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オリジナル小説逆運の神子第一章 神の子   神の子 第5話 

所属カテゴリー: 逆運の神子第一章 神の子

公開日:2017年02月22日 / 最終更新日:2017年03月22日

神の子 第5話 
序章 神の子



「おい、聞こえてんのか」
 私の思い上がりでなければ、黒髪家の所領であるこの〈櫛の里〉において、領主の嫡子たる私に対し、こんな暴言を吐く里人はあんまりいない。いるとしたらそれは、風祭平蔵を含めた少数の厄介者ばかりである。
「なんでしょう」
 声をかけられたのは後ろからだったけれど、私は前を向いたまま返事をした。声音で振り向く価値もない相手だというのがわかっていたから。幸いにも、目の前の壁には、種々の櫛がそれこそ壁を成すように並んでいる。品定めしていると言い訳もできる状況だ。
「なんでしょう、じゃない。こっちを向けや」
「話を聞くだけなら、こちらはこのままでも不都合ありません」
「こちらには不都合があるんですよ、こころお嬢様」
 さすがに鬱陶しくなってきたので、構ってやることにする。
「さて、どんな不都合ですか」
 訊きながら顧みると、
「目上に対する礼儀がなっていない、っていう不都合ですよ」
 予測通りの返事と、想定通りの人相。
 ここ連日、嫌な奴ばかりに会っている気がする。
「これは失礼。若作りな声でしたので、てっきり工場の丁稚かと」
「なにィ?」
 顔が、たちまち窒息しかけたような形相に変じた。こめかみや首筋に浮き出た血管が、ぴくぴくと引きつけを起こしている。当人は凄んでいるつもりなのだろうけれど、苦しがっているようにしか見えない。
 頭に白髪まじりの短髪。顎に胡麻を散らしたような不精髭。身体に煤けよれた着衣。
 汚らしいこの中年、名を但馬忠敏という。
 ひょろっとした体躯や軽薄な言動からは想像もつかないが、一応は護衛の職についている。特別な某氏一人のための護衛ではなく、金さえ払えば誰でも、という職務だ。雇兵と同じ。
「ですから、失礼したと。私の勘違いで気分を害されたようで」
「は」
 彼は短く息を吐いた。呆れが九割、という感じに。
「用件は何でしょう。ご覧の通り、神祭事の準備にかかりきりなのですが」
 真実、私は大蛇参りの準備を進めるために、今現在この工場(こうば)にいる。
大蛇参りは神事であり、祭事でもある。私にとっては気の進まない、緊張するだけの舞台だが、大衆にとっては八年に一度の、それも全国で一番の大祭なのだ。当然、市だって賑わう。特産品を持ち込めば飛ぶように売れる。
 この神事用の「奉納品」と、祭事用の「販売品」のふたつを揃えるために、私はここに出向いてきたのだが――。
 間が悪かった。そうとしか言えない。
「眺めるだけでも仕事のうち、ってか。随分と楽な仕事だことで」
 今度は鼻を鳴らす。私に対する敵愾心を隠そうともしない。
 なぜ私のような若輩が、こんな柄の悪い年輩から蔑みの目を向けられているのか。
 ずばり、父上の子だからだ。
 仔細は知らない。父上に訊ねても無視されるし、犬飼さんやお松さんは、何も知らぬと首を振るばかりで手がかりにもならなかった。
 ただ、彼本人に言われたことがある。酒に酔った彼に。お前の父親は最低な糞野郎だ、と。糞野郎から生まれたお前も同じだ、と。お前ら親子のせいで、俺の人生は台無しだ。
 父上に恨みでもあるのだろう。だから、その子である私にも突っかかってくるのだろう。
 理由がこうであればしっくりとくるので、なるほどこういうわけかと独り合点している。
「目利きが楽な仕事だと仰るなら、貴方にも是非、手伝ってもらいたいですね。いくら眼があっても足りない状況なので」
「おいおいお嬢様よォ。いい加減、喧嘩を売る相手は選んだ方がいいぜ。逆恨みなんかされちゃかなわんだろ」
 大事なお役目の前に、と含み笑い。
