ほとけには桜の花をたてまつれ
我が後の世を人とぶらはば
―19―
蓮子は喜び庭駆け回り、私はこたつで丸くなる――というわけではないけれども、蓮子が思索のため庭を散歩している間、私は部屋であの記録の解読につとめることにした。
件の〝富士見の娘〟以外の部分に何が書かれているのか。それが明らかになるだけでも、この記録をどこまで信用できるか、判断材料になるだろうと思ったのだが――。
「……ううん」
富士見の娘に関する記述が平易だったので、他のページも読めなくはないのでは、と挑んでみたものの、思った以上に難物だった。どうにか記憶を引っ張り出して読もうとしてみるが、何と書かれているのかすらさっぱり解らない文章が続く。というか――。
「これ、富士見の娘についての記述だけ新しいのかしら……?」
慎重に古い紙をめくりながら、私は確かめる。
富士見の娘云々の記述は、冊子になっているその記録の、一番最後に記されている。他のページと比べても、そこだけ非常に読み取りやすいのだ。紙の古さに比して、言葉遣いも明らかに、現代の私たちの感覚に近い。ということは、誰かが後から富士見の娘云々を書き足したということになるが、いったい何のために?
「……幽々子さんに、西行妖を満開にさせてみようとするため……?」
その思いつきに、私はぞくりと身を竦ませる。もしこの記録を幽々子さんが発見し、西行妖を満開にしようと思い立ったこと自体が、何者かの作為だったのだとしたら?
「その誰かは、幽々子さんの成仏、転生、あるいは消滅を願っている……?」
そういうことなのか? 妖怪の賢者が幽々子さんの行為を放置しているのはなぜか、という蓮子の挙げた謎の答えは――妖怪の賢者自身が幽々子さんの完全な死を願っているから、なのか? 幽々子さんはそれを知らずに、妖怪の賢者の罠に掛かった――?
私はゆるゆると首を横に振る。解らない。幽々子さんと妖怪の賢者の間にある事情を知らない以上、私にはそれ以上のことを推理することは不可能だ。息を吐いて、私はまた前のページに戻ろうと紙をめくって、――不意にその文字列に気付いた。
「『西行造人す』……?」
その五文字だけが突然目に飛び込んできて、私は硬直する。この西行というのは、当然あの西行のことだろう。しかし、造人す、とはどういうことだ。
その後の文章を読もうとしてみたが、やはりミミズののたくったような文字に跳ね返され、さっぱり意味が掴めない、しかし、少し読み進めてみると、「人の骨とを集めて人を作り」という文章が辛うじて読み取れた。――造人す、というのはつまり、人造人間のこと……?
西行が人造人間を作ろうとしていた? 人造人間……心を持った人形――。
「あら、貴方ひとり?」
突然背後から声を掛けられ、記録を破ってしまいそうになった。振り返ると、アリスさんが襖を開けて不思議そうな顔でこちらを見ている。
「あ、アリスさんですか……」
「猫っぽい彼女と喧嘩でもした?」
「いえ、蓮子は散歩してるだけです。お腹が空けば戻って来るかと」
「あらそう。しかし、彼女は随分と肝が太いというか、図々しいというか――」
「……怖いもの知らず過ぎて、こっちの寿命が縮まります」
私の言葉に、アリスさんはくすくすと笑った。私はその笑みに目を細める。――アリスさんは、この白玉楼に何を求めているのだろう。何か目的があってここに留まっているのは間違いないと思うのだが。
「あの……アリスさんは、今まで何を?」
「私? ちょっと調べ物をね」
「そういえば、紅魔館でも熱心に何か調べてらっしゃいましたけど。やっぱり、心を持った人形について、なんですか」
「そうよ。私の夢は、完全自立の心を持った人形を作ること」
「――何のために、ですか?」
私がそう問うと、アリスさんは不意に笑みを消して、目を細めた。
「私自身が、人形だから――」
「え?」
「――なんてね。人形遣いすべての夢なのよ、完全自立の人形は。こうやって魔法の糸で操るだけのものじゃない。自分の意志で思考し行動する人形を作ること、それ自体が目的。それで何をするかは、作ってから考えるわ」
どこからか小さな人形を取りだしたアリスさんが軽く指を振ると、人形は踊るように宙を舞って、ちょこんとアリスさんの肩に腰掛ける。その姿はまるで意志を持っているように見えたけれど、私には見えない魔法の糸で操られているらしい。
アリスさんの考え方は、外の世界のロボットや人工知能の研究者と同じだろう。完全自立型のロボットや、意志を持った人工知能を研究する科学者は、それを作ることそれ自体が目的であって、それによって何が為されるかは副次的な産物に過ぎないのかもしれない。たとえそれが世界を創り替えてしまうものであったとしても。
しかし、自分の意志で動く人形を作ることと、冥界に来ていることに何の関係があるのか。冥界でなければ調べられないことがある? 冥界でなければ――。
そのとき、アリスさんの背後を、幽霊がふわふわと横切っていった。それを見て、脳裏に閃くものがあり、私は息を飲む。――まさか、アリスさんの考えていることというのは。
そのことをアリスさんに確認してみるべきか、私がそう考えて口を開こうとしたとき――不意に外から、静かな冥界には不似合いな、賑やかな音楽が聞こえてきた。思考が中断され、私はアリスさんと顔を見合わせる。
「何かしら」
障子戸を開け放ってみると、確かに音楽は庭の方から聞こえてくる。アリスさんとふたり、音楽のする方へ足を向けた。長い廊下を渡って、庭に面した縁側に出る――。
「……あ、騒霊楽団」
そこには、以前紅魔館のパーティでも見かけた騒霊楽団の姿があった。黒いバイオリニスト、白いトランペッター、赤いキーボーディストの少女三人組。桜の花びらが舞う冥界の空に、賑やかな音色を奏でて飛んでいる。――そして、それを見上げている我が相棒の姿。
「蓮子、何してるの?」
縁側の下にあった草履をつっかけて庭に降り立つと、蓮子が振り返った。
「そりゃ、音楽を聴いてるのよ」
「いつからここはライブ会場になったのよ」
気が付けばふわふわと、どこかから幽霊たちが集まってきている。白い半透明の不定形がそこら中に集まってくる様は、生身の人間にとっては異様な光景だが、冥界にはむしろ似合いの光景なのかもしれない。
「あらら~、まだ本番前なのに集まってきちゃったわ~」
「ちょっとメル姉の躁の音が強すぎたんじゃない? ルナ姉、なんとかしてよ」
「私に言われても……まあ、今は気圧を下げておくわ。お代は見てのお帰りね」
バイオリンの音が強まる。静かな落ち着いた旋律に、集ってきていた幽霊たちのテンションが下がったのか、幽霊の何割かが散っていく。確かに盛り上がれる曲ではないが、なんとも心が落ち着く旋律だった。オルゴールのようにリラクゼーション効果でもあるのかもしれない。蓮子も目を閉じて音楽に耳を傾けている。
「あの、人間が彼女の演奏を無防備に聴くのはあまり良くないかと……」
と、私たちの背後から不意に声をかけてきたのは妖夢さんだった。振り返って、私たちは目を見開く。妖夢さんの格好が、何者かと戦ってきた直後のようにあちこちその服が破けていたからだ。――ということは、霊夢さんたちがここに辿り着いたのか。
「妖夢さん、どうしたんですかその格好」
「ああいえ、ちょっと侵入者がありまして」
「撃退してきたと」
「……そうだと言えればいいんですが。時を止めるなんて反則では……。まあ、まだしばらくは大丈夫のはずです。階段には今、紫様が強い認識の結界を張られているそうなので……はあ、まだまだ未熟だなあ……」
どうやら妖夢さんは咲夜さんに負けたらしい。だが、妖怪の賢者が足止めしているということか。やはり妖怪の賢者は幽々子さんを成仏させてしまいたいのか? それとも、何か他に目的があるのか。あるとすれば――博麗霊夢に異変として解決してもらうこと自体が……?
