東方二次小説

2XXX年の幻想少女第4章 チャイルド52   チャイルド52 第14話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第4章 チャイルド52

公開日:2018年07月05日 / 最終更新日:2018年07月06日

チャイルド52 第14話
 その夜、わたしは夢を見た。
 かつてと違い、わたしは夢の記憶を完全に持ち帰ることができた。

 神奈子は髭を蓄えた礼装服姿の中年と向き合っており、相手の容赦ない叱責にじっと耐えている。いつも自信に満ち溢れ、炬燵でぬくぬくとしている時ですら堂々とした態度を崩さないというのに、夢の中の神奈子は相手の叱責に気難しい顔を浮かべ、視線を合わせようともしなかった。
「貴方は神様なのに、どうしてこの国に神風を吹かせてくれなかったのですか! 風が吹けば、あの子たちが死ぬことはなかった。あの狂わしい、敵艦に対する特攻が命令されてから、何人がその尊い命を散らしたと思っているのですか!」
 ますます激しくなる叱責にも神奈子は答えようとしない。ただ一言、済まないと頭を下げるだけだった。あのプライドの塊のような八坂神奈子が、人間に深々と頭を下げるだなんてわたしにはまるで想像がつかなかった。
「五十二人ですよ! それがお前の、八坂の神が助けられたかもしれない命だ。それだけじゃない、数百数千もの命がこれから失われることでしょう」
 五十二という数字にわたしは心当たりがあった。これこそわたしが真っ先に知るべき情報だった。でもわたしは心を閉ざし、忘れ去ろうとした。五十余の命が失われるだなんて、しかも更に大量の命が失われるかもしれないだなんて、あまりにも恐ろしく受け入れ難いと思ってしまったからだ。今ならそのことがはっきりと分かる。
「もはや誰もお前を祀ったりはしないだろう。護るべき国に、守るべき命に背いたのだから。誰からも忘れ去られ、惨めたらしく消えていくが良い」
 歪な笑いを浮かべる人間に白蛇がまとわりつき、笑いを消して苦痛に変える。神奈子の隣には二つ目の柱が立っていた。瞳は獰猛な金の光をたたえており、伸ばした舌は蛇のように先端で二つに分かれてちろちろと動き、口は裂けているかのようにぐにゃりと大きく歪んでいる。幼い姿だというのに、殺意がありありと見て取れた。
「諏訪子、やめるんだ。戒めを解いてやれ」
「嫌だね、神奈子の願いでも聞けるものか。こいつは不遜にも太古より日の本に君臨してきた諏訪の祭神を呪おうとした。その不敬は七度生まれ変わっても償われるものではない。ゆえに八つ裂きである」
 蛇がぐいぐいと体に食い込み、神奈子を責めていた人間を締め付ける。みしり、ぼきりと音が立つたび苦悶が迸り、それでも諏訪子は欠片も容赦する様子がない。死はすぐにでも訪れるのだと覚悟したが、骨も命も損なわれることはなかった。地面から生えてきた無数のツタが白蛇を絡め取ってしまったからだ。
「ここで殺さないとこいつの言う通りになる。神意は怖れられなくなり、崇められなくなり、やがては忘れられていくだろう」
「神が必要ないと考えるのもまた、人の選択だよ」
 神奈子はそう言って、諏訪子の頭に手を乗せる。蛇は消え、人間の体は崩れ落ち、蔦が優しく受け止める。だが気を失った人間はそのことに気付かない。だから諏訪の神は残酷だと怒り、加護などないと決めつけ、その格を貶めていくだろう。
 だがわたしにはどうすることもできない。これは夢の中であり、過ぎ去ったことである。夢ではあるが、これは太古より生きる神の記憶のごく一部でもあるのだ。
 男はよろよろとした足取りで二柱から逃れようとする。その顔には信じていた神への憎悪があった。


