楽園の確率~Paradiseshift.第4章 明けぬ夜を征く 明けぬ夜を往く 第6話
所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第4章 明けぬ夜を征く
公開日:2017年10月23日 / 最終更新日:2017年10月23日
楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第4章
明けぬ夜を征く 第6話
事態は佳境と言える段階に入り、益々混乱を極めつつあった。
魔法の森の東縁から霧の湖に至るまでの空域より正邪の包囲網は狭まりつつあったが、連携不足のそれが混乱を助長させる。
特に問題なのは、その慧眼と天賦の才でおよその実情を見極めつつある仙人、聖徳王豊聡耳神子と、およそ事情は知らされつつも、ひたすら自身の思う功徳に邁進する聖白蓮。
しかし宗教(商売)上でもおよそ相容れぬ二勢力。白蓮は三宝を以てする救済を是と見なし、かたや神子は状況から天邪鬼の存在を達観し、現世への害意と捉えながらも紫の策動への荷担も必要なことであろうと動く。
その双方が、ものの見事に夜の幻想郷でかち合った。未だに黒幕の姿が定まらない中、期待していた強力な勢力が、それ同士でぶつかり合う羽目になっていたのだ。
「君も聞き分けの無い。今彼女に必要なのは救済ではない」
「あなたこそ。これ以上哀れな妖怪をいたぶってどうするつもりです。あの天邪鬼、鬼人正邪は命蓮寺で身柄を預かります」
同航しながら持論をぶつけ合い、機をうかがう二人。
お互いに優れた知恵の持ち主であるが、一度決めたことは断固として通す、幻想郷でも相当に頭の硬い部類に入る人物達でもある。
「哀れな妖怪であるのは認めよう。しかし彼女から漏れ出る願いは、君たちが敷く救済を求めていないよ。救おうと言うなら、あれはもっと普遍的なものによって救われるのだ」
「何によって救われるのです」
「ありふれた暮らしだよ。彼女には叶わないし、我々には、分からないだろうがねっ!」
先手を打ったのは神子。
直垂を靡かせて身体を半回転、僅かに白蓮の斜め下方に位置する。空中での位置取りとしては優位でないが、それも継続した戦闘に入る前提であればの話。
「戯れは終わりじゃ!」
一気に墜としてしまおうという意図か、即座にスペルを宣言。
『十七条の憲法爆弾』
本来ならば正邪に対して用いられるはずの、不可能弾幕。それをこの実力者に用い始めてしまうのだからいよいよ歯止めが利かなくなる。
白蓮も法力で感覚と身体能力をブースト。発せられる弾幕に備える。
まず襲いかかるのが無数の全方位弾幕というのは、多くの不可能弾幕に見える退路の局限と同じ。これを避けられぬ白蓮ではない。
だが次に放たれた光線に、冷静さを欠くことになる。
弾幕の吹雪の中で三束のレーザーが放たれたが、俯瞰すると仏と共に祀る宝具(それも白蓮が祀る本尊である毘沙門天とも深く関わりがある)、ヴァジュラの形に見えたのだ。
続いて放たれたレーザーを拳で受けきると、張り付いた笑顔に青筋を浮かべながら説く。
「ほう、仏法を招き広めたのを誇るつもりですか? 自分は道教に傾倒し、万物の摂理に逆らってでも生きながらえた不心得者が、ですか!」
初手を有無を言わさぬ力業で防ぎきると、すぐさま反撃に出る。ブーストが掛かった今、瞬間的ならば天狗にも勝る速度を発揮できる。
一瞬で好適な配置に就くと、こちらこそとスペルを宣言。
『ブラフマーの瞳』
白蓮がその背に蓮華の光翼を背負い、射撃の準備に掛かってもなお言い合いは続く。
「何を言っている! 十七条の憲法にも三宝、仏法僧を奉り敬えとは記している!」
「それが傲慢だと言っています! そもそも憲法は爆発する物ではありません!」
「傲慢というのは救済という大鉈を渾身の力で振り回す君のような僧を言うのだ!」
「何ですって!」「なんだと!」
言い合う間に、自動的に発動したお互いの光術が交叉する。
何故か白蓮が梵天を奉った弾幕を放ち、敵対する神子が毘沙門天を(一部)奉った弾幕を放つという、毘沙門天の代理が見たら嘆くこと請け合いの場面。
弾幕は余りにも密度が濃く、交叉する光術の描く輝跡が似通うため、遠目からではどちらがどう立ち回っているのか区別すら付かない状態。
一応、他の追跡者は、流れ弾を警戒してそれだけの距離を取っていた。
「ひでぇ……子供のケンカだ……」
「にしては、周りの被害が大きすぎますね」
魔理沙と射命丸の二人にも、今は出番が無い。一度捉えた正邪の姿を、聖人二人の仲違いで見失うという情けないにも程がある現状。
問題は別にもある。
僅かな間とは言え、若干疑いの目を向けられていたレミリアが、今回の夜間追跡を機と見て、嬉々として前進していたのだ。