私が首を捻っていると、「あらあら妖夢~」と当の幽々子さんの声が割り込む。
「ひどい格好ねえ」
「うう……申し訳ありません幽々子様。なけなしの春を持った侵入者があったのですが」
「あらあら。まあいいわ、着替えてらっしゃいな。西行妖を満開にするのは、今日のお花見が終わってからでも遅くはないわ」
はい、と頷き、肩を落として妖夢さんは歩き出す。その背後を、彼女の半霊がするすると追いかけていく。――と。
蓮子が突然、その半霊の尻尾のような部分に手を伸ばし、掴んだ。
だが、掴んだ蓮子の手からするりと半霊は抜けだし、妖夢さんは気付かなかったようにそのまま歩いて行く。何やってるの、と私が相棒を睨むと、相棒はその手を見下ろして目を細めた。
「蓮子?」
私の問いに、蓮子は帽子を目深に被り直し、忙しなくその庇を弄り始める。蓮子の頭脳が、何かをすごい勢いで考え始めている証拠だった。だが、何を――。
「騒霊楽団の皆さん、今日もよろしく~」
「毎度。精一杯宴会を盛り上げさせていただきます」
「みんなハッピーにするわ~」
「うえー。演奏だけじゃなく私もお酒飲みたいー」
幽々子さんは騒霊楽団にそう声をかけて、それから私たちの方を振り向く。
「あなたたちもおいでなさいな。お昼ご飯も兼ねて、お花見を始めましょう」
ぱちんと扇を鳴らして言う幽々子さんに、相棒は不意に帽子の庇を持ち上げて、
「喜んで」
いつもと変わらない猫のような笑みを浮かべて、そう頷いた。
―20―
昼から夕刻まで続いた、陽気なお花見の様子を逐一書き記していては、長くなりすぎる。
騒霊楽団の演奏が盛り上げ、陽気な幽霊が集い、アリスさんが請われて人形劇を披露し、妖夢さんがてんてこ舞いといった様子で働き、幽々子さんは悠然とお酒を飲んでいる――そんな宴会の片隅で、私と相棒が交わしたいくつかの会話だけを、ここに書き留めておこう。
「西行造人す?」
「そう、このページよ」
宴会の中、あの記録を持ち出して、私は蓮子にそのページを指し示した。相棒はその五文字と、その後に続く判読不能の文字列を睨み、唸る。
「西行が人造人間を造ろうとしていた……ね。詳しくは慧音さんに聞いてみましょう」
「アリスさんがここに留まっているのと、何か関係があるのかしら?」
「はてさて。フランケンシュタインも確かに人形の一種ではあるでしょうけどね……でも、西行が本当に人造人間を造ろうとしていたとしたら、何のために、かしら」
「歌人で僧侶の西行に、人造人間って似合わないわよね。だから変だと思うのよ」
「ふむ……慧音さんに解読してもらわないことにはなんとも、だけど。――それより、例の文面の方が後から書き加えられた、っていうことの方が肝心ね」
「やっぱりそう思う?」
「お嬢様がこの異変を起こしたこと自体が、何者かの作為によるものなら――問題はやっぱり、それによって何を隠しておきたいのか、ということだわ」
「また、地下室でも探してみる?」
「妖忌さんが地下に監禁されてるって? さて、そんな程度の話なのかしら――」
蓮子が唸っているところに、「どうぞ」と妖夢さんがお団子を持ってくる。
「あ、どうも」
相棒はお皿を受け取って茣蓙に置く。「お酒が足りなくなったら呼んでください」と一礼して、妖夢さんは踵を返す。その背後にふわふわと、また半霊が付き従っている。
――と、蓮子が再びその半霊の尻尾に手を伸ばした。
「ひゃっ」
今度は掴まれたことに気付いたのか、妖夢さんが悲鳴をあげて身を竦ませる。
「い、いきなり半霊に触らないでくださいって」
「あ、ごめんなさい、気になってつい」
蓮子がぱっと手を放す。半霊は、にゅるん、と妖夢さんに寄り添った。妖夢さんはため息。と、蓮子が帽子の庇を弄りながら妖夢さんを見上げる。
「そうだ、妖夢さん」
「何ですか?」
「私たちには妖夢さんの半霊と他の幽霊の区別がつかないんですが、妖夢さんにはちゃんと見分けられるのですよね?」
「……見分けると言われましても。自分の身体の一部が、他人と区別がつかなくなったりはしないでしょう?」
「なるほど、それは道理ですわ。失礼しました」
ぺこりと頭を下げた蓮子に、不思議そうな顔をしながら妖夢さんは幽々子さんに呼ばれて戻っていく。その背中を見送り、私は蓮子を振り向いた。
――これだけヒントを出されれば、さすがに私にも蓮子が何を考えているのか見当がつく。
「蓮子。……今蓮子が考えていることの一部、当てられる気がするんだけど」
「あら、どんな?」
「――妖夢さんの半霊が、ときどき別の幽霊と入れ替わってるんじゃないか。入れ替わっているとしたら、その幽霊の正体は――魂魄妖忌さんなんじゃないか。妖夢さんの半霊や屋敷の幽霊に紛れて、亡くなった妖忌さんの魂がふたりを見守っているんじゃないか――そういうことでしょう?」
私の言葉に、蓮子が楽しげな笑みを浮かべた。
そう、妖夢さんの半霊は感覚が繋がっている。アリスさんが捕まえたときと、今蓮子が掴んだとき、いずれも妖夢さんは反応した。だが――この宴会が始まる直前にも、蓮子は妖夢さんの半霊を掴もうとして、けれど彼女はそれに気付かなかった。
だとすれば、あのとき半霊のように寄り添っていたのは、別の幽霊ではないのか。
妖夢さんの半霊になりすまして妖夢さんを見守る幽霊は――彼女の祖父ではないのか。
「メリーも、とっかかりぐらいには辿り着いたみたいね」
帽子を目深に被り直し、蓮子はひとつ口笛を吹く。
「でも、それはあくまで断片のひとつよ、メリー。その可能性――即ち、姿を消した妖忌さんが本当は白玉楼の中にいる可能性は、真相へのとっかかりになるかもしれないし、ならないかもしれない――今の段階では、私に言えるのはその程度だわ」
「やっぱり、もったいぶるのね」
「私にもまだ何も解ってないに等しいのよ。何かひとつカギを見つければ、するすると全部が繋がりそうな気はするんだけどね……」
