楽園の確率~Paradiseshift.第4章 明けぬ夜を征く 明けぬ夜を往く 第4話
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公開日:2017年10月09日 / 最終更新日:2017年10月09日
楽園の確率 〜 Paradise Shift. 第4章
明けぬ夜を征く 第4話
旧地獄への降下は驚くほどすんなりといった。もちろんマジックアイテム頼みである。
「さて、ここからが問題かな」
まず縦坑からは距離を取りたい。しかし旧都を抜けて潜伏できそうな奥地へ向かうには、まず橋姫の在する橋を渡らなければならない。
正邪は橋守の姿が無い事を期待し、マジックアイテムを携えてそこまで進む。
姿を現す朱塗りの橋。そこに正邪はまぼろしを見る。
瘴気など含まない清々しい風が吹き渡り、橋の下には澄み渡った川の流れ。その水面が映す緑に顔を上げてみれば、そこには青々とした森が広がっている。
何者による幻惑かと、正邪はその光景を、己の五感一切を信じようとしない。そこに居る、一人の人物の姿以外。
「へへっ、早速かよ……」
目を向けた先には正邪が懸念した人物、欄干に寄りかかる一人の乙女の姿があった。
「あら、例の天邪鬼じゃない。殊勝に勇儀にお詫びに来たの?」
辺りを埋めていた緑は彼女の硬玉に似た瞳に収束し、色を失う。
地の底の明けぬ夜の中で今見たまぼろしは、一体何を示していたのか。正邪はそんな考えを頭の端に起きながら、橋守、水橋パルスィに答える。
「お前らが協力しなかったせいで地上での反乱がおじゃんだ。そのケジメを付けさせに来ただけだ」
「要は勝ち目の無い喧嘩に負けて、地上を追われてここに逃げてきた、と。変わらないじゃない、こっちでやらかしたことと」
地上の世相には疎いながらも、この程度の流れはパルスィにも想像が付く。
少なくとも、輝針城異変の話は地底にも届いて話題になっていたし、正邪の甘言に傾いていた者達すら「ほれ見たことか」と僅かにでも荷担しようとしていた考えなど無かったこ事にしている。
勇儀の取り巻き達は流石に恥を知ってか沈黙していたが、始めからこれを突っぱねていた彼女への周囲の信頼は、より確かなものになっていた。
そしてパルスィの興味は始めから反乱ではなく、正邪個人に向けられている。
反乱、下克上。弱者が強者に逆らう。その行動の根本にあるのは上位者への妬み、自身の現状への恨み、不満であるはず。
そうでなければ義侠心か義憤か。しかし天邪鬼が“義”を唱えるなど、これ以上の笑い話も無い。かと言って、嫉妬を聞き取り、それを糧や力とし、あるいは形を取らせて使役するパルスィにも、正邪からは妬み嫉みが聞き取れずにいる。今もそれは変わらない。
不思議な物や隠された事に興味が向くのは、智恵のある者なら誰でも同じ。今回は唯一、パルスィがそれに気付いていただけ。
早々に自身の行動が看破された正邪の方は、パルスィのそんな思惑などに知らず、悔しそうな貌を向けている。外見だけだけならそこまで恐ろしくは見えない彼女も、場合によっては鬼や土蜘蛛より遙かに恐ろしい存在である事は鳥辺野に潜伏していた時に聞いていたため、下手に手出しが出来ないからだ。
「ああそうさ、だから逃げてきた。ここは嫌われ者の吹きだまりだろ? なら一敗地にまみれて地上から追い出された私がいてもいいはずだろ」
正邪は今、ここをどう乗り切るかのみを考えている。だが名案など無く、ただ恨み節を吐き出すことしか出来ない。
「嫌われ者の吹きだまり、ね。それは半分だけ正解かも。いいわ、私が匿ってあげる」
「上から目線かよ。私は鳥辺野にまで行ければそれでいい、匿って欲しいんじゃない」
「無理よ。あなたがしでかした事は旧地獄中に広がってる。風穴は勤勉な土蜘蛛達の隙を突いて降りて来られたかも知れないけれど、旧都を抜けるなんてとてもとても」
「選択肢は無い、か……」
さしもの正邪も、今回だけはその事実を受け入れる。
「そんな嫌そうな貌をされるのと、ちょっと腹が立つわね。でも橋の下の生活も、結構快適なものよ?」
そう言って橋の下を示すパルスィ。
「快適かどうかなんて、そういう事を言ってるんじゃ……」
橋と交叉しているのは、一丈も下がらない所にある水無川だったはず。だが正邪が目にしたのは奈落の穴。
橋姫の館はそこで、下へ向かってそびえていた。旧地獄の壁に張り付いてた他の構造物と同じく、様々な様式が入り混じった物だ。
ここは彼方への入り口、選別の橋。正邪はパルスィの担う物と力の根源を思い知る。
「ははっ。つくづく私には逆さの建物と縁があるみたいだな」
「で、あなたはこれからどうするつもりかしら」
その種の問いへの答えは決まっていた。
「決まってる。また地上に出て、城を手に入れてやる」
そうするのもほとぼりが冷めてからになるだろうとパルスィは思っていたが、天邪鬼が一筋縄ではいかない指向の持ち主である事を、この時は失念していた。
∴
「なんだって?! 寺も慧音達もその他諸々、今回の件を知ってるだぁ!?」
博麗神社で紫との接触に成功した魔理沙は、知らされた事実が寝耳に水と責め立てる。
「あら、言ってなかったかしら?」
それでも情報は局限されている。それなりの実力を持ちながら黒幕とは確実に関係が無く、口が堅い、信用がおける人物に対してのみ。(魔理沙の場合、口が堅く信用がおけるという点では疑問符が付きかねないが)
「いやいや、全然聞いてないぞ。今回の件は極秘裏に進めてるんじゃなかったのか」
「貴女が早とちりしただけでしょう?」
魔理沙と特に関係する人物と、妖怪の山の件だけは重々と伝達されていただけのこと。他の協力者とは連携して動く手はずにも無いのだから、紫の姿勢も理解出来なくは無い。
「それじゃあ、ずっと匿い続けられたかも知れないじゃないか」
「ところがそうもいかないの。手配書に乗じて黒幕が強硬手段に出るかも知れないですもの。事実誤認が入りはしたけれど、貴女の判断は正しかった。それに手配書の所為で協力者達も含めて多くの者が動かなければいけなくなりました。その中には、貴女もいます」
「ああ、それもだな」
これまでは妖怪同士の小競り合いとして無視を決め込む態度も許されたが、もはやそうもいかなくなった。
霊夢も渋々腰を上げるつもりであるらしく、今は装備の準備に余念が無い。
「あいつもしかして、褒賞目当てのつもりでいるんじゃないよな……」
