咎重き桜の花の黄泉の国
生きては見えず死しても見れず
―25―
冬が長引いた分を取り戻すかのように、幻想郷は一気に春めいていた。
雪が消えると、春の花たちが競い合うように咲き乱れ始めた。数日前まで雪に埋もれていた世界の面影は、もはやどこにもない。春告精が勇んで幻想郷中に春を撒き散らしているのだとかとは、阿求さんの話である。
そんな幻想郷の東の端、博麗神社の桜は早くも見頃を迎えていた。
――先日の異変の取材のついでに、神社でお花見をしませんか。
そう阿求さんに誘われ、私たちはまた護衛代わりの慧音さんに送られて、博麗神社へと向かっていた。雪はもう跡形もなく、春の陽気に蓮子もコートの前をはだけている。
石段を上りきると、また一面の薄紅色が私たちを出迎える。それと――。
「……なんだこれは。幽霊だらけじゃないか」
慧音さんが眉を寄せる。博麗神社の上空には、まるで白玉楼のように、半透明の幽霊がふわふわと大量に浮いていた。春に浮かれたように、幽霊たちも心なしか楽しげである。
「まあ、霊夢がいるならそう間違いはないか……またあとで迎えに来る」
忙しいらしい慧音さんは、そう言って引き返していく。後に残された私たち三人は、神社の裏手の方へと足を向けた。そちらにも幽霊はうようよと飛び回り、桜は咲き乱れている。
そんな薄紅と幽霊の乳白色の中、縁側に腰を下ろして、霊夢さんと魔理沙さんがいた。私たちがそちらへ向かうと、顔を上げた霊夢さんは阿求さんを見て「ああ、取材ね」と頷いた。
「この幽霊はどういうことです?」
阿求さんが問うと、霊夢さんは肩を竦めた。
「幽冥の結界が緩んじゃってるのよ。私のせいじゃないからね」
「いや、半分ぐらいはお前のせいじゃないか?」
霊夢さんの答えに、魔理沙さんが混ぜっ返す。聞けば異変解決のために冥界に向かったときに、霊夢さんが顕界と冥界の間の結界を破ったらしい。
「さっさと直せって言ってるんだけど」
「まあ、いいじゃないの~」
そう答えたのは――なんと、幽々子さんだった。なんで現世の方にいるのだ。
「お嬢様。現世に来て大丈夫なんです?」
「ええ。白玉楼の外に出るのも久しぶりね~」
蓮子の問いに、幽々子さんは扇で口元を隠しながら笑う。自由な亡霊である。
「いいからこの幽霊ども連れて帰りなさいよ。人が寄りつかないじゃない」
「ま、確かに花見も幽霊見もそろそろ飽きたな」
霊夢さんが口を尖らせ、魔理沙さんが頬杖をつく。
「みんな久々の顕界で浮かれてるのよ。たまにしか出来ない観光だわ」
「良かったな、参拝客が増えて」
「誰もお賽銭を入れていかないじゃないの」
「人間が来たって賽銭は入れていかないんじゃないかしら?」
そう茶々を入れたのは、アリスさんである。彼女も来ていたのか。
「そう言うならあんたは入れていきなさいよ」
「人形でいい?」
「呪いの人形を押しつけるな」
「爆発するだけよ」
「もっと悪いわ!」
はあ、とため息をつく霊夢さんに構わず、アリスさんも縁側に腰を下ろす。霊夢さんはこちらを見やって、「上がる?」と顎をしゃくった。
「いえ、せっかくですからお花見をしながらで」
「はいはい。んじゃ、茣蓙取ってくるわ。――あ、そうだ」
阿求さんの答えに頷いて立ち上がり、それから霊夢さんは私と蓮子を見やった。
「あんたたちがなんであそこに居たのか、こっちも聞きたかったのよ。アリスがなんか言ってたけど、あいつが人間を冥界に送りこむ理由もよく考えたら思い当たらないし」
じろりと睨まれ、私は身を竦め、蓮子は帽子の庇を持ち上げて楽しげに笑う。
「運命ですかね」
「どっかの吸血鬼みたいなこと言わない」
「いやはや。どうやら、妖怪の賢者の気まぐれのようです。私たちにも詳しいことは何とも」
「妖怪の賢者? ふうん――あんまりあちこち出歩いてると、妖怪にとって喰われるわよ」
「肝に銘じておきますわ」
嘘つけ。私が半眼で睨むが、蓮子は悪びれた様子もない。
霊夢さんは納得したのかどうかは解らないが、ただ肩を竦めて奧に引っ込んでいった。
――そうして始まった、博麗神社のお花見について、ここでは紙幅を費やさない。
阿求さんが霊夢さんに酒を注ぎながら武勇伝を語らせ、魔理沙さんが割り込み、アリスさんが呆れ顔をする傍らで、私たちはのんびりと桜の花を見ながら盃を傾けた。
そして、幽々子さんはぼんやりと、ただ桜の樹を眺めていて――。
「さて――お嬢様に改めてご挨拶に伺いますか」
宴もたけなわの頃。霊夢さんたちの注意が完全にこちらから逸れていることを確かめて、不意に蓮子がそう言って立ち上がった。私も、頷いて立ち上がる。
それは即ち、あの異変の真相を解き明かしに行こうという合図だった。
「……ねえ、蓮子」
「うん?」
「ひとつだけ、聞かせて」
謎解きが始まる前に、私にはひとつだけ、名探偵に聞いておきたいことがあった。
「なに?」
「――今回の異変の謎を、蓮子は、何のために解き明かすの?」
その私の問いに、蓮子は口元を歪めて、帽子を目深に被り直した。
「そうね。――失敗した者の意地でもあるし、単なる好奇心でもあるわ。今回の異変の背後にあるもの全ては、私にも見通せないもの。ただ、それ以外に何か意義があるとすれば――」
そう言って蓮子は、ゆっくりと白砂の上を歩き出す。
「これが私なりの、鎮魂なのかもしれないわね」
「――誰の?」
「それはもちろん――」
歩きながら、私の方を振り返った蓮子は、笑っているような、泣きそうな顔で、答えた。
「お嬢様たちが、蘇らせようとした人への、よ」
もちろん、博麗神社に西行妖はない。枯れた桜もまた、ない。
だから幽々子さんがいたのは、咲き乱れるごく普通の桜の下だった。
「――お嬢様」
蓮子がそう呼びかけると、幽々子さんはゆっくりと振り向いて、小首を傾げる。
「あら、何か御用~?」
「ええ。――先日の異変について、少し伺いたいことがありまして」
蓮子の言葉に、ふっと幽々子さんは目を細め、扇を広げて口元を隠した。
「何かしら?」
「そうですね。様々ありますが――まずは単刀直入に」
ひとつ咳払いして、相棒もまた、桜を見上げる。
あの冥界の枯れ果てた桜の下に、埋もれていた真実を、探り当てようとするように。
相棒の目は、すっと猫のように細められて、――そして、幽々子さんを射貫いた。
「お嬢様たちが、あの異変を起こしたのは、魂魄妖忌さんを呼び戻すためですね?」
―26―
幽々子さんの顔から、表情が消えた。
その変化に、相棒はただひとつ頷いて、そしておもむろに言葉を続ける。名探偵としての、春雪異変の真実を解き明かす言葉を。
