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楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし   失われたはし 第9話

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公開日:2017年04月24日 / 最終更新日:2017年04月24日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第2章
失われたはし 第9話



 天狗はにっかりと、一見小気味よい笑顔を向けるが、やはり清明らを蔑む眼差しのまま。
「しかし、女性(にょしょう)の天狗とは……確か、鞍馬僧正坊様のもう一つの姿、陰陽師たる鬼一法眼様が造り出した、陰陽兵器なる者ありや、と聞いていたが」
「ほう、よく知っているな。如何にも私が、その陰陽兵器だ」
「六韜(りくとう)に隠された秘術を以て、護法と鬼の裔を掛け合わせたモノ――」
「故に私は、『護法鬼神』と呼ばれる」
 ばさり、と音を立て、その背に深い藍色の翼が顕れる。
 それは彼女の、妖物としての力の象徴であった。
「あなや! なんというモノか」
 その威容に博雅は驚き、箙から矢を抜くと弓につがえ、彼女に狙いを定める。
「ふむ、雅楽師如きが武具を手に取って、なんとする?」
 片方の口角を上げ、余裕綽々といった顔のまま言う彼女に、博雅は肩を落としかけつつ、
「おれとて、曲がりなりにも、左中将を拝命しておるのだ」
 なんとか弓を引き絞り、放つ。
 至近の間合いである。
 博雅が弓箭に触れること自体大変珍しいが、矢は確かに、彼女に向けて飛来する。
 鬼神はそれを、蝶を逃がすかのように、するりといなした。
「博雅、無駄じゃ」
「もとより分かっておる……」
 博雅は「やはり」と言いたげな顔色を浮かべ、弓を収める。
「分をわきまえるのは賢い証だ。と言うことだ、安倍の半妖。お前もこれ以上この件に深入りせず、身を退くがよいぞ?」
 分などとは、源の姓を持つ博雅に対して、妖が言う言葉では無い。
 それを言った彼女は、翼を広げてふわりと浮き上がり、清明らの行く手の先に降り立つ。
「仰ることは、およそ分かります。ですが此度の件、放っておけば洛中どころか、彼岸にも此岸にも災いとなること。あなたにも、分かっているのではないですか?」
「いや、今こそ、放っておけば何も起きはせぬさ。お前と、お前の身の回りには」
 それは清明には、否、博雅にも、聞き流せぬ言葉である。
 陰ながら、みやこの守護となってきた、この二人には。
「では鬼神殿。此度の件は鞍馬山が後ろで糸を繰り、兼家様や堀河殿を、同時に恐怖に陥れたと、お認めなさるのですか?」
「さてどうかな?」
「いや、よもやあなたがこれを為したのではありますまい。たかだか鞍馬山の一兵。鞍馬僧正坊殿のご下命なくば、身じろぎ一つ出来ぬ身でありましょうし」
 清明の明確な挑発。彼を見下したままの彼女の眉間に、酷く醜い皺が寄る。
「わきまえろと言ったぞ、私は!」
 絶対的な優位者としての余裕はどこへやら、にわかに怒りを露わにした彼女は、諸手でそれぞれに異なる印を切りつつ、唱える。
「大通連、小通連、顕明連。白蓮の法の華となって開け――急々如律令」

