒に微笑んで、言葉を続ける。
「お二人はなぜ、未来の外の世界から、今のこの幻想郷に迷い込まれたのか。お二人の幻想郷入りは、二段階に分けて起きた現象なのではないでしょうか?」
「――――」
「困難は分割せよと申します。つまり、結界超えと時間超えは別々の現象であったと解釈すれば、お二人の疑問を説明しやすくなるのではないかと」
「……それはつまり、私たちは本当は一度私たちと同じ時代の幻想郷に迷い込んでから、それとは別の力でこの過去の幻想郷に飛ばされた――と?」
「そう考えた方が、スッキリと筋が通るのではございませんか?」
私たちはただ、顔を見合わせるしかなかった。
―30―
咲夜さんの提示した二段階仮説は、確かに現象をスッキリと説明できるものではあった。
私たちは本来、この琥珀の力で博麗大結界を超え、もっと未来の幻想郷に現れるはずだった。だが、そこに何者かが干渉して、私たちを過去の、この時代の幻想郷へ連れてきた――。
確かにそう考えれば、八雲紫にせよ宇佐見菫子さんにせよ、未来の外の世界から過去の幻想郷へ一直線に私たちを送りこんだと考えるより、現象として筋が通る。
「問題は、私には未来の幻想郷を見た記憶がないことなのよねえ。メリーもそうでしょ?」
「確かにね。気が付いたら紅魔館だったし」
その日の夜。自宅で私たちは、咲夜さんの二段階仮説について話し合っていた。
「未来の幻想郷を見る前に妖怪の賢者が私たちを過去へパスしたんじゃない?」
「私たちが未来の幻想郷に迷い込んだら、妖怪の賢者に何か不都合があったっていうの? 本当にメリーのそっくりさんの考えてることはさっぱりわからないわ」
「そんなこと、私に言われても。未来の幻想郷は今よりもっと危険な場所で、今の幻想郷が一番安全な時代だったとか?」
「結局私たちは最初から妖怪の賢者に保護され続けてるってオチ? それだったら過去なんかに送らないでさっさと元の世界に送り返すべきだったんじゃないの」
「まあ、それはそうね」
結局のところ、妖怪の賢者の動機を考えても、本人に話を聞けない限りは永遠に堂々巡りなのである。されど、私たちにとって最も肝心な謎こそが、その妖怪の賢者の動機であるという困った話だ。
ホワイダニット・ミステリは、対象が合理的で一貫性のある行動を取っていないと謎を推理で解き明かしようがない。気まぐれや思いつき、発作的な行動は推理のしようがないのであり、そして不合理な行動を一切しない人間は現実にはいないという点に、ホワイダニットの抱えるジレンマがある。まして、誰に聞いても「得体の知れない」「何を考えているのかわからない」と評される妖怪の賢者ともなれば、人間にその行動原理が推理できようか。
前進しているようで、迷いの竹林で同じところをぐるぐる回っているような徒労感。しかし、私たち自身の謎に道案内をしてくれる妹紅さんはいないわけで、なんとか自力で目印をつけていくしかないわけだが――。
「……ねえ、蓮子。過去の自分に会えるとしたら、蓮子はどうする?」
「うん? 過去の自分に――ねえ。そうねえ」
私のその問いに、蓮子はふっと目を細めて、私の顔を見つめた。
「メリーと出会う前の自分に会えるなら、貴方の頭脳を捧げるに値する最高のパートナーと大学で出会えるから楽しみにしてなさい、って教えてあげるわね」
「……はいはい、じゃあ私は、大学で傍迷惑な誇大妄想家につけ回されて人生を棒に振るから覚悟しておきなさいって伝えることにするわ」
「あら、その誇大妄想家から逃げなさいとは言わないであげるのね」
「逃げたって捕まるもの、どうせね」
「捕まえるわよ。メリーがどこにいたって、必ず」
にじり寄ってきた蓮子が、ぎゅっと私に背後から腕を回してくる。背中にかかる蓮子の重みに、私はただ息を吐いて、蓮子の手に自分の手を重ねた。
――ずっとこのまま、永遠に堂々巡りを続けていられればいい。
そう思っていないと言ったら、嘘になる。
私はたぶん、解き明かしてしまいたくないのだ。今のこの謎を。
私たち自身が、なぜこの世界にいるのかというこの謎を解いてしまったら――この蓮子との、遊惰で幸福な、驚異に充ちた幻想郷での暮らしが、終わってしまう気がして。
私はただ、ずっとここで、蓮子と世界の不思議を追いかけ続けていられたら。
たぶん――それが、それだけが、私の幸せなのだ。
妖怪の賢者も、宇佐見菫子さんも、本当はきっとどうでもいい。
私はただ、謎に目を輝かせ、自信満々に誇大妄想を語る相棒を、横で見ていたいだけ――。
それは、贅沢な願いなのだろうか?