「あいつも力は年相応だが、精神年齢は微妙だぞ」
協力者同士である白蓮と神子があのていたらく。魔理沙にこうも言われるレミリアが、正邪を前に上手く立ち回れるのかは極めて不安。
「分かってます、だから秘密兵器を用意しました。」
ここは確実な一人の人物に全てを託そうと、文の腹は既に決まっていた。
「毒を以て毒を制す、です」
それを聞いていたはずも無いのに、彼方の空に赤い光線が迸る。魔理沙の不可能弾幕『ワイドスパーク』に近しいが、纏う魔力が全く別の原理から発せられた物なのは明らか。
「気質の奔流。おい、まさかありゃ、不良天人じゃ……」
その起点に対し、巨大な光球にしか見えない高密度の弾幕が、負けじと襲いかかる。
「で、あれが紅魔館のお嬢様」
ただただシンプルな弾幕、レミリアのことであるから名称もシンプルであろう。
文字通り近寄りがたい。あっちもこっちもで派手な打ち合いをやっている状況下、正邪はどこに向かうのであろうか。
《椛、どう》
文は当然、それを知る術も仕込んでいる。以心の術を用いて、椛との一対一の念話チャンネルを構成。傍受の危険もゼロではない中、リスクを押しての会話。
《駄目です、視界が利きません。原因不明です》
《はたては?》
《念写を数回試行、現在は二者択一です》
《どことどこ?》
《真西と真東、マヨヒガと博麗神社です。それより急いで下さい。検非違寮が進発準備を始めてます。御山からでもドンパチやっているのが見えて、軽く騒ぎになってますよ》
なるほど、天邪鬼が故の真逆の位置への出現を、はたての念写は捉えたのであろう。その二箇所になったのは疑問に思わない。
《それは大丈夫よ》
《え?》
《一旦通話終わり、待機を継続して》
椛の《了解》の返答を聞く前に、文は以心の術を解いて独りごちる。
「引っかかってくれたようね。白蓮さんと神子さんの殴り合いは想定外だったけど」
「引っかけたって、何が何にだ?」
同航する魔理沙に向き直って答える。
「追跡者の第二勢力です。まんまと囮にかかって、今頃はこの近辺に向かう準備をしてるそうですよ」
文は念写の結果を信じ、正邪の姿がこの周辺に無いと断じる。
「レミリア達は囮かよ……」
勇んで出て来たのに、出番無しどころか扱いはマイナスに振れている。さしもの魔理沙も同情を禁じ得ない。
「そしてここからは二者択一。博麗神社とマヨヒガ、どちらが良いと思います?」
なぜその二箇所なのか。魔理沙はそれを尋ねもせず、そのまま答える。
「決まってるだろ、博麗神社だ」
「そう来ると思ってました」
この二択なら、彼女が選ぶのは間違いなく博麗神社。文は信じたとおりの回答に、場違いに声音を弾ませる。
「分散行動は取らないのか?」
「奴がまた本物の小槌の能力を用いた場合、単独ではやられる可能性があります」
「じゃあもう一つ今更聞くが、今回私を連れ出したのはどういう了見でだ?」
「通じると思ったからです、天邪鬼の心に」
「なんだって?」
「一時とは言え、彼女がひとつ所に留まったんですよ、自分の意思で。小人の姫と共に逆さ城に住んだ時もでしたが、彼女の求めるものと呪いが、拮抗したんだと思います」
自分は別に特別な何かをした覚えは無いと、魔理沙は首を傾げる。
「魔理沙さんの日常に、正邪がキッチリ当てはまったんですよ」
魔理沙が親元から離れて魔法の森に居を構えるのは、夢を叶える為ではある。それは魔理沙自身が望み、こしらえた日常だ。妖怪妖獣の影から身を守りながら続ける日常は。
「なるほど、私の生活も“天邪鬼”だったって話か。よくよくすればそうだよな。ずっと叶わない事ばかり続けてるのも、私とそっくりだ」
夢を追う代わりに、様々な思いを押し殺しているのも自覚している。
魔理沙が求めるのは、幼い頃に見た星空をその手に掴み、頂く魔法。それは知れば知るほど現実から遠ざかり、それでも求め続けている。行動原理や動機は全く違っても、やっていることは、正邪の叶わぬ叛逆と変わらないではないか。
「じゃあ私が奴を説得すればいいのか?」
前にそれをやった時は通用しなかった、今も通用するとは思えない。
文もそれには首を振って答える。
「説得なんて要りません、また迎え入れればいいんです。その前に一度ボコボコにする必要はあるでしょうけれど」
それは最後の追跡者の仕事。文が期待するのはその先の話。
「お前、あいつを助けるつもりなのか」
橋姫の作り上げた奈落に落とし、永劫に封印するというのが最後の追跡者――紫の方針。それを反故にしてしまおうと文は言う。
「……彼女は、穢土で延々と生まれ変わりを繰り返し、その度に愛する者を殺し、殺され続ける軛を填められたと、そうお話ししました。それらは全て、彼女が望まないこと」
「あいつが、正邪がやってる事はどれも、あいつ自身が望んだことじゃないってのか」