 ライブの翌朝、郷に激震が走った。フェアリィ52が電撃的な解散を宣言したのだ。
「今まで応援してくれてありがとう。でももうじき四季祭りも終わり、わたしたちはアイドルではいられなくなる」
「短い間だったけど、わたしたちのライブを観に来てくれてありがとう」
「楽しかったよ!」
 妖精ではなく中にいる霊のメッセージなのだが、妖精の一面がひょっこり顔を出したのかと思うくらいに、彼女たちは無邪気で満ち足りた様子だった。その顔を見れば、胸苦しくなるような重責から解放されたことは明らかだった。
 わたしはその放送を佳苗とともに観たのだが、最初こそともに驚きを隠せなかった。だが引退する前の最後の曲を聴いて互いに顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。彼女たちが歌ったのはわたしたちの持ち歌の一つ、ファンタズマゴリアだったからだ。彼女たちはこの郷に、そして幻想そのものにエールを送ってくれたのだった。
 歌が終わるとともに画面がぐらぐらと揺れる。神湖に浮いていた鋼鉄の船が浮かび上がり、飛び立とうとしていた。
「さあ、名残惜しいけど夢の時間はこれでおしまい」
「それでもこの郷ではこれからも夢は続いていく。わたしたちもいずれその一部となるんだろうね。その時が本当に楽しみよ!」
 わたしは慌てて外に出ると、妖怪の山に目を向ける。神湖を飛び立った船は西へ西へと向かっていき、やがてふわりと姿を消した。
「あの船、空を飛べたんだ。だったらわたしたちのように、移動式のステージとして里を巡れば良かったのに」
「おそらくそれはできなかったと思いますよ。あれは幽霊船ですからね」
 佳苗の疑問に答える声がすぐ近くから聞こえてくる。声のした方に目を向けると四季映姫、それからやや後ろに小町が立っている。二人はファンタの制服ではなく、それぞれ閻魔と船頭の服を着ていた。
「幽霊船、って何ですか? なんだか物騒な名前ですけど」
 川下りに失敗して転覆した船頭が恨んで現れるという話なら聞いたことはあるが、それは幽霊船ではなく船幽霊である。そして四季映姫は佳苗の質問に懇切丁寧に答え始める。
「大量の霊を乗せて移動するうち、霊的存在として変貌した船をそう言うのですよ。荒海に呑まれて転覆し、多くの人員とともに沈没した船がごく稀に幽霊船となるのです。この郷には海がありませんから大量の人を乗せる船にも、悲惨な転覆事故にも縁がない。だからぴんと来ないかもしれませんが、そうなった船はしばしば生者を引き込み、仲間にしようとするのです」
「それってもしかしなくて物騒なやつじゃない。守矢のやつら、そんなのを囲ってたってわけ?」
「そうですね、随分と危険なことをしたものです……ただ、あの船は幽霊船にありがちな憎悪を持っていませんでした。わたしたちがステージとして使った聖輦船に近い特性を持っていると言えるでしょう。あれも元は幽霊船ですが、命蓮寺の住職によって教導され、救いの船になったという逸話があると聞いています。あの船がいかなる経緯を経て聖輦船のような教導の心を得たかは分かりません。ですが長い年月をかけて魂を拾い続け、放浪の果てにこの地まで辿り着いたのでしょう。
 わたしは彼岸に運ばれてきた魂からいくつかの境遇を聞き取りました。そこで彼ら/彼女らが無惨な戦争によって死んでしまったこと、あの船には大量の無念が溢れており、水辺から飛び立つことができないと知りました。だから守矢の柱たちが霊の運搬を止め、アイドルなるものを始めたとき、死者の無念をどうにかして慰め、安らかに次の生へ導くための行動を始めたのだと察したのです。摩多羅隠岐奈との会話によってその想いは確信に変わったわけですね」
「だから隠岐奈の依頼を受け、アイドルになることを承諾したってわけね」
 四季映姫は大きく頷き、それから小町にちらと視線を向ける。
「小町もおそらくわたしと同じことを考えたのでしょう」
「あっ、その……はい、その通りですよ。あたいはできる女ですから」
 小町の気まずそうな表情を見た限り、そのような思惑はなさそうだった。どうも四季映姫は小町のことを割と過大評価している節があるらしい。いつも厳しい態度を取るのも期待の裏返しなのかもしれなかった。
「神奈子様も諏訪子様も早苗様も、無念の霊を慰めるために尽力したってことですか! だったら悪いことでもなんでもない、言われたら協力したのに!」
 それについては諏訪子から事情を聞いている。だがここで打ち明ければ、どうして知っているのかと佳苗に詰め寄られかねない。この怒りは三柱に向けられるべきであり、よってわたしは沈黙を貫くことにした。
「事情はどうあれ郷の均衡を崩す行いですから、均衡を司る巫女の貴方には打ち明け難いことだったのでしょう」
 そして四季映姫の絶妙なフォローによって佳苗の怒りも収まったようだった。郷のバランサーとして活動しているのは博麗の巫女だけであり、守矢の風祝である佳苗はあくまでも守矢の意志で活動するのだが、四季映姫は二つの区別をつけていないらしい。
「あの船は無念を断ち切り、湖を飛び立ち、死出への旅路に向かっています。もうじき三途の川を越え、彼岸にまで到達するはず。わたしたちは本業に復帰しなければなりません」
「というわけで、あたいと四季様は脱退の挨拶に来たというわけでね。もっともフェアリィの問題が解決したいま、ファンタが活動する意味もなくなったけど」
 小町の指摘通り、ファンタはフェアリィによる四季祭り乗っ取りを解決するために活動を開始したユニットである。裏では様々な思惑が走っていたようだが、それも昨日のコンサートによって軒並み解決されたようである。近日中には解散の告知を打つ必要が出てくるだろう。
「短い間でしたが、裁判官生活では決して得られない貴重な体験ができました、ありがとうございます。摩多羅隠岐奈に挨拶できたらと思ったのですが、彼女はいまここにいないようですね」
「いえ、わたしはどこにでもいますよ」
 背中がむずむずすると思ったら隠岐奈がするりと姿を現し、四季映姫の前に立つ。これまでもずっと話を聞いていたはずだが、いま気付いたという顔をしているのが何とも腹立たしかった。
「このたびはご協力いただき、真にありがとうございます。貴方の協力があってこそ、霊たちの無念は拭われたと信じておりますよ」
「わたしは十人のうちの一人に過ぎない。皆が平等に労われるべきですよ」
「もちろん、全員に感謝していますよ。でも貴方には立場があるのに、結構な無茶を押しつけてしまって」
「いえ、霊夢にも言いましたがなかなか楽しい経験でした。そういう貴方こそ、裏で尽力をされていた様子。あの船だって借りて来るには随分と難儀したのでしょう? 何しろ仏の教えを伝える者たちにとって、障碍の神は敵のようなものなのですから」
「仰る通り、障碍とは仏教における妨げとなるもの。ただ、命蓮寺の住職は衆生の救いを優先する人格者です。しかも幽霊船には因縁があるようでして、船幽霊の船頭や入道の船員とともに快く預けてくれました」
 四季映姫は隠岐奈の言に小さく頷くのみだった。その辺りの事情は察して、特に語らずとも良いと考えたらしい。
「それでは、わたしは職場に戻ります。では小町、行きましょうか」
 小町は「はーい!」と元気良く返事をし、わたしたち全員に大きく手を振る。そして次の瞬間には四季映姫とともに姿を消していた。
「では、わたしもこれで」
 わたしは背後に回り込もうとする隠岐奈の手をつかんで制する。姿を現したなら、隠していたことを全て話してもらうつもりだった。
「おっと、いきなり手をつかんでくるとは大胆だね。わたしはそういうのも嫌いじゃないよ」
 抵抗するかと思いきや、隠岐奈はずいと顔を近づけてくる。慌てたわたしはうっかりと手を離してしまい、その一瞬で手の届かない所まで距離を置かれてしまった。
「ふふ、わたしを捉えるにはまだ修行が足りないようだ。まあ、全てを打ち明けろと言われたら話すに吝かではないが、もっとうってつけの者がやってきたんじゃないかね?」
 どういうことか訊ねようとしたとき、屋台の出ている一角でざわめきが起こる。誰かが騒ぎを起こしにやって来たのだとしたらさっさと追い払うつもりだったが、遠目にちらと見えただけでそれが誰なのかすぐに分かり、同時に隠岐奈の言いたいことが分かった。
 八坂神奈子が直々に神社を訪ねて来たのだ。いつも山に鎮座して滅多に降りてこない大物の登場で、皆が遠巻きにこちらをうかがっており、神奈子はそんな視線を気にすることなく佳苗の前に立つ。いつになく真剣な顔立ちであり、その神格も相俟って何もしていないのに気圧されそうだった。
「な、なんですか! わたしを叱りに来ましたか? それとも柱に逆らう風祝など要らないと言いたいのですか?」
 佳苗は強気に出ることで何とか神意の醸す迫力に抗おうとしていた。神奈子はそんな佳苗を見て……ふてぶてしさの溢れる笑みを浮かべるのだった。
「さあ、うちに帰ろう。諏訪子も早苗も待ってるよ」
 神奈子は迷惑をかけたことを謝ったりはしなかった。だが、佳苗を叱ることもなかった。全てが終わり、元通りの生活に帰ろうと促しただけだ。なんとも神様らしい自分勝手さ、傲慢さだった。そして佳苗はといえば、仕方ないなあと言いたげにひょいと肩を竦めてみせた。
 二人の間には一度解けてもすぐに結び直される、家族とも主従とも少しだけ違うしなやかな絆が築かれている。それはわたしにとって少しだけ羨ましいものだった。
「霊夢には今回、随分と世話になったね。お返しになるかは分からないが、今年はいつも以上に山の幸をお届け……」
「それなら例年通りで良いわ!」何か言わなくても、山の幸は神社に十分なほど届くのだ。神奈子が本気になったら毎日お裾分けして回ってもなお手に余るほどの食材が届くかもしれない。それは勘弁して欲しかったし、貸しを作ったと考えたなら、別の手段で返して欲しかった。「それよりもなんであんなことをやろうとしたのか、動機を教えなさいよ」
 すると神奈子はなめくじを見つけてしまった蛇のようにぴたりと固まってしまった。
「それはえっと……神の深慮を疑うことなかれ、ということで許されないだろうか?」
「駄目に決まってるじゃないですか!」一度は収まったはずの佳苗の怒りが再度噴出し、じりじりと睨みつける。「帰ったら洗いざらい話してくれると思っていたから許したんです。そうじゃなければ許しませんし、家出続行です!」
 どうやらわたしは蛇をつついてもう一匹の蛇を呼び出してしまったらしい。大団円の空気ができていたのにこれでは台無しであり、佳苗も居候を続けてしまう。巫女が二人でも良いとは言ったが、それはあくまでも守矢が悪い場合であり、今は彼女たちなりの理由があったのだと判明している。それなら元の鞘に収まったほうが良いに決まっている。
 そこでわたしは不意に合点する。事件が解決して不要となったはずの夢を見る羽目になったのは何故なのか。それはきっと神奈子に全てを話す決心をさせるためだ。
「どうして神風を吹かさなかったの?」
 わたしは夢で礼装服姿の男が発した問いを神奈子にぶつける。どう言い逃れようか悩んでいた神奈子の顔がみるみる硬くなり、きつく睨みつけてくる。強い力を持つ神の怒りがこもった視線は、対峙しているだけで吹き飛ばされるのではないかと思うくらいの迫力があった。
「お前、どうしてその問いを知ってるんだ?」
「夢で見たの。わたしには事情がよく分からないけど、名も知らない男が神風を吹かさなかったことで酷く怒り、罵り、憎悪していたわ」
 神奈子の圧力が徐々に失われ、視線が下に落ちる。人に侮られてはならない存在であるというのにすぐ根負けするとは、これは余程の弱みであるに違いない。
「別に話してくれなくても良いのよ。他の二柱に訊ねる手もあるし、遠子の知識に当たっても良い。それで分かったことは佳苗に全て打ち明ける。でもわたしは神奈子様自身の口から話すべきだと思う」
 辛い過去を話すのは辛いかもしれないが、そうしなければ二人の関係が真の意味で修復されることはあり得ない。そして神奈子はそれさえも理解できないほどの分からず屋ではなかった。
「心の整理をする時間が欲しい。アイドルは終わったがわたしの与えた力は完全に抜けきっていない。いわばロスタイムの状態だ。それが終わるまで見逃してもらえないだろうか」
 わたしとしては話してくれるなら異存はない。佳苗もそう考えたのか、表れた怒りはその内へ消えていったようだ。
「そういうわけで、わたしは帰ることになったみたい。まあ、仕方ないかな」
 雨降って地固まる、と言って良いのだろうか。神奈子の打ち明けごとの内容によってはまた紛糾するかもしれないが、今のところわたしに佳苗の帰宅を止める理由はない。
「嫌な顔一つせず泊めてくれてありがと。もし困ったことがあったら、今度はこっちが協力するから……友人として」
 わたしはつい、そっぽを向いてしまった。友人と言える人間がずっと遠子しかいなかったから、新たな友人の言葉をどう受け止めて良いのかが分からなかったのだ。

