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楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし   失われたはし 第4話

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公開日:2017年03月14日 / 最終更新日:2017年03月14日

失われたはし 第4話
楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第2章
失われたはし 第4話



 日も昇りきった一条戻り橋の袂には、見るも無惨な有様になった牛車と、その周囲を固める検非違使(けびいし)(※1)達。それに真っ黒な、乾ききった血だまりの跡ばかりが残る。
 またその側では、橋の下に住む浮浪人と検非違使達が、押し問答を繰り返していた。
「やったのはお前達であろう。白状いたせ」
「訳の分からねぇ勿怪が、お公家さんバラしやがったって、そう言っただろうが」
 浮浪人をまとめる翁が、大きな涙滴形をした遮光器の内側から、鋭い視線を投げ続ける。
 気圧され続けた検非違使らはと言えば、太刀に手を掛け、一触即発の様相。
 しかし、ここで切り捨ててはよくない理由があるのか、辛うじて堪えている。
「しかしお車を壊したのは、お前達であろう」
 壊されたのは、金銀や漆、金物がふんだんに用いられた牛車である。浮浪人の十人程度が、しばらく食いつなげるだけの価値はある。
「何が何でもしょっ引きてえようだが、そっちも違うな。そもそもやられたのは、どこの誰様なんだ?」
「お前如きに話す必要は無い」
「では、私になら、お話し下さいますか?」
 忽然と現れたかの様に、検非違使と浮浪人の間に立つ清明。
「これは安倍晴明殿。いや堀河殿、美濃権守(みのごんのかみ)兼通様より、奥方の分家の方が、昨晩より帰って来ぬので捜索を。とのご指示がありましたゆえ」
「勿怪の仕業である、との話が聞こえましたが」
 清明がチラと翁の方を見ると、彼は側にいた浮浪人の少年の背を軽く叩く。
「お、オラ見ただ!」
 検非違使の威圧への恐怖か、はたまた件の勿怪への畏れからか、少年は歯を鳴らしながら、清明を見上げる。
「聞かせてもらいましょう」
 少年が語る昨夜の出来事は、次の通りである。

 昨日はちょうど月が満ち、十分に辺りを見渡せる夜であった。
 そんな中、少年が用を足しに起き上がった時である。牛車が通りかかったのだ。
 始めは何の気なしに見ていた少年であったが、その牛車に異変が起きた。進路を阻む様に、若い女が立っていたのである。
 脚を露わにした丈の短い袴に、衣は短い袖の渋色がちな物。丈だけを見れば、少年らが着る肩衣と大差ないが、女のそれは少年には見た覚えの無い、鮮やかな装い。
 馭者や牛車の主人に酷い目に遭わされたりはしないかと見守っていると、女の方から牛車に近づいて行くではないか。
 馭者が手に持った鞭を手に女を追っ払おうとすると――