『大通蓮』

 宙空より姿を現した、三口の直剣。
 それらは均等に交叉すると、車輪の如き速さで回転し、金物の蓮の華となって飛来する。
 清明は博雅の前に立ち、口元に差し指を当てると、呪を唱える。
「火行を重ねて禍つ金気に克ち、空亡に落とし込め。騰蛇」
 清明の式神。火の天将、巳にして恐怖を司る竜子。
 騰蛇は、三口の直剣のうち、一口を捕らえた。
 軸がずれ、あさっての方へ飛んで行く『大通蓮』。これを認めた彼女は、微かに舌打ちし、残った二口の剣を手元に戻す。
「護法鬼神とは言ったもの。なるほど、鈴鹿の鬼、立烏帽子の方術に、法力を交えたか」(※1)
「安倍の半妖。お前すら、あれらを鬼と言うか」
 清明がその方術を冷静に見極めると、彼女はいよいよ凶相を表し、不意に平静な面持ちに戻る。
「私としたことが、熱くなってしまった。なに、今のは戯れだ」
 彼女は言いながら、騰蛇に絡め取られ、地に落とされた一振りに手を伸ばす。
「式神を、引っ込めてはくれぬか?」
 全く力を失った剣、顕妙連は、彼女の方術一切に応えず、ただの鉄の塊として横たわる。
「いえ、これは危うき物。鉄は火に溶け、地に戻って頂きましょう」
 ずぶり、と僅かに音を鳴らし、木の葉の合間に潜り込んで行く顕妙連。護法鬼神はそれを黙って見送る。意外にも諦めたようである。
「手を出してしまった私が悪いか。やれ、面倒を増やしてしまった」
 残る二口の剣が彼女の手元に戻り、姿を消す。
「私こそ、あなたを侮るような言葉を浴びせたのには、ご容赦下さい」
 清明は、己から力をひけらかす男ではない。しかしこの場では、力を認めさせる必要があった。故にあえて彼女の怒りを招き、先の通り初撃を挫いて見せたのだ。
 鬼の怒気は、燃えさかるのが瞬時であるなら、鎮まるのも一瞬である。
「お前が私に話をさせようと言うのは分かった。だが、話さなかったのがお前のためと言ったは、嘘ではないぞ」
 彼女はそれを読み取りつつ、それでも聞きたいのかと問うた。
「そうでありましょうや。いや、当初のこれは、鞍馬山の利となるものであったはず。しかしそれは何者かに阻まれ、今はより、始めの意思から離れておるのでありましょう」
「ふむ、さすがは清明か。ならば私が何も話さずとも、全て分かろうに」
 清明の顔に影が差すのを、これまで彼に守られていた博雅が認める。
 彼は全て分かっていて、あえて貴布禰の社へ向かおうとし、今はこうして鬼神の話を聞いている。その行動が、どの様な心から生じたのかも、博雅は察していた。
(清明、お前の考えとは、よもや)
 どんなに優れていようと、彼が一人の人間であると信じる博雅は、その心底を思う。
「そうでありますか……さても、此度の件、鬼一法眼様だけのご意思でもなさそうですね」
「そうよ。我らにも上がある。法眼様とて、これをお前ら人間に下すに過ぎぬのよ」
 清明は、失せた物、秘されたものを探すを得意としている。それを以て、彼女ののたまう言の葉の真偽を、確かに見定めていた。
 鬼に横道は無い。しかし彼女は、鬼神とは称しても、賢しく飛び回る天狗である。
「貴女は、私に味方しようというのか」
 清明が一人納得していると、考えを縄のように絡まらせた博雅が問う。
「のう、清明殿。この天狗殿は何を示しておるのじゃ?」
「この背後に、多く畏き方の姿があるのだと。しかしそれを此方に下しているのは、ほかならぬヒトです。ただそれに、あの様なモノを用いるなどとは、思いませんでした」
 清明の言葉に、彼女は鴉のように首を傾げて答える。
「むしろ、あのモノ達こそ、此度の企みには見合ったモノであったと思うがな。私は。一つ見誤ったものを挙げるなら、かのモノの片割れが、未だに神火を奉じていたことよ」
「あの鬼女、確か鉄輪(かなわ)を携えていたが、そうか、はしひめはそれを御すべく――」
「だから言うのだ、捨て置けと。法眼様もお上も諦めたようであるのだから」
 事の始めは鬼一法眼やその上であるが、それが御せなくなった今、全てはあの二人の間で勝手に収まるのを待つだけ。
 彼女がそう告げたのに清明はうつむくと、黙したまま振り向き、博雅と視線を合わせる。
「貴布禰の社で知りたかった話は確かめられた。急ぎ戻ろう」
「うむ。だが綱殿と橋姫の行衛は?」
「あの御仁が示してくれたよ」
 虚実を混ぜた言葉の中に、彼女はそれを含めていたのだ。この奥に進む必要など無いと。
「どこかで入れ違いになったのか、お前がいたと言うのに」
「此度の件、俺には始めから何も見えていなかったのだ。始めから――」
 二人は一顧だにせず、元来た道を戻り始める。
 その背後では鳳が如き羽音が、微かに甘い香りを巻き、遠ざかって行った。

