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楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし   失われたはし 第1話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第2章 失われたはし

公開日:2017年02月20日 / 最終更新日:2017年02月20日

失われたはし 第1話
楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第2章
失われたはし 第1話



 一羽の烏が「クワァ」と欠伸とも思える鳴き声を放つ。
 その側では一人の坊主が、陽光にも静かな光を返す刃を磨いている。
「退屈したのなら帰ってもいいのだぞ?」
「ガッガッ!」
 己も一応は役目を負って来ている。いや、役目自体はどうでもいいが、これを果たさねば糧を得られないから仕方なく待っているのだ。烏は身振り翼振りを以て彼に抗議する。
「カッカッカッ。まあそうさの、働かざるもの食うべからず。だが今しばらく待ってくれ。代わりに面白い話をしてやるでな」
 烏は「ガァ!」と強く怒鳴るが、彼は勝手に話を始める。
「この刀。先だって左衛門大尉から当山に納められた物だ。あのお方、立ち回りが不器用なのもあって昇叙こそままなっておらぬが、信心は厚いようで助かっている」
「クワ? カァ」
「ああ、源為義(みなもとのためよし)殿だ。ゆくゆくはご息女を当山に預けたい、有り体に言えばワシの子の嫁に出したいなどと仰っておる。公家からの寄進は十分であるし、これからはこれよ」
 彼は折った紙を口にくわえ、武士の様に刃を構えてみせる。
「この太刀、古い勿怪を、大蜘蛛を斬ったと言われておる。そして兄弟刀にも、似通った逸話が残っているのだ。しかしな――」
 烏の、真黒な顔の中で輝く南天の様な赤い目に、更なる輝きが差し込む。
「――しかしそちらは、かつての持ち主の思いを封じた物なのだそうな」
「カァ、カァ」
 首を傾げる烏。見た目にそぐわず歳も長じているため、この太刀の銘から逸話、それに坊主が話そうとしている兄弟刀のそれも知っていた。
 だが彼が語ろうとする逸話は、己が知る物とは違うようだ。烏は興味津々に、とてとてと足音を鳴らして彼に歩み寄る。
「今より遡れば二百年近く、お前が生まれるよりも更に前になるかな。村上天皇の御代でのことだ」
 彼の法力ゆえであろうか。烏が常の通りに瞬きをすると、その瞼に、見も知らぬ古き日の事柄が映し出された。

      ∴

 黄昏時は逢魔が時。昼と夜の辻に、往来の辻へ立てば、異界のモノが現れると言われる。
 ある邸から出発した一両の牛車が一条大路を西進する。それが小川と並進する別の小路との辻へ差し掛かった時であった。
「彼は、たそ?」
 牛を引く大童よりも早く行く手の異変に気付いた主が、簾の内側から訪ねる。
 辻に降りつつある夜の中に、伸びゆく二つの影がたたずんでいた。