紫の話に乗ってこなかった彼女の気合いの入りようは、今になって、異変の時と大差なくなっている。褒賞以上に、手配書が人里まで撒かれているのを知って、この解決を神社の繁盛に繋げようと考えているのだろう。
「これまでも悠長にしていたつもりは無いけれど、事実解明を急がなければいけなくなりましたわ。僅かなチャンスも手がかりも、逃してはならない」
それは当然だと魔理沙は頷く。問題は――
「なあ次は、どこに向かうと思う?」
「儂のアドバイスを聞いてくれたなら、白玉楼辺りに向かってくれるんじゃないかのお」
何かに化けて潜伏していたのか、いつの間にかマミゾウが茶をすすっている。
「やっぱりお前が何か吹き込んだのか」
「ああ、その通りじゃ。あの世巡りでもしてみたらどうか、と吹聴してみた」
魔理沙は自慢げに言うマミゾウ、それに紫にも、したたかな奴らだと半ば呆れた風な貌を向ける。
「いやそれを言ったんだったら、あいつ旧地獄に向かうかも知れないじゃないか」
「残念ながらそれはありません」
一本歯のシューズが境内に突き刺さる。どうやってそれを聞いていたのか不明ながら、魔理沙の指摘に答えたのは文だった。
また増えたと眉をひそめる魔理沙に、文はその理由を求めているのだと考え続けて言う。
「実はあの天邪鬼。異変の下準備に旧地獄へと入り込んでたんです。そこで割と無茶をして、土蜘蛛や鬼から相当な怒りを買ってます」
「それも聞いてないぞ……」
「ええ、私自身も新聞のネタにするつもりでしたけど、それもお蔵入りさせたぐらいですから、お察し下さい」
「それだけヤバいネタだった、って訳か。紫は知ってたか?」
「いえ。正確には」
正確には、という点に含んでいるのは、察知はしていたが何があったのかを――旧地獄の出来事には感知しないという意思の強調。だからといって、それを知ろうとした文を攻める素振りは無い。立場が違えば、言葉一つの選び方も違ってくる。
「……霊夢が今回の件、乗り気じゃ無いって気持ちがよく分かるぜ」
好奇心は猫を殺すとは言われるが、命一つきりしか持たない魔理沙には、これ以上立ち入って聞こうという気は起きない。文が終わったことだとしているのだから、これから先重大な事態に発展するという話でも無いのだろうと、そちらへの興味を引っ込める。
「それよりブン屋。アイツのことだ、旧地獄で何かやらかしたからって言って、そっちに行かないとは限らないぜ」
「どういう意味です?」
正邪の行動原理はまさしく天邪鬼。人の期待をことごとく裏切る方へと動くのはもちろん、整合性や合理性と言ったものに欠ける事がままある。
「妖怪の山に行ったのなんかはその最たる例としてだ、私の家に来て早々、寝込みを襲いにかかりやがった。私がこういう企みの片棒担いでるなんて知ってたら理解できるけど、根城を確保するなら、協力してやろうって言ってる家主を殺すのなんて、下の下の策だ」
「なちゅらるぼーんきらぁ、という奴かもの」
マミゾウがカラカラ笑いながら茶々を入れるのには文句も言わず、文は答えを返す。
「それも、天邪鬼のサガかも知れませんね」
これは魔理沙とマミゾウ、それぞれの示す正邪像に対しての答え。
「どういう事だ?」
「知ってるんですよ。そういう話を」
天邪鬼とは、ある時は国引きの巨人であったり、舌禍を以て天津神々を陥れたり、河童を使役した術士だったり、あるいは天狗の祖であったりする。そういう逸話に溢れている。
しかし最も知られているのは、数多の類話が残る瓜子姫の寓話だろう。
それがなぜ一番知られているのか。文がその目で見たことがあるほど、最も新しい出来事であるからだ。知っている、などという程度ではないほどに。
「……人の胎(はら)から人の皮を纏って生まれ、庇護者を殺すか、人の身で庇護者に殺されるかして、その本性を現しては退治され、また別の胎内に戻る。己を愛する者、己が愛する者を死に追いやり、永劫誰からも愛されない。それが、あの哀れな妖に填められた軛(くびき)」
寓話の中で夫婦の間に授かる機織り好きの愛らしい姫も天邪鬼なら、それを刻み殺すか衣を剥ぎ取るのも天邪鬼。そして退治されるのは当然、天邪鬼。
あるいはここで砕かれた天邪鬼の亡骸が、穀物神の如く多くの糧を生み出すという類話も存在するが、これは神代から人の世に移ろう過程で、その役目を変えたのかも知れない。
「その軛を填めたのはおそらく、清らかな天上から穢土(えど)を見おろしてる者達、かの? これは確かに、滅して終わりにはならない訳じゃ」
マミゾウが打って変わって神妙な面持ちで言うのには、文も素直にそうだと応じる。
「よほど天にとって不都合な真似をしたのか。そのいきさつ、もはや本人でも覚えてないでしょうから、我々などが知る由もありませんが」
それ以上は文も言わないが、天邪鬼をこの軛から解き放つ道があることもまた、知っていた。言わないのは、自身を含めたこの場の誰にも、それが為せるとは思えないからだ。
文は言い終わると、マミゾウや魔理沙と共に、紫の方を向く。
「お生憎様、私も貴女方と歳はそう変わりませんわ」
紫は「私は除いといてくれよ」という魔理沙の軽口をいなす。
「確かに私も、それと近しい天邪鬼を知っている。でも貴女の言う通りであるなら、天邪鬼とはただ一個体、あの鬼人正邪なる者だけが存在するのだ、と言う事になりますが?」
「実際は分かりません。私は私が知る限りの話をしたまでですからね。話を戻しますが、天邪鬼が魔理沙さんを殺そうとしたのも、そのサガゆえ。もしかしたら、匿ってくれたあなたに好意が芽生えたのかも知れませんね」
基本的に誰かに好意を向けられるのは気分が良い、魔理沙もそこまで天邪鬼ではない。ただ、正邪にそうされるというのは心中微妙である。危害を加えられる件も込みで。
「ったく、ゾッとしない話だぜ」
正邪がせめて大人しくしてくれるのなら、素直に気分良く思える所ではある。彼女のそういった行動の端々を思えば、そうと取れない事も無いだけに尚更に。
その様な、ここしばらくの間の――殺すか騙すかと言うとても非道い――共同生活を思い返していた魔理沙は、ふと自身の失念に気付く。
「そうだ忘れてた。あいつ、私が渡すよりも先にマジックアイテムを持っていたみたいだ。なぜか『ひらり布』だけは二枚あったんだ」
一度、正邪が忘れた折に魔理沙が試用してみた所、それは全く同じ効果を持っていた。魔理沙が渡したひらり布は、確かに打ち出の小槌の魔力を宿している。それと同じ物が既に存在していたのだ。