 ここで引き下がるのが大人の流儀というもの。でも、残念ながら私はまだ大人ではない。
「別に私は構いません。正道から外れることの方が恥だと心得ておりますので」
「こっ、こいつ」
 歯茎を曝し、鼻面にしわを寄せる猿。赤らんだ顔まで猿にそっくりだ。汚らしい不精髭は除いて。
 するとそこへ、
「何を騒いどるか!」
 頭上に降ってきた突然の怒号に、身が竦んだ。
 そろっと天井に目を向けると、中段の渡しに、もんぺを着込んだ嘉文田(かぶんた)さんの姿があった。虫の居所が悪いらしく、骸骨みたいな顔に深々と険が表われている。
「こ、これは親分殿」
 態度を一転させて、但馬忠敏がへらりと頭を垂らす。「お元気そうで」
 それには応じず、むっつりと黙り込んだまま、嘉文田さんが階段を降りてくる。
 我が里は〈櫛の里〉と呼ばれているだけあって、櫛が特産として名高い。女性なら誰しもが一度は憧れる陰月国の櫛、という文句が使われるほどには、櫛で名が売れている。
 中でも最高級を謳う櫛を手掛けているのが、この嘉文田さん。里の人に〈親分〉と呼ばれ、里外の人に〈人間宝物〉と呼ばれ親しまれている櫛職人だ。
 全国に数人しかいないとされる齢九十超えでありながら、よく舌を動かし、腰は曲がっていても惚けてはおらず、いまだに現役で櫛を作っている強者でもある。姿を見ても、平均の倍、生きているとはとても思えない。
「貴様、誰の許しを得てここにおる?」
「は?」
「この工場に入ってよいと、誰が言ったのかと聞いておる」
「そ、それは」
 あれだけ居丈高に振る舞っていたのに、すっかり及び腰になっている。口ぶりはしどろもどろになっているし。
 まあ、それも、彼の理論に則れば致し方がない。
 目上の者には礼儀を尽くせと、但馬忠敏は言った。人の世は、年功序列で回っているのだからと。嘉文田さんは、軽く彼の倍は生きている。なれば己を殺し、低頭に努めるほかあるまい。どれだけ心中で「この死に損ないが」と罵っていたとしても(面構えはそう言っている)。いい気味だ。
 嘉文田さんは、持ち前の落っこちそうな大目玉をぎょろりとさせて、
「ここは樹精のおわす神域じゃ。貴様のような浮浪者が立ち入ってよい場所ではないわ」
 砂を擦り合わせるようなざらついた声で、中年にもなる男を叱りつけた。
 樹精――
 読んで字の如く、樹木に宿る精霊のことである。
 樹木を伐り、削って作る櫛にも、精霊は宿る。櫛を作るために積まれた木材が香り立つ、この工場にも。数多の樹木とそれに依る精霊が、ここには集っている。
 そんな神聖なる場所において、どうして野卑た下郎が歓迎されようか。
 嘉文田さんの言い分に、下手に出ていた但馬忠敏はしかし、いきなり舌打ちをして、
「ガタガタとうるせぇな、ジジイ。勝手に人を浮浪者扱いしやがって」
 ぺっ、と土床に唾を吐き捨てた。
「言っておくがな、俺は使いで来たんだ。好きでこんなところに来たわけじゃねえ。それに、先に突っかかってきたのはそこのお嬢様であって、俺じゃねえ。咎める相手を間違えてるぜ」
「何?」
「そらよ」
 懐から何か取り出したかと思う間に、私の胸にそれが当たって落ちた。
 拾い上げたものは、一本の木簡だった。……あまり見たくない、白染めの。
「小国宰様からのお達しだ。二日後の正午に、宰務室に来いとさ」
 木簡には『其方ニ命ズ 小国宰ガ元ニ出頭セヨ』と書いてあり、文末に押印がなされている。
 小国宰というのは、各国の政(まつりごと)の長を指す役名だ。小国は全土に七つあるから、全員で七人いるはず。
 白染めの木簡は、その小国宰が政に関わる令を発する時に用いられるもの。私は政とは無縁だが、この国に住む以上、無縁だからと小国宰の令に背くことはできない(原則)。国民の義務というやつだからだ。
「おめえの親っさんも呼ばれてるし、風祭の旦那たちも呼ばれてる」
「そう……ですか」
 答えつつ、私は今、まったく別のことを考えていた。
 こいつ今、風祭の旦那と?