「あの異変に私が疑問を持ったのは、表向きの物語のお膳立てが整いすぎているためでした。西行妖という妖怪桜、西行寺を名乗るお嬢様、桜の下で亡くなった歌聖、そして富士見の娘。全てが西行を示している。お嬢様が西行の娘であり、西行の願いのために妖怪となった桜を、娘であるお嬢様が封じ、それによってお嬢様は西行妖とともにこの白玉楼に亡霊として封印されることになった――お嬢様たちが語られた物語は全て、そのような背景を容易に想像させます。けれど、いくらなんでもあまりに因果が整いすぎている。最初からそんな物語を想像させるために全てが用意されているようにしか思えない。疑り深い性分なもので、そのわかりやすい物語の裏には何かがあるはずだと、私はそう考えました。
表向きの物語の背後に何かがある――そう考えたとき、この白玉楼にはひどく余分な存在があることに気付きました」
「……余分な存在~?」
「魂魄妖忌さんと、妖夢さんです。表向きのお嬢様の物語に、このふたりは必要ない。ではなぜ、妖忌さんと妖夢さんはこの白玉楼におり、お嬢様に仕えているのか? いや、そもそも、西行妖の満開を見たことがあるという魂魄妖忌さんは何者なのか? 彼はなぜお嬢様に仕え、そして姿を消したのか? 妖夢さんは妖忌さんの孫娘だと言いますが、では、ふたりの間にいるはずの、妖夢さんの両親はいったいどこへ消えてしまったのか? ――それらの疑問は全て、ひとつの可能性を指し示していました」
桜の方に一歩進み出て、蓮子は帽子の庇を持ち上げる。
「西行は、もともと佐藤義清という北面の武士でした。――そして、正体不明の魂魄妖忌さんは、妖夢さんの剣の師匠であり、お嬢様の護衛でした。このふたつの事実を結びつけ得る答えは、とてもシンプルなものです。
つまり――魂魄妖忌さんの正体とは、西行その人なのですね」
その答えは、あのとき、白玉楼で幽々子さんと霊夢さんたちの戦いを見ながら、蓮子が私に語って聞かせた仮説の大前提だった。魂魄妖忌さん=西行。蓮子はあの時点で既に、その可能性までは思い至っていたのだ。
だが、その時蓮子の立てた仮説は――。
「さて、妖忌さんが即ち西行であると考えたとき、私の脳裏にはひとつ、あまり愉快ではない物語が浮かび上がりました。それは、お嬢様の失われた記憶、妖夢さんの両親の不在、そして千年前という西行妖の満開を知る妖忌さんが、白玉楼の庭師をしていた期間が三百年という不整合を全て説明する物語。お膳立てされたお嬢様と西行の因果の物語によって隠されねばならないものだと考えるに値するものでした。――不快に思われるかもしれませんが、聞いていただけますか?」
「あらあら、どんな話かしら?」
幽々子さんの声は愉しげだけれど――扇の上から覗く目は、笑っていない。
その視線を受け止めながら、蓮子はひとつ息を吐き出して、言葉を続ける。
「妖忌さんが西行その人で、お嬢様がその娘だとすれば。――妖夢さんは、半人半霊である自分を人間と幽霊のハーフだと説明しました。それが、言葉通りの意味だったとしたら」
そこで息を吐き、幽々子さんが何も言わないのを確かめて、蓮子は言葉を続ける。
「魂魄妖夢さんは、お嬢様と妖忌さんの間に生まれた子供だったのではないか、と。人間である父と、亡霊である娘の間にできた、文字通りの人間と幽霊のハーフ。――だから妖夢さんの両親は白玉楼にいないのだと。彼女の祖父が即ち彼女の父親だったのだから」
果たしてそれを、近親相姦と呼ぶべきなのかしら、とあの時蓮子は言った。けれどそのためにお嬢様の記憶が封じられたなら、それはやっぱり罪なのかしら――と。
「妖忌さんとお嬢様は、自分たちが親子であることを知らずに愛し合い、子を為した。けれど、妖夢さんが生まれた頃、お嬢様は妖忌さんが自分の父であることを知ってしまった。――ショックを受けたお嬢様の記憶を妖怪の賢者か妖忌さんが封じ、妖忌さんは生まれたばかりの妖夢さんを孫として、お嬢様の夫から従者へと立場を変えた。それが約三百年前の出来事なのではないか――私はそう考えたのです」
蓮子がそこで言葉を区切ると、ふふ、とお嬢様がどこか力なく笑った。
「残念だけれど、五十年ぐらい前に、妖忌が幼い妖夢を屋敷に連れて来たときのことは、私ははっきり覚えているわよ~。『その子は?』と私が聞くと、妖忌はただ『孫の妖夢です』とだけ答えたわ。……だから、妖夢の両親が何者なのかは私も知らないのよ~」
「はい。妖夢さんから生まれたのが五十年ほど前だと聞いて、私のこの仮説はあえなく破綻しました。少なくとも、妖夢さんが妖忌さんと今のお嬢様の間に生まれた子供という可能性は無くなりました。――では、妖夢さんは何者なのか? その答えは、この記録の中にありました」
と、蓮子はコートの中から、例の記録を取りだした。古ぼけた冊子。何者かが最後のページに〝富士見の娘――〟と書き加えた、『選集抄』巻の五。
「この記録の中に、西行が人造人間を造ろうとしたという説話が収められています」
「――――」
「それが事実だったとすれば。西行が、反魂の秘術を会得していたとすれば。この記録の中では人間を造ることに失敗していますが、西行は正しいやり方を聞きだしています。それによって、西行が本物の人間と変わらない人造人間を造り出せるようになっていたとしたら」
そこで不意に蓮子は言葉を切り、帽子を脱いで幽々子さんの方へと歩み寄った。
「ところで、お嬢様」
「……何かしら~?」
「お嬢様は、この記録の〝富士見の娘〟の文章を読んで、あの異変を起こしたのですよね?」
「……ええ、そうよ~」
「それが、自分自身のことだとは、どうして考えなかったのですか?」
「――――――」
「亡霊である自分の亡骸を蘇らせようとするということは、今の自分自身を消滅させてしまうことになりかねない――貴方は本当にその可能性に気付いていなかったのですか? 部外者である私たちが、この記録の文面を読んだ瞬間に思い至った可能性に」
幽々子さんは答えず、ただ目を伏せる。
蓮子はゆっくりと首を振って、言葉を続けた。
「お嬢様。――貴方は知っていたんですね? この記録自体が偽りであることに。この文面は、貴方に西行妖の封印を解かせないために妖怪の賢者が用意したものであるということを」
「………………」
「里の歴史家に、この記録を鑑定してもらったところ、最後の富士見の娘云々の部分のみ、ごく最近に新しく書き加えられたものであるという結果が出ました。ではなぜこんな文章が書かれたのか。明らかに〝富士見の娘〟はお嬢様を指していますし、西行妖の封印を解くことはお嬢様の現在の安らかな生活を破壊するものであることも、この文章を読めば容易に想像できます。ならばこの文章の意味はただひとつ、お嬢様を止めるために書かれたものなのです。けれどお嬢様、貴方はそれを無視して西行妖の封印を解こうとした。何のために?