「とりあえず、幽霊の中から妖忌さんを探す?」
「呼んでも答えてくれないと思うわよ。いや――お嬢様や妖夢さんにも存在を気付かれたくないのだとしたら呼んでみる価値はあるかしら。でもどうして――」
そう、蓮子が言いかけて。
――次の瞬間、蓮子の表情が凍りついたように固まった。
「蓮子?」
「……ちょっと待って、メリー、少し黙って。……いや、まさかそんな……だけど……でも、そう考えれば……いくつかの謎に説明はつく、つくけれど――」
蓮子の顔から、血の気が引いていく。蒼白な顔で、蓮子は唇を震わせた。
「だから、だからなの? だからお嬢様の記憶が封じられたっていうの? だから彼は魂魄妖忌と名乗ったっていうの? そんな――それこそが妖怪の賢者の隠したいこと……? じゃあ、お嬢様は、妖夢さんは――嘘でしょう、何かの間違いであるべきだわ、こんな、こんな」
「ちょっと、蓮子、どうしたの?」
私は相棒の肩を掴んで揺さぶる。我に返ったように蓮子は振り返り、不意に泣きだしそうに顔を歪めた。私は息を飲む。この相棒と秘封倶楽部を結成して以来――そんな顔を見たことなんて、ほとんど記憶になかった。
「メリー……ごめん、ちょっと、妖夢さん呼んでくれる?」
「え? あ、うん――」
言われて私は視線を巡らす。妖夢さんは幽々子さんの盃にお酒を注いでいるところだった。立ち上がって呼びかけると、妖夢さんはぺこりと幽々子さんに一礼してこちらに駆けてくる。
「お酒ですか? お団子ですか?」
「あ、いえ、蓮子が――」
と私が相棒を振り向くと、相棒は立ち上がり、妖夢さんに向き直る。
「たびたびすみません、妖夢さん。ふたつだけ、お伺いしてもいいですか」
「……なんでしょう?」
「妖忌さんがいなくなったのは、具体的にいつ頃なんでしょう?」
「祖父ですか? 5年ほど前の冬ですが……」
「冬……そうですか。――では、妖夢さんは今、おいくつなんです?」
「え、私? 私は……ええと、生まれてから50年ぐらいですが」
指折り数えて妖夢さんは答える。見た目はせいぜい中学生ぐらいなのに、妖夢さんも50歳を超えているのか。幻想郷は相変わらず私たちの常識では計り知れない――と、私が考えていると、不意に蓮子が拍子抜けしたように目を見開いた。
「50年ですか」
「はい。……それが何か?」
「あ……いえ。つい、人間と同じように考えてしまうので」
頬を掻いて誤魔化すように笑い、蓮子は帽子を目深に被り直す。
「じゃあ、もうひとつだけ。――妖夢さんの、」
と、蓮子がそう口を開きかけた、そのとき。
ぐらり、と、私の視界が大きく揺れた。
世界が、不安定になる感覚。それは――大きな結界の裂け目を視たときのような、
「――――っ!」
妖夢さんが背中の剣に手を掛け、決然と空を見上げた。既に陽が傾き、夜の帳が下り始めようとしている冥界の空。私もそれを見上げる。――ああ、世界が綻んでいる。あれは、
「メリー? どうしたの?」
「――どこかの結界が、破れたんだわ」
震える声で私が答えた瞬間、「階段の結界が破られたようです」と妖夢さんが答えた。
「お花見の邪魔をさせるわけにはいきません。――行って参ります」
背中から刀を抜き放ち、妖夢さんは飛び立つ。
霊夢さんたちが、どうやらついにこの白玉楼に辿り着こうとしているらしい。私たちは顔を見合わせる。――と。
「あらあら~、行かなくてもいいのに、妖夢はせっかちねえ」
いつの間にか、幽々子さんがそこにいた。扇子に口元を隠したまま――けれど今、その目は笑っていない。ひどく冷たい光を放っている。
「紫の言っていた、紅白やら黒いのやら悪魔の犬やらが来るみたいだけど~」
悪魔の犬って咲夜さんのことか。
「貴方たちは屋敷の方に下がってなさいな~。西行妖が満開になったら、どうなるか私にもわからないしね~。なけなしの春を、そいつらからいただくことにしましょう」
ぱちんと扇子を閉じて、幽々子さんはその顔に、愉しげな笑みを貼り付ける。
風が吹いた。満開の桜並木がざわめいた。――まるで、死者の呻き声のように。
21
そのとき、蓮子がいったいどんな仮説を立てたのか。
それについて、私はそのとき、白玉楼から幽々子さんと霊夢さんたちの戦いを見守りながら、相棒から聞きだしていた。だけれど、それを今この段階で記述することは避けよう。
一応、これが推理小説の体裁である以上、謎解きは最後に為されるべきであろう。
その仮説は崩れ去ってはいたけれど、確かに真相に肉薄していたのだ――。
ともかく、白玉楼の西行妖が見える部屋から、私たちはその戦いを見守っていた。
宴会は解散し、騒霊楽団とアリスさんはどこへ行ったのか、姿を見せない。
陽も暮れ、静寂を取り戻した、白玉楼の夜の庭。そこに佇む桜の巨木と、亡霊の少女。西行妖の下で、闖入者を待ち受ける幽々子さんの元へ、三つの影が飛んでくる。
博麗霊夢、霧雨魔理沙、十六夜咲夜の3人が。
「ああもう! 死霊ばっかでうんざりよ!」
「あら、勝手に人の庭に乗り込んできて文句ばっかり言ってるなんて、どうかしてるわ」
ふわりと浮き上がり、幽々子さんは3人の前に立ちはだかった。霊夢さんが目を見開く。
「まあ、うちは死霊ばっかりですけど」
「あの世には、死人に口なしという言葉は無いのかしら?」
どこからかナイフを取りだして、咲夜さんが口を挟む。
「もちろん、そんな言葉は無くてよ。あの世はいつも、賑やかで華やかなところだわ~」
「華やかなのは、幻想郷の春を奪ったからではなくて?」
「あら、春は嫌い?」
「好きだから怒ってるのよ。特にうちのお嬢様は寒がりだから、早く春にしないと凍えてしまいますわ。なぜ、幻想郷の春を奪ったのかしら?」
「春なら何でも良かったんだけど。もう少しなのよ。もう少しで西行妖が満開になるの」
「なんなのよ、西行妖って」
霊夢さんが腕を組んで問う。幽々子さんは西行妖を振り返った。
