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オリジナル小説逆運の神子第一章 神の子   神の子 第4話 

所属カテゴリー: 逆運の神子第一章 神の子

公開日:2017年02月08日 / 最終更新日:2017年03月22日

序章 神の子

4

 どたどた、どんどんどん。
 騒がしい。振動が床板を伝って、枕にまで届いてくる。それが痛む頭の中まで響いてきて、いっそう辛くなった。誰が来たのか、わかりやすい接近の仕方のおかげですぐにわかったけど。できれば、面着するのは体調がよくなってからに――せめて頭痛が治ってからに――してほしかった。
「お嬢!」
 ぱーん、と襖の弾ける音。年季の入った竪框を、慮りもしない雑な扱い方だった。
「大丈夫かいっ」
 吼えるように大声を張り、無遠慮に私の部屋へと入ってくるお松さん。身長は低くても、浅黒い肌とがっしりとした体格、それに四角い顔のつくりと癖っ気の強い髪が、迫力を醸し出している。そんじょそこらの柔い男どもより、よほど男らしい。気の強さも相まって、初見の人相手に彼女を「女中だ」と紹介しても、なかなか信用してもらえなかったり。
 女中? 女傑の間違いでしょうよ。
 さもありなん、彼女の通り名は〈鬼のお松〉だ。いくら私が神の子と言われようと、泣く子も黙る鬼が相手では分が悪い。いえ、太刀打ちすら無理。
 一応、この部屋は私室で、お松さんよりも私の方が立場は上で、女中でなくとも、断ってから入室するのが当たり前だと思う。
 しかしながら、その「当たり前」が、彼女のなかには存在していなかった。また、それを咎めるだけの胆力なんて、若輩者である私には身についていない。父上も父上で、犬飼さんよりも高齢で(なんと御年六十六!)、犬飼さんよりも長いこと黒髪家に従事してくれているお松さんには、なにかと頭があがらない。
 以上のことから、この屋敷で一番偉くて強いのは、一番取るに足らなくて弱い立場にいるはずの女中・お松さんなのだった。
「ありゃ。本当に倒れとる」
 小さな目をしばしばとさせて、こりゃ驚いた、と信じられなさそうに呟いた。
「だから言ったじゃないですか」
 こちらも心外だと言わんばかりである。「こんなことで嘘なんてつきませんよ」
〈鬼のお松〉の背後から、薫がひょっこりと出てくる。金だらいを手にしていた。
「あんたは嘘つきじゃなくて、いい加減なだけだろ」
 お松さんが人差し指で薫の額を押すと、
「あっ、もう、やめてください! お水がこぼれちゃうじゃないですかっ」
 ぎゃんと噛みついた。
 薫には、頭に響くから、喋るときは極力声を落としてくれとお願いしていたのに。
 で、お松さんも、状況を見ればそれくらい察せられると思うんだけど。
「あたしなら、これしきのことでこぼしたりしないけどね。最近の若いモンは、体幹ひとつ鍛えようとしないからそうなるんだよ」
「わわ、わたしだっていろいろ」
「あーはいはい。おめかしとか金勘定とかかね。いいですわねー、色香に気を使える暇があって。それにねえ、あたしが若い頃はねえ、数えられるようなお金なんてもらってなかったよ」
 朝から晩まで働いて、それでようやくその日暮らしさ。でもねえ、あたしなんてまだ恵まれてる方だったよ。昔は貧しすぎて、食い扶持減らしまでやってたんだから。あんたら若いモンにはわからないだろうけどねえ。
 あん? 時代が違う?
 ほー、時代が違えば人間も変わる? そいじゃあ、あんたとあたし、何が違うか言ってご覧。あんたは飯食わないでも平気なのかい? 寝なくても死なないってか?