「おいおい魔理沙殿。それはひょっとして、大当たりかもじゃないかの?」
紫が黒幕の存在についての推論を立てるに至った要因の一つは、エネルギーソースの不可解さからだった。
いくら打ち出の小槌を使ったとは言え、尋常な量の魔力ではあれだけの大事は起こせない。正邪が当初振るっていた小槌には、それだけの魔力に充ち満ちていた。故にあれだけの事を起こせたのだ。だが異変が終わる頃にはその魔力もとうに尽き、針妙丸などは無理に小槌を用い続けた副作用で、未だに籠の中の小人となっている。
どこかの時点で魔力の供給が断たれ、やがてそれが尽きた。それは正邪か針妙丸が、黒幕の思惑にそぐわない行動に出たからだと考えられた。
そして針妙丸には術まで用いて既に身辺を洗っている。結果は当然シロ。
正邪などはそう簡単に口を割らないだろうし、黒幕が記憶などを操作してる可能性もある。その場合の次善の手がかりと見えるのが、鬼の魔力が尽きる前に影響を受けた器物。
もっとも八橋や弁々など付喪神し明確な意識を持った者達は、鬼の魔力を既に別の何かに置換していたりする。小槌自体も今は同様で、こちらからは手がかりが得られなかった。
そこで正邪を泳がせると共に、当初の鬼の魔力が篭もったマジックアイテムを探していたのだ。ちなみに最初に魔理沙が供与したのは、小槌の暴走により吐き出された、これよりも過ぎるほどに古い魔力(恐らくは小人族が閉じ込められていた鬼の世界由来の物であろう)の影響を受けた物のみ。
それ以降に蒐集された他のマジックアイテムにもまだ望みはあるが、正邪の手元に始めからあったひらり布だけは確実に、求めていたそれだろうと判じられた。
「とっととくすねとけばよかったぜ。まさかこんな事になると思って無かったけどな」
「急いては事をし損じる。それが正解でなかった場合、他の手がかりも完全に失いかねません。あなたは運にも恵まれてますわね」
ひらり布の回収も出来ず、正邪の逃亡を許した現状のどこが運の良いものか。魔理沙には嫌味にしか聞こえず「そうだな」と白けた視線を返す。
「まあ、急いては云々の話、ここまでになるのでしょうけれど。ときに手配書、拝見しましたわ。上手く時間を稼いで下さいましたわね」
不意に紫からそう語り掛けられた文は、僅かに目を見開く。
「あ、や……なぜ、そうお思いで?」
「天邪鬼の悪事の数々、別にここまで押し並べなくてもいいのに、随分危険な妖怪が現れた風に書かれていますもの。これでは人間はおろか、そこらの野良妖怪程度では、軽々に手を出そうと思わないでしょう」
魔理沙が紫の手元にあるそれを見る。人里で人々の手に渡り、魔理沙自身が拾ったのと同じ物。しかし言われてよくよく読めば、悪事と共に今現在は使用不能なはずの各種のスペルや能力についても列挙されている。これは今、必要が無い情報のはず。
「ふぅ。手配書の件が私に任されたのは、運と実力が半々でしたけどね」
謙遜も誇示もしない、なるようになっただけと文は語る。
「なるほど、こうすれば当たる者は限られるか。しかし今以て不思議なのは、これだけの大事になったのに未だに動かない黒幕じゃ。八雲殿よ、本当にそんなモンがおるのか?」
当然持ちうる疑問。紫が針小棒大に捉えすぎなのではと、マミゾウは投げかける。
「居ますわ、確実に。動かないのは、それ相応の立場にある者だからではないかと」
旧地獄の鬼、特に大物の星熊勇儀やその直参の鬼達については、紫が友人である伊吹萃香を通してそれとなく確認している。そして持ち帰られた答えは当然「誰も関与していない」とのもの。彼女らは嘘をつかない、これは何より信じることが出来た。
「そうは言われるがのお。そもそも鬼の魔力でのみ動く小槌の力の源は、当然鬼なんじゃろ? 当初儂を疑ったのも、自分の妖力を鬼の魔力へ偽装するのが可能なんじゃなかろうかと、そういうことじゃったし」
なお、マミゾウはこの可否について、紫に答えてはいない。
「あと鬼が居るのなんて、地獄ぐらいだぜ」
獄卒としての勤めを得た鬼達であれば、そう簡単に動く事も出来まい。実は最初から、推理の中ではこれが本命とされているし、今もそれを覆す説は出ていない。
「そちらはコンタクトが極めて困難ですが、今もそのための努力はしています。ただ、そちらからよからぬ答えが返ってきた場合が、一番困るのですが」
地獄では無いようにとは、紫こそ願っている。あちらは組織や勢力などと言う概念を越えた、信仰の世界だ。事を構える以前の、ただただ理不尽な結末しか見えない。
「どのみち、正邪をとっ捕まえてアイテムを回収した方が早そうだ。そうだ、手前味噌だが旧地獄に向かった可能性もあるんだし、私も伝手を当たってみるか」
「伝手? もしかしてヤマメさんですか?」
「ああ、あいつなら住み処が住み処だし、監視を頼むのにうってつけだ」
文はただ「そうですね」とだけ言い、先般旧地獄で何があったのかなどは依然語らない。
今晩は久しぶりに穏やかに過ごせそうだと、魔理沙は早速ヤマメの元へ向かうために飛び立つ。これも約定などの制約が無い人間だからこそ為せる話。魔理沙を引き込んだ紫の思惑の中にはこれもあった。
残された三人も、ただ茶を飲むだけではない。それぞれに動きを画策している。現在こうして一つの目的の為に集ってはいても、その思惑は一枚岩では無いのだから。
「あぁでも、他にも『鬼』が居る場所はありましたわね」
紫のその言葉に、文は目をつぶる事で応えた。
∴
昼の内に旧地獄の風穴に至った魔理沙は、まだ坑道で働くヤマメの探索に難儀する羽目になっていた。
これなら、住み処に戻るであろう夜に来た方が得策だったかと頭を掻く。土蜘蛛らも「また黒白人間が来た」とどうでもいい風な眼差しを向けるだけ。折角だからと坑道探検。
坑道は鉄材で補強されている箇所の方が多い。ヤマメ達が言う『瘴気』の影響か、黒く変色しているのが気になる。逆に木材は旧都の方での普請に消費しきってしまうため、こんな所にまで回ってこないのだ。
ただし所々の、封鎖された廃坑に立てられているのは木戸。幻想に至った坑道の閉鎖、真に掘り尽くされた後なのだろう。そういった廃坑を除いても、この縦坑はまだ、千年万年と採掘が続けられそうな程の厚みがある。
そうした廃坑の一つ、明らかに異質な場所に魔理沙は辿り着く。
漂うきな臭さ、それを視覚で補強する焦げた壁面。