「望むことを妨げ、望まれざるを為す。それは彼女自身に対しても同じなんですよ」
思っていた以上に非道い運命、しかもそれが世界の終わりまで続くというのだから。
「そんな馬鹿げた話から解き放つ方法は無いのか?」
文に正邪救済の意思があり、始めから取るべき策があればそうしていたはず。答えが得られない前提での魔理沙の問いに、文は確かな答えを返す。
「一つだけ。正邪を殺さず、彼女に殺せない庇護者を、彼女が得ること」
魔理沙との生活も、魔理沙の日常が、魔法の森の環境に合わせて堅牢だったことから、それに近しい状態になっていたのだろう。
「なんだそれは……」
魔理沙が困惑するのも当然、これは漠然として過ぎている。彼女の困惑混じりの問いにも、文は答えを持っていた。
「ずっと昔に見たんですよ。一度天邪鬼として生まれた子を殺し、再びその手に迎え入れて、育て上げようとした女性を。その人は余りにも辛いことが多すぎて亡くなってしまいましたが、育った娘がやがて、神性を得て私を助けてくれたんです」
それも九百年ほど前の“あの戦”に係る話。戦場を睥睨し続ける鴉として飛んだ末に、今の幻想郷が確立されるより以前の深山に至るまでの記憶。
今はそれを語る場ではない。ただ文は、経験を以て根拠とした。
「そうは言うが、それは私には無理だな」
魔理沙にはまだ、種族『魔法使い』になろうという覚悟は無い。文が言う策に今しばらくは応じられても、ずっとそれを続けられる存在ではない。
「私にも無理なんですよ」
文も元はただの鴉だったが、父母の記憶など無い。そして天狗となった身には、母性も父性も無い。天狗として生まれ、天狗として子を産むなど、例外中の例外でしかない。
母たり得る者、あるいは父たり得る者。あるいは伴侶たる者こそ、正邪を救える。針妙丸はもしかたら伴侶として側に在ったのかも知れない。
「分かった、できる限りはしよう。ところで正邪が博麗神社やマヨヒガに向かうかも知れないって話だが、もしかしてあいつ、幻想郷の外を目指してるのか?」
「分かりませんが多分。打ち出の小槌の力を発揮できるなら、あるいはそれも出来るかも知れませんし」
「それも、あいつが望まないことなのか?」
「母や伴侶が彼女を救うのだとして、それになってくれるかも知れない者がこの地に居るなら、ここから去るのは彼女にとって望まざる事でしょう」
仮定に仮定が重なる。文自身もどこまで信じていいかは分からない。しかし正面には、念写の結果が間違っていない証拠が現れていた。
「居たぜ。私達はこのまま勢子に徹すればいいのか?」
「ええ。戦うのは紫さんに任せて――」
魔理沙は不意に森の中から発された妖力を探知。予想しなかった新手の登場に身構える。
「ブン屋、来るぜ」
ミニ八卦炉を手に全周の警戒をする魔理沙。文はその後方に遷移して背を守る。
「いや、あれは!」
森の中から何者かが離陸し、一直線に正邪に迫る。
「ヤマメ……」
旧地獄の者が正邪に襲いかかろうとしている。魔理沙も以前の文の論からその危うさは認識しているし、事情を知る文は言わずもがな。
ここは彼女を阻むべきか。
「ブン屋!」
「信じましょう、彼女を」
何をして信じろと言うのか、魔理沙には分からない。しかし文の言葉に、ヤマメの行動に、僅かな期待もする。自分は所詮人間、妖怪の気持ちは妖怪の方が知るのだろうと。
博麗神社近くの森に潜んでいたヤマメは、上空に正邪が現れたのに驚いていた。誰かが導いたとしか思えないぐらいの時と場所に、彼女が現れたのだから。
「これを天の思し召しとでも言うのかな、信じたくなんて無いけれど」
土蜘蛛こそ、神様などと言う者への恨みを強く持つモノ。ヤマメ自身にその覚えは無くとも、それは種族としての概念に深く刻み込まれているのかも知れない。
神の導きが悪魔の罠でも構わない。ヤマメは飛び立ち、正邪を追う。
ただ一匹の土蜘蛛が、明るい眼差しのまま正邪を追う。沈み行く月光に照らされた髪はなお輝き、明けぬ夜の中に住むモノを、最後の宵の光が祝福する。
正邪がヤマメの存在に気付いたのは、お互いの射程距離が重なる直前だった。
「土蜘蛛! 今更意趣返しか!」
咄嗟射撃が開始され、弾幕がヤマメの正面に展開される。単純な射撃を避けながら一旦低空へ遷移。木々を盾にして正邪の射撃から身を隠してから急速に接近する。
射撃での対決にしては、余りにも近すぎる間合い。
「クソッ、近寄るなよ!」
『四尺マジックボム』
本来は飛来する弾幕を消し去るだけのマジックアイテム。それをヤマメに向けて投げつける。攻撃力は皆無でも、目くらましにはなった。
『打ち出の小槌(レプリカ)』と元から持っていた『ひらり布』の合わせ技は使われない。やはり博麗神社の境内からの結界突破を企図しているのだ。
一瞬だけ怯んだヤマメは、高度を落として森の中に突っ込む。木々に激しく衝突する音が、彼女の墜落を知らせる。