「そしたらその女、馭者の首を捻って。牛も信じらんねえような力でくびり殺しちまった……」
「牛まで。乗ってい方々は、どうなったのだ」
「お公家さんらしき人は、簾(すだれ)から首を出した所を、女に頭を引っこ抜かれちまった。そいつそれから、車の内側に入って行って、中からまた女の悲鳴が聞こえて……」
 検非違使達はつばを呑む。牛をくびり殺し、大の男の頭をもぎ取るなど、勿怪以外にあり得ない。
 話を聞いても依然として涼しい顔のまま、清明が訪ねる。
「車を引いていたのは、馭者と牛だけ。車の周りには他に誰も居なかったのかな?」
 夜中、護衛が無いのは余りに不用意であるし、何より車副(くるまぞい)(※2)が居なければ、運行を馭者一人で行わなければならない。
「ああ、それだけだった」
「それと簾も下がっていたのだな?」
「そうだ、脇から顔を出した所をやられたんだ」
 清明は頷くと、検非違使の長へ向き直る。
「先ほど“方々”と仰いましたが、何か、人目を憚る関係の方達だったのでは?」
「と、仰ると?」
「お供は最低限。御簾も下げ、中からは女の悲鳴。悲鳴の主、間違っても勿怪ではありますまい」
「むむ、流石は清明殿。お見それしました」
 民にまでその名の知れ渡った清明である。検非違使も、彼の高名に負けぬ洞察力に、頭を垂れる。
「子細は我らも聞かされておりませぬが、その様な間柄であったようです。しかしながら、それとこれは話が別。清明殿は、この童の話を信じるのですか?」
 清明は、鷹揚に頷いてから、再び少年に問いかける。
「その勿怪の目、どんな色をしていましたか?」
「言い忘れてた。見たこと無い色、いや、玉みたいな緑だった。あと髪は金色だった」
「なるほど、やはり」
「清明殿には、心当たりでも?」
「緑という色、天竺より更に西方では『嫉妬』の色と言われています。そして金毛、これは鬼と呼ばれるモノに、時折見られる色です」
「嫉妬の、鬼であると?」
「ええ。また其は、橋に依り憑く比売(ひめ)神でもあります。不貞を犯したその方々が、たまたま居合わせたその鬼の犠牲になったのやも」
 検非違使らは、納得した者もしない者も、一様に「ううむ」と唸る。
 それを代表して、彼らの長が口を開く。
「あい分かり申した。しからば人間の犯人を捜すより、その勿怪の調伏を上申いたします。しかし、お車を壊したのは――」
「牛やその方々の亡骸は、その勿怪が食ろうたと判断できますが、お車については、人間の仕業でありましょう」
 清明はまた翁に視線を投げかけ、何かを促す。
「そいつにゃあ、心当たりがあるぜ」
 言って彼は、最近京中に現れる夜盗について語る。
「――とまぁ、この前なんかも、ちょうどここにどっかのお姫様が迷い込んで、そいつらに襲われてたんだ。あん時は、若けぇお武家さんに助けてもらったがな」
 検非違使は話を聞き終わると、ようやく疑いを解いて牛車の片付けに集中し始めた。
 そちらから詫びの言葉が無いのに憤慨する翁に、清明が語りかける。
「翁。先ほど若い武家がと仰いましたが、それは多田頼光と、渡辺綱という名ではありませんか?」
「確かそう名乗ってた。多田の殿様のご子息と、それに仕える嵯峨源氏の流れだろうな」
「なるほど、有り難うございます」
 清明が立ち去ろうとすると、川上の方から駆けて来る二つの影があった。