私たちはずっと……ずっと? ずっと、いつまでも……。
この幻想郷で、もう、ずっとそうして――。
………………そう、してきたのだから。
* * *
その晩、また蓮子と一緒に夢を見た。場所は月の都ではなく、いつか見た記憶のある無機質な空間。そこに、ドレミー・スイートさんが私たちを待ち構えていた。
「やあやあ、たびたび失礼します。サグメの方から、少し貴方がたに相談があるようでして、貴方たちの夢にお邪魔しています。サグメ本人はいませんがね」
「おや、これはこれは、ドレミーさんの方から夢の世界にお呼びいただけるとは。またあの月の都に連れていっていただけません? 兎さんたちとちゃんとお別れできていませんし」
「ダメです。あそこは関係者以外立入禁止なのです」
「あら残念。蓬莱の薬のこととか、いろいろ聞いてみたかったんですが」
「――あまりそういうことに興味本位で首を突っ込むと、どうなっても知りませんよ」
じろりとドレミーさんに睨まれ、蓮子はおどけてホールドアップする。嘆息したドレミーさんは、「全く、本当に手の掛かる人間たちです」とぼやいて、それから咳払い。
「サグメからの相談ごとについて伝えます。本当は貴方たちを巻き込みたくはなかったのですが、まあ外の世界をよく知る貴方たちが最も詳しいだろうということで――」
「あら、どんなことでしょう?」
首を傾げた蓮子に、ドレミーさんは肩を竦める。
「正直、私は気が進まないんですがね。――外の世界に、月にまつわる、もっともらしい噂話は何かありませんか? たとえば、月には隠された文明がある、というような――」
「――なんですって?」
紅魔館地下、大図書館。埃っぽい空間でいつものように本に埋もれた魔女は、来客の発言にページから顔を上げ、胡乱な表情をこちらへと向けた。
「今、なんと言ったのかしら」
「お嬢様に、軽く異変を起こしていただきたいと言ったんですよ、パチュリーさん」
我が相棒は、飄々と笑って、そう繰り返す。
「別に、幻想郷を赤い霧で覆うような大規模なものでなくて構いません。ちょーっとばかり、博麗の巫女が異変を感じて、神社を留守にしてくれる程度のものでいいんです。お嬢様だって、久しぶりに博麗の巫女と戦いたい頃合いではないかと思いますし」
その言葉に、パチュリー・ノーレッジさんは、思い切り剣呑に目を眇めた。
「――いったい何を企んでいるの、人間」
要するに、古典的も古典的、あまりにもクラシカルすぎて化石としての価値しかないような、わかりやすすぎる陽動作戦である。
どういうわけか博麗神社のご神体(?)を手に入れてしまった私たちは、とりあえずこの琥珀が本当に博麗神社のご神体であるのか、それを確認しようということになった。しかしこれが、本当に博麗大結界を揺るがすような危険物なら、迂闊に人目にも晒せない。霊夢さんに見せてご神体泥棒と思われたら敵わないし、せっかくようやく手に入れた私たち自身の謎への手がかり(?)なのに、問答無用で取り上げられてしまったら元の木阿弥である。
なるべくこの琥珀は手元にキープしつつ、まずは情報をもっと集めてドレミーさんの話の裏付けを取らないと――と蓮子が言い出したのが、博麗神社本殿潜入作戦である。