正邪はこれで撒いたとは思っていない。ヤマメが墜落したと思しき地点へ掃射を行う。
「これに懲りたら、追ってくるなよ!」
いくらただの気弾でも、墜落のダメージにこれだけ重ねてれば無事ではないだろう。
それは遠くから見守る魔理沙達も思っていた。
細網『カンダタロープ』
弾幕で形成された救済の業(カルマ)の糸が、正邪を絡め取ろうと迫る。
再度のマジックボムの使用でこれを逃れる正邪だが、マジックボムの持続時間よりも長く細く、弾幕の糸は絡みつこうとしている。
たまらず左手に持っていた『ひらり布』で凌ごうとする。そこへ重なる別の衝撃。自身が生み出した死角から、ヤマメがその身を矢弾の代わりに突進させていた。弾幕の防御に行使していたひらり布は、横から身を滑らせて迫るヤマメに効力を発揮しなかったのだ。
このまま殴りつけるつもりなのか、旧地獄で真の『鬼』がそうして来たように。正邪は咄嗟にマジックアイテムを携えた両腕を上げ、顔面への打撃を防ごうとする。
ヤマメの次の行動は、正邪の予想を超えたものだった。
正邪は不意に自由を失い、大地へと誘われる。ヤマメに抱きつかれ、墜落していた。
十メートル以上も上空からの落下にも、正邪は無事だった。ヤマメが下に回ってクッションになったのだ。そのヤマメも無事、頑強な土蜘蛛であればこそだった。
「くそっ! 何すんだよ離せよ!」
既に拘束は解かれている、今のヤマメは彼女を優しく抱いているだけ。
『樺黄小町』
本来はスペルルールで用いる前提で作られた弾幕を、ヤマメは行使する。スペルルールで抑えられていた妖力は素のままに発揮され、それは凶悪さを有する物になっていた。
ヤマメから弾幕が発されるのではなく、周囲からヤマメに対してらせん状の弾幕が迫る。親を喰らう子の、子に自身を喰わせる蜘蛛になぞらえた弾幕が、二人に襲いかかる。
「なんだよ! やめろよ、死んじゃうだろ!」
「いいんだもう、あなたが旧地獄の全部と同じだっていうなら、私が代表して一緒にいてあげるから、ずっと……」
「何わけ分かんないこと言ってんだよ、やめろって!」
逃れようとすれば逃れられる、なのに正邪はそれをしない。
彼女は泣いていた。恐ろしくて、多分本当は嬉しくて。
諸共を喰らおうとする弾幕は、無慈悲に二人に襲いかかる。
『枕石漱流』
二人の周囲の空間が幾重にも避け目を広げる。紫の妖術だった。
それは迫る弾幕全てを飲み下し、樺黄小町の弾幕が止む頃には消えていた。
「勝手に死なれては困るのよ、土蜘蛛。それとあなた達、要らない悪巧みをしないよう」
状況を静観していた魔理沙達の前に無数のスキマが開き、本来ヤマメ達を喰らい尽くすはずだったはずだった弾幕が浴びせられた。
「死んじゃったらどうするつもりだったんだよ……」
文は辛うじて避け切ったが、完全な不意打ちを受けた魔理沙は墜落。それに、あれが本当に『樺黄小町』そのままの威力だったら、今頃は本当に死んでいたかも知れない。
「そうならないように気は遣ったわ。貴女と違ってね」
白み始めた空を見上げるヤマメの横顔に紫が語り掛けるが、ヤマメは空を見つめたまま。
「ブン屋。結局私に出来る事なんて何も無かったじゃないか」
「そうでもないですよ、天邪鬼からの置き土産もありましたし」
そう、既に正邪の姿は無い。
彼女は切り札の再ブーストをかけると全力で逃走。紫ですらも、ひたすら逃げを打つ正邪を捕らえられず、今はこうして元の場所に集っていた。
置き土産とは、黒幕の魔力が籠もっているであろう『ひらり布』。わざと落としていったとしか考えられないそれ。彼女が心奥から望んだ行いだったのかは、誰にも分からない。
「まあ少しでも解き放たれたってと考えられるなら、骨を折った価値はあったのかな。ときに紫、そいつで黒幕の特定は出来そうなのか?」
「今すぐには無理ね。可能な限りのサンプルと比較してみないと、でも――」
「その魔力の持ち主が幻想郷にいるのは、間違いない?」
それは萃香からももたらされていたが、この文の問いに、紫は確かに頷く。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」
∴
正邪の背後にいたモノがなんであったか、今は確実な答えを得ることは叶わなかった。
ただしそれは、確かにここに在る。この神々と妖怪の箱庭に。
「確実にいる、どころじゃないのよね」
正邪が逃げ回っている間に行った、明らかな疑念を持たれかねない自身の行動の顛末を、文は綴っている。どうせ今回の件も記事には出来ない。そも幾度も妖怪の山を謀ったため、方々と口裏合わせた上での?八百の顛末書作成で忙しい。新聞もしばらく休刊であろう。
「人や妖を道具風情と、そう思っているのだろうけれど、見てなさいよ」
