―1―
「――ある人間を救うこと? ……それだけ?」
宇佐見蓮子は、訝しげに目をしばたたかせた。
時は第一二九季の春。寺子屋が休みの、うららかな午前。場所は寺子屋の離れ、無から閑古鳥を生み出す永久機関、閑古鳥無限増殖炉たる、我が《秘封探偵事務所》。普段は閑古鳥の雛を数えるしかやることがない事務所に、前夜、思わぬ人物――いや、思わぬ妖怪から持ち込まれた依頼を巡って、私と蓮子は顔を突き合わせていた。
『貴方たちへの依頼――それは、ある人間を救うことよ』
それが前夜、妖怪の賢者・八雲紫から私へともたらされた、依頼内容である。
「うん、それだけ。あとは『よろしくお願いしますわ、秘封倶楽部さん』って言って、妖怪の賢者は消えちゃったわ」
「メリーってば、まーた私の見てないところで妖怪の賢者と逢い引きしてたの? このうわきものー。宇佐見蓮子さんというものがありながらー」
口を尖らせる蓮子の脳天に、私は黙ってチョップ。こっちは真面目な話をしているのだ。
「痛っ、もうメリー、暴力反対。あと妖怪の賢者との逢い引きも反対」
「仕方ないでしょ、向こうが蓮子とどうしても会いたくないみたいなんだから」
「なんでなのかしらねえ。私、妖怪の賢者にそこまで嫌われてる?」
蓮子は腕を組んで唸る。妖怪の賢者、八雲紫は、これまで一度たりとも蓮子の前には姿を現していない。私の前には何度か現れているというのに――。
その謎に対して、私は実は、既にひとつの仮説を抱いている。ただ、仮にそれが正しいとして、どうしてそうなるのかも、仮にそうだったとしてもそのことに果たしてどんな意味があるのかも、私には判断のしようがなかった。
我が相棒と違って、私には誇大妄想癖はないのであるからして、仮説は所詮、稚拙な妄想に過ぎない。それを目の前の相棒に語ったところで、妖怪の賢者と会ったことがない蓮子がそれを確認することはおそらく出来ないし、相棒の誇大妄想癖を悪化させるばかりだろう。
「とにかく、妖怪の賢者によれば、それが宇佐見菫子さんに繋がる糸口になるらしいわ」
「ある人間を救うことが? ある人間って言われてもねえ。幻想郷にいったい何人の人間がいることやら」
蓮子は頭を掻く。人間の里の人口は実際、山間の寒村というような規模ではない。ちょっとした小都市……とまでは言わないが、外の世界に持っていけば市町村の町ぐらいにはなれると思う。地域ごとにコミュニティが分かれていることもあり、少なくとも、住人皆顔見知り、という規模ではないのだ。だからこそ、私たちのような外来人が住み着いたり、妖怪が変装して買い物に来ても白眼視されないのである。これを意外と閉鎖的でないと取るか、あるいは各コミュニティの閉鎖性ゆえに生じる相互無関心と見るべきかは微妙なところだ。
閑話休題。
「メリー、いくらなんでもヒントが少なすぎるわ。他に妖怪の賢者は何て言ってたの?」
「ええと、そうね――確か」
私は前夜、妖怪の賢者と交わした会話を思い出す。そう、彼女は確かこう言っていた――。
『あのドラムの付喪神に目をつけたのは悪くない着眼点だったわ。惜しかったわね。あの付喪神は重要な存在ではあるけれど、ひとつのきっかけに過ぎなかった』
『もっと大切な存在は、貴方たちの視界の外に隠れているのよ。この幻想郷で、人間の社会の外側にばかり目を向けている貴方たちには決して見えないところに――』
私がその言葉を伝えると、蓮子は難しい顔をしてまた唸る。
――ドラムの付喪神とは、もちろん堀川雷鼓さんのことだ。雷鼓さんの持つドラムの、外の世界での使用者が、どうも宇佐見菫子さんと繋がりがあるらしいのだが、そのあたりの詳しい話は前回、付喪神異変の記録を参照していただきたい。
宇佐見菫子さん。私たちより遥か昔に《秘封倶楽部》を名乗っていたらしい、蓮子の大叔母さん。伝聞によれば超能力者であり、私たちをこの幻想郷に導いた元凶の可能性が高い人物のひとり。私たちが彼女の部屋から幻想郷にたどり着くことを予期していたかのような言葉を残して、昏睡状態に陥ったまま亡くなったというその人――。
一度だけ、私は幼い頃の彼女と会ったことがある。詳しい話は春雪異変の記録を参照していただきたいが、しかしあれは今となっては、本当に現実のことだったのかもわからないほどに朧気な記憶でしかなかった。
何にせよ――宇佐見菫子さんの昏睡と、幻想郷に何らかの因果関係があることは明らかだ。彼女が昏睡に陥った原因が、幻想郷にあるのだとすれば……。
「……やっぱり、ある人間って、宇佐見菫子さんなんじゃないの?」
「大叔母さんが昏睡に陥ってそのまま亡くなるのを防ぐために、私たちが八十年前の幻想郷に飛ばされたって? まあ、時間SFなら定番のシチュエーションだけど――いくらなんでも飛ばす先が昔すぎたでしょ。今大叔母さんを救えっていうなら、私たちを飛ばす時代はもっと最近で良かったじゃない」
「それは確かにそうだけど……」
紅魔館で紅霧異変に巻き込まれてから現在まで、気付けば随分と年月が経っている。蓮子と京都で過ごした時間より、幻想郷で一緒に暮らした時間の方がもうずっと長い。
「長生きの妖怪のやることだから、時間感覚も大雑把だったんじゃない?」
「そういう論理で否定しにくい可能性を挙げるの止めてよメリー。気まぐれ、うっかり、無意識、衝動、大雑把は論理の天敵よ。合理的な理由のない謎は名探偵にも解き明かせないわ。だいたい、そんないい加減な真相じゃ面白くないじゃない!」
「……確認不能な異変の真相ならともかく、私たち自身に関わる謎まで『面白いか否か』を基準に解決しようとしないでくれない? 名探偵さん」
「何言ってるのよメリー。秘封倶楽部は世界の秘密を暴くもの。つまらない論理より面白い推理。世界を面白くするためのオカルトサークルなんだから」
無い胸を張って蓮子は笑う。私はそっと溜息をついた。