西行妖には何者かの亡骸が封印されている、とお嬢様は仰いましたね。つまりそれが答えであり、正確な事実だったのではないですか。誰かの亡骸が西行妖に封印されており、かつ、それがお嬢様ではなく、それが誰かを知っていてお嬢様が西行妖の封印を解こうとしたのなら。答えはひとつです。西行妖に封印されているのは、実際は魂魄妖忌さんの亡骸なのでしょう。いや、その言い方が正確かどうかはまた別ですが――」
幽々子さんの表情は変わらない。構わず、蓮子は続ける。
「そう考えることで、おおよその説明がつくはずです。実際には、確かにお嬢様の亡骸も西行妖とともに封印されたのでしょう。けれど、その封印は西行妖の封印とは別物だった。お嬢様、貴方はそれを既に知っていたはずです。だから貴方はこの記録を無視して西行妖の封印を解こうとした。そこに封じられた妖忌さんを蘇らせるために」
「…………」
「さて、ではなぜ妖忌さんが西行妖に封印されているのか? その答えは、単純な考え方の転換で説明できます。即ち――なぜあの桜が西行妖という名前なのか。誰がそう名付けたのか。それは、西行妖に封印された妖忌さんが西行であると考えれば、こう考えられます。
――西行妖そのものが、西行、即ち妖忌さんの亡骸であると」
蓮子は桜を見上げ、息を吐く。
「つまり、西行妖とは、桜の下で死ぬことに焦がれた西行が、その想いによって自身を妖怪桜に変えてしまった姿だったのではないですか。そして、だからこそ西行妖は、西行の願いを実現するために、人を死に誘うようになった――。
そして今、西行妖がなぜ満開にならないのか。それはおそらく、西行妖が魂を失った抜け殻だからです。つまり、西行妖の封印とは、西行妖から西行の魂を分離することだった。そうして分離された魂が、西行妖に戻ってしまわないように肉体に封じられた姿が、魂魄妖忌さん。だから彼は妖忌と名乗ったのではないでしょうか。西行妖を忌む者として――。
では、どうやって西行妖から西行の魂は分離されたのか。――その方法が即ち、反魂の秘術だったのではないでしょうか」
今度こそ、はっきりと、幽々子さんの表情が変わった。驚愕に、その目を見開いて。
「これから語るのは、私の想像です。千年ほど前、前回の西行妖の満開のときに起こったことというのは、つまりこういうことだったのではないでしょうか。
西行と生前のお嬢様は、どこかで出会い、一緒に暮らしていたのでしょう。死期の近付いた西行は、桜の下で死ぬことを願い、その願いによって自らを妖怪桜と化してしまった。その桜が人々を死に誘うのを見て、お嬢様は妖怪化した西行の魂を救おうと、自らの亡骸を用いて反魂の秘術を行おうとした。西行妖から西行の魂を分離して、お嬢様自身の亡骸に移し替えようとした。――けれど、それは失敗し、お嬢様はただ亡くなってしまわれた。
妖怪の賢者はそれを哀れんで、別の肉体を用意して改めて西行の魂を西行妖から分離し、反魂の秘術で移し替えた。そして封印された西行妖を冥界に移し、お嬢様の魂と、別の肉体で蘇った西行とともに冥界に封じた。――そうして今の亡霊のお嬢様と、半人半霊――即ち、死体に西行の魂を入れた人造人間としての妖忌さんが生まれた。おふたりは冥界の管理者として、この白玉楼で永遠の安息を手に入れたはずだった」
「…………はずだった?」
「そう、けれど妖忌さんが人造人間で、お嬢様が亡霊であった以上、それは永遠にはなり得なかった。肉体はいつか朽ちるものだからです。妖忌さんの魂は、おそらくそのままでは西行妖に戻ってしまう。それを防ぐために肉体という器、魂を封じる檻が必要だった。けれどその肉体もいずれ朽ちる。妖忌さんはおそらく、何度も反魂の秘術で魂を別の肉体に移し替えながら生き続けていた。――けれど、妖忌さんは何百年もそれを続けるうちに、自分はそうまでしてここに居続けるべきではないと悟ったのでしょう。自分がいる限り西行妖の封印が解ける危険性がある以上、妖忌さんはいずれ姿を消さねばならなかった」
「…………」
「おそらく、妖忌さんがそれを悟ったのが三百年ほど前なのではないでしょうか。妖忌さんは、これを最後の反魂にすることに決め、妖怪の賢者に願い、お嬢様のそれまでの記憶を封印した。そして、お嬢様の従者、白玉楼の庭師という立場に自分を変えたんです。ただの従者なら、いざ自分がいなくなってもお嬢様が悲しむことはないから。――そうして、自分がいなくなった後にお嬢様を守る存在として、五十年前に妖夢さんを反魂の秘術によって造りだした。妖夢さんと妖忌さんが同じ半人半霊であるなら――妖夢さんもまた、人造人間なのでしょう」
幽々子さんは何も答えず、くるりと桜の方へ振り返った。
蓮子はそれをまっすぐ見つめて、「だけど――」とその背中へ向けて続けた。
「お嬢様は、それをある程度までご存じだったのですね。妖忌さんがなぜ姿を消したのかも、西行妖がなぜ満開にならないのかも、自分の記憶が失われていることも、その理由も、朧気には。だからお嬢様は、西行妖の封印を解こうとした。いなくなった妖忌さんの魂を西行妖に呼び戻そうとした。それは――」
「……私の知らない私にとって、妖忌がいったいどんな存在だったのかを知るために、ね」
桜の花びらに吸い込まれそうな声で、幽々子さんはそう答えた。
風が吹いた。舞いあがった桜の花びらの向こうに、幽々子さんの姿が一瞬隠れる。
それは桜が、幽々子さんを消し去ろうとしているかのごとくに――。
―27―
もちろんそれはただの錯覚で、桜の花びらが飛んでいった後にも、幽々子さんはそこにいた。
「やはり――それが本当の動機だったのですね」
「……怖ろしい人間ね~。まさかそこまで見抜かれるとは思わなかったわ。紫も、ここまでは計算外だったんじゃないかしら?」
「お褒めにあずかり恐悦至極に存じますわ。しかし、妖怪の賢者を出し抜いたかどうかは――妖怪の賢者はおそらく、私たちにお嬢様を止めてほしかったのでしょうね。あの記録のような、迂遠な方法で止めようとしていた以上、妖怪の賢者はお嬢様を正面からは止められない何らかの理由があったのでしょう。なので、正しい意味をお嬢様に指摘する第三者として、私たちは白玉楼に招かれたのでしょう。そして、私たちが止めたとしても、お嬢様はあの異変を続行した。違いますか?」
「ええ、勿論」
「となれば、何か裏がある。おそらく私たちはそこまで見抜くことを――お嬢様が異変を起こした本当の理由まで、あの場で突き止めることを求められていたのですね。そういう意味では妖怪の賢者の期待は裏切ってしまったわけで、様子見を選んだ名探偵の敗北ですわ」
「他人を完全に操ることは不可能っていうことよ~。紫は詰めが甘いの、いつも」
広げた扇で口元を隠しながら、幽々子さんはくるりと、また私たちの方を向く。
「だけど、どうして私の本当の目的がバレたのかしら~? 妖忌の正体に気付いただけで、今の物語を想像したの?」
「いえ。――もうひとつのヒントは、妖夢さんでした」
「妖夢?」
「はい。――私たちが白玉楼にいる間、妖夢さんは一度も食事をしていませんね?」