「うちの妖怪桜。この程度の春じゃ、この桜の封印が解けないのよ」
「わざわざ封印してあるんだから、それは解かない方がいいんじゃないの? なんの封印だかわからんし」
「結界を乗り越えてきた貴方が言うことかしら~?」
「……まあいいけど。封印を解くとどうなるっていうの?」
「すごく満開になるわ~」
「…………」
「と同時に、何者かが復活するらしいの」
「興味本位で復活させちゃダメでしょ。何者かわからんし」
「あら、私は興味本位で人も妖怪も死に誘えるわよ」
「反魂と死を同じに考えちゃダメでしょ。面倒なものが復活したらどうするのよ」
「試して見ないとわからないわ~」
「そいつは同感だな。何事も実践からだぜ」
と、それまで後ろで口を尖らせていた魔理沙さんが前に出る。
「持ってきてやったぜ、なけなしの春を」
「あら、貴方が妖夢の跡継ぎかしら?」
「私はこんな辺鄙なところで一生を終えたくないし、こんな音速の遅いところにはこの春はやれねえな。辛気くさい春を返してもらうぜ」
「そうよ。私も神社で花見をするの。幻想郷の春を返して貰うわ」
「私も、ここに来るまで丸一日以上かかってしまったから、お嬢様が心配だわ。暖気を返して貰うわよ」
「あらあら、千客万来。賑やかでいいけれど~」
戦闘態勢に入った3人をぐるりと見渡して、幽々子さんは扇を拡げ、笑みを浮かべる。
「さあ、誰から来るのかしら? 3人まとめてでも構わないわよ~」
「自信満々じゃない」
「ここは冥界。ここにいる時点で貴方たちは死んだも同然よ。さあ、花の下で眠るがいいわ!」
ざあっ、と風が吹いた。
桜の花びらが舞いあがり、それに着物をなびかせながら、幽々子さんは両手を広げる。
――その背後から、無数の光る蝶が舞いあがった。
その光景を、私は何とたとえればいいのだろう。
蝶。ひらひらと舞う、無数の光の蝶。それはあまりにも夢幻で、この世ならざる光景だった。
蝶は死者の魂に例えられるのだったか。光の蝶の洪水は、それ自体が魂の天の川のように、渦巻き、流れ、冥界の夜空を埋め尽くしていく。それ自体が鎮魂であり、反魂のようだった。
舞う。舞う。舞い踊る。魂たちが、桜の花びらとともに舞う。
その渦の中心で、蝶のように少女たちは舞う。
ひらひらと、ひらひらと、桜の花が降り積もる。
ひらひらと、ひらひらと、魂たちが降りしきる。
ナイフが蝶を切り裂き、星屑が蝶を薙ぎ払い、お札が蝶を掻き消しても。
桜は途切れることなく降りしきり、蝶もまた途切れることなく舞い続ける――。
三人の生者と一人の死者が踊る、生と死の境界線上の輪舞。
いや――生者と死者の境界は、いったいどこにあるのだろう?
ここがあの世であるならば、全ては死後の戯れに過ぎないのかもしれない――。
あまりにも美しい、生と死の戯れは、それこそが生命の輝きなのだろうか。
それとも、死の永遠の儚さの表れに過ぎないのか。
どちらにしろ、生者は死者に挑み、死者は生者を迎え撃つ。
絶対の境界線を巡って、桜と蝶が踊る中、四つの影は遊ぶように宙を舞う。
そして、その無数の桜と、無数の蝶たちは、やがて高く舞いあがり――。
西行妖のもとへ、降りしきっていく。
「ああ――そうか」
蓮子がそれを見て、呻くように呟いた。
「この戦いそのものが、西行妖を咲かせるための儀式なんだわ――」
春が、西行妖に降りしきる。
満開になることのない桜に、花びらが降り積もっていく。
それを振り仰いで、幽々子さんは笑みを浮かべる。
「完全なる墨染の桜――その開花は、もう、すぐそこよ。そうすれば、そうすれば――」
両手を広げて、幽々子さんはそう声を上げた。
「そうすれば――私は――」
確かに、幽々子さんはそう言った。
私は、それを聞いていた。
幽々子さんの眼前に、扇状に蝶たちが広がる。幽々子さんを守る壁となるように。
そこへ、咲夜さんのナイフが次々と突き刺さる。蝶たちが一部、崩れるように落ちていく。
「行くぜ! マスタァァァァ、スパァァァァク!」
魔理沙さんの八卦炉が火を噴いて――光が、その扇を撃ち貫いた。
幽々子さんが目を見開く。――その扇の穴から突入したのは、紅白の蝶。博麗霊夢。
「――終わりよ。春を返して貰うわ」
お札を突きつけ、霊夢さんがそう告げた。
幽々子さんは――けれど、ただ微笑んだまま、答える。
「春は――十分に集まったわ」
西行妖が、啼いた。
「――――!?」
咲夜さんが、魔理沙さんが、そして霊夢さんが顔を上げた。
その頭上で――西行妖が、その枝をざわめかせていた。
「始まる――」
幽々子さんがそう呟き、そして。
世界を揺るがすかのように――西行妖を中心に、光の渦が巻き起こった。
無数の蝶が、西行妖を中心に渦を巻いて――解き放たれた。
我が後の世を人とぶらはば
―19―
蓮子は喜び庭駆け回り、私はこたつで丸くなる――というわけではないけれども、蓮子が思索のため庭を散歩している間、私は部屋であの記録の解読につとめることにした。
件の〝富士見の娘〟以外の部分に何が書かれているのか。それが明らかになるだけでも、この記録をどこまで信用できるか、判断材料になるだろうと思ったのだが――。
「……ううん」
富士見の娘に関する記述が平易だったので、他のページも読めなくはないのでは、と挑んでみたものの、思った以上に難物だった。どうにか記憶を引っ張り出して読もうとしてみるが、何と書かれているのかすらさっぱり解らない文章が続く。というか――。
「これ、富士見の娘についての記述だけ新しいのかしら……?」
慎重に古い紙をめくりながら、私は確かめる。
富士見の娘云々の記述は、冊子になっているその記録の、一番最後に記されている。他のページと比べても、そこだけ非常に読み取りやすいのだ。紙の古さに比して、言葉遣いも明らかに、現代の私たちの感覚に近い。ということは、誰かが後から富士見の娘云々を書き足したということになるが、いったい何のために?