「まあ、大叔母さんの昏睡の原因は、個人的にもお祖父ちゃんのために解決してあげたいところだけど――それはそれとして、その妖怪の賢者の言葉からすれば、依頼対象の『ある人間』っていうのは、やっぱり里の人間よね。人間の社会の外側にばかり目を向けている私たちには、決して見えないところにいる大切な存在……少なくとも、霊夢ちゃんや魔理沙ちゃんじゃないのは確定だわ」
「そのふたりはそもそも、私たちが救うとかそういう次元にいないと思うけど」
霊夢さんや魔理沙さんを私たちが助ける? 想像しがたい状況だ。逆ならともかく。
「で、それが大叔母さんの手がかりに繋がるっていうなら――。里の中に、大叔母さんと何らかの形で繋がっている人間がいて、それを救えっていうことじゃない?」
「救うって、何から?」
「さあねえ。だいたい、里の人間ってだけじゃ減らせる容疑者が幻想郷の全人口のうちたった数人かそこらじゃない。幻想郷の人間は大半が里の住民なんだから」
「エラリー・クイーンの『アメリカ銃の謎』みたいね。容疑者はスタジアムの二万人!」
「二万人全員の名前を登場人物一覧には書けないわよ、メリー」
仰る通りである。幻想郷の人口は、さすがに二万人はいないと思うが。
うーん、と蓮子とふたりで唸っていると、突然、事務所の入口の戸が挨拶もなく開かれた。顔を上げると、我が事務所の非常勤助手が満面の笑顔でそこにいる。
「おっはよーございます!」
「あら、いらっしゃい早苗ちゃん」
守矢神社の風祝、東風谷早苗さんである。いつもの調子で事務所に上がりこんでくる早苗さんに、私は蓮子の顔を見て、それからお互い肩を竦めた。
そういえば、この現人神の少女も、人間ではあるけれども――。
「……まあ、少なくともねえ、メリー」
「そうね、早苗さんって可能性だけは、絶対ないわね」
だいいち、里の住人でもないし、私たちに距離が近すぎるし。
「はい? なんですか? なんかいきなり失礼なこと仰ってませんか!?」
身を乗り出してむくれる早苗さんに、私と蓮子は「なんでもない、なんでも」と笑った。
―2―
とはいうものの。
曲がりなりにも宗教家であり、人間の里における守矢神社の布教活動を一手に担っている早苗さんは、こう見えて意外と里では顔が広い。私たちの前では外の世界の漫画アニメゲーム大好きのマイペースなはっちゃけ少女であるけれども、風祝としてのお仕事モードの早苗さんは、なんだかんだ言って落ち着いた、ちゃんとした巫女に見えなくもない。
「人助けですか? え、所長が? 人助け? 蓮子さん、頭でも打ちました?」
「ナチュラルボーン失礼ね早苗ちゃん。宗教家でしょ? 何か助けを求めている里の住人の心当たりない?」
「そう言われましても……。神社は願掛けは受け付けますけど人生相談は受け付けませんし。そういうのはお寺か仙人の領分ですよ。こっちは神ですから! だいたい世の中の悩みなんて衣食住とお金があれば解決しますし! そういう人にはおみくじと金運上昇のお守りを売るのが神社の仕事です!」
蓮子とは明らかにサイズの違う胸を張る早苗さん。いや、胸を張って言うことか?
「もちろん人々の不安には真摯に耳を傾けますけど。信仰の対価として御利益で安心を与えるのが神社ですから、細かい事情まで突っ込んで聞くようなことはしませんし、聞いたとしても直接アドバイスしたりしませんよ、神様は」
「まあ、そうよねえ」
蓮子は肩を竦める。そんな蓮子を、早苗さんはジト目で見つめた。
「いきなり所長があの寺子屋の先生みたいな善の心に目覚めたとも思えませんし、閻魔様から何か苦役でも課されました? それともウチの商売敵になる方針です?」
「いやいや、宗教家になるつもりはないわよ。――実はね、人助けをして欲しいっていう依頼を受けたんだけど、肝心の助ける相手が誰なのかわからないのよね」
「なんですかそれ。刑事罰代わりの社会奉仕活動ですか?」
「罪を犯したつもりはないんだけどねえ」
蓮子が頭を掻いて言うと――その場に、さらに新たな人影と声が割り込んでくる。
「私が知っているのは、無断外泊、危険地帯踏み入りの常習犯だがな。これまでの行いを悔い改めて社会奉仕活動に励むというなら大歓迎だぞ。自警団の腕章をあげてもいい」
「げっ、慧音さん!? 今日は寺子屋休みですよ!?」
「げっ、とはなんだ。まったく、今度は何の悪巧みをしているんだ」
事務所の入口に立って、腰に手を当てて上白沢慧音さんは大きく息を吐いた。
我らが保護者にして職場の上司たる慧音さんの前では、私たちも小さくなる他ない。早苗さんだけは「あ、こんにちはー」と能天気に笑っている。そういえばこの記録ではこのふたりの対面を書いた覚えがないが、私たちの友人であり里で布教する機会が多いこともあって、早苗さんと慧音さんはちゃんと顔見知りである。
「まったく、君たちのこの探偵の仕事とやらはいつまで経っても繁盛しないし、危険なことばかりしているし、私も生徒の自主性は尊重する主義だが、君たちは教師なんだぞ。そろそろ腰を落ち着けたらどうだ?」
「いやいや慧音さん、ご勘弁を。ほら、早苗ちゃんも何か言ってよ」
「えー? 私にそんなこと言われても困りますよぉ」
早苗さんの背後に隠れようとする蓮子に、慧音さんはまた溜息。
「で、誰から人助けの依頼を受けたって?」
「それは探偵の守秘義務がございますのでご勘弁を」
「何が守秘義務だ。自警団に来るか? 拾得物の落とし主や孤独な老人、ちょっとした諍いごとまで、困っている人ならいくらでもいるぞ」
まったく、平和な自警団である。いや、幻想郷が平和である分には、慧音さんの負担も少なくて良いことなのだが。特に面霊気の起こした異変の頃には慧音さんも大変そうだったし、私たちとしても慧音さんには身体を大事にしてほしいと思う。
「というか、暇なら自警団を手伝ってくれると有難いんだがな」
「え? どうしたんですか。自警団が忙しくなるようなことありました?」