幽々子さんが目を見開く。蓮子は『選集抄』を開いた。
「この記録によれば、反魂の秘術を用いるには七日間の絶食が必要だそうです。そして、私たちの見ている限り、妖夢さんは宴会のときも食事のときも、常に忙しそうに働いていて、一度も私たちの前で食事をしなかった。それは従者として働いていた結果ではなく、反魂の秘術のための絶食だったのです。――お嬢様が霊夢さんたちと戦ったこと、それは真の目的のためのカモフラージュだった。あのとき、姿を消していた妖夢さんは、陰で反魂の秘術を実行しようとしていたのでしょう。
いえ、そもそも、お嬢様たちが幻想郷から春を集めたこと、それ自体が大いなるカモフラージュだったのですね。春を集めることで西行妖を満開にする――大がかりなその計画自体が、本当の目的、反魂の秘術によって妖忌さんの魂を西行妖に呼び戻すこと、それを隠蔽するための煙幕だった。いえ――そもそも春を集めるという行為自体、冬の間は冬眠しているという妖怪の賢者を冬眠させておくための策略だったのではないですか? お見事ですね」
「こちらこそ、お褒めにあずかり恐縮よ~。結局寝起きの紫に止められちゃったけどね。妖夢じゃさすがに、紫の相手にはならなかったわ」
ふふ、と笑って、幽々子さんは西行妖に手を添えた。
「結局、妖忌の魂は戻ってこなかったわ」
「…………」
「私は記憶を失う前に妖忌のことをどう思っていたのか。妖忌が私にとって、いったいどんな存在だったのか。どうしても思い出せないの。どうして私の記憶の中にいる妖忌が、指一本触れさせてくれなかったのか。妖忌は――私にとって、どれほどの存在だったのか。妖忌が私の父なら、どうして妖忌はずっと私に背を向けていたのか……それを隠してしまったのが妖忌と紫の意志だったというなら、全く、余計なお世話ね~。悲しむかどうかも、安らぐかどうかも、全ては私が決めることだというのに」
「そうですね――ですが、お嬢様」
「あら、なに?」
「西行妖の封印を解き、妖忌さんの魂を呼び戻すことで、お嬢様が亡霊でなくなり、成仏してしまう可能性は、全く無かったのでしょうか?」
「それは、無いわよ~。だって」
と、幽々子さんは宴会の会場の方に視線を向ける。妖夢さんが、忙しそうに立ち回っている。
「私の亡骸は、ちゃんと封印されているもの。別の魂によって、ね~。妖忌が万一のための保険を打っておいてくれていたから、私は妖忌を呼び戻そうと思ったのよ~」
「――――――」
私たちは顔を見合わせ、そして息を飲んだ。――その言葉の意味は、即ち。
「……妖夢さんの肉体は、お嬢様の亡骸で造られているのですか」
蓮子のその問いに、幽々子さんは答えなかった。
幽々子さんと別れ、宴会の会場に戻ると、「どこへ行っていたの?」とアリスさんに声を掛けられた。私たちは曖昧に誤魔化して、アリスさんの傍らに腰を下ろす。
小さく鼻を鳴らしたアリスさんに、蓮子が視線を向ける。
「……アリスさん。ひとつ伺っても?」
不意に蓮子がそう口を開き、アリスさんは「何?」と振り向いた。
「死者の亡骸に死者の魂を入れたものは、アリスさんの求める自立型人形でしょうか?」
「――――――」
アリスさんは目を見開き、そしてひとつ息を吐き出した。
「その可能性のひとつではあるけれど、私の求める答えではないわね。それは所詮、私の知らない誰かの、予め造られた魂でしかない」
「――なるほど。アリスさんは、魂さえも自らの手で造り出したいのですね」
「そうよ。それでこそ、完全な自立型人形というものだわ」
ああ――だからアリスさんは白玉楼に出入りしていたのだろう。
西行の造った人造人間というサンプルを見極めるために。
それは亡霊のお嬢様の従者として、まるで本当の人間のように働いていたから――。
「だからもう、冥界にはほとんど用は無いわね」
そう言って、アリスさんは立ち上がる。
「帰るんですか?」
「ええ。そろそろお暇するわ。目当てのものもいないし。――ごきげんよう」
長いスカートを翻し、アリスさんは立ち去っていく。その背中を見送り――それから私は、相棒の横顔を見つめた。
「……ねえ、蓮子。ひとつ思いついたことがあるの」
「うん?」
「西行は、親友を蘇らせるために出家したんじゃないか――前に蓮子は慧音さんにそう言ったわよね。そして、西行の出家の理由には失恋説もあるという話を、慧音さんはしていたわ」
「…………」
「西行の出家が、反魂の秘術を学び、誰かを生き返らせるためだったとしたら――それは親友ではなくて、西行の失恋の相手だったのではないかしら? そして――あるいは、」
そこで言葉を切り、私はゆるゆると首を横に振った。
そんな可能性は、できることならばあまり、口にしたくはなかったから。
だけど蓮子は、私の言葉を引き継いで、言う。
「西行寺幽々子さんは、それによって蘇った、西行の失恋相手だったのではないか――だから彼女は《西行寺》を名乗り、あの記録には《富士見の娘》と書かれた。その事実を隠し、彼女を西行の娘だったということにするために――」
私は頷く。――もし、西行の失恋というのが、愛した女性との死別だったのであれば。西行はその人を蘇らせるために反魂の秘術を学んだのかもしれない。そうして幽々子さんが生み出され、西行は彼女を愛し、彼女も西行を愛した――。
「……だとすれば、お嬢様の語った真実の一部に、こんな説明もつけられるわね」
帽子を目深に被り直して、蓮子は言葉を続ける。
「今の妖夢さんの肉体が、お嬢様の亡骸から造られているとして。――じゃあ、妖夢さんの魂はどこから来たのか。それは、ひょっとしたら――」
「……西行と、幽々子さんの子供の魂だった」
西行が妖怪桜と化して、それを救うために生前の――人造人間だった頃の幽々子さんが命を投げ出したとき、そのお腹に西行との子供がいたとすれば。その水子の魂は、半霊のように、幽々子さんにずっと寄り添っていたのではないだろうか……。
幽々子さんの記憶が失われている以上、それらはもはや、幻想の向こう側に消えた物語でしかない。全ては想像であり、事実かどうかを知るのは、枯れた桜と妖怪の賢者だけだろう。
「……まあ、背後関係がどうあれ、魂魄妖忌さんがただお嬢様の幸せを願ったことだけは確かだと思うわ。その理由が愛だったのか、あるいは懺悔だったのかは解らないけれど。それは名探偵にも知り得ない領域の物語だわ。それにね――」
と、蓮子は帽子の庇を持ち上げて、散りゆく桜を見上げながら言った。
「妖忌さんはひょっとしたら、戻ってきていたのかもしれないわね」
「え?」
「だけどもう、その魂は自分が西行であることも、魂魄妖忌であることも忘れてしまっていた。だから反魂の秘術は失敗したのだけれど――でも妖忌さんは、ただの幽霊となって、この白玉楼にいるのかもしれないわ。そうして、お嬢様と妖夢さんを見守っているのかもしれない」
――あのとき、蓮子が掴んだけれど、妖夢さんが気付かなかった半霊。
あれはやはり、魂魄妖忌さんの魂だったのだろうか?