 神奈子と佳苗が帰っていくと、周囲を取り巻いていた人たちはお祭り騒ぎに戻っていく。隠岐奈といえば案の定、いつの間にか姿を消していた。出たり入ったり、現れたり消えたりと忙しないやつだ。一応、礼は言っておきたかったが、それは次に姿を現す時まで取っておくことにした。今も聞き耳を立てていそうだが、感謝だけ受け取って満足させるつもりはなかった。
 それにすぐ、隠岐奈のことを考えていられる状況ではなくなった。神社の桜が一斉に咲き、春めいた目覚めの空気が辺りに満ち始めたのだ。
 その原因はこちらに近づいて来る妖精だった。これまで一匹たりとも神社には近付いて来なかったのに、特に臆する様子もないのは隣にいるチルノのお陰なのだろう。わたしや二童子が最初に変えた妖精はチルノの知り合いであると既に知っていたのだが、憑き物がいなくなったためか無事に帰って来た様子だった。
 そして今日の今日までテレビに出ていた有名人が姿を現したことで、辺りは再びざわめきを取り戻し始めた。わたしだって一応アイドルをやっていたのに、この扱いの差はどうにも納得がいかない。
「どうやら目的を果たせたみたいね」
「ああ、なんか突然に戻ってきた。というわけでもうアイドルをやる必要がなくなったわけで、あたいは一抜けだ」
 割とノリノリだったような気はするが、チルノは目的を果たしたらすっかりやる気をなくしてしまったらしい。単純で乗せやすそうに見えて、ここぞという一線は持っているらしい。もしかしたら飽きただけかもしれないが。
「では、あたいたちはお祭りを見て回る……ん、どうかしたのか?」
 春の妖精にされたチルノの友人は、大きな口を開けながら「は、は……」と、大きく息を吸う。くしゃみでもするかと思ったら、妖精はその容姿から考えられないほどの大声をあげた。