 勝手に浮浪者扱いしやがって、とも言っていた。とするなら、新しい主人を見つけたのか。まさか鼠大将に?
「あーもう、くそったれだな本当によう。これだから来たくなかったんだよ」
「おい」
 嘉文田さんが声をかけても、但馬忠敏は止まらなかった。ずんずん出口に向かっていって、ついに姿が消えた。
「やれやれですな」
 同意を求められたのでうなずき、
「さて、お待たせしたが。案内致します」
 工場の階段を上りはじめた嘉文田さんの背を追う。
 闖入者のせいで遅れたが、ようやく〈玉櫛(たまぐし)〉とのご対面だ。
「足下にお気をつけあれ」
 この建屋は三階建てで、一階は資材置き場、二階は職人らの作業場、三階は嘉文田さん専用の作業場という造りになっている。足下に気をつけろと言われたのは、階段を上がりきった先にある分厚い鉄扉を開いてすぐのことだった。
 そこここに木材の切れ端が散らかっている。人の胴ほどもある丸太が転がっていたりもする。窓際には、大尽らが好んで使う馬鹿みたいに大きな木机がそなえてあり、床以上に悲惨な有様だった。その窓から射す光の中に、木屑らしき粉が土埃の如く舞い上がっている。
 人によっては閉口してしまいそうな、嘉文田さんの心象を映し出したような一室である。
「これです」
 広々とした、けれど手狭に感じてしまう机の上に、木訥とした部屋には似合わない装飾豪奢な箱がぽつんとひとつ。
 光の歪み、偏りの一切見えない漆塗りに、何の種属か、右翼に金、左翼に銀、胴体に銅をあしらった猛禽らしき鳥が宙で羽ばたいている。痩せた木枝のような、嘉文田さんの節くれ立った細指が、それを指している。
「お嬢様?」
「あっ、と」
 どうやら見とれていたらしい。「すみません」
「いえ。どうぞ、お手にとられて」
 言われるがままに、箱のふたを取ってみた。取ってみて、息が止まった。髪に電竜が泳いだ。
 ――美しいなんてものじゃない。
 玉櫛は、今にも溶け出しそうな儚さを湛えた白雪だった。それでいて、影に浸かれば闇夜に沈む白砂となり、陽に浴せば耀う雪原となる綿雪だった。こんなにも綺麗な白に染まった櫛、見たことがない。
 これが玉櫛。
 なるほど、玉質を具えた櫛と呼ぶに相応しい。これほどの品なら、石棺の中で眠っておられる初代様もさぞお喜びになるだろう。
「どうですかな、小生の仕上げた櫛の出来は」
「正直驚きました。貴石を磨けば珠玉となり、霊妙をも得ると言いますが、この櫛は喩えのとおりですね」
「はは。神子嬢(みこじよう)にそこまで畏まって褒められては、この老骨、身の置き所がありませぬ」
心からの賛辞だったのに、嘉文田さんの耳には戯れ言としか聞こえなかったらしい。彼が私に対して冗談を使うときは、決まって「神子嬢」と呼んでくる。
 彼は、お心だけ頂戴しておきますと微笑みながらお辞儀をして、
「さて。御櫛について、少しばかり我が意をお伝えしても?」
 面を上げるともう、職人の貌になっていた。
「聞きましょう」
「まず筺からですが」
 かさ、という音が発ちそうな干涸らびた腕が、黒光りする箱に伸びる。
「漆黒にて羽打つのは虫喰い鷲(わし)です。悪神・大蛇の退治物語には出てきませんが、虫喰い鷲は蛇も補食することで有名でしてな。此度の外蓋に採りました」
「お恥ずかしながら、初めて知る鳥です」
「さもありなん。お嬢様は、南方国の乾地に赴かれたことはありますまい」
 乾地と言わず、南方国には行ったことがない。多少なりの知識を修めているくらいで。
「彼の地は水気という水気に恵まれず、生きるに大変難い酷地であります。およそ人の住む地ではございません」
 さりとて、生き物がいないかといえば、そうではない。