それもまたやはり、幻想の向こう側でしかない幻だった。
――春雪異変の物語は、ここまでである。
だが、もうひとつ語らねばならないことがある。
それは、この宴会の最中――冥界に現れた九尾の妖狐が、霊夢さんに喧嘩を売ったことから始まったもう一騒動。
そして――私と、彼女の出会いの物語だ。
生きては見えず死しても見れず
―25―
冬が長引いた分を取り戻すかのように、幻想郷は一気に春めいていた。
雪が消えると、春の花たちが競い合うように咲き乱れ始めた。数日前まで雪に埋もれていた世界の面影は、もはやどこにもない。春告精が勇んで幻想郷中に春を撒き散らしているのだとかとは、阿求さんの話である。
そんな幻想郷の東の端、博麗神社の桜は早くも見頃を迎えていた。
――先日の異変の取材のついでに、神社でお花見をしませんか。
そう阿求さんに誘われ、私たちはまた護衛代わりの慧音さんに送られて、博麗神社へと向かっていた。雪はもう跡形もなく、春の陽気に蓮子もコートの前をはだけている。
石段を上りきると、また一面の薄紅色が私たちを出迎える。それと――。
「……なんだこれは。幽霊だらけじゃないか」
慧音さんが眉を寄せる。博麗神社の上空には、まるで白玉楼のように、半透明の幽霊がふわふわと大量に浮いていた。春に浮かれたように、幽霊たちも心なしか楽しげである。
「まあ、霊夢がいるならそう間違いはないか……またあとで迎えに来る」
忙しいらしい慧音さんは、そう言って引き返していく。後に残された私たち三人は、神社の裏手の方へと足を向けた。そちらにも幽霊はうようよと飛び回り、桜は咲き乱れている。
そんな薄紅と幽霊の乳白色の中、縁側に腰を下ろして、霊夢さんと魔理沙さんがいた。私たちがそちらへ向かうと、顔を上げた霊夢さんは阿求さんを見て「ああ、取材ね」と頷いた。
「この幽霊はどういうことです?」
阿求さんが問うと、霊夢さんは肩を竦めた。
「幽冥の結界が緩んじゃってるのよ。私のせいじゃないからね」
「いや、半分ぐらいはお前のせいじゃないか?」
霊夢さんの答えに、魔理沙さんが混ぜっ返す。聞けば異変解決のために冥界に向かったときに、霊夢さんが顕界と冥界の間の結界を破ったらしい。
「さっさと直せって言ってるんだけど」
「まあ、いいじゃないの~」
そう答えたのは――なんと、幽々子さんだった。なんで現世の方にいるのだ。
「お嬢様。現世に来て大丈夫なんです?」
「ええ。白玉楼の外に出るのも久しぶりね~」
蓮子の問いに、幽々子さんは扇で口元を隠しながら笑う。自由な亡霊である。
「いいからこの幽霊ども連れて帰りなさいよ。人が寄りつかないじゃない」
「ま、確かに花見も幽霊見もそろそろ飽きたな」
霊夢さんが口を尖らせ、魔理沙さんが頬杖をつく。
「みんな久々の顕界で浮かれてるのよ。たまにしか出来ない観光だわ」
「良かったな、参拝客が増えて」
「誰もお賽銭を入れていかないじゃないの」
「人間が来たって賽銭は入れていかないんじゃないかしら?」
そう茶々を入れたのは、アリスさんである。彼女も来ていたのか。
「そう言うならあんたは入れていきなさいよ」
「人形でいい?」
「呪いの人形を押しつけるな」
「爆発するだけよ」
「もっと悪いわ!」
はあ、とため息をつく霊夢さんに構わず、アリスさんも縁側に腰を下ろす。霊夢さんはこちらを見やって、「上がる?」と顎をしゃくった。
「いえ、せっかくですからお花見をしながらで」
「はいはい。んじゃ、茣蓙取ってくるわ。――あ、そうだ」
阿求さんの答えに頷いて立ち上がり、それから霊夢さんは私と蓮子を見やった。
「あんたたちがなんであそこに居たのか、こっちも聞きたかったのよ。アリスがなんか言ってたけど、あいつが人間を冥界に送りこむ理由もよく考えたら思い当たらないし」
じろりと睨まれ、私は身を竦め、蓮子は帽子の庇を持ち上げて楽しげに笑う。
「運命ですかね」
「どっかの吸血鬼みたいなこと言わない」
「いやはや。どうやら、妖怪の賢者の気まぐれのようです。私たちにも詳しいことは何とも」
「妖怪の賢者? ふうん――あんまりあちこち出歩いてると、妖怪にとって喰われるわよ」
「肝に銘じておきますわ」
嘘つけ。私が半眼で睨むが、蓮子は悪びれた様子もない。
霊夢さんは納得したのかどうかは解らないが、ただ肩を竦めて奧に引っ込んでいった。
――そうして始まった、博麗神社のお花見について、ここでは紙幅を費やさない。
阿求さんが霊夢さんに酒を注ぎながら武勇伝を語らせ、魔理沙さんが割り込み、アリスさんが呆れ顔をする傍らで、私たちはのんびりと桜の花を見ながら盃を傾けた。
そして、幽々子さんはぼんやりと、ただ桜の樹を眺めていて――。
「さて――お嬢様に改めてご挨拶に伺いますか」
宴もたけなわの頃。霊夢さんたちの注意が完全にこちらから逸れていることを確かめて、不意に蓮子がそう言って立ち上がった。私も、頷いて立ち上がる。
それは即ち、あの異変の真相を解き明かしに行こうという合図だった。
「……ねえ、蓮子」
「うん?」
「ひとつだけ、聞かせて」
謎解きが始まる前に、私にはひとつだけ、名探偵に聞いておきたいことがあった。
「なに?」
「――今回の異変の謎を、蓮子は、何のために解き明かすの?」
その私の問いに、蓮子は口元を歪めて、帽子を目深に被り直した。
「そうね。――失敗した者の意地でもあるし、単なる好奇心でもあるわ。今回の異変の背後にあるもの全ては、私にも見通せないもの。ただ、それ以外に何か意義があるとすれば――」
そう言って蓮子は、ゆっくりと白砂の上を歩き出す。
「これが私なりの、鎮魂なのかもしれないわね」
「――誰の?」
「それはもちろん――」
歩きながら、私の方を振り返った蓮子は、笑っているような、泣きそうな顔で、答えた。
「お嬢様たちが、蘇らせようとした人への、よ」
もちろん、博麗神社に西行妖はない。枯れた桜もまた、ない。
だから幽々子さんがいたのは、咲き乱れるごく普通の桜の下だった。
「――お嬢様」
蓮子がそう呼びかけると、幽々子さんはゆっくりと振り向いて、小首を傾げる。
「あら、何か御用~?」
「ええ。――先日の異変について、少し伺いたいことがありまして」
蓮子の言葉に、ふっと幽々子さんは目を細め、扇を広げて口元を隠した。
「何かしら?」
「そうですね。様々ありますが――まずは単刀直入に」
ひとつ咳払いして、相棒もまた、桜を見上げる。
あの冥界の枯れ果てた桜の下に、埋もれていた真実を、探り当てようとするように。
相棒の目は、すっと猫のように細められて、――そして、幽々子さんを射貫いた。
「お嬢様たちが、あの異変を起こしたのは、魂魄妖忌さんを呼び戻すためですね?」
―26―
幽々子さんの顔から、表情が消えた。
その変化に、相棒はただひとつ頷いて、そしておもむろに言葉を続ける。名探偵としての、春雪異変の真実を解き明かす言葉を。