天上を睨み、誰にでも向かってでもなく文は宣言した。
時は巡り、外の世界のオカルトや、月からの侵略者を迎えた先に、真相は訪れる。
明けぬ夜を征く 第6話
事態は佳境と言える段階に入り、益々混乱を極めつつあった。
魔法の森の東縁から霧の湖に至るまでの空域より正邪の包囲網は狭まりつつあったが、連携不足のそれが混乱を助長させる。
特に問題なのは、その慧眼と天賦の才でおよその実情を見極めつつある仙人、聖徳王豊聡耳神子と、およそ事情は知らされつつも、ひたすら自身の思う功徳に邁進する聖白蓮。
しかし宗教(商売)上でもおよそ相容れぬ二勢力。白蓮は三宝を以てする救済を是と見なし、かたや神子は状況から天邪鬼の存在を達観し、現世への害意と捉えながらも紫の策動への荷担も必要なことであろうと動く。
その双方が、ものの見事に夜の幻想郷でかち合った。未だに黒幕の姿が定まらない中、期待していた強力な勢力が、それ同士でぶつかり合う羽目になっていたのだ。
「君も聞き分けの無い。今彼女に必要なのは救済ではない」
「あなたこそ。これ以上哀れな妖怪をいたぶってどうするつもりです。あの天邪鬼、鬼人正邪は命蓮寺で身柄を預かります」
同航しながら持論をぶつけ合い、機をうかがう二人。
お互いに優れた知恵の持ち主であるが、一度決めたことは断固として通す、幻想郷でも相当に頭の硬い部類に入る人物達でもある。
「哀れな妖怪であるのは認めよう。しかし彼女から漏れ出る願いは、君たちが敷く救済を求めていないよ。救おうと言うなら、あれはもっと普遍的なものによって救われるのだ」
「何によって救われるのです」
「ありふれた暮らしだよ。彼女には叶わないし、我々には、分からないだろうがねっ!」
先手を打ったのは神子。
直垂を靡かせて身体を半回転、僅かに白蓮の斜め下方に位置する。空中での位置取りとしては優位でないが、それも継続した戦闘に入る前提であればの話。
「戯れは終わりじゃ!」
一気に墜としてしまおうという意図か、即座にスペルを宣言。
『十七条の憲法爆弾』
本来ならば正邪に対して用いられるはずの、不可能弾幕。それをこの実力者に用い始めてしまうのだからいよいよ歯止めが利かなくなる。
白蓮も法力で感覚と身体能力をブースト。発せられる弾幕に備える。
まず襲いかかるのが無数の全方位弾幕というのは、多くの不可能弾幕に見える退路の局限と同じ。これを避けられぬ白蓮ではない。
だが次に放たれた光線に、冷静さを欠くことになる。
弾幕の吹雪の中で三束のレーザーが放たれたが、俯瞰すると仏と共に祀る宝具(それも白蓮が祀る本尊である毘沙門天とも深く関わりがある)、ヴァジュラの形に見えたのだ。
続いて放たれたレーザーを拳で受けきると、張り付いた笑顔に青筋を浮かべながら説く。
「ほう、仏法を招き広めたのを誇るつもりですか? 自分は道教に傾倒し、万物の摂理に逆らってでも生きながらえた不心得者が、ですか!」
初手を有無を言わさぬ力業で防ぎきると、すぐさま反撃に出る。ブーストが掛かった今、瞬間的ならば天狗にも勝る速度を発揮できる。
一瞬で好適な配置に就くと、こちらこそとスペルを宣言。
『ブラフマーの瞳』
白蓮がその背に蓮華の光翼を背負い、射撃の準備に掛かってもなお言い合いは続く。
「何を言っている! 十七条の憲法にも三宝、仏法僧を奉り敬えとは記している!」
「それが傲慢だと言っています! そもそも憲法は爆発する物ではありません!」
「傲慢というのは救済という大鉈を渾身の力で振り回す君のような僧を言うのだ!」
「何ですって!」「なんだと!」
言い合う間に、自動的に発動したお互いの光術が交叉する。
何故か白蓮が梵天を奉った弾幕を放ち、敵対する神子が毘沙門天を(一部)奉った弾幕を放つという、毘沙門天の代理が見たら嘆くこと請け合いの場面。
弾幕は余りにも密度が濃く、交叉する光術の描く輝跡が似通うため、遠目からではどちらがどう立ち回っているのか区別すら付かない状態。
一応、他の追跡者は、流れ弾を警戒してそれだけの距離を取っていた。
「ひでぇ……子供のケンカだ……」
「にしては、周りの被害が大きすぎますね」
魔理沙と射命丸の二人にも、今は出番が無い。一度捉えた正邪の姿を、聖人二人の仲違いで見失うという情けないにも程がある現状。
問題は別にもある。
僅かな間とは言え、若干疑いの目を向けられていたレミリアが、今回の夜間追跡を機と見て、嬉々として前進していたのだ。
「あいつも力は年相応だが、精神年齢は微妙だぞ」
協力者同士である白蓮と神子があのていたらく。魔理沙にこうも言われるレミリアが、正邪を前に上手く立ち回れるのかは極めて不安。
「分かってます、だから秘密兵器を用意しました。」
ここは確実な一人の人物に全てを託そうと、文の腹は既に決まっていた。