「春ですよーーーーーーーーー!!!!」

 思わず耳を塞ぐほどで、周囲をびりびりと震わせながら盛大な桜吹雪を撒き散らしていく。チルノはもっと間近にいたためか、その声に目を白黒させていた。
 ぐわんぐわんと揺らぐ頭を押さえながら声の主を見て、突然の大声の意味を理解した。妖精は変化させられる前の、普段の出で立ちに戻っていたのだ。
 神奈子の言ではもう少し猶予がありそうだったが、彼女は一番最初に四季の妖精となったから、戻るのも早いのかもしれなかった。
「お、おお、元に戻った。良かった良かった、じゃあ挨拶も済んだし屋台を回ろうか!」
 チルノが差し出した手を妖精はそっと掴み、二人で屋台に向かっていく。舞い散る桜吹雪はとても綺麗だが、あとで掃除しなければならないことを思うと、少しばかりげんなりしてしまった。
「片付けは祭りが終わってからにしましょうか」
 いつもならすぐ片付けにかかるが、今は祭りの最中である。多少とっ散らかっていても許してくれるだろう……そう信じたかった。

 花びらの片付けを放り出して向かったのは遠子の屋敷である。前に全て終わったら、一緒に祭りを見て回ろうと約束したのを思い出したからだ。でもあまり期待はしていなかった。いざという時、病気でタイミングが合わないのは割とよくあることだったからだ。
 だから稗田家を訪ねたとき、要件を告げたらすぐに待合室へ通され、お茶一杯も飲まないうちに遠子が姿を現したのを見てすっかり拍子抜けしてしまった。
「誘っておいて締まりのない顔じゃないの」
「いや、うん……誘えるとは思わなかった」
「深窓のお嬢様だから、緊張した?」
 遠子は柄にもないことを言ってうふふと笑う。もしかすると二童子の力がまだ残っているのかもしれない。だとしたら少しばかりテンションが高いのも目を瞑ることにしよう。
「日が暮れないうちには帰って来なさいですって。わたし、夜のお祭りも見て回りたかったけれど」
 本人は冗談めかして言ったけれど、お嬢様であることには違いない。そのことが少しだけ可笑しく、うっかり噴き出したことで遠子に睨まれてしまった。もしかするとわたしにもまだ二童子の与えた力が残っているのかもしれない。

 東の里で屋台の出ている一画に向かう途中、狭い路地に隠れて綿菓子をもしゃもしゃと食べているメディスンを目撃してしまった。もう片方の手には大きな袋を提げており、中には綿菓子の袋が詰まっている。よほど気に入ったらしい。
 メディスンはわたしと遠子が見ていると気付くやいなや、恨めしそうな顔を向けてきた。知り合いに見られるとは思っていなかったのだろう。
「アイドルはいつだって見られてるんじゃなかったの?」
 前に言われたことをそのまま口にすると、メディスンは「そんなこと、誰が言ったのかしらね?」とすっとぼけ、綿菓子の残りを目にも留まらぬ高速で食べていく。やろうと思えば一瞬で体内に取り込めるのかもしれない。
「あんたも祭りを楽しみに来たの?」
「そんなところよ。そうしたら子供たちが集まって来て、歌と踊りをやって欲しいと言うの。で、空いてるスペースで覚えた歌と踊りを披露してたらどんどん人が集まって来て、おひねりもそこそこに飛んで来たから……」
「それで綿菓子をありったけ買い込んだと?」
 メディスンの目はそれの何が悪いのか咎めて来る。薄々感じてはいたことだが、子供のような容姿のせいで子供扱いされることに敏感なのだ。
「そういや聞きたかったことがあるんだけど、ファンタってこれからもやっていくの?」
「さあ、今後のことは何も聞いてないけど」昨日はライブが終わってから後片付けやら打ち上げやらなんやらとあって、今後のことを話す暇もなかったのだ。また後日とは言ったけど、既に三人が抜けてしまっている。他にも抜けそうな奴に心当たりはがあった。「解散ってことになりそうね」
「えー、これからいくらでも盛り上げられそうなのに」
 宣伝担当の遠子は手をわきわきさせていたが、メディスンは特に執着する様子もなかった。
「そう……まあ、わたしはソロでもやっていけると分かったから、これからは昔のアリスみたく時折里へくり出して、人形を粗末にしないよう細々と説いていくつもりよ」
 わたしの知る中だと小傘が似たようなことをしていた気がする。姿形や由来は違えど、付喪神というものは皆、同じような結論に達するのかもしれない。
「じゃあ、わたしたちは行くから。綿菓子を誰にも知られず食べるなら、里を出た方が良いわよ」
「……ここにあるやつを全部食べたらまた買いに行くの」
 メディスンはどうやら本当に綿菓子が気に入ったらしい。一緒に回っても良いかなと思ったが、それはどうやら彼女の邪魔になりそうだった。