「以前に異変を起こした、お尋ね者の天の邪鬼が逃げ回っているという話は聞いてるだろう?」
「ええ、まあ」
付喪神異変の主犯、鬼人正邪さんである。知っているも何も、私と蓮子は妹紅さんと連れだって輝針城に乗りこんで戦ったり捕まったりしたのだが、その件は慧音さんには未だに内緒にしている案件である。詳しいことは前回の記録を参照してほしい。
「その天の邪鬼を捕まえた者には報償が出る――という噂が流れてきてな。この前の異変で被害を被った影狼やわかさぎ姫、赤蛮奇あたりが天の邪鬼狩りに動きだしているらしい」
「あ、そうですそうです! 私もその件で来たんですよ!」
と、早苗さんが身を乗り出してくる。正邪さんを捕まえた者に報償? いったい誰が……って、考えるまでもない。報償を出してでも正邪さんを止めたいという意志を持っているのは、共にレジスタンスを組んでいた少名針妙丸さん以外にないだろう。打ち出の小槌という文句のつけようのない報酬の出所もある。
「この前の異変は私、蚊帳の外でしたから! ここは一発お尋ね者の天の邪鬼をふんじばって守矢神社の異変解決能力を世に知らしめるときかと! というわけでおふたりとも、一緒に天の邪鬼を捕まえて信仰ガッポリいただきましょう!」
「こら、君はともかく一般人のふたりを巻き込むな」
慧音さんが顔をしかめて、早苗さんの首根っこを掴む。「なにをー」とじたばたする早苗さんの頭を押さえつけて、慧音さんはこちらを軽く睨んだ。
「私はその件で釘を刺しに来たんだ。君たちのことだからどうせこの話を聞けば首を突っ込みたがるに決まっているからな。なぜだか妹紅まで乗り気だし……」
私たちは顔を見合わせる。妹紅さんが乗り気な理由は、やはり前回の記録を参照のこと。
「どうもだいぶ大事になりそうだ。君たちと面識のある影狼やわかさぎ姫はともかく、他にも報償目当てに天の邪鬼を追っている妖怪がいろいろいるようだからな。いいか、この件には君たちは誰に何と言われようと首を突っ込まないことだ。いいな?」
「はあ。……慧音さんはどうするんです?」
「私も出る。普段はこういうことは霊夢に任せるんだが、この前の異変は道具の付喪神化で里にも影響が出たからな。無視もできないし、こういうことは自警団でも私が適任だ。――というわけで、私がそっちにかかっている間、私の代わりに君たちに自警団に詰めてもらえると助かるわけだが」
――なるほど、そうきたか。私たちの無茶無謀はいつも慧音さんの頭痛の種であるという自覚はある。これまで随分自由にやらせてもらってきたが、さすがに慧音さんも、いい加減私たちに首輪をつけないといけないと考えを改めたらしい。自業自得と言われればそれまでだが。
蓮子が、どうする? という顔で私を見る。どうもこうもないでしょ、と私は肩を竦めるしかなかった。正邪さんの身柄確保となれば、例の異変に首を突っ込んだ私たちとしても他人事ではないが、その事情を慧音さんには明かせないわけで。となると、唯々諾々と従う以外の選択肢など最初からありはしない。
「いやー、慧音さん、そんないきなり自警団と言われましても」
「大丈夫だ、今は里も落ち着いているから、里の中で危険なことはないだろう。例の天の邪鬼は私が誓って里には近づけさせない。万一に備えて君たちには小兎姫をつけるから、仕事のやり方は小兎姫から聞いてくれ。――以上、何か質問、反論は?」
「……ございませんわ。では不肖《秘封探偵事務所》、自警団臨時団員を拝命いたします」
ははー、と事務所の畳の上で平伏する蓮子。「えー」と早苗さんが不服の声をあげるが、慧音さんに軽く睨まれると、蛇に睨まれた蛙のように小さくなっていた。
「……慧音さんはいい人だと思いますけど、学校教師として見ると、個人的に理詰めで生徒の反論を潰してくる先生って私苦手なんですよね……。私、理屈を超越した生徒だったので」
慧音さんが去ったあと、早苗さんはそうぼやいていた。やれやれ。
―3―
というわけで、里の自警団詰所が《秘封探偵事務所》臨時出張所になってしまった。
「よろしくお願いしますね~」
「どうもこちらこそ。小兎姫さんは天の邪鬼捕り物には行かないんですか?」
「行きたいですよ! 犯罪者を捕まえるのが警察の使命です! でも慧音さんからおふたりを頼むと任されてしまいましたからね~。警察官は上司の命令には従わないといけないのです」
「それはどうも申し訳ない。どうぞ私たちのことは放っておいてくださっても」
「いえいえ~、他ならぬ慧音さんの指示ですから~。件の天の邪鬼が里に逃げ込んでくる可能性だってありますしね~」
小兎姫さんはそう言ってほわほわと笑う。慧音さんが部下から信頼されているのは何よりだが、逃げられそうもないと解って相棒は溜息をついていた。そんな蓮子と私に、小兎姫さんは楽しげに自警団の腕章を手渡してくる。
ちなみに早苗さんは、天の邪鬼捕り物の方に向かったので私たちとは別行動である。まあ、早苗さんがいては話がややこしくなること請け合いなので、別にいいのだけれども。
「ところで、何か人助けの心に目覚められたとか~?」
「いやあ、探偵事務所への依頼ですわ。依頼人が言葉足らずで、ある人間を助けて欲しいと依頼されたんですけど、誰を助ければいいのかが知らされませんでして」
「それは困った依頼人さんですね~。私が聞きだしに参りましょうか~?」
「いやいや、会おうと思って会える相手でもなく。小兎姫さん、何か心当たりございません?」
「う~ん、一口に助けると言っても色々ですからね~」
そりゃそうである。妖怪の賢者の依頼は正確には「ある人間を救うこと」だが、それが「生命の危機から命を救う」ことなのか、「精神的に追いつめられた状況から解放する」ことなのか、「金銭的に逼迫した相手に金を融通する」ことなのか、「救う」という言葉だけでは特定できない。ちなみに閑古鳥の処分費用にも事欠く私たちに金銭的な救いを求められても困る。