 さほど水分を必要としない虫をはじめ、針のような剛毛を隙間なくまとった鼠がいたり、死んだように動かない蜥蜴がいたりする。みな、人間が生きられないような辛辣な環境下にあっても、たくましく生きている。
「虫喰い鷲はそこにしか棲んでおらんのです。かく言う小生も、一度しか目に入れたことがないのですが」
「さぞ立派な姿容なのでしょうね」
「どうでしょう」
 困ったように苦笑する。
「鷲とは申せ、お大尽方が飼い慣らしておるモウワシなどとは比べものにならない小振りさですからな」
 左右の掌を広げて、親指同士をくっつけてみせた。
「二回りほど小さい感じですか」
「はい。ですが眼光鋭く、モウワシにも劣らぬ狩り上手です。故に小覇鳥(こはるどり)という別称も持っております」
「こはるどり」
 美しい二つ名だ。
「きっと雪人(ゆきと)様ならご存知――」
 言いかけて、しわにまみれた唇をぐいと結ぶ嘉文田親分。柔らかな微笑も引っ込んだ。
私も言葉に詰まってしまい、気まずくなってしまった。
 どうしたものかと視線を泳がしかけたとき、誰もいなかったはずの右隣の空間に、忽然と硬い声が湧いた。
「お取り込み中に申し訳ありません、師父」
横を向けば、やや斜め後ろの位置でうなじを屈している嘉平田さんがいる。
 いつの間にやってきたのだろう? 気配すら感じなかったが。
「おお、嘉平田(かへいた)か」
 助かった、と今にもこぼしそうな安堵した表情で、「いかがした」
「はい。相談があって参りました」
 ちら、と嘉平田さんがこちらを向く。三白眼が私を見つめてくる。たわしのような茶色の短髪の下から、覗き込むように。
 久しぶりに会うけれど、相も変わらず愛想がなかった(私に対してだけかもしれないが)。声同様、硬い相好をしている。親分に育てられているだけあって、いかにも職人気質な人相である。
「左様か。しかし、今はこころお嬢様に玉櫛の説明を差し上げているところだ。下で待っておれ」
「わかりました。お待ちしております」
 待ったをかける暇もなく、さっさと引き上げていく。猫背気味な背中が、あっという間に階段に呑まれた。
 ……何か、無愛想に磨きがかかってるような。
「まったく。挨拶もせんで」
「お気にせず」
「いえ、そうもいきません。養い子とはいえ、嘉平田は小生の跡目。あれでも業と一緒に礼儀も叩き込んできたつもりだったのですが」
 最近、人疎しに拍車がかかっているらしい。
 もともと口数は少なかった記憶があるが、喋らないだけでなく、市街に行こうともしないとか。いわゆる「蚕の繭」状態だという。
「単に時間が惜しいだけでは?」
 嘉平田さんは職人だ。嘉文田さんを除けば、おそらく現在最高の櫛師と謳ってしまっても謙遜ない腕を持っているはず。であれば、少しの時間も惜しんで創作に打ち込みたいのではないか。 
「かもしれません」
 ですが、と苦々しく吐く。「小生の跡を継ぐ。それ即ち、この工場を継ぐということ。頭目として、みなを率いてゆく責もございますれば」
 本当に困っているようで、眉根が寄っている。
「それに、もうすぐあれにも嫁が来る予定でしてな」
「あら」つい声が高くなった。「おめでたいお話ではありませんか」
「めでたいにはめでたいが、あのていたらくでは……」
 嘉文田さんはどこまでも悲観的だ。
 どれどれ、ここは若さの出番だろう。
「どんな方が奥に入られるのかは存じませんが、嘉平田さんの寡黙も女にとっては心地よいものですよ」
「どうでしょう」
「口うるさいだけの殿方よりは断然。それに嘉平田さんは実直かつ誠実な方ですから。好まれることはあっても、疎まれることはないはずです」
「むむ。そういうものですか」
 こんなに子煩悩――二十を過ぎている嘉平田さんに、子と使うのも変か――だったか、というくらい、懊悩とする嘉文田さん。