 東の里の屋台は数こそ違うものの、博麗神社に出ている屋台とそんなに変わらなかった。フェアリィが解散し、山に人が集まらなくなったためか往来は先日までよりも多くの人の姿が見られた。賑わっているのは良いことだが、わたしには一つだけ腑に落ちないことがあった。昨日まで活躍していたアイドルが歩いているのに誰も声をかけて来ないということだ。メディスンにはすぐに人だかりができたというのに。
 遠子は先程買った林檎飴を歩きながらちびちびと食しており、実にご満悦の様子だ。わたしの小さな不満には全く気付いていないのだろうか。
「遠子ってずっと昔からの記憶を持ってるんでしょう? 代わり映えがしない光景だなあとかそういう気持ちにはならないの?」
 それがなんとなく気にくわなくて少しだけ意地悪なことを聞いてしまったが、遠子はその気持ちが理解できないと言わんばかりに首を傾げるのだった。
「お祭りはいつだって何度だって楽しいものよ。それにわたしは体が弱いから屋台を回る機会って割とないのよ。前に巡ったのは二代前、それもほんの少しの間だけ」
 重たい話をさらりと打ち明けられ、胸がちくりと痛む。意地悪したのが恥ずかしいことだと思われてならなかった。
「ごめん、嫌なこと聞いちゃった?」
「ううん……わたしが言いたいのはお祭りが楽しいし、霊夢と一緒に歩くのも楽しいということよ」
 佳苗といい遠子といい、今日は誰もがいつもより素直だ。わたしだけが捻くれているようでどうにも収まりが悪い。
「それより霊夢こそなんだか浮かない顔をしてる。悩みでもあるの?」
 自分は人気がないのだろうか? などと訊いてどうするのだろうか。わたしがアイドルをやったのは異変を解決するためであり、それ以外のことを気にしてはならない。分かってはいたが、訊かずにはいられなかった。
「わたしさ、実はあまり好かれてなかったりするのかな?」
「妙なこと聞くのね、誰かに悪口でも言われたの?」
「いや、その……わたし、昨日まで色々な所に出かけてさ。きゃあきゃあ言われるようなことをやってたわけよね」
 しどろもどろながらも頭の中を少しずつ整理し、口にしていく。遠子はそんなわたしの心中を察したらしく、からかうような視線を向けてくる。
「それはそうよ、霊夢は元々半分はアイドルのような存在なんだから。博麗の巫女として色々な行事に顔を出してるし、解放派の妖怪や妖精と弾幕決闘でどんぱちやってる姿も見かけられてる。特に東の里では、霊夢を今更特別視する人もいないし、グッズだって売れないわよ。あまりに身近だし、会おうと思えば本人に会えるんだもの」
 そう言って遠子は河童の屋台を指差す。にとりがあれこれ暗躍して作らせていたファンタのグッズが並んでおり、わたしのグッズは他のメンバーのグッズより明らかに売れていなかった。
 遠子は手にしていた林檎飴をわたしに渡すとグッズ売りの屋台に駆けていき、キーホルダーを一つ買うとこちらに戻ってくる。アニメ調にデフォルメされているが、わたしだということが丸分かりな代物だ。これまで全く気にならなかったのに、キーホルダーを手にして楽しそうにしている遠子を見ていると、途端に恥ずかしくなってきた。なんとか取り上げることはできないものかと思ったが、遠子は鞄の中に素早くしまうとわたしの手から林檎飴を取り戻し、さあ行きましょうと促す。
 そうしてわたしと遠子は日が暮れる直前まで、祭りを楽しんだのだった。


 博麗神社は夜になってもそこそこの人手で賑わっていたが、いつものように顔を出すことはなかった。夕食と入浴を済ませたところで猛烈な眠気が襲ってきたのだ。二童子の強化が抜け、反動がきつつあるに違いない。
 それでも日課となっているメールの確認は行い、続けてファンタが取り上げられてくるサイトを収集する自動巡回ソフトに目を通しそうになる。
「おっと、これはもうやらなくて良いのよね……」
 巡回ソフトを閉じかけたそのとき、新ユニット結成という見出しが目に飛び込んできた。タイトルをクリックし、詳細を表示させるとファンタ所属のレミリア・スカーレット、鮮烈ソロデビューという頭の痛くなりそうな本文が飛び込んでくる。サイトへのURLが張られていたのでアクセスすると、赤を基調にした派手なサイトが表示される。サイト装飾の一環なのかデフォルメされた狼が画面下をうろちょろしており、マウスを動かすと蝙蝠がぱたぱた付いてくる。
「こんなものを用意していたのね……まあ、レミリアのやりそうなことか」
 隠岐奈と歩調を合わせていたのも、ファンタの一員として割と大人しくしていたのも、いずれはソロとしてやっていく予定があったからなのだ。隠岐奈に学芸会だどうのこうのと言われたことはレミリアの心を挫くどころか、更に煽り立てたのだろう。
「あそこに住んでる連中は新しめの技術に苦手意識を持っていたはずだけど……誰が作ったのかしら」スタッフの項目があったので辿ってみるとデザイン、ウェブサイト作成は十六夜咲夜となっていた。「今時のメイドはこんなこともできないといけないのか。大変ねえ」
 とはいえあの咲夜なら割とノリノリでやりそうな気もする。歯車の機械に生み出された存在なのだから機械には強いのかもしれない。どちらにしろ主人の我侭にここまできっちり付き合うのは律儀としか言いようがない。
「ともあれ、これでメンバーの半数が抜けたわけか。こりゃ解散かなあ」
 少なからぬ開放感とともに、棚上げしていた眠気が一気に襲ってくる。わたしはパソコンの電源を切ると、敷いておいた布団に入って目を瞑る。解散の告知をどうするかはまだ決めてないが、それは明日のわたしに任せることにした。


 これが夢であることは分かっていた。
 あらゆる方角を水が満たすような光景はこの郷に存在せず、水平線を進む巨大な鉄の船もまた見覚えのないものだった。船上には巨大なトンボのような機械がずらりと並んでおり、その側を人が忙しなく行き来している。
 巨大なトンボに人が乗り込み、鉄の船から次々と飛び立っていく。これもまた紛うことなき夢の証。何故ならば、この郷に飛行機は存在しないからだ。そもそもあんな形状の機械が人を乗せて空を飛ぶこと自体がおかしい。空を飛ぶための効率良い形状であることは昔から提唱されていたが、実際には誰も現実の飛行に成功していない。
 夢と分かればやることは一つである。内容を少しでも現実に持ち帰るため、しかとその行末を見届けるのだ。わたしの見る夢は将来に起きる事件を暗示することがある。覚えておけば将来の仕事が楽になるかもしれない。
「去年は何も起きなかったけど、今年はどうも違うみたいね……」
 去年も騒がしい出来事はいくつか起こったが、異変と言うには及ばない擾乱や解放派が起こすお決まりのどたばたばかりであり、粛々と対処すれば良いだけだった。
 だがこんなにもはっきりとした夢なのだから何も起きないはずがない。
「駄々をこねてもしょうがない。ここはしっかと夢を見据えなければ」
 わたしは他人事のように進んでいく夢をじっと見守っていく。予兆を現実に持ち帰るためだが、機械トンボの群れがいかなる理由で飛んでいるのかにも興味があった。わたしの視点は空高くにあり水面ははっきり見えなかったが、機械トンボに乗り込んだのは年端もいかぬ少女であるように見えたからだ。
 彼女たちはどうして空を飛ぶのだろうか。
 わたしも空を飛ぶものだから、どのようなことであれ彼女たちの行いが上手くいくよう願った。