ある人間を救うこと――この一言から推理を展開しろと言われても、ハリイ・ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』より難易度が高いと言わざるを得ない。
「でも、他でもないおふたりに依頼が来たということは、おふたりが助けるべき人というのは、おふたりが解決できる類いの問題を抱えている、と考えられるのではないでしょうか~?」
「ふむ」
「たとえばですけど~、おふたりとも、大金貸してくださいって言われて貸せます~?」
「無理ですわ」
「無理です」
「ですよね~。そういうのはお金を持っている人のところに行くべきですし、あるいは精神的な救済でしたら宗教家のところに行くべきでしょう~。病気なら医者に行くべきですし、妖怪に襲われているなら博麗神社なり自警団なりに駆け込むべきです。でも、そのいずれでもなく、蓮子さんとメリーさんのところに依頼が来たということは、それらでは出来ない類いの助けを求めている人がいる、ということではないでしょうか~」
「なるほど、確かにそれは一理ありますわ」
帽子の庇を弄りながら蓮子が頷く。
私たちにしか出来ない助け――しかし、そう言われても。
「メリー、私たちにしか出来ないことって何だと思う? 宇佐見蓮子さんとしては、やはり幻想郷のタフ・ネゴシエイターとしての実績を買われて交渉ごとの依頼じゃないかと思うけど」
「どんな実績があるっていうのよ、蓮子に。トンデモ解決しかしない交渉人さん」
「ひどいー」
蓮子がむくれる。蓮子の才能は交渉ではなく人を集めるプロデューサーかコーディネーターの方だと思うが、才能と本人の目指すところが一致しないのは悲しいかなよくある話である。
「でも実際、おふたりは妖怪に顔が広いですから、そういう依頼かもしれないですね~。妖怪相手の商売がしたい人が、仲介を求めてるとか~」
「うーん、そういう話なのかしら……」
腕を組んで蓮子は唸る。小兎姫さんは「お茶でも淹れますね~」と立ち上がった。詰所の一室に残されて、私は蓮子を振り返る。
「ねえ蓮子。もっとストレートに考えてみない?」
「っていうと?」
「妖怪の賢者は、今回の私たちへの依頼が、宇佐見菫子さんへの手がかりになるって言ってるのよ。そう考えると――対象が私たちでないといけない依頼っていうことは」
「なるほど。……外の世界の知識、ね」
そう、二〇八〇年代の未来から来た私たちは、まだ二一世紀初頭のこの時代の外の世界については歴史的な知識しかないが、逆に言えばその後が辿る歴史をある程度まで知っている。
「でもメリー、妖怪の賢者は人間を救えって言ったんでしょう? 里の人間を、私たちの外の世界の知識で救う……幻想郷で新型コロナウイルスでも流行るっていうの? それなら永遠亭の八意先生の出番よね」
「そうよねえ。最近は新しい外来人が来たっていう話も聞かないし、まさか里の中に、自由に結界を超えて外の世界とコンタクトが取れる人がいるとも思えないし――」
私がそう呟いた瞬間、蓮子はがばっと顔を上げた。
「メリー、それだわ!」
「え?」
「妖怪の賢者は、私たちが雷鼓さんに目をつけたのを、悪くない着眼点だって言ったんでしょう? 雷鼓さんはどうして外の世界の大叔母さんを認識していたか覚えてる?」
「え、それは、外の世界のドラム――」
あ、と私は蓮子の顔を見つめた。蓮子は大きく頷く。
「外の世界の道具よ! 道具の魔力は博麗大結界を超えて、外の世界と幻想郷を繋ぐ。だとすれば――何かの道具を介して、大叔母さんと繋がってしまった人間が里にいるかもしれないじゃない! そう、雷鼓さんは外の世界の光景を視ただけだって言うけれど、もし、その道具を介して、外の世界とコミュニケーションが取れたりしたら――」
そこまで言って、蓮子は帽子の庇を強く握りしめ、そして低い声で言った。
「ねえ、メリー。仮に大叔母さんの昏睡の原因が幻想郷にあったとして、大叔母さんはどうやって幻想郷のことを知ったんだと思う?」
その問いに、私は息を飲む。
「……宇佐見菫子さんに、幻想郷のことを教えた人が、里にいる?」
「そうよ! それだわ! 私たちが見つけるべきは、その人よ!」
蓮子が立ち上がる。同時に、湯飲みを載せたお盆を持って戻って来た小兎姫さんが、驚いてたたらを踏んだ。
「あら、どうしたんですか~?」
「小兎姫さん、ちょっと失礼! 自警団員宇佐見蓮子、並びに同メリー、里の見回りに出動いたします! いざ!」
私の手を掴んで、蓮子は詰所を飛び出そうとする。が――。
「ダメですよ~」
がっし、とその肩を掴んだのは、笑顔の小兎姫さんだった。
「あ、あの、小兎姫さん?」
「おふたりが勝手な行動をしないように見張っていろと、慧音さんから言いつかっていますので~。見回りは私も賛成ですけど、とりあえずお茶を飲んでからにしませんか~?」
「いや、あの、ええと」
「せっかく~、私が~、淹れた~、お茶を~、飲んでからに~、しませんか~?」
ぎりぎりぎり。蓮子の肩が軋む。小兎姫さんの笑顔が怖い。
「い、痛い痛い、痛いです小兎姫さん、いただきます、お茶いただきます!」
「はい、ゆっくりお茶にしましょう~」
――なるほど、小兎姫さんは立派な自警団員である。
掴まれた肩をさする蓮子に、私はただ溜息をついて肩を竦めるしかなかった。
「――ある人間を救うこと? ……それだけ?」
宇佐見蓮子は、訝しげに目をしばたたかせた。
時は第一二九季の春。寺子屋が休みの、うららかな午前。場所は寺子屋の離れ、無から閑古鳥を生み出す永久機関、閑古鳥無限増殖炉たる、我が《秘封探偵事務所》。普段は閑古鳥の雛を数えるしかやることがない事務所に、前夜、思わぬ人物――いや、思わぬ妖怪から持ち込まれた依頼を巡って、私と蓮子は顔を突き合わせていた。
『貴方たちへの依頼――それは、ある人間を救うことよ』
それが前夜、妖怪の賢者・八雲紫から私へともたらされた、依頼内容である。