「粉塵爆発でも起きたのか?」
それを見てそう独り言つ。
「その通りよ」
「おお、吃驚」
「人間がこんな所まで入り込んで吃驚で済むなんて、相変わらずね」
殆ど灯火も無い中であっても、山吹色の髪と鳶色の瞳が輝いている。黒谷ヤマメだった。
「女は度胸だからな。ってそうだ、お前らもやっぱりこんな目に遭ったりするんだな」
もしかしたら、これが正邪のやらかした無茶かも知れないと魔理沙は思い浮かべるが、言及してもしシャクに障ることになれば協力も得られまい。そのため、怪我人などは出なかったのかなど、殊勝に心配する素振りを見せるに留める魔理沙。
ヤマメは死者を出さずに済んだことだけを伝えてから問い返す。
「で、あっちこっちウロウロして私を探してたみたいだけど、何か用?」
「ああ、ちょっと頼み事があってな。報酬はまだこれから話し合いたいが、まず用件としてはだ、コイツがこちらに降りて来たら教えて欲しい」
魔理沙は四つ折りにしてポシェットにしまい込んでいた手配書を広げ、ヤマメに見せる。
「ここに書いてあるとおり、こいつは天邪鬼だ。地上で色々とやらかして、今はこの通りのお尋ね者だ。上手くすれば褒賞が出るかも知れないんで追ってる。だから――」
「今のところ、見た覚えは無いわ。少し前には来ていたみたいだけれど」
魔理沙が言い切る前にそう断言。急いた風な答えに、魔理沙は訝しげな視線を向ける。
「私は、お前を信用してる。けれど旧地獄全体を信用してる訳じゃ無い。もし旧地獄の中に正邪、天邪鬼を匿うなんて動きがあるなら、止めた方がいいと言っておいてくれ」
「ええ、天邪鬼なんて妖怪の悪辣さは、私達もよく知ってるわ。いくらここが、忌み嫌われて封じられた妖怪の楽園なんて言われても、あんな奴の居場所なんてありはしないの」
「そうか、それならいいが」
「だから、もしこっちにそんな奴が降りて来たら、いの一番に知らせるわ。報酬はまあ、そこに書いてある褒賞を山分けってところでどう?」
確定しての褒賞は金一封としか書かれていない。これが一分か一両分かは分からないが、彼女が坑道での作業や商いなどの生業をほっぽり出してまで勤しむだけの価値は無い。
「別に、やる気が無いって言ってるわけじゃないの。でもちょっと、こっちでも立て込んでることがあるから。けど天邪鬼の件は他の仲間にも伝えとくから」
仲間というのが土蜘蛛に限った話だとしても、監視網を張るには十分。もし旧都まで含めて貰えるならば、地底へ降りて来た時点で確実に発見できるだろう。
成功報酬とはそういうことかと魔理沙は納得し、手配書を手渡す。ヤマメは「えっ」とそれが渡されたのに軽く驚く。
「確かに分かり易い特徴はあるし、先にこっちに降りて来た事があったって言っても、人相書きはあった方が良いだろ? 必要なら、これを刷ったブン屋からもっと貰ってくる」
「ブン屋……」
地底に高札は立てられていても新聞などはあるまい。ブン屋などとは言い方が悪かったと、魔理沙はそれが鴉天狗が行っている催しの一環、新聞大会で活躍している記者を指しているのだと補足する。
「そう、新聞屋さんね。出来ればそうして貰えたら、ありがたいかな」
「よし、じゃあ言っておく。また来るからよろしくな」
「うん。あと、次に来る時は夜にした方がいいわ。それならだいたい家に居るか、旧都の方で呑んでるかのどっちかだから」
「旧都は勘弁して欲しいな。鬼の相手は面倒だし、酒の匂いが酷い」
でも次に来る時は言われたとおりにすると魔理沙は答え、そのまま暇乞いをする。
ヤマメは魔理沙を坑道の出口まで見送ると、飛び征く魔理沙を見上げてから、縦坑を見おろす。地の底から、忘恩の風が吹き上がって来た。
パルスィが旧都での所要を終えて橋の下の館に戻ってみれば、正邪に宛がった部屋に彼女の姿は無く、ビードロ障子の窓がものの見事に割られていた。
「ちょっと、来て早々これ?!」
別に窓が割られた事などはどうにかなる。問題は早速の脱走。地上に出るのはほとぼりが冷めてからになるであろうから、逃げるなら旧地獄の奥地、地霊殿よりは手前か。
しかし何の助けも無く旧都を抜けるなど正気では考えられない。
(いや、そもそも天邪鬼の正気なんて、どんなものか分からないか……)
正邪を匿っていたのが明らかになった所で、パルスィを排斥しようなどと言うモノはおるまい。もし橋姫が旧地獄から失われれば、ここに架かる橋は真に断たれ、旧都より先に渡る術(すべ)も同時に失われるのだから。
パルスィが決心し、堂々と正邪を探そうと橋の上に出てみると、そこには待ち受けていたかのようにヤマメの姿があった。
パルスィは大変な懸念を覚え、冷や汗を流す。
彼女と一戦を交えても、いい事など何も無い。黙したままヤマメの言葉を待つ。
「パルスィ。さっき例の天邪鬼、鬼人正邪が地上に上がって行ったわ」
また地上に行くなどこれも想像していなかったため、パルスィはまたも驚く。しかしそれについての言及より先に、彼女が求めているであろう答えをと語る。
「来たのは昨日の夜ね。それを、私が隠してた」
「降りて来たのは知ってた。でもそう、パルスィが……」
まさかヤマメが正邪を見逃すなどとは露程にも思っていなかった。
パルスィは驚きを隠さず、問い返す。
「ヤマメ、謝っておくわ。私が天邪鬼を匿ったのは、あいつに興味が湧いたからよ。何も持たず、嫉妬すらも抱かないままあんな行動を、何者かへの反抗、叛逆を続けるあいつに。それにここに置いておけば、殺すならいつでも私自身の力で出来るし、ここからそのまま奈落に突き落とす事だって出来る」
パルスィが手を下さずとも、地底にいれば土蜘蛛や鬼達に、地上に戻れば数多の妖怪の手により処分されるのは間違いない。どのみち大差は無い。
「正邪の、本性……」
今のヤマメに、正邪を見逃せなどと言っても意味は無い。それより――
「それより、ヤマメはあいつを泳がせて何をしたかったの? この前の騒動で、積もる恨みもあるんじゃないの? 同族にされたことだって貴女自身の事だって、何より、あいつの企みを潰すために……」
ヤマメの旧知の妖、蝕まれ続ける道を選んだ地底にただ一人の河童、ひょうすべの田道間。彼とて正邪が訪れなければ、もっと生き延びられたかも知れない。
パルスィには、自身の興味本位の行いよりも、ヤマメのとった行動の方が客観的にも不可解であろうと感じた。
「奈落に叩き落とすか、それもいいのかもね」