「あの異変に私が疑問を持ったのは、表向きの物語のお膳立てが整いすぎているためでした。西行妖という妖怪桜、西行寺を名乗るお嬢様、桜の下で亡くなった歌聖、そして富士見の娘。全てが西行を示している。お嬢様が西行の娘であり、西行の願いのために妖怪となった桜を、娘であるお嬢様が封じ、それによってお嬢様は西行妖とともにこの白玉楼に亡霊として封印されることになった――お嬢様たちが語られた物語は全て、そのような背景を容易に想像させます。けれど、いくらなんでもあまりに因果が整いすぎている。最初からそんな物語を想像させるために全てが用意されているようにしか思えない。疑り深い性分なもので、そのわかりやすい物語の裏には何かがあるはずだと、私はそう考えました。
表向きの物語の背後に何かがある――そう考えたとき、この白玉楼にはひどく余分な存在があることに気付きました」
「……余分な存在~?」
「魂魄妖忌さんと、妖夢さんです。表向きのお嬢様の物語に、このふたりは必要ない。ではなぜ、妖忌さんと妖夢さんはこの白玉楼におり、お嬢様に仕えているのか? いや、そもそも、西行妖の満開を見たことがあるという魂魄妖忌さんは何者なのか? 彼はなぜお嬢様に仕え、そして姿を消したのか? 妖夢さんは妖忌さんの孫娘だと言いますが、では、ふたりの間にいるはずの、妖夢さんの両親はいったいどこへ消えてしまったのか? ――それらの疑問は全て、ひとつの可能性を指し示していました」
桜の方に一歩進み出て、蓮子は帽子の庇を持ち上げる。
「西行は、もともと佐藤義清という北面の武士でした。――そして、正体不明の魂魄妖忌さんは、妖夢さんの剣の師匠であり、お嬢様の護衛でした。このふたつの事実を結びつけ得る答えは、とてもシンプルなものです。
つまり――魂魄妖忌さんの正体とは、西行その人なのですね」
その答えは、あのとき、白玉楼で幽々子さんと霊夢さんたちの戦いを見ながら、蓮子が私に語って聞かせた仮説の大前提だった。魂魄妖忌さん=西行。蓮子はあの時点で既に、その可能性までは思い至っていたのだ。
だが、その時蓮子の立てた仮説は――。
「さて、妖忌さんが即ち西行であると考えたとき、私の脳裏にはひとつ、あまり愉快ではない物語が浮かび上がりました。それは、お嬢様の失われた記憶、妖夢さんの両親の不在、そして千年前という西行妖の満開を知る妖忌さんが、白玉楼の庭師をしていた期間が三百年という不整合を全て説明する物語。お膳立てされたお嬢様と西行の因果の物語によって隠されねばならないものだと考えるに値するものでした。――不快に思われるかもしれませんが、聞いていただけますか?」
「あらあら、どんな話かしら?」
幽々子さんの声は愉しげだけれど――扇の上から覗く目は、笑っていない。
その視線を受け止めながら、蓮子はひとつ息を吐き出して、言葉を続ける。
「妖忌さんが西行その人で、お嬢様がその娘だとすれば。――妖夢さんは、半人半霊である自分を人間と幽霊のハーフだと説明しました。それが、言葉通りの意味だったとしたら」
そこで息を吐き、幽々子さんが何も言わないのを確かめて、蓮子は言葉を続ける。
「魂魄妖夢さんは、お嬢様と妖忌さんの間に生まれた子供だったのではないか、と。人間である父と、亡霊である娘の間にできた、文字通りの人間と幽霊のハーフ。――だから妖夢さんの両親は白玉楼にいないのだと。彼女の祖父が即ち彼女の父親だったのだから」
果たしてそれを、近親相姦と呼ぶべきなのかしら、とあの時蓮子は言った。けれどそのためにお嬢様の記憶が封じられたなら、それはやっぱり罪なのかしら――と。
「妖忌さんとお嬢様は、自分たちが親子であることを知らずに愛し合い、子を為した。けれど、妖夢さんが生まれた頃、お嬢様は妖忌さんが自分の父であることを知ってしまった。――ショックを受けたお嬢様の記憶を妖怪の賢者か妖忌さんが封じ、妖忌さんは生まれたばかりの妖夢さんを孫として、お嬢様の夫から従者へと立場を変えた。それが約三百年前の出来事なのではないか――私はそう考えたのです」
蓮子がそこで言葉を区切ると、ふふ、とお嬢様がどこか力なく笑った。
「残念だけれど、五十年ぐらい前に、妖忌が幼い妖夢を屋敷に連れて来たときのことは、私ははっきり覚えているわよ~。『その子は?』と私が聞くと、妖忌はただ『孫の妖夢です』とだけ答えたわ。……だから、妖夢の両親が何者なのかは私も知らないのよ~」
「はい。妖夢さんから生まれたのが五十年ほど前だと聞いて、私のこの仮説はあえなく破綻しました。少なくとも、妖夢さんが妖忌さんと今のお嬢様の間に生まれた子供という可能性は無くなりました。――では、妖夢さんは何者なのか? その答えは、この記録の中にありました」
と、蓮子はコートの中から、例の記録を取りだした。古ぼけた冊子。何者かが最後のページに〝富士見の娘――〟と書き加えた、『選集抄』巻の五。
「この記録の中に、西行が人造人間を造ろうとしたという説話が収められています」
「――――」
「それが事実だったとすれば。西行が、反魂の秘術を会得していたとすれば。この記録の中では人間を造ることに失敗していますが、西行は正しいやり方を聞きだしています。それによって、西行が本物の人間と変わらない人造人間を造り出せるようになっていたとしたら」
そこで不意に蓮子は言葉を切り、帽子を脱いで幽々子さんの方へと歩み寄った。
「ところで、お嬢様」
「……何かしら~?」
「お嬢様は、この記録の〝富士見の娘〟の文章を読んで、あの異変を起こしたのですよね?」
「……ええ、そうよ~」
「それが、自分自身のことだとは、どうして考えなかったのですか?」
「――――――」
「亡霊である自分の亡骸を蘇らせようとするということは、今の自分自身を消滅させてしまうことになりかねない――貴方は本当にその可能性に気付いていなかったのですか? 部外者である私たちが、この記録の文面を読んだ瞬間に思い至った可能性に」
幽々子さんは答えず、ただ目を伏せる。
蓮子はゆっくりと首を振って、言葉を続けた。
「お嬢様。――貴方は知っていたんですね? この記録自体が偽りであることに。この文面は、貴方に西行妖の封印を解かせないために妖怪の賢者が用意したものであるということを」
「………………」
「里の歴史家に、この記録を鑑定してもらったところ、最後の富士見の娘云々の部分のみ、ごく最近に新しく書き加えられたものであるという結果が出ました。ではなぜこんな文章が書かれたのか。明らかに〝富士見の娘〟はお嬢様を指していますし、西行妖の封印を解くことはお嬢様の現在の安らかな生活を破壊するものであることも、この文章を読めば容易に想像できます。ならばこの文章の意味はただひとつ、お嬢様を止めるために書かれたものなのです。けれどお嬢様、貴方はそれを無視して西行妖の封印を解こうとした。何のために?