思えば幻想郷に来て永く、博麗神社にも幾度となく足を運んでいるが、足を踏み入れたのは神社の居住部分の、客間として開放されている部分だけである。当然ながら、博麗神社の本殿には一度として足を踏み入れたことがない。
そこには博麗神社のご神体が祀られているはずだが、もちろん、頼んで入れてもらえるものでもないだろう。ならば潜入するしかないというわけだ。かと言って、十六夜咲夜さんのように時間を止めることも、霍青娥さんのように壁を抜けることも、古明地さんちのこいしちゃんのように他者に認識されずに動き回ることもできない、平凡な人間であるところの私たちが、勘の鋭い霊夢さんの在宅中にその目を盗んで本殿に侵入するのは無理がある。
というわけで、神社から霊夢さんを引き離そうというわけである。そういうことなら魔理沙さんに頼むのが一番早いと私は思うのだが、相棒いわく「魔理沙ちゃんにこんなこと頼んだら、絶対根掘り葉掘り事情を聞かれて首を突っ込まれるわよ」とのこと。確かに博麗神社のご神体を私たちが持っているとなれば、蒐集家の魔理沙さんはきっと興味を示すだろう。
となれば、霊夢さんを神社から引き離すのに最も確実なのは、誰かが異変を起こすことである。そして、私たちの知り合いで、戯れに異変を起こしてくれそうな強者といえば――。
「レミィをけしかけさせた上で、神社で何をする気なのかしら。賽銭泥棒? あの神社に泥棒する賽銭があるとは思えないけれど」
こちらの意図は即座に伝わったらしく、パチュリーさんは本を閉じて息を吐いた。
「だいたい、私がそんな頼みを聞いてやる義理が何かあったかしら」
「義理に関しては様々な見解がありましょうけれど、こちらにはパチュリーさんにも興味深いであろう話題を提供する用意がございますわ」
「……ふうん? 何かしら」
「博麗神社のご神体に、興味や心当たりはございません?」
蓮子の言葉に、パチュリーさんは思い切り眉間に皺を寄せる。
「ご神体? あの神社にそんなものがあったとして、怪盗ニックでも気取るつもりかしら」
「それはまた、なかなか辛辣なお言葉」
蓮子が苦笑する。ちなみに怪盗ニックは、エドワード・D・ホックが生んだ、一見して価値のないものしか盗まない泥棒である。この図書館にあったのか。気付かなかった。
「どうも最近、その博麗神社のご神体こそが、私たちが外の世界からこの幻想郷に飛ばされてきた原因であるらしいと判明したわけなのですよ。そう、幻想郷の他のどこでもなく、この紅魔館の図書館に」
「――――」
パチュリーさんの顔から、すっと表情が消えた。
その顔を見て、蓮子は帽子の庇を持ち上げ、その目を細めて、重ねて問いかける。
「もう一度伺います、パチュリーさん。博麗神社のご神体に、興味や心当たりは?」
――そう。レミリア嬢に目をつけたのは、単に乗せやすそうというだけの理由ではない。
そもそもが、私たちがこの幻想郷に迷い込んだとき、一番最初に落っこちたのが、ここ、紅魔館の地下図書館なのだ。
そう、私たちが迷い込んだのは、博麗神社ではなく紅魔館だった。――あの琥珀が博麗神社のご神体だと判明したことで、それまで見過ごしてきたその事実が、にわかに重大な意味を持ち始めたのだ。なぜ、私たちが迷い込んだのは紅魔館だったのか?