「……あの」
 我慢できずに声を割り込ませた。痰が絡んで、がらがらと喉が鳴る。
 同時にこちらを見遣った二人に、
「うるさい」
 喋るのも億劫で、色んなものを端折って言った。言ってしまってから、また怒鳴られるかもしれないなんて考えるくらいには、頭が回っていなかった。
「うるさいそうだよ」と、お松さん。
「確かにそう聞こえましたね」と、薫。
 二人とも目を点にしている。
 やめて。そんな目で見ないで。悪くもないのに謝りたくなってきちゃう……。
 でも、そこここの痛みをおしてまで、実行に移そうという気にはなれなかった。気怠さが絶頂にさしかかっているようで、何をする気にもなれない。
 これが毎年冬が来るたびに巷を騒がせている風邪とやらの猛威か。なんて恐ろしい。
 ふん、と鼻を鳴らして、お松さんが太い腕を組んだ。
「まあいいさ。気が弱っての失言だろ。それより薫、手伝いな。今日は赤飯にするよ」
「赤飯ですか?」
首を傾げる。私も、心の中で薫を追った。
 なぜに赤飯? そもそもお松さん、たったいま出先から戻ってきたばかりなんじゃ?
「そうさ。霜柱の生える寒中でも平然と禊をやる、あの鉄壁お嬢が風邪を引いたんだ。めでたいじゃないか」
「めでたい……?」
首傾げのまま、しかめっ面になる。きっと私の面も、同じようになっているに違いない。
 黒みがかった歯茎を見せて、お松さんは笑った。
「単なる人の子だったって明かされたお祝いだよ。神の子なんかじゃなくってね」
「な、なるほど!」
 さすが師匠、とでも叫び出しそうな喜びようだった。さっきの突っかかりはなんだったのかと呆れるほどの従順ぶりである。梳き子見習いとして働いている身分の薫が、師にあたるお松さんに背いてばかりいるのは、それはそれで問題だろうけども。
 しかし、いくら神子と叫ばれていても、しょせん私は人間だ。
 確かに風邪をひいたことは、この十三年間、一度だってない。大病とも無縁だったし、虫歯に苦しめられた記憶もない。
 だが、それと神子とに、なんの関係があると? 病気と瘴気に、一体なんの因果が? 仮にあったとして、私にギョクエンの―瘴気の毒なんて効かないのに。
 私を置いて、女中二人の盛り上がりは続く続く。
「赤飯は身体にもいいんだ。食べれば、風邪の方から逃げ出すよ」
「栄養も豊富ですしね」
「栄養だけじゃない。赤飯を炊くための赤米は、悪い気も祓ってくれるんだよ。虫だって悪霊だって、悪いものはなんでも追い出してくれるのさ」
「へー。初耳です」
 私も初めて聞く。なんだ、その万能薬めいた食べ物は。
「そんなことも知らずに、よくもまあ梳き子になんてなろうと思ったね」
 お松さんはたまにトンデモ話をするけど、今がまさにそれっぽかった。
 古くからの言い伝えにしても、もうちょっと捻るなりなんなりしてくれないと。安直すぎて、信じようという気に米粒ほどにもなれない。
「特に秋月国(あきつきのくに)の赤米には、破邪のちからが宿っていると言われていてねえ」
「お米がいっぱいとれるからですか?」
 秋月国といえば稲作、と言われるくらい、かの国はお米が有名だ。
「いんや。神様を丁重にお迎えしたからだよ」
「へ?」
 上擦る薫の声。どうやら今日のトンデモ話は、神話に因ったお話らしい。 
「なんで赤米は赤いのか、考えたことがあるかい?」
「い、いえ」また上擦る。
「昔も昔、秋月国には神様が一体もおらんでなあ。神様たちはみんな陽気で寒がりだったから、北国には寄り付かなかったんだよ。秋月は、もとは〈空き月〉っつってな、神様がいないって意味だったんだ」
 神がいないということは、神からの施しもないということになる。冷えた土地には、作物の実りも期待もできない。野に生きる獣も少なかった。
「だもんで秋月国に住んでた人たちは、みーんなガリガリに痩せとってな。作物がうまく育たないんだから、食べるものに困るのは、まあしょうがない。それでもなんとかお互いに助け合って生きていたのよ。木の実食ったりしてな。そしたらあるとき、国で一位二位を争うほど貧しかった山奥の民家に、荒れに荒れた肌と、隠しもしない発疹を抱えたちっこいじいさんが現れて」