「うん、それだけ。あとは『よろしくお願いしますわ、秘封倶楽部さん』って言って、妖怪の賢者は消えちゃったわ」
「メリーってば、まーた私の見てないところで妖怪の賢者と逢い引きしてたの? このうわきものー。宇佐見蓮子さんというものがありながらー」
口を尖らせる蓮子の脳天に、私は黙ってチョップ。こっちは真面目な話をしているのだ。
「痛っ、もうメリー、暴力反対。あと妖怪の賢者との逢い引きも反対」
「仕方ないでしょ、向こうが蓮子とどうしても会いたくないみたいなんだから」
「なんでなのかしらねえ。私、妖怪の賢者にそこまで嫌われてる?」
蓮子は腕を組んで唸る。妖怪の賢者、八雲紫は、これまで一度たりとも蓮子の前には姿を現していない。私の前には何度か現れているというのに――。
その謎に対して、私は実は、既にひとつの仮説を抱いている。ただ、仮にそれが正しいとして、どうしてそうなるのかも、仮にそうだったとしてもそのことに果たしてどんな意味があるのかも、私には判断のしようがなかった。
我が相棒と違って、私には誇大妄想癖はないのであるからして、仮説は所詮、稚拙な妄想に過ぎない。それを目の前の相棒に語ったところで、妖怪の賢者と会ったことがない蓮子がそれを確認することはおそらく出来ないし、相棒の誇大妄想癖を悪化させるばかりだろう。
「とにかく、妖怪の賢者によれば、それが宇佐見菫子さんに繋がる糸口になるらしいわ」
「ある人間を救うことが? ある人間って言われてもねえ。幻想郷にいったい何人の人間がいることやら」
蓮子は頭を掻く。人間の里の人口は実際、山間の寒村というような規模ではない。ちょっとした小都市……とまでは言わないが、外の世界に持っていけば市町村の町ぐらいにはなれると思う。地域ごとにコミュニティが分かれていることもあり、少なくとも、住人皆顔見知り、という規模ではないのだ。だからこそ、私たちのような外来人が住み着いたり、妖怪が変装して買い物に来ても白眼視されないのである。これを意外と閉鎖的でないと取るか、あるいは各コミュニティの閉鎖性ゆえに生じる相互無関心と見るべきかは微妙なところだ。
閑話休題。
「メリー、いくらなんでもヒントが少なすぎるわ。他に妖怪の賢者は何て言ってたの?」
「ええと、そうね――確か」
私は前夜、妖怪の賢者と交わした会話を思い出す。そう、彼女は確かこう言っていた――。
『あのドラムの付喪神に目をつけたのは悪くない着眼点だったわ。惜しかったわね。あの付喪神は重要な存在ではあるけれど、ひとつのきっかけに過ぎなかった』
『もっと大切な存在は、貴方たちの視界の外に隠れているのよ。この幻想郷で、人間の社会の外側にばかり目を向けている貴方たちには決して見えないところに――』
私がその言葉を伝えると、蓮子は難しい顔をしてまた唸る。
――ドラムの付喪神とは、もちろん堀川雷鼓さんのことだ。雷鼓さんの持つドラムの、外の世界での使用者が、どうも宇佐見菫子さんと繋がりがあるらしいのだが、そのあたりの詳しい話は前回、付喪神異変の記録を参照していただきたい。
宇佐見菫子さん。私たちより遥か昔に《秘封倶楽部》を名乗っていたらしい、蓮子の大叔母さん。伝聞によれば超能力者であり、私たちをこの幻想郷に導いた元凶の可能性が高い人物のひとり。私たちが彼女の部屋から幻想郷にたどり着くことを予期していたかのような言葉を残して、昏睡状態に陥ったまま亡くなったというその人――。
一度だけ、私は幼い頃の彼女と会ったことがある。詳しい話は春雪異変の記録を参照していただきたいが、しかしあれは今となっては、本当に現実のことだったのかもわからないほどに朧気な記憶でしかなかった。
何にせよ――宇佐見菫子さんの昏睡と、幻想郷に何らかの因果関係があることは明らかだ。彼女が昏睡に陥った原因が、幻想郷にあるのだとすれば……。
「……やっぱり、ある人間って、宇佐見菫子さんなんじゃないの?」
「大叔母さんが昏睡に陥ってそのまま亡くなるのを防ぐために、私たちが八十年前の幻想郷に飛ばされたって? まあ、時間SFなら定番のシチュエーションだけど――いくらなんでも飛ばす先が昔すぎたでしょ。今大叔母さんを救えっていうなら、私たちを飛ばす時代はもっと最近で良かったじゃない」
「それは確かにそうだけど……」
紅魔館で紅霧異変に巻き込まれてから現在まで、気付けば随分と年月が経っている。蓮子と京都で過ごした時間より、幻想郷で一緒に暮らした時間の方がもうずっと長い。
「長生きの妖怪のやることだから、時間感覚も大雑把だったんじゃない?」
「そういう論理で否定しにくい可能性を挙げるの止めてよメリー。気まぐれ、うっかり、無意識、衝動、大雑把は論理の天敵よ。合理的な理由のない謎は名探偵にも解き明かせないわ。だいたい、そんないい加減な真相じゃ面白くないじゃない!」
「……確認不能な異変の真相ならともかく、私たち自身に関わる謎まで『面白いか否か』を基準に解決しようとしないでくれない? 名探偵さん」
「何言ってるのよメリー。秘封倶楽部は世界の秘密を暴くもの。つまらない論理より面白い推理。世界を面白くするためのオカルトサークルなんだから」
無い胸を張って蓮子は笑う。私はそっと溜息をついた。
「まあ、大叔母さんの昏睡の原因は、個人的にもお祖父ちゃんのために解決してあげたいところだけど――それはそれとして、その妖怪の賢者の言葉からすれば、依頼対象の『ある人間』っていうのは、やっぱり里の人間よね。人間の社会の外側にばかり目を向けている私たちには、決して見えないところにいる大切な存在……少なくとも、霊夢ちゃんや魔理沙ちゃんじゃないのは確定だわ」
「そのふたりはそもそも、私たちが救うとかそういう次元にいないと思うけど」
霊夢さんや魔理沙さんを私たちが助ける? 想像しがたい状況だ。逆ならともかく。