 なんでかしらと内心首を捻っていたら、
「なにぶん、小生には縁のなかった世界ですので」
 ようやく合点がいった。
 そうだ、嘉文田さんはずっと独り身だったんだ。櫛作り一筋で、女心を知る機会もなかっただろうから、こんなにも浮き足立っているのか。
「あまり心配召されると、お体に障りますよ。貴殿が倒れたりしたら、それこそ嘉平田さんが悲しみます。余程の奥方でなければ、まず大丈夫であると鷹揚に構えられては」
 それからも二点、三点と材料を提供して安心させようと努めたけれど、どれも彼を得心させるには至らなかった。
 ようよう愁眉を開いたのは、私が帰ると告げたときだった。
「されば、お見送りいたす」
 結構だと断ってもくっついてくる。
 老いがそうさせるのか、とんでもなく気弱になっている節が見受けられる。私のよく知る親分は、よく切れる刃みたいな性分だったのに。
 木材を打つ小気味よい音を耳にしながら一階まで降りてゆくと、嘉平田さんが玄関口の辺りの柱に背をもたれさせ、ぼんやりと突っ立っていた。
「こころお嬢様がお帰りになるそうだ」
「……あ。そうですか」
 柱から背を剥がすも、どこうとはしない。
 様子が変だと訝しんだのは嘉文田さんも同じらしく、
「どうした」
 と訊いた。
「……いえ」
 いえ、から先が続かない。床をじっと見つめて、何か考えあぐねている風だ。
 私も助け船を出してみる。
「私にお話でも?」
 身体がこちらを向いているからそう訊ねたのだが、彼は意外にも「はい」と首肯した。
 思わず嘉文田さんに振り返って、
 ――心あたり、あります?
 ――いえ、とんと。
目で会話を図ったが、解は出なかった。
 ならばと、
「聞きましょう」
 そう質したら、彼は思わぬ行動に出た。
 なんと外へと出て行ってしまったのである。それも素足のまま、半ば駆け足で。話があるとうなずいたのに。話を聞くと承知したのに。
「えっと」
「困りましたな」
 無礼者め、と罵る嘉文田さんの首筋辺りに、太い血管が浮き出ている。
 何もそこまで怒らなくても。
「心、ここにあらずという感じでしたね」
「何を考えとるのか」
「多忙を極めておいででしょうから、きっとそのせいでしょう」
 大蛇参りまでに、何十どころではなく、何百も何千も櫛を仕上げなければならないのだから、身体は言わずもがな、心だって疲れてきているだろう。他の職工たちも含め。
「あいや、無礼をお許しください」
「お気になさらずに」
 この工場は黒髪家のお抱えであり、嘉文田さんをはじめ、職工の皆々は黒髪家のために櫛を作ってくれている。もとい、私たち家族が命じて作らせている。昼夜問わずの殺人的な計画日程で。いくら彼らに忠心があったとしても、仕事漬けのこんな生活を続けていれば、それなりに不満もたまってくるはずだ。部屋の隅に積もるほこりのように、知らず知らずのうちに。
 その不満があふれたり、はじけたりしたときのために、私がいる。黒髪という家名がある。体のいい的として。内々に留めておく堤として。
 陰湿だし嫌な役回りだけれど、私は、悪神であるヤマタノオロチを封じた者の子孫としてこの世に生を受けてしまった。責務のひとつだと割り切るしかない。
「それでは、また」
 辞すると、嘉文田さんは、犬飼さんの笑顔そっくりに笑いじわを浮かべて言った。
「はい。半端になってしまった玉櫛のご説明も、その折に」

 吹きすさぶ寒風に追い立てられながら帰ってくると、門柱の影から薫がひょっこりと出てくるところだった。
「かお、」
 呼びかけようとして、咄嗟に声を引っ込めた。門柱の間を横切ろうとしている薫の後ろから馬の鼻がのぞいたからだ。と思っている間にも、馬は薫にひかれ、のそのそと横切っていく。濃い栗色の毛で、老いているのだろう、顔に覇気がないし、横腹もたるんでいる。