夢の中の月で、蓮子がドレミーさんに披露した推理。外の世界の霊力を宿した幻想郷の琥珀と、幻想郷の霊力を宿した外の世界の琥珀――そのふたつが外の世界と幻想郷とを繋ぐ鍵であるならば、私たちがこの琥珀の力で迷い込んだ先には、もうひとつの琥珀があったはずだ。
もちろんこれは、もうひとつの琥珀の存在が確定していない以上、推論に推論を重ねた砂上の楼閣でしかないが――。そして、私たちが過去の時代に来ていることへの説明にもなっていない不完全な推理ではあるが。けれども、重大な手がかりには間違いない。
そして、あの紅霧異変のときの相棒の推理が、真実の一端を掠めていたとしたら――。
この記録を読まれている方で、よもや私たちの最初の事件簿、紅霧異変の記録を読まれていない方はいないと思うが、記録者として念の為記しておこう。以下には、紅霧異変についての相棒の誇大妄想について言及せざるを得ないことを、お断りしておく。
パチュリーさんは黙して答えない。蓮子は肩を竦め、推理を披露する名探偵のように、その場をうろうろと歩き回り始める。
「そう、私たちはもっとこの事実を深く追求すべきだったのでしょう。なぜ、私たちは他のどこでもなく、この紅魔館の図書館に迷い込んだのか。確かあのとき、パチュリーさんは……いえ、説明してくれたのは小悪魔さんでしたか。紅魔館が幻想郷にやってきたときに開けた結界の穴から、私たちがやってきたという説明だったはずです」
「――――」
「ですが、パチュリーさん。本当にそんな穴はあったんですか? そもそも紅魔館は本当に外の世界から来た館なのでしょうか? あのとき私が語った推理がなにがしかの真実に少しでも迫っていたとしたら、紅魔館は最初から幻想郷に建てられた館のはず。……いえ、結界に穴があったのは事実でしょう。私たちを見つけたとき、パチュリーさんは確か、小悪魔さんの報告に対して、結界の穴がどうこうと反応していたはず。あの段階で得体の知れない私たち相手にそこまで念の入った演技をする意味があるとも思えませんし、仮に紅魔館があのときまだ本当に幻想郷に来たばかりだったとしても、それなりの日数は経っていたはず。そのときの結界の穴がそのまま放置されていたというのは不可解です。だとすれば、いったいパチュリーさん、貴方は何のために結界に穴を開けていたのです?」
「…………待ちなさい、人間。どうしてそんな昔のことをつい昨日のことのように語れるのかしら? 阿礼乙女でもないでしょうに」
「うちの事務所には、優秀な記録者がおりますのよ」
蓮子が私を見やって言う。私は肩を竦めるしかない。
パチュリーさんは椅子を軋ませてひとつ息を吐くと、首を鳴らすようにぐるりと回した。
「いきなりそんな昔のことを問い詰められてもね。……それで? 私はいったいどんな容疑をかけられているのかしら、名探偵さん」
「さて、今の時点ではこれ以上の手がかりがなく、なんとも申せませんが――。たとえばこの館が、吸血鬼異変で暴れた二匹の悪魔を封じるために、龍神が用意した檻であるならば。そこに外の世界へ通じる結界の穴を開けるというのは、何やら不穏な企みの気配を感じざるを得ませんね。それともまさかパチュリーさん、貴方が私たちを外の世界から幻想郷に招き入れた主犯なのでしょうか? 私たちは偶然からこの館に迷い込んだのではなく、貴方たちの計画を遂行するための観測者として招待されていたのでしょうか?」
「……幻想を土台に推理を重ねても、それはどこまでいっても幻想に過ぎないわよ、名探偵さん。誤った手がかりから真実は導き出せないわ」
「しかし、手がかりが真であることの究極的な証明もまた不可能。そうではありませんか? ならば私は、私から見て真らしく思える手がかりから、もっともらしい物語を考えるまでです。だってパチュリーさん、貴方が仰ったことではないですか。幻想郷では虚構こそが真実たり得るのだと」
「――――――」