隠し事はお互い様だったと、パルスィの行動を許したヤマメはしかし、自身の胸中を語ろうとはせずに旧都の明かりの
明けぬ夜を征く 第4話
旧地獄への降下は驚くほどすんなりといった。もちろんマジックアイテム頼みである。
「さて、ここからが問題かな」
まず縦坑からは距離を取りたい。しかし旧都を抜けて潜伏できそうな奥地へ向かうには、まず橋姫の在する橋を渡らなければならない。
正邪は橋守の姿が無い事を期待し、マジックアイテムを携えてそこまで進む。
姿を現す朱塗りの橋。そこに正邪はまぼろしを見る。
瘴気など含まない清々しい風が吹き渡り、橋の下には澄み渡った川の流れ。その水面が映す緑に顔を上げてみれば、そこには青々とした森が広がっている。
何者による幻惑かと、正邪はその光景を、己の五感一切を信じようとしない。そこに居る、一人の人物の姿以外。
「へへっ、早速かよ……」
目を向けた先には正邪が懸念した人物、欄干に寄りかかる一人の乙女の姿があった。
「あら、例の天邪鬼じゃない。殊勝に勇儀にお詫びに来たの?」
辺りを埋めていた緑は彼女の硬玉に似た瞳に収束し、色を失う。
地の底の明けぬ夜の中で今見たまぼろしは、一体何を示していたのか。正邪はそんな考えを頭の端に起きながら、橋守、水橋パルスィに答える。
「お前らが協力しなかったせいで地上での反乱がおじゃんだ。そのケジメを付けさせに来ただけだ」
「要は勝ち目の無い喧嘩に負けて、地上を追われてここに逃げてきた、と。変わらないじゃない、こっちでやらかしたことと」
地上の世相には疎いながらも、この程度の流れはパルスィにも想像が付く。
少なくとも、輝針城異変の話は地底にも届いて話題になっていたし、正邪の甘言に傾いていた者達すら「ほれ見たことか」と僅かにでも荷担しようとしていた考えなど無かったこ事にしている。
勇儀の取り巻き達は流石に恥を知ってか沈黙していたが、始めからこれを突っぱねていた彼女への周囲の信頼は、より確かなものになっていた。
そしてパルスィの興味は始めから反乱ではなく、正邪個人に向けられている。
反乱、下克上。弱者が強者に逆らう。その行動の根本にあるのは上位者への妬み、自身の現状への恨み、不満であるはず。
そうでなければ義侠心か義憤か。しかし天邪鬼が“義”を唱えるなど、これ以上の笑い話も無い。かと言って、嫉妬を聞き取り、それを糧や力とし、あるいは形を取らせて使役するパルスィにも、正邪からは妬み嫉みが聞き取れずにいる。今もそれは変わらない。
不思議な物や隠された事に興味が向くのは、智恵のある者なら誰でも同じ。今回は唯一、パルスィがそれに気付いていただけ。
早々に自身の行動が看破された正邪の方は、パルスィのそんな思惑などに知らず、悔しそうな貌を向けている。外見だけだけならそこまで恐ろしくは見えない彼女も、場合によっては鬼や土蜘蛛より遙かに恐ろしい存在である事は鳥辺野に潜伏していた時に聞いていたため、下手に手出しが出来ないからだ。
「ああそうさ、だから逃げてきた。ここは嫌われ者の吹きだまりだろ? なら一敗地にまみれて地上から追い出された私がいてもいいはずだろ」
正邪は今、ここをどう乗り切るかのみを考えている。だが名案など無く、ただ恨み節を吐き出すことしか出来ない。
「嫌われ者の吹きだまり、ね。それは半分だけ正解かも。いいわ、私が匿ってあげる」
「上から目線かよ。私は鳥辺野にまで行ければそれでいい、匿って欲しいんじゃない」
「無理よ。あなたがしでかした事は旧地獄中に広がってる。風穴は勤勉な土蜘蛛達の隙を突いて降りて来られたかも知れないけれど、旧都を抜けるなんてとてもとても」
「選択肢は無い、か……」
さしもの正邪も、今回だけはその事実を受け入れる。
「そんな嫌そうな貌をされるのと、ちょっと腹が立つわね。でも橋の下の生活も、結構快適なものよ?」
そう言って橋の下を示すパルスィ。
「快適かどうかなんて、そういう事を言ってるんじゃ……」
橋と交叉しているのは、一丈も下がらない所にある水無川だったはず。だが正邪が目にしたのは奈落の穴。
橋姫の館はそこで、下へ向かってそびえていた。旧地獄の壁に張り付いてた他の構造物と同じく、様々な様式が入り混じった物だ。
ここは彼方への入り口、選別の橋。正邪はパルスィの担う物と力の根源を思い知る。
「ははっ。つくづく私には逆さの建物と縁があるみたいだな」
「で、あなたはこれからどうするつもりかしら」
その種の問いへの答えは決まっていた。
「決まってる。また地上に出て、城を手に入れてやる」
そうするのもほとぼりが冷めてからになるだろうとパルスィは思っていたが、天邪鬼が一筋縄ではいかない指向の持ち主である事を、この時は失念していた。
∴
「なんだって?! 寺も慧音達もその他諸々、今回の件を知ってるだぁ!?」
博麗神社で紫との接触に成功した魔理沙は、知らされた事実が寝耳に水と責め立てる。
「あら、言ってなかったかしら?」
それでも情報は局限されている。それなりの実力を持ちながら黒幕とは確実に関係が無く、口が堅い、信用がおける人物に対してのみ。(魔理沙の場合、口が堅く信用がおけるという点では疑問符が付きかねないが)
「いやいや、全然聞いてないぞ。今回の件は極秘裏に進めてるんじゃなかったのか」
「貴女が早とちりしただけでしょう?」
魔理沙と特に関係する人物と、妖怪の山の件だけは重々と伝達されていただけのこと。他の協力者とは連携して動く手はずにも無いのだから、紫の姿勢も理解出来なくは無い。
「それじゃあ、ずっと匿い続けられたかも知れないじゃないか」
「ところがそうもいかないの。手配書に乗じて黒幕が強硬手段に出るかも知れないですもの。事実誤認が入りはしたけれど、貴女の判断は正しかった。それに手配書の所為で協力者達も含めて多くの者が動かなければいけなくなりました。その中には、貴女もいます」
「ああ、それもだな」
これまでは妖怪同士の小競り合いとして無視を決め込む態度も許されたが、もはやそうもいかなくなった。
霊夢も渋々腰を上げるつもりであるらしく、今は装備の準備に余念が無い。
「あいつもしかして、褒賞目当てのつもりでいるんじゃないよな……」
紫の話に乗ってこなかった彼女の気合いの入りようは、今になって、異変の時と大差なくなっている。褒賞以上に、手配書が人里まで撒かれているのを知って、この解決を神社の繁盛に繋げようと考えているのだろう。