 ――一晩泊めてくれんか。
「発疹は顔にもふいていて、潰れたりして爛れてたとか。見るからに病気持ちだわな。たとえ流行病云々の心配がないとわかっても、そんな醜いヤツを我が家に泊めたりなんてしないだろ。あたしだったらお断りだね」
 同感だ。可哀想だとは思っても、そんな人を家にあげるだなんて。気が知れない。
「それで?」
「あとは典型的なおとぎ話の流れさ。そこの家には老夫婦が二人で住んでおってな、昔話らしくじいさんを泊めるわけよ。で、このじいさんってのが神様だったわけだ」
「神様……」ああ、と薫はうなずいて、「確かに、よくあるお話ですね」
「そうそう。実はこの神様、あんまりにも秋月国が不憫だからって覗きに来たんだと。旅のついでだがね。どうやら神様たちは、この国が不毛なのは、住んでる人々が怠け者ばっかだからだと思ってたらしいわ。ひっどい話だろ」
 ひどいというより、不快でしかない。
 神には「神の勤め」とやらがあるんじゃなかったのか。
「そんで、貧相ながらももてなしを受けた神様は満足して、老夫婦に小袋を渡すのさ。この種を田に植えてみろ、きっと立派な稲が生えてくるから、って言ってな。二人は半信半疑ながらもその種を植えてみた。するとどうだ、見たこともない赤染めの稲穂が生えてきたじゃないか」
 これもまた半信半疑で、老夫婦は収穫してみた。
 不潔なじいさんの説明によると、これは米だという。血のような恐ろしい色をしてはいるが、米ならば食べられるはず。駄目で元々だ。稲だって、育つと本気で信じていたわけじゃない。だったらきちんと最後まで――炊飯までしてみようじゃないか。
「炊いても赤いままなんだから、食べるには勇気がいったと思うよ。匂いも白米とは違うし」
「赤飯といえばご馳走、っていう印象しかないですけどね」
「そう思えるのも、栄えてきた今でこそだろ。あたしがお前さんくらいのときだって国元にはなかったし、初めてみたときは度肝を抜かされたもんだ。そもそもの収穫量が白米に比べて圧倒的に少ないんだから、そらこっちにまで回ってこないわな」
 お松さんは東国(あずまのくに)の出身だと聞いたことがある。ここ陰月国と東国はお隣同士だけれど、どちらにとっても秋月国は遠い。
 しかし、赤米が全国に卸されるようになったのは最近のことだ、というのは知らなかった。一部の間であるにせよ、少しくらいは流れているものだと思っていたから。まさか秋月国の、それも山奥の秘境らしき場所でしか作られていないだなんて。道理で高価なわけだ。
「んで、食べてみたら存外に美味しかった。涙を流すくらいに美味しかった。そこでようやく、二人はこの米が大変なものだと知った。こりゃあ神様の仕業に違いない、米が赤いのも、米が不毛の大地に根付いたのも、きっと神様が下さったものだからだ、ってな」
「特別なお米だというのは、そのとおりだと思うんですけど」
 うーん、と薫は眉根を寄せて、
「赤色と神様と、何か関係があるんですか?」
「大ありなんだな、これが」
 嬉々として答える。「神様は神様でも、医薬を司る神様の仕業だと考えたのさ」
「へえ」
 がらがら。つい声を声を立ててしまった。頭に、刺すような痛み。
「赤玉くらいは知っとるだろ」
「ばかにしないでくださいよ」
 苦笑する薫に、私もつられた。
 赤玉は、覚えたての言葉を得意げに披露してくる小僧っ子でも知っているくらい、知名度の高い丸薬だ。ちょうど梅の実ほどの大きさで、胃痛薬としての効能がある。誤って噛み潰すと、口内が二日は苦(にが)みに悩まされるため、土地によっては「苦玉(にがだま)」などと呼んでいるんだとか。たぶん、全国で一番有名な薬だと思う。
「じいさんたちはな、その赤玉を作った張本人様が来て下さったんだと信じたんだ。自分たちじゃどうにもならなかった不作を、赤玉と同じ色をした米で救ってくれた。こりゃあ間違いないだろう、ってな。だから今でも、秋月国では赤米のことを薬米と呼んでるんだとさ。宿米とも呼ばれてるらしいが、こっちは宿を供したってのと、神が宿っているっていうのを掛け合わして作ったんだろう」