「ですからパチュリーさん、私がまたとんでもないことを言い出す前に、話してはいただけませんか? 私たちがこの幻想郷に迷い込んだ理由について、貴方が何らかの真実の一端でもご存じであるならば――心当たりがあるならば、貴方の知っていることを、教えていただけませんか?」
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「申し訳ないけれど、貴方たちの期待するような答えは持ち合わせていないわ」
長かったような、短かったような沈黙の後、パチュリーさんは溜息のようにそう答えた。
「宇佐見蓮子、貴方は世界を面白くするために、謎に首を突っ込んでいるんだったわね」
「ええ、秘密を暴く者として」
「じゃあ、とてつもなくつまらない真実を教えてあげましょう。――確かに貴方たちがこの紅魔館に迷い込んで来たとき、私が博麗大結界に穴を開けていたのは事実よ。でもそれは、貴方が面白がるような理由ではない。ものすごーく、くだらない理由よ。聞きたい?」
「そこまで思わせぶりに言われては、聞かざるを得ませんわね」
不敵な笑みを崩さない蓮子に、パチュリーさんは肩を竦めて。
「――本を買いに行っていたの」
そう答えた。
「……は? 本?」
「そうよ。この図書館の蔵書を補充するために、ちょっと外の世界へ古書を漁りに行ったの。貴方たちが出てきたのは、そのときの結界の穴」
「――――」
「ほら、聞かない方が良かったでしょう?」
呆れ顔のパチュリーさんに、蓮子は小さく唸って帽子を目深に被り直した。私はただ、その横で肩を竦めるしかない。……いやはや。
「……なるほど、参りましたわ、パチュリーさん。これはいかな名探偵でも、あまりにも卑近な弁明すぎて、かえって反証の余地が見当たりません。確かにこの図書館の蔵書には外の世界の書籍がいろいろありますから――有無を言わさぬリアリティがあって、手も足も出ませんわ」
「納得してくれたのなら結構。だから私たちは、貴方たちの結界超えに関しては完全な無実よ。貴方たちが現れて、私が一番驚いたのだもの」
「あのとき小悪魔さんは、館を幻想郷に移したときに開けた穴の修復が不完全だった、という説明をされていたと思うのですが――」
「外の世界に買い物に行くために開けた穴だなんて、くだらなさすぎるでしょう? しょうもない理由で、幻想郷に迷い込んだ貴方たちの恨みを買うのも面倒だったのよ。――ああ、小悪魔に確認しても無駄よ。どうせあの子はそんな昔のことは覚えていないでしょうし、覚えていたとしても、私が買い物のために開けていた穴は、館を移したときの穴の塞ぎ残しだとあの子に説明しておいたはずだから」
「……なるほど。では、パチュリーさんは何も知らないと」
「知らないわよ、少なくとも貴方たちについては、貴方たちの知りたがっているようなことはね。どうせ貴方たちの幻想入りの理由なんて、八雲紫の気まぐれに決まっているわ。自分によく似た人間を見つけたから、面白半分に攫ってきたとか、そんなところでしょう」
「面白半分で連れてこられて、もうどれだけ経ったことやらなんですが」
「文句は八雲紫に言いなさい。私に言うのはお門違いもいいところよ」
そう言って、パチュリーさんは本を開いてまたページに目を落とした。話は終わり、ということらしい。蓮子はゆるゆると首を横に振った。全くの空振りというわけだ。
すごすごと退散しようとすると――「ああ、そうだ」と背中に声がかかる。
「貴方たちのさっきの依頼、レミィをけしかける件だけど――次の満月の夜、四日後ね。それ合わせでいいのだったら、考えてあげなくもないわ」
思わぬ言葉に、私たちは足を止めて振り返る。
「……ありがたいお申し出ですけれど、見返りに何を要求されるのですかしら?」
肩を竦めた蓮子に、パチュリーさんは本に目を落としたまま言葉を続ける。
「博麗神社のご神体に興味がないわけじゃないのよ。博麗神社が本当は何を祀っている神社なのか、何度か調べてみたけれど結局わからないままだから。――潜入するのなら、私も同行させなさい」
「はあ、それはまあ……そうね、何かあってもパチュリーさんがいれば安心かしら。了解いたしましたわ」