 見覚えはない。客人が来るとも聞いていない。
「はて」
 厩など持っていない我が家に馬を繋ごうとしたら、中庭くらいしかない。ので、薫のあとを追う形でそちらへと向かってみた。
 果たせるかな、薫は中庭で馬を繋ぎにかかっていた。木杭に垂れ下がる鎖を手に収めて、びくびくしながら轡に通そうとしている。
「薫」
 呼ぶと、
「ひあっ?」
 腰を抜かさんばかりに驚いて、それが馬にまで伝搬してしまった。いななき、ぶるりと首を震わせる。と、鼻面が薫の身体に当たって、彼女は尻餅をついた。
 踏まれては一大事だと思って駆け寄ったが、馬は鼻孔を大きく開いて、鼻息をふうふうと立てるだけで留まってくれた。……目は凄く怒っているけれど。
「よしよし」
 敵意がないことを示すために、満遍なく首筋をさすってやる。元の気性は温厚なようで、すぐに落ち着きを取り戻しておとなしくなった。
 目つきが穏やかになったのを見届けてから、薫の介抱に移った。 
「大丈夫?」
「い、たい」
 尻餅をついたときに手を擦り剥いたらしい。粗目の傷から、僅かに出血している。横顔をうかがったら、ちょっぴり泣きそうになっていた。
「ごめんなさい。驚かせてしまって」
 あんなに魂消るなんて想像だにしなかったの、なんて言い訳を添えたら、薫は烈火の如く怒りだした。
「ひどいですよお嬢さま! わたしが馬苦手なの知ってるくせに」
 はい、知ってました。残念ながら。
「だから謝ってるじゃない」
「謝って済む問題じゃなくなったらどうしてくれるんですか! 踏み潰されちゃうかもしれないのに!」
 仰るとおりではあるけれど、そもそも驚かれるとは思っていなかったのだから、これは不可抗力ではないか――そう言い返したかったが、言い返したらどうなるかくらい、考えなくてもわかる。火の手を励ます愚も等しく。
 なので、まことに不本意ながら、こちらから折れることにした。
「ごめんごめん。ほら、機嫌を直して。あんまり大きな声を出すと、また馬が暴れ始めちゃうわよ」
「もうっ、またそういうことを言って煙に巻こうとするんですから」
「そのつもりがあるのなら、こうして謝ったりしないと思うんだけど」
 む、と押し黙る鈴っ子さん。
 これはよい潮の目だと思って、話を変えた。
「ところで、これは誰の馬?」 
「知りません」
 膨れ面を横に向けて、知らぬ振りをする。
「知らない?」
「はい。これっぽっちも」
 念押しで、もう一度。
「本当に?」
「そんなに気になるなら、あがって確認してみればいいじゃないですか」
 すっくと立ち上がり、苦手な馬が傍らにいるにも関わらず、
「お嬢さまの馬鹿! 馬に蹴られて怪我でもしちゃえ!」
 喉から破壊的な尖り声を響(どよ)ませて、薫はずんずん遠ざかっていった。
 相手が私でなかったら、おそらく首―職務ではなく生の―が飛んでいるに違いない暴言だが、不覚にも笑えてしまった。
「死んじゃえ」ではなく、「怪我でもしちゃえ」というのが、いかにも鈴っ子の薫さんらしい。
鈴は、強かに一振させれば鋭い矢になり、手荒に振り乱せば騒がしいだけの銅鑼になる。でも、あやすように優しく鳴り動かせば、泣き喚く幼子すら笑顔にさせる和楽の笛になる。面白いくらい渾(あだ)名(な)どおりの反応だ。
「やれやれ」
 馬を繋いで家の中に入ると、さっそく玄関に、家人のものではない履き物を見つけた。
 というか、これ見よがしに、上がり框の角に立てかけてあった。年季が入っていると一目でわかる、台の黒ずんだ下駄である。鼻緒も久しく取り替えていないようで汚らしい。
 父上の客人でも来たかと推量していたら、何の兆しもなしに嗄れた声が耳朶を打った。