 医神・蛇香(じゃこう)。それが、老夫婦の前に現れた神の名だ。
〈薬〉というものを開発した神として有名で、ふだんは白蛇の姿で地を這い、放浪の旅をしていると言い伝えられている。怪我や病気で倒れている人がいれば、人の姿をとって治療をしてくれる。ただ、顔が怖ろしいつくりをしていて、これに驚いて逃げたりすると助けてもらえないらしい。
「へえ。でも、それは赤米に限ったお話ですよね。秋月国って、今は白い方のお米もたくさんとれるじゃないですか。土地が痩せてても作れるようになったってことですか?」
 薫にしては鋭い指摘だった。
 言われてみれば変だ。
 赤米がどのような環境下で作られるのかは知らない(山というくらいだから高地?)。
 しかし白米は豊富な水分が必要で、水田も大きなものがいるのは知っている。痩せた土地だったというくらいだし、そこらへんを整えるのは大変難儀するような。
 するとお松さん、胸をそらしたかと思うと、いきなり大声を轟かせた。
「さあ、つべこべ言わずメシの準備だ! もうすぐ旦那も帰ってくるからね!」
 彼女のすぐ隣にいた薫が、びっくり顔で仰け反る。少々大袈裟な気がするけれど、気持ちはわからなくもなかった。声量豊かな薫より、さらに一歩先をいくのがお松さんの喉なのだ。間近で叫ばれようものなら、鼓膜の中を伝って心臓にまで響くこと間違いなし。
 お喋りに満足したらしきお松さんは、顔中に爽やかな笑みをたたえて、ばたばたと畳を踏み鳴らして出て行った。
 鬼のお松の、逃げの常套手段だった。

 有言実行。
 この美しい言葉を嫌いだという人は、そうはいないだろう。子供はともかく、大人になればなるほど、この四文字を守るのがどれだけ大変なことなのかも知っている。我が身を以て。人によっては、ありがたみすら感じるのではなかろうか。私だって、できる限りはこの熟語を守ろうと自戒くらいはしている。できる限りは、だけれど。
 でも、まさに今時分こそは、忌まわさしか感じられなかった。なんだって有害なことまで実行せねば――されなければ――ならないのか。
「いいかい、お嬢」木の匙を構えたお松さんが、目をぐりぐりとさせて凄んでくる。「要らないんじゃない。あたしは食えと言ってるんだ」
「いや、ですから」
 これ以上は無理なんですって。これ以上は吐いちゃうんですって。そう何度も言っているのに、二人は聞く耳なしだった。
「無理してでも食べないと、治るものも治りませんよ?」
 広いおでこと一緒に、茶碗がずいと近づく。
 たちまちに吐き気がせり上がってきた。立ち上る湯気の香りすら堪えられない。
「や、やめ」
「ほら、口を開けて下さいってば」
 木の匙ですくった赤飯を向けてくる。
無理。本当に無理。お願いもう勘弁して。
「強情なやつだねえ。ちっとは可愛げがないと、男がなびかないよ」
「この頑固さ。さすがは旦那様の血を継ぐお方ですね」
 言いたいことを言いつつ、二人は示し合わせたかの如く、同時に匙を引っ込めた。まるで通い合う心を持った双子のように。
 この際、主従の礼儀がどうのこうのなんてどうでもいい。助かった。私は助かった。魔の手から逃れられたんだ。そう思い込むことにする。
「しょうがない。粥にしてやろうか」
「赤飯のお粥……?」
「あたしも食ったことはないけどね。米だったら粥にもなるだろ」
 ちょっと待って、だからお粥とかそういう以前の問題だって言ってるの――
 痰の絡まる喉を押さえて喋ろうとしたら、つむじの辺りに、重たい声が落ちてきた。
「何をしている」
 薫の目がくるりと丸くなる。
 あ、これは押し黙ってやりすごした方がいいやつだ。そんな打算が透けて見える顔つきに、一瞬で切り替わった。
 ゆっくりと後ろに首を捻ってみる。もう少しで真横を向くという直前、お松さんが朗々と言った。「ずいぶんと遅かったじゃないか、旦那」
 旦那? やっぱり?