「毒を以て毒を制す、です」
それを聞いていたはずも無いのに、彼方の空に赤い光線が迸る。魔理沙の不可能弾幕『ワイドスパーク』に近しいが、纏う魔力が全く別の原理から発せられた物なのは明らか。
「気質の奔流。おい、まさかありゃ、不良天人じゃ……」
その起点に対し、巨大な光球にしか見えない高密度の弾幕が、負けじと襲いかかる。
「で、あれが紅魔館のお嬢様」
ただただシンプルな弾幕、レミリアのことであるから名称もシンプルであろう。
文字通り近寄りがたい。あっちもこっちもで派手な打ち合いをやっている状況下、正邪はどこに向かうのであろうか。
《椛、どう》
文は当然、それを知る術も仕込んでいる。以心の術を用いて、椛との一対一の念話チャンネルを構成。傍受の危険もゼロではない中、リスクを押しての会話。
《駄目です、視界が利きません。原因不明です》
《はたては?》
《念写を数回試行、現在は二者択一です》
《どことどこ?》
《真西と真東、マヨヒガと博麗神社です。それより急いで下さい。検非違寮が進発準備を始めてます。御山からでもドンパチやっているのが見えて、軽く騒ぎになってますよ》
なるほど、天邪鬼が故の真逆の位置への出現を、はたての念写は捉えたのであろう。その二箇所になったのは疑問に思わない。
《それは大丈夫よ》
《え?》
《一旦通話終わり、待機を継続して》
椛の《了解》の返答を聞く前に、文は以心の術を解いて独りごちる。
「引っかかってくれたようね。白蓮さんと神子さんの殴り合いは想定外だったけど」
「引っかけたって、何が何にだ?」
同航する魔理沙に向き直って答える。
「追跡者の第二勢力です。まんまと囮にかかって、今頃はこの近辺に向かう準備をしてるそうですよ」
文は念写の結果を信じ、正邪の姿がこの周辺に無いと断じる。
「レミリア達は囮かよ……」
勇んで出て来たのに、出番無しどころか扱いはマイナスに振れている。さしもの魔理沙も同情を禁じ得ない。
「そしてここからは二者択一。博麗神社とマヨヒガ、どちらが良いと思います?」
なぜその二箇所なのか。魔理沙はそれを尋ねもせず、そのまま答える。
「決まってるだろ、博麗神社だ」
「そう来ると思ってました」
この二択なら、彼女が選ぶのは間違いなく博麗神社。文は信じたとおりの回答に、場違いに声音を弾ませる。
「分散行動は取らないのか?」
「奴がまた本物の小槌の能力を用いた場合、単独ではやられる可能性があります」
「じゃあもう一つ今更聞くが、今回私を連れ出したのはどういう了見でだ?」
「通じると思ったからです、天邪鬼の心に」
「なんだって?」
「一時とは言え、彼女がひとつ所に留まったんですよ、自分の意思で。小人の姫と共に逆さ城に住んだ時もでしたが、彼女の求めるものと呪いが、拮抗したんだと思います」
自分は別に特別な何かをした覚えは無いと、魔理沙は首を傾げる。
「魔理沙さんの日常に、正邪がキッチリ当てはまったんですよ」
魔理沙が親元から離れて魔法の森に居を構えるのは、夢を叶える為ではある。それは魔理沙自身が望み、こしらえた日常だ。妖怪妖獣の影から身を守りながら続ける日常は。
「なるほど、私の生活も“天邪鬼”だったって話か。よくよくすればそうだよな。ずっと叶わない事ばかり続けてるのも、私とそっくりだ」
夢を追う代わりに、様々な思いを押し殺しているのも自覚している。
魔理沙が求めるのは、幼い頃に見た星空をその手に掴み、頂く魔法。それは知れば知るほど現実から遠ざかり、それでも求め続けている。行動原理や動機は全く違っても、やっていることは、正邪の叶わぬ叛逆と変わらないではないか。
「じゃあ私が奴を説得すればいいのか?」
前にそれをやった時は通用しなかった、今も通用するとは思えない。
文もそれには首を振って答える。
「説得なんて要りません、また迎え入れればいいんです。その前に一度ボコボコにする必要はあるでしょうけれど」
それは最後の追跡者の仕事。文が期待するのはその先の話。
「お前、あいつを助けるつもりなのか」
橋姫の作り上げた奈落に落とし、永劫に封印するというのが最後の追跡者――紫の方針。それを反故にしてしまおうと文は言う。
「……彼女は、穢土で延々と生まれ変わりを繰り返し、その度に愛する者を殺し、殺され続ける軛を填められたと、そうお話ししました。それらは全て、彼女が望まないこと」
「あいつが、正邪がやってる事はどれも、あいつ自身が望んだことじゃないってのか」
「望むことを妨げ、望まれざるを為す。それは彼女自身に対しても同じなんですよ」
思っていた以上に非道い運命、しかもそれが世界の終わりまで続くというのだから。
「そんな馬鹿げた話から解き放つ方法は無いのか?」
文に正邪救済の意思があり、始めから取るべき策があればそうしていたはず。答えが得られない前提での魔理沙の問いに、文は確かな答えを返す。