「……幽々子さんに、西行妖を満開にさせてみようとするため……?」
その思いつきに、私はぞくりと身を竦ませる。もしこの記録を幽々子さんが発見し、西行妖を満開にしようと思い立ったこと自体が、何者かの作為だったのだとしたら?
「その誰かは、幽々子さんの成仏、転生、あるいは消滅を願っている……?」
そういうことなのか? 妖怪の賢者が幽々子さんの行為を放置しているのはなぜか、という蓮子の挙げた謎の答えは――妖怪の賢者自身が幽々子さんの完全な死を願っているから、なのか? 幽々子さんはそれを知らずに、妖怪の賢者の罠に掛かった――?
私はゆるゆると首を横に振る。解らない。幽々子さんと妖怪の賢者の間にある事情を知らない以上、私にはそれ以上のことを推理することは不可能だ。息を吐いて、私はまた前のページに戻ろうと紙をめくって、――不意にその文字列に気付いた。
「『西行造人す』……?」
その五文字だけが突然目に飛び込んできて、私は硬直する。この西行というのは、当然あの西行のことだろう。しかし、造人す、とはどういうことだ。
その後の文章を読もうとしてみたが、やはりミミズののたくったような文字に跳ね返され、さっぱり意味が掴めない、しかし、少し読み進めてみると、「人の骨とを集めて人を作り」という文章が辛うじて読み取れた。――造人す、というのはつまり、人造人間のこと……?
西行が人造人間を作ろうとしていた? 人造人間……心を持った人形――。
「あら、貴方ひとり?」
突然背後から声を掛けられ、記録を破ってしまいそうになった。振り返ると、アリスさんが襖を開けて不思議そうな顔でこちらを見ている。
「あ、アリスさんですか……」
「猫っぽい彼女と喧嘩でもした?」
「いえ、蓮子は散歩してるだけです。お腹が空けば戻って来るかと」
「あらそう。しかし、彼女は随分と肝が太いというか、図々しいというか――」
「……怖いもの知らず過ぎて、こっちの寿命が縮まります」
私の言葉に、アリスさんはくすくすと笑った。私はその笑みに目を細める。――アリスさんは、この白玉楼に何を求めているのだろう。何か目的があってここに留まっているのは間違いないと思うのだが。
「あの……アリスさんは、今まで何を?」
「私? ちょっと調べ物をね」
「そういえば、紅魔館でも熱心に何か調べてらっしゃいましたけど。やっぱり、心を持った人形について、なんですか」
「そうよ。私の夢は、完全自立の心を持った人形を作ること」
「――何のために、ですか?」
私がそう問うと、アリスさんは不意に笑みを消して、目を細めた。
「私自身が、人形だから――」
「え?」
「――なんてね。人形遣いすべての夢なのよ、完全自立の人形は。こうやって魔法の糸で操るだけのものじゃない。自分の意志で思考し行動する人形を作ること、それ自体が目的。それで何をするかは、作ってから考えるわ」
どこからか小さな人形を取りだしたアリスさんが軽く指を振ると、人形は踊るように宙を舞って、ちょこんとアリスさんの肩に腰掛ける。その姿はまるで意志を持っているように見えたけれど、私には見えない魔法の糸で操られているらしい。
アリスさんの考え方は、外の世界のロボットや人工知能の研究者と同じだろう。完全自立型のロボットや、意志を持った人工知能を研究する科学者は、それを作ることそれ自体が目的であって、それによって何が為されるかは副次的な産物に過ぎないのかもしれない。たとえそれが世界を創り替えてしまうものであったとしても。
しかし、自分の意志で動く人形を作ることと、冥界に来ていることに何の関係があるのか。冥界でなければ調べられないことがある? 冥界でなければ――。
そのとき、アリスさんの背後を、幽霊がふわふわと横切っていった。それを見て、脳裏に閃くものがあり、私は息を飲む。――まさか、アリスさんの考えていることというのは。
そのことをアリスさんに確認してみるべきか、私がそう考えて口を開こうとしたとき――不意に外から、静かな冥界には不似合いな、賑やかな音楽が聞こえてきた。思考が中断され、私はアリスさんと顔を見合わせる。
「何かしら」
障子戸を開け放ってみると、確かに音楽は庭の方から聞こえてくる。アリスさんとふたり、音楽のする方へ足を向けた。長い廊下を渡って、庭に面した縁側に出る――。
「……あ、騒霊楽団」
そこには、以前紅魔館のパーティでも見かけた騒霊楽団の姿があった。黒いバイオリニスト、白いトランペッター、赤いキーボーディストの少女三人組。桜の花びらが舞う冥界の空に、賑やかな音色を奏でて飛んでいる。――そして、それを見上げている我が相棒の姿。
「蓮子、何してるの?」
縁側の下にあった草履をつっかけて庭に降り立つと、蓮子が振り返った。
「そりゃ、音楽を聴いてるのよ」
「いつからここはライブ会場になったのよ」
気が付けばふわふわと、どこかから幽霊たちが集まってきている。白い半透明の不定形がそこら中に集まってくる様は、生身の人間にとっては異様な光景だが、冥界にはむしろ似合いの光景なのかもしれない。
「あらら~、まだ本番前なのに集まってきちゃったわ~」
「ちょっとメル姉の躁の音が強すぎたんじゃない? ルナ姉、なんとかしてよ」
「私に言われても……まあ、今は気圧を下げておくわ。お代は見てのお帰りね」
バイオリンの音が強まる。静かな落ち着いた旋律に、集ってきていた幽霊たちのテンションが下がったのか、幽霊の何割かが散っていく。確かに盛り上がれる曲ではないが、なんとも心が落ち着く旋律だった。オルゴールのようにリラクゼーション効果でもあるのかもしれない。蓮子も目を閉じて音楽に耳を傾けている。
「あの、人間が彼女の演奏を無防備に聴くのはあまり良くないかと……」
と、私たちの背後から不意に声をかけてきたのは妖夢さんだった。振り返って、私たちは目を見開く。妖夢さんの格好が、何者かと戦ってきた直後のようにあちこちその服が破けていたからだ。――ということは、霊夢さんたちがここに辿り着いたのか。
「妖夢さん、どうしたんですかその格好」
「ああいえ、ちょっと侵入者がありまして」
「撃退してきたと」
「……そうだと言えればいいんですが。時を止めるなんて反則では……。まあ、まだしばらくは大丈夫のはずです。階段には今、紫様が強い認識の結界を張られているそうなので……はあ、まだまだ未熟だなあ……」
どうやら妖夢さんは咲夜さんに負けたらしい。だが、妖怪の賢者が足止めしているということか。やはり妖怪の賢者は幽々子さんを成仏させてしまいたいのか? それとも、何か他に目的があるのか。あるとすれば――博麗霊夢に異変として解決してもらうこと自体が……?