 やっぱりだった。
 よそ行きの上下(いわゆる正装というやつ)に、こわごわとした羽織を着込んだ父上が、私のすぐ後ろに立っていた。頭に立て帽子を戴き、その紐を結んだ顎からは、墨を吸った細筆のような髭が垂れ下がっている。外出先で何かあったのか、いつもの強面がよりいっそう強くなっている。
 即座に首を前に戻す。おお怖い怖い。精神衛生上、目に入れるのもよろしくない。
「寄るところがあった」
「そうかい。聞いてなかったな。ま、それはいいとして、旦那も赤飯食べるかい?」
「赤飯?」
 気付いてなかったのか、父上の声調が外れた。「なんだ、里で祝い事でもあったのか」
「いんや。お嬢が風邪をひいてね」
「風邪?」
 疑問から不興へと転じる声質。
「そうそう。昨日、大雨だったろう? 嵐か。んで、風祭の家に行った帰りに、どうやら妖怪に遭っちまったらしくてね。退治してる間にずぶ濡れになって、この有様ってわけさ。寒さ冷たさが効いたんだろう」
「敵は?」
「ギョクエンだったらしい」
「そうか。……こころ」
「はい」
 どうせ叱責されるだけだからと、返事は薫たちのいる正面を向いたまま返した。
 ところが叱られるではなく、
「食い終わったら私の部屋に来い」
「は、い」
 え、と言いかけたのを、寸でのところで堪えた。危うく口を滑らせるところだった。
 女の私より、よほど女を感じさせるきめ細かい髪をたっぷりとたたえた背に、お松さんが「いらんのかい」と訊ねる。
 父上は足を止めず、「馳走になってきた」の一言で済ませて去って行った。
 威圧感が消えると、部屋の空気が抜けるように緩んだ。
「あの無愛想極まる仏頂面だけでもなんとかならんもんかねえ。可愛げがないったらありゃしないよ」
 白けた様子のお松さんに、快活さを取り戻した薫が、
「でもでも、殿方はあれくらいがちょうどよくないですか」
「なんだ。お前さん、ああいう変わり種が好みだったんか」
「わたしだけじゃないですけど。知りません? 旦那様って、外じゃ結構人気あるんですよ」
「知りませんね」
 鼻で笑うお松さん。私も心の中で続いた。初耳だし、あんな堅物でふて腐れてばかりいる嫌みったらしいクソジジイのどこがいいのかもさっぱり理解できない。顔だって、岩石みたいで端正とは縁遠いのに。
「偉くて強くてたくましくて。これだけでも得点かなり高いですよ。それに、古風な殿方って最近あんまりいないじゃないですか。着飾らないっていうか、高潔っていうか、孤高っていう感じの」
「そうさねえ。軟派なやつのが多いね。根性なしばっかなのは男に限らずだけど」
「女は淑やかさの方が大事ですし?」
 意味ありげに横目を使う。
 どうやら喧嘩を売ってきているらしい。
「そりゃあそうか。でもなあ、旦那なんぞに惹かれる女子なんて、それこそ珍妙な気がするんだが」
 実際、恋愛経験は皆無だったらしい。母上との結婚も、外圧によってもたらされたものだと聞いている。父上は、言わば恋愛弱者だ。そんな男に、言い寄ってくる女がいるとは思えないのだけれど。
「いやいや、それがいるんですよ。まずここにいますし」
 軽く拳を握って、自分の胸をどんと叩く。「工場(こうば)にも、知ってるだけで二人はいます」
「何が悲しくて、お前さんのようなうら若き乙女があんなジジイを好むのか。感性がおかしいんじゃないのかね」
 右に同じく。女中がジジイ呼ばわりしたことには目を瞑るとして。
「ジジイっていうほど年を召されてるわけでもないじゃないですか。まだまだこどもだって作れるはずですし」
 さすがに、この発言には黙っていられなかった。
「本気なの、薫」がらがらがら。
「本気にしてもいいなら、喜んでと答えますけど」
 あっけらかんと言い返されてしまい、二の句が継げなくなってしまった。
 いやまさか。私をおちょくってるだけよね?