 綱は橋姫の手を引きながら、その足取りを気にしつつ駆ける。橋姫は、兼家邸の女房より借用した袴を穿いているため、どうにか走っていられる程度。
「姫、辛ければ歩こう」
「私から言い出したのです。大丈夫」
 橋姫は言うが、既に息が上がり、額には汗が浮かんでいる。綱は一瞬その様に見とれるが、すぐに行く手へ視線を戻す。その先には、役人も河原者も交えた人だかりがあった。
 綱はその喧噪の中に在って、特異なほどに静かな姿を認める。
「あれは清明殿」
「陰陽師の、安倍晴明様?」
「うん、そうだ!」
 残り十間も無い距離を駆けきり、二人は現場に辿り着く。綱はまず清明に、礼を失しない程度に短く挨拶を述べ、何があったのか問いかける。
「おや、綱殿。それにそちらの姫君は、昨日左京大夫様のお邸におわした――」
「はしひめ、と申します。今朝こちらで某かの事件があったと聞き、綱様にご無理を言って参りました。実は一昨日、ここで夜盗に襲われていたのを、この方々に救われまして」
 橋姫もまた礼をしてから、ここに来た理由を述べる。恩人達の身に何かあったのではないか不安になったのだと。
「そうか、橋姫と仰るか……」
 既に漏れ聞いていた名であるが、清明はあえて、今初めて聞いた風に装う。清明が微かに視線を交わした瞳も、豊かに波打つ緑髪も、浮浪人の少年が語った色とは全く異なる。
 清明とて、己の見識に絶対の自信を持つ訳では無い。故に、目の前にあるそれらの光景を信じる。しかし、狐狸のみならず勿怪が人を謀るというのは、彼自身も身に染みる以上に知ることである。
「私など、鞍馬山の麓の庵に隠れ住むような家の者ですが、それでも清明様のご高名は、兼がねと伺っております」
「それはそれは。鞍馬山の側にお住まいと仰いましたが、貴船のお社の付近でありましょうか?」
「その通りでございます。流石は清明様」
 一つの確信を以ての問いであったが、あっさりとそれを肯定する答えが返されたのは、清明にとっても意外であった。
「なるほど。ならば、かつて貴船の社に現れた鬼女の伝説、ご存じでありましょうか?」
「ええ、想い人の不義に打ちひしがれた哀れな女の話ですね。耳にしたことはあります」
 こんな場でなぜこの様な雑談をと、綱が訝しげな貌で二人の顔を交互に見る。清明はすぐにこれに気付き、次に現れるはずであった綱の問いに、先んじて答える。
「此度ここで起こった事件、聞く限り勿怪によるものでしてね。その勿怪というのが、今言った貴船の鬼女やも知れぬと」
 綱と橋姫は、勿怪の仕業と聞いて同様に驚く。しかし、そこにはただの驚き以上の感情が無いように、清明は読み取る。
「なんという事でありましょう……そうだ、この橋の下に住まう方々の身に、その勿怪の手は及びませんでしたでしょうか?」
 ここで起きた事件が、勿怪によるものであろうと夜盗の仕業であろうと、橋姫が気に掛けていたのがそれであるのには変わりはない。
 ちょうどそれに答えるように、浮浪人の翁が声を掛ける。
「心配には及ばねぇ、全員無事だぜ」
 彼の言葉に、橋姫は初めて行きを落ち着けた様子を見せる。同じくほんの僅かな面識のある綱も、彼に語りかける。
「俺が言うのも白々しいでしょうが、ご無事で何より」
 浮浪人の中にあっても小ぎれいな彼には、綱も威儀を正して応じる。
「なに、お言葉はありがてぇや。俺も目を患うまでは滝口の陣に控えていたこともあったが、渡辺様みてぇなお優しい方は居なかったな」(※3)
「なんと、拙者にとっても先達でありましたか……」
 今は僅かな光しか感ずることが出来ず、それ故にこの様な暮らしに身をやつしたのだと、翁は遮光器を僅かに上げてその有り様を見せる。
 純粋で健やかな心を持つ少年は、哀れむでなく一定の敬意を彼に向ける。
「元々は坊主の真似事なんかしてたけどな、結局はこのザマさ。そこをたびたび、清明の旦那に施し頂いて今に至るって訳だ」
 清明は静かに頷くと、翁に彼らとの語らいを促し、翁はそれに応じる。
 若武者と浮浪人の翁、それに橋姫という、奇妙とも思われる一同を見回し、暇乞いをして清明は立ち去るのであった。