「一つだけ。正邪を殺さず、彼女に殺せない庇護者を、彼女が得ること」
魔理沙との生活も、魔理沙の日常が、魔法の森の環境に合わせて堅牢だったことから、それに近しい状態になっていたのだろう。
「なんだそれは……」
魔理沙が困惑するのも当然、これは漠然として過ぎている。彼女の困惑混じりの問いにも、文は答えを持っていた。
「ずっと昔に見たんですよ。一度天邪鬼として生まれた子を殺し、再びその手に迎え入れて、育て上げようとした女性を。その人は余りにも辛いことが多すぎて亡くなってしまいましたが、育った娘がやがて、神性を得て私を助けてくれたんです」
それも九百年ほど前の“あの戦”に係る話。戦場を睥睨し続ける鴉として飛んだ末に、今の幻想郷が確立されるより以前の深山に至るまでの記憶。
今はそれを語る場ではない。ただ文は、経験を以て根拠とした。
「そうは言うが、それは私には無理だな」
魔理沙にはまだ、種族『魔法使い』になろうという覚悟は無い。文が言う策に今しばらくは応じられても、ずっとそれを続けられる存在ではない。
「私にも無理なんですよ」
文も元はただの鴉だったが、父母の記憶など無い。そして天狗となった身には、母性も父性も無い。天狗として生まれ、天狗として子を産むなど、例外中の例外でしかない。
母たり得る者、あるいは父たり得る者。あるいは伴侶たる者こそ、正邪を救える。針妙丸はもしかたら伴侶として側に在ったのかも知れない。
「分かった、できる限りはしよう。ところで正邪が博麗神社やマヨヒガに向かうかも知れないって話だが、もしかしてあいつ、幻想郷の外を目指してるのか?」
「分かりませんが多分。打ち出の小槌の力を発揮できるなら、あるいはそれも出来るかも知れませんし」
「それも、あいつが望まないことなのか?」
「母や伴侶が彼女を救うのだとして、それになってくれるかも知れない者がこの地に居るなら、ここから去るのは彼女にとって望まざる事でしょう」
仮定に仮定が重なる。文自身もどこまで信じていいかは分からない。しかし正面には、念写の結果が間違っていない証拠が現れていた。
「居たぜ。私達はこのまま勢子に徹すればいいのか?」
「ええ。戦うのは紫さんに任せて――」
魔理沙は不意に森の中から発された妖力を探知。予想しなかった新手の登場に身構える。
「ブン屋、来るぜ」
ミニ八卦炉を手に全周の警戒をする魔理沙。文はその後方に遷移して背を守る。
「いや、あれは!」
森の中から何者かが離陸し、一直線に正邪に迫る。
「ヤマメ……」
旧地獄の者が正邪に襲いかかろうとしている。魔理沙も以前の文の論からその危うさは認識しているし、事情を知る文は言わずもがな。
ここは彼女を阻むべきか。
「ブン屋!」
「信じましょう、彼女を」
何をして信じろと言うのか、魔理沙には分からない。しかし文の言葉に、ヤマメの行動に、僅かな期待もする。自分は所詮人間、妖怪の気持ちは妖怪の方が知るのだろうと。
博麗神社近くの森に潜んでいたヤマメは、上空に正邪が現れたのに驚いていた。誰かが導いたとしか思えないぐらいの時と場所に、彼女が現れたのだから。
「これを天の思し召しとでも言うのかな、信じたくなんて無いけれど」
土蜘蛛こそ、神様などと言う者への恨みを強く持つモノ。ヤマメ自身にその覚えは無くとも、それは種族としての概念に深く刻み込まれているのかも知れない。
神の導きが悪魔の罠でも構わない。ヤマメは飛び立ち、正邪を追う。
ただ一匹の土蜘蛛が、明るい眼差しのまま正邪を追う。沈み行く月光に照らされた髪はなお輝き、明けぬ夜の中に住むモノを、最後の宵の光が祝福する。
正邪がヤマメの存在に気付いたのは、お互いの射程距離が重なる直前だった。
「土蜘蛛! 今更意趣返しか!」
咄嗟射撃が開始され、弾幕がヤマメの正面に展開される。単純な射撃を避けながら一旦低空へ遷移。木々を盾にして正邪の射撃から身を隠してから急速に接近する。
射撃での対決にしては、余りにも近すぎる間合い。
「クソッ、近寄るなよ!」
『四尺マジックボム』
本来は飛来する弾幕を消し去るだけのマジックアイテム。それをヤマメに向けて投げつける。攻撃力は皆無でも、目くらましにはなった。
『打ち出の小槌(レプリカ)』と元から持っていた『ひらり布』の合わせ技は使われない。やはり博麗神社の境内からの結界突破を企図しているのだ。
一瞬だけ怯んだヤマメは、高度を落として森の中に突っ込む。木々に激しく衝突する音が、彼女の墜落を知らせる。
正邪はこれで撒いたとは思っていない。ヤマメが墜落したと思しき地点へ掃射を行う。
「これに懲りたら、追ってくるなよ!」
いくらただの気弾でも、墜落のダメージにこれだけ重ねてれば無事ではないだろう。
それは遠くから見守る魔理沙達も思っていた。