西行妖には何者かの亡骸が封印されている、とお嬢様は仰いましたね。つまりそれが答えであり、正確な事実だったのではないですか。誰かの亡骸が西行妖に封印されており、かつ、それがお嬢様ではなく、それが誰かを知っていてお嬢様が西行妖の封印を解こうとしたのなら。答えはひとつです。西行妖に封印されているのは、実際は魂魄妖忌さんの亡骸なのでしょう。いや、その言い方が正確かどうかはまた別ですが――」
幽々子さんの表情は変わらない。構わず、蓮子は続ける。
「そう考えることで、おおよその説明がつくはずです。実際には、確かにお嬢様の亡骸も西行妖とともに封印されたのでしょう。けれど、その封印は西行妖の封印とは別物だった。お嬢様、貴方はそれを既に知っていたはずです。だから貴方はこの記録を無視して西行妖の封印を解こうとした。そこに封じられた妖忌さんを蘇らせるために」
「…………」
「さて、ではなぜ妖忌さんが西行妖に封印されているのか? その答えは、単純な考え方の転換で説明できます。即ち――なぜあの桜が西行妖という名前なのか。誰がそう名付けたのか。それは、西行妖に封印された妖忌さんが西行であると考えれば、こう考えられます。
――西行妖そのものが、西行、即ち妖忌さんの亡骸であると」
蓮子は桜を見上げ、息を吐く。
「つまり、西行妖とは、桜の下で死ぬことに焦がれた西行が、その想いによって自身を妖怪桜に変えてしまった姿だったのではないですか。そして、だからこそ西行妖は、西行の願いを実現するために、人を死に誘うようになった――。
そして今、西行妖がなぜ満開にならないのか。それはおそらく、西行妖が魂を失った抜け殻だからです。つまり、西行妖の封印とは、西行妖から西行の魂を分離することだった。そうして分離された魂が、西行妖に戻ってしまわないように肉体に封じられた姿が、魂魄妖忌さん。だから彼は妖忌と名乗ったのではないでしょうか。西行妖を忌む者として――。
では、どうやって西行妖から西行の魂は分離されたのか。――その方法が即ち、反魂の秘術だったのではないでしょうか」
今度こそ、はっきりと、幽々子さんの表情が変わった。驚愕に、その目を見開いて。
「これから語るのは、私の想像です。千年ほど前、前回の西行妖の満開のときに起こったことというのは、つまりこういうことだったのではないでしょうか。
西行と生前のお嬢様は、どこかで出会い、一緒に暮らしていたのでしょう。死期の近付いた西行は、桜の下で死ぬことを願い、その願いによって自らを妖怪桜と化してしまった。その桜が人々を死に誘うのを見て、お嬢様は妖怪化した西行の魂を救おうと、自らの亡骸を用いて反魂の秘術を行おうとした。西行妖から西行の魂を分離して、お嬢様自身の亡骸に移し替えようとした。――けれど、それは失敗し、お嬢様はただ亡くなってしまわれた。
妖怪の賢者はそれを哀れんで、別の肉体を用意して改めて西行の魂を西行妖から分離し、反魂の秘術で移し替えた。そして封印された西行妖を冥界に移し、お嬢様の魂と、別の肉体で蘇った西行とともに冥界に封じた。――そうして今の亡霊のお嬢様と、半人半霊――即ち、死体に西行の魂を入れた人造人間としての妖忌さんが生まれた。おふたりは冥界の管理者として、この白玉楼で永遠の安息を手に入れたはずだった」
「…………はずだった?」
「そう、けれど妖忌さんが人造人間で、お嬢様が亡霊であった以上、それは永遠にはなり得なかった。肉体はいつか朽ちるものだからです。妖忌さんの魂は、おそらくそのままでは西行妖に戻ってしまう。それを防ぐために肉体という器、魂を封じる檻が必要だった。けれどその肉体もいずれ朽ちる。妖忌さんはおそらく、何度も反魂の秘術で魂を別の肉体に移し替えながら生き続けていた。――けれど、妖忌さんは何百年もそれを続けるうちに、自分はそうまでしてここに居続けるべきではないと悟ったのでしょう。自分がいる限り西行妖の封印が解ける危険性がある以上、妖忌さんはいずれ姿を消さねばならなかった」
「…………」
「おそらく、妖忌さんがそれを悟ったのが三百年ほど前なのではないでしょうか。妖忌さんは、これを最後の反魂にすることに決め、妖怪の賢者に願い、お嬢様のそれまでの記憶を封印した。そして、お嬢様の従者、白玉楼の庭師という立場に自分を変えたんです。ただの従者なら、いざ自分がいなくなってもお嬢様が悲しむことはないから。――そうして、自分がいなくなった後にお嬢様を守る存在として、五十年前に妖夢さんを反魂の秘術によって造りだした。妖夢さんと妖忌さんが同じ半人半霊であるなら――妖夢さんもまた、人造人間なのでしょう」
幽々子さんは何も答えず、くるりと桜の方へ振り返った。
蓮子はそれをまっすぐ見つめて、「だけど――」とその背中へ向けて続けた。
「お嬢様は、それをある程度までご存じだったのですね。妖忌さんがなぜ姿を消したのかも、西行妖がなぜ満開にならないのかも、自分の記憶が失われていることも、その理由も、朧気には。だからお嬢様は、西行妖の封印を解こうとした。いなくなった妖忌さんの魂を西行妖に呼び戻そうとした。それは――」
「……私の知らない私にとって、妖忌がいったいどんな存在だったのかを知るために、ね」
桜の花びらに吸い込まれそうな声で、幽々子さんはそう答えた。
風が吹いた。舞いあがった桜の花びらの向こうに、幽々子さんの姿が一瞬隠れる。
それは桜が、幽々子さんを消し去ろうとしているかのごとくに――。
―27―
もちろんそれはただの錯覚で、桜の花びらが飛んでいった後にも、幽々子さんはそこにいた。
「やはり――それが本当の動機だったのですね」
「……怖ろしい人間ね~。まさかそこまで見抜かれるとは思わなかったわ。紫も、ここまでは計算外だったんじゃないかしら?」
「お褒めにあずかり恐悦至極に存じますわ。しかし、妖怪の賢者を出し抜いたかどうかは――妖怪の賢者はおそらく、私たちにお嬢様を止めてほしかったのでしょうね。あの記録のような、迂遠な方法で止めようとしていた以上、妖怪の賢者はお嬢様を正面からは止められない何らかの理由があったのでしょう。なので、正しい意味をお嬢様に指摘する第三者として、私たちは白玉楼に招かれたのでしょう。そして、私たちが止めたとしても、お嬢様はあの異変を続行した。違いますか?」
「ええ、勿論」
「となれば、何か裏がある。おそらく私たちはそこまで見抜くことを――お嬢様が異変を起こした本当の理由まで、あの場で突き止めることを求められていたのですね。そういう意味では妖怪の賢者の期待は裏切ってしまったわけで、様子見を選んだ名探偵の敗北ですわ」
「他人を完全に操ることは不可能っていうことよ~。紫は詰めが甘いの、いつも」
広げた扇で口元を隠しながら、幽々子さんはくるりと、また私たちの方を向く。
「だけど、どうして私の本当の目的がバレたのかしら~? 妖忌の正体に気付いただけで、今の物語を想像したの?」
「いえ。――もうひとつのヒントは、妖夢さんでした」
「妖夢?」
「はい。――私たちが白玉楼にいる間、妖夢さんは一度も食事をしていませんね?」
幽々子さんが目を見開く。蓮子は『選集抄』を開いた。
「この記録によれば、反魂の秘術を用いるには七日間の絶食が必要だそうです。そして、私たちの見ている限り、妖夢さんは宴会のときも食事のときも、常に忙しそうに働いていて、一度も私たちの前で食事をしなかった。それは従者として働いていた結果ではなく、反魂の秘術のための絶食だったのです。――お嬢様が霊夢さんたちと戦ったこと、それは真の目的のためのカモフラージュだった。あのとき、姿を消していた妖夢さんは、陰で反魂の秘術を実行しようとしていたのでしょう。