「で、それが大叔母さんの手がかりに繋がるっていうなら――。里の中に、大叔母さんと何らかの形で繋がっている人間がいて、それを救えっていうことじゃない?」
「救うって、何から?」
「さあねえ。だいたい、里の人間ってだけじゃ減らせる容疑者が幻想郷の全人口のうちたった数人かそこらじゃない。幻想郷の人間は大半が里の住民なんだから」
「エラリー・クイーンの『アメリカ銃の謎』みたいね。容疑者はスタジアムの二万人!」
「二万人全員の名前を登場人物一覧には書けないわよ、メリー」
仰る通りである。幻想郷の人口は、さすがに二万人はいないと思うが。
うーん、と蓮子とふたりで唸っていると、突然、事務所の入口の戸が挨拶もなく開かれた。顔を上げると、我が事務所の非常勤助手が満面の笑顔でそこにいる。
「おっはよーございます!」
「あら、いらっしゃい早苗ちゃん」
守矢神社の風祝、東風谷早苗さんである。いつもの調子で事務所に上がりこんでくる早苗さんに、私は蓮子の顔を見て、それからお互い肩を竦めた。
そういえば、この現人神の少女も、人間ではあるけれども――。
「……まあ、少なくともねえ、メリー」
「そうね、早苗さんって可能性だけは、絶対ないわね」
だいいち、里の住人でもないし、私たちに距離が近すぎるし。
「はい? なんですか? なんかいきなり失礼なこと仰ってませんか!?」
身を乗り出してむくれる早苗さんに、私と蓮子は「なんでもない、なんでも」と笑った。
―2―
とはいうものの。
曲がりなりにも宗教家であり、人間の里における守矢神社の布教活動を一手に担っている早苗さんは、こう見えて意外と里では顔が広い。私たちの前では外の世界の漫画アニメゲーム大好きのマイペースなはっちゃけ少女であるけれども、風祝としてのお仕事モードの早苗さんは、なんだかんだ言って落ち着いた、ちゃんとした巫女に見えなくもない。
「人助けですか? え、所長が? 人助け? 蓮子さん、頭でも打ちました?」
「ナチュラルボーン失礼ね早苗ちゃん。宗教家でしょ? 何か助けを求めている里の住人の心当たりない?」
「そう言われましても……。神社は願掛けは受け付けますけど人生相談は受け付けませんし。そういうのはお寺か仙人の領分ですよ。こっちは神ですから! だいたい世の中の悩みなんて衣食住とお金があれば解決しますし! そういう人にはおみくじと金運上昇のお守りを売るのが神社の仕事です!」
蓮子とは明らかにサイズの違う胸を張る早苗さん。いや、胸を張って言うことか?
「もちろん人々の不安には真摯に耳を傾けますけど。信仰の対価として御利益で安心を与えるのが神社ですから、細かい事情まで突っ込んで聞くようなことはしませんし、聞いたとしても直接アドバイスしたりしませんよ、神様は」
「まあ、そうよねえ」
蓮子は肩を竦める。そんな蓮子を、早苗さんはジト目で見つめた。
「いきなり所長があの寺子屋の先生みたいな善の心に目覚めたとも思えませんし、閻魔様から何か苦役でも課されました? それともウチの商売敵になる方針です?」
「いやいや、宗教家になるつもりはないわよ。――実はね、人助けをして欲しいっていう依頼を受けたんだけど、肝心の助ける相手が誰なのかわからないのよね」
「なんですかそれ。刑事罰代わりの社会奉仕活動ですか?」
「罪を犯したつもりはないんだけどねえ」
蓮子が頭を掻いて言うと――その場に、さらに新たな人影と声が割り込んでくる。
「私が知っているのは、無断外泊、危険地帯踏み入りの常習犯だがな。これまでの行いを悔い改めて社会奉仕活動に励むというなら大歓迎だぞ。自警団の腕章をあげてもいい」
「げっ、慧音さん!? 今日は寺子屋休みですよ!?」
「げっ、とはなんだ。まったく、今度は何の悪巧みをしているんだ」
事務所の入口に立って、腰に手を当てて上白沢慧音さんは大きく息を吐いた。
我らが保護者にして職場の上司たる慧音さんの前では、私たちも小さくなる他ない。早苗さんだけは「あ、こんにちはー」と能天気に笑っている。そういえばこの記録ではこのふたりの対面を書いた覚えがないが、私たちの友人であり里で布教する機会が多いこともあって、早苗さんと慧音さんはちゃんと顔見知りである。
「まったく、君たちのこの探偵の仕事とやらはいつまで経っても繁盛しないし、危険なことばかりしているし、私も生徒の自主性は尊重する主義だが、君たちは教師なんだぞ。そろそろ腰を落ち着けたらどうだ?」
「いやいや慧音さん、ご勘弁を。ほら、早苗ちゃんも何か言ってよ」
「えー? 私にそんなこと言われても困りますよぉ」
早苗さんの背後に隠れようとする蓮子に、慧音さんはまた溜息。
「で、誰から人助けの依頼を受けたって?」
「それは探偵の守秘義務がございますのでご勘弁を」
「何が守秘義務だ。自警団に来るか? 拾得物の落とし主や孤独な老人、ちょっとした諍いごとまで、困っている人ならいくらでもいるぞ」
まったく、平和な自警団である。いや、幻想郷が平和である分には、慧音さんの負担も少なくて良いことなのだが。特に面霊気の起こした異変の頃には慧音さんも大変そうだったし、私たちとしても慧音さんには身体を大事にしてほしいと思う。
「というか、暇なら自警団を手伝ってくれると有難いんだがな」
「え? どうしたんですか。自警団が忙しくなるようなことありました?」
「以前に異変を起こした、お尋ね者の天の邪鬼が逃げ回っているという話は聞いてるだろう?」
「ええ、まあ」
付喪神異変の主犯、鬼人正邪さんである。知っているも何も、私と蓮子は妹紅さんと連れだって輝針城に乗りこんで戦ったり捕まったりしたのだが、その件は慧音さんには未だに内緒にしている案件である。詳しいことは前回の記録を参照してほしい。
「その天の邪鬼を捕まえた者には報償が出る――という噂が流れてきてな。この前の異変で被害を被った影狼やわかさぎ姫、赤蛮奇あたりが天の邪鬼狩りに動きだしているらしい」
「あ、そうですそうです! 私もその件で来たんですよ!」