 だがそれも、彼女たちが何をするかを目撃するまでのことだった。
 トンボたちは水の上に浮かぶ複数の船を見つけると、信じられないことを始めた。
 合図ともに次々と船に向けて急降下し、突撃していったのだ。
 あるトンボは狙いを損ねて着水し、またあるトンボは船からの砲撃によって撃ち落とされる。いくつかのトンボは船の甲板に直撃し、大きな火の手をあげた。わたしはこの光景に恐怖を覚えていた。体が伴っていれば間違いなく震えていただろう。
 あのトンボには皆、わたしと同じくらいの少女が乗り込んでいた。あんなことをすれば中に乗っていた少女は間違いなく死ぬはずだ。
 どうしてこんなことをするのかが分からなかった。そりゃわたしだって、空を飛んで妖怪と戦ったりするし、命の危険を感じたことだってある。でも死ぬつもりで決闘に臨んだことは一度もない。でもトンボに乗り込んだ少女たちは違う。
 命を武器にして、船を沈めようとしている。水の上に浮かぶ複数の船は彼女たちにとって敵であり、どうしても倒さなければならないモノなのだ。
 そうなのかもしれない。でも、これはあまりにも、あまりにも酷い。
 だってわたしと同じくらいの少女が死ぬしかないなんて。死ぬことを受け入れて戦っているだなんて!

 そう、かつてのわたしもそう考えた。
 こんなものは絶対に認めたくなかった。
 だから異変に関わることかもしれないのに、記憶を現実に持ち帰らなかったのだ。
 でも、今回は逃げなかった。最後まで見届けた。
 根拠はないけど確信があった。彼女たちこそフェアリィの生前の姿に違いない。
 だからこれは、覚えておかなければならないものなのだ。


 ファンタとフェアリィの合同ライブが終わってから三日の間に、春夏秋冬が郷のあらゆる所で舞い散った。チルノの隣にいた妖精のように、力を出し尽くした妖精の最後のくしゃみのようなもので、特に濃い四季の残り香だった。
 妖精たちが元に戻る様があちこちで目撃され、人も妖怪も祭りの終わりを察した。屋台は撤収となり、皆が日常に還っていく。寂しさはあったが、どちらかと言うとほっとする気持ちのほうが強かった。異変があったかどうかは今でも定かではないが、四季祭りの最中で起きた数々の出来事は郷を揺るがすことも、全く別のものに変えることもなかった。
 六十年後にはきっと同じように祭りが始まり、終わっていくのだろう。それを見届けられるかどうかは分からない。わたしには人間をやめるつもりはないからだ。
 ファンタの解散は今も告知されていない。でもフェアリィが解散し、サイトの更新が止まったことでもう活動はないと察したファンは多かった。サイトのアクセスもみるみる減り、周辺サイトこそ今はまだ賑わっているが、いずれ次のアイドルの話題へと移っていくのだろう。レミリアのソロライブが来月にも開かれるそうだから冷やかしに行くつもりだったが、それ以外のアイドルは当分良いかなといったところだ。今は穏やかな日常を堪能したかった。

 というわけで一月半ぶりに普通の春を満喫しようとしたら、少々騒がしい風とともに射命丸文が訪ねてきた。日常はまたしてもお預けらしい。
「こんにちは、先輩。全てが解決したというのにアンニュイそうですね」
「もうファンタは終わったんだから、その先輩って言うのはやめなさい」
「え、もう終わりなんですか? 結構楽しかったし、たまにならやっても良いんですけどね。先輩もそう思いません?」
 妖怪退治用の針を取り出して構えると、文は「もう、霊夢さんったら冗談が通じないんですから」と言ってわざとらしく頬を膨らませる。
「メンバーの半数が抜けたんだからおしまいでしょ、隠岐奈は何も言ってこないけど。というかあいつ、ことが終わった途端に部下と一緒にさっさと引っ込んで。訊きたいことは山ほどあったのにさあ」
 今も背中越しに耳を傾けているのかもと思い、恨みがましく口にしてみたが、少し待っても反応はない。
「今日はその件で、神奈子様のメッセンジャーとして参上した次第です」
 文はそんなわたしの気持ちを他所に要件を口にする。メールか電話で良いのに、使いをわざわざ寄越すなんてなんとも律儀なことだ。
「役目を果たしたらわたしにも話を聞かせてくれるとのことでして。本来ならブン屋に話せることじゃないだなんて、失礼ですよね。わたしの口はとても硬いのに」
「口は硬いけど筆は柔らかそうだと思われてるんじゃない?」
「ははは、せんぱ……霊夢さんったら冗談が上手いんですから」
「さっきは冗談が通じないと言ったくせに。全く、早苗様はどうしてこんな軽薄天狗のことを気に入ってしまったのかしら」
「あ、それ訊きたいですか? でしたら馴れ初めから初めてとっくりとお話しします。少々長い話になりますが……」
「じゃあいいわ。では行きましょうか、ちょっと戸締まりしてくるから待っててね」
 戸締まりと言っても鍵をかけるわけではなく、不意の風雨に備えて開いている窓や扉がないか確認するだけだ。
 何もないことを確認すると、わたしは文とともに守矢神社に向かうのだった。