 牛車に戻るまでは足早なだけの清明らであったが、今は馭者も式神に変えて、それを全力で走らせていた。
「清明、これから如何にするつもりじゃ」
「おれの手で、鬼女『橋姫』を鎮める」
 これも始めから定まっていたかの様に言う。
「退治するのではないのだな?」
「ああ、それはならぬ。なればこそ賀茂保憲様の父祖は、あれを封じるに留めたのじゃ」
「では今のお前は、それを如何にして為す」
 清明は一息置いて、それを為すために己が読み取った鬼女『橋姫』を語る。
「あの鬼女、鉄輪――五徳を被いていたそうな。あれ自体は、ただの五徳であったが」
 三本の足に鉄の輪を乗せた、鍋を火に掛けるのに使う、どこにでもある五徳である。
「そんな物を何故?」
「呪(しゅ)じゃ」
「また呪か」
「お前には十分に、易く読み解けよう。五徳は元を竈子(くどこ)と言い、これをひっくり返して五徳。あの鬼女は、これをまた、ひっくり返して被いていたようじゃ」
「ふむ、見た目は、角を生やした鬼にも見えような。それに、五徳をひっくり返した所で、それは竈子には戻らぬ。そういう事か」
「そうじゃ。逆さまに被いた五徳は、“五徳”をひっくり返した証じゃ」
「五徳――孔子の教えにある五常、即ち仁、義、礼、智、信を、覆した。それが呪か!」(※2)
「うむ。あの鉄輪は、橋姫が己を鬼女とした証なのだ」
 己を鬼とする。どんな想念からそれが生まれ出たのか。ただの色恋の嫉妬だけで、ヒトがそうなってしまうなど、心優しい博雅には想像も出来ない。
「ではお前は、鬼女の証である鉄輪を、先の鬼神の剣を封じたようにすることで、橋姫自身の力も封じようと言うのか」
「あくまで、敵うならばの話であるが……」
 彼が敵わぬ妖などあろうや。博雅はそう考えるそばで気付く。
「大元を、そもこれを用いた陰陽師なりに、彼女を翻させることは出来ぬのか?」
 白々しいとは思いつつ、博雅は言う。
 清明が大変珍しく私情に囚われているのを察し、あえて辛いであろう事を問うた。
「博雅、お前には此度の件を引き起こした者が誰か、分かっているのか……」
「お前よりもずっと遅れたろうが、ようやく分かったよ――」
 橋姫を呪詛として用いた者も、彼女がどこから、どうして来たのかも。
「お前がいてくれてよかった。おれとしたことが、己を偽ろうとするなどな……」
 清明の心情を映したかの如く、牛車が今までとは違う揺れを呈し始める。
「しまったな、野分か。貴布禰の社に参っておくべきであったか」
 博雅が簾を上げて外を見ると、雲は低く垂れ込め、地表には風が渦巻きつつあった。

      ∴

 少年と少女の行く手は、にわかに吹き始めた風に阻まれつつあった。
 それでも歩を進めようとする綱であったが、橋姫が手を引いてそれを留めると、密生する林の方へ誘い、大木のうろに入り込む。二人が風雨を凌ぐには十分であった。
「橋姫、急いで戻らなくてはならないのではないか!?」
「ええ、それはよく分かっています。でもこのまま進んでは、無事では済まない」
 たかが風、雨ではない。それに今は川沿いを下っている最中。溢水すれば、水に飲み込まれる恐れもある。
「それに大丈夫。野分の後には水かさも増す、川に近づく者も少なくなるでしょう」
「そうかも知れないが……」
 急ぐべき所を夜明けまで休もうと決めたのは綱である。お互いにそう思っていたとは言え、実際にそれを口に出した彼は、今の足止めにそれを悔い、焦っていた。
 橋姫はそんな彼を見て、くつろぐ様子を見せる。最も急いているのは橋姫自身であるのに。
「綱、昔ばなしをしましょうか?」
「昔ばなし?」
 彼の問い返すのに、橋姫は語り始めることで答える。
「ずっと昔の事、先頃興った宋が漢という名で呼ばれていた頃、多くの人が大陸から渡って来たの」
 ある者は自ら望んで、またある者は奴隷同然に。階級も職も、国や人種すら、実に雑多な多くの人々が命がけの船旅を経て、この国に渡って来たのだ。
「本邦より随や唐に渡り、戻って来た方もいるとは聞いたけれど、そんな昔から……」
 橋姫はにこりと微笑み、彼の興味と驚きを誘えたのを喜びながら、続ける。
「ええ、そんな昔から」
 それよりも古い時代、北からは凍った海を渡って来た者達もあったが――それは今は関係ないものとして、話を端に寄せる。
「その中には、大洋より遙か西から渡って来た者達も居た――」



第9話注釈

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※1 鈴鹿の立烏帽子:御伽草子に語られる、鈴鹿御前の別名。JKセイバーではない。
※2 孔子の教え:ここでは儒教(儒学)を言っている。

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