「これまでも悠長にしていたつもりは無いけれど、事実解明を急がなければいけなくなりましたわ。僅かなチャンスも手がかりも、逃してはならない」
それは当然だと魔理沙は頷く。問題は――
「なあ次は、どこに向かうと思う?」
「儂のアドバイスを聞いてくれたなら、白玉楼辺りに向かってくれるんじゃないかのお」
何かに化けて潜伏していたのか、いつの間にかマミゾウが茶をすすっている。
「やっぱりお前が何か吹き込んだのか」
「ああ、その通りじゃ。あの世巡りでもしてみたらどうか、と吹聴してみた」
魔理沙は自慢げに言うマミゾウ、それに紫にも、したたかな奴らだと半ば呆れた風な貌を向ける。
「いやそれを言ったんだったら、あいつ旧地獄に向かうかも知れないじゃないか」
「残念ながらそれはありません」
一本歯のシューズが境内に突き刺さる。どうやってそれを聞いていたのか不明ながら、魔理沙の指摘に答えたのは文だった。
また増えたと眉をひそめる魔理沙に、文はその理由を求めているのだと考え続けて言う。
「実はあの天邪鬼。異変の下準備に旧地獄へと入り込んでたんです。そこで割と無茶をして、土蜘蛛や鬼から相当な怒りを買ってます」
「それも聞いてないぞ……」
「ええ、私自身も新聞のネタにするつもりでしたけど、それもお蔵入りさせたぐらいですから、お察し下さい」
「それだけヤバいネタだった、って訳か。紫は知ってたか?」
「いえ。正確には」
正確には、という点に含んでいるのは、察知はしていたが何があったのかを――旧地獄の出来事には感知しないという意思の強調。だからといって、それを知ろうとした文を攻める素振りは無い。立場が違えば、言葉一つの選び方も違ってくる。
「……霊夢が今回の件、乗り気じゃ無いって気持ちがよく分かるぜ」
好奇心は猫を殺すとは言われるが、命一つきりしか持たない魔理沙には、これ以上立ち入って聞こうという気は起きない。文が終わったことだとしているのだから、これから先重大な事態に発展するという話でも無いのだろうと、そちらへの興味を引っ込める。
「それよりブン屋。アイツのことだ、旧地獄で何かやらかしたからって言って、そっちに行かないとは限らないぜ」
「どういう意味です?」
正邪の行動原理はまさしく天邪鬼。人の期待をことごとく裏切る方へと動くのはもちろん、整合性や合理性と言ったものに欠ける事がままある。
「妖怪の山に行ったのなんかはその最たる例としてだ、私の家に来て早々、寝込みを襲いにかかりやがった。私がこういう企みの片棒担いでるなんて知ってたら理解できるけど、根城を確保するなら、協力してやろうって言ってる家主を殺すのなんて、下の下の策だ」
「なちゅらるぼーんきらぁ、という奴かもの」
マミゾウがカラカラ笑いながら茶々を入れるのには文句も言わず、文は答えを返す。
「それも、天邪鬼のサガかも知れませんね」
これは魔理沙とマミゾウ、それぞれの示す正邪像に対しての答え。
「どういう事だ?」
「知ってるんですよ。そういう話を」
天邪鬼とは、ある時は国引きの巨人であったり、舌禍を以て天津神々を陥れたり、河童を使役した術士だったり、あるいは天狗の祖であったりする。そういう逸話に溢れている。
しかし最も知られているのは、数多の類話が残る瓜子姫の寓話だろう。
それがなぜ一番知られているのか。文がその目で見たことがあるほど、最も新しい出来事であるからだ。知っている、などという程度ではないほどに。
「……人の胎(はら)から人の皮を纏って生まれ、庇護者を殺すか、人の身で庇護者に殺されるかして、その本性を現しては退治され、また別の胎内に戻る。己を愛する者、己が愛する者を死に追いやり、永劫誰からも愛されない。それが、あの哀れな妖に填められた軛(くびき)」
寓話の中で夫婦の間に授かる機織り好きの愛らしい姫も天邪鬼なら、それを刻み殺すか衣を剥ぎ取るのも天邪鬼。そして退治されるのは当然、天邪鬼。
あるいはここで砕かれた天邪鬼の亡骸が、穀物神の如く多くの糧を生み出すという類話も存在するが、これは神代から人の世に移ろう過程で、その役目を変えたのかも知れない。
「その軛を填めたのはおそらく、清らかな天上から穢土(えど)を見おろしてる者達、かの? これは確かに、滅して終わりにはならない訳じゃ」
マミゾウが打って変わって神妙な面持ちで言うのには、文も素直にそうだと応じる。
「よほど天にとって不都合な真似をしたのか。そのいきさつ、もはや本人でも覚えてないでしょうから、我々などが知る由もありませんが」
それ以上は文も言わないが、天邪鬼をこの軛から解き放つ道があることもまた、知っていた。言わないのは、自身を含めたこの場の誰にも、それが為せるとは思えないからだ。
文は言い終わると、マミゾウや魔理沙と共に、紫の方を向く。
「お生憎様、私も貴女方と歳はそう変わりませんわ」
紫は「私は除いといてくれよ」という魔理沙の軽口をいなす。
「確かに私も、それと近しい天邪鬼を知っている。でも貴女の言う通りであるなら、天邪鬼とはただ一個体、あの鬼人正邪なる者だけが存在するのだ、と言う事になりますが?」
「実際は分かりません。私は私が知る限りの話をしたまでですからね。話を戻しますが、天邪鬼が魔理沙さんを殺そうとしたのも、そのサガゆえ。もしかしたら、匿ってくれたあなたに好意が芽生えたのかも知れませんね」
基本的に誰かに好意を向けられるのは気分が良い、魔理沙もそこまで天邪鬼ではない。ただ、正邪にそうされるというのは心中微妙である。危害を加えられる件も込みで。
「ったく、ゾッとしない話だぜ」
正邪がせめて大人しくしてくれるのなら、素直に気分良く思える所ではある。彼女のそういった行動の端々を思えば、そうと取れない事も無いだけに尚更に。
その様な、ここしばらくの間の――殺すか騙すかと言うとても非道い――共同生活を思い返していた魔理沙は、ふと自身の失念に気付く。
「そうだ忘れてた。あいつ、私が渡すよりも先にマジックアイテムを持っていたみたいだ。なぜか『ひらり布』だけは二枚あったんだ」
一度、正邪が忘れた折に魔理沙が試用してみた所、それは全く同じ効果を持っていた。魔理沙が渡したひらり布は、確かに打ち出の小槌の魔力を宿している。それと同じ物が既に存在していたのだ。
「おいおい魔理沙殿。それはひょっとして、大当たりかもじゃないかの?」
紫が黒幕の存在についての推論を立てるに至った要因の一つは、エネルギーソースの不可解さからだった。