 土御門小路に立つつつましやかな邸。
「うむ分かった。騰蛇(とうだ)、ご苦労だった」
 日も暮れて、まだ僅か。童のように髭もたくわえぬ、涼やかな細面の男が一人、庭の銀杏の梢に声を投げる。
 梢がかすかに揺れたのを見て、彼は面を地に戻す。池の水面には満ちきらない月。
 それを眺めながら、夕餉に酒に、静かな楽しみを見出す。
 これがすぐに、遮られるのを知りながら。
「お客様にござりまする」
 彼に、仄かに薫る声が話しかける。美しい、垂れ髪の女であった。
「うむ」
 彼はそう答え、女に支度を促す。
 女が台所へ足を運ぶのと入れ替えに、男らしくも優雅な足音が近づいて来る。
「遅かったな、博雅(ひろまさ)」
「何を言うのだ? 清明(せいめい)。突然来るなと、小言を貰うものかと思っていたのだが――」
 客人は、名を源博雅という。醍醐天皇(※1)の孫にして、当代きっての管弦の名手である。
 それを歓迎する男。こちらは当代きっての陰陽師、名を安倍晴明という。
 白髪交じりではあるが、あえて青臭さを忘れずとするかのような佇まいの博雅。もう五十路にかかろうという頃である。友人である清明も、さほど変わらぬ歳。
「いや、お前が珍しい方々をお連れとの事で、式神達が敏感になってな」
 それを先触れとして、来客の準備はしていたのだ。
 清明の答えに納得しつつ、博雅は早速と切り出す。
「さすがは清明、話が早くて助かる」
 言って博雅は「おおい」と、廊下の向こうの暗がりへ呼びかける。
「博雅、様は、また何か抱え込んでおいでですか」
 足音が素早く、静かに近づくのを察し、清明は居住まいを正す。
「いやいや清明殿。面倒を抱え込んでおるのは、私ではありませぬ」
 博雅も、清明よりやや崩した風ながら同じくし、更なる客人を迎える。
 現れたのは、二人の少年であった。共に狩衣を纏い、頭に鬢を乗せている。少年達は、簀子に座す清明の前に素早く膝と両拳を付き、頭を垂れる。
「拙者、源朝臣多田左馬助(さまのすけ)満仲(みつなか)が長子、頼光(よりみつ)と申す」(※2)
「せ、拙者は、頼光様の郎党、渡辺綱(わたなべのつな)と申します」
 若武者ではあろうが、少年と言っては失礼か。先にすらすらと名乗った頼光を見て清明は思った。
 対照的に綱。こちらは見るからに元服したばかり。それでも同じく失礼かも知れないが、少年と言って差し支えはあるまい。
 いずれにせよ武士だ。官職の上では左中将(※3)とは言え、雅楽師(ががくし)(※4)である博雅と連れ立つ様は、本来なら護衛のほか思い浮かばない。言われずとも、彼らが面倒を抱えているのは分かる。
 しかし二人をわざわざ連れて来た博雅も、面倒を抱える人間と呼んで間違いはあるまい。
 清明は涼しい顔のまま、二人に促す。
「お体をお上げください。多田の殿様と言えば、私も懇意にして頂いている藤原兼家(ふじわらのかねいえ)様にお仕えされておられるお方。その縁があれば、こうもかしこまることもありますまい」
 当然、二倍も三倍も年が離れているうえ、大舎人(おおとねり)(※5)の地位とも関わらず、たびたび昇殿まで許される清明に、二人の若武者が軽々な態度を取るはずも無い。
 二人がゆっくりと頭を上げるのと、先の女が膳を揃えて現れるのは、同時であった。
「ありがとう、蜜虫(みつむし)」
 彼女は、清明が使役する式神。藤の花の精である。
 庭を望める部屋に膳を並べると、彼女は闇に消えるように立ち去る。部屋にはすでに燈がともされ、円座(わろうだ)も敷かれていた。
「そう緊張したままでは、出来るお話もままなりますまい。酒と食事で、舌の滑りをよくしながら、伺いましょう」
 言って清明が立ち上がると、三人もそれに続いた。