やれやれ、結局は首を突っ込んでくる他者が増えるわけだ。そりゃあ、そうそう無償で私たちの都合に協力してくれるわけもあるまい。
「――それと」
と、パリュリーさんは目を細め、その視線を――私へと向けた。
「そっちの貴方、何を持っているの?」
びくりと私は身を竦める。相棒は「おや」と帽子の庇を持ち上げた。
「さすがにわかりますか」
「特に何の力も持っていないはずの人間が、妙な霊力を帯びていれば門番でも気付くわ」
「美鈴さんは特に何も言わずに通してくれましたが」
「お人好しで役に立たない門番ね」
パチュリーさんは嘆息する。私は蓮子と視線を交わして、ポケットから例の琥珀を取りだした。パチュリーさんが目を細める。
「……外の世界の霊力? 外の世界のパワーストーンかしら」
「ええまあ、そのようなものです」
「そのパワーストーンは、貴方たちの企みと何か関係があるのかしら?」
「それを確かめに、博麗神社に行く予定なんですけどね。――どうもこれ、結界に穴を開けるためのアイテムらしく」
「……ふうん、なるほど。それで霊夢の目を盗んで博麗神社から外の世界へ出てみようって魂胆かしら。それは別にいいけれど、結界に正式な穴を開けて出たら、外から結界に穴を開ける手段を確保しておかないと、そのまま幻想郷に戻って来られなくなるわよ。外の世界に帰りたいならいいでしょうけど――ん? 貴方たち、確か未来人じゃなかった?」
「ええ、今のこの時代の外の世界よりはだいぶ先の人間です」
「じゃあ、自分の先祖にでも会いに行くの? 幻想郷に戻れなくなるリスクを背負ってするには、いささか危険な時間旅行だと思うけれど」
「――どうなんですかねえ。どうしたものかと思っていたのが正直なところですが」
苦笑して、蓮子はパチュリーさんを見つめ返す。
「でしたら、こちらからも改めて同行を依頼してもよろしいですかしら、パチュリーさん。万一私たちが、博麗神社から外の世界に飛ばされたときに、私たちを幻想郷に連れ戻していただけると、大変助かるのですけれども」
「別に、そこまでする義理は思い当たらないけれど――」
パチュリーさんは思案げにひとつ嘆息する。
「……妹様の遊び相手が勝手にいなくなって、妹様に機嫌を損ねられても困るわね。まあ、いいわ。結界を通る方法は知っているから、出来る範囲で何とかしてあげる」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる蓮子に倣って、私も頭を下げる。
パチュリーさんは、何か妙なことに巻き込まれたなという顔で肩を竦めていた。
その後、琥珀を手にして図書館の中を歩き回ってみたが、特に収穫はなかった。私たちがここに来たときのように、ここから外の世界へ通じる結界の穴が開いたりするかと思ったが、特にそんなことはない。結局、なぜ私たちが飛ばされた先が紅魔館だったのかは謎のままである。
図書館を後にし、私たちは紅魔館の薄暗い廊下を歩く。
「ねえ蓮子、パチュリーさんのあの弁明、本当だと思う?」
「うーん、その場凌ぎの誤魔化しとは感じなかったわ。あの図書館に外の世界の本が多いのは事実だし――」
「『そして誰もいなくなった』の原書とかね」
「懐かしい話ね。……パチュリーさんが何か関わりがあったとしても、やっぱり、私たちが過去に来ていることの説明にはならないのよね。咲夜さんが絡んでるんだとしても、咲夜さんだって未来から私たちを連れて来られるとは思えないし、だいたい咲夜さんがそんなことをする理由も思い当たらないし……」
「あら、私は何かの容疑者にされているのでしょうか?」
いきなり背後から声。驚いて振り向くと、いつの間にか咲夜さんがそこにいた。まあ、彼女が突然現れるのはいつものことだけれど、背後に出現するのはやめてほしい。
「いえいえ、滅相もございませんわ。咲夜さんの時間を操る能力には、いったいどこまでのことが可能なのかという思考実験の話に過ぎません」