いくら打ち出の小槌を使ったとは言え、尋常な量の魔力ではあれだけの大事は起こせない。正邪が当初振るっていた小槌には、それだけの魔力に充ち満ちていた。故にあれだけの事を起こせたのだ。だが異変が終わる頃にはその魔力もとうに尽き、針妙丸などは無理に小槌を用い続けた副作用で、未だに籠の中の小人となっている。
どこかの時点で魔力の供給が断たれ、やがてそれが尽きた。それは正邪か針妙丸が、黒幕の思惑にそぐわない行動に出たからだと考えられた。
そして針妙丸には術まで用いて既に身辺を洗っている。結果は当然シロ。
正邪などはそう簡単に口を割らないだろうし、黒幕が記憶などを操作してる可能性もある。その場合の次善の手がかりと見えるのが、鬼の魔力が尽きる前に影響を受けた器物。
もっとも八橋や弁々など付喪神し明確な意識を持った者達は、鬼の魔力を既に別の何かに置換していたりする。小槌自体も今は同様で、こちらからは手がかりが得られなかった。
そこで正邪を泳がせると共に、当初の鬼の魔力が篭もったマジックアイテムを探していたのだ。ちなみに最初に魔理沙が供与したのは、小槌の暴走により吐き出された、これよりも過ぎるほどに古い魔力(恐らくは小人族が閉じ込められていた鬼の世界由来の物であろう)の影響を受けた物のみ。
それ以降に蒐集された他のマジックアイテムにもまだ望みはあるが、正邪の手元に始めからあったひらり布だけは確実に、求めていたそれだろうと判じられた。
「とっととくすねとけばよかったぜ。まさかこんな事になると思って無かったけどな」
「急いては事をし損じる。それが正解でなかった場合、他の手がかりも完全に失いかねません。あなたは運にも恵まれてますわね」
ひらり布の回収も出来ず、正邪の逃亡を許した現状のどこが運の良いものか。魔理沙には嫌味にしか聞こえず「そうだな」と白けた視線を返す。
「まあ、急いては云々の話、ここまでになるのでしょうけれど。ときに手配書、拝見しましたわ。上手く時間を稼いで下さいましたわね」
不意に紫からそう語り掛けられた文は、僅かに目を見開く。
「あ、や……なぜ、そうお思いで?」
「天邪鬼の悪事の数々、別にここまで押し並べなくてもいいのに、随分危険な妖怪が現れた風に書かれていますもの。これでは人間はおろか、そこらの野良妖怪程度では、軽々に手を出そうと思わないでしょう」
魔理沙が紫の手元にあるそれを見る。人里で人々の手に渡り、魔理沙自身が拾ったのと同じ物。しかし言われてよくよく読めば、悪事と共に今現在は使用不能なはずの各種のスペルや能力についても列挙されている。これは今、必要が無い情報のはず。
「ふぅ。手配書の件が私に任されたのは、運と実力が半々でしたけどね」
謙遜も誇示もしない、なるようになっただけと文は語る。
「なるほど、こうすれば当たる者は限られるか。しかし今以て不思議なのは、これだけの大事になったのに未だに動かない黒幕じゃ。八雲殿よ、本当にそんなモンがおるのか?」
当然持ちうる疑問。紫が針小棒大に捉えすぎなのではと、マミゾウは投げかける。
「居ますわ、確実に。動かないのは、それ相応の立場にある者だからではないかと」
旧地獄の鬼、特に大物の星熊勇儀やその直参の鬼達については、紫が友人である伊吹萃香を通してそれとなく確認している。そして持ち帰られた答えは当然「誰も関与していない」とのもの。彼女らは嘘をつかない、これは何より信じることが出来た。
「そうは言われるがのお。そもそも鬼の魔力でのみ動く小槌の力の源は、当然鬼なんじゃろ? 当初儂を疑ったのも、自分の妖力を鬼の魔力へ偽装するのが可能なんじゃなかろうかと、そういうことじゃったし」
なお、マミゾウはこの可否について、紫に答えてはいない。
「あと鬼が居るのなんて、地獄ぐらいだぜ」
獄卒としての勤めを得た鬼達であれば、そう簡単に動く事も出来まい。実は最初から、推理の中ではこれが本命とされているし、今もそれを覆す説は出ていない。
「そちらはコンタクトが極めて困難ですが、今もそのための努力はしています。ただ、そちらからよからぬ答えが返ってきた場合が、一番困るのですが」
地獄では無いようにとは、紫こそ願っている。あちらは組織や勢力などと言う概念を越えた、信仰の世界だ。事を構える以前の、ただただ理不尽な結末しか見えない。
「どのみち、正邪をとっ捕まえてアイテムを回収した方が早そうだ。そうだ、手前味噌だが旧地獄に向かった可能性もあるんだし、私も伝手を当たってみるか」
「伝手? もしかしてヤマメさんですか?」
「ああ、あいつなら住み処が住み処だし、監視を頼むのにうってつけだ」
文はただ「そうですね」とだけ言い、先般旧地獄で何があったのかなどは依然語らない。
今晩は久しぶりに穏やかに過ごせそうだと、魔理沙は早速ヤマメの元へ向かうために飛び立つ。これも約定などの制約が無い人間だからこそ為せる話。魔理沙を引き込んだ紫の思惑の中にはこれもあった。
残された三人も、ただ茶を飲むだけではない。それぞれに動きを画策している。現在こうして一つの目的の為に集ってはいても、その思惑は一枚岩では無いのだから。
「あぁでも、他にも『鬼』が居る場所はありましたわね」
紫のその言葉に、文は目をつぶる事で応えた。
∴
昼の内に旧地獄の風穴に至った魔理沙は、まだ坑道で働くヤマメの探索に難儀する羽目になっていた。
これなら、住み処に戻るであろう夜に来た方が得策だったかと頭を掻く。土蜘蛛らも「また黒白人間が来た」とどうでもいい風な眼差しを向けるだけ。折角だからと坑道探検。
坑道は鉄材で補強されている箇所の方が多い。ヤマメ達が言う『瘴気』の影響か、黒く変色しているのが気になる。逆に木材は旧都の方での普請に消費しきってしまうため、こんな所にまで回ってこないのだ。
ただし所々の、封鎖された廃坑に立てられているのは木戸。幻想に至った坑道の閉鎖、真に掘り尽くされた後なのだろう。そういった廃坑を除いても、この縦坑はまだ、千年万年と採掘が続けられそうな程の厚みがある。
そうした廃坑の一つ、明らかに異質な場所に魔理沙は辿り着く。
漂うきな臭さ、それを視覚で補強する焦げた壁面。
「粉塵爆発でも起きたのか?」
それを見てそう独り言つ。
「その通りよ」
「おお、吃驚」
「人間がこんな所まで入り込んで吃驚で済むなんて、相変わらずね」
殆ど灯火も無い中であっても、山吹色の髪と鳶色の瞳が輝いている。黒谷ヤマメだった。