 二人の若武者の顔から緊張の色が抜け、代わりに炎よりも強い紅が差し始めた辺りで清明が促す。傍らでは博雅が、殆ど素面に近い顔で固唾を呑んで見守る。
 口を開いたのは頼光。
「此度の相談、先ほど清明様が御名を挙げられた左京大夫兼家様に係るものなのです」
 ここまで話も聞かず連れて来たのであろう博雅は、「なんと」と目を丸くする。しかし話を持ちかけられた当の清明は、依然として落ち着き払ったまま鷹揚に頷く。
 刃を交えた立ち会いの様に清明の反応を確認してから、頼光は続ける。
「実は最近、左京大夫様の身辺にて、奇っ怪な物事が続いておりまして――」
 曰く。兼家が霊夢を見たという。
 それは、陰火を浮かべ、頭に牙の如き三本の角を生やした鬼女が、丹を塗り込めた真っ赤な顔で迫って来るというもの。しかも一度や二度見たきりの夢ではなく、彼が眠りについて夢を見るたびに徐々に鬼女が近づき、つい昨日には兼家の心の臓に鉄釘を突き立てようという所まで迫っているのだ。
「父上よりこの様なお話を聞いたのですが、しかし当の父はこれを「女絡みの修羅場を恐れる余りに見た夢だ」などと、兼家様の女癖をけなすばかりでして……」
「事が起こってからでは遅いと、お二人は私に相談にいらしたのですな」
 端的ではあるが、それ故に切羽詰まった様子も見て取れる。博雅などは「うぅむ」と唸りながら、彼らを清明と引き合わせた己の判断が正しかったか否かを思案している。
「なるほど、満仲様のお言葉は当たらずとも遠からず、という所でしょう」
「あなや。しかし清明殿、兼家様が、けして細君を蔑ろにするような方でないのは、貴方も承知でありましょう」
 博雅はそう、あえて兼家の人となりを主張する。兼家は多くの妻を娶ってはいるが、正妻以外とも仲睦まじく見える。
「それは無論、承知しております。ですが、兼家様自身が思うよりも多くの女性に思いを寄せられては、それら全てに応えられないでしょう」
 今の清明の言葉、主観は兼家から離れている。これには頼光が気付いた。
「清明様。もしや左京大夫様の見た霊夢とは、やはり何者かの呪詛でありますか」
「まだそうとは断じられませぬが、恐らくは」
 かつて、嫉妬を聞こし召した女が在った。
 鉄輪(かなわ)を被りて丹を塗り、緑髪を振り散らしながら丑の刻に貴船の杜に詣っては木に人形(ひとがた)を打ち続けること七日間。生き霊となって、想う男に寄り添う女を男ごと取り殺した。
「これは嵯峨天皇の御代での事ですから、少なくとも百年以上は前の出来事です」(※6)
 清明が事細かに語るその生き霊の特徴は、兼家の夢に現れた鬼女に酷似している。
「同じモノが現れたか、はたまた新たに呪詛を用いる者が現れたのか。いずれにせよ、これは見過ごせませぬな」
 兼家という男、故も無く、見ず知らずの片思いの女に取り殺されていい人物では無い。
「では、何か智慧を授けてくれるのだな?」
 博雅の問いに静かに頷きながら、清明は袖に手を差し込み、紙の人形を取り出す。
「ひとまず、これを兼家様にお渡しください。清明が託したと言えば、邪険にはされないでしょう」
 ひとまず。その一語に二人の若武者は合点のいかない貌色を浮かべながら、頼光が前に出てそれを受け取る。
「これを、如何に用いればよろしいのでありましょうか」
「兼家様の常の寝所に、兼家様に代わりこれを横たえなされ。さすれば彼の方の悪夢、ひとまずはこの人形が引き受けてくれましょう」
 清明はまたも“ひとまず”と付け加えた。若武者達はますます腑に落ちない貌をする。
「差し出がましいのを承知で伺いますが、これは一時凌ぎの策であると?」
「何者の仕業か分からぬうちは、ひとまずとしか言えませぬ。しかし他ならぬ兼家様の御身に災いが降りかかろうというなら、この清明、一身を賭して当たりましょう」
 そう言う清明の目を、頼光はキッと見据える。それが赤心か否かを見定めようという眼差しだ。側に控える綱は不安げに、彼と清明の顔を交互に見る。
 しばらくして、短く息を吐いてから頼光が口を開いた。
「拙者から押しかけておいてこのご無礼、平にご容赦下さい。音に聞こえる陰陽師、安倍晴明様が、我らの如き童の言葉をこうもお聞き下さるとは思っておらぬものでしたので」
 一時は適当にあしらわれたと思い、しかし清明の瞳の奥に真心を見たのであろう。清明もまた、彼に真心を見せる心づもりで視線を返していた。
「確かに、占いの腕は方々に認められているようですが、私は今以てしがない得業生(とくごうしよう)。その様に言われるまでも無い輩ですよ」(※7)
 ここに来て謙遜かと、博雅は片眉を寄せながら目線を清明に向ける。清明は今度こそこれをいなしつつ、頼光の応答を待つ。
「重ねて、ご無礼を詫びまする。我ら地下(じげ)の武士など、みやこの公家から見れば草木も同然と、何やら卑屈になっておりました」(※8)
 今度は清明が博雅に視線を投げる。若武者達を清明に引き合わせた彼は、当然そんな人物ではない。これは他の公家はどうかと言う代わりだ。博雅は「そういうきらいもあるであろう」と目と頭の動きで答える。
「そう、身を弁えるのは大事でしょう。ですが、人も草木も、公家も武士も、この天下にあっては同じ自然(じねん)の存在であります」
 己を卑下し、思い悩むより、出来る事はたくさんある。清明は頼光にそう説き、彼は素直にそれを受け止める。
「誠にかたじけなくあります。然らば我ら、早速左京大夫様の下へ帰り、清明様の仰せの通りにいたしまする。博雅様も、本当に有り難うございました」
 頼光は綱にも促しつつ、清明に、博雅にと、深々と頭を下げて暇乞いをする。
 来た時と同じく、力強い足音を忍ばせながら、若武者達は去って行った。