「お嬢」
「ぅわ」
 吃驚した弾みで変な声が出た。
「驚かせてしまいましたか」
「い、いえ。考え事をしていたもので」
 ……心臓に悪い。
そこにいたのは、見事に気配を削いだ犬飼さんだった。武人でもないのに気配の消し方が巧くて、誰を相手にしても、ちょくちょくこういうことが起きるらしい。武に熟達した父上ですら接近に気づけないときがあると言うのだから、私などは況やである。
「左様でしたか」
 して、と声を潜ませて、「客間にはお近づき遊ばれませんよう」
「誰が来ているの?」
「非常に申し上げにくいのですが」
 足利殿の使いです、とささめく。
「あしかが?」
「おや。お嬢はご存知でない?」
「初めて聞きますね」
 なれば外に出ましょう、と誘われた。
 中庸に徹している犬飼さんがこういう態度をとるのは珍しい。どうやら客人は、貴人ではなく忌人のようだ。
 並んで門を抜け、長久坂に入るという手前で犬飼さんは足を止めた。そして一度ぐるっと周囲を見回してから、
「足利殿は、大老をお務めになられている方です」
「大老?」
 少し――いや、かなり驚かされた。
 大老と言えば、政部における座の頂点ではないか。そりゃあ、薫が知っているわけがない。私だって御目に掛かかれたことがないんだから。
 しかし、そんな高みにいるお方が、何用あって我が家に?
「驚かれたでしょう。本人が来ているわけではありませんが」
「大蛇参りの件で来られたのでしょうか」
 心当たりはそれしかない。
「どうでしょうな。茶の用意をした松さんによると、ご当主は不機嫌を隠そうともしなかったそうですが。神事に関する話を持ち込んできたかどうかまではわかりません」
「でも、他に余地があるとは思えません」
「我が胸の内にはありますよ」
「と、いうと?」
「足利殿の悪名は、知る人ぞ知るものです」
 大老、足利はじめ。
〈足利機織店〉の跡取り息子として生まれ、二十年近くを店主として切り盛りしていたが、齢四十にして突如、政の世界に身を置かんと活動を開始。
〈足利機織店〉は衣服作りの老舗で、彼が跡を継いだときには既にいくつもの小店を抱えていた。売り上げも相当な額を稼いでおり、あくせく働かずとも裕福に暮らしていけるだけの立場にあった。が、彼はさらに商いに力を入れ、〈足利機織店〉を名実ともに全国一に仕立て上げる。そしてその金を有効に使い、大老の座までのしあがったのだという。
「みなまで言わずとも、お嬢になら察せられるでしょう」
「……まあ」
 よくある話だ。
 人はどうしても、お金の多寡によって人物を見定めてしまう。お金持ちほど教養があって、世の中に貢献していると考える節がある。だから「公平を期すため」と謳って選挙をしても、大抵は貧乏人より、お金持ちのが票をとれるというわけだ。いや、稀に貧乏人が勝てる、というくらいにはお金持ちが大勝する。
 世間様がこんな調子なのだから、実際に投票権を持っている人たちを取り込もうとするなら、どんな手段を使うのが手っ取り早いのか。足利はじめは、そういうことに長けているのだろう。つまり、お金の使い方が巧いのだ。いい意味かどうかは別にして。
「お嬢も知ってのとおり、大老の選挙は四年に一度。次回は来年、大蛇参りと被ります」
「そうですね」
 大蛇参りは八年に一度。選挙は四年に一度。二度に一度は被る。
「そこで、御家を担ごうとしているのではありませんかな」
 ヤマタノオロチを封じた黒髪家を。鎮護の象徴を。
 ――私の後ろには、彼の家がついている。
「まさか」
「お笑いなさるな。事実、前回の大老選では、同様の懸念で世が揺れたのですから」
「えっ、父上が?」
「いいえ。疑獄事件だと囃されたのは鬼交家(おにかいけ)です」
 鬼交家。