私が首を捻っていると、「あらあら妖夢~」と当の幽々子さんの声が割り込む。
「ひどい格好ねえ」
「うう……申し訳ありません幽々子様。なけなしの春を持った侵入者があったのですが」
「あらあら。まあいいわ、着替えてらっしゃいな。西行妖を満開にするのは、今日のお花見が終わってからでも遅くはないわ」
はい、と頷き、肩を落として妖夢さんは歩き出す。その背後を、彼女の半霊がするすると追いかけていく。――と。
蓮子が突然、その半霊の尻尾のような部分に手を伸ばし、掴んだ。
だが、掴んだ蓮子の手からするりと半霊は抜けだし、妖夢さんは気付かなかったようにそのまま歩いて行く。何やってるの、と私が相棒を睨むと、相棒はその手を見下ろして目を細めた。
「蓮子?」
私の問いに、蓮子は帽子を目深に被り直し、忙しなくその庇を弄り始める。蓮子の頭脳が、何かをすごい勢いで考え始めている証拠だった。だが、何を――。
「騒霊楽団の皆さん、今日もよろしく~」
「毎度。精一杯宴会を盛り上げさせていただきます」
「みんなハッピーにするわ~」
「うえー。演奏だけじゃなく私もお酒飲みたいー」
幽々子さんは騒霊楽団にそう声をかけて、それから私たちの方を振り向く。
「あなたたちもおいでなさいな。お昼ご飯も兼ねて、お花見を始めましょう」
ぱちんと扇を鳴らして言う幽々子さんに、相棒は不意に帽子の庇を持ち上げて、
「喜んで」
いつもと変わらない猫のような笑みを浮かべて、そう頷いた。
―20―
昼から夕刻まで続いた、陽気なお花見の様子を逐一書き記していては、長くなりすぎる。
騒霊楽団の演奏が盛り上げ、陽気な幽霊が集い、アリスさんが請われて人形劇を披露し、妖夢さんがてんてこ舞いといった様子で働き、幽々子さんは悠然とお酒を飲んでいる――そんな宴会の片隅で、私と相棒が交わしたいくつかの会話だけを、ここに書き留めておこう。
「西行造人す?」
「そう、このページよ」
宴会の中、あの記録を持ち出して、私は蓮子にそのページを指し示した。相棒はその五文字と、その後に続く判読不能の文字列を睨み、唸る。
「西行が人造人間を造ろうとしていた……ね。詳しくは慧音さんに聞いてみましょう」
「アリスさんがここに留まっているのと、何か関係があるのかしら?」
「はてさて。フランケンシュタインも確かに人形の一種ではあるでしょうけどね……でも、西行が本当に人造人間を造ろうとしていたとしたら、何のために、かしら」
「歌人で僧侶の西行に、人造人間って似合わないわよね。だから変だと思うのよ」
「ふむ……慧音さんに解読してもらわないことにはなんとも、だけど。――それより、例の文面の方が後から書き加えられた、っていうことの方が肝心ね」
「やっぱりそう思う?」
「お嬢様がこの異変を起こしたこと自体が、何者かの作為によるものなら――問題はやっぱり、それによって何を隠しておきたいのか、ということだわ」
「また、地下室でも探してみる?」
「妖忌さんが地下に監禁されてるって? さて、そんな程度の話なのかしら――」
蓮子が唸っているところに、「どうぞ」と妖夢さんがお団子を持ってくる。
「あ、どうも」
相棒はお皿を受け取って茣蓙に置く。「お酒が足りなくなったら呼んでください」と一礼して、妖夢さんは踵を返す。その背後にふわふわと、また半霊が付き従っている。
――と、蓮子が再びその半霊の尻尾に手を伸ばした。
「ひゃっ」
今度は掴まれたことに気付いたのか、妖夢さんが悲鳴をあげて身を竦ませる。
「い、いきなり半霊に触らないでくださいって」
「あ、ごめんなさい、気になってつい」
蓮子がぱっと手を放す。半霊は、にゅるん、と妖夢さんに寄り添った。妖夢さんはため息。と、蓮子が帽子の庇を弄りながら妖夢さんを見上げる。
「そうだ、妖夢さん」
「何ですか?」
「私たちには妖夢さんの半霊と他の幽霊の区別がつかないんですが、妖夢さんにはちゃんと見分けられるのですよね?」
「……見分けると言われましても。自分の身体の一部が、他人と区別がつかなくなったりはしないでしょう?」
「なるほど、それは道理ですわ。失礼しました」
ぺこりと頭を下げた蓮子に、不思議そうな顔をしながら妖夢さんは幽々子さんに呼ばれて戻っていく。その背中を見送り、私は蓮子を振り向いた。
――これだけヒントを出されれば、さすがに私にも蓮子が何を考えているのか見当がつく。
「蓮子。……今蓮子が考えていることの一部、当てられる気がするんだけど」
「あら、どんな?」
「――妖夢さんの半霊が、ときどき別の幽霊と入れ替わってるんじゃないか。入れ替わっているとしたら、その幽霊の正体は――魂魄妖忌さんなんじゃないか。妖夢さんの半霊や屋敷の幽霊に紛れて、亡くなった妖忌さんの魂がふたりを見守っているんじゃないか――そういうことでしょう?」
私の言葉に、蓮子が楽しげな笑みを浮かべた。
そう、妖夢さんの半霊は感覚が繋がっている。アリスさんが捕まえたときと、今蓮子が掴んだとき、いずれも妖夢さんは反応した。だが――この宴会が始まる直前にも、蓮子は妖夢さんの半霊を掴もうとして、けれど彼女はそれに気付かなかった。
だとすれば、あのとき半霊のように寄り添っていたのは、別の幽霊ではないのか。
妖夢さんの半霊になりすまして妖夢さんを見守る幽霊は――彼女の祖父ではないのか。
「メリーも、とっかかりぐらいには辿り着いたみたいね」
帽子を目深に被り直し、蓮子はひとつ口笛を吹く。
「でも、それはあくまで断片のひとつよ、メリー。その可能性――即ち、姿を消した妖忌さんが本当は白玉楼の中にいる可能性は、真相へのとっかかりになるかもしれないし、ならないかもしれない――今の段階では、私に言えるのはその程度だわ」