と、早苗さんが身を乗り出してくる。正邪さんを捕まえた者に報償? いったい誰が……って、考えるまでもない。報償を出してでも正邪さんを止めたいという意志を持っているのは、共にレジスタンスを組んでいた少名針妙丸さん以外にないだろう。打ち出の小槌という文句のつけようのない報酬の出所もある。
「この前の異変は私、蚊帳の外でしたから! ここは一発お尋ね者の天の邪鬼をふんじばって守矢神社の異変解決能力を世に知らしめるときかと! というわけでおふたりとも、一緒に天の邪鬼を捕まえて信仰ガッポリいただきましょう!」
「こら、君はともかく一般人のふたりを巻き込むな」
慧音さんが顔をしかめて、早苗さんの首根っこを掴む。「なにをー」とじたばたする早苗さんの頭を押さえつけて、慧音さんはこちらを軽く睨んだ。
「私はその件で釘を刺しに来たんだ。君たちのことだからどうせこの話を聞けば首を突っ込みたがるに決まっているからな。なぜだか妹紅まで乗り気だし……」
私たちは顔を見合わせる。妹紅さんが乗り気な理由は、やはり前回の記録を参照のこと。
「どうもだいぶ大事になりそうだ。君たちと面識のある影狼やわかさぎ姫はともかく、他にも報償目当てに天の邪鬼を追っている妖怪がいろいろいるようだからな。いいか、この件には君たちは誰に何と言われようと首を突っ込まないことだ。いいな?」
「はあ。……慧音さんはどうするんです?」
「私も出る。普段はこういうことは霊夢に任せるんだが、この前の異変は道具の付喪神化で里にも影響が出たからな。無視もできないし、こういうことは自警団でも私が適任だ。――というわけで、私がそっちにかかっている間、私の代わりに君たちに自警団に詰めてもらえると助かるわけだが」
――なるほど、そうきたか。私たちの無茶無謀はいつも慧音さんの頭痛の種であるという自覚はある。これまで随分自由にやらせてもらってきたが、さすがに慧音さんも、いい加減私たちに首輪をつけないといけないと考えを改めたらしい。自業自得と言われればそれまでだが。
蓮子が、どうする? という顔で私を見る。どうもこうもないでしょ、と私は肩を竦めるしかなかった。正邪さんの身柄確保となれば、例の異変に首を突っ込んだ私たちとしても他人事ではないが、その事情を慧音さんには明かせないわけで。となると、唯々諾々と従う以外の選択肢など最初からありはしない。
「いやー、慧音さん、そんないきなり自警団と言われましても」
「大丈夫だ、今は里も落ち着いているから、里の中で危険なことはないだろう。例の天の邪鬼は私が誓って里には近づけさせない。万一に備えて君たちには小兎姫をつけるから、仕事のやり方は小兎姫から聞いてくれ。――以上、何か質問、反論は?」
「……ございませんわ。では不肖《秘封探偵事務所》、自警団臨時団員を拝命いたします」
ははー、と事務所の畳の上で平伏する蓮子。「えー」と早苗さんが不服の声をあげるが、慧音さんに軽く睨まれると、蛇に睨まれた蛙のように小さくなっていた。
「……慧音さんはいい人だと思いますけど、学校教師として見ると、個人的に理詰めで生徒の反論を潰してくる先生って私苦手なんですよね……。私、理屈を超越した生徒だったので」
慧音さんが去ったあと、早苗さんはそうぼやいていた。やれやれ。
―3―
というわけで、里の自警団詰所が《秘封探偵事務所》臨時出張所になってしまった。
「よろしくお願いしますね~」
「どうもこちらこそ。小兎姫さんは天の邪鬼捕り物には行かないんですか?」
「行きたいですよ! 犯罪者を捕まえるのが警察の使命です! でも慧音さんからおふたりを頼むと任されてしまいましたからね~。警察官は上司の命令には従わないといけないのです」
「それはどうも申し訳ない。どうぞ私たちのことは放っておいてくださっても」
「いえいえ~、他ならぬ慧音さんの指示ですから~。件の天の邪鬼が里に逃げ込んでくる可能性だってありますしね~」
小兎姫さんはそう言ってほわほわと笑う。慧音さんが部下から信頼されているのは何よりだが、逃げられそうもないと解って相棒は溜息をついていた。そんな蓮子と私に、小兎姫さんは楽しげに自警団の腕章を手渡してくる。
ちなみに早苗さんは、天の邪鬼捕り物の方に向かったので私たちとは別行動である。まあ、早苗さんがいては話がややこしくなること請け合いなので、別にいいのだけれども。
「ところで、何か人助けの心に目覚められたとか~?」
「いやあ、探偵事務所への依頼ですわ。依頼人が言葉足らずで、ある人間を助けて欲しいと依頼されたんですけど、誰を助ければいいのかが知らされませんでして」
「それは困った依頼人さんですね~。私が聞きだしに参りましょうか~?」
「いやいや、会おうと思って会える相手でもなく。小兎姫さん、何か心当たりございません?」
「う~ん、一口に助けると言っても色々ですからね~」
そりゃそうである。妖怪の賢者の依頼は正確には「ある人間を救うこと」だが、それが「生命の危機から命を救う」ことなのか、「精神的に追いつめられた状況から解放する」ことなのか、「金銭的に逼迫した相手に金を融通する」ことなのか、「救う」という言葉だけでは特定できない。ちなみに閑古鳥の処分費用にも事欠く私たちに金銭的な救いを求められても困る。
ある人間を救うこと――この一言から推理を展開しろと言われても、ハリイ・ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』より難易度が高いと言わざるを得ない。
「でも、他でもないおふたりに依頼が来たということは、おふたりが助けるべき人というのは、おふたりが解決できる類いの問題を抱えている、と考えられるのではないでしょうか~?」
「ふむ」
「たとえばですけど~、おふたりとも、大金貸してくださいって言われて貸せます~?」
「無理ですわ」
「無理です」