 守矢神社に着くといつもは佳苗が対応してくれるのだが、今日は早苗様が現れて居間に案内してくれた。博麗神社よりは広いけれど、三柱に一人が普段暮らしをするにしてはやけに所帯じみていて神々しさといったものも感じられない。既に諏訪子と佳苗の二人が座って待っていたが、神奈子の姿はどこにも見当たらない。
「文さんと霊夢ちゃんのお茶を煎れてきますね。お茶請けはお煎餅で良いかしら?」
 霊夢ちゃんという呼び方はいい加減にやめて欲しかったが、早苗はいつまで経っても改める様子がない。文が笑いを堪えているのが尚更のこと辛かった。
 束の間の柔らかな空気はしかし、気難しそうな顔をして入ってきた神奈子によってすぐに拭われてしまった。早苗もその空気に気付いてはいただろうが、皆に明るくお茶を振る舞う。佳苗と容姿は似ているが、彼女は神奈子とも諏訪子とも違う独自の立場を築いているのだと改めて実感させられた。
「お待たせしました、これで全員揃ったことになりますが……」
 文は早苗の着席を見届けると、臆することなく神奈子に視線を向ける。
「そろそろ頃合いかね、では始めるとしよう」神奈子はそう呟くと、心なし背筋を伸ばす。「これから語るのはわたしの、言わば恥ずべき部分なのだが……」
「つまり他言無用ということですよね、承知しました。この口も筆も、僅かでも滑ろうものならわたしの羽根を根本から引きちぎってしまって構いません」
 いつになく神妙な文の態度に、神奈子は小さく口元を綻ばせる。
「いや、そこまでのものじゃないんだ。隠すようなことでもない。ただ、話すのに覚悟がいると言うだけでね。わたしはずっとこういう生き方をしてきただろう? 弱みを語るのに慣れていないんだ」
「だったら冬ごとに、寒さに弱い姿を見せているのはどういうことですか?」
 佳苗が棘をちくりと刺し、神奈子は「あはは」とわざとらしく笑う。誤魔化すつもりがありありと見て取れたが、佳苗はそれ以上の指摘をしなかった。とっくに慣れっこのやりとりに違いない。
 神奈子は柏手を打ち、和やかになりかけた場を引き締める。それで皆も一様に表情を引き締める。わたしも口をぐっと閉じ、神奈子の話に耳を傾けた。
「今回の件はわたしが独断で判断し、そして実行に移した。諏訪子と早苗は賛同してくれたが、基本的にはわたしの単独犯と考えてくれて良い。動機はこの郷に迷い込んできた大量の霊の無念をどうにかしようとしたためだ」
 ここまでは諏訪子から聞かされており、既に知っている情報だ。佳苗はあまり事情を知らされていないはずだが、ひとまずは黙って話を聞くつもりのようだった。
「あの船が戦争由来のものだとは分かっていたが、当初は霊を彼岸に引き渡すだけで終わらせるつもりだった。だが、船の乗員である霊の一部が直々に訴えてきた。あの船に乗っている霊の大部分が強い無念を秘めており、いかなる場所に運ばれて行くにしろ、その前に無念を晴らしてやりたいのだと。最初はいかなる無念を秘めていたとしても認めるつもりはなかった。どんな理由であれ、死は大なり小なりの無念を生むからね」
「でも、途中で考えを変えた。それはどうしてなの?」
 それこそわたしや佳苗の知りたいことだった。佳苗は単に納得したいだけだが、わたしはもう少し冷たい思いを秘めていた。神奈子がこれからも気紛れで郷のバランスを崩す可能性があるとしたら、そのことを上司への報告書に載せなければならない。それを判断するために、神奈子にとってどんなに辛いことでも聞き出す必要があった。
「出自を知ったからだ。フェアリィに憑依していた彼女たちはアイドルであり、有事になれば戦闘機に乗って戦場に向かう義務を負った兵隊でもある。常に戦い、勝利し、戦場の象徴でもある必要があった。誰よりも愛され、そして最後には散っていった……戦闘機ごと敵の兵器に突撃、撃破せよという命令に従って」
 わたしの中で昨夜見た夢が脳裏に甦る。トンボに乗り込んだ少女たちが次々と鉄の船に突撃していく光景、あれもまた現実に持ち帰るべきものだったのだ。わたしは一度ならず二度までも、巫女としての仕事をさぼったことになる。無意識のうちにしでかしたことながら情けないことだった。
「戦闘機って、トンボのような形をした飛行機械のこと?」
「そうだ。霊夢が霊力によって空を飛び、怪異と戦うように彼女たちは戦闘機という空飛ぶ機械に乗り込み、敵国の軍隊と戦っていた」
「突撃というのは命と引き替えに、敵を倒すことね」
「その通りだ、よく知っているな。それも夢で見たのか」
「ええ……つい昨日までは思い出せなかったのだけど」
 そう言うと神奈子は僅かに視線を下にやり、それからわたしの顔をじっと見る。
「それは仕方がないことだな。いくら歴戦の巫女と言っても自分と同じくらいの少女が次々に死んでいく姿を見るのはきついだろう」
 自分よりもずっと強い相手に己の弱さを肯定され、わたしは少しだけほっとする。
「わたしはその戦闘機ってよく分からないけど、その乗り物に乗って自爆することで敵を倒そうとして、それでみんな死んじゃったってこと?」
 佳苗の声は驚愕のせいか、それとも憤りのためか酷く上擦っていた。わたしももう少し感情を表に出すタイプなら同じ反応を示したかもしれない。
「どうしてそんなことしたの? 命令って、誰がそんな惨いことをしたのよ!」
「彼女たちにとっての神のようなものだ」
「つまり、神奈子様のような存在がそれを成せと? なんて残酷な!」
 きつい言葉と視線を向けられ、神奈子は何も言い返すことができなかった。弱々しく口を噤み、ただひたすらに耐えていた。代わりに口を開いたのは諏訪子だった。
「わたしだっていざとなれば佳苗に、一命をもってしてもことを成せと命令することができるよ。神の如き存在は時として冷酷な判断を下す必要があり、下々は己の意志に関係なく従わなければならないこともある。どの世界だってそれは変わらないのさ」
「でも、それにしたって! 五十二人も一度に死んだのでしょう?」
「わたしも神奈子も、もっと多くの人間を言葉一つで死地へと向かわせたことがある。佳苗はわたしたちを酷いと罵るかい?」
 諏訪子は狡いやり方で佳苗をやり込んでいく。もっと追い詰めることもできただろう。だがそれ以上は何も言わなかったし、佳苗は諏訪子の問いに答えられなかった。そして沈黙を埋めるよう、神奈子が再び話し始める。
「わたしはかつて多くの人間を死地にやった。これは紛れもない事実である。だからこそある時を境に、人に手出しすることをやめた。天変地異が起きるたび失われる命もあったが、それでも何もしなかった。気紛れからいくつかの手を差し伸べたが、それは人の運命を過度に弄ぶものではないと自負している。わたしは正しくないものだが、間違えても来なかったはずだ」
 その話はどうにもぴんと来ないものだった。わたしが知る神奈子は腰こそ重いものの率先して前に立ち、危機となれば強大な力を堂々と振るってきた。先の異変でも山を席巻しようとしたアリたちを、巨大な竜巻によって容赦なく薙ぎ払ったと聞いている。
「だが、本当に正しかったのだろうか?」
 神奈子はここにいる皆に、おそらくは人間であるわたしや佳苗の二人に問いを投げかけてくる。そして答えられないと知ると、更に話を続ける。
「わたしが見守ってきた国の人間は大きな戦争を起こした。命を何万、何十万と削りあう凄惨な戦いだ。この郷に生まれ、暮らしてきた者には想像もつかないことがかつて、外の世界で繰り広げられた。そしてわたしはその戦いすらも看過した。協力することも止めることもなく、そのためにわたしを強く信仰していた者から酷く咎められ、憎まれた。戦争が終わったのち、その一人が国のトップに立ち、そのために守矢の信仰は外の世界においてみるみる衰えることになった」
「だからわたしは言ったんだよ、あいつを殺しておけって」
 諏訪子の物騒な発言を、神奈子はまあまあと宥める。これまで抱いていた気難しさが若干ながら抜けており、いつもの大らかさと大物らしさも戻ってきていた。
「彼を手に掛けていたらわたしたちは幻想郷に来ることもなかった。長い年月を経て、僅かながらの償いをする機会を与えられることもなかった。もっともわたしが考えていたのはフェアリィがアイドルとして成功することで、敗北によって命が失われた無念を少しでも慰めることだった。でも結果として無念を晴らす以上の結果が生まれた。船は水面から飛び立つことに成功し、次の生へと向けて旅立っていく。二つのユニットによって行われたライブは生者にも死者にも等しく活力を与えた。それはとても素敵なことだよ」
 神奈子はそう結び、わたしと佳苗の方を向く。
「説明したいというのは半ば建前でね。あの子たちを、船に乗っていた霊たちの多くの無念により善い道を与えてくれたことに感謝したかった。本当に有り難いことだ」
 わたしたちは感謝されるためにここへ来たわけではない。だからいきなり頭を下げられて、そんなことを言われたら少し……いや、かなり照れ臭い。
 神奈子は次に文の方を向くと、小さく頭を下げる。
「山の面々にも迷惑をかけて申し訳ない。このようなことは今回きりであり、再び起こることはないと伝えて欲しい」
「承知しました。とは言っても守矢が騒ぎを起こすなんて我々は慣れっこですからね。ポーズとして怒ってはいましたが、久々の事態を楽しんでいたに違いありませんよ。酒宴の一つでも開いて、それで手打ちということになるでしょう」
「では近々、守矢主催で宴を開くとしよう。お前にはアイドルをやって覚えた歌と踊りを披露して貰おうじゃないか。きっと盛り上がるに違いない」
「えー、嫌ですよそんなの。誰が見たいって言うんですかそんなの!」
 文が渋っていると、これまで黙って話を聞いていた早苗が勢いよく手をあげる。
「わたし、守矢側にいて裏方をあれこれやっていましたから文さんの歌と踊りをあまり見てないんですよね。一度ちゃんと見てみたいです!」
 すると文の顔が途端に緩み、えー仕方ないなあと言いたげに頭を掻く。佳苗はそんな二人を囃し立て、すると文は「だったら佳苗さんもやってくださいよ。一人より二人の方が華やかで受けも良いに違いありません」と言い張り、佳苗を慌てさせる。
 どうやら神奈子への疑いは完全に晴れた様子である。わたしとしても報告書に厳しいことを書かずに済み、顔や言葉には出さなかったが随分と安堵していた。報告書には穏便なことだけ書き連ねるだけで良い。
 これでようやく全てが解決し、恙なく事件の幕を締めることができそうだった。