「過去に戻ることは出来ませんわ。ですから、お二人が未来からこの幻想郷にいらしたことに関しましては、はっきり無実と申し上げておきます」
聞かれていたらしい、ばつの悪い思いで私たちは身を縮こまらせる。
「そんなことが可能だとすれば、あの八雲紫ぐらいのものでしょう」
「結局はそこに戻るんですよねえ」
堂々巡りである。私たちが幻想郷に来て以来、その原因の第一容疑者であり続けている妖怪の賢者。けれど、決定的な証拠も証言もないまま、だらだらと時間だけが過ぎて今に至るわけである。結局、彼女が蓮子の前に姿を現さないことが全てなのだろうか……。
「要は、お二人はなぜ、お二人から見て過去の時代の、そしてこの紅魔館に迷い込んだのか、というお話かと推察いたしますが。パチュリー様へのお話もその件でしたのでしょう?」
「名探偵ですわね、咲夜さん」
「では、時間の専門家の名探偵らしく、この十六夜、僭越ながらひとつの仮説をば」
咲夜さんは瀟洒に微笑んで、言葉を続ける。
「お二人はなぜ、未来の外の世界から、今のこの幻想郷に迷い込まれたのか。お二人の幻想郷入りは、二段階に分けて起きた現象なのではないでしょうか?」
「――――」
「困難は分割せよと申します。つまり、結界超えと時間超えは別々の現象であったと解釈すれば、お二人の疑問を説明しやすくなるのではないかと」
「……それはつまり、私たちは本当は一度私たちと同じ時代の幻想郷に迷い込んでから、それとは別の力でこの過去の幻想郷に飛ばされた――と?」
「そう考えた方が、スッキリと筋が通るのではございませんか?」
私たちはただ、顔を見合わせるしかなかった。
―30―
咲夜さんの提示した二段階仮説は、確かに現象をスッキリと説明できるものではあった。
私たちは本来、この琥珀の力で博麗大結界を超え、もっと未来の幻想郷に現れるはずだった。だが、そこに何者かが干渉して、私たちを過去の、この時代の幻想郷へ連れてきた――。
確かにそう考えれば、八雲紫にせよ宇佐見菫子さんにせよ、未来の外の世界から過去の幻想郷へ一直線に私たちを送りこんだと考えるより、現象として筋が通る。
「問題は、私には未来の幻想郷を見た記憶がないことなのよねえ。メリーもそうでしょ?」
「確かにね。気が付いたら紅魔館だったし」
その日の夜。自宅で私たちは、咲夜さんの二段階仮説について話し合っていた。
「未来の幻想郷を見る前に妖怪の賢者が私たちを過去へパスしたんじゃない?」
「私たちが未来の幻想郷に迷い込んだら、妖怪の賢者に何か不都合があったっていうの? 本当にメリーのそっくりさんの考えてることはさっぱりわからないわ」
「そんなこと、私に言われても。未来の幻想郷は今よりもっと危険な場所で、今の幻想郷が一番安全な時代だったとか?」
「結局私たちは最初から妖怪の賢者に保護され続けてるってオチ? それだったら過去なんかに送らないでさっさと元の世界に送り返すべきだったんじゃないの」
「まあ、それはそうね」
結局のところ、妖怪の賢者の動機を考えても、本人に話を聞けない限りは永遠に堂々巡りなのである。されど、私たちにとって最も肝心な謎こそが、その妖怪の賢者の動機であるという困った話だ。
ホワイダニット・ミステリは、対象が合理的で一貫性のある行動を取っていないと謎を推理で解き明かしようがない。気まぐれや思いつき、発作的な行動は推理のしようがないのであり、そして不合理な行動を一切しない人間は現実にはいないという点に、ホワイダニットの抱えるジレンマがある。まして、誰に聞いても「得体の知れない」「何を考えているのかわからない」と評される妖怪の賢者ともなれば、人間にその行動原理が推理できようか。
前進しているようで、迷いの竹林で同じところをぐるぐる回っているような徒労感。しかし、私たち自身の謎に道案内をしてくれる妹紅さんはいないわけで、なんとか自力で目印をつけていくしかないわけだが――。
「……ねえ、蓮子。過去の自分に会えるとしたら、蓮子はどうする?」
「うん? 過去の自分に――ねえ。そうねえ」
私のその問いに、蓮子はふっと目を細めて、私の顔を見つめた。