      ∴

「とまあ、そんな事があってな」
 十六夜の月の下、濡れ縁で土器を傾けながら、清明が博雅に言う。
「ふむ。しかしお前の感じた通りなら、あの娘が貴船の鬼女に関わりがあるやもというのは、あくまでも偶然であると?」
 博雅が言うのは、住処が貴船の社の側であるのも、である。
「まだ何ともな。それより、件の鬼女が現れた、という事の方が重大でな」
「それだ。勿怪調伏となれば、当然、陰陽寮の出番ではないか」
「おそらくは、現場に赴いていた検非違使が上申し、刑部省より依頼があるとおもっていた。のだが――」(※4)
「お前が、俺とこうして酒を飲んでいられる、という事は」
「ああ、未だに音沙汰無しじゃ」
 博雅の思考も、酒精に負けずに平静である。
 当然行き着く推察を、彼は口にする。
「兼通様と関わりのある方の、不貞の中での惨事じゃ。それを隠したいのであろうか」
「やはり、そうだろうな」
 とはいえ、人を二人、三人と殺した妖を、放ってはおけない。
「俺も官人であるからな。そういう話が絡んでは、上の意向が無い限り動くのは難しい」
「しかし、何者かがまた訴え出れば、そうする事も叶おうか」
 それを己がするのをやぶさかでは無いと、博雅は視線を投げる。
 しかし、清明は首を振る。
「実は既に、兼家様を通して、な」
 なるほどと、博雅は頷く。
「ただ、兼通様との関わりは伏せている。俺がまず知りたいのは、その鬼女の素性よ」
「なんだ。俺はてっきり、兼家様を焚き付けたのかと思ったぞ」
「俺とて、そこまではあくどくはない」
 仲の悪い兄弟のこと。それをすれば確かに、より早く話は運ぶかも知れない。
 しかし清明は、それをしなかった。
「して、如何にしてその素性を確かめようと?」
「あの鬼女、何者かの呪詛(ずそ)ではないかと思っておる」
「呪詛?」
「それを、某かが阻んだのじゃ。故に行き先を失い――」
「結果、一条戻り橋で暴れた、か。なれば清明よ、鬼女はまた現れると?」
「うむ、それも兼通様と関わりのある場所に、な」
 兼家には、兼通の名こそ伏せたが、およそ現れそうな箇所は伝えたのだ。
「兼通様も堀川側にお住まいで、堀河殿とも称されている。一条戻り橋に現れたのも、そのためか」
「それに橋じゃ。一条戻り橋と同じく、堀川に架かる橋に奴は現れると考えている」
 それに納得し、また甁子から酒を注ぐ博雅。ただ一つ、懸念があった。
「お前は「そうではない」と言ったが、もしあの橋姫なる娘が、やはりその鬼女であったなら、あの綱という少年、どう思うであろうか……」
 もしかしたら彼も、兼家の命により、鬼女探索に繰り出されているかも知れない。
「少年とはいえ武士だ。覚悟は、しているだろうさ」
 博雅はやはり辛そうな顔をする。
 ともあれ、これ以上の犠牲者が出ないのを祈る気持ちは、二人とも同じであった。

      ∴

 夜の堀川を下り、四条通に差し掛かろうとする二人の若武者。ちょうどここから、四条方面にも流れる支流があるが、用があるのはあくまでも堀川の本流。そちらの巡察。
 頼光と綱の二人は、不意に強烈な違和感を知覚する。
 秋も深まりつつあるとはとはいえ、真冬のつとめてより底冷えする空気を漂わせる堀川四条の橋。水底に住まう住まう河伯ですら、身を潜めてしまうであろう冷気である。
 主より鬼女探索の命を受けたとは言え半信半疑であった頼光は、橋姫の言葉からややその存在を信じている綱に対して問う。
「綱。清明殿や橋姫が言っていたという件のモノ、見えるか」
 呼ばれた綱は、首を振りつつ、
「いえ、何者も」
 と答える。
 が、今まで漂っていた冷気が、急速に暖気となり、迫る。この様子、尋常では無い。
「頼光様――」
「応!」
 二人の若武者は、ようやくその姿を捉えた。欄干に寄りかかり、下流を眺める女を。
 綱は心の臓も止まるほどに驚く。月の明かりを映した金色の髪に、硬玉の如き緑の目。
「なぜ、だ……」
 被いていた鉄輪を取り去り、おとろしい視線を二人に投げつけながらフラりフラりと歩み寄るのは、綱が月下のまぼろしに見た橋姫の面であった。



第4話注釈

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※1 検非違使:現代の警察と検察を兼ねた役職。京の治安維持が主な仕事
※2 車副:牛車の両側に付き、運行を助ける従者
※3 滝口の陣:滝口武者が詰めた場所の事。滝口の武者とは、内裏の警護に当たった武士の事
※4 刑部省:司法一般を統括する省。検非違庁はここに属するが、やがてはそちらが主体となる。

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