 名に顕れているように、遙かなる昔、鬼と交わることで鬼の力を手に入れたという一族。黒髪家と同じく、ヤマタノオロチ封印の一翼として活躍した家門。彼らも、代々神子を輩出している。
「どういう経緯で鬼交の長があんな発言をするに至ったのかは存じませんが、あのときは、そりゃあ大変な騒ぎになりましてな」
当時の鬼交家の当主は、あろうことか、公衆の面々に向かって候補者の一人を推挙したのだそうだ。これに火がつき、議論は炎のように燃え上がったという。
 善であると論陣を張る方は、これは政武融和の魁だと褒め称え。
 悪であると論陣を張る方は、これは武威を借りて圧政を敷く前触れだと罵り倒した。
 なぜこんな騒ぎになったかといえば、神子は常に中立であれ、という不文律があるからだ。
 神は何かに肩入れなどしない。誰の味方でもない。神は遙か高き猊座にありて、ただ地上を見下ろすのみ。ならばその使いである神子も、たとえ人の傍にあろうと、距離をとって静止を保つべきであろう。特段、政に関しては。そういう、常識というか風潮みたいなものが、世情としてある。
「結局、不適切な発言だったと鬼交殿が謝罪して終息したのですがね」 
「不用意きわまりない。それじゃあ、収賄されたと囃されても仕方ないと思います」
 選挙は立候補のみ。第三者による他薦は厳禁とされている。その掟を、よりにもよって神子が破ったのだから、騒ぎにだってなるだろう。
「そうですね。ですから鬼交殿だけでなく、推挙された泊殿にもかなりの非難が集まりました。彼が大枚叩いて言わせたのだ、とね」
「泊殿、ですか」
 意外だと思った。会ったことはないが、大老の中でも一番無能とされている人物だからだ。そんな相手を、鬼交家が後援した?
「でも、そんな前例があるなら、なおさら慎重を期して下手なことはしないのでは?」
「さてどうでしょう」
 犬飼さんはにこにことしている。爺には心当たりがあるんですよ、と言わんばかりだ。
「勿体振らないでくださいよ」
「そんな。ただ、お嬢に関わることではないかと睨んでいるだけです」
「私?」
「ええ。翌年の大蛇参りでは、お嬢の譲座儀(じょうざのぎ)も併せて行われますでしょう。足利殿にとってはよい時宜だと思われますが」
 当主交代の儀式、譲座儀に合わせて――
 はっとした。
 何も、神子の口を借りなくたっていいのか。印象付けさえできれば。
「足利殿もまだ一期目ですからね。再選を果たしたいでしょうから、必死なんでしょう。まさかご当主が餌に釣られて腹に呑まれるとは微塵も、」
 そこで、犬飼さんは言葉を切った。馬の鳴き声だ。
「どうやらお帰りになられるようですな」
「みたいですね」
 目で合図をしあって、即、私たちは別れた。犬飼さんは裏手から。私は正門から。それぞれの道筋で屋敷に戻る。
 大老の使者とやらは、すぐに出てきた。私より先に、馬とともに正門を潜って。
 使者は、玄関に放られていた下駄の持ち主に相応しいであろう身なりをしていた。即ち、下男だ。新しい下駄さえ誂えられぬような。とても湯水の如くお金を使える者に仕えているとは思えない賤しさである。
 その細首が、かっくりと前に折れている。主人の言いつけを守れず、これからどうなってしまうのだろうと身の上を案じているかのような悲愴な面が、馬のたてがみに撫でられている。
 気の毒に。悪辣な雑言を、戦場の矢と浴びせかけられたに違いない。
 しかし結局、この日の会合の中身は、あとになってもわからないままだった。どんな会話が交わされていたのか。向こう側からどんな要請があったのか。何一つ。父上がだんまりを決め込んでくれたがために。

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