「やっぱり、もったいぶるのね」
「私にもまだ何も解ってないに等しいのよ。何かひとつカギを見つければ、するすると全部が繋がりそうな気はするんだけどね……」
「とりあえず、幽霊の中から妖忌さんを探す?」
「呼んでも答えてくれないと思うわよ。いや――お嬢様や妖夢さんにも存在を気付かれたくないのだとしたら呼んでみる価値はあるかしら。でもどうして――」
そう、蓮子が言いかけて。
――次の瞬間、蓮子の表情が凍りついたように固まった。
「蓮子?」
「……ちょっと待って、メリー、少し黙って。……いや、まさかそんな……だけど……でも、そう考えれば……いくつかの謎に説明はつく、つくけれど――」
蓮子の顔から、血の気が引いていく。蒼白な顔で、蓮子は唇を震わせた。
「だから、だからなの? だからお嬢様の記憶が封じられたっていうの? だから彼は魂魄妖忌と名乗ったっていうの? そんな――それこそが妖怪の賢者の隠したいこと……? じゃあ、お嬢様は、妖夢さんは――嘘でしょう、何かの間違いであるべきだわ、こんな、こんな」
「ちょっと、蓮子、どうしたの?」
私は相棒の肩を掴んで揺さぶる。我に返ったように蓮子は振り返り、不意に泣きだしそうに顔を歪めた。私は息を飲む。この相棒と秘封倶楽部を結成して以来――そんな顔を見たことなんて、ほとんど記憶になかった。
「メリー……ごめん、ちょっと、妖夢さん呼んでくれる?」
「え? あ、うん――」
言われて私は視線を巡らす。妖夢さんは幽々子さんの盃にお酒を注いでいるところだった。立ち上がって呼びかけると、妖夢さんはぺこりと幽々子さんに一礼してこちらに駆けてくる。
「お酒ですか? お団子ですか?」
「あ、いえ、蓮子が――」
と私が相棒を振り向くと、相棒は立ち上がり、妖夢さんに向き直る。
「たびたびすみません、妖夢さん。ふたつだけ、お伺いしてもいいですか」
「……なんでしょう?」
「妖忌さんがいなくなったのは、具体的にいつ頃なんでしょう?」
「祖父ですか? 5年ほど前の冬ですが……」
「冬……そうですか。――では、妖夢さんは今、おいくつなんです?」
「え、私? 私は……ええと、生まれてから50年ぐらいですが」
指折り数えて妖夢さんは答える。見た目はせいぜい中学生ぐらいなのに、妖夢さんも50歳を超えているのか。幻想郷は相変わらず私たちの常識では計り知れない――と、私が考えていると、不意に蓮子が拍子抜けしたように目を見開いた。
「50年ですか」
「はい。……それが何か?」
「あ……いえ。つい、人間と同じように考えてしまうので」
頬を掻いて誤魔化すように笑い、蓮子は帽子を目深に被り直す。
「じゃあ、もうひとつだけ。――妖夢さんの、」
と、蓮子がそう口を開きかけた、そのとき。
ぐらり、と、私の視界が大きく揺れた。
世界が、不安定になる感覚。それは――大きな結界の裂け目を視たときのような、
「――――っ!」
妖夢さんが背中の剣に手を掛け、決然と空を見上げた。既に陽が傾き、夜の帳が下り始めようとしている冥界の空。私もそれを見上げる。――ああ、世界が綻んでいる。あれは、
「メリー? どうしたの?」
「――どこかの結界が、破れたんだわ」
震える声で私が答えた瞬間、「階段の結界が破られたようです」と妖夢さんが答えた。
「お花見の邪魔をさせるわけにはいきません。――行って参ります」
背中から刀を抜き放ち、妖夢さんは飛び立つ。
霊夢さんたちが、どうやらついにこの白玉楼に辿り着こうとしているらしい。私たちは顔を見合わせる。――と。
「あらあら~、行かなくてもいいのに、妖夢はせっかちねえ」
いつの間にか、幽々子さんがそこにいた。扇子に口元を隠したまま――けれど今、その目は笑っていない。ひどく冷たい光を放っている。
「紫の言っていた、紅白やら黒いのやら悪魔の犬やらが来るみたいだけど~」
悪魔の犬って咲夜さんのことか。
「貴方たちは屋敷の方に下がってなさいな~。西行妖が満開になったら、どうなるか私にもわからないしね~。なけなしの春を、そいつらからいただくことにしましょう」
ぱちんと扇子を閉じて、幽々子さんはその顔に、愉しげな笑みを貼り付ける。
風が吹いた。満開の桜並木がざわめいた。――まるで、死者の呻き声のように。
21
そのとき、蓮子がいったいどんな仮説を立てたのか。
それについて、私はそのとき、白玉楼から幽々子さんと霊夢さんたちの戦いを見守りながら、相棒から聞きだしていた。だけれど、それを今この段階で記述することは避けよう。
一応、これが推理小説の体裁である以上、謎解きは最後に為されるべきであろう。
その仮説は崩れ去ってはいたけれど、確かに真相に肉薄していたのだ――。
ともかく、白玉楼の西行妖が見える部屋から、私たちはその戦いを見守っていた。
宴会は解散し、騒霊楽団とアリスさんはどこへ行ったのか、姿を見せない。
陽も暮れ、静寂を取り戻した、白玉楼の夜の庭。そこに佇む桜の巨木と、亡霊の少女。西行妖の下で、闖入者を待ち受ける幽々子さんの元へ、三つの影が飛んでくる。
博麗霊夢、霧雨魔理沙、十六夜咲夜の3人が。
「ああもう! 死霊ばっかでうんざりよ!」
「あら、勝手に人の庭に乗り込んできて文句ばっかり言ってるなんて、どうかしてるわ」
ふわりと浮き上がり、幽々子さんは3人の前に立ちはだかった。霊夢さんが目を見開く。
「まあ、うちは死霊ばっかりですけど」
「あの世には、死人に口なしという言葉は無いのかしら?」
どこからかナイフを取りだして、咲夜さんが口を挟む。