「熱狂、酔狂、どちらも結構。若モンの特権だしな。とはいえ、あたしはついていけんわ」
「いやですね。暴走なんてしてませんよ。メスが強いオスに惹かれるのは自然なことでしょ」
 これまた意味ありげな笑い方をする薫に、お松さんはわざとらしい溜め息をついてみせた。
「知らんがな。好きにしとくれ」
 茶碗を置いて立ち去ってゆく。普段と違って、床を擦るような歩き方をして。
「ちょっと意地悪がすぎちゃったかな」
 失敗失敗と苦笑しながら立ち上がる。「どうせもう食べませんよね」
 私が首肯すると、薫は片方の茶碗に余った赤飯を盛り、空いた茶碗を下敷きにして、
「それじゃあ、お嬢様は地獄の間にいってらっしゃいまし」
 意地悪に言い捨てて、みんなと同じように部屋から出て行った。

 正方形な我が家、そのほぼ真北に、父上の居室はある。別名〈地獄の間〉。
 私の部屋とまったく同じで、襖で仕切られただけの簡素な造りをした一人部屋だ。おとぎ話に出てくる地獄の入り口は石門で、うずたかく積まれた平石によって形作られているらしいけれど、ここには石もなければ門もない。もちろん門を守る番人のような者もいない。
 それでも家人たちから〈地獄の間〉と称されているのは、ひとえにここがお叱り部屋でもあるからだ。
 父上に呼ばれ、この部屋に足を踏み入れたが最後。どんな罵声、どんな体罰に責められるかわかったものではない。薫にいたっては、過去に一度、恐怖のあまりの失神という恥ずかしい経験もしている。私だって何度、頭にこぶをこさえたことか。だからここは〈地獄〉なのである。
「父上」
 襖に向かって声をかけると、すぐに返事があった。
「入れ」
「失礼します」
 身を屈め、襖に両手を添えて、こちらへと引く。木と紙でできた襖は、石とは比べものにならないほど軽い。これといった抵抗もなく滑らかに引けた。
「お呼びでしょうか」
 開けた襖から頭だけを出して一礼したら、さっそく父上の怒り声が私の頭に殴りかかってきた。
「入れと言った!」
 殴られた頭が、がんがんと痛み出す。
 どうやら既に閻魔状態だったらしい。……ついてない。
 中に入ると、予期していた通りになっていた。脇息に肘を立てて頬杖をついた閻魔様が、うつむき加減で座椅子に座っていらっしゃる。
「閉めろ」
 言われるがままに襖を閉める。閉めたところで、声なんて廊下に丸聞こえなんだけど。
「どうかなさいましたか」
 訊くと、
「お前、風祭のところの倅をどう見ている?」
 険しい目つきで、変なことを問われた。
「どう見ている、とは?」
「そのままの意味だ。お前の思っていることを正直に話せ」
「はあ」
 話が見えないが、所感を正直に述べるだけならいくらでも、だ。
「狭量、偏屈、盲目。自己主張が激しく、しかも独善的で恩着せがましい。執拗で粘着質で守銭奴で――」
「もういい。止めろ」
 鬱陶しそうに手をひらひらとさせる父上。
 なんだ。平蔵の悪所なんて、まだまだいっぱい挙げられるのに。
「つまり、男として見てはおらんのだな?」
「がら」
 は、と言ったつもりが、痰が絡んで声にならなかった。
 待って。いったい何を言い出したの、父上。
「そうよな。お前があんな腑抜けを選ぶわけがない」
 うむ、と一人わかったつもりになっている。
 二、三度咳をして、喉の調子を整えてから訊いた。
「何かよからぬ噂でも?」
 そんなものを立てられた日には、自分を抑えられなくなる自信がある。主に、害虫駆除的な意味で。
「いや。遠回しも遠回しな打診を受けただけだ」
「打診?」
「どうやら、お前を使って一儲けできないかと考えていたようだな」
 開いた口が塞がらない。
 何をどう捻ったら、そんな愚考に行き着くのか。
 腐っても私は神子だぞ? 我が家は名高き黒髪家だぞ?