いえ、そもそも、お嬢様たちが幻想郷から春を集めたこと、それ自体が大いなるカモフラージュだったのですね。春を集めることで西行妖を満開にする――大がかりなその計画自体が、本当の目的、反魂の秘術によって妖忌さんの魂を西行妖に呼び戻すこと、それを隠蔽するための煙幕だった。いえ――そもそも春を集めるという行為自体、冬の間は冬眠しているという妖怪の賢者を冬眠させておくための策略だったのではないですか? お見事ですね」
「こちらこそ、お褒めにあずかり恐縮よ~。結局寝起きの紫に止められちゃったけどね。妖夢じゃさすがに、紫の相手にはならなかったわ」
ふふ、と笑って、幽々子さんは西行妖に手を添えた。
「結局、妖忌の魂は戻ってこなかったわ」
「…………」
「私は記憶を失う前に妖忌のことをどう思っていたのか。妖忌が私にとって、いったいどんな存在だったのか。どうしても思い出せないの。どうして私の記憶の中にいる妖忌が、指一本触れさせてくれなかったのか。妖忌は――私にとって、どれほどの存在だったのか。妖忌が私の父なら、どうして妖忌はずっと私に背を向けていたのか……それを隠してしまったのが妖忌と紫の意志だったというなら、全く、余計なお世話ね~。悲しむかどうかも、安らぐかどうかも、全ては私が決めることだというのに」
「そうですね――ですが、お嬢様」
「あら、なに?」
「西行妖の封印を解き、妖忌さんの魂を呼び戻すことで、お嬢様が亡霊でなくなり、成仏してしまう可能性は、全く無かったのでしょうか?」
「それは、無いわよ~。だって」
と、幽々子さんは宴会の会場の方に視線を向ける。妖夢さんが、忙しそうに立ち回っている。
「私の亡骸は、ちゃんと封印されているもの。別の魂によって、ね~。妖忌が万一のための保険を打っておいてくれていたから、私は妖忌を呼び戻そうと思ったのよ~」
「――――――」
私たちは顔を見合わせ、そして息を飲んだ。――その言葉の意味は、即ち。
「……妖夢さんの肉体は、お嬢様の亡骸で造られているのですか」
蓮子のその問いに、幽々子さんは答えなかった。
幽々子さんと別れ、宴会の会場に戻ると、「どこへ行っていたの?」とアリスさんに声を掛けられた。私たちは曖昧に誤魔化して、アリスさんの傍らに腰を下ろす。
小さく鼻を鳴らしたアリスさんに、蓮子が視線を向ける。
「……アリスさん。ひとつ伺っても?」
不意に蓮子がそう口を開き、アリスさんは「何?」と振り向いた。
「死者の亡骸に死者の魂を入れたものは、アリスさんの求める自立型人形でしょうか?」
「――――――」
アリスさんは目を見開き、そしてひとつ息を吐き出した。
「その可能性のひとつではあるけれど、私の求める答えではないわね。それは所詮、私の知らない誰かの、予め造られた魂でしかない」
「――なるほど。アリスさんは、魂さえも自らの手で造り出したいのですね」
「そうよ。それでこそ、完全な自立型人形というものだわ」
ああ――だからアリスさんは白玉楼に出入りしていたのだろう。
西行の造った人造人間というサンプルを見極めるために。
それは亡霊のお嬢様の従者として、まるで本当の人間のように働いていたから――。
「だからもう、冥界にはほとんど用は無いわね」
そう言って、アリスさんは立ち上がる。
「帰るんですか?」
「ええ。そろそろお暇するわ。目当てのものもいないし。――ごきげんよう」
長いスカートを翻し、アリスさんは立ち去っていく。その背中を見送り――それから私は、相棒の横顔を見つめた。
「……ねえ、蓮子。ひとつ思いついたことがあるの」
「うん?」
「西行は、親友を蘇らせるために出家したんじゃないか――前に蓮子は慧音さんにそう言ったわよね。そして、西行の出家の理由には失恋説もあるという話を、慧音さんはしていたわ」
「…………」
「西行の出家が、反魂の秘術を学び、誰かを生き返らせるためだったとしたら――それは親友ではなくて、西行の失恋の相手だったのではないかしら? そして――あるいは、」
そこで言葉を切り、私はゆるゆると首を横に振った。
そんな可能性は、できることならばあまり、口にしたくはなかったから。
だけど蓮子は、私の言葉を引き継いで、言う。
「西行寺幽々子さんは、それによって蘇った、西行の失恋相手だったのではないか――だから彼女は《西行寺》を名乗り、あの記録には《富士見の娘》と書かれた。その事実を隠し、彼女を西行の娘だったということにするために――」
私は頷く。――もし、西行の失恋というのが、愛した女性との死別だったのであれば。西行はその人を蘇らせるために反魂の秘術を学んだのかもしれない。そうして幽々子さんが生み出され、西行は彼女を愛し、彼女も西行を愛した――。
「……だとすれば、お嬢様の語った真実の一部に、こんな説明もつけられるわね」
帽子を目深に被り直して、蓮子は言葉を続ける。
「今の妖夢さんの肉体が、お嬢様の亡骸から造られているとして。――じゃあ、妖夢さんの魂はどこから来たのか。それは、ひょっとしたら――」
「……西行と、幽々子さんの子供の魂だった」
西行が妖怪桜と化して、それを救うために生前の――人造人間だった頃の幽々子さんが命を投げ出したとき、そのお腹に西行との子供がいたとすれば。その水子の魂は、半霊のように、幽々子さんにずっと寄り添っていたのではないだろうか……。
幽々子さんの記憶が失われている以上、それらはもはや、幻想の向こう側に消えた物語でしかない。全ては想像であり、事実かどうかを知るのは、枯れた桜と妖怪の賢者だけだろう。
「……まあ、背後関係がどうあれ、魂魄妖忌さんがただお嬢様の幸せを願ったことだけは確かだと思うわ。その理由が愛だったのか、あるいは懺悔だったのかは解らないけれど。それは名探偵にも知り得ない領域の物語だわ。それにね――」
と、蓮子は帽子の庇を持ち上げて、散りゆく桜を見上げながら言った。
「妖忌さんはひょっとしたら、戻ってきていたのかもしれないわね」
「え?」
「だけどもう、その魂は自分が西行であることも、魂魄妖忌であることも忘れてしまっていた。だから反魂の秘術は失敗したのだけれど――でも妖忌さんは、ただの幽霊となって、この白玉楼にいるのかもしれないわ。そうして、お嬢様と妖夢さんを見守っているのかもしれない」
――あのとき、蓮子が掴んだけれど、妖夢さんが気付かなかった半霊。
あれはやはり、魂魄妖忌さんの魂だったのだろうか?
それもまたやはり、幻想の向こう側でしかない幻だった。
――春雪異変の物語は、ここまでである。
だが、もうひとつ語らねばならないことがある。
それは、この宴会の最中――冥界に現れた九尾の妖狐が、霊夢さんに喧嘩を売ったことから始まったもう一騒動。
そして――私と、彼女の出会いの物語だ。
第2章 妖々夢編 一覧
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相変わらず面白いです
次も期待してます
いや~今回も驚かされた…!
紅魔郷編に引き続き、原作の要点を抑えつつ見事な改変(?)でした!
むしろこちらの話のほうが説得力が高いんじゃなかろうか…
次回はEx&Phのお話かな?楽しみにしてます!
仮説とはいえ、妖夢がゆゆさまの娘であったのならそれはそれですばらしいと思います。
次回の運命の会合、楽しみにしております。
凄い分析力に脱帽です。よく幽々子様とようきが夫婦とかはありますが、人造人間というのは初めてです。手に汗握りました。あと蓮子は理数系で、メリーが文系なのかなと今回思いました。
最初の俳句はZUN(太田順也)様がスタッフロールで書いた俳句ですね
妖忌の名前の理由なるほどなと思った
妖忌=西行、幽々子=失恋(死別)あたりはぼんやり考えてましたが、筋道だった説明がすごいです