「ということで万事解決、めでたしめでたしというわけさ」
 隠岐奈は久方ぶりに出会う友人……八雲紫に四季祭りから始まった一連の出来事の全てを語り終える。紫はおざなりに拍手をしてから、ゆっくりと口元をつり上げる。
「それで高速回線は無事、郷の全てに行き渡ったのね」
「ああ、万事抜かりなし。回線速度を勝手に上げたことはあの小さな紫を中心として酷く咎められたが、仕方のないことだったのは認めているらしい。今後も回線速度は維持し、里の人間たちにはそのことを正式に告知するらしい」
 情報の伝達速度は文明の段階を決定し、その流れは不可逆である。速さを知った人間が敢えて遅い状態に戻ることはない。幻想郷は次のステージの入り口に立ったのだ。
「これで郷の文明は否応なしに一段階、先へと進むでしょう。この調子であと一つか二つ、前に進めなければね」
「あまり急かすのは良くないと思うがね。まだ三百年はあるんだろう?」
「あと三百年しかないのよ。わたしの幻想郷は一度失敗している。二度の失敗を許すつもりはない」
「幻想郷は誰かのものじゃないよ。草案を作ったのはお前だが、わたしを含めて複数の賢者が手を貸さなければ成立しないものだった。それにお前はこの郷が特定の誰かのものにならないよう入念に設計したはずだ。その誰かにはお前自身も含まれている」
 釘を刺しても効き目があるどころか、その表情には隠岐奈を疎んじるような、一種の気怠さが感じられた。郷の発展が当初の計画から遅れているのは本当のことだし、昔のよしみと言うことで一度は手を貸したが、それは間違いだったかもしれない。
「一つだけ聞いても良いか?」
「ええ、スリーサイズと体重以外だったらなんでも」
「もし、お前のやっていることがその、二度目の失敗に繋がるような事態を生み出すと誰かに判定されたら、どうするつもりだ?」
 冗談を無視し、隠岐奈は厳しく追及する。だが紫は微かに微笑むのみだった。
「その場合は誰かが、おそらくは霊夢がわたしを退治するでしょう。成立当初からこの郷は思惑のぶつけ合いによって徐々に発展し、あらゆる困難を解決できる柔軟性を維持してきた。その困難がたとえわたし自身であったとしても変わることはない。全てを受け入れるとはそういうことであり、だからとても残酷なことなのよ」
 紫がどのような思惑を巡らせているかは、隠岐奈であっても全てを読み切ることはできない。でも一つだけはっきりと分かったことがある。紫はこの郷に生きるということを誰よりも深く実践しているということだ。
 それならば自分にできることは今のところ何もない。しばらくは趨勢を見守ることにした。四季祭りによって存在感を示すことには成功したし、これ以上出しゃばる必要もない。
 八雲紫が本物の黒幕になってなお、この郷はその在り方を保っていられるのか。それを特等席から観戦させてもらうつもりだった。

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