細網『カンダタロープ』
弾幕で形成された救済の業(カルマ)の糸が、正邪を絡め取ろうと迫る。
再度のマジックボムの使用でこれを逃れる正邪だが、マジックボムの持続時間よりも長く細く、弾幕の糸は絡みつこうとしている。
たまらず左手に持っていた『ひらり布』で凌ごうとする。そこへ重なる別の衝撃。自身が生み出した死角から、ヤマメがその身を矢弾の代わりに突進させていた。弾幕の防御に行使していたひらり布は、横から身を滑らせて迫るヤマメに効力を発揮しなかったのだ。
このまま殴りつけるつもりなのか、旧地獄で真の『鬼』がそうして来たように。正邪は咄嗟にマジックアイテムを携えた両腕を上げ、顔面への打撃を防ごうとする。
ヤマメの次の行動は、正邪の予想を超えたものだった。
正邪は不意に自由を失い、大地へと誘われる。ヤマメに抱きつかれ、墜落していた。
十メートル以上も上空からの落下にも、正邪は無事だった。ヤマメが下に回ってクッションになったのだ。そのヤマメも無事、頑強な土蜘蛛であればこそだった。
「くそっ! 何すんだよ離せよ!」
既に拘束は解かれている、今のヤマメは彼女を優しく抱いているだけ。
『樺黄小町』
本来はスペルルールで用いる前提で作られた弾幕を、ヤマメは行使する。スペルルールで抑えられていた妖力は素のままに発揮され、それは凶悪さを有する物になっていた。
ヤマメから弾幕が発されるのではなく、周囲からヤマメに対してらせん状の弾幕が迫る。親を喰らう子の、子に自身を喰わせる蜘蛛になぞらえた弾幕が、二人に襲いかかる。
「なんだよ! やめろよ、死んじゃうだろ!」
「いいんだもう、あなたが旧地獄の全部と同じだっていうなら、私が代表して一緒にいてあげるから、ずっと……」
「何わけ分かんないこと言ってんだよ、やめろって!」
逃れようとすれば逃れられる、なのに正邪はそれをしない。
彼女は泣いていた。恐ろしくて、多分本当は嬉しくて。
諸共を喰らおうとする弾幕は、無慈悲に二人に襲いかかる。
『枕石漱流』
二人の周囲の空間が幾重にも避け目を広げる。紫の妖術だった。
それは迫る弾幕全てを飲み下し、樺黄小町の弾幕が止む頃には消えていた。
「勝手に死なれては困るのよ、土蜘蛛。それとあなた達、要らない悪巧みをしないよう」
状況を静観していた魔理沙達の前に無数のスキマが開き、本来ヤマメ達を喰らい尽くすはずだったはずだった弾幕が浴びせられた。
「死んじゃったらどうするつもりだったんだよ……」
文は辛うじて避け切ったが、完全な不意打ちを受けた魔理沙は墜落。それに、あれが本当に『樺黄小町』そのままの威力だったら、今頃は本当に死んでいたかも知れない。
「そうならないように気は遣ったわ。貴女と違ってね」
白み始めた空を見上げるヤマメの横顔に紫が語り掛けるが、ヤマメは空を見つめたまま。
「ブン屋。結局私に出来る事なんて何も無かったじゃないか」
「そうでもないですよ、天邪鬼からの置き土産もありましたし」
そう、既に正邪の姿は無い。
彼女は切り札の再ブーストをかけると全力で逃走。紫ですらも、ひたすら逃げを打つ正邪を捕らえられず、今はこうして元の場所に集っていた。
置き土産とは、黒幕の魔力が籠もっているであろう『ひらり布』。わざと落としていったとしか考えられないそれ。彼女が心奥から望んだ行いだったのかは、誰にも分からない。
「まあ少しでも解き放たれたってと考えられるなら、骨を折った価値はあったのかな。ときに紫、そいつで黒幕の特定は出来そうなのか?」
「今すぐには無理ね。可能な限りのサンプルと比較してみないと、でも――」
「その魔力の持ち主が幻想郷にいるのは、間違いない?」
それは萃香からももたらされていたが、この文の問いに、紫は確かに頷く。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」
∴
正邪の背後にいたモノがなんであったか、今は確実な答えを得ることは叶わなかった。
ただしそれは、確かにここに在る。この神々と妖怪の箱庭に。
「確実にいる、どころじゃないのよね」
正邪が逃げ回っている間に行った、明らかな疑念を持たれかねない自身の行動の顛末を、文は綴っている。どうせ今回の件も記事には出来ない。そも幾度も妖怪の山を謀ったため、方々と口裏合わせた上での?八百の顛末書作成で忙しい。新聞もしばらく休刊であろう。
「人や妖を道具風情と、そう思っているのだろうけれど、見てなさいよ」
天上を睨み、誰にでも向かってでもなく文は宣言した。
時は巡り、外の世界のオカルトや、月からの侵略者を迎えた先に、真相は訪れる。
第4章 明けぬ夜を征く 一覧
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