「メリーと出会う前の自分に会えるなら、貴方の頭脳を捧げるに値する最高のパートナーと大学で出会えるから楽しみにしてなさい、って教えてあげるわね」
「……はいはい、じゃあ私は、大学で傍迷惑な誇大妄想家につけ回されて人生を棒に振るから覚悟しておきなさいって伝えることにするわ」
「あら、その誇大妄想家から逃げなさいとは言わないであげるのね」
「逃げたって捕まるもの、どうせね」
「捕まえるわよ。メリーがどこにいたって、必ず」
にじり寄ってきた蓮子が、ぎゅっと私に背後から腕を回してくる。背中にかかる蓮子の重みに、私はただ息を吐いて、蓮子の手に自分の手を重ねた。
――ずっとこのまま、永遠に堂々巡りを続けていられればいい。
そう思っていないと言ったら、嘘になる。
私はたぶん、解き明かしてしまいたくないのだ。今のこの謎を。
私たち自身が、なぜこの世界にいるのかというこの謎を解いてしまったら――この蓮子との、遊惰で幸福な、驚異に充ちた幻想郷での暮らしが、終わってしまう気がして。
私はただ、ずっとここで、蓮子と世界の不思議を追いかけ続けていられたら。
たぶん――それが、それだけが、私の幸せなのだ。
妖怪の賢者も、宇佐見菫子さんも、本当はきっとどうでもいい。
私はただ、謎に目を輝かせ、自信満々に誇大妄想を語る相棒を、横で見ていたいだけ――。
それは、贅沢な願いなのだろうか?
私たちはずっと……ずっと? ずっと、いつまでも……。
この幻想郷で、もう、ずっとそうして――。
………………そう、してきたのだから。
* * *
その晩、また蓮子と一緒に夢を見た。場所は月の都ではなく、いつか見た記憶のある無機質な空間。そこに、ドレミー・スイートさんが私たちを待ち構えていた。
「やあやあ、たびたび失礼します。サグメの方から、少し貴方がたに相談があるようでして、貴方たちの夢にお邪魔しています。サグメ本人はいませんがね」
「おや、これはこれは、ドレミーさんの方から夢の世界にお呼びいただけるとは。またあの月の都に連れていっていただけません? 兎さんたちとちゃんとお別れできていませんし」
「ダメです。あそこは関係者以外立入禁止なのです」
「あら残念。蓬莱の薬のこととか、いろいろ聞いてみたかったんですが」
「――あまりそういうことに興味本位で首を突っ込むと、どうなっても知りませんよ」
じろりとドレミーさんに睨まれ、蓮子はおどけてホールドアップする。嘆息したドレミーさんは、「全く、本当に手の掛かる人間たちです」とぼやいて、それから咳払い。
「サグメからの相談ごとについて伝えます。本当は貴方たちを巻き込みたくはなかったのですが、まあ外の世界をよく知る貴方たちが最も詳しいだろうということで――」
「あら、どんなことでしょう?」
首を傾げた蓮子に、ドレミーさんは肩を竦める。
「正直、私は気が進まないんですがね。――外の世界に、月にまつわる、もっともらしい噂話は何かありませんか? たとえば、月には隠された文明がある、というような――」
第14章 深秘録編 一覧
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月の都のオカルトボール作成か…
冒頭から何言ってるんだ?は今に始まったことじゃないけど、パッチェさん?外に?買い物?
そういえば、紅魔館の大図書館ってあたりも不思議だったなあ。最初ってだけで気にしなかったけど、よくよく考えたらなんで?になるな。飛ぶなら無縁塚とか迷いの森とかあったはずなのに。
月の文明…これは閃光のハサウェイ延期からのアナハイム・エレクトロニクス社フラグですね…間違いない
「幻想郷にきて『永』く」など、深秘録編に入ってから、時間経過に対して「長」ではなく「永」の字を使っているのがとっても気になります。
時間ループの示唆でしょうか?気になります。
確かになんで大図書館なのだろうか?偶々穴が開いてたとしても他に穴が空いてるところとかあったはず。
無縁塚とか博麗神社の裏等…その辺も改めて気になりますね。