「もちろん、そんな言葉は無くてよ。あの世はいつも、賑やかで華やかなところだわ~」
「華やかなのは、幻想郷の春を奪ったからではなくて?」
「あら、春は嫌い?」
「好きだから怒ってるのよ。特にうちのお嬢様は寒がりだから、早く春にしないと凍えてしまいますわ。なぜ、幻想郷の春を奪ったのかしら?」
「春なら何でも良かったんだけど。もう少しなのよ。もう少しで西行妖が満開になるの」
「なんなのよ、西行妖って」
霊夢さんが腕を組んで問う。幽々子さんは西行妖を振り返った。
「うちの妖怪桜。この程度の春じゃ、この桜の封印が解けないのよ」
「わざわざ封印してあるんだから、それは解かない方がいいんじゃないの? なんの封印だかわからんし」
「結界を乗り越えてきた貴方が言うことかしら~?」
「……まあいいけど。封印を解くとどうなるっていうの?」
「すごく満開になるわ~」
「…………」
「と同時に、何者かが復活するらしいの」
「興味本位で復活させちゃダメでしょ。何者かわからんし」
「あら、私は興味本位で人も妖怪も死に誘えるわよ」
「反魂と死を同じに考えちゃダメでしょ。面倒なものが復活したらどうするのよ」
「試して見ないとわからないわ~」
「そいつは同感だな。何事も実践からだぜ」
と、それまで後ろで口を尖らせていた魔理沙さんが前に出る。
「持ってきてやったぜ、なけなしの春を」
「あら、貴方が妖夢の跡継ぎかしら?」
「私はこんな辺鄙なところで一生を終えたくないし、こんな音速の遅いところにはこの春はやれねえな。辛気くさい春を返してもらうぜ」
「そうよ。私も神社で花見をするの。幻想郷の春を返して貰うわ」
「私も、ここに来るまで丸一日以上かかってしまったから、お嬢様が心配だわ。暖気を返して貰うわよ」
「あらあら、千客万来。賑やかでいいけれど~」
戦闘態勢に入った3人をぐるりと見渡して、幽々子さんは扇を拡げ、笑みを浮かべる。
「さあ、誰から来るのかしら? 3人まとめてでも構わないわよ~」
「自信満々じゃない」
「ここは冥界。ここにいる時点で貴方たちは死んだも同然よ。さあ、花の下で眠るがいいわ!」
ざあっ、と風が吹いた。
桜の花びらが舞いあがり、それに着物をなびかせながら、幽々子さんは両手を広げる。
――その背後から、無数の光る蝶が舞いあがった。
その光景を、私は何とたとえればいいのだろう。
蝶。ひらひらと舞う、無数の光の蝶。それはあまりにも夢幻で、この世ならざる光景だった。
蝶は死者の魂に例えられるのだったか。光の蝶の洪水は、それ自体が魂の天の川のように、渦巻き、流れ、冥界の夜空を埋め尽くしていく。それ自体が鎮魂であり、反魂のようだった。
舞う。舞う。舞い踊る。魂たちが、桜の花びらとともに舞う。
その渦の中心で、蝶のように少女たちは舞う。
ひらひらと、ひらひらと、桜の花が降り積もる。
ひらひらと、ひらひらと、魂たちが降りしきる。
ナイフが蝶を切り裂き、星屑が蝶を薙ぎ払い、お札が蝶を掻き消しても。
桜は途切れることなく降りしきり、蝶もまた途切れることなく舞い続ける――。
三人の生者と一人の死者が踊る、生と死の境界線上の輪舞。
いや――生者と死者の境界は、いったいどこにあるのだろう?
ここがあの世であるならば、全ては死後の戯れに過ぎないのかもしれない――。
あまりにも美しい、生と死の戯れは、それこそが生命の輝きなのだろうか。
それとも、死の永遠の儚さの表れに過ぎないのか。
どちらにしろ、生者は死者に挑み、死者は生者を迎え撃つ。
絶対の境界線を巡って、桜と蝶が踊る中、四つの影は遊ぶように宙を舞う。
そして、その無数の桜と、無数の蝶たちは、やがて高く舞いあがり――。
西行妖のもとへ、降りしきっていく。
「ああ――そうか」
蓮子がそれを見て、呻くように呟いた。
「この戦いそのものが、西行妖を咲かせるための儀式なんだわ――」
春が、西行妖に降りしきる。
満開になることのない桜に、花びらが降り積もっていく。
それを振り仰いで、幽々子さんは笑みを浮かべる。
「完全なる墨染の桜――その開花は、もう、すぐそこよ。そうすれば、そうすれば――」
両手を広げて、幽々子さんはそう声を上げた。
「そうすれば――私は――」
確かに、幽々子さんはそう言った。
私は、それを聞いていた。
幽々子さんの眼前に、扇状に蝶たちが広がる。幽々子さんを守る壁となるように。
そこへ、咲夜さんのナイフが次々と突き刺さる。蝶たちが一部、崩れるように落ちていく。
「行くぜ! マスタァァァァ、スパァァァァク!」
魔理沙さんの八卦炉が火を噴いて――光が、その扇を撃ち貫いた。
幽々子さんが目を見開く。――その扇の穴から突入したのは、紅白の蝶。博麗霊夢。
「――終わりよ。春を返して貰うわ」
お札を突きつけ、霊夢さんがそう告げた。
幽々子さんは――けれど、ただ微笑んだまま、答える。
「春は――十分に集まったわ」
西行妖が、啼いた。
「――――!?」
咲夜さんが、魔理沙さんが、そして霊夢さんが顔を上げた。
その頭上で――西行妖が、その枝をざわめかせていた。
「始まる――」
幽々子さんがそう呟き、そして。
世界を揺るがすかのように――西行妖を中心に、光の渦が巻き起こった。
無数の蝶が、西行妖を中心に渦を巻いて――解き放たれた。
第2章 妖々夢編 一覧
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いよいよ訪れますね。ボーダーオブライフが流れる時が。息を詰めてお待ちしております。
おお、、!!完全なる墨染めの桜が、、、