「ですよね~。そういうのはお金を持っている人のところに行くべきですし、あるいは精神的な救済でしたら宗教家のところに行くべきでしょう~。病気なら医者に行くべきですし、妖怪に襲われているなら博麗神社なり自警団なりに駆け込むべきです。でも、そのいずれでもなく、蓮子さんとメリーさんのところに依頼が来たということは、それらでは出来ない類いの助けを求めている人がいる、ということではないでしょうか~」
「なるほど、確かにそれは一理ありますわ」
帽子の庇を弄りながら蓮子が頷く。
私たちにしか出来ない助け――しかし、そう言われても。
「メリー、私たちにしか出来ないことって何だと思う? 宇佐見蓮子さんとしては、やはり幻想郷のタフ・ネゴシエイターとしての実績を買われて交渉ごとの依頼じゃないかと思うけど」
「どんな実績があるっていうのよ、蓮子に。トンデモ解決しかしない交渉人さん」
「ひどいー」
蓮子がむくれる。蓮子の才能は交渉ではなく人を集めるプロデューサーかコーディネーターの方だと思うが、才能と本人の目指すところが一致しないのは悲しいかなよくある話である。
「でも実際、おふたりは妖怪に顔が広いですから、そういう依頼かもしれないですね~。妖怪相手の商売がしたい人が、仲介を求めてるとか~」
「うーん、そういう話なのかしら……」
腕を組んで蓮子は唸る。小兎姫さんは「お茶でも淹れますね~」と立ち上がった。詰所の一室に残されて、私は蓮子を振り返る。
「ねえ蓮子。もっとストレートに考えてみない?」
「っていうと?」
「妖怪の賢者は、今回の私たちへの依頼が、宇佐見菫子さんへの手がかりになるって言ってるのよ。そう考えると――対象が私たちでないといけない依頼っていうことは」
「なるほど。……外の世界の知識、ね」
そう、二〇八〇年代の未来から来た私たちは、まだ二一世紀初頭のこの時代の外の世界については歴史的な知識しかないが、逆に言えばその後が辿る歴史をある程度まで知っている。
「でもメリー、妖怪の賢者は人間を救えって言ったんでしょう? 里の人間を、私たちの外の世界の知識で救う……幻想郷で新型コロナウイルスでも流行るっていうの? それなら永遠亭の八意先生の出番よね」
「そうよねえ。最近は新しい外来人が来たっていう話も聞かないし、まさか里の中に、自由に結界を超えて外の世界とコンタクトが取れる人がいるとも思えないし――」
私がそう呟いた瞬間、蓮子はがばっと顔を上げた。
「メリー、それだわ!」
「え?」
「妖怪の賢者は、私たちが雷鼓さんに目をつけたのを、悪くない着眼点だって言ったんでしょう? 雷鼓さんはどうして外の世界の大叔母さんを認識していたか覚えてる?」
「え、それは、外の世界のドラム――」
あ、と私は蓮子の顔を見つめた。蓮子は大きく頷く。
「外の世界の道具よ! 道具の魔力は博麗大結界を超えて、外の世界と幻想郷を繋ぐ。だとすれば――何かの道具を介して、大叔母さんと繋がってしまった人間が里にいるかもしれないじゃない! そう、雷鼓さんは外の世界の光景を視ただけだって言うけれど、もし、その道具を介して、外の世界とコミュニケーションが取れたりしたら――」
そこまで言って、蓮子は帽子の庇を強く握りしめ、そして低い声で言った。
「ねえ、メリー。仮に大叔母さんの昏睡の原因が幻想郷にあったとして、大叔母さんはどうやって幻想郷のことを知ったんだと思う?」
その問いに、私は息を飲む。
「……宇佐見菫子さんに、幻想郷のことを教えた人が、里にいる?」
「そうよ! それだわ! 私たちが見つけるべきは、その人よ!」
蓮子が立ち上がる。同時に、湯飲みを載せたお盆を持って戻って来た小兎姫さんが、驚いてたたらを踏んだ。
「あら、どうしたんですか~?」
「小兎姫さん、ちょっと失礼! 自警団員宇佐見蓮子、並びに同メリー、里の見回りに出動いたします! いざ!」
私の手を掴んで、蓮子は詰所を飛び出そうとする。が――。
「ダメですよ~」
がっし、とその肩を掴んだのは、笑顔の小兎姫さんだった。
「あ、あの、小兎姫さん?」
「おふたりが勝手な行動をしないように見張っていろと、慧音さんから言いつかっていますので~。見回りは私も賛成ですけど、とりあえずお茶を飲んでからにしませんか~?」
「いや、あの、ええと」
「せっかく~、私が~、淹れた~、お茶を~、飲んでからに~、しませんか~?」
ぎりぎりぎり。蓮子の肩が軋む。小兎姫さんの笑顔が怖い。
「い、痛い痛い、痛いです小兎姫さん、いただきます、お茶いただきます!」
「はい、ゆっくりお茶にしましょう~」
――なるほど、小兎姫さんは立派な自警団員である。
掴まれた肩をさする蓮子に、私はただ溜息をついて肩を竦めるしかなかった。
第14章 深秘録編 一覧
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待ってました!深秘録編!
これで終わりなのかと思うと少し寂しい気がしますね…
ところで、蓮子の「新型コロナウイルスでも」という発言ですが、科学世紀からすると過去の事だと思うので、「COVID-19」の方がいいのではないでしょうか?ご検討のほどお願いします。
では、今後も頑張ってください!!
このシリーズが本当に大好きで、とても楽しみにしていました。ありがとうございます。
続きが早く読みたいけど終わるのは悲しい…非常に複雑な心境です。
でも最後まで二人の歩む道のりを見届けたいと思います。
次回の投稿も楽しみにしています。
うぽつです!
待ってました、新作深秘録編!
これは鈴奈庵の小鈴も混ぜて深秘を解いていく話になるのでしょうか?
この後が、気になります!
あと、小兎姫さん久々!登場してもらえて嬉しい!
いろんな衝撃を与えた深秘録が遂に始まったことに喜びと終わりに向かう寂しさがあって複雑ですが、楽しもうと思います。
不意に現れる慧音に「げ!」が第一声になりつつある蓮子の反応が面白いです。