 残された二人は、元通り盃を傾け始める。側にはいつの間にか蜜虫の姿もあった。
 庭を見れば、椿が月光を湛えながら、明るく開いている。
 それに見て、一杯飲み干してから、博雅は口を開く。
「毎度、面倒ごとを持ち込んで、すまないとは思っている」
「構わんさ。お前の事だ、おれの助けなど無くとも、あの若武者達を助けようとしたであろう」
「いや、始めからお前の存在あってのことだよ」
 盃を手に、清明は頭を振る。
「もしおれがおらずとも、お前は彼らを助けに、手が届く者達を助けるだろう。お前はそういう奴だ。おれがここにあって良かったと思うのは、そういうお前を何度も助けてこれた事だよ」
 実に、心地よい男だ。二人は、お互いをそう思っている。
「おれには、言葉も無いよ、清明。それにしても、随分と親身になって聞いてくれたな」
「なに、おれも子の親であるからな」
 妻との間には、既に二子をもうけている。その子らの歳は、先の若武者、綱とほとんど変わらぬ歳。いよいよと、放ってはおけなかったのだ。
「実を言えば、此度あの若武者らを助けようとしたおれも、同じなのだ」
 博雅も、同様に子らをもうけている。やはり互いの心情を察した。
「出来るだけ、力になってやろう」
 清明の言葉に、博雅は強く頷いた。

      ∴

 いざ、主の下へ。
 そう道程を急く二人の若武者は、堀川の一条に架かる橋にさしかかって、異変に気付く。
 法面の下に見た河川敷で、月明かりのなか二つの集団が睨み合っていたのだ。
「頼光様」
「うむ――」
 片や、南北に流れる川を背にし、手に手に刀子を携えた一団。盗賊であろう。それに相対するのは、この橋を屋根にして暮らす浮浪人共か。
 綱は、その浮浪人の群れの中に、特異な姿を認める。
 遠目からでも分かる、単衣を纏った女。この争い、彼女を巡っての事と察せられた。
「行くぞ!」
「お、応!」
 二人は腰に佩いた太刀に手を掛けつつ、法面を下って行った。



第1話注釈

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※1 醍醐(だいご)天皇:在位、西暦寛897年~930年。紀貫之に古今和歌集の編纂を命じた。
※2 左馬之助:官牧(かんのまき)の馬の飼育を担当する左馬寮の官職。正六位下相当官
※3 左中将:宮中の警護を担当する近衛府の次官。従四位下相当官
※4 雅楽師:大陸から渡来し、平安時代に大枠が確立した音楽。現代でも祭事等で奏でられる。
※5 大舎人:天皇の秘書的な役割を担う大舎人寮の官職
※6 嵯峨(さが)天皇:在位、西暦809年~823年。墾田永年私財法の改正、皇族の整理を行った。
※7 得業生:古代の学制において学生(がくしょう)の身分を卒業し、専門の官職に就く者
※8 地下:古代の身分制度において、昇殿を許されない低い身分の者。地下人(じげにん)

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