「驚くことはあるまい。相手はあの後藤商会だ」
 塞がらなくなっていたはずの口が、すんなりがっちり閉塞した。
 後藤商会――陰月国が擁する商屋で、国内において最大の取引額を誇っている店の名だ。まことに遺憾ながら、うちの里とも取引がある。
 店主の後藤(下の名前は忘れた)は強欲で知られており、儲けるためならしきたりや禁忌も平気で破るとんでもない男である。神であろうと妖怪であろうとだしに使って商売をする彼なら、私を材料視していたとしても不思議ではない。納得だ。
「しかし、どうやって?」
「しれたこと。女の使い道などひとつしかあるまい」
 顎を突き出し、肩を持ち上げて言う。見下すように。馬鹿にするように。
 なるほど。男から見たらそうなんだろう。女の使い道とやらは。
「あからさまに嫌そうな顔をするな。女は男を受け入れる器で、子を産み落とす果樹だ。だからこそ価値も出る」
なるほど。男を受け入れず、子を産まぬ女に価値はないと。
 我が父ながら言ってくれる。
「特にお前のような母体は稀も稀。欲したところで普通は手に入らぬ。なれば金を積もう、と考える亡者はいくらでもいよう」
 金では決して買えない名声と。
 金では決して得られない異能と。
 両方を持っている私は、私の身体は、ただそれだけで並外れた価値があるのだろう。金をいくら積んででも手に入れたいと思わせるほどの価値が。女を道具として見立てている男らにとっては。
 なんて憐れ。いくら金を積んだところで、心までは買えないというのに。
 身体だけでもと望む気持ちが、私にはわからない。所詮は借り物でしかない名声や地位にこだわる気持ちも。そんな取引で、本当に心の渇きを潤わせられるのか。
「家格が上がれば上がるほど、より高い格式を求めて血縁を組もうとするのが普通といえば普通だが。後藤の奴、夫人には相談しなかったと見える。よりにもよって風祭などを選ぶとは」
 いったいどんな手を使って風祭家からお金をふんだくろうとしたのかはわからないが(紹介手数料か?)、女を道具扱いしている父上が、まさか後藤夫人を善く言うとは思わなかった。……それくらい、彼女は善き人であると言えるわけだけれど。
 そんなことより、私にとっては平蔵との縁談の芽がなさそうだということの方が重要だ。
 何を隠そう、私は、父上が風祭家とよしみを持とうとしているのではないかと、幼少の頃よりずっと勘繰ってきた。
 風祭は陰月国の兵部と深く関わりを持ち、我が家に次いで古い家筋ときている。たった今、父上がこぼしたように、上位の家柄は下位の家柄とは結びつきたがらない。
 では、黒髪こころに相応しい相手は誰か。私の乏しい知見からすると、風祭平蔵しかいなかった。
 それが死ぬほど嫌だった。一時は自刃まで考えたくらい嫌だった。
 あの嫌らしい目つき、驕った態度、寒気すら催す粘着性。どれもが耐え難くて、あんなのと夫婦になれと言われたらどうしようと、本気で悩んでいたのだ。あんな鼠野郎と一緒になるために私は生きてきたわけじゃない。もし強制的に婚姻を迫られたら、自分の手で人生を精算しようと本気で覚悟していた。
 と、こんな感じに、深刻かつ悲観的に考えていたものだから、今の一言にはかなり救われた。以前より弄してきた工作は、きちんと実を結んできているらしい。よりにもよって風祭などを。
「おい、聞いているのか」
「えっ?」
 聞いていなかった。
「まったく。風邪などひくからそうなるのだ」
 小言をいくつかもらったが、それで終いだった。大層ご立腹の様子だったから、もっと別の、鬱になるような案件が控えているのかと身構えていたのに。
 用済みだと突き放されたので、素直に外に出た。なるたけしょぼくれて見えるように頭を垂らし、がらがら喉を最大限に活かした小声で詫びを入れて、襖を閉じる。
 火照る身体を引きずり、可及的速やかに自室へと戻る。平静を装って。
 途中、どうしても我慢しきれずに、こっそりと拳を固めて振った。二度も三度も。誰にも見られていませんようにと念じながら。

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