「女は度胸だからな。ってそうだ、お前らもやっぱりこんな目に遭ったりするんだな」
もしかしたら、これが正邪のやらかした無茶かも知れないと魔理沙は思い浮かべるが、言及してもしシャクに障ることになれば協力も得られまい。そのため、怪我人などは出なかったのかなど、殊勝に心配する素振りを見せるに留める魔理沙。
ヤマメは死者を出さずに済んだことだけを伝えてから問い返す。
「で、あっちこっちウロウロして私を探してたみたいだけど、何か用?」
「ああ、ちょっと頼み事があってな。報酬はまだこれから話し合いたいが、まず用件としてはだ、コイツがこちらに降りて来たら教えて欲しい」
魔理沙は四つ折りにしてポシェットにしまい込んでいた手配書を広げ、ヤマメに見せる。
「ここに書いてあるとおり、こいつは天邪鬼だ。地上で色々とやらかして、今はこの通りのお尋ね者だ。上手くすれば褒賞が出るかも知れないんで追ってる。だから――」
「今のところ、見た覚えは無いわ。少し前には来ていたみたいだけれど」
魔理沙が言い切る前にそう断言。急いた風な答えに、魔理沙は訝しげな視線を向ける。
「私は、お前を信用してる。けれど旧地獄全体を信用してる訳じゃ無い。もし旧地獄の中に正邪、天邪鬼を匿うなんて動きがあるなら、止めた方がいいと言っておいてくれ」
「ええ、天邪鬼なんて妖怪の悪辣さは、私達もよく知ってるわ。いくらここが、忌み嫌われて封じられた妖怪の楽園なんて言われても、あんな奴の居場所なんてありはしないの」
「そうか、それならいいが」
「だから、もしこっちにそんな奴が降りて来たら、いの一番に知らせるわ。報酬はまあ、そこに書いてある褒賞を山分けってところでどう?」
確定しての褒賞は金一封としか書かれていない。これが一分か一両分かは分からないが、彼女が坑道での作業や商いなどの生業をほっぽり出してまで勤しむだけの価値は無い。
「別に、やる気が無いって言ってるわけじゃないの。でもちょっと、こっちでも立て込んでることがあるから。けど天邪鬼の件は他の仲間にも伝えとくから」
仲間というのが土蜘蛛に限った話だとしても、監視網を張るには十分。もし旧都まで含めて貰えるならば、地底へ降りて来た時点で確実に発見できるだろう。
成功報酬とはそういうことかと魔理沙は納得し、手配書を手渡す。ヤマメは「えっ」とそれが渡されたのに軽く驚く。
「確かに分かり易い特徴はあるし、先にこっちに降りて来た事があったって言っても、人相書きはあった方が良いだろ? 必要なら、これを刷ったブン屋からもっと貰ってくる」
「ブン屋……」
地底に高札は立てられていても新聞などはあるまい。ブン屋などとは言い方が悪かったと、魔理沙はそれが鴉天狗が行っている催しの一環、新聞大会で活躍している記者を指しているのだと補足する。
「そう、新聞屋さんね。出来ればそうして貰えたら、ありがたいかな」
「よし、じゃあ言っておく。また来るからよろしくな」
「うん。あと、次に来る時は夜にした方がいいわ。それならだいたい家に居るか、旧都の方で呑んでるかのどっちかだから」
「旧都は勘弁して欲しいな。鬼の相手は面倒だし、酒の匂いが酷い」
でも次に来る時は言われたとおりにすると魔理沙は答え、そのまま暇乞いをする。
ヤマメは魔理沙を坑道の出口まで見送ると、飛び征く魔理沙を見上げてから、縦坑を見おろす。地の底から、忘恩の風が吹き上がって来た。
パルスィが旧都での所要を終えて橋の下の館に戻ってみれば、正邪に宛がった部屋に彼女の姿は無く、ビードロ障子の窓がものの見事に割られていた。
「ちょっと、来て早々これ?!」
別に窓が割られた事などはどうにかなる。問題は早速の脱走。地上に出るのはほとぼりが冷めてからになるであろうから、逃げるなら旧地獄の奥地、地霊殿よりは手前か。
しかし何の助けも無く旧都を抜けるなど正気では考えられない。
(いや、そもそも天邪鬼の正気なんて、どんなものか分からないか……)
正邪を匿っていたのが明らかになった所で、パルスィを排斥しようなどと言うモノはおるまい。もし橋姫が旧地獄から失われれば、ここに架かる橋は真に断たれ、旧都より先に渡る術(すべ)も同時に失われるのだから。
パルスィが決心し、堂々と正邪を探そうと橋の上に出てみると、そこには待ち受けていたかのようにヤマメの姿があった。
パルスィは大変な懸念を覚え、冷や汗を流す。
彼女と一戦を交えても、いい事など何も無い。黙したままヤマメの言葉を待つ。
「パルスィ。さっき例の天邪鬼、鬼人正邪が地上に上がって行ったわ」
また地上に行くなどこれも想像していなかったため、パルスィはまたも驚く。しかしそれについての言及より先に、彼女が求めているであろう答えをと語る。
「来たのは昨日の夜ね。それを、私が隠してた」
「降りて来たのは知ってた。でもそう、パルスィが……」
まさかヤマメが正邪を見逃すなどとは露程にも思っていなかった。
パルスィは驚きを隠さず、問い返す。
「ヤマメ、謝っておくわ。私が天邪鬼を匿ったのは、あいつに興味が湧いたからよ。何も持たず、嫉妬すらも抱かないままあんな行動を、何者かへの反抗、叛逆を続けるあいつに。それにここに置いておけば、殺すならいつでも私自身の力で出来るし、ここからそのまま奈落に突き落とす事だって出来る」
パルスィが手を下さずとも、地底にいれば土蜘蛛や鬼達に、地上に戻れば数多の妖怪の手により処分されるのは間違いない。どのみち大差は無い。
「正邪の、本性……」
今のヤマメに、正邪を見逃せなどと言っても意味は無い。それより――
「それより、ヤマメはあいつを泳がせて何をしたかったの? この前の騒動で、積もる恨みもあるんじゃないの? 同族にされたことだって貴女自身の事だって、何より、あいつの企みを潰すために……」
ヤマメの旧知の妖、蝕まれ続ける道を選んだ地底にただ一人の河童、ひょうすべの田道間。彼とて正邪が訪れなければ、もっと生き延びられたかも知れない。
パルスィには、自身の興味本位の行いよりも、ヤマメのとった行動の方が客観的にも不可解であろうと感じた。
「奈落に叩き落とすか、それもいいのかもね」
隠し事はお互い様だったと、パルスィの行動を許したヤマメはしかし、自身の胸中を語ろうとはせずに旧都の明かりの
第4章 明けぬ夜を征く 一覧
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